リザベーション。先輩達から聞いた話としては、凄い力だと思った。
だからかな…あのとき、白水先輩と二人でいる時に、聞いてみたくなったんだ。
「部長、片付け終わりましたよ」
「ん、ありがとう。おかげで助かったとよ」
夕暮れの部室には二つの影。卓を挟んで伸びたその闇が廊下につながるドアに重なって、なぜか部室と外界を遮断しているようにさえ、感じられた。
「いやあ、全然大丈夫っすよ! 部長のためならこれくらい余裕ですって!」
「そいか…少し時間ある? 良ければ打ち方指導くらい、できるよ」
俺と話す部長は、いつもどこかたどたどしい。余所余所しいとは違うそれは、方言で分かりにくくならないように配慮してるんだと、花田先輩が言っていた。
花田先輩とは方言バリバリなわけで、少し馴染み切れてない気もするけど…そこは年数の差だろう。
それより、俺はと言えば白水先輩の、赤く燃える首筋がとかく気になっているんであって。
「うっす! お願いします!」
優しく笑う白水先輩と長く一緒に居られるなら、苦手な麻雀もやる気になるってもんだろ?
「須賀はリザベーションのことは聞いた?」
「はあ…鶴田先輩と、和了りが連動してるって奴ですよね?」
うん、と頷くと二つに分かれた髪の房が首筋を撫でる。目が向いてしまうのは…一応、許してくれてるみたいだ。
「少しだけ、気持ちいいんよ…あんまり言わないけど」
恥ずかしそうな言葉。それに、妄想が加わってしまうのは思春期男子。
だから悪戯心が芽生えちまうのも、それが後でどう影響するかも気にならないくらい、思春期で。
「それって、鶴田先輩が近くにいなくても使えるんですか?」
「うん。そうは言っても、麻雀以外で使ったことはなか。試合以外でもほとんど」
無理だ。そう分かっていても、早くなる鼓動は止められないし、熱くなる呼吸は冷めてはくれない。
出て行く言葉を、止められない。
「…それ、今ここで使って見せてもらうことってできません?」
きょとんと開かれた瞳は、普段の理知的な部長と違って幾分可愛らしく見える。それが際立ったのは、直後のこと。
「あはは、使っても意味はなか。効果が出るんは姫子の番になってから」
可笑しそうに、子供っぽく口元に手を当てて笑う部長。陽が暮れた部室の中は人工的な明かりだけが照らして、非日常的な雰囲気に包まれている。
だから、部長はこんな、普段見せないような相好なのかもしれない。
だから…俺は、立ち上がって、部長の肩に手を寄せたのかもしれなかった。
「使ってみてくれません?」
…迷っているようだった。思えばここでピシャリと叱って貰えれば、たとえ部長との関係が冷えても、あんなことにはならなかったはずなのに。
どうして、この人は頷いてしまったんだろうか。
「…仕方ない、じゃあ、私の手牌を作ってみて」
ため息と苦笑。拒絶の色は無かった。
さすがに何か月か居れば、山から手牌を作る動作くらいは淀みない。チャッと13牌を並べて、部長の前へ。
それに手を掛けた部長が、いつもの動作を一つ。開けて、伏せて。目を閉じて。
「…リザベーション、スリー」
そうつぶやいた瞬間、部長のピクリと体が震えた。
本当に僅かな震えで、きっと手を肩に乗せていなければ分からないくらいのそれ。けれど確かに感じたそれ。
「…少しだけ、気持ちいいんよ」
曖昧に笑う白水先輩。ほんのりと赤みを帯びた頬は、どうしてなのか。下衆な発想だけが頭をよぎっていく。
悩むように自分の口元に手を当ててみれば、そこは少し……嫌に、歪んでいた。
「うーん…もっかい良いですか? あと一回だけ」
「まったく…ええよ、あと一回だけ」
せめて。
せめてここで、ゴミ手が来てくれれば良かったのに。
手早く作った手牌が、白水先輩の開いたそれが。
「あ」
「えっ…」
見てみれば、それだけで役満が確定してる手でなければ良かったのに。
「…こういう場合ってどうするんです?」
「ええと…姫子は倍の翻数になるから…7翻縛りにすっとよ」
まあ、そうだろう。たとえまかり間違って26翻になったとしても、点数はひっくるめて全部役満だ。それなら7翻でササッと和了ってしまったほうがいい。
けど…それじゃあ、つまらないだろ?
「リザベーション、セブ…」
「ちょっと待った」
肩を掴む力を少し強めると、電気のスイッチのように言葉が止まる。不思議そうに俺を見上げる目が、やっぱりどこか子供っぽくて。
「…それ、13翻で和了りましょうよ」
「これなら確かにそれでも和了れる…ばってん、意味が」
意味は、無い。
けれどそんなことはどうだっていい、重要なことじゃない。問題になるのは『リザベーションスリー』があれなら、『13』はどうかってことなんだ。
口籠る白水先輩。肩を掴んで離さない俺。徐々に先輩の雰囲気が冷たく、鋭いものになっていくのを肌で感じる。それを物語るように、開かれた口から漏れた声は鋭く、冷たいもので。
「そんな意味のない事はせん。須賀、今日はもう遅いし帰ろ…その手を」
「離してほしいなら、縛ってください」
少しずつ見開かれていく先輩の目。驚愕の色の濃いその目で何を感じ取ったのか、しばらく見つめ合った後、苦虫を噛み潰した顔をして、手牌と向き直った。
「…縛ったら、帰る」
「はい」
思わず笑みが零れてしまう。諦めた先輩にも、それに即答した俺の言葉にも。
ため息を一つ吐いた後、先輩は牌に手を掛ける。溜めに溜めて言う言葉は短い言葉。
「…リザベーション、サーティーン…!」
変化は劇的なんてものじゃなく、思わず肩から手を離してしまうくらいだった、
「ぅぁっ! ひ、ひぁあ…! う、っくぅ……!」
倒れ込むように顔を伏せ、肩で呼吸をして。足を不自然に閉じながらも体を震わせている。二人だけの部室に響く声は…明らかに、艶を帯びていた。
露わになる首筋には赤みが差して、滲む汗に輝いて。思わず手を添えてしまうほどだった。
「ひっ!? な、なんばしよっと!?」
ひどく指先が熱い。軽く撫でるだけで先輩の嬌声が口から出てくるのだから、ある意味楽器にも似ている。
とても可愛くて、甚振りたいほど美しい楽器。
「やっ、あ、あああ! やめてっ、須賀! やめてぇ!」
先輩が小刻みに吐く息が、その身体の変化を教えてくれる。熱のこもった吐息が制御できないほどに、体を火照らせていることを。
だから俺は……
「はっ…は、はぁ…な、なに、してる…?」
「なにって牌を並べてるんですよ。次の手牌です」
占めて十三枚。新しい手牌となるそれを改めて先輩の前に並べると、面白いくらい動揺していて。
「だ、だってそれ、山じゃなくて」
「そうですね。今、俺が見ながら選んだ牌です」
国士無双十三面待ちテンパイ…数えにもならないのは、どうカウントされるか知らないけれど。
「それじゃ…先輩、どうぞ。リザベーションの時間ですよ」
首根っこを押さえ、腕をつかみ、耳元に唇を寄せる。
俺にも先輩にも見えない俺の顔は、酷く歪んでいることだろう。