古森さん「歴史ロンダリング」。(その1)


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やったねコモリン「歴史ロンダリング」

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またまたやってしまいました産経ワシントン特派員のY.Kさん。「またまた」と敢えて申し上げるのは、この方、つい最近のAP記事の翻訳贋造につづいてのことだからです。

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ここで取り上げるのは次の2つの記事のことです。

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(1)5.14付けブログ

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「米軍も日本側の慰安婦は民間調達と認めていた。」

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(5月12日付記事の再現)

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(2)5・18付け記事

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「慰安婦「契約の下で雇用」 米陸軍報告書、大戦時に作成」

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どちらも、ビルマ北部のミッチナ地区の慰安所経営者の尋問証書からのようです。しかしこれらの記事はちょっと酷いです。この尋問調書の中身を読めば軍関与を実証する資料だということが一目瞭然です。なのに、古森氏はこれを「民間の商取引に過ぎない」資料だとしています。

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記事の見出しに引用した資料内容とは逆のキャプションをつける。そうすれば中身を読まず多くの読者がそう思ってしまう。中身は黒いけど白い風呂敷でくるんでしまえば、中身も白いと思い込んでしまう。簡単なトリックですが効果はテキメンです。人間とは一度思い込んでしまえば、あとは相当な努力をしない限り修正がむづかしいものです。ですから、手法は単純だけど効果はテキメンです。

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『ワシントン発記事』という新聞公器のシステムを使って英文資料の意味を逆転させてしまう、これは「歴史ロンダリング」とでも呼ぶべきテクニックなのでしょうか?

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では、問題点を具体的に指摘します。

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まず(1)の記事。見出しは、

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「民間が慰安婦集め」 米軍調査「日本軍は利益得ず」

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記事本文は次のとおりです。

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【ワシントン=古森義久】戦時の日本軍の慰安婦に関して、日本側の民間業者が慰安婦候補とした女性家族にまず現金を支払って彼女らを取得していたことを示す米陸軍の調査報告書があることがわかった。報告書は、この業者が朝鮮で商業利益を目的に慰安婦の徴募に直接あたっていたことを示し、現在の米側の一部の「日本軍が女性を組織的に強制徴用していた」という主張とは異なる当時の実態を明らかにしている。

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 報告書は米国陸軍の戦争情報局心理戦争班により第二次大戦中の1944年9月に作成された。「前線地区での日本軍売春宿」と題され、同年8月にビルマ(現ミャンマー)北部のウェインマウ付近で米軍に拘束された日本人の慰安所経営者(当時41歳)の尋問結果が主に記録されている。

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 この経営者は、日本人の妻(同38歳)と朝鮮女性の慰安婦20人とともに米軍に捕まった。この慰安婦の尋問結果をまとめた報告書は別に存在し、日米両国の研究者などの間で参照されてきたが、経営者だけについての報告書は公開の場で論じられることが少なかった。

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 報告書によると、経営者は朝鮮のソウルで妻とともに食堂を開き、ある程度の利益を得ていたが、景気が悪くなり、新たに収入を得る機会の追求としてソウルの日本軍司令部に慰安婦を朝鮮からビルマに連れていくことの許可を求めた。この種の提案は朝鮮在住のほかの日本人ビジネスマンたちにも軍から伝えられていたという。

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 同経営者の慰安婦集めについては「彼は22人の朝鮮女性に対し個々の性格、外見、年齢による区分で1人あたり300円から1000円の金をまずその家族たちに支払い、取得した。22人の女性は年齢19歳から31歳までで、経営者の占有する資産となった。日本軍は(この取得から)利益は得ていない。ソウルの日本軍司令部は同経営者に対し(ビルマまでの)ほかの日本軍各司令部あてに輸送、配給、医療手当などの必要な援助を与えることを認めた書簡を与えた」と記している。

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 このように報告書では、この慰安婦採用の過程については日本軍が「許可」あるいは「提案」したとされ、経営者の女性集めはすべての個々人に現金をまず渡していることが明記され、「日本軍が女性たちを組織的に強制徴用して性的奴隷化した」というような米国議会の決議案の解釈や表現とはまったく異なる事情を伝えている。

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 報告書によると、この日本人経営者は妻や22人の朝鮮女性とともに1942年7月10日に釜山を船でたち、台湾、シンガポール経由で同8月20日にビルマの首都ラングーン(現ヤンゴン)に到着した。女性たちはその後、北部のミッチナ(当時の日本側の呼称はミイトキーナ)地区の日本軍歩兵114連隊用の慰安所に送られたという。

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~~~~~~~~~~~~~~~~~~(記事おわり)

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この記事は下記の資料原文に照らすと、意味が巧妙にずらされています。まず、

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>新たに収入を得る機会の追求としてソウルの日本軍司令部に慰安婦を朝鮮からビルマに連れていくことの許可を求めた。この種の提案は朝鮮在住のほかの日本人ビジネスマンたちにも軍から伝えられていたという。
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> これでは、まるで朝鮮からビルマに連れていくことを計画したのはこの業者のように誤解されますが、そうではないのです。M.739という業者は、朝鮮総督府の計画に応募(applied to )したのです。人身売買とビルマ移送の内示計画(the suggestion)は総督府によって立てられた(originated from Army
H.Q.)とはっきり書かれています。
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古森氏は、原文にある
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> the suggestion originated from Army (示唆は軍より発せられ)をわざわざ脱落させています。これがあると、「民間調達」という見出しが成り立たなくなるからでしょう 
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>日本軍は(この取得から)利益は得ていない。

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これは、売買益を得なかったということで、慰安婦・慰安所経営からは「性」という兵站の恩恵を得ていたことは否定できないのです。

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>ソウルの日本軍司令部は同経営者に対し日本軍各司令部あて(ビルマまでの)ほかの日本軍各司令部あてに輸送、配給、医療手当などの必要な援助を与えることを認めた書簡を与えた

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書簡は、日本軍各司令部が同経営者を積極的に支援するよう求めたものです。「援助を与えることを認めた」といった消極的なものではありません。
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> (
H.Q. Korea Army gave him a letter addressed to all military H.Q. of the  Japanese Army, requesting them to furnish any assistance he might require, transport, rations, medical attention, etc.)業者は、軍による完全アゴアシ付だったのです。

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そのうえ、女性たちの船内での食費は業者が払ったとも記されています。彼女たちには収入がないのですから、食費分は前借金の増加となったことは容易に想像できることです。

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この文書は、

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「軍が発案し管理した上での人身売買、軍主導の移送、慰安婦女性の捕虜扱いなど」の実態が記された文書です。

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「民間が慰安婦集め」 米軍調査「日本軍は利益得ず」

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といった軍傍観者的文書では、決してありません。

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【参考】

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Y.Kさんが提示した原資料(冒頭部分)は以下のとおりです。私の試訳を添えます。

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A  JAPANESE  ARMY  BROTHEL  IN THE  FORWARD  AREA.

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        Note:  The following is derived from interrogation at C.S.D.I.C.(I) of M.739, and from O.W.I. Interrogation at Ledo Base Stockade of 20 Korean “comfort girls”,

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             Report dated 21 Sept. 1944.

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外地における日本軍慰安所

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註 以下はat C.S.D.I.C.(I) での M.739に対する尋問とLedo Base Stockade  における20人の軍慰安婦に対するO.W.I. 尋問から作成された。

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作成日  1944921
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>    M.739, his wife and sister-in-law had made some money as restaurant keepers   in  Keijo, Korea, but their trade declining they looked for an opportunity to make more money and applied to Army H.Q. in Keijo for permission to take “comfort girls” from Korea to Burma.  According to P.W.  the suggestion originated from Army  H.Q. and was passed to a number of similar Japanese “business men” in Korea.
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M.739と彼の妻と義理の妹は、京城で食堂経営し金をいくらか蓄えたが、商売が縮小してきたので金儲けのチャンスを求めて、京城の朝鮮総督府に応募して慰安婦を朝鮮からビルマに連れて行く許可を求めた。捕虜によれば、示唆(内示計画)は総督府が発案し、朝鮮にいる多くの同じ日本人業者にも伝えられた。
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> M.739 purchased 22 Korean girls, payig their families from 300 to 1,000
 according to the personality , looks and age of the girl.  These 22 girls were of ages from 19—31.  They became the sole property of P.W. and the Army made no profits from them.  H.Q. Korea Army gave him a letter addressed to all military H.Q. of the  Japanese Army, requesting them to furnish any assistance he might require, transport, rations, medical attention, etc.
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M.73922人の朝鮮人女性を、性格、容姿、年齢などによって、300円から1000円で買い取った。22人の年齢は1931歳であった。彼女達は軍事捕虜という形の占有財産となり、軍は彼女たちから利潤(手数料)を得なかった。朝鮮総督府は移送にかかわる全ての外地司令部宛ての手紙をM.739にもたせた。手紙は、移動手段でも食料でも医薬品でも、M.739が要求するものはどんな援助もするように、各司令部に要請するものであった。

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     Leaving his sister-in-law to carry on the restaurant, M.739 and his wife, with their 22 girls, embarked at Fusan on 10 July 1942 in a group of 703 girls, all Korean,  and some 90 Japanese men and women, all of them of the same base sort as himself. They sailed on a 4,000 ton passenger ship in a convoy of 7 ships.  Free passage Tickets were provided by Army H.Q., but P.W. paid for all meals during the voyages. 

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義理の妹を食堂経営のために残して、M.739 と妻は22人の女性を連れて10 July 1942 、全て朝鮮娘からなる703人の慰安婦、そして90人ほどの彼と全く同じ立場の日本人男女とともに船に乗り込んだ。彼等は7隻の船団のうちの4000トンの客船で運ばれた。総督府から無料乗船券は与えられたが、捕虜(慰安婦)は航海中の全ての食事代を支払った。

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They called at Formosa, where 22 other girls bound for Singapore were taken on board, and at Singapore where they transferred to another ship, arriving at  Rangoon on 20 Aug 1942.

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彼女らがFormosaで召集されたとき、台湾に上陸したとき、22人の別の女性たちがシンガポールまで合流し、シンガポールの召集上陸では、そこから彼女たちは別の船に乗り換えラングーンには20 Aug 1942に到着した。

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At Rangoon they were divided into groups of 20—30 girls in each and dispersed to various parts of Burma, each group being attached to various regiments, units or 
 formations, so that each had its own brothel (s). 

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> ラングーンで女性たちは
20—30 
人のグループに分けられ、ビルマの多くの地に分散された。各グループは、それぞれの売春宿を有する連隊、部隊、編隊に属することとなった。

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最終更新:2017年03月30日 19:07