Orbitta Parle:対立の惑星

 振動が激しい。酷い頭痛に悩まされたときのように頭を取り巻く不快感と、独特の低周波音。それが座席を伝わって、体を内側から揺ゆさぶる。誰かが見た窓の外は、数千度のプラズマで真っ赤に燃え上がっていた。二匹のクルカの顔面前には、見事吐瀉物の海ができていた。
「ほ、本当に大丈夫だよねぇ?」
 生化学者で医者のミトが小さく呟いた。それは大気圏突入の恐怖を和らげるため、自分自身に言い聞かせるものだと思われた。
「……自分の祖国の技術を信じろ」数秒ののち、機体の制御を管制していた機長のダウードが低い声で嘲笑した。「こいつは良い機体だ。反応性は良好で下手な爆撃機より素直だぜ」
 それにだれも返さず、船内にはふたたび沈黙が戻った。重低音が機体を包む。それはさらに数分間続き、その間誰も声を発さなかった。ふとクルカの方を見ると、二匹とも失神していた。簡単に気絶できない五人は、この無限に続くかと思われる緊張の時間をただひたすらに耐えるしかなかった。

 次第に窓を包む炎が消え、晴れあがったシアン色の空が窓の外を支配し始めた。
「高度約12レウコ、飛行速度2000テルミタル。突入減速フェーズ終了、これより高空巡航モードに切り替える。安定翼展開および低圧ターボファンエンジン起動。最優先着陸目標地点”ゼタ”まで約1時間ある。各センサー類、展開してくれ」
 ダウードのアナウンスの声には、安堵の色が混じっていた。
「了解ぃ、エアロゾル収集装置と対地レーダーを動かす。クルツ、レーダーの処理をやってくれ。ビーチで日光浴してる旧兵器とか面白いもん見つけたら言ってくれな」
 軽いジョークで機内の空気を温めた彼は、物理学者のエディである。エディの依頼に応じて自席のパネルからレーダースクリーンを起動したクルツは気難しい地質学者だ。
「メロカ、”突入の影”はすでに突破したはずだ。通信はどうか」
「待ってくれ、今収納したアンテナを……ん、行けた。母船の通信ビーコンの受信確認。これより順次、取得データのストリーミングを行う」
 ダウードに通信状況を報告したメロカは、アーキル軍人である。彼女のすらりとした指は眼前のパネルを弾き、データ送信の作業に入った。数分後、動き始めた機器を確認し終えたメロカは、ふと座席右側の耐熱窓に目をやった。奇妙すぎる風景が、そこには広がっていた。
「……緑色をした海が広がっている。不思議だな」
「そうかい? この惑星に海洋があるのは分かっていただろう」とエディ。
「いや、な。手元に今、母船に送信しているデータが集まっているのだが。あの海洋温度はマイナス20度を下回っている。普通の水なら氷るだろう、何でできているんだ?」
「至って普通の水よ」ミトは後ろでまとめた髪をいじりながら、当然だという風に言った。「正確に言うと濃水酸化アンモニウムの海洋。要するにアンモニアが溶けた水ね。大気組成のグラフを見て、アンモニアが5%も占めている。それが、海水に溶けてるっぽいわ」
 強アルカリ性の大気か、とエディが呟いた。「生命は居ると思うか?」
「私は居ると思う。異質とはいえ、水の海洋と十分な量の酸素、そして大気からは微量のメタンが検出されている。条件はそろってる」ミトが強い口調で主張した。
「……さらにこの惑星には、レーザー発振源が存在する。そのくせ旧文明の遺物が検出されない。これは新種の旧兵器か、あるいはこの星に住む知的生命体の作り上げたものか?」
 誰に言うともなしに呟いたクルツの言葉に、機長ダウートはにやりとして言い放った。
「なんにせよ、今日からの一か月は、これ以上ないってぐらいの大冒険になるはずだ」

 

対立の惑星

 

 この惑星”ルーン”は内惑星最後のフロンティアにして、パルエ国家連合の最初の一歩を歩む星である。

 パルエ歴749年。パルエ人はこの地球で言う1990年代程度の技術を持つまでに進歩した。南北戦争時のような軍事衝突は無くなった代わりに、仮想的な競争ともいえる宇宙開発合戦は熾烈を極めた。この”冷たい戦争”の末、東陣営はブランからウィトカ、西もメオミー、そしてエイアへの有人飛行を成功させるまでに至った。
 どんどんと膨れ上がる宇宙開発予算に嫌気がさした各陣営の心理的な対立意識は、そのころにはすっかり薄くなってしまっていた。何度目かのデタントが到来した数年前、両陣営は学園都市カノッサで協定を結び、ついに冷戦の終結が宣言された。

 新時代の幕開けの象徴として南北合同で計画されたのが、前人未踏の奇妙すぎる惑星”ルーン有人探査”である。
 これまでルーンに到達した無人探査機は、いずれも常識はずれのこの惑星の特徴をとらえていた。この惑星には液体の海が存在し、エイアやウィトカで確認されたように、旧文明による手が加わっていた可能性があった。また、赤道付近で大出力レーザーの発振が確認されている。これらは旧文明の存在を暗示するものだ。しかし、この二つの惑星と決定的に違うのが、旧文明機械の反応である。オクロ機関が発する独特の電磁波パルスを宇宙望遠鏡で解析することによって、複数の惑星に旧文明の構造物が多数存在することがわかっている。だが、ルーンはソナ星系の大型天体で唯一、この旧文明由来の電磁波が一切検出されていない。この惑星を支配するのは、旧兵器の生き残りか。パルエ外知的生命体の存在か。

 

 


「ポイント”ゼタ”接近、目視確認。……軌道上から確認した通り、なめらかな台地だな。着陸にはもってこいだ。フラップ70度、推力偏向60%。ドラッグシュート展開、アプロ―チング開始」
 ルーン着陸機”チゴネル・ワイゼン”は、フラップを最大角まで広げ減速機動を始めた。この五人乗りスペースプレーンはSTOL能力を備えた単段式宇宙機で、空軍パイロットの機長をして「爆撃機より機動性が良い」と言わしめるほどの流体特性を持つ。機体製造を担当したメルパゼル共和国の誇る流体力学理論の結晶だ。

 着陸脚を出したワイゼンは、アルカリ性海洋近くの高地”ゼタ”地点に無事軟着陸した。


SOL 1(ルーン日 一日目)

 着陸を果たした五人のクルーは、最初の任務に速やかに手を付けた。まず、パルエ本星とルーン軌道上を周回する母船”パルエ・ド・ピシア”に着陸成功の一報を入れる。次にエアバッグ方式の居住モジュールを展開するため骨組みの金属部品を設営すること。ワイゼン機内は狭く、五人が一か月勤務し続けられるほどの居住性は無いからだ。作業の間、ワイゼンは旧兵器対策としてECMを継続するとともに、射手のメロカは機首にある12.7ミリガトリングガンポッドのチェックを行っていた。レーダーとドローンで周囲を捜索したが、旧文明の遺物らしきものは発見できなかった。
「これが完成すれば靴脱いで、足を伸ばして寝られるわ」
「無重力に慣れてると、地上で横になったら体が地面に張り付いて、なかなか寝られないぜ」
 居住モジュールを設営するミトとエディは、雑談を交えつつ軽量合金を接合していった。

「おい、お前らいい加減目を覚まさんか」
「ビュイッ!」
「ピキィー!」
 ワイゼンの座席で数時間前から伸びている二匹のクルカを、メロカは続いて蹴とばした。驚いて起き上がり、夢の中で食べようとしていた甘味を探してぐるぐる回っている。至って普通の一匹は、メスのクルカ「ピチューチカ」。もう一匹、背びれがあってどことなく賢そうなのが、オスの希少種メッツクルカ「セニャ」だ。
月面に連れて行った最初期のクルカは一匹だけだった。そこで旧文明の遺物を見つけた飛行士は、光物が大好きで本能的に旧兵器を感知するクルカが、宇宙開発に必須であることに気づいた。その後の長期宇宙滞在で、クルカの精神衛生を保つため一つがいを連れて行けばいい、ということが分かり、それが宇宙探検をする上でのスタンダードとなった。しかし、オスメスのクルカを宇宙に連れて行くと勝手に繁殖を始め、宇宙船がパンクしてしまう。だからこの二匹は、別種のクルカなのである。

 メロカはウェットティッシュでかぴかぴに乾いた二匹のゲロを適当に拭い去ると、そのまま機内後部に向かった。慣れた手つきで船外服を着用し、エアロックから非与圧の貨物室へと向かう。
 貨物室の中は、これから使用する探査機器などでひしめき合っている。非常に狭い通路をメロカは身体をくねらせて通っていった。
「大切な荷物は大丈夫だったか?」
 彼女はそこにいたダウードとクルツに話しかけた。2人は先に貨物室に移動し、搭載されている車両や観測機器のシステムチェックを行っていた。
「とりあえずはみんな大丈夫そうだ。居住モジュール担当の二人も順調なようだし、予定より早く周辺調査に行けるぞ」
 ダウードの言葉に、クルツは肩をすくめた。「北極でやった猛訓練の結果だよ」
 実際は、予定がこの程度早くなることは織り込み済みだ。彼らにはみっちりとスケジュールが詰まっている。事故や旧兵器との戦闘などの突発的な問題が起こらない限り、計画表に従って仕事をこなすだけだ。ダウードは言葉を続けた。
「明日からの調査には、こいつを使用する。余った時間はその試運転と、予定を繰り上げて周辺の偵察を行うか」
 そう言って彼は、隣にある貝殻のような車両の装甲をポン、と叩いた。

 装甲探査車”タンケ・ボラッタ”は、正統アーキル国が製造を担当した、惑星探査用の与圧式水陸両用車両である。量産された車両が複数の惑星探査に使われたが、ECM装置や20ミリ機関砲塔など様々なオプションを搭載した結果、価格が高騰し貧乏神の名前を付けられてしまった。かつて存在したアーキル連邦譲りの居住性の悪さと、非常になめらかな傾斜装甲を持つ。

 ワイゼン胴体下部に大きく開いたカーゴ・ベイから、ボラッタがルーン地表に降り立った。数十メートルをのっそり進み、三人はそこで設営中の居住モジュールの建設を手伝った。ルーンの重力はパルエよりかなり小さいとはいえ、無重力に慣れた体に肉体労働は堪える。数時間経って五人がボラッタ車内に休憩に入ると、パルエの統合宇宙開発局や各国政府から着陸成功を祝う言葉が送られてきていた。全員、その言葉に勇気づけられ、その後の作業も順調に続けることができた。


 ところで、ルーンの一日は44時間もあり、ほぼパルエの二倍に相当する。パルエ出発時に組んだ予定では、基本的に二人が周辺で探査、一人がワイゼンと居住モジュールの警備を行い、二人は休憩、というシフトになっていた。
 着陸から15時間、ルーンの夕暮れが近くなってきたころ、組み立て式の居住モジュールと、周辺に展開したソーラーパネル群が完成した。五人は居住モジュールに移動し、あらためて着陸成功と基地設営完了を祝い、少量の嗜好品で乾杯を行った。展開したこの居住モジュールは、平和を意味する”ピシア前進基地”と名付けられた。ピシア基地はパルエの大気と同じものを内部に満たす、五人の居住施設兼研究施設だ。倉庫や研究機械類を含めて1DKのマンションぐらいの狭さだが、一か月の冒険の根拠地となる大切な基地なのだ。

「……壮観だな」
 基地への荷物移送作業中に、ボラッタの車体上に立ったダウードが風景を見渡して呟いた。その言葉は無線機を介して、同じく室外に出ていた四人のヘルメットに届けられた。ルーンの夕焼けは、薄い萌黄色をしていた。濃密な大気が光を減衰させ、パルエよりさらに遠い太陽の光をいっそう弱めている。深夜の街灯の下にいるようなほの暗さが、より幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「アンモニア、アルゴン、炭化水素……などなど、大気に微量に含まれるいろんなガスが影響してこんな色になってる」ミトが言った。
「これから長い夜が始まるな」とクルツ。
 ピチューチカが、五人の足元でぴゅーと喉を鳴らしふわふわ動きまわっていた。セニャは小さな太陽をじっと見つめていた。基地設営は終わり、五人のルーン冒険がいよいよ始まった。

 パルエ人の感覚からすれば、やけに長い時間夕焼けが続いていた。夕焼けで黄色く染まっていたピシア基地は、すでに夜のとばりが下りてあたりが暗闇に包まれていた。この星にはパルエのような二つの月も、水辺を照らすエイアの発光生物もいない。だが隊員たちの安全のために、基地周辺は明るく照らされた。基地のバッテリーに加え、原子力電池を搭載しているワイゼンからいくらでも給電できるため、隊員たちは存分に電力を使用できた。

「これから20時間ほど夜間が続く。夜の前半である今から10時間の間、ミトとクルツは基地内部での実験や、ごく近辺での基本的な地質・生物調査をやってくれ。私がワイゼンの警備に就く。エディとメロカは10時間休息だ」

 五人は順次短い仮眠をとったあと、隊長であるダウードの指揮で、本格的なルーン地上でのの科学調査が開始された。初期プログラムで行った実験と、調査内容は以下の通りだ。
 まず、着陸地点周辺の基礎情報を収集した。気温はマイナス十度と、ルーンにしては温暖な方だ。これは着陸地点が低緯度地方だったからであろう。大気組成は窒素八割、酸素一割、アンモニア五パーセント、等々。大気組成はあらかじめパルエから分光観測したデータとほぼ一致することが確認された。
 次に、チームは夜間の対流を調べるために、小型の気象観測気球”タンテ”をひとつ放った。タンテは数日間ルーンの大気圏内を無動力で浮遊し、気温や気圧、大気組成などの情報を位置データとともに母船に送信する。予定ではこれからルーンの様々な場所に移動してタンテを放ち、データを収集。母船に居る船長のムロボロドと気象海洋学者アトイが、軌道上からの観測と合わせてルーン大気の循環を研究することになっている。
 その後、採取した大気と土壌のサンプルを、ピシア基地内部の研究装置で調査した。その結果、すぐに微生物が地表に存在していることが確認された。アルカリ性の大気に耐えられる特殊なバクテリアであったが、体の構造や代謝システムはパルエでみられるような微生物に近似している。詳細な研究はパルエに持ち帰らないとできないが、エイアやウィトカで見つかったそれとそっくりだったこともあり、どうも旧文明人が持ち込んだ物である可能性が高いように思われた。ミトは予想出来ていたようで、発見に驚きつつも微妙な表情をしていた。
「みんなパルエ産の、ちっこいバクテリアばっかり。もっといじりごたえのある宇宙人はいないのかー!」
 一方、地質学者のクルツは不思議な岩石を採取していた。岩石内に窒素分子を多数含むことが、スペクトル観測で分かった。すなわち、その岩石は含アンモニア化合物だった。パルエにほとんど存在しないその窒素鉱石が、この星で普遍的に見られるようだった。何故そのような鉱物ができたのだろうか。パルエでプレートテクトニクスが発見されたことはつい最近のことなのだが、ともすればその有力な新説を否定する証拠にもなりかねない。この岩石はクルツを深く悩ませることになってしまった。
「放射性年代測定したら、三億年前の岩石と出た。三億年前、一体何が作用して、この岩石ができたのか? 私はこの答えを言い当てることができない」と、普段無口なクルツは、柄にもなくミトに早口で言った。彼はかなり混乱しているようだった。
「違う惑星なんだから……組成が違うのは当然じゃない?」
「いや、同じように海洋の影響を受けたエイアの岩石と比べても異質だ。何かもっと特異な作用が、働いている……この惑星全体に」

その後、エディとメロカに交代して研究の継続を行った。着陸初期の探査ミッションは、様々な謎を探検隊に提示して終了した。


 SOL 5

 ここに来て四回目の夜が終わり、基地と着陸機は浅葱色に包まれた。基地周辺での初期ミッションが終わったため、隊員はボラッタに搭乗し、数キロ離れた海岸まで移動。日が沈むまでそこで沿岸地域の調査を行うことが決まった。エイアでは、海洋を住処にする獰猛な原生生物に遭遇し調査隊との戦闘が発生したという記録がある。ルーンは気温が低いため活発な大型動物は居ないと考えられているが、注意するに越したことは無い。海岸調査に出かけるメロカ、ミト、エディには、護身用の散弾銃と予備弾薬が配られた。
「民間人の私からすれば、あんまぞっとしない得物だね……」ミトは散弾銃をふわりと回しながら呟き、肩をすくめた。重力の弱いこの星では、散弾銃はおもちゃのように軽く感じる。「”宇宙人”相手にこんなもの使いたくないわ」
「いざとなったらボラッタの20ミリで吹き飛ばしてやるから安心しろ」
 メロカの心強い一言に、ミトはそんなつもりで言ったのでは無いんだが、と心の中で思った。
「さて、いっちょ海水浴に行ってきますか」
「ピュイィィ?」
 エディの一言に、ピチューチカが楽しそうな鳴き声を響かせた。クルカが人間の言葉をどこまで理解しているか分からない。
「こいつ、ここでいう”海水”が、アルカリ性のアンモニア水であることを分かっているんだろうか」
 メロカがにやりと笑って、ボラッタの操縦席に付いた。

「ん……狭いな」
 最後にボラッタに搭乗しようとしたエディのつぶやきが、この装甲車の特徴を端的に表していた。建前の上では五人全員車内に搭乗できるのだが、小型化と軽量化を最重視して作られたこの車両は非常に狭い。実際は三人乗った時点で、息苦しさを感じるほどの容積だった。これでは五人全員乗ってしまえば、船外服を脱ぎ着する空間は無いかもしれない。
「こいつが邪魔だな」
「ピュ!?」
 メロカがひょい、とピチューチカのしっぽを掴み上げた。クルカ用船外服の取っ手に慣れた手でワイヤーを結わえると、メロカはハッチから上半身を出した。
「そいつは”番犬”だ、連れてくぞ。どうするんだ?」
「こうするんだ」
 メロカはワイヤーのもう片方を車体の梯子に結び、ピチューチカを外に放り投げた。
「ピイィィ……」
「あいつら、好奇心が強いから特等席においてやるのさ。さあ行くぞ」メロカはどうということは無い、という風に笑いもせず答えた。
 ボラッタが発進すると、ピチューチカはワイヤーでぐいと引っ張られ、彼女はずるずると地面に引きずられる形になった。すぐさま自分の状況と扱いを理解したピチューチカは、両腕の気嚢を膨らませ浮遊し始めた。結果、ボラッタからワイヤーで釣られた彼女は、ちょうど凧揚げの凧のような格好になった。
「特等席か。まぁピチカのやつ、見張りぐらいにはなってくれるかな」

 ピチューチカが右に左に蛇行しながら引っ張られてゆく。無線機からは、彼女の鳴き声が聞こえてくる。ルーンという異世界の風景を楽しんでいるようだった。
「雑に扱われる割には、生きるのを楽しんでいるみたいね」


 ゆっくりと慎重に歩みを進めたボラッタは、約三十分で目的地の海岸に到着することができた。メロカはボラッタを操り、半ば泥地となった波打ち際に停車させた。三人は船外服を着こみ、各々調査用具をポケットに入れ、ハッチから体を外に出した。最後にメロカが顔を出し後ろを振り返ると、息切れしてひっくり返ったクルカが居た。
「そうだ。ピチカにも酸素をやらんと」
 メロカが一度車内に戻ってボンベを出そうと用具箱を開けた。すると、ヘルメットの無線機からピチューチカの悲鳴のような鳴き声が聞こえた。
「うお、どうした」
 メロカは驚いてハッチから顔を出した。ミトの足元で転げまわっているピチューチカの近くで、見慣れた生き物が数匹蠢いているのに気が付いた。
「それは……スクムシか!」
「ええ。この星にもいらっしゃったわ」
 ミトは笑いながらかがみ、波打ち際を這っていたスクムシを拾い上げると、メロカの方に投げてよこした。緑色の空に舞い上がったそれは、やけにゆっくりとした放物線軌道を描いてメロカの目の前に落ちた。丸くなったそれをメロカは拾い上げて、まじまじと観察してみた。
「体節や足の本数は同じ。でもやけにでっかいな……やはりこれはパルエ産か?」
「おそらくね」ミトはポケットから試料採集瓶を取り出し、波打ち際の海水に浸した。「形態的な特徴は同じよ。昔の人が持ち込んだのはまず間違いないでしょうね」
 ミトは半分海水の入った瓶にスクムシを入れ、蓋をした。
「そうか。しかし驚いたな。スクムシは、アルカリ性の海に居ても平気なのか」
「そうでもない」
 答えたのはエディだ。メロカが肩越しに振り返ると、彼はボラッタのシャーシに座って、車体に搭載されたカメラや分光器で周囲を撮影していた。
「アルカリ大気では生理作用がかなり異なるはずだ。この惑星で過ごせるように、ここのスクムシは遺伝子操作されてるに違いない。新種だ、ルーンスクムシとでも名付けよう。それより、ピチカ大丈夫か?」
 その言葉にメロカは周囲に目をやった。波打ち際に居るスクムシから逃げようと走り出したピチューチカは、海岸から数十メートル行ったところでひっくり返っていた。
「うぉっと」
 エディがぽいっと投げて渡したクルカ用の酸素ボンベをキャッチし、メロカは彼女のもとに走っていった。


 三人は、この海岸地帯で調査を始めた。まずここの海岸に来て最初の発見は、スクムシが海辺に多数生息していたことだった。スクムシの体が大きく、動きがもっさりしていたのは、寒冷なこの星の気候に適応するためだと考えられた。次に、ミトは採取した泥の中に、多数の藻類が存在していることを確認した。現地での観察から、スクムシはこの泥の中の藻類をこしとって食べていることが推定された。エディが撮影した動画や画像、ミトの海岸に生息する生物に関するレポートなどは順次、母船経由でパルエの探査チームに送られた。ルーンの探査は始まったばかりだが、パルエの研究機関ではこの星の生態系についての活発な議論が展開された。
 三人はみっちりと詰まった探査スケジュールのため、科学者として議論に参加する暇は無かった。次の任務として、メロカは装甲車を海の上に進め、海中に探査ブイを投下した。その間ミトとエディは沿岸に残り、興味深いと思われる様々な生物や溶液、岩石、砂泥、ガスなどのサンプルを取得したり撮影を行った。パルエに持って帰られるサンプルの上限は500キログラムまでだ。今後のことを考えると、あまり多くの試料を採取できない。最重要のものだけを取捨選択しなければならないことは、科学者である二人にとって残念なことだった。

 ルーンにおける”午後”から三人は、無人探査機を用いた上空からの調査と画像撮影を行った。使用したのはボラッタに搭載していた無人ヘリ、「メッツドラゴン」だ。分解して一人で携行できるほどの小さな機体だが、揚力が強く機体下に様々な機器を搭載できた。海岸地帯に沿って十数キロ移動し、レーダーで空と陸から地形と浅瀬のサーベイを行った。

 

 この探査によって、いくつかの新しい知見が得られた。
・ルーンにもスクムシが生息する。ここのスクムシは大型でおとなしく、泥の中の有機物あるいは藻類をエサとして30センチほどにまで成長する。ピシア基地周辺ではスクムシが見られなかったこと、ボラッタで採取した海中の試料にスクムシが居たことから、ルーンスクムシは海に生息するようである。スクムガはどこにも見られず、成長したスクムシがどうなっているのかは不明。
・沿岸の地面は、岩石と砂泥でできていた。いずれも地質的な作用によってできたものであろう。見つかった岩石は火成岩であった。
・海洋は予想された通り、高濃度のアンモニアが溶解した水でできていた。ルーンに衛星は存在せず、太陽からも遠いので潮汐作用はほとんどない。風浪は存在する。海中からはシアノバクテリアのような藻類が発見された。植生のない殺風景なルーンにおいて、酸素を生み出す重要な存在であると考えられる。
・海底のボーリング調査の結果、有機物の堆積は数十センチ程度でその下は火山岩でできた岩盤であった。これは生命がこの海洋に生まれてからあまり時間が経っていないことを示しており、ルーンの生命は旧文明人が持ち込んだという説を補強するものである。

 三人は想定されていたミッションを終え、ピシア基地に帰還した。この星でもスクムシが発見されたことから、これはのちのちスクムシ論争と呼ばれる論争を呼ぶことになった。一つは、スクムシは旧文明が持ち込んだという説。しかしそれを裏付ける旧文明由来の遺物が一切発見されていないことは大きな謎として残った。周回軌道上の観測に加え、ワイゼンが着陸前の飛行で行った対地スキャンでも、旧文明が残すはずの大きな金属反応は無かった。そのため、一部の研究チームはスクムシがこの星からパルエにやって来た可能性を主張をしたのだ。彼らはルーンに落下した隕石の衝撃で宇宙に飛び出した岩石中にスクムシの卵が入っており、それがパルエに落下しスクムシがもたらされたのではないかという説を唱えた。

 

SOL 12

彼らはその後も基地周辺での探査を継続した。惑星上では、海岸から離れ台地となっている着陸地点周辺の調査を保有する様々な機器を使用しておこなった。特に重要な観測機器として、大型動物を捕捉する定点観測カメラと地震計を頑丈な地盤に設置した。地上だけでなく、複数打ち上げた観測気球からのデータより大気の循環も調査された。また、周回軌道上から母船のパルエ・ド・ピシアに搭載されている高解像度の大型レーダーを使用し、地形の詳細な地図作製を行った。その際の観測により、赤道上に居るワイゼン付近の海洋とは大きく性質の異なるもう一つの海洋が、極地に広がっていることが示唆された。また、極付近に十メートル近い高さの建造物が、沿岸部に沿って多数存在することが発見された。パルエのルーン合同探査チームは、後半の任務である15ソル目から、この特性の異なった海洋と建造物群の存在する地帯へ移動し、探査する修正計画案を立案。パルエ地上の統合宇宙開発局はその許可を出した。


「ほい、クドゥス茶だ。君ら何か入れるか?」
「ブラックで宜しく」
「バウ粉乳を小さじ一杯欲しいかな」
「あいよ」
基地内部の有機ポットで汲んだ飲料を、エディは机に置いた。計三つのカップを持ってくると、エディも椅子に座り机を囲って繰り広げられていた議論に耳を傾けた。
「……だから私は、謎を説明するのにあたって旧文明人の存在に頼りすぎるのは科学的じゃないでしょうって」
ミトが主張した。彼女はルーンの生命がすべてパルエから持ち込まれたという、パルエの学者の判断を否定したがっていた。
「この星の環境は厳しいけど、独自の生命が生まれるだけの十分な状況はそろってる」
「君の言うように、旧文明人の惑星間移動の影響を無視したがるのもフェアじゃない」クルツは言った。「パルエ起源と思われるシアノバクテリアが居たのは確かだ」
「スクムシもね。最近の研究で分かったことだけど、あの子達って、DNAの配列が根本的に異なっている可能性があるのよ。パルエに住む生物自体、パルエだけで生まれた訳ではない、可能性もある。ソナ星系内の様々な天体から飛来した生命の種が、パルエで芽吹いた、って考えると素敵」
「ミトの感じるロマンは別として。科学的にこの惑星を考えるとき、旧文明人の存在は便利すぎる。今の学会でも謎があればとりあえず奴らのせいにしておけばいいだろっていう、いわゆるデウス・エクス・マキナの存在になりつつある。他のあらゆる仮説が反証されない限り、旧文明に説明を頼るのは科学的なアプローチとしてレッドカードだ」
エディはそういって、クドゥス茶を口にした。彼の言葉を聞いて、二人の科学者の間にもしばし沈黙が流れる。実際、旧文明という存在の便利さには三人とも恐れを抱いていた。ソナ星系にスクムシが居ることも、新種の岩石が発見されたことも、正体不明のレーザー光源があることも、旧兵器のECMが感知されないのも全て”彼ら”の仕業で片付けることができてしまう。最悪、五人の人間がこの惑星に降り立った意義まで全否定されかねない。

三人が様々な謎に思いを巡らしていた時、エアロックの扉が開きメロカが室内に入って来た。
「科学者の方々、良いニュースだ。燃料供給装置はすべて無事だった、このまま計画通りに、極域探検が出来そうだぞ。出発は予定通り、15ソル目からだ」
彼女はクルカを一匹小脇に抱えつつ、明るい表情を振りまいた。引き続き謎解きの冒険が出来そうなことに、科学者たちはひとまず喜んだ。


チゴネル・ワイゼンの動力源は、フォウ王国製の”リエッキⅧB”エンジンである。旧文明の発掘品から独自発展をつづけた宇宙機用推進機”リエッキシリーズ”は、他のどの陣営も真似できなかった複合サイクルエンジンである。大気圏内での低速飛行時はターボジェット、極超音速飛行時はスクラムジェット、そして宇宙航行時はロケットと、状況に応じて三モードでの航行を行うことによって、あらゆる飛行時で最高の比推力を発揮することができる。とはいえ、惑星の重力井戸を脱出するのに必要な燃料は膨大で、着陸時のワイゼンには軌道上の母船に向かうだけの燃料しか残されていない。しかし、ワイゼンの最終組み立てを行ったミヌズキ=キュスクミゼン社が言うように、この機体は旧兵器顔負けの”怪物飛行機”なのだ。
なぜなら、着陸後のワイゼンは空気中から水を集め、原子力で電気分解を行い、必要に応じて液体水素燃料を調達することができるからである。その水素燃料で揚力巡航を行い、事実上無限の惑星内航続力を発揮することができるのだ。
極めて優秀なリエッキエンジンと、メル=パゼルの原子力電源、パンノニアの電気分解システムと結びついた結果生まれたのが、チゴネル・ワイゼンという”永久機関”だった。

 

SOL 15

「高度8レウコ、巡航状態に入った」
 機長ダウードはひとりでつぶやき、機体を自動操縦モードに入れた。
「着陸まで6時間だ。探査機器を展開してくれ」
「本日はルーン航空にご搭乗いただきありがとうございます。この機体はピシア基地発、北極圏行です。お手荷物、壊れやすい物、ゲロを吐く動物は、前の座席の下、または頭上の物入れにぶち込んどくようお願いします」
 エディの茶化すようなアナウンスで、複数のふっ、という息が漏れる音がした。
「おいエディ、頭上にクルカなんて居らせたら、頭から”爆撃”食らうぞ」
 メロカがジト目でエディに突っ込むと、機内は笑い声で満たされた。
「ひょっとして空軍時代に経験あるのか、メロカ」
「……ノーコメントだ」
「よし、体験させてやろう。ピチカ、セニャ、やってやれ」
 エディの言葉に釣られて、ミトはコンピュータの画面から目を離し一番後ろに固定されているクルカに目をやった。
「「ピピピピピピピピ」」
 二匹のクルカは機体の振動に合わせて小刻みに震え、鳴いていた。
「……この子ら酔ってるっぽいよ、これはマジでダメな奴じゃ……」

 げろろろろろ。手遅れだった。機内に酸っぱい匂いが充満する。各センサのデータを収集していたクルツは顔をしかめて舌打ちをした。
「勘弁してくれ。ここは宇宙船だ、気密なんだ。換気ができない。悪臭源を放置するなよ」
「クルカはなんでも食べるから、すぐに吐き出せるような体のつくりしてるのよ……根本的な対処法は無いかなー」
「いっそ冷凍庫に入れて眠らせちまえよ」
「それでもこのクルカ、身体は強い方だよな? 一応飛行士選抜したんだろ?」
「15ソル振り二回目、確かに私がアーキルで見たどんなクルカよりも戻す回数は少ない」
エディの言葉にメロカは苦笑し頷いた。

「……おいお前ら、雑談は終わりだ。未確認飛行物体、10時の方向」
 ダウードの低い声に全員の表情が凍てついた。次の一秒後、メロカとエディは左側の窓の外に、ミトとクルツは座席前面にある機器のデータ画面に素早く視線を遣った。
「見えないぞ」
「対地センサ類にも映っていない。どこにいる?」
「上だ。水平距離約5ゲイアス、垂直距離約10ゲイアス。真南に向かって秒速5レウコで弾道飛行している」
 その言葉に皆息を飲んだ。その高度と速度は飛行生物どころか弾道兵器並みである。そして真南――無人で置いてきたピシア基地のある方角に、その物体は向かっている。
「旧兵器か?」
「分からん。ECMはすでに起動している。メロカ、ガンポッド用意。科学陣、機載センサで行きずりに飛行体をスキャンしてくれ」
「上方に指向できる機器は低解像度の監視カメラだけよ」
「そうか、なら無茶するぞ!」
 そういうや否や、ダウードは操縦桿を斜め手前に倒し、思い切り機体を回転させた。ルーン地表の数倍の加速度が五人の体にのしかかる。ワイゼンは、右方向に逸れながら百五十度ほどにロールした。エンジンが轟音を上げ、フラップが最大角度まで開かれる。濃密な大気を切り裂く高音を響かせ、黒い耐熱タイルのある腹面を飛行物体に向けた。
「来たぞ……あらよっと!」
 掛かる荷重に耐えつつ、三人はタッチパネルを操作し全てのセンサを起動させた。メロカはトリガーを握り、画面に表示させたターゲットリンクに集中していた。数秒ののち、機体はそのままバンク角を水平に戻した。長い時間が経ったように感じた。機体にかかる荷重は正常値に戻り、皆ため息をついた。
「スペースプレーンでバレルロールとは、本当に無茶苦茶をする」
「メルパゼルの航空技術に万歳、だな。この機体じゃなきゃやってない」
 ダウードの言葉に皆苦笑した。推奨された行動ではないが、ワイゼンの機体特性として不可能な機動ではなかった。というより、機体下面のみにしか計測機器が指向していないため、上空をスキャンするにはロールせざるを得ない。高空を飛ぶ自身のさらに上を正体不明の物体が飛行することなど、想定外も良いところなのである。
「なあ、あの物体は何だ」
「さぁな。分からん。母船やパルエにもデータを送信して、これから解析を始める。飛行物体の軌道は、母船に追跡調査してもらうように依頼する。パルエ以外の惑星中間圏を弾道飛行する旧兵器なんざ確認されてない」
「ピシア基地を狙っていたのか? 基地を出発した後なのがせめてもの幸いだな」
 科学者達はそれっきり黙って、いま取得したばかりのデータの解析をもう始めていた。メロカも順次、データおよび状況報告を母船に送信し始めた。エンジン音と、キーボードをたたくぱちぱちという音のみが機内に広がる。

「……ところで、忘れてないか」
 エディは画面から目を離さず言った。
「あー……確かに、においがきつくなった気がする」
 ミトも同じく答えた。
「いいかみんな、最初に後ろを見たやつが掃除だからな」
「……」

 

SOL 15 夕暮れ

 その後、特に問題も発生せず目標地点に到達した彼らは、地上に散発的に存在する塔状物体に着陸を阻まれることになった。
「こりゃ着陸は厳しいな。短距離で済むとはいえ、ある程度の平地が無いと……」
 ダウードはそう呟いた。フラップを開き時速300キロ、高度500メートルほどまでワイゼンを減速降下させる。コクピットの外はすでに薄暗く、すぐ下を塔状物体が流れるように過ぎ去っていく。重低音のみが響く機内でミトが声を上げた。
「ヒョウタンに四本足が生えたみたいな物体ね。旧兵器じゃなくて、樹木かもしれない」
「外気温マイナス60度だ、寒すぎないか? まぁいい、着陸してサンプルを採取したらはっきりする」クルツが言った。
 レーダー画面で周囲を探索していたメロカも言葉を発した。
「おぉ、ここから東に100キロ行ったところに海岸線がある。レーダー情報からはこの海岸付近に平坦なところがある。いわば砂浜だな。ダウード、そこなら着陸できるのではないか?」
「そうか、なら行ってみよう」
 ワイゼンは機体を傾け東に向けて旋回を始めた。リエッキエンジンの轟音が塔状物体の間を抜けて行き、その地は再び静寂に包まれた。


 機首を20度ほど引き上げたワイゼンが、海辺の砂丘に近寄っていく。ごつい車輪を出し、ほとんど地面に対して直角になるほどフラップを開く。胴体下のライトに照らされた主脚が砂面に接触した瞬間、主翼上面のエアブレーキが開かれ機尾のドラックシュートが姿を現した。甲高い音とともにエンジンの逆噴射が始まる。もうもうと砂を巻き上げたワイゼンは、たった50メートルほど滑走しただけで動きを止めた。

「さすがの短距離着陸能力だ。みんなお疲れ様」ダウードはそういってため息をついた。「もうすっかり暗くなったが、どうするか?」
「初めて来た場所だ、視界は確保して探査を行いたい。とりあえず夜明けまでは、ワイゼンのハイビームが届く範囲でだけの行動にとどめよう」
 エディが言い、他の四人もそれに同意した。
「よし、そうと決まればさっそく調査開始だ。各員準備してくれ。ここに入れるのは三ソルしかないからな」
 各々割り当てられた観測任務に向けた準備を始めた。


 周回軌道上の母船から、”謎の弾道飛行物体”に関する最初のデータが届いたのはそのさなかだった。
『こちら、母船のアトイだ。飛行物体の軌道解析結果が出た。そちらに送る』
 ワイゼンのコンピュータにダウンロードされたそのデータを見て、五人はひとまず胸をなでおろした。着弾地点は基地ではなく、赤道の大陸であったからだ。同時に湧きあがったのは、その物体は何だったのか、何のために飛行していたのかという疑問だ。続いて送信されてきたデータは、その疑問の一部を氷解させるものかもしれない。
「組成は金属でも炭化物でもなし……このスペクトルは何だ?」腕を組んで液晶を見ていたエディが、化学者であるミトに尋ねた。
「多分……ホスフィン? 違うな。有機リンっぽいけど、リンを含むそれに似た何かか。いや分かんないなぁ異質すぎて」
「面白いのは、この物体の”発射地点”と推定されるポイントがここからほど近いところにあること。北に200キロ、行ってみるしかあるまい」


 居住施設から離れたここに滞在できる期間は三日、すなわちパルエ時間での一週間ほどしかない。SOL18の明け方には基地に帰ることになる。外はすでに真っ暗だが、躊躇している暇はない。ワイゼンから降り立ったミトとメロカ、そしてセニャは、目の前にそびえる謎の構造物体を見上げた。

「でっかいぞぉ、これは」
「ピュゥ」
「旧文明の構造物にしては異質すぎるし、何よりも人が造ったものとは思えない。この地に住む生物かな」
 興奮気味のミトが早速駆け寄っていった。重力が弱いルーンで走るとスキップするような格好になる。
「……」
 ミトはその構造物の表面に、そっと手を置いてみた。茶色いそれは、一見すると岩あるいは樹木のようで、グローブ越しでもざらざらしているのがわかる。とても人工物のようには見えない。動きのようなものはない。次にコンコンと叩いてみたが、内部もみっちり詰まっているような重みがあった。
 ごめんね、驚かしたかい、とミトは呟いて、周囲を見回した。10階建てのビルぐらいの大きさはあるこの物体、球体の頂部に円筒状のでっぱりがあり、円筒の先はガラスをはめたようになっていたことがワイゼンから確認できた。球体の下方からは、人間の身長ほどの四本の足が斜めに生えていて体を支えている。植物の根のように埋まっているのではなく、ただ置かれているようで不自然である。そのような物体が、学校のプールほどの面積に一つの割合で、周囲に見渡す限り存在しているようである。少なくとも、ワイゼンから照らされたフラッシュライトが届く限りは無限に続いている。ワイゼンのライトが届かない奥深く、光るものがない未踏の空間に思いを巡らせ、どこま行ってもこの物体が生え続けていることを考えると、すこし背筋が寒くなった。足元のセニャを見ると、同じように暗闇をしばらく凝視し、ぶるっとひと震えした。同じことを考えていたようだ。非常に分かりやすい。

「うわっち!」
 突然の叫び声に、ミトとセニャは驚いて横を見た。ミトから少し離れてハンマーで物体の表面を採取しようとしていたメロカの叫びだった。よく見ると、切れ目の入った部分から何か液体が流れだしていて、メロカの船外服にかかっていた。ミトはメロカに駆け寄る。
「大丈夫? それは?」
「わからん。一撃入れるとこいつが噴き出してきた。まずった。腐食性の液体だったらやばいな、これ」
 メロカはスポンジで船外服にかかった液体を吸い取っている。
「メロカなら大丈夫でしょ」
「どういう意味だ、それ」
「ことわざよ。バカとクルカに限って死なない」
「ピュ!」
 セニャは心外だとでもいうように頭を上下させ、メロカもミトを小突いたが、船外服のセンサーも正常値を指していたので、少なくとも危険な液体ではない。吹き出る液体を、ミトは慎重に小瓶に入れた。それを船外服のヘッドライトに透かしてみる。
「真っ黒ね……」
「分かった。旧文明の生体プラントじゃないか。こいつは石油だ。ルーンにいた昔の人がストーブの燃料にでもしてたんだ」
「どうかしらね。まぁ物体の表面サンプルもろとも、持って帰って分析しましょう」

『おい! 二人ともこっちに来てみろ、凄いぞ』
 ミトとメロカのアンテナに声が入った。海岸のワイゼンを挟んで反対側にいる、海の調査に出たクルツとエディ、ピチューチカであった。彼らとは100メートルほどの距離にいる。


 二人と一匹が移動すると、旅行用トランクほどの分光器を携えたクルツがその表示を見るように進めてきた。
「……うわ、なるほど。アンモニアの海かやっぱりね。赤道の海とは違う訳だ」
 ミトはデータの意味するそれを即座に理解したようだった。科学者二人はあーでもないこーでもないと、すでに議論を始めている。対して専門外の軍人メロカには、説明が必要だった。
「赤道の海とは違うって、どっちもアンモニアの海だろう?」
「赤道の基地近くに広がってた海は、『アンモニアが解けた水』の海。対してここ、北極圏に広がっているのは、『低温で液体となったアンモニア』の海。パルエや軌道からの観測じゃ同じ液体に見えたけど、その実『水』と『液化アンモニア』のまったく違う二種類の海洋が存在していたのよ」
 興奮気味にミトは説明を続ける。
「赤道付近では気温は0度前後。アンモニアは沸点がマイナス33度だから、水の海が広がる地域はアンモニアは大気に交じっている。一方極域では気温はマイナス60度はくだらない。アンモニアは十分に冷やされて液体になるけど、水は完全に凝固する。カチカチになって、ここの地盤を構成する岩石の一部になっている。この二つの海は、絶対に混じり合うことがない。そして、片方の海には生物が存在した。それじゃあもう一つ、この海には……?」
 ミトはここまでをまくしたてると、二人の議論に入っていった。メロカはため息をつき、波打ち際のさざ波を見渡した。足元に目をやると、二匹のクルカが肩を並べて、分光器の開口部に首を突っ込んで覗き込んでいた。
「……おい、何してるんだ」

 

SOL16

 東の空がゆっくりゆっくりと群青色に染まり、ルーンの夜明けがはじまった。機内に戻ったクルー一行はワイゼンの機内で報告の通信とレーダーによる周囲の立体地図作成、そしてサンプルの解析を続けていた。とはいえ、高精度な質量分析器や放射性年代測定装置などはピシア基地に置いてきたため、ここで行える研究はたかが知れている。せいぜい高校の理科室で行える実験ぐらいしかできない。完全に日が昇り周囲が見えるようになり次第、ドローンとボラッタを起動させより広範囲の調査に赴く予定だった。
 ミトは端末機にキーボードで何かデータを打ち込んでおり、メロカはクドゥス茶をすすって静かな払暁の空を眺めていた。すぐ隣には、クルーの三人と二匹が椅子を倒して眠っている。ぱちぱちというタイピング音と、クルカのピリピリいういびき以外には何も聞こえない、無音が惑星を包み込んでいた。
「ねぇねぇ、メロカはこの星の謎、分かったことある?」
 ミトが画面から目をそらさずに声を発した。メロカもぼやっと窓の外を見たままで、視線を外さない。
「分かるも何も、私の常識を超えた、意味不明なことばかりだ。学者さんはなにかお分かりか?」
「意味不明、ごもっとも。ピシア基地近くの海岸でクルツが見つけた岩石ね、あれは分かったわ。海洋プレートが大陸プレートに沈みこむときに一緒に海洋の水分も飲み込むんだけど、ここは二種類の海洋があるから」
「ほう」
「無関心そうね」
「地質学にはあまり詳しくなくてな、ここに来るまでに一通りは勉強したとはいえ。要するに両極のアンモニアの海洋の変性作用を受けた、新種の岩石ってことか」
「なぁんだ、しっかり分かってるじゃない」
「ん、まぁ。……ん?」

 窓の外をぼんやり見ていたメロカが疑問の声を発そうとした瞬間。その静寂が、突如爆音と猛烈な衝撃によって破られた。

「ぐっ……」
「きゃあぁぁー!」
 悲鳴、明滅、振動。22トンの機体はびりびりと鋭く震え、窓から雷のようなまばゆい光が差し込んだ。ミトは端末機を抱え込んでうずくまり、メロカは体に力を入れて周囲を見渡し、次に何をすべきかを考えた。数秒で振動は終わり、一瞬の妙な静寂が機体に流れた。
「な、何だ……」
「……地震か?」
「ならいいがな。不明だ」
 すぐにダウードとクルツ、エディが目を覚ます。五人はメロカの言葉で、訓練の時と同じように配置に付く。旧兵器との戦闘を想定した戦闘時配置だ。
「ガンポッド異常ない。ダウードECM急げ」
「ECM起動した。各種センサ、投光機、捜索態勢。目標捕捉せよ」
 耐爆旋回カメラを操作して、周囲360度を各種波長で探索する。機首に設置されたカメラとガンポッドが連動して、ぐるぐる動いた。そのカメラが映し出す光景に、五人はかたずをのんで見つめた。カメラの視点は移動してゆき、岩と地面以外何も映さずに元の方角に戻って来た。
「……何もいないようだぞ」
「光学迷彩か?」
「レーダー無事、電磁波観測されず。旧兵器ではない。原生生物も確認されず、だ」
 エディがため息をついた。
「本当にただの地震のようだ。慌てて損し……」
 エディが笑い飛ばそうとした瞬間、遠方から一度だけ、爆発音が聞こえた。
「……違うな。逸脱事象だ」
「はっ、面白い惑星だ。デフコン3の状態で観測と分析を続けろ」
 無音。
「ちょっと外の構造物を近くで見てみたい。ボラッタ出す許可をちょーだい」


 周囲を警戒しながら、ワイゼンのカーゴベイからボラッタが姿を現した。砲塔をゆっくりと一回転させて同軸センサで周りを走査したのち、近くの構造物に接近を始めた。
「見てよ、アレ」
 防弾ガラス越しにミトが指さしたのは、構造物の上部先端だった。先端部分は焦げていて、湯気が立っている。それがすべての構造物に起こっていたのだ。
「……は?」
 メロカはげげんな顔ですっとんきょうな声を上げた。上部のハッチから上半身を乗り出して、ミトは双眼鏡で観測する。
「周囲を録画していたカメラを再生したら、分かった。これはレーザー発振装置よ」
「乗り出すな、危ないぞ」
『そうだ』ボラッタの無線機から通信が入った。ワイゼン機内で分析を続けているエディの声だった。『レーザー発振を確認した。そいつは明らかに兵器だぞ』
「私達を撃ったんじゃ、ないよね。どこに飛んでった?」
 ミトは体を乗り出したまま、振り返ってワイゼンを、正確にはワイゼンの先遥か彼方をにらんだ。
『このポイントから北方に200キロ。謎の飛行物体、アレの発射推定地点だ。そこから空に向かって、ビームが発射された。ガンマ線も観測されている』
 それを聞いて、ミトはくすりと笑った。
「もちろん、行くしかないよね!」

SOL16 ”午前”

「よし……行ってこい」
 ボラッタの車上に座り込んだクルツが手を離すと、メッツドラゴンがふわりと舞い上がった。船外服のヘルメットを通じて、モーターの重音が響く。軽々と高度百メートル付近まで上昇すると、メッツドラゴンは機体を傾けて水平飛行に移った。目指すは水平線上にそびえたつ、巨大な構造物だ。
「構造物、というより砲台と言った方が的確な見た目だな」
 エディがハッチから頭を出す。クルツはおっと、と揺籃する車体のふちをつかんでバランスをとる。彼は周囲をふと見回して言った。
「しかし、心細いというか寂しいところだ」
 水平線にぽつりと構造物が視認されるほかは、周囲何もないベタ凪の洋上である。ボラッタはワイゼン着陸地からアンモニアの海洋を渡り北方へ50キロ前進。現地点に錨をおろしていた。航続距離が350キロしかないメッツドラゴンを失わず、かつなるべく危険にさらさずに調査する方法はこれしかない。
『ここの海洋はとても静かで海面は曲がった鏡のようだが……ときおり大きくうねるな、人によっては酔うかもしれない。あぁ人未満のくせにこの野郎、一丁前に』
 車内のメロカが愚痴るようにこぼした言葉は、二人にばっちり伝わっていた。
「ハハ……極地のここでは下降気流が常時吹いてて悪天候にならずにずっと晴れている。衛星による潮汐の影響もない上、高密度低重力という特殊な環境での風浪が、こうさせているんだ」
『セニャがどうなったかは改めて言うまい。それよりメッツドラゴン、データリンクちゃんとできてるな』
「ああ、ワイゼンとのアンテナは三本、しっかり確立されている。大丈夫なはずだ」


 濃緑色の海洋の上空を、時速100キロでメッツドラゴンは飛翔する。はるか南方にいるワイゼンのクルーが観測および操縦支援を行っていた。
「これは……生体兵器か?」
 メッツドラゴンが接近したその構造物を見たダウードがそう漏らした。天高く100メートル以上そびえたった塔は、旧文明あるいは現文明の意匠とはまったく異なる、金属ではなく植物のような質感である。塔の中ほど周囲にはプリズムのような反射材が全周に渡って展開されていて、その先端部にはマズルブレーキのような物体が設置されている。メッツドラゴンはその巨大構造物の周囲を滞空しながら、レーダーや様々な波長での機器によって観測を続けた。そのデータはボラッタ、ワイゼン、そして母船に送られる。
「火砲か何かか……こんなものは見たことがない」
『こちらボラッタ隊、”スカイバード・アイ”展開完了』
 ボラッタ隊の物理観測を担っていたクルツからの通信が入った。その言葉を聞いてメッツドラゴンに所定位置への移動を入力。メッツドラゴンはちょうど巨大構造物を挟んで、ボラッタの反対側まで来ると、機体下部に収納していた折り畳み傘のようなアンテナを展開した。メッツドラゴンに搭載されているのはスルクフィル源産のクリスタルであり、そのアンテナから発されるのはクリスタルの発したグラヴィティーノ、すなわち重力子の超対称性粒子だ。指向性を持って膨大に放出されたグラヴィティーノは、質量を持つ物質を透過するとき、超対称性の破れからわずかな数の粒子が変質する。何か調べたいものを間に挟んでグラヴィティーノを投射し、透過したものを観測することで、その物質の内部組成を大まかながら知ることができる。これが”スカイバード・アイ”、パルエの最新物理学が作り上げた万能のスキャニング装置だ。古くは500年代から、スルクフィル人はこのクリスタルから放出される素粒子の流れで力場を制御していたが、その仕組みの解明は、旧文明の情報を元にしても2世紀がかかった。

 メッツドラゴンから発されるグラヴィティーノはボラッタとワイゼン、さらに惑星の反対側にいる母船が同時にキャッチする。それぞれの取得データで補正をかけることで、10センチ程度の解像度でこの正体不明の構造物の内容を知ることができる。
「ま、その作業だけで20分はかかるけどね」
 ミトは椅子にもたれかかって腕を組んだ。ここで取得されたデータを統合しコンピュータで結論が出るのは、早くてルーンの一日分はかかる。
「先にやったあの”構造物”の透過データと合わせて、何か分かるといいわね」
「ミケラの遺物かな」
「ダウードはそう思う?」ミトは画面からダウードの方に目をやった。「私は思ってるところがあるんだけどね。半分あってるかな?」
「なんだそりゃ」
「ま、データが来るまでまだわかんないけどさ……」

 彼女の言葉は、再度の爆発的反応によってさえぎられた。

「うっ……大丈夫か?」
「大丈夫、レーザー発振器ね間違いない」
「プャー!」
 ダウードは頷いて一人と一匹の無事を確認すると、通信機に語りかけた。
「こちらワイゼンクルー、ボラッタ隊無事か?」
『無事だー。あ、ちょっと待て……いや、仲間の一台が無事じゃないようだ』
「……一台? メロカ、軍人なら言葉は明確に」
『メッツドラゴンだよ。衝撃波の瞬間、通信が途絶した。回復は今やってる……あー、いや。ダメそうだこりゃ』
 それを聞いミトが舌打ちした。
「まぁ、ストリーミング通信でよかったねってことで……データは全部回収できてた」


SOL17

「間違いない、核融合反応だ」
「核……だと!?」
 狭いワイゼン機内に驚愕の声が充満した。
 あれから”一日”。五人は母船からよこされた”スカイバード・アイ”の残した解析データに目を通し、それぞれの専門分野で研究を続けた。まず予想外の事実に突き当たったのは、物理学者のエディだった。
「ガンマ線の放射と、発生したエネルギーの大きさを計算すると核反応以外に無い。ポイントは、周囲にある構造物だ。そいつらな」
 クルツが指さした窓の外には、例の構造物が存在していた。
「こいつがレーザー発信源となっている。おそらくガラスレーザーだが、大量に生えたこいつがそれぞれレーザーを発振する。レーザーはルーン特有の気候によって屈折し……まぁ、蜃気楼みたいなもんだな。屈折して、あの砲台とでも言おうか、北の洋上にある巨大構造物に集中するんだ。巨大構造物の周囲にあるプリズムみたいなやつに入ったレーザーは屈折して、一点に集中する。何千発ものレーザーが一点に集中したらどうなるか?」
「高温になる……」
「そうだメロカ。つまり、周囲の水素によってレーザー核融合反応が発生する。発生した莫大なエネルギーは細長い筒状の構造物の中で、上方向に集中する。筒の中に入っていたリン化合物の塊は吹き飛ばされ、マズルブレーキになっている先端から発射され、その衝撃波がメッツドラゴンを撃墜した……」
「なるほど、その時に飛んでいったリン化合物の物体が、ここに来る時に検出した未確認飛行物体ね」ミトは納得したように頷いた。
「いや、まてまて。それは明らかに、高い技術に基づいた兵器ではないか! やはり新種の旧兵器の生き残りか、下手したらパルエ外の文明か……破壊するべきではないのか」とダウード。
「下手に動くと危険だわ。それにあれは旧兵器じゃない」
「そっちでも何かわかったか、ミト」
「ええ。あの子たちは動いてる。あなた達は気付いた?」
「あの子って、レーザー発振装置のことか?」
「ほらみんな見て」ミトは膝の上に載せた液晶画面に、ワイゼンからの定点カメラの画像を連続で表示させた。そこにうつった”レーザーを発射した構造物”は、下部に伸びた足の位置が変化している。
「これが着陸直後。これが1時間前に撮った、同じ場所からの写真」
「……動きがある」
「動いているというか、これはひょっとして……歩いているのか?」
「ピンポン。生き物だからね」
「……は?」
「生き物だからね。この子もとい”レーザー発振構造物”、生きてるのよ。こんなに寒いけど、いいえ、寒いからこそ。このアンモニアの世界に特化した生き物なの」
「それは変だ。こいつから大輝度レーザーが発振されたのは間違いない。生物にそんな事ができるなんて……」エディが否定するが。
「あら、生命は化学反応の連続で生きてるんだよ? ガラスレーザーだって化学反応。できない道理はないよ」
「確かに、奴の頂部にあるのもガラスだし、地面の岩盤にはいくらでもケイ酸塩ガラスがあるが」地質学者のクルツは呟いた。
「もちろん、ただの生命じゃない。私達とは根本的に体の構造が違う。まず、マイナス50度もあると私たちは生きていけない。身体の中で物質を交換する触媒になる、”水”が凍り付いてしまうからね」
「……」
「だから、あの子らは水を必要としない。必要な液体は水と同じ極性分子、アンモニアよ。でもアンモニアの体液では化学反応が変わってくる。私たちは炭素と水素でできたタンパク質で身体を作っているのだけれど、あの子らの身体はリンと窒素でできている。P-N(リン-窒素)生物といえるわね。私たちは酸素を吸って、体内で糖を燃やし、二酸化炭素と水蒸気を吐いて、生きている。一方あの子たちは、この環境で水素の大気を吸ってリンと窒素でできた分子を”燃やし”、アンモニアのガスとリンを排泄する。P-N反応はエネルギーが低い上に低温で化学反応も進まない。だから動きが、私たちがわからないほど遅いのよ。炭素生命の私達とP-N動物とは、まったく違う時間に生きている」
 しばしの沈黙。
「……要するに、代わりの生化学か」
「なんだそれ」
 メロカの疑問にエディが答える。
「ケイ素生命ってちょっと前の空想科学番組で流行っただろ。それの窒素とリンのバージョンだ」
「そういうこと。あの子たちは旧文明のプラントでも何でもない。変な形をしてるけど、動物なのよ。それからあっちの”木”……核融合砲台の方だけど、私の推測ではね。あれは海からアンモニアを、地面からリンを吸収して、光で糖みたいな物質を作っている。排気として水素が出る。その水素を核融合の燃料にしているんでしょうね。この反応は表裏一体。いわば動物と植物のようなものよ」
 全員その突拍子もない新説に、息を飲んだ。

「……我々とは全く違う構造の動物がレーザーをぶっ放して、植物がそれで核融合して砲弾を飛ばすわけか。砲弾がどこに着弾しているかは、これから確認しに行かねばならない」

 

SOL 20


「ピュ」
「ピュ」
「……ピュピュ」
「ピッ!?」
 二匹のクルカはコンピュータの液晶端末でパルエ版軍人将棋をしていた。52手目でピチューチカの連邦総司令部がセニャの操るグレーヒェンに撃破されると、ピチューチカは地団駄を踏み始めた。
「ピチピチピチピチ……」
 メロカは愚痴を垂れるピチューチカの首根っこをむんずと掴み上げ、エアロックに放り投げた。ピチューチカはしぶしぶと船外服に頭を突っ込んで着始める。
「よく訓練されたクルカだ」
 シーバを入れたコップ片手に、エディが笑った。半日の飛行を経てピシア基地に帰還したメンバーは、やっと広い部屋でくつろぐことができた。収集したデータと考察の結果を母船経由でパルエに送り、宇宙機関が次なる判断を下し指令を送ってくるまでは比較的自由な時間ができていた。
「科学者連中は暇なんだろうが、私は二回目の昼飯までボラッタの整備さ」
 船外服を着たメロカが非難するでもなく、ため息をつくように言った。
「そうでもない。私は頭の中では高速で理論が展開しているんだ。頭を使うのが仕事だからな」
 二人はふっと笑った。船外服を着終わったピチューチカを小脇に抱えると、そのままメロカはエアロックの戸を閉めた。
「じゃ、またあとで」

 一度深呼吸して、考えを整理する。あらかじめパルエからの観測で捕捉されたレーザー発振源は、ミトのいう”動物”の発するものだったのか。だがこれは、赤道近くからも検出されている。これまでの調査で判明した事実は、さらに謎を生み出すだけだった。生化学は専門外だが、ミトの提唱した説が本当なら、パルエやエイア、ウィトカで発生した生存圏とは根本的に違った生命が存在していたことになる。さらに面白いことに、ルーンの低緯度地域にもスクムシや耐アンモニア藻類のように、我々の知る炭素生命が存在する。赤道の水の海洋と、極のアンモニア海洋。炭素生命と、P-N生命。それぞれが独立した世界に、生存しているのだ。
 それを踏まえたうえで、あのP-N生命による”砲撃”行為……そして炭素生命しかいないはずの赤道からのレーザー、これがなにを意味しているのか、考えているが検討もつかなかった。旧文明による形骸化した何らかの行為なのか? 考えながらコップを口元に持ってくると、柔らかいものが顔に押し付けられた。見ると一匹のクルカがコップに頭を突っ込んでいる。
「おいセニャ、俺のシーバ飲みやがったな!」
 しっぽをふるふる。あたまがとれないピュイ。
「……」


「おい! 二人とも居るか? まずいことになった、緊急事態だ」
 扉を開け、隣の情報室からダウードが入って来た。クルツとミトも一緒だ。彼らの視線は、すぐ足元に集中した。
「何やってんだ」
「こいつな、コップに頭突っ込んでひとの飲み物飲んだうえコップが取れなくなってんだ。だからこうやって引っ張ってな……」
「ちっ……馬鹿馬鹿しい、放っておけ。それよりメロカは?」
「ボラッタの整備だ。今しがた」
「もう行ってしまったか……仕方ない、回線をつないでくれ。戻って来いと、重要な会議を始める」

 10分後。五人と二匹は大部屋に集まった。メロカが席につくと、すぐにダウードは口を開いた。
「我々の団結に水を差すニュースだ。メルパゼルとネネツが、メディチ島で軍事衝突を起こした」
「!!」
 その場の全員が息を飲む。

 今から50年以上前。パルエ宇宙局の前身、パルエ全球合同調査団が立て続けに発見したパルエ大陸の”裏側”には現在、多数の人々が入植して大きな領土となっていた。全球合同調査団は国家連合による探査だったが、その裏側の肥沃な大地を求めた各国は発見した順に議論のもと領土を制定。その多くはおおむね国家連盟での同意がなされた、それぞれの国が担当する開発区だが、それでも一部領土係争地は残っていた。その一つがメディチ島だ。国境線制定後に海洋変動によって生まれたこの島の領有権を、ネネツ王国とメルパゼル共和国がともに主張していた。

「事件があったのは今から38時間前。パルエからの報告によると、哨戒任務についていたメルパゼルのトグサⅡ対潜哨戒機が、メディチ島の沿岸部で無許可潜航行動するネネツの潜航艦レングード級を捕捉。威嚇のためトグサⅡが海面を爆撃すると、浮上したレングード級から対空ラケーテが放たれトグサⅡを撃墜。脱出したトグサⅡのパイロットはレングード級に捕縛され、以後両国間に緊張状態が続いている」
「よりにもよってメルパゼルとネネツかぁ……」
 そう言ったミトの出身国がメルパゼルだというだけではなく、メルパゼルはワイゼンの最終組み立てを担当しこの計画でもっとも重要な立場にある。一方、ミッションのすべてを総括する、母船にいるムロボロド船長はネネツ軍人である。不幸なことに、計画の重要な立場を占める二国の間で紛争が発生してしまった。
「この事件を受けクランダルトやオーヂアは攻撃的な態度に出たネネツへの経済制裁をちらつかせている。一方パンノニアなどは挑発行為を行ったとしてメルパゼルを非難。国家連盟の場は非難の応酬になり、ルーン探査計画にも影響が出はじめている。このままではどちらかの国がこの計画をボイコットしかねない」
 話を聞いていた四人は、次々とため息をついたり、皮肉るように鼻で笑った。
「……なんていうか、200年前に戻ったみたいだ。南北で対立なんて」
「パルエ人は学習しないな」
「せっかく平和になったのに。そのための遠征なのに、これ。……あーあ。中途半端すぎるけど、帰るの? 帰れるの?」
「それを話し合おう。運営センター、母船ともに現場の判断を尊重すると。このまま対立が長引けば地上からのサポートが不十分になるかもしれない。危険を冒して探査を継続するにしろ、安全のため10ソル早く切り上げて母船に帰るにしろ、現場での合意が必要だ」
ダウードはそこで四人の顔を順番に眺めた。ミトは気だるそうにほおづえをつき、エディは小難しい表情で口元に手を遣り。クルツは目をつぶり腕を組んで、メロカは足を投げ出して、皆黙りこくっていた。各々の頭の中ではこれまでに生まれた謎への思いと、これから暫定的に決められていた探査計画を継続することのリスクが天秤にかけられ、様々な結果を勘案したうえで、四人がほぼ同時に口を開いた。もとより、ある程度の覚悟があってこの未知の惑星探査に志願している。母星で衝突が起こったぐらいで、和を乱されるチームではない。その答えは皆同じだった。


ちなみにこの時、ピチューチカは置き去りにされたボラッタ車内でチヨコを吐きだし、セニャは顔面に吸い付いたコップを取ろうと大部屋の床を右往左往していた。

SOL 24

『赤道付近の弾着地点までワイゼンの巡航速度で3時間。宇宙局本部が使える政治力をいっぱいまで駆使してどうにか連盟を言いくるめたんだ、これ以上政治問題になるようなことはやめてくれよ』
「分かってるよ」船長ムロボロドの衛星軌道からの忠告に、ダウードは返す。
 ネネツとネネツに付くフォウやパンノニアは、これ以上の探査計画への協力継続を保証できないとしてルーン地表からの撤退を要求。一方、メルパゼルおよびクランダルトや西側諸国は、ルーンに生息する正体不明の攻撃生物を調査せよとの強い主張を続けた。それに加えて、ミテルヴィアやテルスタリ皇国などの宗教保守派団体が宇宙局前でデモを行ったり、ニューポールの大使がパンゲア大陸諸国の対立に遺憾の意を示し、裏側に戦火が及ぶような状況では引き上げる意思を暗示するなど混迷を続けている。
 足場たるパルエが政情不安な状態で、全世界がルーン探査に注目していた。


「目標まで30レウコだ。安全のためこの当たりに着陸して、ボラッタで移動する」
 ワイゼンは慣れたように、ふわりと小石の散らばった平原に舞い降りた。周囲に極地で見たような塔状の生物は存在しない。

「日没まで19時間。それまでに戻ってこないと、真っ暗な中を走ることになるぞ」
 カーゴベイからボラッタの搬出作業を行っていたダウードが、腕時計に視線を送って言った。ボラッタを操縦するメロカが銃塔のハッチから顔を乗り出して言う。
「それならいいけど、ボラッタで長距離移動して機器使って、その帰りに日が沈んでしまったら太陽電池で充電できない。ボラッタ走れないから文字通り”走る”ことになるぞ」
「うわぁそれは嫌だなぁ」
 となりのミトがため息をついて言った。
「酸素フィルターが持たねぇぞ。そうなったらクソ狭いボラッタで一晩明かそう」
「そんなのやだー! 公衆トイレの個室で一週間キャンプする方がマシ……」

 ワイゼンに残るのは機長のダウードのみ。残りの四人と二匹は、ボラッタに搭乗して移動する。目標地点は、極地の塔状生物が放った”砲弾”が集中的に着弾するところである。探査機と母船による事前のデータを解析した結果、その場所からは地下構造物の存在が示唆されている。

「全員ボラッタに乗りこめたか?」
「非常に狭い……船外服脱がない方がいいのかもしれない」
「脱がせてよーさっきから鼻の先が痒いんだよー」
 ミトが手袋の先で鼻先のヘルメットガラスをこんこんと叩く。
「ピュイヤ!」「ピーヤ!」
「図々しいやつだ、お前らは外に出ていろ」
 何とか車内に入りこんだ四人。車外に括り付けられていたクルカは空を見上げて、ピュイィ! と鳴いた。
「あ、流れ星」
 緑のローブを纏った流星は南へと航跡を残して行き、地平線に隠れた。数十秒後、クルー達のヘルメットがびりびりと振動する。
「空震か?」
「……地震だ。今の流星が着弾したんだ」
 ワイゼン機外に安置された地震計のデータを見たクルツが言った。一点に集中して落下してくるのなら、ただの流れ星ではなく”砲弾”だ。
「P-N動物の彼ら……わざわざレーザーで核爆発を起こして惑星の端から端まで砲弾飛ばして」
「何が起こってるかは、行くしかあるまい」
 メロカのその言葉でボラッタの両輪はゆっくりと回転を始めた。
「トラブルがなければ、3時間後には着く。山岳地帯を突破するぞ、かなり揺れるかもしれん」

 

 ボラッタが急に停車する。ボラッタ車内のディスプレイに、前下方カメラが捉えた幅3メートルはあるクレバスが映る。
「大した幅じゃないからな……写らなかったんだろう。あるいはさっきの着弾で新しく出来たのか」
「装置でも吊架して、調べてみようか」
 クルツがハッチから乗り出し、車外に係留していた機器を取ろうと手を伸ばした。
「クルカでも投下するのか」
「クルカじゃ見た物を報告できないだろ。カメラをワイヤーにつけて吊り下げるんだ」

「いしょっ……と。ワイヤーを二番滑車に噛ませてカメラを降ろしていく。メロカ、二番滑車をプラス2ノッチで回してくれ」
 一呼吸おいて滑車が回りはじめ、カメラがクレバスの淵からそろそろと降ろされていった。カメラが映したものは車内のディスプレイと、クルツが持っていた端末機に表示される。クレバスに入りこみ暗くなったため、クルツはカメラ付属のライトのスイッチを入れた。
「……旧文明の機械だ!」
「!!」
 思わずメロカが叫んだ。光源に映し出されたクレバスの一角、多数の岩盤の割れ目に埋められていたのは、これまで彼女が幾度となく見てきた典型的なパルエ産旧文明施設の一部だった。
 それらは、クルー達のいる地点から深度1~2メートルで現れはじめ、深さ25メートルのクレバス最深部まで旧文明の機械部品がみっちりと詰まっていた。いずれも、すべて部品単位まで分解しており、しかもどれも強い力を受けたのか焦げていびつな形をしていた。

「すでに破壊された後……?」
「あぁ、残骸のようだな。電磁パルスも素粒子もまったく反応なし。死に絶えている」
 メロカの言葉にエディが驚き返す。
「あれだけしぶとい旧兵器がか? ここより金属の腐食が盛んなパルエでも、691年の開放まであれだけ元気に動き回ってたのに。これじゃまるで、地上施設だかを上から杵で叩きつけて地面に混ぜ込んだみたいじゃないか。カドラン名物のワグノコパンみたいに」
「叩きつけて……うん、なにが起こったのか見えてきたぞ」
「どういうことだ、ミト」
「そうね、まだ根拠は薄いから先に進もう。このクレバスの先が目的地」
 車体の上に座るクルツがあたりを見回す。風雨に浸食されなだらかな山々の谷間まで、クレバスは続いているようだった。
「このクレバスはかなり規模が大きい。迂回するにしても急峻な地形だ。メロカ、どうする」
 その言葉にメロカは喉を鳴らすと、やおらギアをバックに入れ後退。クレバスから30メートルほど離れると停止し、操縦席のハンドル下部にあるレバーを操作し始めた。
「圧搾ガス装填よし、ジャイロスタビライザよし。”飛ぶ”ぞ、捕まってくれ」
 他のクルーが返事をする間もなくクレバスめがけて一気に加速。圧縮ガスを瞬時に解放すると、ボラッタは姿勢を維持したまま浮上して飛び超えた。

「ヒュウ、この車体にこんな機能があったとはな」
「低重力のルーンだからできたことだ。本来はワイゼンから投下させるときのショック吸収用エアだぞ」
「投下ってゴミじゃねぇんだぞ……アーキルは俺たちを何だと思ってんだ」

 

「まもなく目標地点……北極にいた塔が放った砲弾の落下地点だ」車内備え付けの測位機を見てクルツが言った。「母船からの解析データと照らし合わせると、すでに我々は推測着弾中央地から半径千メルトに入っている。メロカ、前方に何か見えるか?」
「何も。前方には何もない」
 その言葉にエディが反論する。
「何もないってこたぁないだろう。数十トヲウごとに”砲弾”が落下しているんだ、この周辺地域一帯に」
「いや、言葉通り前方には何もない、地面も……つまり、崖だ」
 メロカはそう言って、ボラッタを停車させた。前方カメラが、ボラッタから十メートルほど先から広がる広大な窪地地形を映していた。

 

「クレーターだ。ここはクレーターの崖部分なんだ。複雑な形だが、この浸食と岩石の飛散具合は間違いない」
 エディがボラッタの車体の上に立ち、あたり一辺を見回して言った。

 壮大な光景だ。山地というより巨大な丘陵の連続と言った方がいい。のたうつ青緑色の地表に視線を滑らせていくと、赤黒い地衣類やカビの斑点状コロニーが申し訳程度に散っている。見渡す限り広がる世界に比べて、足元のボラッタはどこまでもちっぽけだ。まるで荒れ狂う海面に漂う塵のよう。

「クレーター? 母船からのレーダー観測情報にはそんなこと載ってなかったよ?」
 ミトが車内から無線で訊ねる。
「だろうな。ここは地形が複雑だから低解像度のレーダーで観測しにくいというのと、あと……」
 エディが目前の崖の下に目をやる。植物のコロニーとは違うギラギラした塊が莫大に堆積していた。
「ぐちゃぐちゃとなった旧文明の残骸が、クレーターの底部に大量に混ざっている」
 耐久素材で造られたそれら残骸は、レーダー波を吸収し、あるいは乱反射し、この場所の地形データを紛らわせる。
「……おまけにこれまで長い間あの”砲弾”に一点集中攻撃され続けてきたんだ。地形は単純なお椀型クレーターじゃなくて、かなり複合的な形になるだろう」
「なぁるほど、ね。昔の人の造った居住施設を集中攻撃か。嫌われてるね」
 ミトが察したように含み笑いを見せた。
「まずは下までサンプルを取りに行くぞ。クルツ、ミト、手伝ってくれるか。……んでミト、何か分かったのか? いい加減もったいぶらずに、作業中にでも説明してくれ」
「ん、いいよ。よっこいしょ」
 エディに続いてミトも上部ハッチから身を乗り出す。車体に取り付けられたサンプル瓶と計測機器を取り外し、電源を入れて確認する。これを降りるのか、とクルツが崖から覗きこんでため息をついていると、エディは降下用意をしているふたりに言った。
「まず基本的な装備、担当の計測器が確実に作動することを確認してくれ。あと予備の無線機と電源、酸素フィルターも見といてくれよ。……そしたら船外服にハーネスがしっかり付けられているかを確認。……よし、次に手首の射出錨を。いいな。じゃカラビナと予備ワイヤーを配るから、船外服のとり付け具に確実にくっつけてくれ」

 三人が崖降りの準備をしている最中、メロカは車内モニターからその様子を悠然と眺めていた。車内を与圧してヘルメットを外し、シーバを飲もうとしてコップに簡易ヒーターで温めた湯を注ぎ、乾燥シーバ粉を出そうと足元の私物コンテナを開けると、なんとピチューチカが詰まっていた。
「あっこの野郎、いつの間に入りこみやがった! おいこら食べるんじゃない、私のだ! だから私の! シーバ粉全部飲みこみやがって、あぁもうメイプルケイキのブロックまでぐちゃぐちゃ……最終日に食べようと楽しみにしていたのに……」
 メロカがコンテナの中に腕を突っ込んでピチューチカを掴み上げると、背後でセニャがプャーとあくびをした。振り返って見てみると彼の口も粉まみれだ。
「貴様ら、さっき外に放り出しただろうが……なんで、どうやって忍び込んできてコンテナに……!」
 メロカがセニャに手を伸ばしかけた時だった。

『おい、ダウードとボラッタチーム、聞こえるか。こちらムロボロドだ、緊急事態発生』
 メロカはピチューチカをセニャに投げつけて慌てて無線機に向かった。母船からクルー全員に通達される非常時用周波数による緊急通信だ。
「こちらメロカ、聞こえている」
 続いて無線の向こうから、外にいる三人とワイゼンのダウードの返事が聞こえる。
『極地に生えている例の砲台地点でレーザーの放出を確認。砲弾が発射されたのは間違いない。投射進路はまだ解析中だが、君たちのいるところに着弾する可能性が極めて高い。全科学調査を中断して全速力で撤退しろ!』
「な、なぜだ! これまでのデータから発射されないタイミングを計算してここに来たんじゃないのか!」
 メロカが反論すると、船長ムロボロドの代わりに惑星観測官だったアトイが答えた。計算しているのかキーボードを叩いているような音が無線機から漏れてくる。
『そのはずだったんだが……アノマリーだ。正確には98%以上の確立で着弾しないはずで……」
「要するに、2%のうちに入っちまったってわけだ。着弾まで?」
『ええと……正確なデータがまだ出てないが半時間以内だ。最低でも10レウコは離れてくれ! 正確な安全距離はなるべく早く算出する!』
「当然! いいなお前ら、調査は中止だ。すぐボラッタに飛び乗って帰……」
「待て!」クルツは足元の小石を拾って、サンプル缶を持ったクルツに投げてよこした。「計測器のデータ収集は無理でも、せめてできるだけサンプルを持って帰るべきだ! ルーン脱出まで時間がない、今回を逃したらもう私達はここに戻ってこれない! あんだけ無理を通してプロジェクト延長を世界に認めさせたんだから、計算間違いでクルーを危険にさらした上何ひとつ分かりませんでした、じゃ宇宙局の立場が無くなる! 大丈夫だ。7分で崖の途中まで降りて1分でサンプルを拾ってまた7分で戻ってきてから全速力でボラッタを走らせれば間に合う計算になる」
『いやあの、俺が計算間違いした訳じゃ……』
「クルツ! それこそ本末転倒だ! ここにいる四人全員が脱出に失敗して死んだらどうなると思ってんだ! そんなパルエの政治事情なんて捨てておけ! なぁミト、お前もそう思うだろ?」
「私は……政治的な話はどうだっていいけど、どうしても正体を突き止めたい。私がこの手で明かしたい! なるべく手近のサンプルを取ってくる!」
「なっ……そんな、これですべてが最後って訳じゃねぇんだぞ。第二次調査なり無人探査なり、まだまだ人類にチャンスはあるじゃないか!」
「そうだ、ならボラッタで降りよう! さっきのエアクッションで減速しながら崖の下まで降下して、機動力を生かしてサンプル回収だ」
「ガスは全部使いきったからもう無理だぞ!」
 一刻を争う状況で、船外にいた三人の言い争いを聞いていたメロカの額に青筋が走った。
「お前ら黙れ! 喧嘩している場合か! ……要するに、だ! 四人のクルーの命を危険にさらさず脱出しながら、遠隔操作でサンプルを拾って来たら良いわけだな」
「遠隔操作だと?……メロカ、メッツドラゴンは破壊されたじゃないか」
「だが、ここにまだ二匹いる」
「ピ、ピュイ?」


「よし行け! 無事にサンプルを持って帰ってきたらメイプルケイキの件は不問にしてやる!」
 メロカが二匹のクルカをぶん投げると、ボラッタに三人が飛び乗って走りだした。車内に入る暇はない。車体上にデサントしている。クルツが岩石と地衣類の入ったサンプル缶を振って言った。
 セニャは投げられたまま飛び去り、地面に落ちたピチューチカは崖に向かって猛スピードで走って行った。
「クルカにしては……無茶苦茶速いね、さすがダッシュ遺伝子の持ち主だ。でも飛んだ方がもっと速いんじゃないかな?」
「政治的な場での遠征成果はこいつでごまかせるか……それより、あの二匹は帰ってこれるのか?」
 無線機からは頻繁に締まらない鳴き声が聞こえる。


『ピュイヤ』
『ピ!』
 ピチューチカとセニャは崖の一歩手前まで来て、まるで大鍋みたいな目下の巨大盆地を見下げて顔を見合わせた。これでも宇宙遠征に投入されたクルカ、例外的に頭がいい個体である。メロカに指示された内容をおぼろげながら理解していたし、任務を全うするために適切に船外服を操作することもできた。まったく人間という種族は、我々クルカに頼らないと何もできないんだから。
 崖からふわりと滑空した二匹は、窪地の底に難なく舞い降りた。鍋の底で自分が料理される食べ物になったみたいなのは不快だったが、頭を振って見回してみるときらきら光るものがそこかしこにある。光り物に本能で飛びつきそうになるが、そこはよく訓練されたクルカ。こいつを持ってこいと言っていたはずだ。人間もこれで遊びたいのだ。
 二匹は、ヘルメット目前に用意されたレバーのうち一つに噛みついた。クワガタの角のようなマジックハンドが口元から飛び出し、背中に設置された回収袋の弁が開いた。二匹はこのマジックハンドを使って、自分たちが持っていけそうな大きさのガラクタを放り投げ、器用に背中の回収袋に入れてゆく。
 もくもくと作業する二匹。科学的な価値は分からないが、人間がより興味深いと思えるものを拾うといいエサをもらえるように訓練されている。

 

『射出された”砲弾”の観測結果が出た。着弾予測地点および船外服露出時の危害半径を伝送する』
「分かった、早く離れるぞ。ここから最低3レウコか……安全をとってその二倍は離れたい。時間に余裕はない。あと安全のため、ボラッタの車内に入っててくれ。装甲は薄いが衝撃波から船外服を守れるだろう」
 メロカはアクセルをいっぱいまで踏みこむ。甲高いモーター音が、静かな無人地帯に吸収されてゆく。


 突然、船外服のヘルメット内に電子音が鳴り響いた。ピチューチカは驚いて飛びあがり、周囲を見回すとセニャが浮上しながら何か言っている。
『ピュイ! ピチィーッ、キュア!』
 思い出した。電子音が鳴ったらボラッタに向かわないと巨大なチヨコが天から降ってくるのだ。
『ピーヤ!』
 ピチューチカもセニャのあとを追って飛びあがる。背中に入れた荷物が重いが、頑張って崖の上まで飛んでいった。


「よし、ここらまで来ればまず大丈夫だろう。あの岩陰で衝撃波を凌ごう」
 ワイゼンを止めたメロカは、操縦席ハッチから頭を出し望遠カメラでクレーターの方角を覗いた。
「二匹が気になるか?」
「ん? ……まぁ、貴重なサンプル持ち、だからな。今後のパルエの宇宙開発を決定する」
 びりびりびり、という空震を感じる。上方監視カメラに、北の空から一条の流れ星が迫っている様子が映し出された。
「……居た! 私が奴らを放り投げた辺りでうろちょろしている」
クルツが腕時計に目をやる。
「もう遅い、百秒を切った。回収しに戻るなんて無理だ、諦めるしかない」
「まだだ! こんなこともあろうかと!」
 メロカは操縦席サイドのレバーを引くと、車体上部の発煙筒が着火。続いて砲塔後部に装備されていた信号弾が連続射出された。緑、赤、青、茶、白。
『ピーヤ』
「気づいたか、お前ら早く戻って来い!」
 二匹のクルカは地平線から昇る信号弾を見つけたのか、周囲に煙をまき散らすボラッタにむかって一直線に飛んできた。
 数秒後、ケイ素塊が音速の10倍で地表に激突し、莫大なエネルギーを生み出した。


 薄暗かったルーンの地表で、ボラッタの車体は爆発による閃光に煌々と照らされた
「衝撃波、来る!」
「うおっ、掴まれ!」
 数十秒後、轟音が車内に轟き地震のように車体を震わせた。車外に取り付けられていたカメラのうち着弾方向を向いていたものはいずれもフレームアウトしている。車体に小石がぶつかっているのか、金属を叩く音が響き渡る。

「……すごい爆発だったな。一体どれだけのエネルギーが解放されたんだ」
 砲塔ハッチを開けてエディが空を見上げる。続いてメロカも、操縦席ハッチから体を乗り出した。
「あの二匹……」
 ……びたーん! 顔を出したメロカの目に最初に映ったのは、衝撃波に飛ばされてボラッタ目前に着弾したピチューチカとセニャだった。

 

 

SOL 30

 振動が止まり、ワイゼンよりはるかに広い居住区室内は静かになった。時々何かの電子音が聞こえるのみだ。一呼吸置いて、六人は同時にため息を付いた。
「……探査母船パルエ・ド・ピシア、ルーン離脱軌道及びパルエに向かうボルマン遷移軌道投入の成功を確認。これでルーンから完全に離脱し、まっすぐ母星に帰るだけだ。諸君、ご苦労だった」
 その場にいた全員から拍手が沸き起こった。あとは自動操縦で軌道巡航が安定するので、パルエ近傍までまず安泰だ。肩の荷が下りたクルー達は、思い思いの行動をとってリラックスしている。
 ミトは自席の窓に目をやった。漆黒の宇宙空間に、小さくも美しい青緑のガス球が浮かんでいる。いや、ルーンだ。パルエと比べて直径45%、自分はあれほど小さく、広大な世界に居たのだ。
「お疲れ様、そしてこれからもよろしくね」
 自分たちを母船まで運んだワイゼンは、大重量なためパルエに持って帰ることはかなわない。その代わり母船に搭載されていた各種観測機器を移設して、大型の無人探査機として今後も使い続けることになっているのだ。地上に残してきた計測機器とともに、今後数年間は貴重なデータを送り続けるだろう。
「いろいろ想定外の連続だったけど、とにかく全員無事で貴重なデータや試料が手に入って良かった。パルエからも良い反応があるだろう」
 クルツの独り言を聞いて、エディは思い出したように言った。
「おぉ、そう言えばミト。ルーン地表で聞きそびれたあんたの仮説ってのを、話してくれないか」
「ん。そうね、忘れてた。これは私の仮説というか、妄想も結構入ってるんだけど……」


 ……昔々、パルエに暮らしていた人々が宇宙に進出した。あるチームは水も空気も無い小天体に基地を造り、あるチームは乾いた惑星をパルエフォーミングしようと努力し、あるチームは……濃い大気と液体のある天体に植民しようとした。
 だがそれらの行動は、我々のようにフロンティアへの挑戦という希望に満ちあふれたものではなく、南北の戦争から逃れるためのものばかりだった。だから、ルーンのような厳しい環境でも植民し、居住区を設置しなければならなかったのだ。文明崩壊の危機に対する、バックアップとして。
 ルーンで一行が見つけたのは軍事施設では無かったのか? いや、ルーンから発掘された金属の分光結果とパルエの旧文明エリアのデータベースを比べてみると、民間施設だった可能性が高い。
 厳しい環境とはいえ、酸素も水もある。濃アンモニアのアルカリ性だとはいえ、フィルターで濾せば生命維持は可能。人々はこの奇妙な世界で居住を始めたはず。そのうちパルエ産のコケやカビ、スクムシ等環境に強いものを遺伝子改造して持ち込んだりもしただろう。

 新たな地に来た居住者は……その土地の先住民からしてみれば、侵略だ。ルーンの場合もそう。この惑星にもとから住んでいた、我々人類が知る生命とはまったく異質な生命組織――リン(P)と窒素(N)でできたルーン生命は、他の惑星からやって来た炭素生命の侵略を受けたのだ。ルーンの生命に知能があるかは分からない。あったとしても化学反応の早さが全く違い、流れる時間が根本的に異なると予想される。人間にとっての数年が、ルーンのP-N動物にとっての数秒かもしれない。彼らの世界を人間が理解することは不可能だ。

 そしてルーンの生命は、この侵略に対し、”宇宙戦争”を挑んだ。だが我々にとって極寒のルーンは、彼らにとって酷暑の世界。赤道地域のみ侵入したパルエ人に対し、ルーン生命が直接攻撃しに行くことは不可能だった。彼らは手段として、自己を大陸間弾道兵器に進化させることを選んだのだ。P-N動物は頂部の結晶からレーザーを発振し、数千匹分のレーザーは一点に集中。天然の核融合反応が発生し巨大なケイ素の塊を射出する。極地から放たれたそれはルーンを四分の一周して、赤道の人類居住地域を爆撃したのだった。
 おそらく、そこに居住していた人々は驚愕し、困惑しつつもルーンの生命に対して攻撃を選んだに違いない。なにせ人類だ。パルエでは同じ人類同士で殺しあいしているのだ。異種族であるルーンの生命に容赦はなかっただろう。

 しかし……経緯がどうであれ、人類は敗れ去った。ルーンの生命には感知しえないほどの早さでルーンを去り、あるいは滅亡したのだ。そして数万年経った。だが”彼ら”にしてみれば、いまだ数分が経った程度でしかない。ルーンという惑星で侵略戦争に打ち勝ち、再びこの星の主となったP-N動物は、人類の目まぐるしい変化を何も知らず、今も生体砲弾をかつて基地であった場所に撃ち込み続けている――

「……なるほど、な。いや興味深かった。本当のところはどうか分からないけど、いや、案外事実かも知れないな。少なくともこれまでの調査と矛盾する点はない」
「言ってみれば、人類とP-N動物との間で起こった南北戦争、か」
「何も理解せず未だに人類の遺構を爆撃し続けるルーンの生命を笑うのは簡単。でも、人類もことあるごとに戦争を始め、ほとんどの人が何も考えずにいつまでも続ける。旧文明の南北戦争、現文明の連邦と帝国の百年戦争、そして現在……」

 その時、パルエ・ド・ピシアにパルエからの通信が入った。ピシアがルーン軌道を離脱したとの報告に対する、宇宙局からの返信だ。祝福の言葉や技術的なデータ転送の最後に、このようなニュースがもたらされた。
『……哨戒機を撃墜するという行き過ぎた行為に対してネネツ政府からの謝罪があった模様。それに対しメルパゼル当局も、無警告爆撃という威圧行為に対する遺憾の意と見直しを表明。今後このような衝突を起こさないよう、連盟の仲介の元、両国の間で連携を取り合って平和的な解決を目指していくとのこと。また各国政府もこの談話を受け平和裏の交渉を全面支持すると相次いで発表。連盟会議の場は、再び活気を取り戻し重要な話やどうでもいい話でにぎわっている……』

 この通信を聞いて、船長ムロボロドはにっと笑って言った。
「……まぁ、かつての人類と違うのは、我々は少しづつでも進歩していってるってことだ。我々の理性と信念を、信じよう」

 そこに気づくなんて人間も少し賢くなったじゃないか、とセニャは皮肉ったが、人間にはピュイと鳴いたようにしか聞こえなかった。

 

 


おまけ1

 パルエに帰還するピシア船内。自動操縦とは言え決して暇ではない。地上探査でクルー達が拾ってきたデータやサンプルの調査で、船内の研究機材はフル稼働。帰ってしまったらサンプルは惑星じゅうの研究室に持っていかれる。今手元にあるうちに、できるだけ論文を書いてしまいたい科学者陣は忙しい。
「精が出ますな。ほれ、セニャ。食いな」
「ゲボォ!」
 一方、エンジニア兼軍人であるメロカは時間を持て余し気味だ。
「おいメロカ、俺の持ってきたシーバをおごってやるから手を貸してくれ」
 だから科学者たちの手伝いをさせられることも珍しくなかった。
「クルツか。今度は何の操作だ?」
「機械弄りじゃない。分光観測器のデータをメモに移してグラフ製図してくれ。サンプルを光学分析した奴だ。ホレ、これがその資料」
 クルツはデータの入った神経記憶板をほいっと投げてよこした。
「わかった……そういえば気になってたんだが、最後のクレーターでクルカ二匹が持って帰って来た旧文明機械のサンプルはどんな奴だったんだ?」
「知りたいか? セニャはな、あいつは優秀な奴だ。旧文明の中でも新種のコアパーツのような部品を持ち帰って来た。極めて興味深いが……あれはちょっと慎重に扱わねばな。本格的な調査はパルエに帰ってからになるかもしれない。ピチカの奴は……ああ……最大限良く言えば、民間人の生活が分かるような、そんな代物だ」
「……民間人の生活? なんだったんだ」
「シーバの粉と、ブロックケイキの化石だよ。腐ったメイプルシロップ付きのな」
「はぁ?」
 振り返ってピチューチカに目をやると、コンピュータの液晶端末でパルエ版軍人将棋をしていた。86手目でセニャの操るジッカスがピチューチカの皇帝艦にぶっ刺さり、またもや敗北していた。
「ピィーヤ……ッ」
 彼女はメロカの視線など知らず、頭を激しく上下させるだけだった。

 

 

おまけ2

『世界初となる共同宇宙探査計画、その中心となる宇宙船パルエ・ド・ピシア号の設計は大詰めを迎え、本日着陸試作機エオ・ワイゼンが打ち上げられ宇宙空間での実証実験を……』
 メロカは宇宙飛行士養成機関”星の街”のロビーで暇を持て余していた。どのチャンネルに回しても、テレビは自分たちのことばかりやっている。こんな僻地にいると、たまにはシャバのニュースが聞きたい。”アーキル珍料理店特集”とか、”ネネツの漁師 南極海一攫千金”とか。”テルス探訪記”もいいな、たまに犠牲者がでるやつ。ここは六王湖の更に奥、エゲル盆地最奥部だ。こんな悪環境で外に出て歩き回れば数分で倒れる。テレビを見るぐらいでしか暇をつぶせないのだ。

 と思っていると、唐突にロビーのドアが空いて二人の男女が入って来た。今の今まで足をソファに投げ出していたメロカは、さっと立ち上がって丁寧な挨拶をよこす。ここにいるということは、おそらく彼らも宇宙飛行士候補なのだろう。二人はメロカに向かいあって椅子に座った。
「なにかやってますかな?」
「んぇ、いえ。特に興味深いものは。といってもどのような番組が好みか存じ上げませんが……」
 テレビはニュース番組が終わってCMを流していた。パンノニアで新タイプの自動車が発売されたらしい。最近は廉価な普通車にも四輪が増えてきた。
「私はネネツから来た、ムロボロドと言います。彼女はミト。メルパゼルの分子生命学者です。以後、お見知りおきを」
 ムロボロドと名乗った男は丁寧に挨拶をする。隣のミトは対照的にフランクな感じで、にひーと手を振った。
「失礼ですが……貴方は軍人の方ですか?」
 メロカはムロボロドに視線をやって尋ねた。軍人と民間人では、微妙な空気というか立ち振る舞いが違ってくるので、何となく分かる。
「ふふっ、分かりますか。士官学校では医者の免許を取得して、警備艦隊で軍医をしていたり、まぁ色々と。あなたもですね?」
「アーキル出身、セルスロードヌイ・メロカです。戦車の乗員などやってましたが、うちの一家は代々艦隊勤務の筋でして、家族を見返してやろうと飛ぶことを目標に猛勉強していたら”星の街”まで来てしまいました」
 そう言ってメロカはたははと苦笑した。
「それだけの能力があなたにあったということなんでしょう。さぞ、ご家族にも自慢できるでしょうな」
「いえいえ……先祖には帝都まで迫った猛将がいますんで、しょっちゅう引き合いに出されて。他の星にでも行かない限り、追いつけません」
「帝都まで……!? ひょっとして、第二艦隊の」
「そうそう、クレアシオです。私の曾祖母が砲雷長をやってまして」
「おお、よく知っています。帝防大でやりますよ、”孤高の砲雷長”でしょう」
「あのぉ……」ミトがおずおずと手をあげた。「すいません、私の家は代々文民なんですが、そんなにすごい方なんですか?」
「リューリア会戦はご存知でしょう」ムロボロドが説明する。「その時に初戦の奇襲でノイエラント……今と違って首都ではないですが、帝国軍の一大拠点だったところまで侵入した艦隊が居たんです。戦艦クレアシオ率いる分艦隊ですがね。その時のクレアシオは艦橋を撃ち抜かれて艦長と分艦隊司令部が全滅、砲雷長だった女性が自分の戦艦と分艦隊を一人で指揮して見事奇襲成功、そのまま追撃も振り切り本国まで帰って来た名指揮官です。それが彼女の曾祖母、”孤高の砲雷長”ですね」
「へぇえ……連邦が大敗した、ぐらいしか知らないんだけど、大活躍した凄い人もいたんですねぇ」
「まぁ顔も知らない昔の人だから……」
 まったく家族のことで褒められたことはたびたびあるが、居心地が悪いのはいつになっても慣れない。
「む、ムロボロドさんのご先祖様もひょっとしてネネツ艦隊に務めていたりしてました?」
「まぁ、有名人ではありませんが。リューリアでは祖父が重巡に乗っていて、目前で連邦の総旗艦が沈んで行ったということを、よく私に話していましたね」
 唐突に、少しだけ開いていた扉からクルカが勢いよく飛び込んできた。
「ピュイヤァ!」
「うえ、なんだこいつ」
 クルカはメロカを見るなり、一直線に彼女の頭の上に飛び乗ってヘドバンを始めた。
「あ、ピチューチカじゃない」
「ミトさんご存知なんですか」
「うん、あんまり人に慣れない個体なんだけどなあ。なぜかメロカさんが気に入ったみたいですね」
 ピチューチカはメロカの頭にひょこっと乗ったまま、鼻歌を歌い始めている。
「ほら重いでしょ、メロカさんから降りなさい!」
「ピ!」
 近寄るミトから、メロカの頭で隠れるように乗ったまま離れない。
「まぁ、いいですよ。私も鍛えている」
「おっかしいなぁ……まぁいいか。この子宇宙クルカのなかでも珍しい、ダッシュ遺伝子持ちでね」
「ダッシュ遺伝子とは?」
「最近見つかったクルカ特有の遺伝子でね。旧帝都緑地を中心にして半径100レウコに生息するクルカがたまに持ってる遺伝子です。この遺伝子を持ったクルカは地上で走るのがすっごく速くて、なんと人間と同じぐらいなんですよ。一体どういう由来なのかっていう研究で分かったのは、そこまで古い遺伝子じゃなくて。ダッシュ遺伝子持ちクルカはすべて、170年程度前に帝都付近で生まれた、ある一匹のクルカの血を引き継いでいることが判明したんです。まぁ私の卒論テーマでしたけど。北半球ではまずみられない、珍種ですよ」
「ほう、見た目はただのクルカだがなぁ」
 ムロボロドが手を伸ばすと、やはりピチューチカはメロカの頭に隠れる。

「そうだ、遺伝子と言えば。メロカさんの髪色、南方皇室系の血が混じってません?」
「そういえば。セルスロードヌイと言えば、クランダルト皇室の側筋の系列じゃあないですか」
 ミトがこの辺です、と自分の背中首元あたりに手をやった。メロカはよく自分を観察していることに驚き笑いながら、黒い髪を掻き分けた。メロカの長い髪は一見すべて黒髪に見えるが、後頭部から生える一束は綺麗な白銀色をしているのだ。一番後ろの髪束と首にほとんど隠されていて、おまけに目立つところは染めているのでよっぽど注意しないと分からない。
「よく見てましたね。私の曾祖母は帝都に直行したんですが、その相手をした近衛艦隊の中で、この時の戦いぶりを見て感激した方がいました。停戦後北半球に向かって曾祖母の元を訪ね、紆余曲折があって結婚し、私の祖父が生まれたんですよ。その方はクランダルト皇室関係者の縁類、確か当時の近衛騎士団長の弟だったかな……」
「ピュイヤモグモグ」
「あっこら、髪につばをつけるな! ちっ……こいつ、ピチューチカと言いましたか。よし、噛みそうだからピチカと呼んでやろう。流石にそろそろ重くなってきたからおりろ、おいピチカ」
「ゲボァ!」
「ぐあっ、こいつ……吐きやがったなぁ! おい待て、逃げるな、おい。こら! 待たんかい!」
 メロカの頭部から飛び降りたピチューチカは、信じられない速さで床を走り廊下に消えて行った。メロカもそのあとを追って廊下を走り去ってゆく。
 あとに残されたムロボロドとミトは、長い廊下を駆け行くひとりと一匹をぽかんと眺めるしかなかった。
「滅多に吐かない個体なのに、本当珍しいな」
「……なんなんだ、あのコンビ」


『対立の惑星』登場キャラ&メカ紹介ページ

最終更新:2016年12月30日 14:20