儀軌と実録


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朝鮮王朝実録…歴代王の毎日の行動を記したもの。
朝鮮王室儀記…王室の結婚や葬儀などの儀式を 絵入りで 記録したもの。

「日本にあったのは日本人が作った写本」?

コピー機も無い時代に誰がそんな労力をかけるか。朝鮮から持ってきたもの。

「韓国にあった原本は全て焼失した」?

朝鮮戦争で北朝鮮に取られたというのは記録にあるが、「焼失」はソース不明。むしろ日本にあった分が関東大震災で焼失している。
大体実録も儀軌も一番数が揃っているのは韓国。


元々朝鮮では重要書籍は
春秋館(王宮史庫。春秋=歴史の事)に一部
摩尼山(のちに鼎足山)史庫に一部
太白山史庫に一部
妙香山(のちに赤裳山)史庫に一部
五台山史庫に一部
と分散させていた。内容は基本的には同じだが、王宮に置いている物は国王がご覧になるという事で、装丁が絹張りだったり豪華になっている。

18世紀に正祖が奎章閣(王宮書庫)を作り、各国の書籍を集めて情報センターの様相を呈した。
数年後には別館の外奎章閣を江華島に作ったが、フランスに略奪されたのがここにあった国王御覧用の豪華版「儀軌」である。北清事変で紫禁城が略奪された時、西洋人が読めない漢籍を滅茶苦茶にするのを柴五郎が嘆いたが、こっちは見た目が豪華だったので略奪された訳。

さて大韓帝国が成立すると、春秋館にあった「実録」も地方史庫にあった「実録」も奎章閣で一元管理する事になった。
一方高宗は帝室図書館を作ろうと「蔵書閣」を作り、奎章閣からも一部書籍を運び入れたが、そのまま併合を迎えた。
奎章閣図書は朝鮮総督府の管轄に。蔵書閣図書は李王職の管轄になる。
実録はどうなったかと言うと、
春秋館→奎章閣→総督府管理→京城帝国大学→ソウル大学
鼎足山史庫→奎章閣→総督府管理→京城帝国大学→ソウル大学
太白山史庫→奎章閣→総督府管理→京城帝国大学→釜山の政府施設
赤裳山史庫→奎章閣→蔵書閣→李王職管理→朝鮮戦争時、北朝鮮軍によって搬出
五台山史庫→奎章閣→総督府管理→東京帝国大学→関東大震災で焼失、2006年に無事な分をソウル大学へ寄贈

因みに最後の東大が寄贈した分は「京城帝国大学」を経ていない。なので元々の管理者だった五台山側がソウル大が所有するのは不当として争っている。


「儀軌」は何故日本にあるのか?

1919年、王公族の実録作成の為に浅見倫太郎が儀軌の参照を希望。しかし「巻帙浩瀚ニシテ謄写不能」だったので、総督府に譲渡を要請。総督府からは「貸出」の扱いだったのだが、浅見が勝手に「寄贈」という事にしてしまい、厳重注意を受けた(取り消しは出来なかった)。因みにこれ以前も「朝鮮理解の為」という事で伊藤博文らが当地で「購入」した朝鮮本もある。これらも宮内省に寄贈されている。
その後、高宗の崩御を受けて三・一運動(3月1日だけのデモではないので注意)が起こり、朝鮮統治は武断統治から文民統治に舵を切る。3月3日には高宗の葬儀を行ったが、どの様な礼で葬るかは日本国内でも議論(大韓皇帝は天皇と対等、併合は日韓対等の建前だから天皇と同様の最高礼でやるべき、というのと、もう皇帝ではなく李太王だしあくまで天皇が最上だという対立)があり、結局天皇よりは格を下げ皇族並としたがこれが「神道式」だった。シナ式の派手な葬礼に馴染んだ朝鮮人にとっては真っ白な神道式は「みすぼらしい」としか映らず、これでもまた反発が起きたのである。
そして後々「純宗の葬儀」を行う時の為、宮内省が朝鮮式葬儀の参考資料として求めたのが「儀軌」である。
また、高宗崩御で延期となった英親王李垠と梨本宮方子の婚礼も、本来日本式と西洋式でやる予定だったのだが、朝鮮式でも行う事になった。この際の写真は色んな所で目にするだろう。これについても「儀軌」を参照している。

これらの詳細は『朝鮮王朝「儀軌」百年の流転』(NHK出版)に詳しい。というかこれしか無いと思うが、「犬HKだから全部捏造に違いない!」と読まない人間が多いようだ。
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