海鳥の君

 母なる大海に浮かぶ、巨大な戦鳥。
 ワリウネクル諸島連合が総力をあげて開発した高速迎撃機スマウコロだ。
 不釣合いなほど大きなエンヂンを頭に載せたこの飛行艇は、とにかく離水できないことで有名だ。
 酷い時には三海里は海面を走らなければならなかった。
 とにかく面倒をかけさせる機体で、私たち関係者からは『姫様』なんて渾名をつけている。
 しかし、そんなお転婆姫でも、愛着をもつものだ。
 いや、お転婆で手間がかかるからこそであろう。

 エンヂンだけでも、とにかく問題が山積みだ。
 シリンダーの冷却不足。
 減速ピニオンギアの破壊。
 クランクシャフトの強度不足。
 パッキンの能力不足で、しょっちゅう何かしらが漏れている。
 
 とにかく問題点を挙げればきりがない。

 機体本体にしても、あまりに巨大なエンヂンを頭の上に置いたので、着水した瞬間バラバラになりそうになる。
 そうはいかなくとも、パイロットは大量の海水を被ることになる。
 エンヂンに被れば錆地獄を警戒しなければならない。
 
 海水とは切っても切れない縁とは言え、勘弁して欲しいものだ。

「ラモチャカ曹長」

 姫様の片割れが、私を呼んでいる。
 スマウコロが癇癪な姫様ならば、こちらは注文の多い我侭な姫様だ。
 スマウコロの試験飛行士である姫様の名は、カナラ少尉だ。

「何かようですか?」
「エンヂンから、また油が垂れだしたぞ」
「またですか……ゴムを交換してもすぐに漏れますね。
やっぱりゴムの成分に問題があるようで、油がゴムを食べるんですよ」
「私に言うのか、それ」
「ふぅ……これは技術者の仕事ですね」
「私も報告書を纏めるか。後で読んでくれ」
「了ー解であります」

 桟橋の彼方へと去っていくカナラ少尉の後ろ姿を見送る。
 私はスマウコロのエンヂン室を開けた。
 
 確かに油だらけだ。
 青色の油がエンヂンをビショビショにしている。
 こいつのエンヂンの冷却と潤滑油として、燃料に大量の油を混ぜ、噴射させているのだが、それが良くないようだ。

 スマウコロ専用に配合された特別燃料は、とにかくあらゆるものを食い荒らしていく。
 特に酷いのは、有機物にふりかかった時だ。
 おかげさまで私の腕はボロボロである。

 防護手袋と防毒面、防毒服を着込んで洗浄する。
 一心不乱に油を流し落とす。
 幸い、この毒性の強い油は、海水にはいると無害化する。
 非常時には海水をぶっかけるのも有効だ。
 その後の整備が地獄になるわけだが。

「……」

 いつの間にか、カナラ少尉が戻ってきていた。
 木造の机と折りたたみ椅子を引こずっている。
 カナラ少尉は、私の作業している後ろで報告書を書き始めた。

 波が桟橋に打ちつけられ、泡末と消え去る音が心地よい。
 クルカたちのさえずりが聞こえる。
 私はここの空気が好きだ。
 つりこともたくさんあるが、それでもやはり、好きなのだ。

「ラモチャカ曹長」
「何か用ですか」
「報告書が埋まらない……」
「今度の左遷上司も不適材不適所ですから、適当に専門用語を無駄に多用して似たような文でつなげれば良いんじゃないですか?」
「それもそうか」

 悲しいかな、我らが上司様は技術畑の出身ではない。
 どちらかといえば文官で政治屋だ。
 今一つ話があわない。
 以前には馬鹿でもわかるよう丁寧に説明したのに、そのエセ政治家はには、「けっきょく飛べるのか飛べんのか!」と怒声を飛ばされた。
 スマウコロは中々飛ばないのに、こんな言葉ばかりはよく飛ぶ。

 上層部は、この姫様を速いだけの取り柄のない戦斗機として、失敗作扱いだ。
 だが、私の評価は違う。
 これは……スマウコロは、ワリウネクル諸島連合の誇る工芸品だ。
 ワリウネクル諸島連合が自力で開発した技術のみで作り上げた、最高の飛行機械なのだ。
 諸島連合の誇りの筈なのだ……。

 そしてその誇りは、最高のパイロットであるカナラ少尉という部品を組み込むことで初めて完成する。
 …………人間を部品扱いしている時点で、人間失格か。
 だが、人間を組み込むことで初めて最高の機械であるスマウコロになれることに間違いはない。

「ラモチャカ曹長。姫様は、また動けそうか?」
「動かしますよ」
「そうか。姫様に好かれているようだな。それともラモチャカ曹長の一目惚れか?」
「両方です。両思い中です」
「まったく……焼けるな」
「人間の女の子と過ごしたいですがね、私は」

 私だって、流石にスマウコロと結婚したいわけではない。

 チラリと、カナラ少尉の顔をうかがう。
 頭を抱えながら、報告書を殴り書いていた。

 太陽で浅黒く焼けた肌は、まさしく海の乙女といった風だ。
 鍛え上げられた筋肉質な腕と腹筋が見えている。
 暑いからか上半身の服は脱いでおり、腰にくくりつけていた。
 上半身に着ているのは、胸元を隠す下着だけだ。
 その下着さえも蒸れるのか、カナラ少尉はパタパタと掴んでは風を送り込んでいる。
 
 時折、桃色の突起が見え隠れする。

 カナラ少尉は、とても魅力的であることは認めよう。
 だが……私の好きなカナラ少尉は、やはり全力で空を飛ぼうとしている姿だ。
 私が彼女の重しとなって、翼を羽ばたけなくさせたくはない。

「なぁ、ラモチャカ曹長。お前、私のことが好きか?」
「答えませんよ」
「そうか」

 答えないというのが、私にできる精一杯の表現だ。
 本当は好きだ。大好きだ!
 だがそれは、絶対に口にはできない。
 してはいけないのだ。
 
 それは、私もカナラ少尉も、不幸にしかならない言葉だ。 

最終更新:2015年01月30日 16:25