DVD「拉致問題『何故?』に答える」(20分30秒) 企画協力:特定失踪者問題調査会 / 制作:映像教育研究会 カンパ付き価格:2,000円(税込) ※ お求めは特定失踪者問題調査会まで(TEL 03-5684-5058 / http://chosa-kai.jp/ ) |
DVD 舞台劇 めぐみへの誓い 1977年、わずか13歳の少女横田めぐみさんが北朝鮮工作員に連れ去られました。当初は霧に包まれていたこの事実は、政府の足並みの悪さもあり、なかなか市民の関心を呼ぶものではありませんでした。しかし市民レベルでの支援運動の動きは確実に国を動かしていきました。明るみにでる多くの信じられないような独裁国家北朝鮮の実態。多くの日本人拉致被害者と家族が辿った困難の道・・・。ベテランから若手まで実力のある俳優が力一杯演じ、様々なメディアを通して紹介されたこの演劇舞台は、 希望をつなげる為に努力する人々の感動の物語です。公演期間中は多くの観客を集め、この問題に新たに接する人々も含めて、改めて重要な問題を提起しました。 詳細⇒http://www.jvd.ne.jp/cine/megumi/top.html |
北朝鮮による日本人拉致問題(きたちょうせんによるにほんじんらちもんだい)は、1970年代から1980年代にかけて、北朝鮮の工作員などにより、多数の日本人が極秘裏に北朝鮮拉致された問題。日本では国民の生命と安全に大きな脅威をもたらすテロとされている。北朝鮮は長年事件への関与を否定してきたが、平成14年、平壌で行われた日朝首脳会談で、ようやく日本人の拉致を認め、謝罪し、再発の防止を約束した。
日本政府が認定した拉致事案は12件、拉致被害者は17人。 北朝鮮政府側はこのうち13人(男性6人、女性7人)について拉致を公式に認めており、5人が日本に帰国しているが、残り12人については「8人死亡、4人は入境せず」と説明しており(2008年3月30日現在)、その後の捜査協力を拒否している。
北朝鮮による日本人拉致問題
氏名 | 性別 | 拉致(失踪日) | 年齢(失踪時) | 失踪場所 | 補足 |
寺越昭二 | 男 | 1963.05.11 | 36 | 石川県沿岸 | |
寺越外雄 | 男 | 1963.05.11 | 24 | 石川県沿岸 | |
寺越武志 | 男 | 1963.05.11 | 13 | 石川県沿岸 | |
加藤久美子 | 女 | 1970.08.08 | 22 | 福岡県北九州市 | |
古川了子 | 女 | 1973.07.07 | 18 | 千葉県市原市 | |
久米裕 | 男 | 1977.09.10 | 52 | 石川県能登町 | |
松本京子 | 女 | 1977.10.21 | 20 | 鳥取県米子市 | |
横田めぐみ | 女 | 1977.11.15 | 13 | 新潟県新潟市 | |
田口八重子 | 女 | 1978.06頃 | 22 | 拉致場所不明 | |
市川修一 | 男 | 1978.08.12 | 23 | 鹿児島県吹上町 | |
増元るみ子 | 女 | 1978.08.12 | 24 | 鹿児島県吹上町 | |
曽我ミヨシ | 女 | 1978.08.12 | 46 | 新潟県佐渡市南部 | |
小住健蔵 | 男 | 1960年頃 | 45位 | 拉致場所不明 | |
原敏晃 | 男 | 1980.06頃 | 43 | 宮崎県宮崎市 | |
福留貴美子 | 女 | 1976.08頃 | 24 | 海外旅行中 | |
田中実 | 男 | 1978.08.08 | 28 | 欧州 | |
石岡亨 | 男 | 1980.06上旬 | 22 | 欧州 | |
松本薫 | 男 | 1980.06上旬 | 26 | 欧州 | |
有本恵子 | 女 | 1983.08頃 | 23 | 欧州 |
2003年11月2日放送の報道2001では司会の「かつて社民党は拉致はでっち上げということをおっしゃっていましたよね」 との質問に対し土井たか子は「そんなことを党として言った事は無いですよ、それはおかしい報道ですねそれは事実と違います」と発言 | 社民党土井たか子「拉致事件について事実と違うことが流布されている影響が有ったのなら選挙妨害だ」(03.11.13)Jチャンネル |
石岡・有本家は日頃から北朝鮮とパイプがあることをアピールしていた日本社会党系の政治家に助けを求めることにした。石岡の家族は札幌市の日本社会党北海道連合にも相談したが、「本部に連絡をする。国交がない国なので口外しないように」と言われた。「国交がないから」という言葉は、それ以降も外務省や様々なところで言い訳に使われることとなる。
一方有本の両親は日本社会党委員長土井たか子の事務所(兵庫県西宮市)に相談。当初土井は有本夫妻に同情する姿勢を見せて暖かく対応したため有本夫妻は安心したが、その後土井事務所からは返事はなくなり、一切連絡が途絶えてしまった。
このため有本夫妻は上京して自由民主党の政治家に助けを求めることを決め、1988年9月、東京都千代田区永田町の衆議院議員会館に自由民主党幹事長の安倍晋太郎を訪ねる。
安倍は夫妻の訴えを聞き届け、当時秘書だった次男の安倍晋三に夫妻を外務省と警察庁に案内するよう命じ、夫妻はここに至って事の次第を外務省・警察庁に伝えることができた。
以後有本夫妻は安倍父子に連絡するようになり、安倍父子はこの問題に取り組むことになるが、1989年6月、晋太郎は癌を発症し入院。幹事長も退任した。以後入退院を繰り返したが、1991年5月、晋太郎は他界した。
後継者となった晋三はに亡父の地盤を引き継ぎ、1993年、第40回衆議院議員総選挙に立候補し当選。以後国会議員としてこの問題に取り組むことになった。
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