乾いた音。肌が裂けそうなほど甲高いその音は、確かにその人の頬と、あの人の手が、生み出していた。
哩「……これで許す。もう二度と、したらいかん」
姫子「……」
隙間から垣間見える景色に、二人の顔は入らない。見えるのは二つ上の人の後ろ姿と、一つ上の人の俯く姿。
振りぬいた哩さんの腕は、確かに鶴田先輩の頬を打ち抜いていた。
哩「別に二人でどこか行くのは良い。けど…キスは、やり過ぎとる」
思わず指が唇をなぞる。つい先日、二人で遊びに行った時の、不意を突いた柔らかな感触。
感触の主は今も俯いたまま、一言も発していない。
哩「分かったらもう話は終わり。はよう帰らんと、暗くなったら危なか」
踵を返しながら声を掛ける哩さんは、もういつもの哩さんの声色をしている。
鶴田先輩と仲が良くて、みんなを引っ張ってくれて、俺に笑いかけてくれる。そんないつもの哩さん。
だからホッとしたんだ。これで鶴田先輩が、あのときの事を気にしないなら。それなら俺も、鶴田さんにはいつも通りの対応ができるはず。
姫子「……分かりました。どうせ、あと一年もないですし」
そう、思っていたのに。
姫子「四月になったら部長、高校にはおらんですし、私が何してもわからんですね。あは…あははっ」
なんで、そんな風に笑うんだ。
哩「姫子…あんたっ!」
激昂した哩さんの腕が鶴田先輩の胸ぐらをつかみ、背を壁へ押し当てる。
手加減を忘れた音が部屋に響くと、痛みか、それとも嘲笑か。鶴田先輩の顔は歪んでいて。
姫子「ぐっ…あはっ! 部長が、悪かですよ! 私の気持ち知っとって、毎日、毎日!」
姫子「それに…手を握るのもあんまさせて貰えんって、嘆いてましたよ? そんな小学生みたいなことしとるから…」
やめろ。その言葉が口から出なかったのは、どうしてなんだろう。
姫子「あは、あははっ! 部長は知らんですよね! 京太郎の奴、人を鳴かすの上手ですよ! 何回も私の上に乗って、がっ!?」
哩「姫子ぉっ! アンタ…! あのとき、やっぱり…!」
姫子「ごほっ…あは、なんですか? 薄々気づいとったのに、確かめもせんとグズグズとしとったんですか?」
姫子「それでよく、彼女面できましたね…あは、安心してください。私がいる間は、変な虫がつかんようにしてあげますから」
姫子「だから安心して、清い交際でもしとって下さい」
姫子「甘酸っぱい青春を部長が。男の子の欲望を私が。ねえ部長、お互いを補い合う、いい関係と思わんとですか?」
鶴田先輩は笑っている。嗤っている。
白くて柔らかい肢体は初めての感触で。思い出すだけでも血液が一か所へ集まっていく。それが、二つ上の彼女への裏切りだと分かっていても。
ひどく殺気立った哩さんと、笑い続ける鶴田先輩。
その瞳は…息をひそめる俺へと、向けられた気がした。