赤い空

 夜の空。
 それは恐怖と孤独を、科学と勇気で克服する世界。
 何も見えない暗夜を機械鳥たちは舞い上がる。
 火を吐き、油を散らし、血を散らす。
 それでも機械鳥たちの羽ばたきは誰にも止められない。
 死が、絶望が、機械鳥たちを支配する。
 ならばここは地獄なのか?
 いやいや、地獄とは希望があって初めて成り立つ世界だ。
 ここに希望はない。

  

~連邦の手記より~

 タペジャラ飛空士。
 
 不思議な響きだ。
 私は今日まで、アーキル連邦の一技師にすぎなかった。
 勿論、戦斗に参加したこともない戦斗処女だった。  
 
 アーキル連邦とクランダルト帝國の大戦争は、参戦国の住人である私でさえ、どこか遠くに置いていた。
 だが昨日、いや、既に今日となっている時間か。
 とにかく昨日の深夜、私は連邦の主力制空機であるスチルマルダ改修機の後部座席に放り込まれ、夜間迎撃戦の為に駆り出されたのだ。
 
 腹の底から轟くようにも感じられる、サイレンの重く低い音が唸りを上げていた。
 地上は騒がしいのに、空は不気味なほどに静かなのだ。
 二つの月は新月を迎えている為、また雲も多く真っ黒な壁が頭上に浮いているように見えた。
 地上から探照灯の光が天へと伸びるが、それでも何も見ることはできない。
 全天を覆う闇の全てを照らすには、探照灯がまるで足りない。
 いや、どれほどかき集めても、夜天の月ほどの明かりもでないだろう。
 探照灯の明かりを少し外れてしまえば、そこには変わることのない闇が広がる。
 
 暗い世界だ。
 静かに、気配もなく、だが確実に死は近づいてきているのだ。
 この闇夜の中に、クランダルト帝國の標的は潜んでいるのである。
 
 私の手はこの時、震えていた。
 だがスチルマルダの操縦士──アマティラ大尉。怪力女怪獣で少し以上に怖い人──には、私の事情など知ったことではないのは確実だし、多分、考えもしなかったと思う。
 
 私は灯火管制でほとんど真っ暗な飛行場を、アマティラ大尉に尻を蹴り上げられながら走らされた。
 アマティラ大尉は、まったく容赦がない女だ。
 
 今考えても可笑しな話だ。
 
 民間人のこの私が、戦斗機に乗るために避難もせず戦場に走っていたのだ。
 そしてアマティラ大尉の分身であるスチルマルダの前にまで追い立てられた。
 
 私が叩き込まれる機体は、スチルマルダを夜間戦斗の為に改修したものだ。
 アーキル連邦の主力機である襲撃機セレネを使わず、旧式であるスチルマルダを利用したのは、単純に飛行時間の問題だ。
 セレネの飛行時間は極端に短く、とても夜間迎撃に回せる代物ではない。

 スチルマルダの腹の下にある、特徴的で大きな気嚢は今だ健在だ。
 夜間使用が原型機と違う点は幾つかある。
 例えば銃座が外され、三人乗りから二人乗りにされていること。
 発動機の排気炎を隠す為に消炎機を取り付けていること。
 機首には原型機と比べて対戦斗機火力が倍加している程の、連発銃十六門が集中配置されている。
 ただ機種先端には埋め込めないので、空力を無視して強引に取り付けており、機外に大半が飛び出している。
 少なくとも加熱で故障することはないだろう。
 そんなことを気にすることがないほど、空気に晒されている。
 
 連発銃が何故機首先端に仕込めないのかといえば、それはスチルマルダ夜間使用機最大の特徴で、最大の武器になり得る……かもしれない最新鋭兵装を備えているからだ。

 通常機使用のスチルマルダと一目で違うと分かるのは、夜間使用機には『角』が生えているのだ。
 北方の地で降る雪の結晶、もしくは動物の角のように伸びるのは、科学技術が生み出した魔法の目だ。
 これは私が取り付けたもので、電波探信儀、縮めて電探と呼んでいるものだ。
 電波を発し、その反射を検知することで、暗闇でも目を使うことなく標的を発見することができる。
 理論上ではあるが。
 
 電探は、配備が始まったばかりの最新鋭兵器であるユーフー戦斗機にもまだ、搭載されていない。
 私はまだユーフーを見たことはないが、風の噂では、帝國の災厄ともいえる戦斗機マコラガを圧倒できる性能があるらしい。
 
 ただこの電探、実戦の使用に耐える為には、私のような専門の技師が毎日、整備と故障に対応しなければならない。
 これはとても面倒なことだ。
 粗悪な硝子を使ったせいで空中戦……それどころか発動機の振動でも真空管が破損したり、電気部品が脱落する。
 工場から出荷された電探は一度分解し、私たちのような専門家が組み直すことで始めて最低限の性能を持つことができる。
 酷い話である。
 無駄でしかない。
 この問題児を宥め使えるようにしてやるのが、私の本来の仕事だ。

「閉めますっ!」

 スチルマルダの胴体内で、私は身を縮める。
 外とスチルマルダの腹の中を繋ぐ唯一の門が、閉められた。
 後部座席といっても、私の乗る座席に窓はないし、外は見えない。
 電探の反射光を映し出している、受像機からの淡い光だけが、私に見ることを許された世界だ。
 ここは暗く、孤独だった。

「技師さん、安心して。夜戦でそうそう落とされることはないわ」
「アマティラ大尉の腕を信じますよ」
「なぁに、そもそも接敵に成功するかも分からないわ。その玩具が役に立つなら別だけど」

 私はこの時、ムッとしたのを覚えている。
 アマティラ大尉のスチルマルダ夜間使用機、この機体に乗っている電探は私自身が組み立て直したものだ。
 私は天才ではないが、仕事は全力でこなしてきた。
 電探だって最高の状態にあったのだ。
 私はあまり好きではないが、技術立国であるメル=パゼルの人間ににだって負けないものを作ったと自負している。
 ただ、私の心の内をアマティラ大尉に理解してくれというほうが、無茶だということは、彼女と接する中で充分に学習していた。

「アマティラ。ハピル1、上がるよ」

 私は思い切り、踏ん張った。
 スチルマルダの地上発進は射出装置で「大空に投げ捨てられる」と何度も聞いていたからだ。
 その話は、本当のことだった。
 
 私の想像を遥かに上回る加速力が全身に襲い掛かり、体が縫い付けられるかのように座席へと押さえつけられる。
 私の体は、座席と空気の壁に押しつぶされるような経験をした。
 外が見えなかっただけに、余計に気分が悪くなった。

「ハピル1、射出成功。技師さん、まだ生きてる?」
「死にそうです」
「死ぬのはこれからよ。玩具の様子」

 私は無理矢理とはいえ、与えられた義務を果たそうと受像機を覗き込む。
 今の私の義務は、電探を使って標的を見つけることだ。
 
 受像機には、左から右へと灰色の山が高くなったり低くなったり、消えたり現れたりしながら流れていく。
 これが電探に戻ってくる反射波だ。
 山の高さが信号の強度を表している。
 つまり反射波の信号強度が強いということは、近いということだ。
 
 厄介なのはこの信号の山、一度に何十本も乱立していることである。
 
 私は絶えず、周波数を最高感度に保つ為に、ダイヤルを微細に回し続けた。
 周波数は真空管の熱、機体の振動などあらゆる要因で変化してしまうからだ。
 最高感度の時でさえ、標的を発見するのに並々ならぬ労力が要るのに、感度が下がろうものなら使い物にならなくなる。 

 そして私はついに、乱立する電波の反射波の山の中から、一定の速度で近づくものを見つけたのだ。
 多分、敵だ。
 私はそう確信するに至った。
 すぐさまそのことを、アマティラ大尉に知らせる。

「反射・中。距離千。大型機と推定。距離近づく」
「探査飛行に移行する。頼むぞ」
「了解」

 スチルマルダ夜間使用に搭載された電探には、機械的信頼性以外にも重大な欠陥がある。
 それは例え標的の反射波を運良く見つけることに成功したとしても、信号強度から距離を読み取れるだけで、角度がわからないことである。
 大まかな角度は、スチルマルダの機首に固定された電探の探知角度が決まっているので推測することができる。
 上下左右に約二十度の圏内のどこかだ。
 だがこれでは、役に立つとは言えない。
 補足し、そして標的に接近しなければ、操縦士が標的機を発見し攻撃できないからだ。
 最終的には操縦士が至近で、肉眼で確認する必要があった。
 
 これを解決するために、機首を振ることで信号のより強くなる方向を探し出そうとするのが探査飛行だ。
 信号が急激に強くなれば、標的と最短距離で近づいていることがわかる。

「揺れるぞ」

 アマティラ大尉は、スチルマルダの機首を緩やかに回した。
 私は受像機に現れる信号の変化をジッと見つめる。

「信号強まる。ちょい戻し」
「了解」
「弱くなった」
「どうだ?」
「信号の安定上昇。急迫中」
「了解。攻撃準備に入る」

 信号はどんどん強くなった。
 一つだけ、信号の山が明らかに高くなっていく。
 山の頂点が、受像機の左端、つまりは本機へと近づいてくる。
 
 私は緊張した。
 まさか初陣で、いきなり触接するとは思わなかったのだ。
 生唾を一つ飲み込む。
 正対しているにしては、距離が縮まらない。
 信号の強度は比較的大きい。
 多分、大型機を背後から追撃する形になっているのだろう。
 
 情報通りならば、帝國が夜間爆撃に投入しているコアテラのはずだ。
 だが本当のところは誰にもわからない。
 コアテラは夜間飛行ということもあってか速度は遅く、空中衝突を恐れて各機の間隔を広く取っているので一機一機は孤立している。
 しかし一度コアテラが攻撃に気づけば、鈍足なスチルマルダを夜間装備でさらに鈍足にしている本機では、第二撃は不可能だ。

 コアテラと思わしき反射波には、大きな変化がない。
 まだ気づいていないのだ。
 闇の中から近づく刺客に、死神の存在に気づいていない。
 もしコアテラが、スチルマルダを肉眼で捉えた時には手遅れだろう。
 その時には既に、スチルマルダにアマティラ大尉が火を吹かせているはずだ。
 いや、生体機関のコアテラは肉片を撒き散らすことになるだろう。

「──敵機視認!」
「──!」

 アマティラ大尉の叫び。
 そして、大量の連発砲弾と噴進弾の轟音が聞こえた。
 野戦では、昼間ほど好機が与えられるわけではない。
 一度見逃せば、二度と発見できないかもしれない。
 だから一瞬に出来うる限りの大火力を投射するのだという。
 それでも多くの場合、外してしまうらしい。

「ごめん、タペジャラ。落とせなかった」
「外しましたか?」
「いや、数発だけコアテラの中央に当たるのが見れた。だがあの程度では落ちんだろうな」
「次の索敵に移ります素人意見ですが、弾が当たっただけ凄いです」
「頼む。民間人に褒められても嬉しくないわよ」

 私はこの時、既に次の標的を探していた。
 侵入機は一機ではないからだ。
 一機でも多く撃退してみたかったし、その為の誘導が可能であることを確認できた。
 正直に言おう。
 私はこの時、慢心していた。
 戦争の専門家でもないのに、戦いを知った気になっていたのだ。
 
 スチルマルダを動かしているのは、アマティラ大尉だ。
 だがそのアマティラ大尉を誘導しているのは、私なのだ。
 実質的にスチルマルダの進路を決め、動かしているのは私だと言える。

 そのことがわかったとき、私は興奮した。
 しかし、そんな興奮は戦場の厳しさによっていとも容易く打ち砕かれた。
 私が自信に満ちた瞬間は、あまりにも短いものであった。

 暗闇からの一撃。
 鉄を撃ち抜き飛び散る破片。
 瞬間、何がおきたのか、私には理解できなかった。
 私の思考はその瞬間、完全に止まっていたのだ。

 穿たれた弾痕の先に、夜の世界が見えた。
 青い光の玉が、無数に夜空を飛び交っている。
 曳光弾の明かりだった。
 私の乗っているスチルマルダは、攻撃を受けた。
 
 後から思えば、スチルマルダの電探に急速に遠ざかっていく反射波があった気がする。
 後方から、一撃離脱の銃撃を受けていたのだろう。

 私の思考が再び動き始めるよりも、遥かに速い速度でアマティラ大尉は反応していた。
 戦場の勘とか本能というものだったのかもしれない。
 とにかくアマティラ大尉の咄嗟の回避機動は、アマティラ大尉だけでなく私の命をも助けることとなったのだ。
 それは、確かなことである。

「敵機後方っ!?」
「うぐぅ!!」

 アマティラ大尉の、戦斗機乗りとしての乱暴な回避機動は、民間人にすぎない私の体には、些か強すぎた。
 体が押し潰された。
 
 外からの光が、私のいる後部座席へと差し込んだ。
 赤く、熱い光だった。
 とても、熱かった。

「発動機発火! 緊急停止。気嚢にも火がついてる! タペジャラ生きてる!?」
「私は大丈夫です!」
「出力低下……くそっ、緊急着陸に備えて」
「了解」
「対衝撃姿勢。口閉じてケツに力入れないと、舌を噛み切るか首が折れるわよ」

 私はアマティラ大尉の言うとおりにした。
 その時、そこかしこを穴だらけにされた機体の外で何かが動いていた。
 弾痕の先、闇の中から炎に照らし出された大きな影が浮かび上がる。

 赤い影。
 それが飛行機械であることは、一目で分かった。
 だが私とアマティラ大尉の所属しているアーキル連邦の機体ではない。
 
 クランダルト帝國軍の主力戦斗機であるマコラグだ。
 スカイバード族から抉り出した生体機関を動力とする、高機動にして高速機。
 現状、マコラグに対抗できるのは配備が始まったばかりのユーフーだけだと言われている。
 旧式機でマコラグを相手にして圧倒するためには、三機以上の戦斗機が必要だとアカデミーでは試算がでていた。
 マコラグという戦斗機は、それほどの強敵なのだ。 

 だが私は、帝國が夜間爆撃の護衛に戦斗機を投入しているなど、一度も聞いたことがなかった。

 恐らく、このマコラグもまた、私とアマティラ大尉のスチルマルダ夜間使用機と同じ目的で、同じ空域を飛んだのだろう。
 目的。
 それは敵機を全て叩き落とすことだ。
 
 そして私とアマティラ大尉は敗北し、スチルマルダに火をつけられ地上へと落下したのだ。
 この時、マコラグからの追撃はなかった。
 だからこそ今、私もアマティラ大尉も生きているし、軽傷ですんでいるのだ。

 しかし私は燃え盛るスチルマルダの貫通した弾痕の先で共に飛んでいた、炎に照らされ赤く染まり上がったマコラグの機影を忘れることはないだろう。
 マコラグの、炎の中で見た、血を塗りたくったかのような赤い線を幾本も引いていた、敵機の姿を私は忘れない。

 その後。
 私とアマティラ大尉は不時着に成功し、徒歩で飛行場のある都市へと帰ることができた。
 最新鋭装備である電探は、旧式機であるスチルマルダと共に永久に失われてしまった。
 
 クランダルト帝國の夜間戦斗能力を身を持って知った意見としては、護衛付きの帝國軍機には現在の電探の性能では一方的に狩られるだけのものと推測する。
 電探の運用法の確立、信頼性の向上、性能の強化を上層部に求めるものとするが、大多数の人間が役に立つのかわからないものを装備して重量を増やすよりも、地上の対空部隊との連携を望んでいた。
 探照灯、聴音機で敵機を補足し、迎撃機を誘導する戦術の研究を進めていると聞く。
 今だ未知数の電探よりも、遥かにわかりやすいこの『明るい夜戦』は現場でも受け入れやすいだろう。
 必然、電探に回されていたほぼ全ての予算は、それら『明るい夜戦』の為に投入されるものと推測される。

 追伸。
 私はいつの間にか民間の技師から、正式に『電探要員』として軍隊に採用されたのは、この時である。
 今暫くは、この都市の飛行場に閉じ込められることになりそうである。
 アマティラ大尉のご機嫌を取るために、料理の腕を磨くことにする。
 彼女は美味いものを口に放り込んでやれば、どれほど怒っていようと黙らせることができる。
 もっともこれは、恐怖の怪獣と化している彼女に近づければの話ではあるが。
 

 
~帝國の手記より~

『アルゲーテ・グレブスタット』

 アーキル連邦領の夜間都市空爆を護衛した者であり、爆撃機の被撃墜数をゼロとした者であり、この作戦の功労から帝國一級飛行鉄拳章の授与が約束された者の名でもある。
 
 つまりは私のことだ。

 私はコアテラ強襲艇の夜間爆撃を護衛する為に、帝都から都市ゼベルクの飛行基地へと転勤となった。
 帝都で夜間航空戦についての教鞭を振るった人間なら、求められる実力に充分に答えられる筈だと、自ら志願したのだ。

 一介の歩兵から初めて、騎兵に砲兵、戦車、強襲艇、駆逐艦、巡空艦を始め、一時的ではあるが皇衛艦で皇帝陛下直々の指揮下に入ったこともあった。
 様々な兵科兵種を変えながらも、しぶとく生きてきた。
 砲戦術、航空戦術、様々な戦斗教本も纏めた。
 多大な功績がやっと帝國首脳部も認めざるをえなくなった頃には、帝國史上三人しかいない帝剣親衛紀章を皇帝陛下御自らの手で授与されるにいたった。
 現皇帝から戴けたのは、現在のところでは私一人だけだ。
 将来的には変わるだろうが、私にとっての誇りであることに違いない。

 ただ、帝剣親衛紀章を授与され今だに生きている英雄の一人には、死んで欲しくなかったのだろう。
 私は帝都の訓練校へと配属された。
 悪い話ではななかったし、子供を育てるのは好きだ。
 それに私の持つ技術の全てを、後輩達に受け継いで貰いたくもあった。

 だが……私は戦場の熱を、戦場の空気を、戦場の光を、戦場の狂気をどうしても求めてしまった。
 そして三十九回目の嘆願届けが受理され、都市ゼベルクの飛行場に配属されることとなったのだ。
 コアテラの爆撃を護衛する為に、夜戦に参加した。
 
 多少、後方地で勘が鈍っていたが、私は勝利し、生き残った。
 ただこの夜、私は不思議な経験をした。

 噂では聞いたことがあるが、生まれて初めて電波探信儀の秘めたる力を知ることができたのだ。
 あれは正しく魔法と呼んでも過言ではないだろう。

「イェッグ1よりスカイバード。敵機への誘導を頼む」
『スカイバード了解。イェッグ1より千二百の位置に迎撃機らしき音源有り。イェッグ1右の七十、下十近辺を速度五十で南進中』
「イェッグ1了解。追撃飛行に移る」
『幸運を祈ります。枢機卿殿』
「私は運ではなく腕を信じるよ」

 私は帝國夜戦乗りの女神として育て上げた空中管制聴音艦──専用機という贅沢はできない。ラーヴァナ級夜間強襲艦に聴音機と大型無線機をしこたま取り付けた改修機──からの神託を信じ、私は愛機を突撃させたのだ。

 地上からは、対空砲と連動している探照灯の光の柱が乱立していた。
 闇夜を切り裂く光の柱に捉えられれば、瞬く間に敵機と対空砲火に見舞われるだろう。
 幸い探照灯の光は一度として交差することはなく、私の機体がアーキル連邦対空部隊に捕まることはなかった。

『何? 敵機、友軍コアテラに急速接近。正確に追尾している。注意してください。敵機は電探を装備していると思われます』
「イェッグ1、了解」

 電探……電波探信儀の噂は聞いていた。
 だがまさか、探照灯の明かりも、聴音機の音も頼りにせずに夜戦をするなど半信半疑だったのだ。
 
 マコラグの狭い操縦席の窓から、闇を切り裂く光が見えた。
 緑色の曳光弾、それに噴進弾の吐く炎。
 曳光弾に包まれたコアテラの影が淡く浮かび上がった。
 そして再び、闇の中に消え、何も見えなくなる。

 驚いた。
 完全に機械の力だけで触接し、攻撃することに成功していたのだ。
 コアテラは撃墜されなかったが、兵器の可能性として電探は十分なものがあった。

 電探持ちの敵機は、私の敵に相応しかった。
 勝負だ。
 そう思ったのだ。

『イェッグ1、進路そのまま』

 管制機の誘導に従う。

 だが外の景色には、何もなく何も見えない。
 一面に広がる闇の中に突っ込んでいくのだ。

 時折、空中で遭遇しただろう友軍機と敵機が、短い間に大量の銃撃戦をしただろう曳光弾の光が見える。
 慣れていないものには怖いことだろう。
 気が付けば正面か背後、もしくは側面から銃弾を浴びせられるのだ。

 特に背後を取られたときは最悪だ。

 闇の中からぬるりと現れた機体によって、訳も分からず撃ち落とされる。
 これが太陽の輝く昼間の時間帯ならば、後方警戒を厳にすればある程度防ぐことが出来る。
 だが夜戦では、相手を目視する頃には必殺の間合いにいるのだ。
 絶えず必殺の奇襲をかけられているようなものである。

「……」

 私は左手に神経を集中した。
 私の左手は操縦桿を握っていないし、射撃装置も浮遊機関の調整装置の操作もしていない。
 左手がやっている仕事は、至近の音源へ愛機を正確に連れて行くことだ。
 
 左手を添えているのは、球状──検閲の為、正式名称を書く事は禁じられたものの形──となっているものである。
 球状のものには音を拾った角度の集音器と連動し、その他の音を拾えなかった集音器と連動した所よりも一段高くせり上がるようになっている。
 それを押していけば、愛機が音源へと進路を変えてくれるのだ。

 ただ、見た目ほど簡単なものではない。
 戦斗空域では無数の音で溢れているのだ。
 可聴域を絞り、角度を絞り、色々と工夫がいる。
 
 何だかんだで、慣れてしまえば使いやすい。
 私はこの装置を扱うのが得意で、視覚に一切頼ることなく、何機もの敵機を夜戦だけで葬ってきた。
 その度に私の愛機であるマコラグには、赤い線が引かれる。

「……」

 集中、集中、集中。
 何をするにしても、集中することは大切だ。
 そしてとにかく夜戦乗りには忍耐と冷静さが求められる。
 機械そのものにならなければ、生き残れない世界だ。

「誘導感謝する。戦斗を開始する」

 私は聴音角度を絞っていく。
 敵機は反応の小ささから、小型機であることはわかった。
 左手に伝わってくる力が小さい。
 敵機は緩やかな旋回を続けている。

 夜戦乗りとして、急激な機動は自機の方位、角度、位置を感覚的に失いかねない危険なものだ。
 この敵機の操縦士は正しいことをしている。
 だが戦場では、正しいことが正解ではないのだ。

 敵機の鋭さに欠けた機動は、私とマコラグに撃墜の好機を与えてくれた。

 原型のマコラグと比べて五倍の火力、五門の連発銃から一斉に銃弾を吐き出させる。
 数発に一発混ぜられた青い曳光弾が敵機に襲いかかった。

「……」

 銃弾が命中したのだろう。
 連発銃を放った敵機の熱が、一気に上昇する。
 発動機から出火したのだろうか?
 いやいや、それにしては温度が高すぎる。
 恐らくは気嚢に詰まっていた可燃性ガスに引火したのだろう。

 暗闇が支配している中に、火球が落ちる。
 気嚢の可燃性ガスが燃える、赤い炎。

 炎によって、敵機の姿がはっきりと視認できた。
 気嚢戦斗機の最高峰である、スチルマルダのようだった。
 ただ機首からは『角』のようなものが生えていた。
 恐らくは、これが電探の機材だろう。
 あとはお馴染みの、過剰に重武装がされた夜戦使用であることがわかる。

 異常なまでの火災で、よく燃える。
 炎上しやすいのは、気嚢戦斗機の致命的な欠点である。
 欠点ではあるが、乗れるのならば私はスチルマルダに乗りたいものだ。
 兵器としてではなく、個人的な趣味としてではあるが。

 敵機は緩やかに地上へと降下していた。
 墜落ではなく、滑空だ。
 敵の飛行士はよほど腕が良いらしい。
 あるいは私の腕が鈍っているだけかもしれない。

 手応えはあったが、一撃で四散させることはできなかったようだ。
 帝國でも指折りの飛行士としては、気嚢戦斗機を相手にこの体たらくである。
 他の飛行士に笑われるだろう。
 
 とにかくこの敵機の飛行しは生きている可能性が高い。
 だが私には、死に体の敵機に追い打ちを掛けるような真似はできなかった。
 
 騎士たるものは、騎士もしくは戦士と戦うものであって、死体を撃つことではないからだ。

 充分ではないか。

 私はそう思い、敵機の真横を通り過ぎた。
 操縦士の幸運と生還を心から望んでいた。
 もしかしたら、私が落とされる側だったかも知れない。
 そう思うと、私は敵機の操縦士にも祈りを捧げられる。

 私はこの夜、六機の敵機を撃ち落とした。
 一機を除けば、全て空中で爆散している。
 多分、爆散した飛行士たちは生きてはいないだろう。

 勘は鈍っていなかった。

 私はコアテラの夜間爆撃によって都市が火柱をあげる有様を見守った。
 そして聴音機とともに帰路についたのだ。
 ゼベルクの滑走路に降りるまで油断はできないが、アーキル連邦軍の対空陣地によって撃墜された機体は一機としてなかった。
 
 私の愛機マコラグも聴音機も、一発の弾痕もない。
 コアテラ部隊も、多少の損傷はあったようだが、全機生還している。
 対して戦果は、撃墜確実が六機。
 私たちの大勝利と言って良いだろう。
 基地司令であり貴族のアーメイス卿は喜び踊っていた。
 私にとっては当たり前のことをしただけだ。
 ここではよほど、夜間爆撃に苦労していたのだそうだ。
 私が来るまでに、二十機に上るコアテラが夜間爆撃任務に従事して撃墜されたらしい。
 夜の任務だけで、である

 昼間の作戦による損害も加えれば、この数字は数倍に膨れ上がる。

 昼間に出撃すれば、連邦戦斗機よりも快速のコアテラなら強力な一撃を加えられるだろう。
 夜間のように各機が安全のために十分な間隔を取り、結果的に散発的な侵入とそれによる各個撃破の危険も減るだろう。
 だがそうできなかった理由がある。
 
 我らが帝國の都市ゼベルクと、連邦領都市メリーアの間には余りにも広い対空陣地が広がっているのだ。
 厄介なことにこれらは機械化が進んでおり、無数にある陣地を絶えず転換しており、分散して巧妙に秘匿されている。

 この機械化には疑問が多い。
 何故なら、陸戦兵力にこれ程の装備を配備するには、相応の発動機や生産施設が必要になるはずだからだ。
 連邦には主力の航空艦隊の発動機も不足している連邦に、これ程の余裕があるとは考えられない。
 飛行機械に従来とはまったく違う発動機を積み込むならば、話は別だが、そんなことはありえないだろう。
 現在の気嚢戦斗機のまま連邦の飛行機械が発展していくならば、今のうちに損害を恐れぬ大攻勢で粉砕可能だ。
  
 だが急がなければ、ならない。
 連邦の中には、太古の遺跡から掘り起こしてきたものを前線に投入していると聞く。
 滅びた文明の亡霊である旧兵器の戦斗能力の高さを知っていると、時間が立つほど我が帝國の被害は増えるのではないだろう?
 
 話しを対空陣地に戻そう。
 
 一度は陸軍と空軍が協力してこれら対空陣地を粉砕しようとしたらしいが──空軍単独での解決は不可能だった──十重二十重に敷設された対空砲の水平射によって陸軍は撃退されていた。
 連邦の長砲身砲の精度と射距離は、帝國のそれを上回っている。
 数を投入して突破できるようなものではない。

 連邦は空軍戦力の圧倒的な劣勢を、陸軍の大口径砲の集中投入で巻き返したのだ。
 聴音機、探照灯、対空砲、対空機銃、阻塞気球、噴進弾。
 あらゆる対空火器が存在しており、これを攻略する為には帝國近衛艦隊級の装備と莫大な陸戦兵力が必要だろう。

 空中艦隊に対する新しい回答法を連邦は見つけたようだ。
 この陣地は対空要塞以上に厄介なものであり、帝國は想定すらしていなかった。
 誰が陸戦兵力のみで航空兵力が足止めされると想像しただろうか。

 対砲迫戦、つまりは砲兵対砲兵の戦いは想定してきたし、要塞攻略戦の研究もしてきた。
 だが城壁も何もない野戦で、半ば地面に埋め込まれた敵戦闘能力を撃破し突破する戦術は、まったくの未知のものだ。

 私もまだまだ、勉強不足だ。

 帝國の対抗手段としては、誘導灯と電話線の拡張、少数の戦斗機隊による即応部隊を荒野砂漠に配置することだ。
 帝國には連邦ほど高々度に砲弾を上げられる対空砲はない。
 代わりに生きた兵器とも言える、極めて扱いやすい戦斗機隊を分散配備した。
 即応部隊が拘束している間に後方の主力隊を、誘導灯を用いて導くのだ。
 幸い、信頼性が高く速度もある我が航空戦力は、連邦よりも数が多い。

 何度か大規模な攻勢を受けた。
 だがその度に撃退している。
 連邦軍の昼間報復爆撃隊は、全滅させた。
 地上部隊もまた、対地使用のマコラグの大群と、元より強大な帝國砲兵軍団に粉砕された。

 しかし、我が軍の反抗部隊もまた、事実上の壊滅状態である。

 さらに問題なことに、補給が滞っている。
 食料の備蓄は三日を割り込んでいるし、弾薬や真水にもことかいている。
 無駄な資源の浪費は許されない。 
 人間も、武器弾薬もだ。

 これで、クランダルト帝國もアーキル連邦も、大規模な昼間作戦を遂行することは実質的に不可能となった。
 帝國はゼベルクとメーリアの上空で複雑に絡みあうジェット気流に届く新型砲弾を開発しているし、連邦も気流内を飛行可能な航空艦を開発していると聞く。
 短い期間であろうが、両都市間での昼間飛行は禁止されている。
 だがもし、この土地特有の低高度で複雑に絡み合う気流回廊を利用できる何らかの兵器が投入されたならば、前線は一気に変貌することになるかも知れない。

 それまではお互いの『対空要塞』がこの土地の昼間を守るだろう。

 ここではこの『対空要塞線』を、『祈りの壁』と呼ぶのだそうだ。
 一度侵入すれば、何が起こるのか、何が起こったのかわからない地獄の防衛拠点郡。
 互いに科学を高め合っている技術戦の中で、最終的に神頼みやら祈りに頼るのは中々に興味深いことだ。

 帝國の片隅で辺境の地であるゼベルクの都市は、悪い土地ではない。
 閉塞的で陰鬱な帝都よりも、“生”を感じられる。
 死が身近ならば、生をより強く認知できる。
 これは私がゼベルクに好印象を持つに至った最大の点だ。

 それに素晴らしい出会いもあった。
 敵国……アーキル連邦兵とは言え、私の一撃から反応してみせた操縦士が、生き残ったかも知れないと言うことだ。
 生きていれば、また空で出会うこともあるだろう。
 その時は手紙のやりとりでもしたいものである。
 私に何を感じたのか、知りたい。

 そうだ、忘れていた。
 このことも書いておこう。

 私がゼベルクの航空基地に着任した時から、空戦以上に楽しみにしていることがある。
 スカイバード族の種を育てることだ。
 種は今も、私のいる書室で、電熱球で温められている。
 眠ることのできない私には、夜中にこの種を回してやることと、本を読み、無線に耳を傾けるのが楽しみなのだ。

 ただ、スカイバード族の種というのはわかるのだが、どの系統の種類が育つのかはわからない。

 何度も帝國生産都市で見てきた種だが、これを貰うときに何の種かは聞かないでいたのだ。
 そのほうが楽しみがいがある。

 兵士になる前、スカイバードと共に生活しながら、音楽でも聞いて生涯を過ごすのだろうと、漠然と考えていたことがある。
 一族の皆がそうであったように、そう過ごすものだと思っていた。
 悪いものではなかっただろう。
 しかし、もう、きっと叶うことのない夢だ。

 配属初日に、美人の秘書官があてがわれたのだが、スカイバード族の種を見て、こんなことがあった。

「アルゲーデ様。これは食用ですか?」
「違う。温めているのを見て、育てているのがわかるだろ」
「そうなんですか、残念です。あたい──じゃなくて、私はてっきり食用かと思ってました。孵化直前の状態のスカイバードの種は、私の好物なんです」
「……食べるなよ」
「食べませんよ」

 クスクスと笑う秘書官──確か名前は、シュリー曹長──の顔はよく覚えている。
 彼女が私と同じように、純粋なクランダルト人にしてはあまりに短すぎる耳の長さだったこともあるだろう。
 だが私は、彼女の瞳に魅せられたのだ。

 彼女の瞳はどこまでも黒く、深い色の瞳をしている。
 まるで真夜中の空のような目であったのだ。
 しかし夜空に星星が浮かんでいるように、彼女の瞳もまた、闇だけではない。
 それは私の荒んだ心を少しは癒してくれる。

 私の蒼の瞳は、何色なのだろうか?

 いつか聞いてみたいものである。
 
 
 
 
 
 

 

最終更新:2014年12月25日 17:12