『雪原の小狼』

 『雪原の小狼』  著 mo56

 

 白銀のキャンパスの様な雪原上を、遠くから見れば4つのダニとも形容出来るような車両が一列に這っている。
  辺りには絵の具を撒き散らしたかのような、吹雪が舞い荒んでおり、100m先の景色を確認することすら難しい。
  そして、先頭を走っているダッカーの上部より一人の男が這い出ては、周囲を見回しながら操縦手の右肩を軽く叩きながら、声をかける。

 「ダウ軍曹、右だ。 右に寄せるんだ」

 そうよく聞こえるように、操縦手の耳元で話しかける車長である男は、声を掛けるよりも操縦手の体を叩いて、車両の進行方向を指示するのが最適と思ってはいるが、出来ることなら確実に指示を飛ばしたい。
  こちらの指示をしっかりと受け取ると、操縦手はこちらを見ずに小さく頷いてから、慎重にダッカーの進行方向を右に寄せてゆく。
  幾ら不整地に強い特性を持つ戦車とは言え、雪道は油断ならない。
  視界は前述の通り最悪であり、おまけに吹雪も舞い込んできては目もろくすっぽに開けない。男の顔面は風に耐えるためにマスクを何重にも覆い、目の部分だけをフィンの切れ目のように細く切り開いているが、それでも雪と風は容赦なく目に痛みを与えてくる。
  迂闊に目を開きすぎれば、網膜は一瞬にして駄目になり、暫くは陽の光を拝めなくなるであろう。

 「よし、そのままで維持してくれ。 暫く直進だ」

 その間に車両が指示した通りの方向へ寄せられると、今度は操縦手の首襟を引っ張ってから頭頂部を軽く叩いた。
  首襟を引っ張る仕草は進行方向の維持を示す合図であり、頭頂部を叩く行為は前進を促すものである。間違いがないために男は口で述べたりもするが、どうせ操縦手の耳には届いてやしないだろう。ただでさえ辺りの強風に加え、極寒地を突き進もうとするダッカーのエンジン音が如何に喧しいか考えて欲しい。
  その為に操縦手は車長の指示を体に直接受ける他に無いのである。

 「…白銀の地獄だな」

 操縦手に指示を飛ばしてから、車長である『ブア曹長』はそう前方の白い闇を眺めながらそう呟き、後方からついてくる3台のダッカーへ振り向きながら、あたり一面を覆うこの吹雪を呪った。

 「さっさと帰りてぇよ」

 恨めしげにそう吹雪に言ってから、ブア曹長は己の運の無さに反吐が出そうであった。

 

 

 ブア曹長が吹雪舞い荒む中を駆ける数刻前、彼は指令部が設置してあるテントを這い出ると、雪を幾らか被り始めている数台のダッカーの脇を走り抜けながら兵舎のテントへ向かった。そして、テントを潜り、ブア曹長が真っ先に目にした光景は酒保物品である煙草に手をつけ、あろう事か曹長自身の分にも手をつけては、木箱を椅子代はりにして呑気に一服しているダウ軍曹の姿であった。

 「やい、軍曹。 そりゃ、俺の分のじゃぁないのか?」

 テント内で他に惰眠を貪っている兵士達を掻き分けながら、曹長はテントの奥まで押し進んで、曹長が近づこうとも毛ほども気にも留めない様子で一服している軍曹へ詰問した。しかし、軍曹は曹長が幾ら顔を険しくして睨みつけてこようとも、まるで悪戯をした後のクルカの様に

 「えぇ? いや、知りませんでしたよぅ…」

 そう呑気に答えてしまうのである。
  軍曹の出身はニヂリスカであり、曹長の出身はオデッタではあるが、この部内においては反目し合わない事を誓ってある。
  しかし、その宣誓が守られた事は一向に無かったし、軍曹は明らかに曹長を舐めて掛かっていた。
  『対帝国連合』等と御大層な名前をしていても、中身としては寄せ集めの外人部隊と言ったところである。他の部隊には壮大な思想を持つ者もいるのであろうが、少なくともブア曹長はその様な者を見た事がない。
  同郷の者達は打倒ニヂリスカと叫びつつも、そのニヂリスカ連中と肩を並べて戦っている現状に対しては不思議なことに誰しもが口を閉じ、内地に引っ込んでいるよりもしっかりしている食料や酒保の配給に満足していた。それはニヂリスカも他の国々の連中も同じであろう。
  例え、配属された戦線が極寒の僻地であろうと、その環境に負けず劣らずの生活環境を強いられてきた者達にとっては、ここは地獄には思えなかった。
  それに、少なくとも内地に居た頃のブア曹長は、煙草を一本まともに吸えたことすら無かった。

 「いいから、さっさと返しやがれ。 このニヂリスカの枯れ木めっ」

 そう軍曹へ罵声を浴びせながら、兎に角今は、軍曹の足元より煙草を数箱ひったくって、己の雑嚢へ押し込むだけであった。

 「そういう曹長殿は、オデッタの石ころでありますねぇ…」

 曹長が雑嚢へ煙草を押し込む様を見て、軍曹が負けじとそう小さく言い返すと、周囲で小さく笑いが起こり、その通りだと掠れ声に野次が飛んだ。
  それは、お互いの容姿の形容具合が言い得て妙であるからである。
  軍曹の体躯は曹長の言ったとおり、痩せぎすでひょろ長く、女性ではあるもののそれは些細な問題であり、また曹長の体躯とはあまりに小柄で石の様にゴツゴツとした物であった。この凸凹な二人が軍務に就いて長い事は皆知っていたし、言い争いをしている様も至極滑稽である事で、半ば部隊内のマスコットの様な存在になりかけている様な節が幾らかあった。

 「…それで、曹長殿。 何か伝言を預かってきたのでしょう? 前線までの除雪ですかぁ? それとも、前線へ移動で?」

 一旦周囲の笑いが収まると、軍曹は雑嚢へ己の酒保物品を仕舞い終えた曹長を見ながらそう聞いた。
  彼女の言葉に、兵士達の視線が一斉に曹長へ集中する。元々自分らは対帝国連合の集まりの一兵站部隊として配属されている身だが、度重なる最前線の混乱を経て、部隊は何度も解散と再編成を繰り返し、気付けば輸送任務を行う部隊であったはずが、ダッカーを3台程有する『戦車小隊』へと変貌していた。
  何故、そんなクルカがスクムシに変貌する程の奇妙な変わり方をしたかといえば、皆は口を揃えて部隊長である『諸島人』の仕業であると言う。
  元々、兵站部隊で収まっていれば良いものを、出世欲か何かに駆られたか、最前線への異動配置を部隊長が独断で決めて嘆願書まで提出してしまったのだ。しかし、ただの歩兵部隊では面白くなかったか、部隊長は更に戦車部隊に目を付けてしまい、急遽『歩兵部隊』から『戦車部隊』への変更を決定した。
  元よりダッカーを扱える者など外人である彼等にいる訳無かったのだが、そこをどう頑張ったか軍事顧問としてアーキル正規軍から数人ほど戦車兵を引き抜いて、それを部隊に当てさせたのだ。それから、幾度かの演習と言う名の実戦を踏まえて外人連中はそれなりに戦車の操縦法及び運用法を習熟するに至ったのである。
  アーキル軍の上層部においても、幾らか外人部隊連中にも我が軍の戦車を扱える部隊があれば都合が良いと判断されたらしく、部隊長の嘆願はすんなり通ってしまった訳である。

 「除雪程度なら有難い処だが、残念ながら前線へ移動だ。 だが、それだけじゃない。 移動予定の前線基地から、通信がこない。 俺達の任務は前線基地への強行偵察だ」

 「…敵が戦線を突破してきたって訳ですかぁ?」

 「十中八九な。 ただでさえ、この戦線は不安定だ。 何日も同じ前線基地を奪い合っているような物さ。 3時間後に出撃する。 俺が先頭で、部隊長も出るという話だ」

 軍曹の質問に答え、部隊長も出撃すると聞くと周囲は僅かにざわめきを見せた。
  あの何を考えているかもわからない部隊長が出撃するというだけで、彼らには恐ろしく珍しいことに思えたのである。
  曹長自身も先程のテントで本人からそう告げられた時には、幾らか耳を疑いもした。
  しかし、その様な事情など今は気にしている事はないと、ブアは雑嚢を背負い込むと、テントを出て車両の元へ向かう。
  テントを出て数歩いけば、すぐそこに雪原仕様のダッカーが3台並んでいる。
  迷彩に車体を白く塗り、転輪の代わりに大型のソリを装備し、後部には巨大なファンが備えられている。乗った当初はオデッタにある訳もない最新兵器に度肝を抜かれたが、これに乗って2年も戦えば様々な興奮も冷めきってしまう。
  元より鉄の棺桶にソリを付けたような物で、そこらのダッカーと比べれば幾らか豪華ではあるが、棺桶に花が添えられたかの違いであろう。
  視線を横に向かわせれば、内地より送られてきたデーヴァの指揮車が見える。
  これにはソリは備えられておらず、ブアには縦長の棺桶に見えた。
  そして、それが何を意味するのかについては、出撃した際にわかった。

 

 「止めろ、止めるんだ。 後ろでトラブルだ」

 ダッカーの上部から曹長が、軍曹を叩いて指示を出した。
  車両が緩やかに雪の上に停止すると、操縦席から呑気そうな顔で軍曹が顔を出してくる。

 「どうしたんですぅ…?」

 「部隊長のデーヴァが雪に嵌りやがった」

 曹長はそう言うと、ダッカー側面に備えられたスコップを取り出しながら、軍曹にエンジンを付けたまま待機していろと告げる。
  そのまま後方へ雪の上を走っていくと、他の車両からも兵士が出てはキャタピラの嵌った部隊長車であるデーヴァへ走り寄っている。

 「なんで、隊長の機だけ雪原仕様じゃねぇんだ」

 そう愚痴を零しながら、曹長は素早く深く嵌っている転輪を掘り出そうと作業に掛かる。

 「仕方ねぇさ。 無理に前線に出ようとするから、こんな目に遭うんだ」

 必死にスコップを動かす脇から、それを手伝うように入ったバリー曹長が曹長と同じように呻いた。彼は部隊内でだいぶ少なくなったアーキル戦車兵の残りであり、以前はブアも彼に教えを乞うたものであった。

 「俺たちのダッカーは雪原仕様だが、隊長のデーヴァは後方から送ってきた新品同然だからな」

 「一体、何処から仕入れやがったんだろうな?」

 「さぁな。 どうせ、『諸島人』のコネか何かだろう? 連中はいつもそうさ」

 雪を空中へ放りながら、バリーが嫌味たっぷりにデーヴァを眺めた。
  辺りの吹雪は一向に収まらず、体を冷たく蝕んでいく。
  周囲のダッカー達のエンジン音が強風の音を彩るが、これも止めば恐ろしいまでに静かな場になってしまうだろう。

 「出せそうですかぁっ! 隊長!」

 幾らか掘ると車両を押し出すように聞いてみるが、鈍重なデーヴァは動きだそうになく、それどころか車両内の隊長が逆にブアを呼びつけた。

 「無理だ! ブア曹長、バリー曹長と共に先行しろ。 復帰次第、後を追う!」

 デーヴァのハッチから以前は南国の日光に焼け、今は雪焼けの為に気持ち悪い肌色となっている部隊長が姿を現しては、ブアにそう命令する。

 「隊長、私達だけで強行偵察は無理であります! ダッカー2台では…」

 「黙れっ! 事態は急を要するんだ!」

 反論をしようとしたブアの顔面に対し、隊長は唾を吐きかける勢いでそう怒鳴り返してくる。あまりの寒さのために空中で唾は凍りつき、ブアの顔面に到達するまでには霙になっていた。隊長命令では仕方ないと、バリー曹長がブアの肩を叩きながら促してくる。
  これが隊長の目論見だったのではないかと、ブアはその時になって勘付いた。
  元より後方が好きな隊長である、外聞は車両が雪に嵌った事を理由に、本心は前線基地まで赴くつもりなど無かったのだろう。
  これは嵌められてしまったとブアは内心毒づきながら、スコップを強く握りながら踵を返した。

 「畜生。 二台だけで楽しいピクニックだぞ」

 「基地の通信機が故障しただけだといえば、本当に楽しいピクニックだがな」

 お互いの車両へ戻ろうとした際にバリー曹長はそう楽観的に言ったが、笑えない冗談だとブアを一蹴するしかなかった。
  この雪原が己の墓場になるかもしれないと言う危機感は常にある。
  そんな事など、徴兵された際には百も承知であったが、しっかりと貰える物品が如何に魅力的であったかとブアは雪の中で一瞬回想に耽ると、自嘲気味な笑みを浮かべながらダッカーの上部へ這い上がった。

 「結局、二台だけですかぁ?」

 ブアが乗った事を確認すると、操縦席からダウ軍曹が振り向きざまにそう聞いてくる。
  その顔にはわかりきっている事情であるのに、敢えて聞いてしまうような切ない色があった。

 「そうだ。 隊長のデーヴァが嵌ったから、援護にサッガのダッカーが待機するそうだ」

 「…私達が戻ってきても、隊長達がいないことに賭けますよぅ」

 「それ以前に、戻って来られるかどうかを賭けた方がいいだろうよ」

 ブアの言葉を聞くと、彼女は卑屈そうな笑みを浮かべながら、ゆっくりとダッカーを動かし始める。ブアの背後にある雪原仕様であるダッカーに備えられたプロペラが素早く回転し、機体を風力で前へ押し出し始め、雪原を滑走する。
  背後へ目を配れば、しっかりとバリー曹長のダッカーも同じように滑走しながら、追随しているのが見えた。
  バリー曹長の言ったとおり、前線基地の通信機の故障というだけなら、どれだけマシか考えもするが、十中八九それは有り得そうにない。
  時期に雪が血で赤く染まる。

 

 四方全て雪に覆われ、何処に前線基地があるのかを探るためには方位磁石を頼りにする他なく、それに加えてこの吹雪の中へ必死に目を走らせる事しかない。以前にブア曹長は装甲列車の対空部隊にも配属された経験もあり、この様に周囲に目を走らせる事には幾らか長けてはいたが、それでもこの吹雪の中というのは熾烈を極める。
  あの超人的な身体能力と視力を持つ、過去に部隊内に居たサン・テルスタリ人兵士であるならなんとかなるかもしれないが、奴は文明兵器を恐れるあまりに、ダッカーから逃げ出した経緯があった為に歩兵として前線に送られてしまっていた。
  御蔭でこのダッカーの車長はブアであるし、嫌味を叩くのが好きなダウ軍曹と組まされる事になってしまった。
  だが、悪いことばかりではない。
  少なくともこうして周囲に目を走らせ、ダッカーが雪の上を滑走している間は彼女の無駄口を聞かなくて済むのだ。

 「ブア、もうそろそろ、前線基地に着いてもいい頃だ。 もっと車間を空けろ、固まっていると纏めて食われかねねぇ」

 その際に耳元に当てた通信機に、追随してくるバリー曹長から通信が飛んでくる。
  彼の言いたいことをもっと細かく言えば、お前が先に死ねと言うことである。
  敵が前線基地へ侵攻したとなれば、必ずと言っていいほど状況を確認しにくる部隊を待ち伏せしているに違いない。
  周囲は雪原であるが、チラホラと背の高い針葉樹林も確認できる。待ち伏せをするとすれば、その辺りが大いに有効である。
  帝国戦車は自分らのダッカーと違って浮遊することが可能であり、雪上に車両が通った形跡を残さない。
  その為、何処に潜んでいるかわかったものではないし、検討もつけにくい。
  それに加え、連中の大口径砲の火力は凄まじく、ダッカー程度掠っただけでも爆散は免がれそうにない。
  本来なら、もっと多数の戦車で束になって突撃するような人海戦術を駆使して、犠牲を構わず帝国戦車の後方へ回り込み撃破するのが、ダッカー戦術指南の代名詞であるものの、それを忠実に守るにはブア達は己の命が惜しかった。

 「了解。 敵を確認したら、連絡を飛ばす。 その時は真っ先に反転して撤退だ」

 わかりきった事をそうバリー曹長へ返すが、一度発見されたら最期逃れられるかは運次第であった。だが、それはバリー曹長の話であって、ブアのダッカーは突出しなければならない為に反転するのは至難の業であり、これも言いたいことを細かく言えば、俺が先に死ぬという宣誓他ならない。
  徐々に視界の隅に構造物らしき物が掠め始めた。
  それが破壊された有刺鉄線群であり、その後に塹壕が幾つかあるという事実を知ったのは、その塹壕の一つを勢いで飛び越えてからであった。

 「着いたぞ。 地獄の一丁目だ」

 そうブア自身言っても嫌になるような皮肉を飛ばしながら、ダッカーの速度を緩めさせずに周囲を確認する。
  吹雪はここに来て幾らか失せていたが、寧ろ会敵するかもしれない状況では吹雪で周りが見えない方が良かったし、その方がより逃げやすい。

 「人影を確認できるか?」

 後方より大分距離を置いて、バリー曹長のダッカーが進んでくるのが見える。
  彼に言われたとおり、周囲を確認しているが、基地の野営地と思わしきテント群や砲などは尽く破壊された形跡が幾らか雪が積もっている状態で、目に入ってくる。明らかに戦闘の後であり、前線基地は攻撃を受け全滅をした事がわかる。
  数時間吹き荒んだ吹雪によって、敵弾に倒れた兵士達の死体すら雪に覆われてしまうところであった。
  全ては雪の下に隠されてしまう。それが極寒地の掟でもある。

  「全部、雪達磨みてぇなもんさ。 ひでぇもんだ」

  「敵は?」

  「死体は確認できるが、敵は見えねぇ。 基地を突破して別の戦線へ移動したか?」

  「そんな馬鹿な事があるか、あの吹雪だったんだ。 連中だって馬鹿じゃない、無闇に吹雪の中を移動するものか」

  「そりゃ、俺達は前代未聞の馬鹿だが、帝国連中が皆お利口さんとも限らねぇ」

  そうブアが皮肉交じりに言った時、前方より、空気を切り裂くような鋭い音が響き、前方の雪面が爆音と共に弾けとんだ。
  宙を舞う中にバラバラになったアーキル兵士であった物が、千切飛ぶのが少し見えた。

  「敵だ! 軍曹、移動しろ! 塹壕に飛び込め!」

  ブアが素早く彼女の頭を叩いて、ダッカーを脇にあった塹壕へ潜らせなければ、数秒後にはダッカーの居た位置は同じように吹き飛んでいた。
  ソリを付けたダッカーが雪を掻き分けながら、塹壕へ飛び込み狭い幅に必死で機体を押し込もうともがき始める。
  その際にブアは素早く車両上部から身を乗り出しては、塹壕から少し頭をだして発砲音のあった方角へ目を向ける。
  吹雪がまだあれば視認は困難であったが、この状況なら幾らか確認できる。
  白い雪面には不釣合いな朱色をした物体が3つほど、浮かび上がっているのが見えた。

  「ダックだ! 3台いやがる!」

  通信機へブアが叫ぶようにして報告すると、バリー曹長のダッカーが後方で反転しようとしている様が見える。

  (野郎、早速トンズラをかますつもりだ)

 そうブアは内心毒付きながら、彼の事より生き延びる事を考えねばならなくなった。

 「歩兵部隊は確認できるか?!」

 バリー曹長の声がブアの耳を劈く、己は逃げに徹しようとしているというのに、こちらへ偵察を頼むとは酷い仕打ちであると思いながらも、ブアはただ忠実に視線を動かす。

 「いや、確認できない! バリー、ダックだけなら俺達だけでも殺れる! 援護しろ!」

 歩兵部隊さえいなければ、速力で勝てるとブアは判断した。
  こちらには友軍が掘った塹壕があり、これを利用して2台で挟撃すればダックと殴り会えると判断したからだ。だが、非情なまでにバリー曹長のダッカーが遠ざかっていく姿が見える。彼はあくまで逃げるつもりであるとわかった時、ブアは通信機を投げ捨てた。

 「畜生! お前なんか、ニヂリスカ共に掘られちまえ!」

 そう罵声を雪原へぶちまけると、ニヂリスカの単語に反応した軍曹がこちらを振り向く。

 「なんか、今言いましたァ?」

 「言ってねぇっ! 軍曹、下に押し込んである雑嚢を出せ! 対戦車戦闘だ!」

 不機嫌な顔を向けてくる彼女を一蹴すると、ブアは彼女が渋々操縦席から放り投げてきた雑嚢を引っ掴むと、素早く中を漁り始める。
  既にダックを3台相手にするには、一々狙いを定め25mm戦車砲をブチ込むのは自殺行為であるが、今からブアが行おうとしている対戦車戦闘とやらも自殺行為には違いなかった。雑嚢より手榴弾を3つほど取り出すと、それを懐に押し込み、手には部隊長が何処からか流してきたかも解らぬ歪な回転式拳銃を持った。
  『ブリスティ散弾二連リボルバー』と名付けられているそれは、文字通り連なった回転式弾倉が歪に連なり、グリップから伸びたストックを脇に挟み込んで強く握る。今では生産もされず、半ば骨董品と化しているその銃を、隊長が何処から手に入れ戦車長達に携帯用の武装として支給したのか、その様な経緯などブアの知る由もないが、それはともかくとしてもこの銃は信用が出来る物であることは違いなかった。

 「軍曹、お前の軍刀も借りるぞ」

 脇にしっかりと銃を構えると、彼女からこれも渋々であったものの刀も借りる事にする。
  それを背中に背負い込めば、ダッカーの上部には完全武装したオデッタ人が完成する。

 「…よし、このまま塹壕を突き進んで、前方ダックの居た位置の側面に飛び出せ。 俺は降りて、奴らを片付ける」

 その時のブアの顔は戦闘に対する興奮に引き攣っていた。
  隊長達は後方に退いたまま、増援にはこないだろうし、今まさに逃げていったバリー曹長は言わずもがなである。
  敵の歩兵部隊は確認できなかったが、もしかすると塹壕に潜んでいるのやもしれない。
  そうなればあっという間に飛びかかられ、無残に殺されるのは火を見るより明らかだ。
  だが、その様な状況であるからこそ、オデッタ人の血は騒ぐのである。

 「…了解、ご武運を」

 その様子を眺めながら、軍曹は覚めた様な口調でそう言った。
  しかし、その表情には何処か悟ったゆえの微笑すら見える。
  彼女とて、ブアとは長い付き合いであり、これ以上は指示されるまでもない。
  彼と同じように血を滾らせながら、直感と技術を駆使しダッカーを愛馬の様に扱うまでだった。
  そして、ブアの指示を待たずしてダッカーは塹壕内を走り始める。
  雪を舞上げるソリは時として、何か肉の様な物を挽き潰す様な音を立てたが、舞い上がった雪が落ちるとそれを隠していく。
  飛び散る雪を躱す様にダッカー上部を盾にしながら、ブアは視線を正面へ預ける。
  塹壕内は入り乱れたものであったが、それを苦にしないかのように雪原仕様のダッカーは曲がりくねった場に対しては壁を沿うように滑っていく。
  フォウ出自の者からはこの様な雪遊びがあると、以前に聞いた事があるが、それをダッカーでこなそうという者は我々だけだろうとブアは場違いに愉快な気持ちを抱きながら、流れるように通り過ぎていく塹壕の壁を見送っていく。
  そして、雪遊びが終わる時には修羅場が待っていた。
  塹壕内を走り抜けたダッカーは勢いを付けて、雪が雪崩て斜面となった箇所で一気に加速し、雪原へ飛び出した。
  側面へ素早く目を向けると、ちょうど50m程先にダックが3台纏まっているのが確認でき、しかも塹壕を越えようとしてその内の1台は運悪く塹壕の中へ嵌っている状態であった。これを好機と捉えたブアは気合を入れながら、ダッカーから雪面へと飛び降りる。
  そのまま回転を付けながら着地をし、雪の上から顔面を上げると、ダックの搭乗員達は慣れない雪上の上で、なんとか車体を旋回させようとしているのが目に入った。
  その間にダウ軍曹が操るダッカーは、ダック達の側面を高速ですり抜けていく。
  それに気を取られてダック達は旋回作業に集中し、誰もダッカーの上から飛び降りてきたオデッタ人には気付いていない様子であった。
  ブアはそのまま背中に背負っていたダウ軍曹より借りた軍刀を抜き放つと、片手にリボルバーを強く握り締め、もう片手にはその軍刀を構え鬼の様な形相で、息を殺しながら敵へ距離を詰める。

 彼の持ち前の軽く小柄で軽い体は、雪の中へ足を取られる事もなく、音が出ない。
  そして、辺りで喧しいまでに吹き荒む強風の音色が、殺人者の気配を消すのに役に立った。
  手前にあったダックには、3人の搭乗員があり、朱色に染めた帝国兵らしい軍服に身を包んでいる。この時に、ブアは何故ダックの周りに随伴歩兵がいないのかという点を疑問に思ったが、仮に居たとすればブアは既に歩兵達に発見され撃ち殺されている身であるし、兎に角深く考えもせずに、全身を闘志に燃やしながら、まず一両目の後部に座っていた装填手の背後へ静かに忍び寄ると、その無防備な肩へ袈裟斬りに斬り掛かった。
  ニヂリスカの軍刀の切れ味など考えたこともなかったが、少なくとも誇り高き帝国軍人を恐怖と混乱に叩き落とす事は出来た。
  一瞬何が起きたかわからないかのように、斬られた装填手が此方へ振り向くと、ブアは肩に喰い込ませた刃を更に深く押し込んで、力任せに引き抜いた。
  途端にダックの上部をその機体に塗られた朱色の如き血が飛び、その返り血をブアは全身で浴びたが闘志は一向に収まらず、今度はその斬った装填手の肩を台座として、例の二連リボルバーを構え、素早く引き金を引いた。
  射手と車長が此方に気付き、腰の拳銃や上部に立てかけてあった小銃へ手が伸びる前に、二連リボルバーから放たれた散弾が彼らを蜂の巣に仕立て上げた。
  そして、次は二両目であると、そちらの方へ構えると、流石に相手も此方のダックの異変に気付き、車長と思わしき兵士が拳銃を構え発砲してきた。
  一発目はブアの肩上を掠り、二発目は拳銃の台座にしていた装填手の東部へ被弾し、今度は返り血どころかブアは肉片を浴びる事になった。
  だが、その際に発砲する姿勢が整った為に、今度は二連リボルバーをダック二両目側面へ向けてブアは続けざまに、考えなしに乱射した。
  肩へ鋭く響く反動に、彼は思わずひっくり返りそうになったが、皮肉なことにそれを防いだのは装填手の肉塊であった。
  ダック二両目の搭乗員達も、瞬く間に生ある者から物に変わり、雪上を血で汚しながら、その場に転がった。
  今度は三台目とブアは軍刀を大きく振り上げながら、塹壕を乗り越えようとしているダックへ接近したが、全身を血と肉片塗れになった兵士が此方へ近づいてくるのを見て、三台目の搭乗員達は顔面蒼白の様子で、両手を上げて悲鳴を上げながらダックから飛び降りてきた。

 

 ダウ軍曹がダッカーを反転させ引き返してきた時には、雪上の上に全身を真っ赤にした子鬼と武装を解除された帝国兵士が3人見えた。
  その付近でダッカーを停車させ、操縦席より体を出すと、軍曹は雪上へゆっくりと降りながら、赤い小鬼と化したブアへ歩み寄った。

 「…随分と派手にやったようでぇ」

 そんな凄惨な光景を眺めながらも、彼女の口調はどこまでも呑気で皮肉めいていた。
  彼女の声を聞くと、ブア曹長は興奮が冷めて憑き物が落ちたかのように、軍刀を杖としてその場に脱力すると大きく呻いた。

 「軍曹…。 俺達は生き残ったぞ」

 そう彼は自分にも言い聞かせるように呟くと、彼は彼女に煙草をせがんできた。
  人外じみた働きをした兵士へ、何も施さないほど冷酷ではないと軍曹は懐より煙草を取り出し、脱力した口に咥えさせ火をつけてやると、彼は思いっきり紫煙を心地よさそうに吐き出してから再び呻いた。

 「捕虜にしたこいつ等に今聞いたんだが…歩兵部隊はここにはいねぇ。 奴らは空挺部隊だ…。 この前線基地を突破してから、後方へ進撃しているらしい」

 「じゃぁ…歩兵部隊は…」

 「こいつらはあくまで、強襲揚陸艇を軽くする為と、一応基地を占拠するために一時的に留守番していたんだ…。 主力は後方に飛んでいった…。 方角からして、逃げてったバリーも隊長達も今頃その主力の餌食さ。 何せ対空火器は積んじゃいねぇからな、良い的だろうさ…」

 ブアは疲れきったように吐き捨てた。
  そして、煙草を吸い終えると武装を解除した捕虜達を解放すると、再びダッカーへ乗り込んだ。

 「ダウ軍曹。 俺達は逃げるぞ、ここでグズグズしていると戻ってきた主力にやられちまう。 大きく迂回しながら友軍の前線を目指すんだ」

 ダッカーの上部に乗りながら、ブアはそう彼女へ指示を出した。
  返事は無かったものの、再びダッカーが音を立てて進み始めるのを見るに了解したらしい。

 雪原の上を狼の遠吠えの様にファンが鋭く嘶いていた。

最終更新:2017年01月15日 20:31