アナンサラド史

1.サラド氏族

もともとサラド氏族はマン王国にとって国土の北方に跋扈する遊牧民のひとつとして認識されていた。
ながらくシスバル辺境伯領がこの蛮族の侵入を抑え込んでいたが、ヘッラ・ホブルスによって統一されたサラド氏族による略奪は苛烈を極め、
マン王国はヘッラにシスバル辺境伯領の一部であるノボチア城とその周辺の土地を与え、ノボチア公として封じた。ノボチア公国の興りである。

 

2.ノボチア公国

マン王国の北方に位置するノボチア城を中心とする封土。
マン王への忠誠と引き換えにサラド人が得た国土である。
それまで遊牧を中心としていたサラド人が定住を始める切っ掛けとなった。
ノボチア公はマン王の臣下としてテナー首長国やパンノニア王国との戦争に幾度か出征している。主に騎兵を供出した。

ノボチア公に任命されて以降、北方への領土拡大を進め、ウルマーク族、イノン族、サルマール族、ドール族を平定した。
初代ノボチア公ヘッラ・ホブルスはマン王国に倣った徴税機構を導入し、複数の州が設置された。
これに加えてノボチア公国に恭順を示した氏族は伯として封じられた。
この時点での領土意識は乏しく、のちに伯領の大部分が州に蚕食されることになる。

マン継承戦争では反パンノニア派に付き敗北したが、ノボチア公国の領土が戦場になることはなかった。
ノボチア公国へ落ち延びたマン王国の第二王女と婚約し、ノボチア王、マン王を称し、ノボチア王国の建国を宣言すると共にマン王位の正統な後継者を僭称した。

 

3.ノボチア王国

パンノニア系であるビンドボナ朝マン王国とは永らく戦争状態にあった。
ノボチア王国の王位はサラド氏族ホブルス家が独占した。
ホブルス家はサラド氏族のなかでもマン人との混血があり、長く王位の正統性を主張していた。
この状況を打破したサラド氏族イブリール家はサラド人的な統治を開始し、国号をノボチア王国からアナンサラド王国とした。
なお、マン王位の所有はその後も主張し続けている。

 

4.シスバル辺境伯領

マン王国の北部を形成する領土。
王国北方からの蛮族を撃退するために建設されたシスバル城塞を中心とした。
ノボチア公国が成立して以来、その価値は相対的に低下した。
シスバル辺境伯家はサラド氏族ホブルス家との間で婚姻関係があり、最終的にはホブルス家が辺境伯を継承した。マン継承戦争では反パンノニア派についた。
南部を失陥したものの、シスバル城塞は堅持された。この後、シスバル辺境伯はマン王の臣下でありながらマン王(ビンドボナ家)に敵対する状態が続いていた。
シスバル辺境伯は事実上、マン王国からは独立しノボチア王の臣下として活動していたがマン王国はそれを認めていなかった。
ビンドボナ朝マン王国とノボチア王国との間で結ばれたオズレナの和約によってシスバル辺境伯領はシスバル辺境伯国として独立し、
以後、如何なる国にも従属しない、という取り決めが結ばれた。
これによってシスバル辺境伯は独立を獲得した。

 

5.シスバル辺境伯国

ノボチア王国とマン王国の間に位置する小国。シスバル城塞を中心としている。
クランダルト帝国の北進によってマン王国が滅亡すると、ノボチア王はオズレナの和約が無効であると宣言し、シスバル辺境伯国をノボチア王国に組み込んだ。

最終更新:2016年02月20日 19:23