Losta Pandora Data > 01

静寂の地下を、複数の光が進んでいる。
 それは迷宮に迷い込んだ妖精と言えるさまで、不安げに天井や壁を照らしながら前へと歩みを進めている。
その先にひそむモノすら気付かず、何かを探すように。




 ふと気が付いた瞬間には、なにもかもが手遅れのようにみえた。
暗がりからふらりと現れたそれは、部隊長の乗るメルディラをまるで紙束を持ち上げるように軽々とひっくり返し、慌てて銃を構えたなかまはうねる触手に吹き飛ばされてその原型を無くしてしまった。
それはただ赤く目を光らせて、人とも獣とも区別できない体勢のまま、破壊の限りを尽くしていた。
 ぼくは逃げ出した。何もかも忘れて、ただひたすらに。
 いまのぼくには、それだけしか許されなかった。









静寂の地下で、一人の男が屈みこんでいる。その目線の先には似た服装の少年が横たわり、どこを見ても汚れ破れだらけのひどい状態だった。
「おい、生きてるか」
 男が声を掛けると、少年が呻いて反応を返した。よく見ると、男の方も似たような状況で、そして少年以上に古びた制服を身に纏っているのがわかる。
「その歳でパンドーラ隊か、志願か?」
 男は痛そうに起き上がる少年を気にも留めず質問する。瓦礫だらけのその場所は微かな灯りが何処かから漏れてくるだけで、どちらも相手の顔を見ることが出来ないほどだった。
「あな……たは?」
 少年が必死に声を絞り出すと、男が肩を貸して立ち上がらせながら答える。
「後にしてくれ、歩けるか?」
「少し……痛みますけど」
 なら急ぐぞ、と男が言うと、この部屋に差し込んでくる光の方へと歩き始めた。十分とは言えないが、足元が見える程度には光源が確保されているその場所で、初めて両者の顔を確かめることが出来た。

「ルランだ。ルラン・ピラ」
 数分ほど歩いた時、男が思い出したかのように自己紹介をした。その顔は酷く汚れ、傷つき、それでもなお分かるほどに真っ白な肌をしていた。ずっと日に当たっていないような、そんな白さだと少年は思った。
「ジュラです……ジュラ・オルッソ、アカデミアです」
「ほう、学者見習いか。なるほどなるほど、貧弱そうな見た目なわけだ」
「そんなこと……いたっ!」
 からかってきた男、ルランに反論しようとしてジュラは盛大に体勢を崩した。
ルランはそんな彼を軽々と持ち上げ、再び先程までの体勢に戻す。同じぐらいの身長でありながら、二人の体つきは両極と言っても過言ではなかった。
「もう少しだ、頑張れジュラ」
 ルランはそう言って、二人は足音のみが響く廊下を進んでいった。

 右に、左に、また左に、下に。幾つかの瓦礫を乗りこえ、或いはくぐり、目的地らしき場所に着いた時には、ジュラの息はほぼ上がり切っていた。
「ご苦労さん、よく頑張ったな」
 ルランの声に何とか顔を持ち上げると、ボロボロの周囲とはあまり似つかわしくない、比較的きれいな扉の前に立っているのが分かった。それと同時に、ルランが扉の脇に取り付けられていた機械に何かを読み込ませているのが目に入ると、
「カードリーダ!? 機能してるんですか!」
雰囲気が一気に変わった彼にルランが一瞬面食らったような顔をした。おいおい、学者風情はみんなこうなのかと言いたげにしながら、その言葉はどうにか飲み込む。
「……急に元気になったな」
「すごいですよ! まだ機能している場所があったなんて」
「お、おう。確かにそうなんだろうが」
 まだ受け止め切れていないルランをよそに、ジュラは傷ついた足すら忘れてそれに近づいた。カードリーダから短く甲高い電子音が鳴ると、その顔がおもちゃを与えられた子供のような純粋さで満たされた。
「ううん、どうやって機能してるんだろう。……ただ画面があるだけなのに、どうやって確かめているんだろうなぁ。カメラじゃないから画像認証では無さそうだし……セキュリティ系統が生きてるなんて報告は見たことないからなぁ。これは貴重だ……」
「あーと、ジュラ?」
「はい?」
 ルランが困惑した笑顔で開いた扉の先を指さしている。
「そういう話は中に入ってからでいいか。そういうのに詳しい奴もいるからさ」
 ジュラの応答も待たず、半ば引きずるように扉の向こう側へと連れ込んだ。



 ルランの瞳の中、閉まる扉のはるか向こうの暗闇に、暗い炎のような光が一瞬見えていた。





 扉の向こうには、ジュラの知らない未知の空間が広がっていた。
 外の状態に似ているものの、ここには生活感というものがあった。広間と呼べるほどの広さの空間に、様々なものが置かれていた。
大きな瓦礫はそのままだが、動かすことの出来そうな大きさのそれは見当たらず、代わりに何かも分からないようなガラクタや古びた装備やあるいは暇を持て余している誰かが存在していた。
 少なくとも、地下遺跡で見る光景じゃないと、新参者の少年はさっきより目を丸くしていたが、そこには少なからぬ歓喜の感情があった。
「驚いたか」
 ルランが自慢気な眼差しで覗き込んでくる。中にいた人物の幾らかがこちらに目をやり、うちのひとりが二人の帰還――厳密にはひとりの帰還とひとりの来訪――を歓迎するようにやって来た。
「お帰り。久しぶりの来客じゃないか」
話しかけてきたのは、ルランと同い年かそれぐらいの女性だった。肩に見慣れない長物を抱えていて、ジュラはそれが旧文明由来のものだと即座に理解する。
「ランツィ、悪いが今回の収穫はコイツのせいで少なめだ。こいつを代わりに爺さんの所に持って行ってくれ」
「あいよ。にしても可愛い坊やじゃないか、こんなとこに来るなんて難儀な奴だねぇ」
「はひっ!?」
 ルランが腰に下げていた袋を受け取るついでにジュラの顔を覗き込むと、初々しい反応が返ってきた。最上とは言わないが、逞しさと可憐さを持ち合わせている稀有な例の女性だ。
「あまりからかうなよ、引かれるぜ?」
「早く連れて行ってやりな、化膿したら厄介だ」
 おまけとばかりにジュラの赤髪をかき回すと、ランツィは後ろ手に手を振りながら去っていった。
「あの、えっと。その……」
「言いたいことがあるのは分かるが、ここに突っ立っていても時間の無駄だ。傷の手当てが済んでからにしてくれ」
「あ、はい」
 随分と混乱している様子のジュラを支えつつ、ルランが広間を進んでいく。
ここに居る人物だけでも十人は超えそうだった。
そこかしこにあるガラクタの中からいくつか拾い上げ、それを用いて何かを作っている人物、連邦製のものでないレーションらしきものを数人の人だかりが食していたり、ジュラよりも確実に幼いと断言できる子供が元気そうに追いかけっこをしていたりと、まるで家族の団欒の中にお邪魔したような感覚を少年は覚えた。
「驚いたろ」
 入り口と同じ言葉を繰り返す。
「俺達はここで暮らしてるんだ。いささか不本意な理由からだけどな」
「ええと、なんて言えばいいのか」
「まだ理解しなくていいさ。どっちにしろ短くない時間をここで過ごすことになっちまうだろうからな」
 ルランが広間から続く廊下に入る。幾つかの部屋が葉のように連なっていて、瓦礫に塞がれているものからどこにも破損の様子が見えないもの、物資置き場になっているような部屋もあった。
ドアの部分に旧文明の文体で何か書かれているが、そのほとんどが連邦語に上書きされてしまっていてその文字を読み取るのは難しそうだった。
もったいないなぁ、と回らぬ頭でジュラは考えた。ただでさえ旧文明語の理解は難度が高く、優先度の高い要素である。安全な環境で、完全な文章がこうやって残されているのをわざわざ潰してしまうのはとても惜しいものに思えた。
それに、意味が重なって理解するのがむずかしいったらありはしない。
『娯楽室』を『医務室』と上書きされた部屋の中にジュラを連れ込むと、ルランはそこに居た男性に声を掛けた。ところどころ汚れているが、ほぼ完璧な形を残した白衣を身に纏っている。これもまた旧文明由来のものだと一目で分かった。
「おやおや、新入りかい」
 穏やかな口調の彼は、メドゥムと名乗った。
「あまり深い傷は無さそうだし、さっさと終わらせよう。服を脱いで」
「はい、お願いします」
 上半身をはだけ、ズボンをまくり上げると、机の上に置いてあった瓶と布とを手に取り早速治療が施された。『有機、無機物汎用修復液』とラベルされた瓶の中身に不安を感じたものの、ジュラは黙ってメドゥムの処置を眺めていた。それは半透明の少し灰の混ざったような代物で、ほんのりと遺跡の壁の匂いがした。
 こうやって改めて傷を確認してみると、意外なほどに細かな傷が付いていたことに気付く。致命傷になるようなものは何処にもないが、まるで細かい刃で撫でられたように体中に切り傷や擦り傷が出来ている。認識してしまったからか、じんじんと痛みが顔を出してくる。
見える傷の全てに液体がすり込まれたジュラの上半身は、人工灯の光を軽く反射するようになってしまっていた。
「クルカみてぇだな」
 そんなルランの感想が、本人ですら納得できるほどに。
「さて、次は足の方だ。今日と明日ぐらいは動かさずに安静にしておいた方が良いね」
 先程の液体を、今度は布に染み込ませてから素足に巻き始める。膝下を固定するように巻き終えると、少しの間動かないでくれとメドゥムが言った。
「こいつは便利でね、皮膚に付けば無くなった身体の部分を補填してくれるし、こうやって無機物に付ければ固まって固定具の代わりになってくれるのさ。アカデミアとして興味が沸かないかい?」
「はぇ? どうして僕がアカデミアだと?」
 ここに居る人たちは心でも読めるのだろうかとジュラが不思議そうな顔をしていると、メドゥムが優しく微笑んだ。
「長年の勘さ。観察眼、と言ってもいいかもしれないけど」
 君、この文字を読もうとしたよねと瓶を手に取って振る。確かに書いてある内容は理解できたが。
 そこで気付く。どうして読める?
「上の世界じゃもう言語を解明したのかもしれないけど、それでも十分なほどに専門的な知識がいるだろう。ここに住んでる僕らでさえ、まだ半分ぐらいしか意味を推察出来ていないんだから、きっと読めるのはアカデミアぐらいだろうし、そうじゃなかったら尚更」
「えっと、メドゥムさん、それは違くて」
「そもそも、これほどのものに興味を持って率先して知ろうとするのはアカデミアぐらいしかいないだろう。どんな傷でも治してしまうという効能を知るためには、実践しなければならないし、それが出来るのはアカデミアの好奇心ぐらいしかない。私だってここに来る前は好奇心が旺盛でね、なんだって知りたがって本やら実物やら巡り巡って……」
「おい、発作が出てるぞ」
「……ああ、失礼。久しぶりの仲間だったから、つい」
 自嘲気味に笑うが、一瞬にして豹変した彼の前に少年の理性は全くもって付いてきていなかった。
「ええと、名前は」
「ジュラだ」
「そう、ジュラ君。もう動いても大丈夫だよ。お疲れ様」
「…………え? あ、はい。ありがとうございます」
 ふと意識を傷口に戻してみると、身体を包んでいた痛みはすっかり消え、固定された足の鈍痛も気にならなくなっていることに気付いた。流石の旧文明といったところだろうか。
「ところで、彼はどこで?」
「ん? ああ」
 ぼうっとしていたルランが我に返る。
「B-3-8の近くだ。コイツの近くに部隊の痕跡はなかったから、多分はぐれでもしたんだろ」
「あそこで? 随分と近くじゃないか。その辺に大きな動きは無かったのは知ってるだろう?」
「だからはぐれたと言っているんだ。ジュラ、思い出せるか?」
「ええと……」
 そこでまた気付く。肝心なことが全く思い出せない。
「……何かに襲われたのは覚えてます。それで逃げ出して……」
「どれくらいの時間逃げたか覚えはあるか?」
「ごめんなさい、記憶がとても曖昧で」
「ううむ、頭でも打ったかな」
 有り得なくはないし、今は様子見した方がいい。とメドゥムが話を切った。
「ただでさえ環境が一気に変わったんだ、理解するにも時間がいるだろう」
「そうだな、今日は休んだ方が良い。立てるか?」
「はい、有難うございます」
 固定されているため動きは制限されるが、痛みを我慢しながらよりもずっと楽に動けた。
それでもルランはジュラに肩を貸し、この場所のことをあれこれと説明しながら一つの部屋の前まで彼を連れてくると、
「色々と散らばっているが、いいか?」
「本当にありがとうございます、ルランさん」
「ルランでいいさ、堅苦しいのは苦手だ」
「僕もくだけたのは苦手です」
 言うじゃねぇか、とルランが笑った。その調子なら大丈夫そうだなと。
 まだここに電力が回ってきているのは入り口で分かっていたことだが、目の前に立つだけで勝手に開く扉はジュラにとってとても新鮮なものだった。
中はルランの言葉よりも物自体は少なく、前にここで生活していただろう人物の持ち物だと推察できた。
が、その人物はどうしたのかまでは思考が回らなかった。
「これ、僕が使ってもいいですか?」
 そんなジュラの質問は想定出来たらしく、特に表情を変えずにルランが答える。
「ああ、使えるものがあればな。要らないものは部屋の外にでも出して置けば回収する」
「分かりました」
「じゃあ、ゆっくり休んでくれ」
 一通りジュラが部屋の中を確認したのを見届けると、ルランが一言挨拶して退出した。扉が閉まると、外からの音が遮断され、随分と静かになる。
 ジュラはもう一度この部屋にあるものを確認した。
「紙束に、ペンに、これは……時計かな。全部旧文明由来だ」
 机の上にあるのはその程度で、十数枚の紙にはびっしりと連邦語が記されていた。どうやら日記のようだ。見たいという好奇心を抑えつつ、ルランに持って行ってもらうものにする。
「パンドーラ隊支給の軍服一式、道具も一式……うわっ、拳銃に安全装置が掛かってない。危ないなぁ」
 これらはクローゼットらしき家具の中に置かれていたもので、ジュラのものより一回り大きなものだった。
拳銃には弾薬が装填されていて、発射が可能な状態だった。持ち主は随分と大雑把な性格だったらしいとジュラは考える。
自分のものだと分かるようにしながら身に着けていた装備品をクローゼットにしまうと、備え付けられていたベッドに腰を下ろした。
「柔らかい、数千年前のものだなんて信じられない」
 繊維を確認してみると、随分ときめの細かい、繊細なものだと分かった。風化はもちろんしているものの、質は十分なほどに保たれていた。手触りは前に触らせてもらったスクムシ糸のそれに似ている。
ジュラに分かったのはその程度のものだった。
 そのままベッドに身体を横たえる。そうして初めて彼は溜まっていた疲労に気付いた。
「……すごいなぁ」
 知らないものがたくさんある場所で眠る感覚を、父親が沢山のおもちゃを買ってきてくれた八歳の誕生日の夜と重ね合わせながら、ジュラは静かに眠りについた。





「……ああ、間違いない」
 ジュラの眠る部屋から歩いて三分ほどの別の部屋で、ルランが誰かの質問に答えていた。
 その部屋は特に変わったところも無く、強いて言えばこんな場所にいるはずの無いほど年老いた男性が中央の椅子に腰かけているぐらいだった。机の上にはガラクタが高く積まれ、老人はそれの選別をしているようにみられた。
「運悪くあいつの巡回路に入っちまったんだろう。それが一番もっともな可能性だ」
「だとしたら、いつものように回収作業すんのは難しいってわけかい」
 そう口を挟んだのはランツィだった。この部屋には老人とルランと彼女との三人しかいないが、たくさんのガラクタのせいで少し窮屈に感じられる。
「ジュラが何日前に襲われたかによるだろうな……長くても四日ぐらいであれば、まだ何か残っている可能性は高い、巡回路に変化があったかも確認しとかねぇと」
 老人が分けたガラクタを幾つか手に取り、有用な部品を外しにかかった。
「八年ぶりの来客だ、あたし達のよりずっと良いものを持ってるに違いねぇさ」
「どうにもこうにも、まずはジュラがここに慣れるのを待つしかねぇな」
 外された部品とじっくりと眺め、老人が満足そうに頷いている。
「その間に誰かに宝島の在りかを予測させておくか?」
「遅くとも六十時間の間には発見しておきたい、現場探査も頼めるか?」
「あいよ」
「いつも通り、安全第一でな」
「わあってるって」
 人工灯が思い出したかのように点滅する。老人はまたガラクタの山に手を突っ込み、使えるものを探しだした。
「……にしても、ホントに厄介な化け物だよ」
 ランツィが苛立たしげにつぶやくと、老人の手が止まった。組み合わさった部品を机の脇に置く。
「あいつは化け物じゃあねぇ」
「お、モル爺。なんか出来たか?」
 ルランが軽口を叩くが、それを無視して老人が話す。
「あいつはただ縄張りを守っているだけさ。俺達がよそもんである限り、あいつは仕事を果たしているだけなんだからなぁ」
「分かってるさ、爺さん。俺達はどうにかして共生する道を探さないといけない、だろ?」
「……そうじゃ」
 モルは再び機械いじりに戻り、ほんの少し張り詰めていた空気も元に戻った。
しかし、先程まで老人がいじっていた部品のかたまりは、すっかりその姿を消していた。
「…………」
特徴的な鳴き声――なかば悲痛な叫び声になっている――に半分呆れた三人が視線を動かすと、犯人が入り口付近でじたばたもがいているのが目に入る。
三人の見守る中、粘液でてらてら光る部品が黄土色の吐瀉物と共に宙を舞った。
最終更新:2017年04月04日 20:52