<目次>

■1.主権論の論点整理表


  歴史主義・伝統主義 (英米法) 反歴史主義・リセット主義 (大陸法)
権利の本質 人間は長い歴史を通じて、社会の中で試行錯誤を繰り返しながら、社会的叡智の結晶として歴史的権利を「慣習」という形で個別に見出してきた、とする立場 人間は自然状態において、生来的に自然権(natural right)を有していたが、社会契約(social contract)を結んで自然権を一部または全部放棄し、人定法実定法:positive law)を定めた、とする立場
法の本質 法は特定の共同体の中で人々の社会的ルールとして自生した(特定の人物の意思によらずに時間をかけて次第に生成されてきた)(法=社会的ルール説)(★注3)
⇒この立場は、真の法=ノモス(個別の共同体毎に自生的に発展してきた人為的ではあるが特定の意思によらざる法)とする見解と親和的である。
法はそれを作成した主権者の意思であり命令である(法=主権者意思[命令]説)(★注1、★注2)
⇒この立場には、①真の法=理性から演繹された自然法(フュシス)とする近代的自然法論、および、②真の法など存在せず主権者の意思・命令としての人為法があるのみとする純然たる法実証主義、の2通りの見解がある。
誰が法を作るのか 法は幾世代にも渡る無数の人々の叡智が積み重ねられて自生的に発展したもの(経験主義、批判的合理主義
⇒「法は“発見”するもの」⇒制憲権(憲法制定権力)否認
(特定時点の世代の人々が制定できるのは原則として「憲法典(形式憲法)」迄であって、「国制(実質憲法)」は世代を重ねて徐々に確立されていくものに過ぎない)
法は主権者の委任を受けた立法者(エリート)が合理的に設計するもの(設計主義的合理主義
⇒「法は“主権者”が作るもの」⇒制憲権(憲法制定権力)肯定
(特定時点の世代の人々は「憲法典(形式憲法)」のみならず「国制(実質憲法)」をも意図的に確立することが可能である)
補足 共同体毎に個別的→共同体に固有の「国民の権利」と「一般的自由」の二元論と親和的
価値多元的・相対主義的、
帰納的、保守主義・自由主義・非形而上学的な分析哲学と親和的
法の支配ないし立憲主義と順接
全人類に普遍的→共同体や歴史的経緯を超える普遍的な人権イデオロギーと親和的
絶対主義的(但し価値一元的な傾向と価値相対主義的な傾向との両面がある)
演繹的、急進主義・全体主義・形而上学的な観念論哲学と親和的
国民主権法治主義と順接
実例 英国の不文憲法が典型例。またアメリカ憲法は意外にも独立宣言にあった社会契約説的な色彩を極力消した形で制定され歴史主義の立場に基づいて運用されてきた。
大日本帝国憲法(明治憲法)も日本の歴史的伝統を重んじる形で当時としては最大限に熟慮を重ねて制定された
フランスの数々の憲法、ドイツのワイマール憲法が典型例。
日本国憲法は前文で「国政は、国民の厳粛な信託によるもの」とロックの社会契約説的な制定理由を明記しており、残念ながら形式上この範疇に入る(GHQ草案翻訳憲法)
※但し“解釈”により日本の歴史・伝統を過剰に毀損しない慎重な運用が為されてきた
主な提唱者 コーク、ブラックストーン、バーク、ハミルトン
なお第二次大戦後の代表的論者は、ハイエク、ハート
ホッブズ、ロック、ルソー
なお第二次大戦後の代表的論者は、ロールズ、ノージック

(★注1)「法=主権者意思[命令]説」は、主権者を誰と見なすかによって以下に分類される。
君主主権 君主一人が主権者。(1)社会契約説以前の王権神授説や、(2)ホッブズの社会契約説が代表例。
人民主権 君主以外の人民 people が主権者であり人民は各々主権を分有し人民自らがそれを行使する(=プープル主権説)。ルソーの社会契約説が代表例。
国民主権 君主を含めて国民全員が主権者(但し左翼の多い日本の憲法学者には「君主は国民に含めない」として、実質的に人民主権と同一とする者が多い)。
なお国民主権の具体的意味については、(1)最高機関意思説と、(2)制憲権(憲法制定権力)説が対立しており、
さらに(2)は、<1>ナシオン主権説と<2>プープル主権説に分かれる(プープル主権説は実質的に②人民主権説)。
一般的に国民主権という場合は、<1>ナシオン主権説(観念的統一体としての国民が制憲権を保有するとする説)を指す。
議会主権 英国の憲法学者A.V.ダイシーの用語で、正確には「議会における国王/女王(the king/queen in parliament)」を主権者とする。君主主権や国民主権の語を避けるために考え出された理論
国家主権 帝政時代のドイツで、君主を含む「国家」が主権者であるとして君主主権や国民主権の語を避けた理論。戦前の日本の美濃部達吉(憲法学者)の天皇機関説もこの説の一種である
⇒教科書は、戦後の日本は「国民主権」だが、戦前の日本は「君主主権」の絶対主義国家だった、とする刷り込みを行っている。しかし実の所は、
大日本帝国憲法(明治憲法)は制定時において明確に歴史主義の立場を取っており、そもそも「xx主権」という立場(法=主権者命令説)ではなかった。強いて言えば
“法”主権 つまり「法の支配」・・・歴史的に形成された統治に関する慣習法(=国体法 constitutional law)及びそれを可能な範囲で実定化した憲法典(constitutional code)が天皇をも含めた国家の全構成員を拘束するという立場だった。
⇒なお、大正デモクラシー期には、ドイツ法学の「⑤国家主権説」を直輸入した美濃部達吉の「天皇機関説」が通説となり、それがさらに天皇機関説事件によっていわゆる①君主主権説に転換したのは昭和10年(1935年)以降の僅か10年間である。

(★注2)「法=主権者意思[命令]説」は、法を特定の立法者/思想家の価値観(例:カントやヘーゲルのドイツ観念論的法思想や自然法論・人権論)あるいは政治イデオロギー(例:マルクス主義やナチス期ドイツ思想)に還元してしまう危険が高く、全体主義への接近を許してしまう。
※以下、「法=主権者意思[命令]説」の法体系モデル。


※図が見づらい場合⇒ こちら を参照
※①宮澤俊義(ケルゼン主義者)・②芦部信喜(修正自然法論者)に代表される戦後日本の左翼的憲法学は「実定法を根拠づける“根本規範”あるいは“自然法”」を仮設ないし想定するところからその理論の総てが始まるが、そのようなア・プリオリ(先験的)な前提から始まる論説は、20世紀後半以降に英米圏で主流となった分析哲学(形而上学的な特定観念の刷り込みに終始するのではなく緻密な概念分析を重視する哲学潮流)を反映した法理学/法哲学(基礎法学)分野では、とっくの昔に排撃されており、日本でも“自然法”を想定する法理学者/法哲学者は最早、笹倉秀夫(丸山眞男門下)など一部の化石化した確信犯的な左翼しか残っていない。
このように基礎法学(理論法学)分野でほぼ一掃された論説を、応用法学(実定法学)分野である憲法学で未だに前提として理論を展開し続けるのはナンセンスであるばかりか知的誠実さを疑われても仕方がない行いであり、日本の憲法学の早急な正常化が待たれる。
(※なお、近年の左翼憲法論をリードし「護憲派最終防御ライン」と呼ばれている長谷部恭男、芦部門下であるが、ハートの法概念論を正当と認めて、芦部説にある自然法・根本規範・制憲権といった超越的概念を明確に否定するに至っている。)

(★注3)「法=社会的ルール説」は20世紀初頭に英米圏で発展した分析哲学の成果を受けて、1960年以降にイギリスの法理学者H. L. A. ハートによって提唱され、現在では英米圏の法理論の圧倒的なパラダイムとなっている法の捉え方である。
※以下、「法=社会的ルール説」の法体系モデル。また阪本昌成『憲法理論Ⅰ』第二章 国制と法の理論も参照。

※サイズが画面に合わない場合は こちら 及び こちら をクリック願います。


※上記のように、ハート法=社会的ルール説は、現実の法現象について詳細で明晰な分析モデルを提供しており、特定の価値観・政治的イデオロギーに基づく概念ピラミッドに過ぎない法=主権者意思[命令]説の法体系モデルを、その説得力において大幅に凌駕している。
※なお、自由を巡る西洋思想の二つの潮流について詳しくは ⇒ 国家解体思想の正体 参照

※(補足説明)ハート法=社会的ルール説のいう「ルール(rule)」という用語は、図にあるように、①事実(外的視点からの捉え方)②規範(内的視点からの捉え方)二重構造(=観測者から見れば①事実(社会的事実)だが、法共同体の構成員から見れば②規範だ、という③第3のカテゴリー)になっている、という独特の意味で使用されており、①事実②規範峻別する方法二元論(ケルゼンら新カント学派の方法論)と大きく異なっている点に注意(→こうした①事実でもあり②規範でもある③第3のカテゴリーの導入によって、ハート理論は「単なる①事実(=認識)から、なぜ②規範(=価値判断)が生まれるのか」という難問のクリアを図っている)。

■2.用語集


◆1.主権(sovereignty)

しゅけん
【主権】
<日本語版ブリタニカ
元来、「至高性」を指す観念で、フランス国王が、①一方ではローマ皇帝および教皇に対し、②他方では封建領主に対し、独立最高の存在であることを示すものとして登場し、その後、近代国家の形成と発展の過程で、各種の政治的背景において、実に様々な意味合いで用いられることになるが、今日、実定法上も用いられる主権観念として重要と思われるのは、次の3つである。
(1) 国権ないし統治権自体の意味での主権
「日本国の主権は、本州・・・に局限せらるべし」とするポツダム宣言8項がその例で、ここでは①国民および②国土を支配する権利、というほどの意味である。
(2) 国権の属性としての最高独立性の意味での主権
日本国憲法前文第3段に、「自国の主権を維持し」とあるのが、その例である。
(3) 国家統治のあり方を終局的に決定しうる①権威ないし②力の意味での主権
国民主権とか君主主権とかいわれる場合の主権観念がそれで、日本国憲法前文1段および1条にいう主権が、その例である。
しゅ-けん
【主権】 
<広辞苑>
その国家自身の意思によるほか、他国の支配に服さない統治権力。国家構成の要素で、最高・独立・絶対の権力。統治権。
国家の政治のあり方を最終的に決める権利。 「国民-」
sovereignty
<新英和>
1. a 主権、統治権(dominion)
b 君主[元首]であること
2. 主権国、独立国(sovereign state)
3.   《廃》
a 非常に優れていること、優秀(excellent)
b (薬の)特効

※以下、英語圏の辞典/辞書の定義・説明
sovereignty
<BRIT>
In political theory, the ultimate authority ①in the decision-making process of the state and ②in the maintenance of order.
In 16th-century France Jean Bodin used the concept of sovereignty to bolster the power of the king over his feudal loads, heralding the transition from Feudalism to Nationalism.
By the end of the 18th century, the concept of the Social Contract led to the idea of popular sovereignty, or sovereignty of the people, through an organized government.
①The Hague Conventions, ②the Geneva Conventions, and ③the United Nations all have restricted the actions of sovereign countries in the international area, as has International Law.
(翻訳)
政治理論において、①国家の意思決定プロセス、および、②秩序の維持、に関する究極の権威
16世紀フランスで、ジャン・ボーダンが、封建諸侯に優越する国王権力を補強するために、この概念を使用し、それは封建制から国民国家体制への変革を促した。
18世紀の末までに、社会契約という概念が、組織された政府を通じた人民主権(popular sovereignty)ないし主権在民(sovereignty of the people)という観念を導き出した。
①ハーグ会議、②ジュネーヴ会議、③国際連合、は全て、国際法が存在する国際分野において、主権国家の行動を制限するものである。
sovereignty
<ODE>
[mass noun] supreme power or authority:
・the authority of a state to govern itself or another state:
[count noun] a self-governing state:
(翻訳)
[物質名詞] 至高権ないし最高権威
ある国家(state)が、自国または他の国家を統治する権威
[可算名詞] 自治国(独立国)
sovereignty
<Collins>
◆N-UNCOUNT Sovereignty is the power that a country has to govern ①itself or ②another country or state.
(翻訳)
不可算名詞 ソブリンティーとは、あるcountry(地理的な意味での国家)が、①それ自身、あるいは、②他のcountry(地理的な意味での国家)やstate(政治的な意味での国家)、を統治する権能をいう。

◆2.統治権、国権

とうち-けん
【統治権】 
<広辞苑>
国家を統治する権力。国土・国民を支配する権利。主権。
とうちけん
【統治権】  
<日本語版ブリタニカ>
①最高の権威、または、②国家の主権、と同義または類似の概念であるが、国家・政府・独立・民主主義などと関連して政治学や国際法において最も論争の多い言葉である。
日本では、統治権の概念は、明治憲法に使用されており、第4条によれば、天皇は統治権の総覧者であった。
16世紀にフランスのJ.ボーダンは統治権を絶対的で非制約的な概念として捉えた。
しかし、統治権の性格は、民主的な政府形態に伴い、次第に、①支配階級と②統治者に対する重要な制約を課するものへと変化を遂げ、また、一国の政府のためよりも、世界平和を目標に行使されるようになった。
こっ-けん
【国権】 
<広辞苑>
国家の権力。国家の支配・統治権。
こっ-けん
【国権】 
<明鏡国語辞典>
国家が国民を支配し統治する権力。国家権力。「-を発動する」
こっ-けん
【国権】 
<研究社和英>
sovereignty; a sovereign right; the right to rule; the authority[power] of the state; state power.

◆3.国民主権、人民主権、主権在民、君主主権

こくみんしゅけん
【国民主権】
popular sovereignty
<日本語版ブリタニカ>
主権は国民にある、とする憲法原理。
国家の統治のあり方を究極的に決定する、①権威、ないし、②力、が国民にあるとし、国民主権と全く同じ意味で、人民主権ということもあるが、後者には限定された特殊な用法もある。
君主主権に相対する。
日本国憲法前文1段および1条は、国民主権に立脚することを明らかにしている。
もっとも、国民主権の具体的意味の理解については一様ではなく、大別して、
(1) 国民主権とは、国家の意志力を構成する最高の機関意思が国民にあることを意味し、それは憲法によって定まる、と解する説(※注:最高機関意思説)と、
(2) 国民が憲法の制定者であることを意味する、とする説(憲法制定権力説)とに分れる。
基本的には、(2)後者の立場に立つ場合であっても、さらに、
(2)-a 主権者たる国民は、観念的統一体としての国民で、主権がそのような国民にある、ということを意味する、というように解する説(※注:ナシオン主権説)と、
(2)-b 主権の権力的契機を重視し、主権は個々の人民が分有し、人民自らがそれを行使するところに本質がある、とする人民主権説(※注:プープル主権説)とに分れる。
じんみん-しゅけん
【人民主権】
<広辞苑>
主権が人民に帰属すること。また、その主権。
国民主権。
じんみん-しゅけん
【人民主権】
<日本語版ブリタニカ>
⇒国民主権(※注:国民主権の項目参照)
しゅけん-ざいみん
【主権在民】
<広辞苑>
主権が国民に存すること。
明治憲法では主権が天皇にあったが(主権在君)、日本国憲法では国民にある。
くんしゅしゅけん
【君主主権】
<日本語版ブリタニカ>
主権は君主にある、とする国家原理で、国家の統治のあり方を究極的に決定する、①権威、ないし、②力、が君主にあることを意味する。
もとは君主のもつ権力の至高性・絶対性を意味した。
人民主権(⇒国民主権)に相対する。
絶対主義を支えた概念であり、いわゆる王権神授説や、旧憲法下での天皇制もその一つであった。
popular sovereignty
<ランダムハウス英和>
1. 国民主権、人民主権、主権在民
2. 《米史》住民主権:南北戦争以前、Stephen A. Douglas などによって提唱された原則;准州の住民は、奴隷制度の採否に関して、連邦政府の干渉を受けず住民自身が決定するというもの
[1848.米語]
popular sovereignty
<ジーニアス英和>
(1) 国民主権、主権在民;
(2) 《米史》州権優越《南北戦争前の米国で特に奴隷州を維持するか否かについては、連邦政府の介入を認めず各州の内部問題であるとする主張;《米》squatter sovereignty ともいう》

※以下、英語圏の辞典/辞書の定義・説明
popular sovereignty
<BRIT>
Political doctrine that allowed the settlers of U. S. federal territories to decide whether to enter the Union as free or slave states.
It was applied by Sen. Stephen A. Douglas as a means to reach a compromise through passage of the Kansas-Nebraska Act.
Critics of the doctrine called it "squatter sovereignty."
The resulting violence between pro- and antislavery factions (see Bleeding Kansa) showed its failure as a workable compromise.
See also Dred Scott Decision.
(翻訳)
自由州または奴隷州として連邦に加入する決定を、合衆国連邦領の入植者達が行なうことを許容する政治的ドクトリン。
それはカンザス-ネブラスカ法可決のための妥協に到達する手段として、スチーブン・A・ダグラス上院議員によって提唱された。
このドクトリンへの批判者は、「不法入植者主権」と呼んだ。
奴隷制肯定派と反対派の間の暴力的結末(カンザス流血事件を見よ)は、このドクトリンが有効な妥協策として失敗だったことを示している。
ドレッド・スコット判決も参照。

◆4.憲法制定権力(制憲権)

けんぽうせいていけんりょく
【憲法制定権力】
pouvoir constituant;
Die verfassungsgebende
(※注:constituent power)
<日本語版ブリタニカ>
憲法を創出する権力であって、憲法はもちろん、如何なる実定法によっても拘束されない超法規的・実体的な根源的権力
既存の憲法を前提とし、それによって設けられるもの、とは区別される。
しかし、憲法制定の手続が実定法に拘束されるかどうかは、意見の分かれるところである。
国民主権を建前とする近代国家における憲法制定権力は、国民自身である。
この発想は、シェイエスの『第三身分とは何か』にみえ、国民憲法制定権力の主体とする革命憲法制定の理論的主柱として、絶大な影響を及ぼした。
20世紀になり、C. シュミットは、この観念を用い、①憲法改正手続のもつ合法性に、②国家形態を変更する主権者の正当性を対置した。

◆5.議会主権、議会における国王(女王)

ぎかいしゅけん
【議会主権】
sovereignty of parliament
<日本語版ブリタニカ>
議会は法的には如何なる内容の法律も制定・改廃できる、という原理。
18世紀のイギリスで確立された。
イギリスは議会の行動を規制する根本規範としての成文憲法を持たないため、議会が制定した法律の効力を審査できる機関が存在しないことから、議会の権限の至上性が認められた。
「男を女にし、女を男にする以外、何でもできる」という言葉は、議会主権のもつ意味を最も端的に捉えている。
このような議会主権の考え方は、国民代表を前提とする議会制民主主義の定着とともに一般化され、国会における議会の最高機関性は、いずれの国でも憲法上謳われるに至っている。
しかし、政治的にみた場合、民主主義のもとでは、主権は国民にあり、その点において議会主権も制約を受けるのは当然のことである。
キング・イン・パーリアメント
King in parliament
<日本語版ブリタニカ>
イギリス憲法上の用語で、立法権は国王に付与されていることを言い表わしている。
現在は女王の統治下であるので、“Queen in parliament”という。
(1) イギリスには立法を担当するものとして、上・下両院から成る議会があるが、法的には議会は国王によって召集され、また停会や解散を命じられる。
いわば、議会の活動は、国王の意思に左右されている。
(2) また、議会を通過した法律案も、国王の裁可なくしては法律とならない。
従って、国王は立法部の不可欠の構成要素となっている、といわなければならない。
このことを、「議会における王」と表現する。

◆6.国家主権、国家法人説、天皇機関説

こっかしゅけん
【国家主権】
<日本語版ブリタニカ>
国家が領域内においてもつ排他的支配権のことであって、単に主権ともいわれるものであるが、主権という用語が多義的であるのに伴って、この国家主権も種々に解される。
(1) 一つは、ある国家が他の国家の権力のもとになく、対外的に独立しているとき、すなわち、その国家が主権国家であるとき、その国家を主権国家足らしめる力、をいう場合である。
(2) 他は、対内的に国家の最高の力としての主権が、①君主にあるのでもなく、また、②国民にあるのでもなく、③国家そのものにある、とされるとき、それをいう場合である。
これは、国家法人説にみることができる。
なお、この国家法人説における国家主権は、独特の意味内容を持っている。
すなわち、この学説は、①君主主権と、②人民主権、とを妥協させるため、主権の保持者は人格としての国家にある、と主張して、③国家主権という概念を創り出したからである。
こっか-ほうじん-せつ
【国家法人説】
<広辞苑>
国家を統治権の主体たる公法人である、とする説。
19世紀にドイツのアルブレヒト(W. E. Albrecht 1800-76)、ゲルバー(K. F. W. von Gerber 1823-91)らが首唱。
日本では天皇機関説として有名。
こっかほうじんせつ
【国家法人説】
<日本語版ブリタニカ>
国家理論の一つ。
国家は単一の団体であって、法律関係の主体になる法人である、とする説
おもに、ドイツの外見的立憲君主制のもとで主張された。
この説を代表するG. イェリネックは、
(1) 国家は法的には、①権利主体か、②権利客体か、あるいは、③権利関係か、のいずれかでなければならない、
(2) そして、そのうちでは、①権利主体とみるのが、唯一の正当な説であり、国家は法人格を有する、とみなし、
(3) 国家機関を通して団体意思を形成し、統治行動を行う、とした。
それは、<1>絶対君主の権力装置としての国家を否定し、<2>君主は国家に含まれる、とすることにより、君主と人民との対立を回避し、立憲君主制のイデオロギーとして機能した。
特に日本では、天皇機関説として問題とされた。
てんのう-きかん-せつ
【天皇機関説】
<広辞苑>
明治憲法の解釈として、
(1) 国家の統治権は天皇にある、とする説に対して、
(2) 統治権は法人である国家に属し、天皇はその最高機関である、とする学説。
一木喜徳郎、美濃部達吉らが唱えたが、1935年に国体明徴問題がおこり、国体に反する学説とされた。
てんのうきかんせつ
【天皇機関説】
<日本語版ブリタニカ>
美濃部達吉によって主張された学説で、
国家を統治権の主体とし、天皇は国家の一機関に過ぎない、とする明治憲法の解釈のこと。
上杉慎吉らの天皇主権説に対して、大正デモクラシー以後、学界・政界で一時支配的な地位にあった。
しかし、満州事変以後、軍部・官僚・右翼団体が、天皇機関説を国体に反する反逆思想である、として攻撃したため政治問題化した。
これが、1935年のいわゆる国体明徴運動である。
当時、貴族院議員であった美濃部は、議会で弁明を求められ、反論を明らかにしたが、衆議院議員江藤源九郎は彼を不敬罪で告発し、政府でも陸海軍大臣の圧力に押され、『憲法撮要』など美濃部の3著を発禁とした。
こうして美濃部自身も貴族院議員を辞任し、天皇機関説は政治的に葬られた。

◆7.社会契約説(social contract theory)

しゃかい-けいやくせつ
【社会契約説】
(cotract social フランス)
<広辞苑>
17~18世紀に西欧で有力であった政治・社会理論。
国家の起源自由で平等な個人相互の自発的な契約に求め、それによって政治権力の正統性を説明しようとする。
ホッブズ・ロック・ルソーらの説。
日本では中江兆民らが紹介。
民約説。契約説。
⇒自然状態、⇒社会有機体説
しゃかいけいやくせつ
【社会契約説】
social contract theory
<日本語版ブリタニカ>
個人間の契約によって政治社会が成立したとする政治学説
政治社会を自然的に成立したとみる考え方に対して、人為的につくられたとする点に特質がある。
<1> 契約説自体は社会を便宜的製作物とみなしてきたギリシアのソフィストの思想に萌芽的にみられ、中世の法学者によって支配-服従契約の名のもとに使用されたこともある。
だがそこでは、秩序は自然的に実在しているという見方のもとに支配関係を解釈する原理にとどまっていた。
<2> 政治社会を構成する原理として積極的に提示されたのは、伝統的秩序が崩れ始めた17~18世紀においてである。
社会契約説は近代自然主義の影響を受けて政治社会の成立を始原的な個体にまで分解して探求しようとした近代の「自然法」学と結合し、政治社会形成の根拠として援用されることになった。
その際、自由・平等な個人を政治の主体とし、この主体が政治社会をつくりだすことを論証した。
そして究極的には、抵抗権の裏打ちによって近代革命を指導する原理ともなったのである。
もっとも、大陸自然法学においてはなお解釈の原理であったのに対し、イギリスの自然法論においては積極的な構成原理として展開された。
もとよりその説には論者によって差異があり、
(1) ホッブズは絶対主義を生むものとし、
(2) J.ロックにおいては委託の原理として近代の議会主義と権力の制限の理論的背景となった。
(3) さらにフランスでこの両者を継承したルソーの場合は、この説の背景にあった個人主義的色彩をとどめながら、同時に集団を重視する方向に大きな変化をみることになった。
その後社会契約説は19世紀に至って、歴史主義によって批判されるとともに事実や規範を峻別する批判哲学によって単なる仮説に過ぎないと批判されたが、J.ロールズやノージックの影響で1970年代以降再び脚光を浴びるようになった。
しゃかいけいやくろん
【社会契約論】 
Du contrat social, ou principes du droit politique
<日本語版ブリタニカ>
フランスの哲学者J.-J.ルソーの著作。
1758年書き始められ、61年完成し翌年出版されたルソーの政治論の主著である。
著者は封建制度の隷属的人間関係を強く批判し、人間の基本的自由を指摘することから始めて、自由な人間が全員一致の約束によって形成する理想的な国家形態を主張した。
この書は政治論であるが、このような政体によって初めて道徳は成り立ちうるとの倫理観と不可分であって、主権者である人民の国家への奉仕が強く求められており、そこから全体主義的解釈も生まれた。
『社会契約論』はフランス革命に多大の影響を与えたが、日本では1882年中江兆民によって『民約訳解』として漢訳さえ(第2編第6章まで)、自由民権運動に大きな影響を及ぼした。

※以下、英語圏の辞典/辞書の定義・説明
social contract
<BRIT>
Actual or hypothetical compact between the ruled and their rulers.
The original inspiration for the notion may derive from the biblical covenant between God and Abraham, but it is most closely associated with the writtings of Thomas Hobbes, John Locke, and Jean-Jacques Rousseau.
(1) Hobbes argued that the absokute power of the sovereign is justified by a hypothetical social contract in which the people agree to obey him in all matters in return for a guarantee of peace and security, which they lack in the warlike "state of nature" posited to exist before the contract is made.
(2) Locke believed that rulers also were obliged to protect private property and the right to freedom of thought, speech, and worship.
(3) Rousseau held that in the state of nature people are unwarlike but also undeveloped in reasoning and morality; in surrendeing their individual freedom, they acquire political libety and civil rights within a system of laws based on the "general will" of the governed.
The idea of the social contract influenced the shapers of the American Revolution and the French Revolution and the Constitutions that followed them.
(翻訳)
治者(the ruler)と被治者(the ruled)の間の現実的あるいは仮想的な契約
この観念の起源となる着想は、神とアブラハムとの間の聖書にある誓約から派生したものと思われる。しかし、それはトーマス・ホッブズ、ジョン・ロック、ジャン-ジャック・ルソーの著作と最も緊密に結びついている。
(1) ホッブズは、主権の絶対的権力は仮想的な社会契約によって正当化される、と論じた。そこでは人々は、契約が為される以前に存在すると措定されている“自然状態(state of nature)”の中では欠落している平和と安全の保証と引き換えに、主権者に全面的に服従することに合意する。
(2) ロックは、治者(the ruler)はまた私有財産と思想・言論・信仰の自由を保護する義務を負っていると信じていた。
(3) ルソーは、自然状態では人々は好戦的ではないが理性と道徳が未発達であり、個人的自由を放棄することによって彼らは被統治者(the governed)の“一般意思(general will)”に基づく法制度の中で政治的自由と市民的権利を獲得する、と考えた。
社会契約の理念は、アメリカ革命やフランス革命の担い手達、そしてそれらに続いた成文憲法の作成者達に影響を与えた。
social contract (also social compact)
<ODE>
an implicit agreement among the members of a society to cooperate for social benefits, for example by sacrificing some individual freedom for state protection.
Theories of a social contract became popular in the 16th, 17th, and 18th centuries among theorists such as Thomas Hobbes, John Locke, and Jean-Jacques Rousseau, as a mean of explaining the origin of government and the obligations of subjects:
(翻訳)
例えば、国家を守るために幾つかの個人的な自由を犠牲にすることによって、社会の諸便益のために協同する、ある社会の構成員の間の暗黙の契約のこと。
社会契約の理論は、トーマス・ホッブズやジョン・ロックやジャン-ジャック・ルソーといった理論家達の間で、①政府の起源と、②被服従者の義務説明する方法として有名になった。

※BRIT(Britannica Concise Encyclopedia)、ODE(Oxford Dictionary of English)、Collins(Collins Cobuild Advanced Dictionary of English)
最終更新:2014年01月12日 21:41