サドンブリゲイド 感想

■サドンブリゲイド 感想

■第一章 サドン・ブリゲイドは果たして、TRPGか。

サドンブリゲイドは、今回 90名以上のキャラを作って戦闘を行った。
このサドンブリゲイドは行った後に思ったのは、このサドンブリゲイドは果たしてTRPGだったのかという感想である。

作戦案を立て、キャラを考え、設定を考え、作戦案のままに行動する。
この集団行動戦闘というのは、ある意味で、せっかく作ったキャラの設定や個性の部分が
あまり取り扱われていない。むしろ集団戦闘であるので個性はある意味で排除されてしまう所が
集団戦闘のリアルな部分であると思う。 せっかく設定を作ったのにと思ってしまう部分はあるとは思う。

■集団戦闘の個性

その反面、別の見方もできる。それはこの一軍の中に自分の作ったキャラがいる考えると楽しい部分もある。
戦闘も、今回は弓兵で遠距離で撃ちながら、迫り来る敵を近接部隊に戦うそういう部分があった。
この戦場での動きこそ、ある種の個性であり、複数のキャラが集団で動くというこのゲームならではの
ダイナミックな醍醐味であるとは思うのである。 実際に集団で戦うという巨大な行動を感じさせてくれるようなゲームではある。

このダイナミックな醍醐味はある種の、参加することへの欲求を駆り立たせるものであると思う。
このゲームは、おそらく参加することが楽しいゲームなのだろう。 集団で動くこと集団で何かを成し遂げることの
楽しみがこのゲームの醍醐味であり、参加することへの欲求を駆り立てるものではないだろうか。

そういう意味で、集団戦闘によりキャラの個性は排除されてしまう反面、このゲームは集団戦闘によるダイナミックな醍醐味と
イベントに参加するという楽しさという側面を持つゲームなのである。

■個性の排除された集団戦闘と想像

前述、集団戦闘で排除されたキャラ個性は、ある意味でそこに描写はないがイメージとしては参加者が想像するものであると
思われる。あのキャラはこういう風に戦ったのではないだろうか。あのキャラはどういう表情をしていたのだろうと
それは集団戦闘により個性が排除された事に対して、抜けた穴を参加者はイメージで埋めることができるとは思う。

■第二章 サドンブリゲイドと 幻想交流と設定

■そもそも参加するだけで凄い。

今回、ナガシノさん、シタラさんという姉妹がハママツさんを逃がすために逆襲に出た。
幻想交流は現在で42話目である。
このサドンブリゲイドの召集がかかったのは、40話~41話であり日数にすると大体5日間くらいである。

まず一話 少なく見積もってもA4用紙一枚にビッシリ文字が埋まっているような文字数を一気に41話まで読み
状況を理解し、この幻想交流の状況にあったキャラクターを作り上げると言うのは、はっきり言ってそれだけ難しく凄い事なのである。
設定の資料をまとめたものを提供されていても、具体的な作戦案があったとしても、自らキャラを設定する事はそれだけ凄いことである。
なのでこんな無茶なゲームにイベントに参加した人はそれだけ凄いと言える。いや本当に。
もっと凄いのは、これを5日間でやったということである。

■物語に介入するということ ー 想像力

さて、今回のゲームおそらく多くの人が明らかに頭によぎったのは幻想交流という世界に介入すると言う事である。
介入とはいえ、実際は現地人として介入することである。 しかしご存知のように、異世界支援企業 NEFCOを筆頭に
この物語は、NEFCOからも見られている、NEFCOのある世界の住人からの視点も考えなければいけないのである。
つまり、明らかに何か他の勢力であると意図された行動は、そもそもNEFCOに怪しまれる危険性が高いのである。

これ以外にも、現地の人として戦う以上は、現地の人に怪しまれない設定を作らねばならず、頭の先か爪先まで現地人というような
感じのキャラを作らねばらない。必然的に、幻想交流をよく知っていなければいけないのである。

これには、キャラを作る参加者でさえ、結構な想像力が必要であり、指揮官はそういった旅団を即席で作らねばならないという企画力。
想像力が求められるのである。

■物語に介入するということ ー 謎的な意味

物語に介入する事、高機動幻想ガンパレード・マーチでは、有名な単語。介入者。この介入者という言葉は、
実は、歴史介入者という意味でそのまま普通に無名世界観参加者にとっては、あまり聞きたくもない単語
「時間犯罪」を想像するであろう。
さてここで重要なのは、今回の介入は時間犯罪なのだろうかと考える。おそらくそれは違うだろうと思われる。

現地の人間が勝手に動こうが、現地の人間がナガシノ、シタラ姉妹を助けに行こうと
奮い立つ事自体は、NEFCO側から見ても、希望世界側から見ても、違和感はあまりないだろうと思わなくない。

世界というのは、人類の知らない所を多く含んでいるものである。それは人類が知らないのであるから歴史にも記されることはない。
つまり歴史とは、暗闇でスポットライトあたった場所であり、それ以外は暗闇であり何が起きたかということは気づきようがないのである。 現地の人も気づかないし、未来の人もおそらく気づかない。

この歴史の空白に介入するという形で、可能性という他世界から情報の流れに乗り、我々は現地人として
この世界にやってきたのである。可能性には未来も過去もなく、あるのは純粋のそのものの存在である。
つまり可能性による介入には、未来も過去もないと言う事であるの時間犯罪かというとそうかもしれないし

しかして歴史の空白や、歴史に違和感なく介入しているしている点(後述)する点において。悪質な時間犯罪からは遠いものであると思わなくもない。
どちらにせよ世界は他世界の影響を常に多分に受けており、希望世界と交流するNEFCOのある日本の
行動が時間犯罪かというと難しい所はあるのである。逆に時間犯罪とするならば、ワールドタイムゲートから流れる他世界の
影響も時間犯罪ということになってしまうし、それは単純に可能性のやりとりだろうと考えるのである。
(思うに、可能性のやりとりは確かに世界そのものを変えてしまう事であるが、そこには連続性があり、時間犯罪というのは
その連続性を引きちぎることであると思われる。)

ただそれは、プレイヤーの作ったPCの設定次第で、今まであった美味しそうな鍋料理に辛いキムチ大量にぶち込むようなものであり
その世界を激変させ世界の存続すらも危ぶむくらいの危険性も持っているのである。
ゆえに現地人という介入しなければならなく、その世界を激変させないようにする配慮が必要なのである。
今までの無名世界観作品の多くが結果的に、最後にその世界はその世界の人達に返すという事で終わっており
我々、介入者は、その世界の支配者でもない。ただの現地人のプレイヤー(演技者)なのである。

■幻想交流の設定

幻想交流の設定。これについては、この感想の筆者がまとめてはいるが、後から色々あれどうだったっけとか思うくらい
多くて、整理してないとはっきり言って、いきなり言われても無茶なレベルくらいに多い。
自分も正直今回いきなりであったので、どれが必要な情報か把握できず、なおかつ;
どれをしてはいけないか辺りも、わからなかった部分もある。まあ無難な所を選ぶのは大事である。

それだけ芝村さんの設定が多いということであるのだが、この設定を理解し、状況にあった無難なキャラで
なおかつ戦闘に勝利する部隊を作るとなるとこれは正直並大抵のことではない。

編成能力も必要であるし、作戦についてもアイデアが必要なのである。 つまりこのゲームは非常に幻想交流への設定理解と
想像力と、計画性と、考察力、感性、指揮官能力が求められるものである。
それはただ1人では難しく、皆で協力する事で成し遂げられるのである。

 

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2016年07月22日 12:41