平安背景 だいたい

■平安時代基礎知識的なもの

794年
桓武天皇が現在の京都市に都を移した。これを平安京という。

東北地方には朝廷に従おうとしない蝦夷がいた。
朝廷は坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、降伏させた。

800年代
新しい宗派が伝わった。
天台宗を伝えた、最澄。 比叡山に延暦寺を建てた。
真言宗を伝えた、空海。 高野山に金剛峰寺を建てた。

894年
菅原道真によって遣唐使は派遣されなくなった。
菅原道真は藤原氏と対立し、901年には太宰府(だざいふ)に追放されてしまいます。

中国では宋
朝鮮半島では、高麗が力を持った。

■平安時代

貴族の中でも藤原氏が娘を天皇の后にしてその子を天皇にする
ことで勢力を伸ばした。
9世紀後半には、天皇が幼い時は摂政、成人すると関白として
政治の実権をにぎった。このような政治を、摂関政治という。

10世紀
地方の政治は、国司に任されていたが地方の政治は乱れていく。

摂関政治は、11世紀初めの藤原道長とその子頼道の頃にもっとも
盛んで、朝廷の高い地位をほとんど独占していた。
望月の歌がこの頃の権力の強さを物語っている。

唐の文化をふまえながらも、日本の風土や生活、日本人の感情に合った文化を生み出した。
国風文化という。

漢字を変形させた仮名文字が発達し
紀貫之などが編集した古今和歌集
紫式部の書いた小説、源氏物語
清少納言の随筆、枕草子などが作られた。

10世紀半ばになり
社会が乱れると、念仏を唱えて阿弥陀如来にすがり、死後に極楽浄土へ生まれ変わることを願う
浄土信仰がおこった。 そして11世紀になると京都で浄土信仰が地方の人々にも広まり
宇治(京都府)の平等院鳳凰堂や平泉(岩手県)の中尊寺金色堂を代表する阿弥陀堂が建てられた。

10世紀になると武士と言う身分が生まれ、やがて家来をまとめて武士団を作るほどに
成長していた。武士団の有名な反乱に
935年 平将門の乱
939年 藤原純友の乱
武士団の中でも、天皇の子孫である源氏と平氏は有力だった。

11世紀に起こった東北地方の大きな戦乱(前九年合戦、後に後三年合戦)をしずめた
源義家が東日本に勢力を広げ、12世紀前半には平氏が西日本に勢力を伸ばした。

都では、藤原氏の勢力に翳りが出始める。藤原氏と関係の薄い後三条天皇が位につき
次の白河天皇は退位して上皇になってからも政治(院政)を行った。
1156年 保元の乱で平清盛と源義朝が活躍したが、朝廷が平氏を支持した為
義朝が朝廷に反乱し、1159年の平治の乱で平清盛が源義朝を破って勢力を広げ
太政大臣と言う最高の役職についた。

最終更新:2015年04月10日 11:43