大怪獣クルカ

 誰も、『それの存在』を知らなかった。
 誰もが、比較的無害な動物だと思っていた。
 多少悪戯がすぎるところもあるが、それでも、愛玩動物的な非常食だった。
 しかし……しかしだ。
 その日、人々はその認識を改めざるをえなかったのだ。
 あれは……怪物、だったのだ。

 最初に遭遇したのは、どうやらワリウネクル諸島連合の軍人たちだったようだ。
 正式な遭遇記録は残っていない。
 彼らの乗っていた船は、今も浅海の底に、バラバラとなって沈んでいるからだ。
 救助された者たちの証言はある。 
 だが到底、信じられるものではなかったのだ。
 査問員会が開かれ、最終的には『クルカがエンヂンの部品をかっぱらったのが原因の事故』として片付けられた。
 ただ、査問を受けたものたちは口々に言う。
「怪物が現れた」、とだ。

「マルテ航海士。本査問委員会での発言は、全て記録として残る。全ての発言は、全くの嘘偽りがないと誓うか」
「誓います。イシルパ委員長殿」
「それでは貴官が搭乗していた、可潛通報艦カリブカムイに何があったのか教えてくれ」
「はっ。本艦は同級の可潛通報艦であるマタカムイと共に、フォウ王國沿岸地帯……流氷危険地帯での哨戒活動に出ていました」
「その付近では、流氷は頻繁に確認されるのかね?」
「その通りです、イシルパ委員長。私は駆逐艦乗りでしたが、水上艦での航海は不可能です。しかし御存知の通り、可潛通報艦の建造で、同海域への進海が可能になったのです。海底スレスレ、深度二十メートル付近までは、流氷も届きませんから」
「可潛通報艦の待機深度は、深度十メートルとされていたはずだが?」
「それは、流氷危険海域を知らないからです。流氷は深度五メートル付近まで氷塊を海につけているんです。荒れた海の表面で浮き沈みし、深度十メートルでは沈没の危険性が極めて高いのです」
「では、規定を破り海底付近にまで潜っていたのだな。カリブカムイは海底に座礁したのではないのかね?」
「ありえません。我々はあの海域の海図を、五年以上に渡って調査しているのです」
「完璧ではないだろう」
「潜水部隊が命懸けで調べてきたものを、私は信頼しております」
「予定外の暗礁の可能性もあるのではないのかね? フォウ王國は現在もあの海域を射爆場として、我国の水上艦に見立てたハリボテを攻撃する訓練を続けている。不発弾、標的の残骸も少なくはないだろう」
「……」
「本査問を終了する。次は──」
「イシルパ委員長殿」
「──何かね?」
「私は、カリブカムイが冷たい海水に浸され始めた瞬間、音を聞いたのです」
「何を聞いたのだ」
「何か……そう、何か悪意のある音です。鉄の軋む音、仲間たちの悲鳴と怒号の中で、冷たくなる体を震わせていました。あれは……たぶん、何らかの生き物です。もしくは旧兵器かも。私たちが知らない何かが、海にはいます」
「海は広い。海洋性の旧兵器の報告はない」
「海底に腹を擦ったのではありません、断じて。何かが、船にぶつかったのです。そして、へし折った」
「そうか。マルテ航海士を連れて行け」
「怪物です! あれは怪物だ! 怪物に襲われたんです!」

 後日。
 マルテ航海士は、軍精神病院への入院を余儀なくされた。
 その後の消息を知る者はいない。
 確かな情報は、軍精神病院で途絶えていた。
 しかし、マルテ航海士の姿を見たものがいる。
 銛砲を備えた船をだし、『怪物』を追う狂人としてだ。
 誰もが、マルテ航海士は多くの仲間を目の前で、海の神に連れ去られてしまい、おかしくされてしまったのだと言う。

 この奇妙な沈没事件は、単なる船員たちの過失となった。
 規定の改定と遵守の徹底により、その後に事件が続かなくなったこともあり、『悪しき経験』としての例として以外は、人々の記憶からは消え去ってしまったのだ。
 この時に一度、怪物の情報は途絶えてしまった。
 それが再び姿を現すのは、実に三十年後のことだ。
 ワリウネクル諸島連合と海を隔てた隣国、自由パンノニア共和国の港湾都市で姿を現す。
 世に怪物の正体が知られるに至ったのは、この『ナール事件』からだ。
 
 怪物の正体は、私たちに馴染みのある姿をしていた。
 浮遊器官を詰めた木ノ葉型の二つの腕。
 蛇のように足のない胴体。
 歩くときに使う三本足の動き。
 何を考えているのかわからない、虚無の瞳。
 そう──クルカだった。
 しかし、クルカというのには、それはあまりにも大きすぎた。
 怪獣クルカの大きさを比べられるものは、どこにも存在しないほど、大きいのだ。
 どの建築物よりも、数十倍は大きいのである。
 怪獣クルカは、ただ……そう、ただ上陸してきた。
 それだけで、ナール事件となったのだ。
 何かをしていったわけではない。
 通過地点に、ナールの港があっただけなのだ。
 怪獣クルカがナールを通り、ナールは消滅した。

 前代未聞の事態を前にしてなお、精鋭集いし自由パンノニア防空軍の動きは速かった。
 かき集められるだけの全戦力をかき集め、この怪獣クルカの迎撃にまわしたのだ。
 それは、正しい判断だった。
 怪獣クルカを放っておけば、間違いなく自由パンノニアも、ナールと同じ運命を辿っていただろう。
 しかし、間違った判断だった。
 
 怪獣クルカを前にすれば、かつて自由パンノニア共和國最強の空中戦艦であったイシュトヴァーンの巨体さえ霞んだ。
 猛爆、猛爆に続く猛爆。
 帝國侵攻期にも投下されたこともないような鉄と熱の暴風。
 いかな生物も、たちまちのうちに肉塊になるに充分な量のはずだった。
 だが、怪獣クルカは違った。
 そのブヨブヨとした表皮には傷一つなく、周囲を旋回する空中艦隊を煩わしい羽虫のごとく叩き落とし始めたのだ。
 錯綜する無線。
 狂乱状態にある兵士。
 不屈の精神で怪獣クルカに立ち向かった勇猛果敢な兵士たちの限界であった。
 怪獣クルカの怒りに触れてしまったのだ。
 七日に渡って、怪獣クルカは暴れまわった。 
 自由パンノニア共和國は壊滅。
 完全に國が滅ぼされるのも、時間の問題であった。
 しかし、そうはならなかった。
 怪獣クルカの気が晴れたのか、あるいは気紛れか。
 再び、海へと帰っていったのだ。
 
 この事件により、各國は多かれ少なかれの動揺を見せた。
 特に、北半球の支配者であるアーキル連邦では、最優先調査対象として、『討伐艦隊』が派遣された。
 逆に、南半球の覇者であるクランダルト帝國では調査はするが、傍観を決め込んでいるようだ。
 帝國が動くには、北半球で怪獣クルカを『撃破』する必要性がでてきた時であろう。
 多くの國家を混乱の淵に押しのけた、怪獣クルカの存在には謎が多い。
 太古のクルカ族であり、原始スカイバードとのより強い関連性が示唆されている。
 
 しかし……特筆するべきは、怪獣クルカによって、世界そのものが同じ『災厄』の解決に乗り出そうとしていることである。
 南北の接触以来、百年以上の戦争が続いていた。 
 休戦も停戦もない。
 だが、変化があった。
 怪獣クルカを、『旧兵器』として対処しようという動きが、世界中で多かれ少なかれ存在しているのだ。
 つまりは、従来のように『双頭協定』が前線の交戦部隊でのみ適用されていたのが、『國家間での共闘』へと発展しようとしている。
 これは、今までの大戦争を一時的とは言え、『完全に休戦』することを意味するのだ。
 怪獣クルカの脅威は、旧兵器よりも高いものになるだろう。
 旧兵器は、積極的に人類圏を攻撃してくることはない。
 少なくとも、今まではそうである。
 しかし、怪獣クルカは違うのだ。
『人類絶滅の危機』と声高に叫ぶものがいるが、それを否定するだけの安全性は存在しない。
 
 人類は、南北の垣根を超えることを求められているのかもしれない。

 


 
 

最終更新:2015年07月20日 10:44