諸島の海の「主」

――――――定期診断実行―――――――――――――――

エンジン出力――30%に低下、航行に支障なし。
乗員ステータス―不明、自動航行を続行。

船体状況――――左舷に浸水確認、隔壁正常作動中、航行に支障なし。

兵装――――――使用不能、接敵時の自衛手段なし。深刻な問題。

IFF―――――破損、消失。先ほどの衝突が原因の可能性あり。

ソナー―――――正常作動、異常なし。

現在設定――――自動偵察及び救難信号の継続的発信、乗員の救助要請。

――――――定期診断終了――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

「こちら操縦室。何か目ぼしいものはあったか?」
 右側にある伝声管から定期連絡が入ってくる。考え事をしていた私は、もう20分経ったのかと少し驚いた。
「こちら偵察室、今のところ新たな発見無し、いつもの静かな海だ」
「了解。もうこの辺りには使えるものは残ってないのかもしれないな」
 目の前には澄んだ水色の世界が広がっている。周りには野生のクルカが飛び回るかのように泳ぎ回っているのが見える。初めて海の中を見たときは、その美しさに何も言葉が出なかった。地上の荒れ果てた大陸とは違う、命あふれる世界がそこにはあった。
 定期連絡を終えた私は、さっきまで続けていたことを再開した。今は、私の父親から聞かされたある物語について空想を膨らませているところだ。

 

――――――――――――この海には、平和を守る巨大な「主」がいるんだ。「主」は普段は姿を見せず、どこかに隠れて海を見守っている。そして、海を愛し海に命を捧げるものの前に琴の音と共に現れ、素晴らしい贈り物をその者に与える。だから、お前も海を愛する男になれば、いつかは会えるだろうな――――――――――――――――――――――――

 

 小さい頃に聞かされたこの物語が、私はとても好きだった。みんなに言ったら笑われるだろうが、私はこの「主」が存在していると信じている。別に贈り物がほしいわけじゃない、ただ、存在してほしいと、一度そんなものに会ってみたいという好奇心だけだ。可潜通報艦アトイカムイの偵察員に志願したのはそんな思いがあったからというのが一番の理由だ。海の中は神秘に満ち溢れている。私は、その神秘に触れてみたいのだ。

 きっと、いつまでも海の中は静寂に包まれて、その静寂に神秘を隠し続けるのだろうと、深い青と空の青を混ぜ合わせた美しい世界を眺めながら私は思った。

 

――――――その静寂は、一瞬で破られてしまった―――――――――――

 琴の音のような音と共に船体が揺れる。まるで何かが衝突してきたような振動がアトイカムイに襲いかかった。泳いでいたクルカたちはあちらこちらに散っていってしまった。見える限りでぶつかってきそうな生き物はいない、衝突するような構造物は左側に一つぽつんとある岩場だけだ。一体何が攻撃してきたのだろうか?
「こちら操縦室!一体何が起こった!確認できるか!?」
 伝声管から驚きと焦りが混じった声が届く。どうやら向こうでも正体が分からないようだ。
「こちら偵察室、周囲に建造物及び敵性生命体確認できず!原因不明!」
 そのやり取りの直後、2回目の衝撃が襲った。一回目では分からなかったが、衝撃が左側、つまり私がいる方向から来ている感じがした。確証がないが、これ以外に情報がない。
「艦長!恐らくだが衝撃は左側から来ている!繰り返す、衝撃は左からだ!」
「なんだって?どうしてそんなことが分かる!?」
「とにかく左側から来ているんだ!急いで逃げろ!」
「わ、分かった!右へ急速旋回、本艦は当海域を脱出する!引き続き衝撃に注意、最大船速で離脱せよ!」
 一段と向こうが騒がしくなった。これで何とかなるだろう、と私は安堵した。あの衝撃でこの船が壊れることはないだろうが、それ以外に何もないとは言えない。一刻も早くここから逃げたい、その一心だった。

 

 

 その時、私は見た。岩場から現れる影を、生き物とは思えないその形状を。さっきの衝撃はあれがやったのだろうと思うと、普通の人なら恐怖しか感じない光景が広がっていた。
 しかし、私はそれを見た途端、反対にさっきまで感じていた恐怖がどこかへ行ってしまった。私は、命を脅かすものへの恐怖ではなく、神聖なもの、偉大なものを見た時の、心が満たされたような静かな畏敬の念を感じていた。まさか、と思った。あれは父のおとぎ話だ、実際にあるわけがない。しかし、目の前にいるあれを説明できるのは父から聞いたあの物語しか思い浮かばない。
 そして、私の疑念は、偵察室の無線からの言葉が、私が知らない言葉で、さらに人間の声とは思えない声によって取り払われた。

           もう証拠は十分にあった。

 

      私は確信した。

 

あれこそが「主」なのだ。あの物語は本当だったと、私の追い求めていたものが現れたのだと、頭の中がそのことでいっぱいになった。伝声管からは未だに大騒ぎが聞こえてくる。しかし私はそれが遠く、小さく聞こえた。それほどの衝撃だったのだ。

 

アトイカムイは「主」から離れていく。「主」は、私たちを追うこともなく、そのまま海の色に溶け込むように消えていった。しかし、私は、「主」のことを一生忘れることができないだろう。誰も知らない、私だけの秘密。きっと父も出会ったのであろう、「主」からの贈り物として―――――――――

 

 

 

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航行中、移動する人工物を発見。

データベース照合……一致無し。

  救難信号……反応なし

  電文……反応なし

  我々の救助要請に応答せず、救助の意思なしと捉える。

人工物、右へ転進、本艦から離れる航路を取った。敵対行動に該当せず。

  本艦は転進、自動偵察を続行。救難信号は継続して発信。

 #9*5/10/25/13:42 作戦開始から4&$6年2カ月1<日13@間4)分

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最終更新:2016年02月13日 00:27