【スクープ!】緊急特集「韓国・鬱陵島レポート」桜H23/8/8 | 竹島の地図を捏造する韓国 |
竹島問題 ・于山島検証動画part1 | 韓国の文献で「竹島=日本の領土」と証明される |
1.1951(昭和26)年9月に署名されたサンフランシスコ平和条約は、日本による朝鮮の独立承認を規定するとともに、日本が放棄すべき地域として「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」と規定しました。 2.この部分に関する米英両国による草案内容を承知した韓国は、同年7月、梁(ヤン)駐米韓国大使からアチソン米国務長官宛の書簡を提出しました。その内容は、「我が政府は、第2条a項の『放棄する』という語を『(日本国が)朝鮮並びに済州島、巨文島、鬱陵島、独島及びパラン島を含む日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一部であった島々に対するすべての権利、権原及び請求権を1945年8月9日に放棄したことを確認する。』に置き換えることを要望する。」というものでした。 3.この韓国側の意見書に対し、米国は、同年8月、ラスク極東担当国務次官補から梁大使への書簡をもって以下のとおり回答し、韓国側の主張を明確に否定しました。 「・・・合衆国政府は、1945年8月9日の日本によるポツダム宣言受諾が同宣言で取り扱われた地域に対する日本の正式ないし最終的な主権放棄を構成するという理論を(サンフランシスコ平和)条約がとるべきだとは思わない。ドク島、または竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島支庁の管轄下にある。この島は、かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない。・・・・」 これらのやり取りを踏まえれば、竹島は我が国の領土であるということが肯定されていることは明らかです。 4.また、ヴァン・フリート大使の帰国報告にも、竹島は日本の領土であり、サンフランシスコ平和条約で放棄した島々には含まれていないというのが米国の結論であると記されています。 |
ドク島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、 この通常無人島である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、 1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。 この島は、かつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思われません。 by ラスク書簡
1.1952(昭和27)年1月、李承晩韓国大統領は「海洋主権宣言」を行って、いわゆる「李承晩ライン」を国際法に反して一方的に設定し、同ラインの内側の広大な水域への漁業管轄権を一方的に主張するとともに、そのライン内に竹島を取り込みました。 2.1953(昭和28)年3月、日米合同委員会で竹島の在日米軍の爆撃訓練区域からの解除が決定されました。これにより、竹島での漁業が再び行われることとなりましたが、韓国人も竹島やその周辺で漁業に従事していることが確認されました。同年7月には、不法漁業に従事している韓国漁民に対し竹島から撤去するよう要求した海上保安庁巡視船が、韓国漁民を援護していた韓国官憲によって銃撃されるという事件も発生しました。 3.翌1954(昭和29)年6月、韓国内務部は韓国沿岸警備隊の駐留部隊を竹島に派遣したことを発表しました。同年8月には、竹島周辺を航行中の海上保安庁巡視船が同島から銃撃され、これにより韓国の警備隊が竹島に駐留していることが確認されました。 4.韓国側は、現在も引き続き警備隊員を常駐させるとともに、宿舎や監視所、灯台、接岸施設等を構築しています。 5.「李承晩ライン」の設定は、公海上における違法な線引きであるとともに、韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠です。韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。このような行為は、竹島の領有権をめぐる我が国の立場に照らして決して容認できるものではなく、竹島をめぐり韓国側が何らかの措置等を行うたびに厳重な抗議を重ねるとともに、その撤回を求めてきています。 |