サシャ×ジャン

part1>>373


サシャ・ブラウスの朝は早い。
朝靄にまぎれて兵舎を離れ、演習林の中で根菜を集めて粥にしたり、時には野鳥を捕ら
えて干し肉にしたりと、食料調達に余念がない。
ある朝、サシャは前日に設置した罠を確認しようと林に入った。足を踏み入れてすぐ、
鳥たちの様子がおかしいことに気づいた。いつもならチュルチュルと恋歌を鳴き交わして
いるところが、その日はヂヂヂ、ギャギャギャ、という警戒音があたりに飛び交っていた。
サシャは用心深く歩を進めた。自分以外の誰か、または何かが森に入っていることが想
定されるため、先に相手を見つける必要があった。
まわれ右をして兵舎に帰る、という選択肢はなかった。実技演習の時に偶然良い獣道を
みつけ、機会をうかがってようやく設置した仕掛けだったので、なんとしても成果を確認
したかった。また、他人に見つかったら後が面倒だ。…演習林の中で狩猟をしてはいけな
いという軍規はなかったが、していいという記述もない、という察しがつくくらいにはサ
シャも成長していた。
分け入っていくにつれて嫌な予感がして足を早めた。どうも騒ぎの中心は仕掛けたあた
りらしい…鹿か猿でも掛ったのだろうか?立体起動装置があればさっさと上から確認でき
るところだが、あいにく装置は夜間、倉庫で厳重に保管されているのだった。
やがて目的地付近から、枝が揺れる大きな音が聞こえてきた…獣ではないようだ、「チク
ショー」という怒声も聞こえてきたから。誰かが争っているのだろうか?
サシャは、声が若いことにほっとした。うまくすれば上官ではなく、罠も気づかれない
かもしれない。それにしても位置が近すぎる…そう思いながら身を隠して付近を確認した
サシャは、「あっ」と叫んで駆け出した。


そこには、木の枝から逆さまにぶら下がったジャンが「かかっていた」。サシャは前日、
地面に置いたワイヤーの輪を埋め、そこを踏むと輪が締まって足をとらえ、同時に引き下
げておいた木の枝が元に戻る「括り罠」を仕掛けていたのだが、どうやら誤ってジャンが
そこを踏んでしまったのだ。
「ごごごごめんなさいぃぃ…う、うごかないでください、今とりますから~」
「クソッ、外れろ!はずれ…あぁ?サシャか?助けてくれ、早く!」
 ジャンは足首のワイヤーを外そうと暴れていたが、サシャが来たことに気づくと大人し
くなった。
 サシャは青くなってジャンの体をひっぱり下ろした。2つの「疑問」が頭の中をかけめぐ
る。1つめは、「小動物用の罠だから人間では反応しないはずなのに、機構に問題があった
の?」という技術の問題。2つめは、「ここは授業の時以外誰も来ないのに、どうしてジャ
ンが?」という疑問だった。
「大丈夫ですか?…今切るので、頭に気をつけてくださいね?」
「ちょ、ちょっと待て!下に何もないだろうな!!」
サシャは小刀を取り出し、的確な動作でワイヤーと枝の接合部分を抉った。半分ほど切
れたところで木のしなりが二人分の体重に負け、枝はメリメリと裂けながら地面に向かっ
て下がってきた。ジャンは頭を打つことなく、積もった落ち葉でふかふかの地面に難着陸
した。


「ふぅ~、よかったですね~、まっさかさまに落ちなくて済みましたよ」
「よかったですねじゃねぇよ!!さっさとワイヤーほどきやがれ!!」
「待って下さい、枝の残りを切りますから」
文字通り頭に血が上ったジャンは、地面に着くや憤怒の形相でサシャをにらみつける。
とはいえ片脚をサシャの膝の上に抱えられ、しかも刃物を使われているので大人しくされ
るがままだった。
どうやら自分の仕掛けだとバレているみたい…サシャは手を動かしながら考えた。どう
しよう、告げ口されたら懲罰房行きかな。なんとか黙っててもらえる方法は…そうだ、
ジャンの弱点!…いや、そんなの知らないし…。何か好きなものをあげて懐柔?でもこの
括り罠はもう使ってしまったし…またいいポイントをみつけるには時間がかかる…干し肉
がまだちょっとあるけど、多分それじゃ足りないだろう…どうしよう~。
やがて最後の繊維が千切れ、ようやくジャンは解放された。枝が外れればワイヤー(立
体起動装置の予備ワイヤーをくすねたもの)をほどくのは簡単だった。サシャはなんとか
ジャンの怒りを反らそうと、つとめて陽気に話しかけた。
「取れましたよ!足は大丈夫ですか?歩けます?いやー、ブーツを履いててよかったです
ね~」


ジャンはいまいましそうにサシャを見やると、肩につかまって立ちあがった。どうやら
怪我はないらしく、数歩歩くことができた。時々痛そうに顔をゆがめたが、やがて屈伸と
ストレッチをし、どこにも脱臼や骨折がないことを確認した。
そんな様子を眺めていたサシャは、急に気が抜けて空腹を感じ、「残っている干し肉を今
食べようか」などと考え始めた…その時、ジャンがくるりとこちらを向いた。
「ちょっと整理しようか」
表情は先ほどより落ちついていたが、やはり怒りをこらえているようだ。サシャは生唾を
飲み込んでから頷いた。困ったような笑顔を浮かべながら。
「あ、あのー…大変もうしわけなかったと言うか…」
「…ってことは犯人はお前でいいんだな」
「は、はいぃぃ…」
「助けてくれたことには礼を言う。ひっかかってからの時間はそれほど長くなかったし」
「はぁ…よかったです…」


「いったい何を考えてこんなモン作ったんだ?誰を呼び出してはめようとした?!」
「へ?だれって……誰でもないですよ?」
「じゃあなぜ!!嫌がらせか?」
「???何を言っているんですか?ウサギの通り道ですよ?ウサギが食べたいからに決
まっているじゃないですか!!」
「!」
 ジャンはなんともいえない表情をすると、頭に手をやってその場にしゃがみ込み、小さ
くつぶやいた。
「…芋女…」
 ようやくサシャもジャンの怒りの正体が飲み込めた。…つまり、罠にかかっている間中、
誰にやられたのか、といったいらない考えを巡らせてしまったのだ。誰も通りがからない
早朝、いつ助かるのか分からない不安もあったろう。サシャはジャンが気の毒になった。
「ごめんなさい…」
しおらしくジャンの隣に膝をつく。ふと、先ほどの疑問が再度頭をよぎった。
「ジャンはどうしてここに…?」
「オレは散歩だよ、散歩」
 ジャンの言い方はなんだか必死だった。そして、ちら、と木々の間に目線を走らせたの
をサシャは見逃さなかった。何かを探しているのだろうか?


サシャもつられて辺りを見渡す。すると、罠にした木の先に黒いものが落ちているのが
見えた。拾おうとしてサシャが立ち上がると、気配に気づいたジャンがはじかれたように
跳ね起きた。しかし足がまだ本調子ではないらしく、先にたつサシャに追い付けない。サ
シャは手早く拾った。黒い手帳だった。昨日の演習の時に落としたのだろうか。
振り返ってジャンに差し出すと、ジャンはひったくるようにして受け取った。
「……」
「なんだよ、なんだっていいだろ!」
ジャンは先ほどと表情が違っていた。また赤くなっているが、これは…羞恥?…なんだ
かよく分からないが、触れられたくないのだろうと察したサシャは話題を変えた。
「…ジャン、本当にごめんなさい。…人が来るところは避けたつもりだったんだ。人がい
ると獣も通らないし」
「ふん。…まさか罠があるとはな。」
 息を切らしながらもジャンは徐々におちつきを取り戻しているようだった。
「オレも油断していたとはいえ…お前、本当に猟師だったんだな」
どうやらジャンものってきたので、サシャは勢い込んで話し出した。
「私はまだまだ…。獲れるのは鳥ばかりだし。括り罠だって、本来大型動物には効かない
はずなんだ。未熟だから迷惑かけちゃって…」
「…大型動物…」
「いやごめん、だから人間も当然かからないはずだったんだ!山では周囲に標識を出して
注意を促すんだけど、それは猟師にしか分からない印だから…」

「あー…まぁ悪気がなかったのは分かったよ…」
「本当?よかった!…お詫びと言ってはなんだけど、昨日作った干し肉があるんだ。…よ
かったら食べる?」
 サシャの言い方は、いかにも本心ではあげたくないけれどもやむなく、そして先方がど
うしてもと希望するなら特別に、という気持ちがにじんでいた。そのためジャンも、サシ
ャの精一杯の詫びの気持ちを汲むのも悪くない、という気になりはじめた。
「そうか…それは何の肉なんだ?まさか鶏舎の…?」
「えー、イタチやキツネじゃあるまいし。ヒヨドリの肉だから美味しいよ。日持ちがする
からもう少しとっておけるんだけど…でも食べたいのならあげるから。あとムカゴもある
し…」
「ちょっと待て、そんないっぺんに珍味を並べられても…ヒヨドリだって?ギャーギャー
鳴くあれか?」
 ジャンは自分が知っている「食べ物」とかけ離れた感覚に、歩み寄りの気持ちが早くも
萎えていくのを感じた。 
「ヒヨドリは美味しいよ!!果物しか食べないから臭みがぜんぜんないんだ!食べれると
ころが小さくてちょっと物足りないけど、でも噛めば噛むほど味があって幸せと言うか…
カラスも美味しいし食べでがあるけど、あいつらは獲るのが難しいから…」
「あ~、うん、分かった、オレはいいよ、遠慮する。サシャのタンパク源を奪っち
ゃ悪い」

「…いいの?」
サシャがあからさまにほっとした顔をしたので、ジャンはなんだか可笑しくなってしま
った。こいつの頭の中の90%くらいは食欲でできているんだろうな…。
「いいっていいって。お前は本当に色気より喰い気をだよな」
 本当に、何の他意もなく言った一言だった。
「え…ジャンは喰い気よりも色気がよかったんですか…?」
 急に、サシャが嬉しそうな反応を見せ、ジャンは戸惑った。
「そうは言ってねぇが…」
「よかったー。食べ物があまりないから…要らないって言うし…ジャンが喰い気よりも色
気がいいなら、話は早いですね」
「おいなんだよ、何の話が早いって?」
「またまたー。男と女がする色気の話なんて分かり切っているじゃないですか」
「はぁ!?」
「朝礼までにまだ時間がありますね、善は急げ、ですよ。ええと、目隠しがあって広いス
ペースは、っと…」



 どうやら事態は妙な方向に進みつつあるらしい。ジャンは、何やら辺りを点検している
サシャを茫然と眺めた。が、気をとりなおしてなんとか言葉を絞り出す。
「ちょっと待て、なんでオレがお前と男と女なんだ!?それのどこが詫びになるのか説明
してくれ!」
 乾いた枯れ葉を集めてより一層ふかふかにする作業に没頭していたサシャは手を止めて
ジャンの方を向いた。そして考え深げにジャンの表情を確認すると、何かに納得したのか、
やさしい笑みを浮かべてこう言った。
「…故郷の村では、夜這いは若衆の最高の楽しみでしたよ。…大丈夫、何も怖いことなん
てないですから」
やはりそういうことなのか、というある種の絶望と、言葉の中の微妙な誤解…いや誤解
ではないのだが今はそれはおいておこう…を感じて、ジャンは頭をかきむしりたい衝動に
かられた。
「…お前の言いたいことは分かった。分かったから少し冷静になろうぜ、な?…あー、
あれだ、お前もっと自分を大切にした方がいいぞ?」
ジャンは精一杯「余裕がある」と思われそうな声色で説得を試みた。
対するサシャは全くの自然体、何の力みもつくりごともない。
「大切に…されていますよ?村の若衆は皆優しかったし、誰とするかは選ばせてくれたし
…ここでも、たまにお肉をくれる人はいるし…」

 またもや聞き流したいのに聞き流せない情報が飛び込んできた。
「お前、肉が喰いたくてそこまで…?」
「ちがいますよ~、その人が勝手にくれるんです~。ナイショだけど実はその人好みじゃ
ないから、ちゃんと断っているんですよ?でも『もらってくれるだけでいい』って言うか
ら…」
 ジャンは心底その相手に同情した。同時に、サシャにも男の好みがあるという事実に新
鮮な驚きをおぼえた。…えり好みするということは、オレはひょっとして気に入られてい
るのか?それともやむなく…?しかしそれ以上は考えたくなかったので、こうなったら雑
談でごまかそう、と自分に言い聞かせた。
「…お前から『好み』って言葉が出るとこわいな…く、喰われそうだ、はっはっは」
「…あっはっは、まさか噛んだりしませんよ~。でもキスで本当の好みが分かりますから
ね、食べるのと近いのかも~」
「?」
「え、分からないんですか?かわいいなー、と思っていても、キスしたら『なんか違う』
って思うことありません?」

「へぇ?」
 ジャンは記憶をさぐってみたが、入隊前の子ども時代の無邪気なチュウくらいしか出て
こず、キスの善し悪しにまでは思い至らなかった。ふと、目の前のこいつはいったい何人
の男とキスをしたのかという好奇心が頭をもたげ、そんな自分に少しだけイラついた。
「あ、今、『そんなに経験豊かでうらやましい』って思いました?」
こう言われてしまっては、ものすごくイラつかざるをえない。
「思うかよ、イモ女」
「ジャンは大丈夫ですよ。なんかキスって、遺伝的に遠ければ遠いほど美味しいらしいで
すよ?ミカサは東洋人だから…きっと美味しいって思ってもらえますよ~」
「!!」
 これは完全な不意打ちだった。周囲に気づかれているかもしれないとは思っていたが、
ここまであからさまに指摘されたのは初めてだった。


「大丈夫ですよ、言いふらしたりしませんから。自作の恋の詩を書いた手帳、演習の時で
すら持っていたなんてジャンは本当にロマンチストですね」
「ちょ…おま……見たのか!?」
「わわ、ごめんなさい~、見るつもりなかったのに見えちゃったんです~」
 先ほどサシャが黒い手帳を拾った時、偶然ぱらりと開いてしまったのだが、そこは
狩猟で鍛えたサシャの目のこと、瞬時に内容を理解してしまったのだった。
 サシャの言葉が真実であると見てとったジャンは、ふと感じた疑問を口にした。
「お前それじゃ…そっちは罠の件、こっちは手帳の件でイーブンじゃねぇか…なんで詫び
とか言い出すんだ?」
「へ?…あれ、そうですよね…えへへへ、なんでだろう」
 …えへへじゃねぇ…。ジャンは全身の力が抜けてその場にしゃがみこんだ。周囲には早
春の赤みがかったブッシュが茂り、梢では鳥たちが楽しげに鳴き交わしていた。
 やがて、サシャも隣にしゃがみこみ、さみしそうにつぶやいた。
「…だって、ジャンがミカサに切ない片思いしているのみんな知っているじゃないですか。
これで私が『ジャンが手帳に詩を書いてた』って言ったら、わたし完全に悪者ですよ、こんなカード使えません…」
「そうか…『みんな知っている』のか…」
「気づかない方がおかしいと思いますけど」
「……」
「……」
「あー、チクショウ!どさくさにまぎれてヤっときゃよかったな!」
沈黙に耐えかねて、ジャンがヤケクソの冗談をとばした。
「…今からでもします?」
いつからそこにいたのか、隣でサシャがほんのり頬を染めて微笑んでいた。

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最終更新:2012年08月17日 15:20
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