血と油、鉄と肉の混じる戦争の中で、何も知らず、散っていく。
それが、この星での定めである。
先祖たちが辿った道。
その道は生物にとって不可避の道。
決められた道にして運命である。
何もない岩だらけの荒野に、巧妙に偽装された秘密基地がある。
簡易を通り越して粗末な滑走路。
物置と何ら変わらない小屋。
岩をくりぬいて作られた、耐爆格納庫。
年季の入った、大きな鳥のような愛機、ヴェーリャ363。
そして、大きな日傘を荒野に突き刺し、日光を遮りながら読書をしているのが、ここの主人で、私だ。
帝國平民騎士、シーファ・フォン・ハズバンド飛空士。
戦斗機乗りであり、“帝國の怪鳥”と連邦には恐れられている。
実際の撃墜機数は水増ししたものであるのに……まぁ、勝手に恐れてくれるのは良いことだ。
騎士なんていっても、準騎士以下の、騎士とは名ばかりの階級である平民騎士。
平民でもなれる騎士なのだから、価値はしれている。
貴族で平民騎士なんて、お笑いにもならない、嘲笑の種になるだけだろう。
木製の椅子を軋ませながら、無線機から流れてくる音楽を聴いていた。
曲は、敵対国である連邦の歌、『愛しきあなた』だ。
昨日は『くたばれ帝國皇帝』だった。
この飛行場──こう呼んでいいのか迷うが、便宜上である──にいるのは私と364のみである。
任務は城塞都市メギドの監視。
連邦の対帝國最前線である。
つまり、私よりも前には友軍なんていないという事だ。
しばし歩き続けられれば、敵さんこんにちわ、である。
ここでの楽しみは三つ。
威力偵察でメギドに贈り物を落とすこと。
連邦の歌謡曲を盗聴して聞くこと。
補給物資を新鮮なうちに食べること
こんなにも楽しいことで溢れているのだから、誰か代わってくれと、私は常々考えている。
勿論、交代要員も予備の人間も送られてきたことは一度もない。
幸い今日は威力偵察で飛べるが、それ以外の日は最悪だ。
雑音交じりの無線と仲良く、時折吹く砂が多分に交じった風を浴びているしかない。
本当に何もすることがないし、ここは最悪だ。
食べて糞して寝るしかない。
だから私は、威力偵察を待ちきれず、少し切り上げた時刻に363を叩き起こす。
操縦席に飛び込み、363の生体エンヂンに電気信号を送る。
たちまち生体エンヂンが、心臓の大きな鼓動とともに、浮力を生み出し始める。
かつて大空を飛び回っていた生物のなれの果て、不要な生身の部分は全て切除された肉の塊。
今は皮膚として鉄板を打ち付けられ、戦斗機になった相棒の機嫌はよろしくない。
おいおい、拗ねるなよ。
私は優しく、生体エンヂンの出力を上げるように促す。
ふわり、と垂直に上昇する363。
だがすぐに地面に抱きつく363。
強烈な衝撃に、少々首を痛めた。
こりゃ、そうとうに怒ってるな。
もう一度、生体エンヂンの出力を上げていく。
今度は363も素直に言うことを聞き、高度があがり始めた。
良い子だ。
十分な高度に上がると、巡航速度まで一気に加速する。
急な横向きの加速に、私は座席に押し付けられるが、寧ろ上機嫌である。
これこそ、飛ぶという事である、と満足しているからだ。
363の翼……生体エンヂンがみっちり詰まった部位……に括りつけられて、はためいているのは識別旗だ。
黒地に金の目が刺繍された識別旗こそ、帝國の怪鳥を示す識別旗である。
363の生暖かい操縦席で、透け透けになっている下方を見る。
視界確保のために多くの面積を硝子張りにされた操縦席は、中に人間がいることなど考えていないとしか思えない。
ただ、眺めだけはいい。
かなりの高度をとっている為、大きな松明が光っているようにしか見えない目標を発見する。
荒れ果てた面白みもない景色が延々と続く中での、僅かな変化。
それこそが、城塞都市メギドの光である。
時機に日が沈む。
太陽とは逆の向きから、メギドへの接近を試みる。
昼間ならまだしも、夕方の弱った太陽光では、機影がくっきりと映ってしまう。
すでに、二つの月が昇り始めている。月の位置にも注意しなければ。
メギドへの接近には危険が付き物だ。
メギドの対空陣地に喧嘩を売るのは楽しいが、そのせいで相棒がハラワタをぶちまけてしまっては可哀想である。
まあ、まともな夜戦乗りが不足している“今まで”は無傷ですんでいる。
今回も大丈夫という保証はないのではあるが。
今回の武装は、在庫整理。
明日には補給物資が届く予定──補給隊は平気で一週間くらい遅刻するが──なので在庫整理である。
主な武器は機首に五門が集中している、五二型機関砲。弾頭は徹甲、榴弾、徹甲、榴弾、曳光。
適当に弾を詰めているので、もしかしたら別の弾頭も交じっているかもしれない。
他には小型対艦噴進砲が十二ある。命中率はすこぶる悪いが、瞬間火力はあるし、機関砲よりも少しだけ射程が長い。
対空陣地を叩くには使えるのだ。
それと、操縦席に持ち込んでいる手作り集束爆弾が一個。
363の高度を一気に落とす。
急激な気圧の変化で耳がおかしくなるが、無視。
地面ギリギリで機首を引き起こし、超低空からメギドへと突撃する。
これで連邦の対空砲は、高速で飛び回る戦斗機を捉え続けるために大きく砲座を動かし続けなければならない。
それは単位時間当たりの面積に送り込む砲弾の量が減るし、信管の調整も難しくなる。
連発銃の心配があるが、総合的にはこっちの方が生還率は高い。
私は363の生体エンヂンから生まれる反重力を器用に調整しながら、364の鉄の肌が時折岩石に擦るくらいの超低空を飛び続ける。
あとは簡単な仕事である。
古代の騎士たちと同じように一心不乱に突撃し、反撃を観察すれば良い。
全力の火力を叩き込み、どの程度の戦力を展開しているか図るのが仕事だ。
ただまあ、敵さんも充分にそのことを学習しているようで、最近はまったく飛び上がってこない。
楽しい遊覧とかしているのだ、実質には。
悪いことではない。
戦争といえども、殺し合ってばかりいても疲れてしまう。
少し長い休暇と思って楽しむだけである。
私がいて、相棒の363がいて、共に空を飛んでいる。
それで充分ではないか。
鼻歌を交えながら、夕焼けの空を、相棒とともに駆ける。
日が沈みかけているせいか、少し肌寒い。
それでもやはり、空は美しいと思えた。
地上では幾らでも殺し合いが続き、血が流れている。
あるいは夕焼けが赤いのも、今日もどこかで血が流れているからだろうか。
旧文明が遥か太古に滅び去ったのは、私だって知っている。
各地で埋まっていたり旧市街地にいる旧兵器を見るに、古代人たちも際限のない戦争をしていたのだろう。
旧文明から受け継がれたものは、ほとんどない。
かろうじて発掘品を一部が流用している程度だ。
文化は、ほとんど何も継承されていない。
唯一継承されているものといえば、それは戦争であろう。
太古の文明の後に残されたのは、戦争だけだ。
じきに太陽が沈む。
地平線の彼方に消える太陽を見ながら、感傷にふけていた。
太陽や月は、ずっと地上を見続けているのだろうか。
生まれ、そして死ぬその日まで、全てを見ていたのだろうか。
ならば教えて欲しいものだ。
世界が今、どうなっているのかを。
旧文明は本当に、戦争しか残せなかったのかを。
今の私たちよりも遥かに進んだ科学力をもっていたのだから、兵器ばかりでなく、より平和的なものにしか使えない何かを残して欲しかった。
少なくとも今発掘されて使えるのは、兵器ばかりだ。
「お前はどこから来たんだろうな」
私は363に語りかける。
363の素体も、多くの帝國製兵器がそうであるようにスカイバードを利用している。
遥かな天空を浮遊する、古い神々の末路だ。
363は何を見てきたのだろう。
不運なことに、今は私と運命共同体だ。
私が死ぬときは、ともに死んでもらう。
だが363が死ぬとき、私も死のう。
「夜か」
今すぐにでも、太陽は地平線に、その顔を全て隠そうとしていた。
そんな時に無線機が珍しく何かを受信する。
友軍機ではないことは確かだ、
帝國軍の地上無線基地以外に、ここまで届く出力の高い無線は送れない。
そしてこのあたりに帝國の無線機地はない。
敵か?
いや、違った。
歌姫の、歌声だった。
「脅かすんじゃないよ」
スカイバードが、歌っている。
私はその居場所を探した。
歌声からして、ラムスピカだろう。
帝國造船局などでよく聞く声だ。
居た。
やはりラムスピカだった。
細く長い尾を二本伸ばしている。
発光しながら、「星の涙」と呼んでいる光の粒を零しながら優雅に飛んでいた。
親子連れのようだ。
大きなラムスピカを中心に、中くらいのが二人、小さいのが一人飛んでいる。
「ラムスピカの親子愛が強いのは、本当だったか」
家族か。
私の家族は、帝國そのものだけだ。
血の繋がりのあるものたちは、全て私が家族であることを否定する。
好奇心旺盛な、小さなラムスピカが、私の搭乗機である363に近づいてくる。
よほど興味深いようだ。
中々、離れてはくれない。
いつ、ぶつかってくるかヒヤヒヤした。
ただ、この小さなラムスピカは363に興味津津だが、363にはその気はないようだ。
すましたように、無視している。
むしろ鬱陶しいのか、小さなラムスピカを追い散らそうと、操縦を奪おうともしていた。
大人気ないやつだ。
しばしの間、ラムスピカの親子とともに遊覧飛行に興じる。
メギドへの威力偵察のことなど完全に脳裏から消した。
あってもないような任務を、『帝國の怪鳥』がいるからと無理矢理ねじ込んだものなのだ。
どうせ、私のだす偵察報告書は全て燃やされなかったことにされる。
私の上官としては、任務があったという事実で、そのために支給される予算が大切なのだ。
どれほどの報告があっても、対処する気は、はなからない。
……連邦の工作員か何かじゃないのか?
そんなことを考え、ふと地平線を眺めた。
太陽の光が薄く、地平線を包み込むように伸びている。
……………ん?
黒い点が動いている。
飛行機だ。
この形には見覚えがある。
敵機。
連邦の偵察機である、ガルダだ。
縦に長い機影は、363の姉妹機であるヴェーリャ364に少し似ている。
ガルダに武装はないはずだ。
近づいてくる。
私は何もしない。
どちらにせよ、攻撃してくるならば叩き落とすだけだ。
ガルダがこちらに気づき、慌てて急降下に移る。
慌てんぼうめ。
こちらには攻撃の意思はないよ。
チビのラムスピカも、不思議がっている。
ガルダが、また近づいてくる。
今度は、私の機の真横だ。
ガルダは、ラムスピカに近づいていく。
私の機体を追っているのではなく、ラムスピカの歌声に導かれただけのようだ。
なんだ、私と同じじゃないか。
連邦パイロットの顔が見える。
「……」
不思議な光景だ。
クランダルト帝國とアーキル連邦。
戦争をしているはずなのに、今はラムスピカとともに空を飛んでいる。
とても、殺し合う勢力同士とは見えないだろう。
そして、しばしの間、ともに空を飛んでいた。
何かを語るのでもなく、何かをするのでもなく。
ただ、飛んでいたのだ。
ラムスピカの歌に耳を傾けながら。
連邦パイロットが、私に対して敬礼をおくる。
私もまた、最上級の敬礼を送り返した。
上級将校にもしたことのない敬礼だ。
なぜか、『仲間』だと感じだたのだ。
ラムスピカとともに秘密を共有する仲間だ。
どうしてだろうか?
なんとなく、あの連邦パイロットの心? もしくは考えていることがわかった。
はっきりとしたものではない。
ただ……敵意はないと、感じられたのだ。
ラムスピカたちが、見ている。
私と連邦機は、どちらからともなく、機体を大きく傾けて離れていく。
ラムスピカは戸惑っていたようだが、すぐに親のもとへと戻っていった。
不思議な感覚だった。
小さな笑みが零れていたことに驚く。
「何をしてるんだろうな、私は」
遠くでは、ラムスピカの親子が並んで飛んでいる。
同じ空を飛んでいる。
空は、一つしかないのだ。
クランダルト帝國。
アーキル連邦。
スカイバード。
誰もが、同じ空をかけ、同じ空で命を散らす。
当たり前のことだ。
ただ、それだけのことなのに、チビのラムスピカを見たせいだろうか。
少しだけ、感傷的になっているようだ。
「あっ」
兵装を捨てるのを忘れていた。
着陸の衝撃で誘爆しかねない。
それに一発も撃たずに逃げ帰るのは、腰抜けだと思われるだろう。
適当に捨てて帰るか。
私の不名誉な生から、名誉ある死を届ける刺客と撮影者がいつ見ているやもしれない。
せめて戦ったとして撃っておかなければ。
平民騎士なんて楽なものではない。
貴族のなりそこないで、上にも下にもやっかみがられる。
本当に、何で生きているのだ、と聞かれる。
辛いものだ。
生きる価値を否定されるというものは。
私は、スカイバードのように、自由に空を飛んでいたい。
今はあまりにも、地上での鎖が重すぎる。
それでも、鎖を引きずりながらでも空を飛べるのは、幸せか。