助動詞詳説


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時制について詳しく述べてゆく。

通時制と継続相

次の文を比較してみる。
但し、saajは、「好きである」という状態ではなく、「好きになる」という瞬間の動作を表す動詞である点に注意すること。

①As saajun Usa melix.(私はこの本が好きだ。)
②As saaj enxur Usa melix.(私はこの本が好きだ。)


相とは動作の進行具合を表すものである為、常に"動作の終了"の存在が意識下にある。
その為、②は「今はこの本を好んでいるが、ずっとそうとは限らない。」というニュアンスがある。

①は、過去からずっと好きで、今も好きで、未来も好きであるというニュアンスがある。

進行相と完了相と継続相

次の文を比較してみる。
但し、obozは「目を向けて対象を認識する」という動作を表す。

①As oboz entor Ox.(私は彼を見ている。)
②As oboz enmar Ox.(私は彼を見ていた。)
③As oboz enxur Ox.(私は彼を見ている。)

①は、obozという動作の一コマを表す。
②は、obozという動作は終了し、現在は行っていない状態を表す。
③は、obozという動作を過去から行っていて現在も行っているという状態を表す。

継続相と反復相

次の文を比較してみる。

①As oboz anxur Ox.(私は彼を見ていた。)
②As oboz anker Ox.(私は彼を見つづけた。)

①は、単に「見る」という動作の一環として、「見ている」というニュアンス。
②は、何か理由や意図があって、「見ている」というニュアンス。

通時制

Palamにおける通時制の定義:
「話し手が、文の主語が動作の対象を最初に認識した瞬間から認識できなくなる瞬間までその動作をしている、と認識している時間を表す。又、動作の対象とは、単文においては一般には目的語を指す。又、複文において、目的語が名詞節である場合は、その従属節内で最も高位の主語を動作の対象であるとする。但し、繋辞文では、話し手が文の主語を最初に認識した瞬間から、主語がなくなる瞬間までの時間を指す。」

具体例をあげると、Palam辞典のyalosの項の例文に以下のようなものがある。

As saaj unxur Usa yalos. (私はこの歌が好きです。)

この文は通時制詞unが使われている。
上の定義によればこの文は、
「話し手が、文の主語(As:私)が動作の対象(yalos:歌)を最初に認識した瞬間から、認識できなくなる瞬間までその動作(saaj xur)をしている、と認識している時間を表す」
ことになる。

つまり、時間の始まりから未来永劫ずっとを指すわけではなく、あくまで私がその歌を知った瞬間から、その歌を認識できなくなる(忘れる、或いは死ぬ)までを指す。

では、次の例文を見てみる。

As xozun to Os joz onxur to miso. (彼女には明るくなってほしい。)

目的語が名詞節になっているパターンである。
この従属節(目的語の名詞節)の内、もっとも高位の主語はOs(人間近称女性単数)であるから、これを動作の対象と考える。
もう分かると思うが、この文は私が彼女を知った瞬間から、彼女を認識できなくなるまでを指している。
(但し、動作の対象が有生の場合、「認識できなくなる瞬間」は、主語の死だけでなく、対象の死の可能性もある点に留意。)

更に、例文①と以下の例文を比較する。

As xoz enxur to Os joz onxur to miso. (彼女には明るくなってほしい。)

この文は現在時制継続相を使っている。
この場合、動作の開始時点から現在までずっと動作が継続することを表すため、
1秒後にはもうその動作をしていない可能性もなくはない。
しかし、実際にはそのようなことはまずなく、未来においてもある程度はその動作があるものと見越している。
但し、「相」というシステム自体が、動作の段階を表すため、いくらかはその動作の終了を意識した表現になる。
結論的には、厳密には①と②は区別されるが、あくまでニュアンスの差であり、大きな違いはないということである。

次に、繋辞をつかった文での通時制についてである。

Ox un opmaxo. (彼は内向的だ。)

これは、「話し手が、文の主語(Ox:人間近称男性単数)を認識してから、文の主語(Ox)がなくなるまでの時間」を指している。
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