クランダルト帝国テクノクラート所属耐久試験船乗務員の手記 そしてバリステア強奪事件の最終報告書

621 15月10日 耐久試験201日目
バリステア型軽巡洋艦を使用した無修繕耐久記録が200日を突破した。
乗務員の間ではささやかなお祝いが開かれた。
最初は誰もがこんな時代遅れのオンボロ船を200日間も、搭乗整備兵の応急修理のみで浮かせたままにできると思っていなかったものだ。
最初から耐久試験用に搭乗整備兵は増員してあったのだが、それでも致命的な故障が発生しなかったのは僥倖といえる。
あのテクノクラートから来たいけすかない艦監督官も、この日ばかりは静かに喜んでいたようだ。
珍しく、あの監督官が、次の補給の時に全員に飯をふるまうと言ってきたところからわかる。
まぁ、監督官は今回の功績によって格が上がるだろうから、それが嬉しいのだろう。
これであいつはテクノクラートの出世コースに乗ったわけだから、当然か。
俺たち整備兵にも勲章の一つでもくれればいいのに。
監督官とは裏腹に、艦長は最初こそ嬉しがっていたが、なにかそわそわしている様子だった。
それも仕方ないといえる。艦長も無修繕で200日もの間艦を飛ばし続けることは不可能だと思っていただろうから。
それでも、艦長の賭け分は誰よりも最長の150日だった。
艦長は、整備兵の応急修理の負担を減らすため、初日から繊細な機動で操艦を行っていた。
それで150日しか持たないとの判断だったのだろうが、幸運にも支えられてここまで来ている。
だから、艦のことを誰よりもよく知る艦長にも、これ以上はどこが壊れるかわからないらしい。
致命傷で済めばいいが、最悪の場合は一発で轟沈してしまうだろうと言っていた。
整備兵の間でも、空力昇降舵の調子が悪いらしく、舵関係の耐久試験の結果によっては試験の継続を拒否しなければならないだろうという話が持ち上がっている。
昇降舵はまだ致命的な影響を及ぼさないが、生体器官の応急処置ばかりはどうしようもないらしく、数値には出ないもののどんどん調子が落ちているらしい。


621 15月11日 耐久試験202日目
今日は予定を早めて昇降舵の試験が行われる。
監督官の承認も得ている。
監督官も命が惜しかったらしく、危険な試験を後で実施して致命的なことが起きたら墜落すると強く脅したら工程を変更してもらえた。
勲章が貰えても帰れなかったらどうにもならないということが分かってもらえて何よりだ。
今日の整備工程は予定通り、主翼の揚力装置と空力制動装置を整備する。
艦長たっての願いであるが、ここだけは十分に整備していないと生体器官に負荷がかかってしまう。
今回の耐久試験では巡行に適した生体器官を積んでいるだけに、急激な減速時にこの揚力装置と空力制動装置が機能しなくなれば、生体器官だけでこの鉄の塊を制動させなければいけない。
結果的にそれは生体器官への直接的な負荷につながる。無修繕、地上整備なしで200日を過ぎた生体器官ではそのような負荷に耐えられるか分からないというのが、艦長と整備兵の共通認識だった。
出来ることならば巨大な方向舵の整備もしておきたいのだが、整備による恩恵と故障時の危険性を鑑みた場合、昇降舵や揚力装置、空力制動装置よりも重要性が下がってしまうため、どうしても後回しになってしまう。
最悪、方向舵が壊れてしまっても、生体器官なら舵の根元から焼き切ってしまえばそれで解決してしまう。
ただ、クライプティアほど軽ければ、こんな大きな羽はこいつには必要なかっただろうに。


621 15月12日 耐久試験203日目
昨日行った昇降舵試験の結果が出た。
やはり舵の疲労も激しく、本来ならば舵を交換しなければならない地点にまで達しているらしい。
応急修理で持つことは持つが、ここにいる整備兵の考えだけでは不安なので、地上に戻り、地上で専門家の意見を仰ぐ必要があるのではないだろうか。
今日の修理工程は循環器外郭に張り付いた水分の除去だ。
水分の除去とはいっても、結露と凍結を繰り返す部分であるため、ほとんど排水作業といってもいい。
バリステアの構造では、排水作業は地上で行うように設計されている。
しかし、今回の試験では次世代艦で実装される空中での排水作業を念頭に置いているため、データ収集のために難しい動作をしなければならない。
少なくとも、バリステアでは想定されてない整備工程を行うために、凍結した水分を融かす必要があり、そのために循環器への負荷が増えることになる。
循環器への負荷はできるだけ短時間で工程を終了しなければいけない。
事故が起きなければいいのだが。


621 15月13日 耐久試験204日目
心配していたことが起きてしまった。
排水作業に二人が足を踏み外して宙に投げ出された。
踏板もない場所での作業だったので、踏み外すというのは言葉が違うかもしれない。
岩登りをしている最中に滑落したという方が正確な表現だろう。
幸いなことに、安全工程が守られていたため、二人の負傷は腹部に食い込んだ安全縄が内臓に少々の被害を与えたことと、救出が遅れたことによる軽度の凍傷だけだった。
原因は、冷気の中での長時間作業、加えて作業中に水に触れていたため、靴が凍結したのだろうか、それとも手がかじかんで手すりを掴み損ねたのだろうか。
救出に時間がかかったために低体温症が心配されたが、生体カイロがそれを防いでくれたらしい。
大事をとって二人は次の補給で地上に下ろすことになる。
それはいいのだが、排水作業が中断されてしまった。
空中排水工程は本来の耐久試験の項目には含まれていないので地上で行ってもいいのだが、データの収集が完了できなかったことで監督官は不満であるらしい。
地上に戻る前にもう一度、せめて事故が発生した原因を割り出せないかと持ち掛けてきたという話が回って来た。


621 15月14日 耐久試験205日目
滑落した二人は案外元気だった。
だが、医務官の話だと内臓の機能があまり良くないらしい。
また、どうしても生体カイロでは守れない口から過呼吸によって冷気が肺に流入し、肺機能が若干制限された状態であるらしい。
どちらにせよ、現時点での現場への復帰は見込めないとのことだった。
今日の作業工程は、昨日負荷をかけてしまった循環器を復調させることと、生体器官を投薬によって復調させることになった。
排水作業が問題なく終わればこれをせずに済んだのだが。
とはいっても、初めから失敗することが分かっているような追加試験だったので、誰を責めることもできない。
必要なのは、次世代機の空中排水工程のための実践データを収集することだけだ。


621 15月15日 耐久試験206日目
生体器官への投薬は終わった。循環器の復調についてはまだ7割ほどしか終わっていない。
整備工程が遅れ始めた。昇降舵の換装は地上で部品を受け取って艦上で組めばなんとかなるらしい。
監督官はそう簡単に言ってのけるが、それはかなり無茶なことだと思う。
第一、どこで最終組み立てをするのだ。主翼の上でやれというのか。
それで組み立てることができたとしても、クレーンもない艦上で、どうやって昇降舵を上まで持っていくのだ。
頭頂部に滑車でも溶接して反対から引っ張れとでもいうのだろうか。
それを、無茶だが無理ではないと言ってのける、変に肝の座った野郎だ。
普通なら昇降舵がやられても最悪地上に帰ることくらいはできるだろう。
だが、それは普通の時だ。こんな生体器官が疲弊した状態では何が致命傷になるかも分からないのに。
頭でっかちの官僚主義者にとって、整備兵の命はスカイバードよりも軽いのではないかと思えてきた。
それとも、様々な噂の飛び交う「テクノクラート」から来た監督官だから、価値観が違うのかもしれないな。


621 15月16日 耐久試験207日
艦長がかけあってくれたことで地上への帰還が随分と早まったらしい。
艦士、それも艦を統括する長からの忠言は素直に聞いたらしく、遅くとも209日目には整備場に着けるはずだろうという話を整備長から聞いた。
循環器の復調作業が終わったらしいが、どう頑張っても耐久試験初日の8割までしか回復しないそうだ。
生体器官の出力も同じく初日の8割を割り込んでいる。
艦長は試験工程中でも操艦には極力気を使っているが、それでもカバーしきれない状態のようだ。
濃い水煙の中に入るだけで風邪をひく程度には免疫力も低下しているらしい。
そういえば、今日は少しだが水煙が空に張っている。
こういう天候の整備だけは、いかに天下無敵の整備兵も嫌がる。
簡単な整備がいいとか、早く終わらせたいとか、こういう日に生体器官の整備をしたかったとか、そういったことを口々に言いあっている。
水煙の中で外殻の整備をすると整備兵のブーツでも滑るし、なにより寒い。
それだけではない。水煙の中では本来空気のあるべきところを水蒸気が占領してしまい、肺に十分な酸素が流入しない。
高所作業で酸欠になれば滑落は必至となる。それを防ぐために重い吸気安定装備を背負わなければいけないのだ。
身軽を信条とする整備兵にとって、吸気安定装備などは邪魔にしかならず、かといって付けなければ自身の事故を招く。
こればかりは整備兵の技量ではどうにもならない。
今日は昇降舵の整備をした。整備というが、ほとんど応急修理のようなものだった。
だが、外から出来ることなどたかが知れている。
サビを取って、羽の角度が正しいかどうかを確かめて、疲弊した部分に補強を当てて、ワイヤを新しいものに変えて、サビ止めを施して、それで終わりだ。
ついでに、本当に使うのかも分からないが、頭頂部に滑車を取り付けておいた。
補強だらけの艦の頭頂部に輝く滑車。これでまた一つ艦が不細工になった。


621 15月17日 耐久試験208日目
循環器がグズりだしたらしく、整備長は大慌てで艦橋に行ったらしい。
生体器官もそれに呼応したように、新人操艦士が動かすみたいな挙動をすることがある。
自身に負荷がかかると分かっていながらの急制動急加速。典型的な生体器官の暴れ方だ。
舵が生きているうちはまだ、そんなことをされても大したダメージはないが、今後はどうなるか分からない。
一度地上で休ませることが必要ではないだろうか。
帰って来た整備長から話を聞いたところ、不安定な生体器官での実践的な機動試験を行うらしい。
とはいっても、「実践的な操艦」な度合いは艦長に一任したらしい。
なんともまぁ、責任を投げたと見るべきか、艦長への信頼が現れたと見るべきか。
ただ、頭でっかちの監督官だが、でしゃばりでないことだけは評価すべきだろう。
それとも、勲章は欲しいが命も惜しい奴であると評価すべきだろうか。
それとは別に嬉しいこともある。
「実践的な操艦」の項目には砲の発射も含まれているらしく、整備兵が艦の熱い火砲に触ることのできる唯一の機会がやってきたことだ。
整備兵は艦の火器に触れる権限を持たないが、この艦では耐久試験を主目標としているため、艦士を極力減らして代わりに整備兵を押し込んでいる。
つまり、耐久試験で必要のない、火砲を操る人材である火艦士がほとんど搭乗していない。
では、誰が火砲の操作を行うのか。
そこで、艦長の権限で整備兵を緊急時に制限付きの臨時艦士として任命できる制度を用いるのだ。
この時に艦長から胸に着けてもらえる略綬が整備兵にとっては何よりも嬉しいのだ。
それを胸に着けるということは艦長から全幅の信頼を受けているということであるし、整備兵が貰える一番格が高い勲章であるからだ。
整備兵が艦の奴隷ではなく、艦の一部と認められた証でもある。
昔の整備兵は常にこの略綬を胸に着けていたらしいが、近頃は植民地からの人材を使うようになって、反乱を恐れて撃沈されるまで艦長室に略綬をしまい込んでいるようなことが普通であるらしい。
整備長は若い頃にガルエ級で整備兵をやっていた時、略綬を胸に着けていたことがあると話していた。


621 15月18日 耐久試験209日目
整備場への入港の前に、射爆場にて。
艦長から手渡しで受け取った臨時火艦士の略綬を胸に、飽きるほど火砲を操作した。
男ならやはり自分で操作する火力に憧れるもののようで、何度やってもこの興奮は簡単に収まるようなものではなかった。
とはいっても、やったのは火砲の尻に弾薬をねじ込むことだけだったが。
それにしても、操艦士の操る戦闘機動はいつも胃が締め付けられるような思いがする。
比喩ではなく、艦の外殻が旋回によってギリギリときしむ音が胃に響く。
何度も経験しているが、こればかりは整備兵の身には荷が勝ちすぎる。
だが、楽しかった。
名残惜しいが、略綬は返却した。これからはまた港に降りて整備兵の仕事が待っている。


621 15月19日 耐久試験210日目
昇降舵の部品を積み込んだ。本当に昇降舵を全交換するつもりなのだろう。
ただ、整備長の話では、ちょっとズルをすることができるらしい。
空中で組み立てを行い、空中で昇降舵を換装すればいいわけだから、この港で艦を少しだけ浮かせて作業を行えばいいという寸法だ。
確かに、あの監督官は昇降舵の交換を指示したが、高度を指定していなかった。
つまり、地上作業員の力さえ借りなければ地上ギリギリの場所で作業をしても問題はないというわけだ。
ついでに、その要領で循環器の水抜きもしてしまったらどうかと進言しておいた。
生体器官は地上で休眠させて回復させる必要がありそうだ。
2日も休眠すれば出力が9割までは改善するだろう。
ずっと動かし続けていたので疲労の蓄積が早いらしく、専門家の話だと急な加減速は致命傷につながる所まで来ているらしい。
艦長も地上に降りてからはずっと監督官に忠言を繰り返している。
これだけの成果があれば監督官としての仕事はおろか、組織内での株も上がるだろうと。
なんなら艦長自ら監督官の配偶について一言付け加えてもいいとまで言ったらしい。
やはり、艦長が一番艦のことを分かっているようだ。
長く艦に付き合った艦士には艦の声が聞こえるらしいが、整備兵にもそのような能力があれば整備が楽になるのだが。
専門家の意見を聞くまでもなく、艦長は耐久試験を降りるつもりだ。
それに頭でっかちの監督官が頷いてくれればいいのだが。
艦が墜落してすべてが無駄になる前に、整備兵全員に飯をふるまってくれる約束を果たしてもらいたいと誰かが言っていた。
そういえば、監督官とそんな約束をしていたんだった。


621 15月20日 耐久試験211日目
積み込みが遅れていた食料品の積み込みが終わった。
本来は缶詰など必要ないのだが、生体器官と循環器の地力を消費する肉吐きを動作させるわけにはいかないという結論を出した艦長と整備長が監督官に内緒で書類を通したようだ。
これ以上耐久試験を続けるなら保存液まみれのクソ不味い肉の詰まった缶詰を食う羽目になるぞという、監督官への一種の脅しである。
報告書を出して帰って来た監督官も、これで諦めてくれるだろう。
貴族様には「畜生の餌」を食う覚悟もないだろうからな。
積み込んだ昇降舵のうち、一つは組み立てが終わったらしい。
艦上の不安定な足場での中型部品の組み立てに関する作業工程という名目で通せるだろう。
あと三枚組み立て終わるまで監督官が帰ってこなければいいのだが。
監督官が耐久試験を継続する場合、予備部品として残り一枚分の部品はあるので、それを空中で組み立てることになる。
それが失敗しても、組み立てが終わっている昇降舵を付ければ済むことだ。
官僚主義者の自爆に付き合うなんて馬鹿馬鹿しい。


621 15月21日 耐久試験212日目
艦長は相変わらず休眠した生体器官を愛でるように、頻繁に計器を撫でている。
監督官がなかなか帰ってこないので、勝手に作業工程を始めてしまっていいのだろうか。
どうせお偉いさんと日夜痛飲しているのだろう。
そういえば、循環器の水抜きをした時の事故の再現を行った。
風の強い日だったので何人かに水濡れになってもらい、循環器の水抜きを再現して行動してもらった。
案の定、手すりが少ない場所で足を踏み外して、地面すれすれで宙吊りになっていた。
それ以外の者は昇降舵の組み立てをした。
最終的に、残りの三つもなんとか日が落ちる前に組み立て終わった。
完成品の四枚は主翼に括り付けておいた。
この風景を見た整備長は、軍艦じゃなくて輸送船みたいだと苦笑していた。
同感だ、こんなにパッチだらけの軍艦なんて今まで見たことがない。


621 15月22日 耐久試験213日目
監督官はまだ帰ってこない。
さすがにここまでになると心配になってくる。
艦長の話だと地上にいるのは2,3日だという話だったから、いくら監督官がお偉いさんに捕まっているとはいっても、耐久試験を放り出すはずもない。
どこに問い合わせても、近場のテクノクラートの詰め所に行ったと言うし、詰め所で聞くと報告書を提出して帰ったと言っている。
まさか、帰り道に暗殺でもれたのではないかと心配して警察に確認を取ったが、そういった人物が運び込まれた情報はないようだ。
こうなってしまったら艦長の権限で耐久試験を終了してもいいのだが、監督官を立て、整備工程の通りに方向舵の整備をしておくことになった。
外からこの光景を見たら、さぞ間抜けに見えるだろう。


621 15月23日 耐久試験214日目
昨日、艦長宛てに事務書類が届いたらしい。
なんでも、耐久試験の監督官と試験内容が大幅に変更されるらしい。
これを聞いてピンときた。あの頭でっかち政争に負けやがったな。
どこに負けたかは知らないが、どうせテクノクラートの中で功績を巡って一悶着あったに違いない。
耐久試験を中座させてまでどこに行ったのかと思ったら、功績の乗っ取りに遭ったということか。
殺されていなければいいのだが、さすがにテクノクラートでも政敵を直接どうにかしたりはしないと信じたいものだ。
出発は明日か明後日になるらしい。
それに備えて、休眠中の生体器官を起こす作業を始める。
出来るだけゆっくりとお姫様を起こさないと、またいつ機嫌を損ねるか分からない。
二日もあれば十分に調子を取り戻してくれるだろう。
それでも、予測では初日の8割5分までしか出力が回復しないという、かなり厳しい状況だ。
試験継続は弱った体に鞭を打つようなものだ。艦長もさぞ辛いことだろう。


621 15月24日 耐久試験215日目
追加で届いた書類によると、今日で耐久試験は終了するということだった。
そのため、搭乗整備兵の大半は下ろすことになるそうだ。
しかし、別の試験があるらしく、「特殊技能を有する艦士の養成」に関する試験と書いてある。
特殊技能艦士ね。
空飛ぶ砲兵の次はどんな兵士を育成するつもりなのだろうか。
砲兵なのに艦士の資格持ちがいると聞いた時には度肝を抜かれたものだが。
しかし、こんな落ちそうなボロ艦でどんな事をするのやら。
こちらは今すぐにでも生体器官を眠らせて、地上にあるありったけの機材でこいつを整備してやりたいというのに。
それにしても、こんな誰から見ても一発で何かあったと分かる引継ぎ書類を書くなんて、これを画策した奴は相当焦っているか、堂々とした馬鹿なのではないだろうか。


621 15月25日 
新しい監督官が現れた。
そいつは奇妙なことに、大きなカバンを持った白衣の男たちだった。
五人全員、着ているコートの下に白衣が見えている。
これがテクノクラートの制服というわけではないだろう。
前の監督官は普通の格好をしていたはずだ。
なんというか、彼らからは服もろくに揃えない根っからの研究者という印象を受けた。
それに、持っているカバンも妙だ。
着替えの服や必需品があるにしても、前の監督官のそれより二回りも大きいカバンを持ってきた。
五人全員が、だ。どこか遠くまで旅行にでも行くつもりで来たのだろうか。
特殊技能艦士はこの白衣の連中の荷物持ちも兼ねているらしい。
歳は二十歳かそれ以下の、これまた五人だった。
埃も油も擦り跡も付いていない、真新しい艦士の軍服に身を包んだ五人だ。
艦長に予定表を渡して慌ただしく艦に入っていく白衣の監督官たちの後に続いて、艦に入っていった。
ところで、誰が代表の監督官なのだろうか。それは予定表を渡された艦長にも分からないようだった。
監督官の個室を作るために、人員整理で艦を降りていなくなった整備兵の部屋を掃除した。
特殊技能艦士の部屋は作らなくていいらしい。
監督官の部屋五つにそれぞれ寝床を二つ作るのだとか。
下種な詮索をすると、そういうことになる。
ずっと艦に拘束されてきた私たち整備兵の境遇とは裏腹に、お偉いさんは慰安もできる艦士を作っているのかもしれないな。
ところで、あの五人の特別技能艦士は、艦士のほかにどのような資格を持っているのだろうか。
まさか、空中での夜伽の専門資格を作るためだけにわざわざ彼女たち、を連れてきた、なんてことはないだろう。


621 15月26日 特殊技能艦士試験1日目
もう半日あれば生体器官の調子が9割に届くかというところまで回復するらしいが、監督官は半日も待っていられないようで、すぐの出発となった。
離陸後に各舵の点検をしてみたが、昇降舵以外はまだなんとか耐えられるように思える。
だが、その安寧もすぐ無くなりそうだ。
よりにもよってあの白衣たち、予定表を変更してできるだけ高高度を飛ぶように要請してきた。
生体器官を全力、昇降舵もすべて使った緊急上昇すれすれの挙動で。
何を考えているんだと言ってやりたかったが、それを一番に言いに行った艦長と整備長は取りつく島もなく帰って来た。
その代わり、彼女たちを整備兵につけてくれるらしい。
まさか、あの五人は整備兵だったのか。
艦士の整備兵なんて初耳だ。そんな大仰なことをする意味はないようにも思えるが、上のすることは分からないことだらけだ。
彼女たちの整備兵への正式な配属は明日ということになった。
とりあえず、彼女たちが何を出来るのかをはっきりさせないといけないな。


621 15月27日 特殊技能艦士試験2日目
彼女たちは何なのだ。
感性が人間のそれではない
安全工程を必要最低限に絞って外殻の整備をする姿はまるで軽業師だ。
安全縄など、1時間の作業で少なくとも30回は付け替えることが普通であるにもかかわらず、彼女たちは多くて5回ほどで済ませている特殊技能艦士までいるという話まで上がってきた。
もちろん縄が特別長いわけではない。安全縄を手すりに掛けないで外殻をつたって移動しているという話だ。
それも、補強材やパッチを持ちながら、時には片手に工具を持ちながら安全縄もなしに移動していく姿も目撃した整備兵がいるらしい。
私の担当箇所に来た特殊技能艦士はアイネというらしいが、必要なところで安全縄をかけながら危なげなく外殻を移動していた。
なるほど、これが特殊技能艦士というわけか。
整備長に、白衣からの通達で、特殊技能士艦士の行動を妨害することがないようにという要請があったと整備兵の皆に念を押していたが、こういうことだったわけだ。
彼女たちが帝国の艦隊に配属されて、艦の整備を行うようになったらさぞ頼もしいことだろう。
そうなると、搭乗整備兵の私たちはもうお払い箱になってしまうかもしれないな。
少しばかり監督官たちの部屋に近づいてみたが、やはり彼女たちは夜になると白衣たちの夜伽を任されているようだった。
艦士、整備兵、そして慰安、ね。
確かにこれを一人の人材で賄えれば特殊技能艦士として育成する価値はあるだろう
それに、来歴が不確かな整備兵などより、テクノクラートが手塩にかけて育成する人材となれば兵士への不信も払拭され、テクノクラートが新たに帝国に利権のつながりを持てるということもあるのかもしれない。


621 15月28日 特殊技能艦士試験3日目
今日も彼女たちは危なげなく、そして危なっかしく外殻を渡り歩いて整備兵を驚かせている。
循環器の外郭を見てくれなんて言った日には、アイネは不思議な力が働いているかのように外殻を滑り、滑落する寸前で手すりに指をかけ、かと思うと両手だけで飛び跳ねるように手すりをつたって艦の真下に潜り込んでしまった。
私がやっとの思いで追いつくと、ここに補修材を当てる必要がありそうです、だ。
そのような風景はどこでも見られたらしく、若い整備兵に至っては、もはや彼女たちの邪魔になっているのではないかという愚痴まで出てきた。
タメを張って事故を起こさないよう整備長は入念に注意していたが、それがさらに若者の心を折ったのかもしれない。
それにしても、気流の乱れで艦が揺れているという状況でもアイネは臆した様子もなく外殻を飛び回っていたことが信じられない。
その正確さもだが、落ちることに対しての恐怖というものがないのだろうか。
気流の乱れといえば、今日の操艦は比較的荒かったように思える。
操艦士の腕が悪いというわけではなく、気流の乱れに関わらず航路の指定が行われていると考えた方が合理的だ。
艦長がこのような状況の艦でそれ選択するようなことはないはず。
つまり、これはあの白衣たちの要請によって艦長が航路を決めていると思った方がいい。
あの白衣たちはこの艦をどうするつもりなのだろうか。
少なくとも、耐久試験の時には見えた帝都が遠くに見えるところから、帝都からは離れていることは確かだ。


621 15月29日 特殊技能艦士試験4日目
今日の操艦は容赦なしだ。
整備が必要であるにも関わらず、艦は水煙の濃い部分を突っ切っている。
さらに、乱流の中も艦は通過していく。
これは明らかにひどい、もう少し艦を労わってくれないだろうか。
整備兵にとっても悪夢だ。吸気安定装置を付けながら、揺れる艦にしがみついて滑る外殻を移動しなければいけない。
しかし、彼女たちはそんなことはお構いなしに、いつも通りの格好で作業をしている。
ここで誰もが彼女たちの異常に気が付いたことだろう。
私はアイネしか見ていないが、彼女は吸気安定装置も付けずに水煙立ち込める外に飛び出していった。
最初は気でも狂ったのではないかと思ったが、彼女は別段いつも通りに外殻を飛んだり跳ねたりしていた。
そこまで水煙が濃くないのではないかと思い、私も安全なところで吸気安定装備を外して深呼吸してみたが、一発でむせてせき込んでしまった。
明らかに彼女は異常だ。何か特別な能力があるのではないか。
特に、肺の構造が普通の人間より強化されているという線が太いだろう。
そのような訓練を受けたのか、それとも、黒か。
ともかく、あの白衣たちがこの能力を確かめたくてこのような操艦をさせていると考えると、妥当なように思える。
彼女たちのおかげで、このような最悪の状況でも、いつものような整備工程が実施できている。
たった五人、彼女たちが整備兵の先回りをして点検箇所を巡回するだけで、最悪の状況で普段通りに回せている。
では、通常の作業工程に彼女たちを効率的に組み込めたら、どれほど艦の整備は早くなるだろうか。
たしかに、これは空飛ぶ砲兵と同じように価値のある特殊技能艦士となることだろう。
しかし、どこまで効率的に整備できたとしても、乱流の中を通るだけで羽が疲弊していることは目に見えて分かってしまう。
整備長はもう白衣たちと掛け合っているだろうけれど、また徒労に終わりそうだ。
航法艦士にそれとなく聞いてみたが、白衣たちが要請している航路は帝都から一直線に離れるように設定されているらしかった。
気象士と艦長がそれをなだめ、なんとか酷い乱流、特にジェット気流の余波にだけは遭わないように航路を調整してくれているのだとか。
無理やりジェット気流の余波を突っ切れば生体器官が暴れることはもちろん、乱流によって艦が致命傷を負ってしまうかもしれない。
艦がこうでなければジェット気流の余波にも艦を突入させようとしていたらしく、白衣たちは明らかに監督官として適切な人員ではないため、地上に降りたら艦士が全員でテクノクラートまで文句を付けに行くという話が持ち上がっていた。
そこまでひどいのかと聞いたが、人格的にも相当であるらしい。
特に航路についてはよく噛みついているらしく、航法艦士は苦労を一手に引き受けているそうだ。


621 15月30日 特殊技能艦士試験5日目
今日も彼女たちは元気に水煙の中を飛んだり跳ねたりしている。
吸気安定装置を背負った私たちには到底できない芸当だ。
彼女たちの軽業のおかげで昇降舵の付け替えも終わってしまった。
四枚すべて付け替えが終わってしまった。
頭頂部に滑車を溶接したのは私たちだが、それを上手く活用したのは彼女たちだったようだ。
まぁ、安全のために昇降舵の周りが手すりだらけになって、整備長が寂しい眼をするようなことがなかったことは喜んでおくべきか。
何日か作業中にアイネと接してみたが、あの神経質な白衣たちと違って、とても従順、というよりは素直だ。
訓練された軍人のそれを持ちながら、軍人がよく持っている「視線」をこちらに向けない。
明言すれば、彼女は非常に、均質的で無類な存在であり、ある意味では無知であるように思える。
とはいっても、整備兵か向けられた下種な話に適切に対応するし、間違いは素直に指摘する。
では、なぜ私は彼女のことを、ある意味で無知だと思ったのだろうか。
ところで、たぶん自分だけが見ていたのだが。
水煙の合間に小さくなった帝都が見えた。
だが、帝都からは黒い煙が上がっていたように思える。
何かあったのだろうか、心配だ。


622 1月1日 特殊技能艦士試験6日目
アイネの識別票が見当たらない。
顔のどこにもない。
首にすらない。
大腿には刻印してあるのかもしれないが、
ますます彼女の背後からは帝国の黒が噴き出している。
そして、その黒が私たちをも取り囲み、何か良くないものの片棒を担がされているような気さえする。
彼女たちの異能については疑いようもない。
だが、彼女たちの存在という異常には、もはや懐疑の目を向けるしかない。
白衣たちが何を要請したのかは分からないが、艦が雲の中を飛ぶようになった時点で明らかに異常が発生している。
彼女たちがいるからといって、この艦の状況を分かっていれば、このような無謀なことは画策もしないだろう。
あるいは、あの白衣たちがこの艦を落としたいと画策しているとか、この艦で政争から何としてでも逃れたい一心での行動であるとかであるのかもしれない。
どちらにしても、とばっちりを食うのは御免だ。
彼女たちは今日も雲の中で、何も着けずに作業をしている。
吸気安定装備を装着しなければ絶対に呼吸困難に陥るだろう雲の中を。


622 1月2日 特殊技能艦士試験7日目
白衣の奴ら、ついに武装蜂起を起こしやがった。
何があったかは分からないが、大方、艦を停止命令させる命令が発信されていることに気づいた艦長がそれに従おうとして、白衣たちが止めさせまいとして艦橋を占拠したのだろう。
整備兵区画にもその刺客が送り込まれた。
整備兵のいる区画と向こうをつなぐハッチの前にはアイネが居座っている。
ご丁寧に、アイネは弾薬庫から持ち出した17センチ砲の砲弾に信管まで刺して置いている。
バリステアなら17センチ砲弾の内部炸裂でも生存できるだろう。
しかし、蜂起した白衣たちと彼女たちがすべて何かしらの爆弾を抱えていると考えると、私たちは無茶ができない。
ただ、会話すること自体は可能なようで、普通にアイネと話すことができた。
アイネの話を鵜呑みにすることはできないが、白衣の連中が何かから逃亡する時間を稼ぐことさえできれば、艦に危害を加えないということを聞き出した。
つまり、私たちに大人しくしていろということだ。
雲の中に入ったのは追手から隠れるためだったか。
アイネの言うことでは、今日からは外殻の整備をしなくていいらしい。
外殻からつたって整備兵の区画を乗り越えないようにするためだというが、雲の中でそのような芸当ができるのはアイネたちだけだ。
整備不良で艦が落ちてもかまわないのかと聞いたら、彼女は艦内通信で艦橋と何かを話し始めた。
しばらく話してから、整備は認められないという反応が返ってきた。
そこから、艦橋がすでに白衣たちか彼女たちによって占拠されているということを確認できた。
白衣たちの目的はおおよそ分かったが、どちらにせよ異常を察知して追撃部隊が差し向けられれば、どん詰まりである。
もはや、どうすることもできなくなってしまったのではないだろうか。




バリステア型耐久試験船強奪事件に関する最終報告書

 バリステア型耐久試験船強奪事件(以降、「本件」と記述する)は、テクノクラート所属の_____が監督官を務める、船体番号_____バリステア型軽巡空艦改造試験船(以降、「バリステア」と記述する)にて行われていた無修繕耐久試験に対して、テクノクラート所属の_____ら五名(以下、「容疑者ら」と記述する)が公文書を偽造し、バリステアを強奪した事件である。

 容疑者らはテクノクラート内で「『新人類計画』に際しての肉体改造に関する研究」を極秘裏に行っており、その成果として「気嚢を有する人類」(以下、「人造人間」と記述する)を生成することに成功した。しかし、近衛騎士団長_____が_____皇女の擁立を画策したことに端を発する武装蜂起が621年15月30日に発生することを察知した容疑者らは、それに便乗して統治省と特務委員会がテクノクラートへ強制調査を行うという予想の下、施設からの脱走を試みた。テクノクラートで行われていたバリステアによる船体耐久試験に関する公文書を偽造することで、容疑者らは本来の監督官であった_____を解任、容疑者らが新たな監督官として着任するように仕向けた。容疑者らは人造人間五体を施設から許可なく持ち出し、同行させてバリステアに乗船した。
 公文書の偽造によって船体は耐久試験によって疲弊した状態のまま、「特殊技能を有する艦士の養成に関する試験」の名目で_____整備場を出港した。人造人間五体はいずれも艦士としての資格を持ち、さらに整備兵としての資格と訓練を十分に積んだ状態であり、本来であれば皇帝艦あるいは皇衛艦などに配属される予定であった。人格面は極めて従順であるため容疑者らの命令を拒むことなく実行し、バリステアで行われていた整備にも参加している。当初、艦士や搭乗整備兵は五体が人造人間とは知らされておらず、また容疑者らがどのような試験を行うかも通達されていなかったため混乱したが、人造人間が艦士の資格を持ち、さらに整備兵としての資格を有していること、実際に行われた整備の手順が一般的な整備兵が行うものと明確にかけ離れていたことにより、今回の試験がどのようなものであるかを誤認させられることになった。しかし、容疑者らの艦士に対する横柄な態度や、その場しのぎのような要請が続いたことで、艦士の不満は高まっていた。
 一方、621年15月30日に決起された武装蜂起に便乗してテクノクラートは統治省と特務委員会によって強制調査が行われた。前日、テクノクラート内では容疑者らと人造人間五体が喪失していることが判明、耳目省と軍本部に捜査の要請をすることが決定していた。しかし、強制調査によって多数のテクノクラート上層部が捕縛され、命令系統が寸断されてしまったため、この捜査の要請は霧散してしまった。621年1月1日未明から全軍属の艦船に対して緊急停船命令が下されたが、バリステアはテクノクラート所属であったため、停船命令が通達されなかった。テクノクラートへの操業停止命令、テクノクラート所属艦船の運航停止命令が施行されたのは622年1月30日付である。なお、前線で戦闘中の艦船や、それを補助している艦船に対しては命令を通達しないように配慮された。ただし、これを恣意的に解釈して行動した艦船については後日に処罰の対象となった。
 バリステア強奪が発覚したのは621年15月30日、特務委員会がテクノクラートとの関与が強い艦船整備場を摘発した際のことである。倉庫に地下に軟禁されていた_____監督官の証言によって、バリステアにテクノクラートの職員五名と、護衛に識別票が存在しない人物五名からなる人物が_____監督官を軟禁し、おそらくバリステアの監督官になり替わって乗船した可能性があるという趣旨の証言をしたことによって、不審な人物がバリステアに乗船したことが明らかになった。これに対して、グレーヒェン家から貸与された私船(以下、「私船」と表記)と人員が組織され、容疑者らの追撃に使用された。
 バリステア内では621年15月26日から「特殊技能を有する艦士の養成に関する試験」が開始された。航路は北の方向に向かうように容疑者らが艦長に要請し、おおむねその通りの航路を指示していた。艦長は船体の損耗を考慮に入れ、できる限り慎重な操艦を心掛けていたが、容疑者らが武装蜂起から逃れたいがために、艦長に対して厳しい航路を取るように脅迫を行った。最終的に艦は次第に深い雲の中を航行するようになり、搭乗整備兵は雲の中を吸気安定装置なしで働く人造人間を目の当たりにしたことで、人造人間のことを不審に思い、さらに、人造人間に識別票が印字されていないことを艦長に報告した。しかし、バリステアの乗務員は最後まで容疑者らが持ち込んだ人造人間について確証を得ることはなかった。
 622年1月2日に私船がバリステアと更新可能な距離まで接近し、冷戦命令を発信したが、バリステアはそれに対しての返答を行わず、雲の中に入り行方をくらませようと画策した。この時点で容疑者らは艦橋を占拠していたと考えられる。私船がさらに追跡をしたことで容疑者らは逃げきれないことを悟ったのか、622年1月3日の早朝に自爆する形で艦橋を爆破、この時点で容疑者らは全員死亡、すべての艦士と人造人間四体がこの爆発に巻き込まれて死亡または行方不明となる。整備兵区画を占拠していた人造人間はこの爆発を逃れた。艦橋と連絡が取れなくなったことでこの人造人間は指揮者を喪失したと判断し、付近の人間の指示に従うよう行動を始めた。
 艦橋が爆破されたことで、疲弊していた生体器官は致命的な衝撃を受けることになった。生体器官はショックにより一時的に機能を喪失、制動しながら高度を徐々に降下させる。この時に整備兵は爆発の被害を確認するために外殻を移動し始めた。艦橋が爆破されたためが機器的な損害は最小限に抑えられたが、生体器官の指揮を執ることが不可能になり、外殻から循環器を通して生体器官を操作しなければならなくなった。しかし、バリステアの循環器は船体下部にあり、空中で循環器を操作する訓練を受けていない整備兵にとって、不安定な生体器官が暴走する可能性を含めて作業が困難な状況であった。また、雲が薄くかかった状況であるため、吸気安定装備を装着しての作業は困難であるという結論に達した。危険な作業に志願する人員を募ったところ、数名の志願者と人造人間が志願した。艦橋の爆破もあり人造人間への不審が高まっていたが、人造人間の人格を擁護したものが数名おり、それによって志願者として認められた。人造人間は肺に気嚢を有しているため雲の中でも吸気安定装置を必要とせず、身軽な状況で循環器へたどり着き、投薬を行い、生体器官は安定状態に戻り、超低速での巡行を開始した。
 バリステアの爆発音は私船も察知したが、バリステアが雲の中にいたために詳細を知ることはできなかった。622年1月3日の日没直前に黒煙を上げて超低速で巡行しているバリステアを視認した私船は停船命令を発信しながらバリステアに接近、そこで外殻に出ていた整備兵からの手旗信号によって状況を把握した。私船はバリステアに接舷する形でバリステアと同速で巡行、整備兵と人造人間を私船に収容した後に空域を脱出した。バリステアは後日近衛騎士団が回収し、テクノクラートが1月30日付で艦船の運航停止命令を受けたことによって近衛騎士団が接収した形となった。
 事件後、テクノクラートはバリステアとその搭乗員を返還するように求めたが、近衛騎士団は「事件との関与があった艦船と搭乗員を参考人として保護している」という名目で返還を拒否。テクノクラート側も近衛騎士団に人造人間が収容されてしまった以上、人造人間に関する実験との関与の追求を避けるため、強硬な手段に出ることはなかった。人造人間は収容された後に査問に掛けられる予定だったが、人造人間は識別票が存在しないために非帝国軍人の扱いとなり、軍法会議による査問が不可能な状況となった。通常の査問においても、ほとんどの行為が容疑者らの命令によってなされたことであり、人造人間自身への責任能力を追及することができなかった。最終的に、この人造人間は弾薬を改造した即席爆弾で整備兵を脅迫したという罪状のみの審議となった。
 査問が終了した後、人造人間は国外追放されたという報告書が近衛騎士団によって作成された。しかし、その後の組織拡充の際、帝国法に則って国籍と生体番号_____番を取得した人物がおり、その人物が国籍を取得した時間と近衛騎士団への入団の時間が同一であることから、この人物が人造人間なのではないかという追及がなされている。しかし、これに対して近衛騎士団長_____は「人造人間であるかの真偽は関係なく、彼女は非常に優秀な人材であるため勧誘を行い、彼女もそれに応じたために近衛騎士団への入団を許可した」という証言をしている。最終的に、その人物が人造人間であるかどうかの確認は取ることができなかった。だが、近衛騎士団の人員名簿に「アイネ」なる人物が在籍していることは事実である。
最終更新:2017年02月28日 22:43