山小屋

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窓が揺れる。冷え切ったガラスが吹きすさぶ風に悲鳴を上げて、頼りなさげに俺達を守ってくれていた。

 

「……ごめんね、みんな」

 

 パチリと爆ぜる炎の音を遮ったのは、いつもからは想像もできないほど弱い部長の声。驚いて振り返ってみれば、俺意外の四人も、うずくまるその人に目を向けていた。

 

「いえ……山の天気は変わりやすいといいますし、予報では一日晴れとのことでしたから」

「そうですよ! 部長は悪くないです、そんなこと、言わないでください」

 

 次々と掛けられる慰めの声が部長を包む。和たちの言うとおり、部長が悪いとは思わない。

 確かに雪山を歩こうと提案したのは部長だったし、少し強引なところはあった。けれどそんなのはいつもの事だ。コースを決めて、あらかじめ申請をして。天気を調べて歩き方のレクチャーを受けて、緊急時の対応まで、俺達に教えてくれたのも部長じゃないか。

 責める気も無いし、責める奴もいない。ただ、自然の脅威って奴が天気予報をひっくり返しただけのこと。

 

「京太郎、無線はどうじゃ?」

 

 横からの声に答えようかと思ったけれど、やめた。それだけで先輩は十分悟ったのだろう、ぎゅっと結んだ唇と難しく寄せた眉根が、状況の具合を物語っている。

 

「で、でも、食べ物は結構あるじょー! タコス味ポテチ! おもちチョコにー、ガラナチョコにー」

 

 千切れそうな光の電灯が一つ。薄暗さの中でも優希の明るさはありがたかった。例え空元気でも、雰囲気の呼び水にはなるはずだから。

 俺のポケットのラムネが、呼び水の一つになればいいと、そう思った。

 

「んじゃ俺は、この笛ラムネだな!」

 

 占めて六人分。大げさな音を立てて床に散らばったそれを、和が拾う。

 白くて細い指が、丸いラムネをふっくらとした唇に当てた。少し硬い笑顔を浮かべた、その唇に。

 

「もう……須賀君ってばフェラ胸だなんて、えっちですね」

「分かってたけど女の子がそんなこと言ったらいけまーせん!」

 

 いつものノリにしては弱いし、どこかぎこちないけれど。

 暗くて寒い、窓の軋む音が響くこの部屋から、少しだけ居心地の悪さが薄らいだ気がした。

 

 

 

 時間が経てば日も暮れる。激しく揺れていた白いカーテンも、今では暗い闇色をしていた。

 底冷えする冷気がじわじわと六人を包む。だからと言う訳でもないけど、自然と狭い場所に寄り集まって、互いの熱を確かめ合った。そうしないと不安で押し潰されそうだったから。

 

「……寒いよ」

「大丈夫ですよ、日帰りで申請しているんですから、最悪明日には救助が来るはずです。ほら……こうしてると、寒くないでしょう?」

 

 さすがと言うべきか、この状況で一番落ち着いているのは和だった。部長は沈んでるし、染谷先輩も見た目落ち着いた様子だが自分を掻き抱く腕が、妙に強い。

 震える咲を優しく包む和はいつもの印象とは違って、どこか眩しく見えた。

 

「須賀君? どうしました?」

「いや、なんでも。こうしてると娘が二人いるみたいだなってさ。ほーらよしよし」

 

 胸元に顔を埋める優希の頭を柔らかく撫でれば、僅かな身じろぎの感覚が手を伝う。酷く緩慢ではあるけれど、少しだけ優希の体から緊張が和らいだ気がする。

 

「あら……それじゃあ、須賀君は旦那様ですね。お願いしますねアナタ」

「はは、そーだな。こっちこそよろしく」

「……むー」

 

 どういうわけか、咲が膨れていた。なんで不機嫌になるのかは分からないけど、黙って震えているよりはずっと良い。

 

「……あは、貴方たちはいつも通りね」

「緊張感が薄いのー。見とる分には微笑ましいもんじゃ」

 

 外の闇のように沈んだ空気が、少しずつ小さな電灯の煌めきのように明るさを帯びていく。

 たった一晩だ。吹雪と言っても猛烈で一歩も歩けないほどじゃないから、プロなら明日には救助に来てくれるかもしれない。そう思ってしまえば、この状況もどこかアトラクション染みた緊張感へと変わっていく。そんな気がしていた。

 

――コツ、コツ。

 

 突如響いた、そのノック音さえ聞こえなければ。

 

 

 

「……なに?」

 

 僅かに緩んだ空気は幻想だったと言わんばかりに、たった二つの音が聞こえただけで温んだ空気は罅割れる。

 咲は見るからに顔色が悪いし、和もどこか表情が硬い。優希に至っては俺にしがみついて震えている。その中で恐怖でなく、疑問の声を漏らした部長はさすがと言うべきか。

 

「誰か、いるんでしょうか?」

「まさか……吹雪いてるうえに、夜なのよ? もし私と同じように遭難者だとしたらもっと大きな声出したり、何度もドアを叩くでしょ。そもそも鍵だって掛けてないのに……」

 

 それは和にではなく、自分に言い聞かせる言葉だったんだろう。とはいえ確かにその通りだったし、その音が聞こえてからたっぷり五分は時間が経っているのに次の音は無い。複数の呼吸、電灯の声、衣擦れの音。それだけしか聞こえなかった。

 

「けれど……もし、扉の前で力尽きてしまったんだとしたら……」

 

 誰からか呟かれた言葉は、きっとみんなが思っていたこと。そして言いだせなかったこと。

 漠然とした不安から言いだせなかっただけで、みんな考えていたんだ。だからどこかばつの悪い空気になって、自然と部長と目があった。

 

「……俺が、見てきます」

「ぁ……」

 

 曲がりなりにも男だ。じゃあ部長お願いします、なんて言いたくないし言えるとは思えない。優希を和に任せて立ち上がり、外と中を隔てる古びた扉へと。

 ……手が酷く緩慢に伸びる。一秒と掛からない距離なのに、ずっとずっと時間を掛けて。誰も何も言わないのはきっと、ソレが何か分からないからだろう。

 

「開けるぞ」

 

 誰に言う訳でもなく、小声で呟く。自分で自分を後押ししないと開けられそうになかったから。

 少しずつ外の雪が入り込んでくる。今にも隙間から白い指が伸びてくるんじゃないか、開けた向こうに誰か立っているんじゃないか。……けれど、そんなのはただの妄想だ。

 

「はは……誰も居ないよ。吹雪いてるけどそれだけ――」

 

 扉の前、その土には白い雪が降り積もる。そこには誰の跡もなくて、ただ白い絨毯が続くだけ。

 振り向きざまにことさら明るく振舞う言葉が俺の口から漏れて――続くことは、なかった。

 

「……染谷先輩は?」

 

 

 

 恐慌に至らなかったのは、それだけ恐怖が大きかったんだろう。誰もが、不自然に空いた一人分の空間を気味悪そうに見つめていた。

 

「嘘、でしょう? だって、まこは、今の今まで!」

 

 部長の手は、そこに居たはずの染谷先輩の輪郭を精一杯なぞっていた。そこには今、何もないのだと認めたくなさそうに。

 

「部長、落ち着いてください」

「どう、なにを! 落ち着けっていうのよ! 貴方も知ってるでしょう!? 須賀君以外誰も立ってないの、奥の部屋への扉だって……」

 

 ああそうだ。狭い物置のような部屋があったのは、小屋に来た時にしっかり調べていた。缶詰と、虫の付いた毛布があって、よほど我慢できなくなるまでやめておこうと言った、きちんと閉ざしたその扉が。

 ……暗い奥を覗かせて、少しだけ開いていた。

 

「あ、あぁ……」

「そんな、ありえません! だって誰も!」

 

 そうは言いながら、きっと一つの可能性には思い至っている。考えたくない、けれど考えたい可能性。

 

「染谷先輩……? そこに、いるんですか」

 

 答える声は無く、ただ扉が嫌な音をたてて誘うように隙間を広げていく。

 後ずさるみんなからはもう、声の一つも上がらなかった。

 

「先輩、いるなら返事をしてください……開けますよ……」

 

 答えは期待していない。答えて欲しくないとすら思っていた。だってこの奥にいるとしたら……何のためにってなるだろ。

 どこからか五月蠅い音がする。やめてくれよと言おうとして、それが俺の喉が唾を飲む音だと気付いた。

 

「……誰も、いない」

 

 何が見えるかと言えば、缶詰と毛布。狭い物置みたいな部屋。人が隠れる隙間もなければ物も無いような場所だ。仮に先輩が部屋に入ったとしても、隠れる場所も無い。それはつまり……嫌な想像が現実味を帯びだしたということだ。

 ああ、寒い。寒いはずなのにどうして、こうも汗が流れるんだろう。

 

「須賀君っ! あ、あああっ!」

 

 気味の悪い静寂を切り裂いたのは和の声。けれど決していいものではなく、むしろ何か恐ろしいものを含んだ声。

 吐き気さえ含んだため息の後、振り向いたその先には。

 

「部長が……部長がっ!」

 

 和が何かを指し示すように指を一本、青ざめ震えながら何もない空間に向けていた。

誰もいない、その場所に。

 

 

 

「それじゃあ、部長は一瞬目を逸らしただけで、次見た時には居なくなったってのか」

「はい……本当に一瞬だったんです。須賀君があの扉に手を掛けて、その次の瞬間には……もう」

 

 薄闇の中でもはっきり分かるくらい、和の顔色は悪い。強く体を抱く両腕は忙しなく動き、目線はなにか、大事なものが消えてしまうことを恐れるように下へ固定されていた。

 もちろん酷い顔色なのは、咲も優希も同じ。二人とも怖くて仕方ないんだろう、涙を湛えながら互いを離そうとせず、ただ震えている。

 ……俺だって同じだ。訳が分からないことばかりで、どうすればいいのかも分からない。恐怖と苛立ちがグチャグチャになって、それが口から漏れていく。

 

「どうなってんだよ……この小屋は、いったいなんなんだ……!」

「もう、もう嫌だよ! 京ちゃん、和ちゃん、優希ちゃん! 帰ろうよ! 吹雪でもいいよぉ!」

「咲さん落ち着いて下さい……危険です。私達だけでは」

「じゃあどうすればいいんだじょ!? ここにいたら私達も、消えて終わりだ!」

 

 ……失態だった。俺の言葉が咲と優希の膨れ上がった恐怖を突いてしまったらしい。爆発した勢いは止まらずに、それぞれの恐怖が好き勝手に甲高い声になって部屋に響いている。

 頭が痛む。咲と優希の叫び声が酷く五月蠅くて、苛立ちを募らせていく。

 

「じゃあ和ちゃんはここにいればいいじゃない! 私はやだよ、ここに、これ以上居たくない!」

「私だって居たくありません! こんな所、すぐにでも逃げたいに決まってるじゃないですか!」

「だから、さっきからそうしようって言ってるんだじょ! それを和ちゃんが止めるから!」

「外は吹雪いて、真っ暗なんです! むやみに出て行ったら命取りだと、何度言わせるんですか!?」

 

うるさい。嫌なら出て行けばいいだろ。これ以上騒がないでくれ。

強く握り込む手に髪の毛が巻き込まれて、抗議するような痛みをくれる。その間は三人の声を痛みが遮ってくれるような気がして、ますます強く握り込む。

 五分、十分、一時間? それとも数秒かもしれない。相も変わらず罵り合う三人に、怒鳴ろうとしたその瞬間だった。

 

――コツ、コツ。

 

 息をすることさえ忘れたように、切り取った写真みたいに、誰も何も言わなかった。今の今まで掴み合いになりそうだった三人が、肩を寄せ合ってそれぞれ手を取るのがいっそ滑稽にも見えたけれど。

 

「ぅぁ……ひ、いやぁあああ!」

 

 血を吐くような悲痛な声が、咲の喉を裂く。それを怖がりと笑うことはできないだろう。だって、その音は――。

 

――コツ、コツ。

――コツ、コツ。

 

外への扉と物置への扉。二つの方向から、響いているのだから。

 

 

 

 二つの扉から一番遠い壁に背を預け、可能な限り身を寄せて。

 目を動かして見えるのは三人の姿。和は難しい顔のまま窓を睨み、優希は顔を膝に埋めて少しだけ嗚咽を漏らしている。咲は……耳に手を当てたまま、黙りこくっていた。何も見ず、何も言わず、何も聞かず。ただ朝を待つだけ。

 

「なあ和。今、何時だ?」

「1時52分です。夜明けは……確か、6時50分ごろだったかと」

「あと5時間か……」

 

 それだけの言葉で、後はまた元の木阿弥だ。吹雪が窓を揺らす音、切れそうな電球の音。あまりの静けさに不安だったのが嘘のように、静寂が恋しくて嬉しかった。

 結局、あのノックの音はあれっきり聞こえなくなってしまった。ノックが部長達が消えてしまったことに関係しているかは分からないけれど、聞こえ続けるよりは遥かにマシだ。

 

「雪山で四人……そういえば、有名な話があったな」

 

 言ってから気付く。これは、ダメな奴だ。

さっきから失言ばかりの自分が酷く情けなくて殴りたくなる。そしてそんな俺を見つめる和の不思議そうな目に、顔を逸らすしかなくて。

 

「どんな話なんですか?」

「いや、やめとくよ。間違ってもいい話じゃないし」

「……別に、いいじょ。肩を叩く話なら知ってる」

 

 変わらず伏せた優希の言葉に、少し息が詰まる。実のところ優希に聞かせたくないと思って控えたのに、そこからいいと言われては黙る理由も無い。意味も無く頭を掻いてから、少しずつ言葉にすることにした。

 

「俺達と同じように、つっても四人組の話なんだけどな。そいつらは強い吹雪の中で遭難したんだ。とにかく止まってちゃいけないって歩き続ける四人の前に、一つの小屋が現れる」

「なるほど……今の私達にそっくりかもしれませんね」

 

 そう言う和の言葉には、どこか自嘲のような、嘆くような色が混ざっていた。俺達は、初めは七人だったからだろう。

 

「……それで当然四人は小屋に入った。けど火も無い小屋の中じゃ眠ったりしたら死んじまう。そこで四人は一計を案じて、眠らない方法を考えた」

「眠らない方法ですか。なんでしょう、部屋の中を歩いたり話をしたりでしょうか?」

 

 パッと思いつくあたり、さすがは和だ。

 

「まさにその通り。部屋は四角形だったから、それぞれ四隅に立ってリレーみたいにして歩くことにした。一人が壁伝いに歩いてその先で立つ奴にタッチして、タッチされた奴は壁伝いに歩いてその先にいる奴にタッチ。ぐるぐる回って一晩を明かすって寸法だな」

「無理ですね。一人足りません……いえ、そうですね。一人が二人分歩くなら……」

 

 本当に、ズバッと言ってくれる。優希の奴も嗚咽が止まって少し笑ってるじゃないか。くそ……話して正解だったよ。

 優希の小さな笑い声に、和の不思議そうな顔。このままなら咲も少しすれば、いつも通りとはいかなくても戻ってくれるんじゃないかって。そんな気さえしているんだ。

 

 

 

「まあ、和の言うとおりなんだけどそれはさておいて、四人はそれをやって見事日の出を迎えた。救助がやってきたわけだな。そしたら救助の奴が言う訳だ。『よく起きていられましたね、なにかコツでもあるんですか』ってな」

「コツもなにもないのでは?」

「まあな……四人はさっき言った方法を伝えた。まるっとそのままな。そしたら救助の奴が、言う訳だ。『ちょっと待ってください、それは四人ではできませんよ』」

 

 参ったな、和の目がある意味不思議そうというか、オチまでバレてる感じだ。正直この中で話すのはシンドいぞ。

 優希の奴は耐えきれないとばかりに噴き出してるし……とはいえここで切る訳にもいかないか。

 

「そう……四人のほかに、誰かが居たんだ。そしてその誰かは、いつの間にかリレーに参加していつの間にか消えていた……その五人目は、同じように遭難した人が四人を助けようと出てきてくれんだ」

「はあ、納得はいきませんが」

 

 だろうな。和の中では多分、一人が二人分歩いたルートで固まってるんだろう。

 

「なるほど、そのような話もあるんですね。ふふ……少しだけ、時間つぶしにはなりましたよ?」

 

 時間つぶし程度か。もっとも今はできるだけ時間をつぶしたいところだから、丁度良かったかね。

 優希と和を交えたやわらいだ空気が漂い始める。ここから雑談をかわしていけば、いずれ時間が経ってくれそうな、そんな期待を抱かせる空気。

 意気揚々と、温めておいたとっておきの話を口にしようした――その、時だった。

 

 

「……朝だ」

 

 ポツリと呟く声。聞き慣れた声、聴きたいと思った声。決して口を開こうとした咲の声が、なぜかはっきりと耳を打った。

 

「朝だ。朝だっ、朝だ!」

 

 立ち上がる咲の顔はひどく明るくて、見開かれた目が一点を凝視している。そこは吹雪で揺れている窓で……そこからは、明るく優しい日差しが差し込んで。

 

「朝だよみんな! 行こう、早く行こうよ! こんなとこ、居たらダメなんだよ!」

 

 急いでドアへ駆け寄る咲。自然と俺も立ち上がって、優希を見れば笑顔を綻ばせて俺を見上げていた。

 

「京太郎!」

「ああ、助かったんだ……!」

 

 咲はドアを少しだけ開けたまま、外へ駆けていく。雪が降った後の犬のように喜びを隠さずに、声が聞こえなくなるくらい遠くまで行ってしまったみたいだ。

 俺もうかうかしてられないな。窓から見る限り吹雪も止んだみたいだし、早いとこ荷物をまとめる必要がある。

 

「和、優希、早く準備しろよ! なるべく早く行きたいからな」

「おう! すぐに出発だー!」

 

 優希の奴ときたら、さっきまで沈み込んでたってのに元気爆発じゃねーか。現金な奴だな。

 思わず口角が上がってしまうのを感じながら、和へ目を向ける。さっきから動いていないのは和だけで、その辺りは冷静な和らしい。

 なあ和、もう朝だよ。外が見えるだろ? 

 

 

 なんで、そんな顔をしてんだよ。

お前の時計は今、何時なんだよ。

 

 

 

「待って、待ってください……こんなの、おかしいです。だってまだ!」

 

 必死な和の形相に、強い吐き気と立ちくらみさえ覚えてしまう。そしてそんな俺を嘲笑うように、外の穏やかな光が窓から差し込んでいた。

 

「おかしいんです! だって、だって……まだ、2時過ぎですよ!? こんなのありえません!」

 

 酷く息が苦しく感じる。荒い息を抱えたまま和から目を離して扉に目を向ければ、そこは咲が出て行った時と寸分変わらず、僅かに開いたままで。

 

「嘘だ……嘘だよな、咲……!」

 

 震えて扉に触れることを拒む手を、渾身の勇気で抑え込む。目まいがするくらい息苦しくて、扉を開こうとする手は恐ろしくゆっくりと動く。それが見てはいけないものだと、俺に教えるかのように。

 そして――俺を嘲笑うように、その景色が飛び込んでくる。

 

吹き付ける雪、黒々とした闇。何も、何も変わらない景色が広がっている。

 

「……嘘だろ、だって窓には――ぁ……」

 

 振り返れば小さな窓。ずっとずっとそこにあった窓は、暖かな陽光ではなく、変わらない闇と吹雪に揺れていた。今まで見ていたものが幻覚だと残酷に教えてくれるように、カタカタと震えていた。

 何度外を見ても、窓を見ても、何も変わらない。人の姿なんてどこにもなくて……雪の絨毯の上には、誰の足跡も無くて。

 

「咲……咲、咲ぃっ!」

「待ってください須賀君! 行ったらダメです!」

「離してくれ、咲が、咲が!」

「待って……お願いです、お願いだから……私を、追いて行かないで……」

 

 縋り付く和を振りほどこうとした手が、女の子の腕を弾こうとしていた手が止まる。

 そこには冷静な顔も、青ざめていた顔も無い。涙を零してしがみつく、弱いだけの女の子がそこに居た。

 

「なんなんだよ……どうすればいいって言うんだ? 俺に何をしろって言うんだよ!」

 

 我ながら酷いと思う。こんな女の子に怒りを叩きつけても、何も変わりはしないのに。けれど俺の口はもう、止まろうとしなかった。

 

「こんな訳の分からないまま、咲を見捨てろって言うのか!? たった今、あいつはここを出てったんだ! お前にも見えただろ!?」

「だったら何で足跡も無いんですか! 今、ここから外に出たなら足跡が無いのは変でしょう!」

「雪で隠れたかもしれない! だから早く追いかけないと……優希? おい優希! どこだ!?」

「え……ゆーき? 優希! 須賀君、優希が外に!」

 

 ほんの少し、目を離しただけなのに。

優希の奴はいつの間にか扉の外にいて。柔らかな白い絨毯を足取りも軽く、独り歩いていた。

 そして何より、外へとつながる扉が、ゆっくりと軋みながら閉じようとしていた。

 

「やめろ……閉じるな! くそ、なんだよこの力……!」

「須賀君! 優希が、優希が!」

 

 ボロのドアノブがひとりでに動いていく。ゆっくりと、けれど確実に速度を変えず。腕が千切れるほど強く引いてるというのに、扉は少しも止まらない。

 悲痛な和の声が扉を叩いても、無慈悲に音も無く。あまりにも行儀よく、扉はその役目に戻る。

 外と中を隔てる、1枚の壁になって。

 

「あ……あああああああ! 優希、ゆきっ! ゆーきぃ……うああああああああ!」

 

 

 

 咲と優希が消えてどのくらい経っただろう。数分? 数時間経っただろうか……もう、どうでもいいとさえ思い始めているのが分かって、顔が苦笑に歪む。

 和は泣きながら膝を抱えてしまっているし、俺はといえば隣で壁にもたれたまま何をするわけでもなく電灯を見つめている。

 

「なあ和……今、何時だ?」

 

 助かりたいと思って出した言葉じゃあない。ただの惰性、それ以外に話したい言葉も無い。

 返答にはたっぷりと時間を掛けて、のろのろと涙を拭う和の湿った声が。それでも返してくれるだけ、マシだろう。

 

「……いっ、今は6時40分……もうすぐ日の出です」

「そっか。はは、日の出かよ……」

 

 嬉しさは、もう、欠片もない。

 竹井久も、染谷まこも、片岡優希も……宮永咲も居なくなって。あえて言うなら和がまだここに居ることだけは、救いなのかも知れなかった。

 ふと、隣の和を見やる。すると同じタイミングで和もこっちを見るものだから、どこか可笑しい感じがした。

 

「なあ和……手、繋がないか」

 

 無造作に投げ出した腕が床に落ちる。これで手を繋げっていうのも妙な話だけれど、これ以上動かす気力も残ってなくて。

 少しの間逡巡するように、手を揺らす和。それでもそっと手の平を置いてくれたのは……嬉しかった。

 寒い寒い小屋の中で、手の暖かさだけが痛いほど優しくて。窓から差し込む光が……例え本物でなくても、綺麗なものに感じられた。

 

「なあ和……今、何時だ?」

「6時50分……日の出です」

 

 静かに、静かに朝が来る。全てが終わった後の朝。誰もいない、そんな朝が。

 

 

 

『本日正午前、昨日より行方不明になっていた長野県、清澄高校の原村和さんと須賀京太郎さんが、山小屋の中で遺体で発見されました』

 

『二人は部活仲間と一緒に六人で登山に向かっており、二人は遭難し小屋に逃げたところを凍死したものと思われます』

 

『警察は二人の死亡時刻を昨日の夜6時から2時頃までと発表しています』

 

『また他の四人の姿は見当たらないということで、引き続き捜索を続けるということです』

 

『六人はあらかじめ登山日時とルートを地元警察に提出、天気にも細心の注意を払っていたとのことですが、昨日は山の天気が急変し、遭難してしまったということです』

 

『続いてのニュースです――』

 

 

 

久「えー、それでは映研と麻雀部、合同作品完成を祝しましてー。カンパイ!」

 

「「「「「「「かんぱーい!」」」」」」」

 

 

京太郎「いやー、大変でしたね。つーか出演が麻雀部だけで良かったんですか?」

 

久「最初からそういう話だったもの。映画は撮りたいけどキャストがいない…それで回ってきたお鉢なのよねえ」

 

まこ「まー、わしは初っ端リタイアじゃったがな。その分寒くなかったけど」

 

和「さすがに寒かったです…最後はトイレに行きたくてしかたなかったです」

 

咲「うーん…なんだか私、狂っちゃった感じしない?」

 

優希「うー…なんだかのどちゃんと京太郎が良い感じだじぇ…」

 

京太郎「まあそういう脚本だったしなあ。文句はあっちに言ってくれよ」

 

久「ふっふっふ。実はね、今度は麻雀部だけで撮ろうと思うの」

 

京太郎「え。でも機材とかもいりますし、撮影スタッフもいないと駄目ですよ?」

 

久「そこは後で考えるとして!」

 

和「はあ…どんなのを撮るんですか?」

 

久「ふっふっふ! それはねえ…」

 

 

久「雪山小屋で大遭難! 暖めあい48手よ!」

 

京太郎「しないよ?」