ふと、目を開けると。
見覚えのある景色が広がっていた。
一面を覆い尽くした農場、自分がせっせと掘った墓穴の数々。
幸せな時間を、たくさんの愛情に満ちた中で過ごした大切な場所。
――ちがう。アイ・アスティンは戻ってきた幸せを、かぶりを振って否定する。
こんなものはまやかしだ。
あの村は、終わった。
自分が〝お父様(ハンプニーハンバート)〟と出会った日に、呆気なく終を迎えた。
今思い出しても、見たくない景色だったけれど、否定してはいけないのだとアイは知っている。
だってそれは、漸く前へ進むことができた自分の成長すらも否定することに等しいのだから。
終わりは終わり、失ったものは帰らない。
「……まったく、趣味の悪いユメです」
アイは口を尖らせ、嘆息をこぼした。
幸先があまりにも悪すぎたからだ。
父の死を看取り、嘗て神様の捨てた世界を貰い受ける。
そんな突拍子もない、けれど大いなる野望(ゆめ)へと踏み出したばかりだったのに。
いつも通り床に就いて、気が付けばここにいた。
目の前にはけったいな格好に身を包んだ喋る猫。
童話の世界でしかお目にかかったことのない不思議な生物にアイが順応できたのは、ひとえにここが〝ユメ〟の渦中であるのだと早々に見抜いていたからに他ならない。
大方、あまりにいろんなコトが重なりすぎて変なものを見たのだろう。
そう思った。
……というか、あのチェシャ猫もそう言っていたし。
ユメから覚めるためにはカギが必要で、それを出すために他のアリスを殺せとか――さっぱりわからない。
「ふふん。私は知ってますよ。
古今東西、悪い夢から覚める手段なんて単純明快です!」
自慢げに無い胸を張って、愉快な墓守は悠然とその解決策を実行へ移す。
一時は焦らされたことは認めよう。
ユメ特有のぼんやりとした感じがなく、リアリティに溢れていることに不気味さを覚えたのも認めよう。
しかし、そう。
己はあらゆる悪夢に対して抜群に作用する昔ながらの言い伝えを知っている。
「えいっ!」
深呼吸を数回。
方法は知っていたが、実行するのは初めてだから緊張があった。
可愛らしい掛け声と共に、意を決して自分の頬に手を伸ばし――思い切り引っ張る。
むにー、と幼女の弾力あるほっぺたは伸びた。
……伸びる。
…………もう伸びない。
………………………ほっぺたがちぎれそうだ。
「…………あ、あれー……?」
覚めない。
昨晩意識を落とした場所が戻らない。
試しに目を何度かぱちくりさせて見ても、見えるのは変わらず過去の遺物だけだ。
空気の味も、吹く風の冷たさも、見える星空だって。
何もかも懐かしい――アイは趣味が悪いと文句を垂れながらも、内心では悪い気分はしていなかった。
過去から脱却は出来ても、全くの無価値になったかといえば答えは否。
アイ・アスティンにとってこの村で過ごした時間はかけがえのないものだった。
鍛冶屋のユート翁はやさしくて親切なおじいさんだったし。
ヨーキとアンナが注いでくれた愛情を忘れるなんて絶対にできない。
今でも、ここが大好きだ。
大好き、だった。
なのに――目が覚めない。
チェシャ猫の言葉が、嘘偽りない真実だと気付いた瞬間。
「じゃ、じゃあ、これ……」
〝ぞわっ〟と背筋が冷たくなって。
〝ぶわっ〟と冷や汗が吹き出すのを感じた。
アイの前へ現れたチェシャ猫は、アイを散々哂っていった。
最後までただの夢だと認めないアイに、〝そのうちわかるさ〟と捨て台詞を意味ありげに吐いて去っていった。
――見慣れたシャベルを、残して。
「ど、どどどど、どうしましょうっ」
まずい。
はっきり言って、すっごくまずい。
一難去ってまた一難とはまさにこのことだ。
これが覚めないとか、出られないとかそういう怪談じみた悪夢だというのなら。
あのチェシャ猫が語った話も、俄然真実味を帯びてくるわけで。
つまり、殺し合ってセカイのカギを見つけ出さねばならないと。
そう、暗に宣告されたことになる。
「さ、覚めろ覚めろ覚めろ。覚めてくださいーっ!」
顔面を蒼白にして騒ぐアイ。
彼女はハンプニーとの一件で、人間的に成長した。
それでも、まだまだ子供だ。
年幼く、思想には正しくこそあれど幼稚なところが目立つ。
アイに殺し合いのイロハはわからない。
勿論、殺して生き残ろうなんて不埒な考えも持ってはいない。
彼女は墓守なのだ。
死者を導くことは使命だが、死者を作ることはちがう。
墓なんて、ないに越したことはない。
「で、でも大丈夫ですよね、きっと。
皆で力を合わせれば、ネコさんも許してくれる筈で――」
前向きな独り言だった。
こうでもしていないと、大きすぎる不安に潰されそうだったから。
思えば、本当の独りぼっちは久しぶりだ。
――いや、なかったかもしれない。
ヨーキ。アンナ。村のみんな。
お父様。傷持ち(スカー)さん。
いつだって、そばにだれかがいた。
そんな生涯を過ごしてきただけあって、孤独というのは存外に虚しく寂しいもので。
――かと言って。
アイ・アスティンがこの出会いを望んでいたかといえば、断じて否だった。
「だーっはっはっは!! これは傑作じゃないか人の声がすると思って見に来てみれば、どうやら朝ドラ提灯パンツの親戚がいたらしい!!」
響く声は、笑い声だ。
それも、あのチェシャ猫のそれをぶっちぎるほど馬鹿にしたもの。
心臓が縮み上がるような感覚を覚えながら振り向くと、そこには見慣れない服装の男がいた。
満面の笑顔で。腹を抱えて笑いながら、すごく腹が立つ顔をしている。
「な……なんですか、あなたはっ!」
「いやはや済まないね。
あまりにも傑作なことを喋るもんだからちょっとちょっかいをかけてみたくなったんだァ」
「なにが傑作ですか! 私はいたって大真面目なんですけど!!」
「まあそう怒るな。もちろん他の理由だってある。とびっきり大事なものがね。
二人と適した人材がいるかわからない。だから君を最初の接触先に選んだ」
横分けの黒髪を人差し指で整えながら、男はぺらぺらと続ける。
見てくれだけは畏まった役職の人間に見えないこともないのに、一言喋る事に面白いほど威厳が減退していく。
正直、お近づきになりたくないタイプの人種だ。
なんというか、こう……根本的に人間性が噛み合う気がまったくしない。
それにしても、自分がいったいどの分野に適した人材だというのか。
ひょっとして墓守の才能を見込まれたのだろうか。
だとすると、なかなか見る目のある人なのかも知れない。
内心どきどきを隠せないが、顔に出さないよう努めるのは実に子供らしいプライドだ。
散々馬鹿にしてくれたこともある。
なにか頼み事があるというなら、ちょっと意地悪の一つでもしてやろうと思った。
「なんてったって、君みたいな子供相手なら私が襲われる危険性もなーい!
おまけに馬鹿で利用しやすーい!! なんてお得なんだろう! 子供って素晴らしいなー!!」
「最低じゃないですか!
私これでも墓守なんですよ!! その才能を買いたいとかじゃないんですか!!」
「墓守ぃ~?
生憎だが私にはそんな辛気臭い職業の奴を好んで追い回す変態とみなしていいのかどうかも解らない趣味嗜好を持った覚えはないし万一のことがあっても君みたいなバカに偉大な私の墓を預けるつもりはなーいー!
私の葬儀はおっぱいの大きな美女に囲まれながら国葬宛らの規模でやりたいんだ」
アイの純粋な期待は見事に一蹴された。
もうなんというか、色々とひどい。
不謹慎な話だが、死体よりよっぽど腐っているのではないか。
あまりのぶっ飛びように辛気臭いだのバカだのと言われたことも頭から飛んでいった。
……このひとはなんなんでしょう。
「……はあ」
「おいなんだ、そのしょうがない人を見るような目とため息は」
「事実しょうがない人じゃないですか……って、それより! あなたもひょっとして、ネコさんとお話した……えっと、〝アリス〟っていうので合ってますか?」
「あんな腐れ減らず口猫野郎に躍らされるのは癪だが、どうやらそうらしい。
この古美門研介、39年間オカルトなんてものを鵜呑みにしたことはないが、流石にこれは意味不明だ。
なんにせよ、早く此処から出たいものだよ。〝セカイのカギ〟なるものを見つけ出してね」
前髪を弄りながら、男――古美門と名乗った彼は言った。
その時、アイの脳裏に浮かぶのは漠然とした不安。
ファーストコンタクトのインパクトが大きすぎてすっかり眼中から外していたが、彼は本当に安全なのか?
あまり人を疑ってかかる真似はしたくないが、チェシャ猫の言葉が真実だとすれば。
必然的に、このユメから脱する為の〝カギ〟を手に入れるには、他人を殺めることが必要となる。
どくん。心臓の鼓動がやけに大きく聞こえた。
「おっと。何やらこの世の終わりみたいな顔をしているので補足しておくが。
私はあの腐れ猫の思い通りに踊ってやるつもりはこれっぽっちもない」
「……さっき散々バカにしてくれたのに、私と同じこと言うんじゃないですか。結局」
「いいや、違うね。
少なくとも私は、〝皆で手を取り合おう〟だなんて思っちゃいない」
ぴし、と人差し指を立て、古美門はアイへと接近する。
場所が場所なだけあり、思い出すのは〝お父様〟との邂逅だ。
あの時もこうだった。
突然現れて、否定をかまして、始まった。
「人間ってのは生き汚い生き物なんだよ、私や君も含めてだ。
皆が皆平和的解決にこぞって歩み出すわけがない大概はその逆さ。
他人を如何にして蹴落として生き残るか、生きて帰るか。それしか考えちゃいない。
……中には君や私の知り合いのような、奇特な奴もいるがね。ほとほと納得はしかねるが」
生き汚い。
生きているからこそ、汚い。
古美門の言葉は捲し立てるようでありながら、戯言と一蹴させない深みを持っていた。
凄みというべきかもしれない。
兎に角、アイには言い返すことはできなかった。
ただひとつ。問いを返す。
「じゃあ――
じゃあ、あなたは。
古美門さんはどうして、ネコさんの言うとおりにしないんですか?」
古美門は答える。
愚問だと言わんばかりに堂々と。
「他人を弁護し貶めて儲ける仕事はいい。だが、自分で自分を弁護しても一文の得にもなりゃしない。
私はね、無駄なことはしない主義なんだ。〝殺人〟は、他人がする分には存分にやればいいが、私がするには無益すぎる」
アイ・アスティンは知らないことだが。
古美門研介という男は、とあるセカイのとある界隈では有名な人物である。
悪徳弁護士。金を積まれさえすればどんな汚いことでもして無罪を勝ち取る、悪名高き天才。
彼のセカイへの叛逆の形は至極合理を追求した、自分を中心としたものだった。
そして、改めて思う。
「……私、あなたのこと嫌いです」
「褒め言葉として受け取っておこう」
「でも、仕方ないのでついていきます。私一人じゃどうにもできませんし」
「ふ、そっちの方こそ、仕方がない少女だ」
古美門は微笑して。
「1000万でついてこさせてやろう」
「ほんとに救いようのない最低ですね!!」
【A-5/村/一日目/深夜】
【アイ・アスティン@神さまのいない日曜日】
[状態]:健康
[装備]:アイのシャベル@神さまのいない日曜日
[道具]:なし
[思考-状況]
基本:カギを見つけ出し、脱出する。人殺しはしない。
1:この人最低だ!
[備考]
一巻終了時からの参戦です
【古美門研介@リーガル・ハイ】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:不明1
[思考-状況]
基本:このけったいなユメから覚める。殺人は無駄なのでしない。
1:子供のくせしてよくもこの私に狼藉をっ!
[備考]
シーズン2、最終話開始前からの参加です
最終更新:2013年12月26日 13:34