住居・建築


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

「朝鮮に瓦屋根の家はなく、二階建ては技術的に作れなかった」?

まず屋根に「瓦」を使えるのは両班で、瓦屋根の両班の屋敷はイザベラ・バードの朝鮮紀行にも普通に出てきます。
これは琉球等でもそうで、庶民は藁葺、士族は瓦葺。江戸は防火の為に非士族にも瓦屋根が特別に許可されていました。
朝鮮では100間以上の規模の屋敷を持つのは王族に限られました。どんな両班でも王族でなければ99間が限度。そして王宮を「見下ろす」様な二階以上の高さのある住居は作れませんでした。高い建物といえば王宮内の慶会楼(キョンフェル。シナ使節を接待する宴席等で使われた)くらい。


「朝鮮では水車が作れなかった」?

件のコピペでも王が作れと命じた、とあるんだから作る事はできたってこと。通信使の記録でもつくりは繅絲車(いとぐるま)と同じ、と見ており、巨大さや複雑さに感銘を受けている。朝鮮王朝実録でも作ったのは確実なのに何で普及せずに失伝したかと言えば、農地整備がされない上に李朝末期の禿山だらけという状況で、木製の公共物など残りはしないだろう。
一応韓国で水車を初めて作ったのは朴趾源(熱河日記で朝鮮での車の普及しなさっぷりを嘆いた18世紀の実学者)となっており、政争に負けて赴任した慶尚南道の咸陽が「水車村」として有名。
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。