諸島連合の「南端」に関する書簡

 どこから話を聞きつけてこの書簡を送ってきたのかは分からないが、返信を送ろう。

 まず、10年前に話した私の与太話を真に受けてくれたことは嬉しく思う。たしかに、私は諸島の「南端」を知る唯一の諸島人であることは今でも自負している。世間ではまったく認められておらず、私の話は精神を患った夢遊病者のうわ言のように片づけられてしまったとはいえ、私は今でも「南端」のことをはっきりと覚えている。私の話によって貴方が何を得るかは私の関知することではないが、この話を聞いて、無謀にもその「南端」へ向かおうとすることは推奨できることではない。その理由は、この書簡をすべて読んだときにおおよそ察せられるだろう。

 10年前、私は首都スラーグの東部に位置する大学で考古学や民俗学を専攻する博士であった。とはいっても、私は湿気のこもる大学の書庫から古代の英知を引き出すために座っているような、よく見かける博士などではなく、比較的新しい時代の、それこそ民俗学に重きを置く学者であったと記憶している。カビのニオイがしない博士ということで、周りからはあまりよい目をされなかったが、私はその目にすら反発するように諸島を渡り歩いていた。それは大学の誰もが知っていることであり、黒い博士という有難くない二つ名まで頂戴するほどだった。しかし、それでも新しい時代の歴史や口伝が本として纏められていない以上、私が大学から外に出て孤島の部族の長から口伝を伝授される以外に調査の方法がなかったのだ。

 私が「南端」とのかかわりを初めて持ったのは、まだ夏が帽子の上から頭を焦がすような頃だった。そのときも私は大学の図書館から飛び出して、とある南方の、双子島と言われる島々の部落に伝わる神話というものを調査するためにそこへ赴いた。確信があるわけではなかったが、10年前の当時でも様々な民話が多く存在する地域であることは周知の事実であった。双子島には様々な文化を持つ部族、場所によっては諸島人とはまったく違う文化や人種ともいえるようなものが確認されており、多様な文化には、同じく多様な背景が存在するということは、推論の域を出ないまでも確信的な憶測が存在しいていた。ただし、双子島に住む人間の排他的な性格や、わざわざ双子島へ行こうとする奇特な人物が存在しなかったというとこもあり、すべての民話が手つかずの状況で放置されていたといっても過言ではない。今でも、半分すら彼らの口から語られていないことは明白であるが、当時はまったくといっていいほど双子島に関する話を聞くことはなかった。

 当時の私は双子島の空白地帯ともいえる部分に興味を持ち、そこに赴くために多少なりとも危ない橋を渡ることも厭わなかった。とにかく、あの頃の私は猪突猛進ともいえるような行動で金をかき集め、南島までこぎつけた。そこからはまったく無計画であり、双子島への船が出ているかすら怪しかったのだが、運よく双子島へ向かう船乗りと交渉する機会に恵まれた。その船頭は双子島出身の壮年男性であり、伝聞にある典型的な双子島人といった様子だった。幸いにも、その船頭は金には興味がないのか、双子島からすれば外様である私にたいして法外な渡し賃を吹っかけてくるようなことはなかった。ただし、双子島へ船を出すのは定期便ということで、双子島への出発まで一週間も待機することを強いられてしまった。しかし、私はそれでも運が良かったらしく、双子島への定期便は四か月に一度、しかも片道が四か月に一度であるということを聞かされた。つまり、運が悪ければ私は八か月もの間、待ちぼうけを食らわされていたのかもしれなかったのだ。それに比べれば、一週間で双子島に発てるということは僥倖のように思われた。私はその間、さらに渡し賃を抑えようと思ったのか、それともこの船頭から面白い話の一つでも聞き出そうと思ったのか分からないが、別段なにもすることがなかったために船頭の小間使いを買って出ていた。とはいっても、あの宿に居留している何某という人物から手紙を預かってきてくれとか、あそこで漁をしている何某から荷物を受け取ってきてくれとか、そういったことばかりだった。ただ、船頭が指名したその何某らには共通点があり、いずれも本島や南島の人間とは肌や顔が微妙に違うと分かった。おそらくは、彼らは双子島から南島に出稼ぎに来ているのだと思われた。そこで、興味本位で彼らに双子島の民話を聞くことにした。当たり前のようだが、双子島から出稼ぎに来ていると思われる人物はみな若者であった。彼らは本島の空気に触れて態度が軟化したのか、あの壮年の船頭のような偏屈さは持ち合わせていなかったが、港の潮風に当てられて硬化した、漁師のようなそっけない態度だけはそのままであり、体つきや服装もあわせて、いかにも海に生きる男ということは疑いようがなかった。

 彼らは双子島について多くのことを語ってくれた。彼らの多くは双子島の北方に住む部族の出身であり、五年ほど前から本島に来て働き始めたらしい。双子島ではまともな職がなかったらしく、部族の反対を押し切ってここまで出稼ぎにきたというが、実際のところを知っている若者によると、部族による反対は形だけであり、むしろ本島に出稼ぎに行くのを推奨しているのだという。私は若者を出稼ぎに出さなければいけないほどその部族は逼迫しているのかと聞いたが、彼らは口をそろえて違うと答えた。たしかに仕送りは送っているが、北の部族はとても豊かなようで、人口がさらに半分増えても支えることができるということが、自信を伴って彼らから帰ってきた。では、なぜ彼らはここに来ているのだろうか。彼らの答えは示し合わせたように、島での退屈な生活が嫌になってしまったことを理由にしていたが、若者の一人は、本島で嫁を作るようにと言い含められていたらしいことを口にした。私はこれを聞いて、閉鎖的な環境で発生する遺伝的な近親相姦を避けるために双子島の住民が本島に若者を送り込んでいるのだろうということを想像することができた。それを裏付けるように、若者たちは部族の血統というものに固執しているようだった。ただし、本島の人間のような、近親相姦を原点とし、また規範とするような貴族血統主義ではなく、他の血統に希釈されることをよしとし、むしろ他の血統に侵入することで生存の順応性を高めるような思考が根底にあるようだった。その一点だけをみても、本島の人間と双子島の人間は全く違っているように思えた。

 船旅はとても順調であり、5日もすれば双子島に到着するであろうことは船頭の言だった。船は八か月に一度だというのに数十人しか乗り合わせた人間がいなかった。割合でいえば、南島から双子島に帰る人々が大半を占めており、他の半分は南島から双子島への行商に出かける商人だった。最初の数日は双子島の人間どうし、商人は商人どうしで固まって話していたようだ。双子島の人間と商人とでは肌の色や言葉遣いに明確な違いは見られなかったが、双子島の人間は船の縁にいることが多く、クルカが船の周りで魚に向かって突っ込んでいく様子を見ればすぐに喜んで釣り糸を垂らしており、逆に商人はどのような天候であっても船室におり、誰もが秘書らしき腰の低い人物と話をしていた。だが、3日もすれば誰もが話題に困るようになったらしく、徐々に打ち解けるようになり、双子島の人間は土産話になるような武勇伝を求め、商人は双子島での特産品についての情報を求め、最終的には、誰が双子島の人間で、誰が南島からの商人かは分からなくなっていた。私にとってこの風景は、双子島と南島の人間が血統的に、つまり遺伝的に同質のものであるかのような錯覚を覚えた。つまり、いつからかは知らないが、双子島から南島に出稼ぎにきた人間が南島で子供をもうけ、それが南島の人間とまた混血になり、いつのまにか双子島の人間と南島の人間は遺伝的に隣り合っているのではないかと考えた。現代の船という技術によってそれは急速に進んでいるように思えた。貴方には、私が双子島を訪れないうちからそのような断言ができるのかと疑問を抱かれたであろうが、それは簡単に紐解くことができる。私がその性質上、大学の図書館を嫌っていることは述べたとおりだが、図書館の資料を活用していないわけではない。まず入念な事前調査のために図書館を利用するのである。しかし、今回の双子島の研究にあたって南島の性質も事前調査の対象としていた。図書館の資料によると、総括して南島の人間の性質は本島と同類のものであるという結果になったのだ。今回の南島の現地調査の結果とは明らかにかけ離れていた。結果的に図書館の情報が古く、恣意的な解釈が発生しているのではないかという疑問点が私の原点にあり、むしろ南島の性質は双子島に近いのではないかという推論が成り立つようになったのだ。そして、その推論は明確に間違いであると反証することはできなかった。

 とはいえ、私も現地で仲介者を見つけなければいけなかった。なぜなら、二か月前には私の伝手で双子島の仲介者を紹介してもらえるように手紙を出していたのだが、南島では仲介者を捕まえることはできなかった。手紙は双子島にいる伝手にも出していたのだが、手紙が届くのは8か月に一度、この船が双子島への郵便を委託していたのだ。どおりで、出向前の手伝いで手紙を引き受けていたはずだ。つまり、私は双子島で伝手がない状態から仲介者を探す必要に駆られていた。だが、船上でいい話を聞くことができた。釣った魚と商人の酒を交換され始め、酒盛りが始まった辺りで私も混ざりに行った。魚と酒に色を付けて買い込んだことでいい客と思われたのか、両者と円滑に接触することに成功した。私が双子島の民話について興味があるという旨を話すと、双子島出身者の若者が我先にと民話を語り始めた。知識にたいして貪欲というだけでなく、自分の持っている知識を積極手に伝えていこうとする姿は、まるで生まれ持った口伝者のような印象を受けた。

 双子島の北の部族の神についての話から始まった。彼らの部族の神は、簡潔にいえば魚であった。世界の構成として、海と空は繋がっており、海の底は天空とつながっているという考え方だった。必然的に、空の青は海の蒼と同じものであり、海底から漏れ出した水が雨となって天空から降ってくるために、雨が降り続けても水が増え続けるということはなく、干満の差はあれど、最終的に水位は同じ場所に留まるのだ、という見解が存在した。しかし、比較的一般的なスカイバード信仰がこの部族に存在しなかったわけではない。たしかにこの部族の神話の神は魚であるが、スカイバードは天上を泳ぐ魚として崇められていた。海底に棲む魚神の小間使いとして、地上の人々を見守るための、海底から天上に現れる天使であった。人間は魚神によって追放された民族であり、魚神の領域である海と空から追放され、地上に住むことを罰として与えられたのだという。海を非常に信仰する諸島人であれば、無限の活力を持つ海から追放されるということがどれほどの罰であるかは想像に難くないのではないだろうか。しかし、魚神にも慈悲はあったようで、魚を獲って食べることだけは許された。そして、その罰を粛々と遂行している限り、スカイバードが魚神の天使として人間を見守り続けるだろう。ともあれ、元は海に住んでいたということもあって、人間は魚の生まれ変わりであるという考え方が一般的だ。そして、魚の生まれ変わりである証拠として、胎児が母体の中にいる状態では、呼気を必要とせず、羊水の中を魚のように泳ぐことができるのだ。この若者たちからもたらされた民話は思いがけない収穫であった。このような若者たちからこれだけの情報が得られるのであれば、双子島に住んでいる故老などから話の一つでも聞くことができれば、私の研究は大いに進展するであろうことが確実であったからだ。残念なことは、ここには北の部族の若者しか乗り合わせておらず、南の部族の、また違った民話を収集することができなかった。とはいえ、双子島の民話もスカイバード信仰や原生生物信仰の一形態であるということが判明した。

 彼らの民話も面白かったが、私はそれ以上の収穫を得ることができた。彼らは口伝者のように彼らの神話を話したが、私の持つ様々な神話や民話の知識を欲したのだ。その姿は、新しい知識を得ようとする若者というよりは、新しい風を取り込む改革者のように感じた。例えば、これが頑迷な宗教家であれば、他の神話に向き合うどころか、違う風聞によって育まれた神話を蹂躙するために兵士を派遣するほどであるに違いない。しかし、彼らからはそのような恐ろしい考えはないようであり、彼らが私の話に耳を傾ける姿勢から、彼らの生まれ持った学の高さを推察することができた。つまり、北の部族で双子島から南島に出稼ぎをしている彼らは、双子島では相当高い地位にあり、この船に乗っている若者たちはみな、洋行帰りの高等学生なのである。では、南島で働き、この船に居合わせていない若者たちはどうなのであろうか。彼らによると、この船に乗って双子島に帰らなかった若者は、南島で伴侶を作るか、既に作った者なのだという。私はその船の上で初めて聞いたのだが、双子島には「夜祭」というものがあり、求婚相手を探す祭りに参加するために双子島に戻るということだった。この船はその祭りの日を起点として定期的に運航されており、この船が双子島に到着した次の日には祭りが始まり、男女が島中を行き来するのだ。ただし、男女が行き来するのは毎年交互に行われ、今年は男が島中を駆け回る番であり、自分好みの女性を捕まえられるだろうかという話で彼らは盛り上がっていた。この「夜祭」というのも近親相姦を発生させない要素なのだろうと私は考え、そのうち、この祭りに同行する形で双子島の民話を聞き出せないだろうかと思うようになった。いうなれば、流れの吟遊詩人か語り部といったところで、持ち前の知識を披露することで観客である島民を喜ばせる余興となり、花嫁を探す彼らと同行して雰囲気を作る。その雰囲気の中で彼らは花嫁候補を探しやすくなり、私は逆に彼らからお礼として島民から民話を引き出すことができるという算段だった。

 船が双子島に到着する前に私は彼らのうちの一人と、先のような内容で契約を結ぶことができた。契約とはいっても、紙や神に誓うようなものではなく、簡単な口約束で執り行われた。諸島人は南に行くにつれて契約というものを重要視しないという偏見を多分に含んだ傾向は広く知られているが、彼に四六時中張り付いていることができないため、この縛りのゆるい口約束はありがたく思えた。彼は同行中に私の持つ神話や民話を聞きたいらしく、私が同行する対価として、双子島について無知な私に、この島の規則を教える役を買って出てくれた。私は、彼がそこまで親切に私に接してくれる理由が分からなかったが、彼によれば、双子島では語り部というものは非常に重宝されており、特に双子島の外から来た語り部によって語られる新しい話に飢えており、彼らのように出稼ぎから帰って来た若者が土産として語り部を連れてくるということもあるらしかった。しかし、必然的に彼らの帰還は祭りと重なるので、語り部で気を引いて女性を釣るような形になってしまい、他の男衆からすればあまり良くは思われないらしい。そのため、私は彼と一定以上離れて行動することが望ましく、そのためには私に島の規則を教え、自分の意思でやってきたかのような風体を保ってほしいという理由が隠されていた。どのような理由があるにせよ、双子島に乗り込む前に良き仲介者を見つけられたことは、この上なく僥倖だった。

 双子島の北部にある港にたどり着いた私は、船から降りるための桟橋を歩きながら、小規模な町といえる程度の建物群を見下ろしていた。そこで、同乗していた若者と同様の歓待を受けることになった。駆け寄って来た老若男女にたいして、一緒に同行することを約束した彼が、私を外からやって来た語り部として紹介したのだ。偶奇なことに、彼はこの港を管理する部族の一員であり、そこでは「夜祭」の前夜祭が行われていた。私が祭りでは多くの部族との接触を計り、南下するということは明らかであったため、前夜祭では私を盛大に歓待し、私の口から話を少しでも多く聞き出そうとしていたのだ。糧食はある程度持ち込んでおり、必要ならば双子島で買いそろえる必要があると思っていたのだが、彼が船上で説明したとおりに、祭りの最中は部族の外からくる人々を歓待するため、食べ物においてはただ同然の値段で売られていた。少なくとも、南島で北の部族の若者から聞いたように、北の部族の食料事情がまったく問題になっていないということが明らかにされていた。私は北の部族の伝統的な酒と、いくつかの果物と、肉食獣の肉を店で買いながら、酒場の一角と思しき、日よけの葉が組まれただけの場所で語り部を務めることにした。彼らの求めるものは定番通りの古式ゆかしい英雄譚に始まり、私の住んでいる本島スラーグにまつわる話、最後は西に存在する大陸に存在している民族についての話で幕を閉じた。彼らは熱気と酔いで恍惚感に当てられている私を手離したくない様子であったが、明日からが「夜祭」当日とあってはいつまでも浮かれているわけにはいかず、一人また一人と明日に備えて自分の寝床に戻っていった。逆に、今年は男を迎え入れるために自分の町から動かない女性たちは元気であり、半ば色仕掛けめいた方法で私からの話をねだっていた。なかには色欲と強欲に忠実な存在もおり、一晩の宿を提供する代償として、夜じゅう様々な話を聞かせてほしいということを酔いが回った私の耳元で囁いてくる人物もいた。これは南方では一般的な女性の誘い文句であり、これに応じると女性と床を重ねることに同意することになるのだ。知っていても、初対面の美麗な女性からこのようなことを切り出されれば断る理由も見つからないだろう。しかし、私への歓待ぶりから、双子島の民話の収集が終わってからでも遅くはないだろうと考えた私は、それを謝辞した。代わりに、私が語り部としての仕事をし、その代償として彼女たちから部族に伝わる神話や、それにまつわる遺跡や芸術品などの話を聞き出すことに成功した。やはり、彼女たちもスカイバードはすべからく畏れるべき存在なのだということが分かった。しかし、スカイバードが天罰を与えるという話をする傾向は北の部族より、南方の部族の方が強い傾向にあるようだった。スカイバードの話になると、南方に出自を持つ家族の女性は、スカイバードについて、寝物語での訓話でよほどきつく扱われたらしく、そういった女性は一段低い声色でスカイバードが人間にもたらした天罰について、親から伝え聞いたと思われる話を語っていた。彼女たちの話から、この双子島の部族は基本的に同じ神話を持っているが、北部と南部では違った見方が存在するということが改めて判明したので、この時点で私は各部族が持つ民話の仔細を検証するため、部族の長と語る機会が訪れないかと考え、考えるうちにいつのまにか酩酊していた私は記憶を失ってしまった。

 その翌日、私は町長の家で寝ているところを起こされる形となった。酔いつぶれた外来人の処遇をどうするか、つまるところ、誰がこの私を引き取るかで随分と女性たちが揉めたらしい。そこに起きてきた町長の息子が現れ、仲裁として町長の権限で私を引き取ることにしたらしい。私は昨夜のことで町長からやんわりとお叱りを受けることになった。曰く、「夜祭」の最中は原則として無礼講とはいえ、本来であれば家の格というものがそれぞれにあり、それを無視して外来人が町を引っ掻き回すことは控えてほしい、という内容だった。私はそれを真摯に受け止め、新たな火種とならないためにも今日のところは他の村に赴くつもりだと答えた。町長は古木を思わせるような、静かでありながら力強い態度で私の言葉に頷いた。ただ、私はこのとき、別のことを考えていた。それは、せっかく町長宅にお世話になっているのだから、海のような雰囲気を漂わせた町長から、双子島の民話を聞き出すことができるかもしれないという、機会に恵まれたことを生かそうとする思考だった。そこで私は自分が語り部として双子島を訪れたが、本来の私はスラーグからやってきた学者であり、双子島に伝わる神話に非常に興味があるということを伝えるに至った。町長は、部族の神話に興味を持ったという私の告白にたいして、喜びの感情をもってそれを受け止めたようだった。ただ、それもつかの間、この北の部族の長は残念そうに、多くの話をできないだろうということを、申し訳なさそうに切り出してきた。北の部族では神話の語り部が減り、伝承者が逸失してしまったために、古くから延べ伝わる話ほど、南の部族から来た者の寝物語の中にしか存在しておらず、自分はそれらを語ることはできるが、正確に知りたいのであれば必然的に私が南下することは避けられないのだ、という予言めいた言葉を受け止めざるを得なかった。しかし、私もそれで引き下がるほど気弱ではなく、船上で若者たちから話半分に聞いた民話についての確認や、形を保っている神殿や石彫りなどがある位置を教授されたりなどをした。僥倖であったことは、この北の部族が科学によって宗教と無関係になりかけていることで、本来であれば宗教的な意図から部外者が立ち入ることができないような宗教施設へ、場所を荒らさないという条件のみで、北の部族が管理している遺跡を調査することが可能となり、さらに、北の部族が管理する遺跡は島の三分の一にまで及んでいるということであった。ただし、これが意味するところは、北の部族が島の三分の一を支配しているということではなく、それほどまでに双子島が神話の被支配から逃れ、神話が島から消え去る過程の、無関心が島民から宗教施設を放棄させ、裕福な北の部族にいくらかの恩恵を対価として押し付けているという現象であった。当時の私は渡された念書と共にこれを聞いて、調査がしやすくなったことを喜び、本格的な民話の収集のためにさらに南下しなければならないことを不満に思っていた。

 待ちから離れて、手近な村を訪れた私は、前夜祭でもそうしていたように、必要なものを買い、酒場の一角で語り部としての話を始めた。ただし、前夜祭での失態を反省し、今回からは事前に宿泊施設を確保しておくことは忘れなかった。「夜祭」の当日とあって、前夜祭とは比べ物にならないほどの人がその村に押し寄せ、祭りの雰囲気をより大きなものにしていた。ただ、残念ながら北の部族の長が言っていたように、この村での優良な情報はまず、得ることができなかった。やはり、人の寝物語に存在する程度の民話が残っているだけで、名のある語り部など、神話を語り継ぐ者との接触はおろか、存在すら確認することはできなかった。唯一、村々を繋ぐ道中に鎮座している神殿跡や石の彫刻だけが、私が北部で民話と直に触れ合うことのできる機会だった。神殿跡は一世紀ほど前から手入れが入らなくなったのだろうか、苔が石に張り付き、それをツタが覆っているような有様であった。私はツタを剥ぎ、苔をむしる行為が神殿の安寧を妨げる行為であるかをしばらく悩み、神殿への手入れたということで自分を納得させて作業に取り掛かった。最終的に見えてきたものは、これが元は研磨された堅固な岩で組まれた、中規模で荘厳な神殿であったということだ。いたるところに彫刻が散りばめられており、おそらく天井を支えていたであろう円柱の上から下までが彫刻で埋め尽くされ、この神殿が宗教の権威として一世を風靡した時代が確かに存在したことを伺わせた。崩落で破損や逸失している彫刻などからは全容をうかがい知ることが難しかったが、彫刻が指している事象は、おおむね双子島の民話に登場するものと一致していることが多かった。彫刻は磨かれた岩とは違い、直線的な彫りによって構成されているものが多く、しかし、それでいて人の目に理解させるには十二分なものであった。北の部族ではあまり聞くことがなかったスカイバードに関する民話の彫刻も発見することができた。ひし形と幾何学的模様で構成されたスカイバードと思しき経年劣化でかすれた、白い顔料で描かれた浮遊物体が、曲線模様で構成された地上の人間に雷撃を落としている様子が、遠近法の助けを借りることなく、支配者と被支配者の関係を物語っていた。私は酒場で語り部としての仕事に一段の休憩を取りつつ、南部出身者がスカイバードに関する寝物語を多く保持していることと、村へ向かう道中で手を入れた崩れた神殿のことを交互に巡らせながら、この双子島の南部に踏み込まなければ、この島に存在する宗教の根本を特定することは不可能であるという結論を導き出した。そして、私が性急にも双子島の南、奥地へ足を踏み入れることを契約者である彼に、他の人間に気づかれることなく説得できるかという思案が最終的に自分を支配した。

 酔いが回っていた彼を説得することは非常に容易いことであった。ただ、彼の志向が高いのか、周りの見る目がなかったのか、彼と上手くやれた人物はいないようであった。むしろ、私が酒場で客を寄せてしまうことが原因となり、彼が女性を引っかけることを妨害しているようにすら思えるほど彼の女運は尽きている様子で、それを別の酒場で壮齢の女性に慰められながら悪い飲み方をしているところを発見してしまった私は、彼をどう説得するかよりも、どう慰めるかを考えなければならなかった。最終的に、彼が女性にたいして下心が強く出過ぎており、それを見透かされているという、それらしい説得を行い、翌日は祭りに参加せずに、移動日とするべきだという話で説き伏せることができた。それに加えて、双子島の中央にある「塩湖」に興味があるということを私がほのめかしたことで、彼の翌日の予定を南へ移動させるように仕向けた。朝の太陽が村を照らし始める時間帯になると彼は心機一転というような顔つきになっており、私が誘導したとおりに南へ、それも、舟を使って島を渡ろうとまで言い出したのだ。双子島で舟を使うということは、おおむね陸続きの北西部ではなく、島伝いの南東部を活動拠点とするということであった。しかし、私は双子島の北と南では様々な格差が存在していることを感じていたため、祭りの無礼講とはいえ、北部出身で洋行までしている彼と格が釣り合う人物がいるのか心配になった。私は彼に、南部の女性相手では役不足なのではないかという、周りに人がいるとすればできないような質問をした。彼は昨日の深酒によって人格が変わってしまったのか、これが素の顔であったのか、自嘲と誰かへのあざけりかを含ませて、また来年がありますよ、と答えた。

 「塩湖」というのは双子島に古くから伝わる呼び名であるが、それは湖ではない。双子島の中央に流れる海のことである。世界がまだ狭かった頃、双子島の住人はこの中央海流を見て、大きな富をもたらす壮大な湖として崇めたらしい伝承が口伝によって伝えられている。この「塩湖」は浅瀬から深瀬、サンゴ礁までを揃えており、古くから製塩や漁業で人を支え続けているのだった。それもそのはず、普通の塩湖であれば何かの拍子に魚が取れなくなってしまうなどといった事例もあるだろうが、この「塩湖」は海流であり、常に流れ込む栄養素のおかげで、そういった枯渇からは無縁の、まさに双子島繁栄の源となっているのである。現在もそこは、違った形で人を潤わせていた。現在の「塩湖」は、製塩や漁業はさることながら、今ではクレーン船や、よく見かける球状の頭部をした潜水器具に身を包んだ人々を多く見かけることができた。彼から聞くところによると、最近の「塩湖」は、海流によって運ばれて沈殿した浮遊器官を引き揚げようとする者たちによって新しい経済が成立しているらしいことが判明した。私はこれを聞いて、北の部族が管理する港を経由して南島や本島に送られるのだろうと予想した。なるほど、その利権によって北の部族は裕福な暮らしができており、余剰分が若者の洋行という形で表れているのだった。ただ、私の所見では浮遊器官が引き揚げられている様子は少なく、白磁器のような外板を持つ何かの破片らしきものが多く出土しており、彼らの表情から察するに、それは引き取り手のいないゴミのような扱いをされており、稀に浮遊器官の残骸と思しきものを引き揚げている者たちを見ては悔しがっている風景を、南部の島へ渡る舟の上から眺めていた。

 昼が少し過ぎたころ、彼は南部の島へ渡ってすぐ近くの村へ向かったが、私は後からそこに訪れると彼を説得した。少々気になったことがあり、「塩湖」で引き揚げに従事している者たちのうち、いくつかの集団が白磁器のような岩を安値で引き取っている光景が、前に見た神殿跡の白い模様と奇妙に繋がったのだ。この岩のような、中まで白い岩のようなものはもしや、あの神殿跡に使われていた顔料または染料の出所があの白磁器のようなものなのではないかと考えつくに至った。引き揚げに従事している者たちの言によれば、この白磁器の岩は南部の者のごく一部が買い取りに来るのだそうで、そう考えれば、島の北部ではもう需要が無くなってしまったあの白磁器の岩を南部の者の一部が買い取っているということは、まだこの双子島にも滅びかけた民話がしぶとく生き残っているということと同義であり、私は引き揚げ者から土産にと貰った一つの小さな白磁器の石を握りしめながら、さらなる探求の欲望へと導かれ、南部の奥地へと足を踏み入れる決心を固めていた。

 道すがら、現代的なペンキによってまだらに塗られた古い岩を見ながら、どうにか彼を説得して南部の奥地へ行くことを許してはくれないだろうかと考えていた私は、夕方に村に着いてからそれが杞憂だと知ることになった。南部の祭りでは部外者はまず村長の家へ招かれ、そこでわずかながら歓待を受ける。しかし、これも権力者への恭順と許しの文化が現代的に収束した結果なのだろう。昼にも歓待式があったのだろう、酒が徐々に効き始めている村長から、歓待のあかしとして一杯の果実酒を頂いた私は、語り部としての仕事の開始を遅らせ、この村に双子島の神話の語り部がいないかということを聞いて回ることにした。最終的に一人か二人の語り部がこの村に滞在していることを確認し、何を持ち込み、何を聞くべきかと、飾り物を売る店の前で思案を巡らせている私に近づきつつ声をかけてきたのは、夕方にも関わらず美女を二人も侍らせている彼だった。あらましとしては、彼はこの村に着いてすぐに自分を試すために呪術者を訪ね、そこで金運の高まりと女運の繋がりを予言されたらしく、それを裏付けるように博打で大当たりを勝ち取り、金使いの良さで女性も吸い付いてきたということだった。彼は明らかに浮かれており、今年の「夜祭」で最大の思い出を作れているように思えた。これからの予定を彼に聞くと、今年はもうこれ以上の喜びは味わえないであろうし、ここから失意にまみれる博打をするには運も尽きているだろうということを口にし、ここからさらに南部へは行かず、北部へと帰ることにするらしかった。彼の腕に張り付いている美女たちから、最大の喜びが彼女たち自身のことを指しているのかとか、もう帰ってしまうのかとかをせっつかれながら、それに慌てて対処している彼を見るのは少々滑稽であり、しかし彼にとっての今年の最大の喜びであるということは、彼の浮かれた顔を見れば明らかだった。私はさらに南部へ踏み入るということで、改めて約束についての交渉をしようとすると、彼は浮かれた口であっさりと契約の解除を申し出てきた。呪術師から、道は自分の力によって切り開かれるという一言をもらった彼は、語り部の随伴という自分の男らしくない行為に思い至り、それを恥じたらしく、どのようにして私に契約の解除を切り出そうかと、浮かれながらにして悩んでいたらしい。そこに、渡りに船のように私から契約解除の申し入れがあったということで、円満にことを運ぶことができた。

 夜になり、私は民話の語り部の下へと向かった。その人物と話をする渡りをつけるにあたって、夜以降でよければという回答を小間使いから受け取ったからだ。それもそのはず、その語り部というのは彼も世話になった呪術師であり、夕方までは占いをして迷える者を導いていたのだ。小間使いにいくらかの駄賃を渡し、宿の一室にある呪術師の部屋へ入ると、暗闇と蝋燭によって幻想的な空間が構築されており、その真ん中に、机と、その向かい側に呪術師が座っていた。この呪術師が語り部であるのかと最初は驚いたが、私はこの人物と話すうちに、この人物が迷信や世迷言によって人々に予言を授けているわけではないということが窺い知れるようになった。この人物も元は高名な学者であったのだろうか、知見に優れ、科学的な解法によって物事を理解している様子だった。呪術師との会談は有意義に過ごすことができ、私はこの双子島の民話について有力な情報を入手することができた。

まず、私が北部で入手した民話は、主流ではあるが本来の解釈とは違った見方に立脚しているものであるらしく、南部の原始的宗教が本来の双子島の民話の根源である。南部の民話が北部のものと違う部分には、世界観の解釈も含まれており、本来の宗教では、魚神がおり、天使としてのスカイバードもいるが、空気も水であるという部分で大きく違っていた。詳しく話せば、水が下にあり、それが天井と繋がっていることで天使のスカイバードが天を泳いでいるという解釈までは同じなのだが、この大気は、質は違うが魚が住んでいるのと同じ水であるということだ。これに関しては、比重の違う複数の油を用いた作品や、比重の違う酒精を用いた複合酒の作品を思い浮かべてもらえればいいだろう。まさにそれと同じく、二種類の水が世界に存在し、重い水が海や湖を形成し、軽い水が大気を形成しているという解釈があるということだった。さらに、この神話は最初からこの双子島にあったわけではなく、双子島より南、いくつかの孤島に住む民からもたらされたものであるらしい。ただし、その民はもう存在せず、この双子島に全員が移り住んでいなくなったのか、もしくは疫病によって全滅してしまったのか分からないが、南部の者はこの孤島群には近づかないようにする習慣が昔から存在するということも分かった。最後に、天使としてのスカイバードの話になると、呪術者もいくつかの解釈の違いを挙げた。まず、スカイバードを天使とする解釈自体は双子島の北部に特有のものであり、あるいはスカイバードを天使とする文化は本来の双子島の土着宗教なのではないかということだった。私が、北部にいる南部出身者はスカイバードについて天罰をもたらす存在として語られていることを伝えると、呪術者は水で口を湿らせてから、少し緊張した面持ちで次のように答えた。曰く、南部はスカイバードについて悪く言う人が多いことは事実であるということ。曰く、ここより南部ではスカイバードを「空を泳ぐ悪魔」として恐れる文化があり、いくつかの排他的な部族は昔から、その悪魔を鎮めるために、年に一度、捧げものを求めているらしいこと。曰く、その悪魔は「白い悪魔」という別名でも呼ばれており、その悪魔自体も白く、悪魔は好んで白いものを食べること。曰く、その捧げものの文化が変異した結果が、この「夜祭」なのではないかということ。私はこれを聞いてすぐ、「塩湖」で岩塩のような白い岩を買い取っている者たちの存在を思い出し、土産としてもらった石をポケットから出し、呪術師の前に置いた。呪術師は、まさにこの白いものこそ、悪魔が求めるものとして、一部の部族が求めるものであった。私は、この石は顔料や染料として使えるのかを、北部の神殿跡にあった白いスカイバードと思しき壁画の話を交えて聞くと、呪術師は、確かに顔料として使われる物であり、現在は南部の一部の者しか使わないものであるということを話した。北部の遺跡跡にそれがあったということは、昔は南部、さらには孤島の民が双子島北部にまで浸透していたということの証左であり、しかしそれが何らかの要因によって希釈されてしまい、文化的に少数者になってしまったということが二人の中での最終的な総意となった。

 私はこの村に滞在しながら、次の日も、そのまた次の日も「空を泳ぐ悪魔」についての思案に暮れていた。なぜ、スカイバードが「白い悪魔」であるのだろうか。例えば、白く光り輝く白い月に写されたスカイバードがそう見えたとか、白いスカイバードがこの辺りには存在するといったものなのだろうか。しかし、再び呪術者と話をしてそれはあり得ないと言われてしまった。まず、天空に浮かぶ太陽と月は神聖なものであり、それに交えて何かを悪く言うということは、太陽の暑苦しさ以外ではあり得ないということだった。さらに、太古の昔に絶滅してしまったならともかく、スカイバードの科学的な観測については、白い種類がいたということは聞いたことがなく、記録にも存在しないのではないか、という所見からが呪術師から語られ、やはり南部の奥地へと足を踏み入れなければ、この問題は解決しないと思い、ついに呪術師の、排他的な部族は部外者にたいして優しくはしてくれないといった忠告を無視し、私は蛮勇を働かせることを改めて決心していた。しかし、蛮勇にも確証がなければ動くことができず、この数日は「塩湖」を中心に活動をしていた。この「塩湖」から引き揚げられる白い岩のようなものを買い取る者たちを追跡し、その行方を追うことで真実へとたどり着こうとしていたのだ。そして、その努力が実り、中間業者の買い取りではなく、体中に白い顔料を付け、髪飾りや古風な装飾品を身に着けることで荘厳な雰囲気を醸し出す一団が白い岩を買い取りに来る光景を目撃した。私はこの一団を追跡することで、「白い悪魔」の考察を深めることができると確信し、彼らの後を尾行することにした。しかし、私は尾行して数日後に彼らに露見され、捕らえられてしまったのだ。手と足をワイヤーで編まれた縄で縛られた私は、荷台に放り込まれると、どこかへ連れ去られてしまった。最終的に私が連れてこられたのは、とある村のようだった。

 ある意味では、私は彼らに捕らえられたことによって、この排他的な部族の風俗に関して多少なりとも知ることができた。まさに、この部族は「空を泳ぐ悪魔」への祈りの儀式を行おうとしていたのだ。私はそこへのこのことやって来た部外者であり、その神か悪魔か分からないものへの捧げものの一つにされようとしていたのだ。村は祭りに沸き立っており、荷台から放り出された私を見ると、全裸で、体に白い塗料を文様のように塗りたくった村の者たちはさらなる盛り上がりを見せていた。彼らはこの儀式においては古い双子島の言葉を使っているらしく、私にはその奇妙で呪詛的な言葉の半分も聞き取ることができなかったが、言葉の端々からは私という供物を手に入れたことを、神へ報告しているように思われた。彼らの言動を見るに、彼らは私を村の王として迎えに来たわけではないということだけははっきりと伝わってきた。身を縛られ、猿轡に目隠しまでされた私は白い岩と一緒に荷車に放り込まれ、相棒のクルカもそこで没収されてしまった。荷車は私を乗せたまま、高揚した声で溢れる村の中を巡った後、波の音が聞こえる倉庫に私を放り込んだ。さらに、私の衣服を脱がし、全裸の私の全身、毛髪にまで練り込むようにして冷たい泥のようなものを塗り始めた。おそらく、それは彼らのものと同じ白い塗料だったのだろう、私はここで、彼らが白い岩を買っている理由が分かった。この儀式のために彼らはこの白い岩を買っていたのだ。ただ、この時の私はそんな悠長なことは考えつかず、どのようにして私を生贄にする儀式から抜け出そうかという、恐怖と、そこから抜け出す方法に支配されていた。しかし、その方法は見つかることがなく、私は彼らによって、乾燥した何らかの葉を炙って燻られたと思われる煙を吸わされ、しかる後に昏倒させられてしまった。

 その後の私は気が付いてからも煙の中毒作用もあって正気を保ってはいなかったと思われる。あまり思い出すことはできないのだが、気が付いた私は海の上に小舟一つで放置されており、彼らが悪魔に供したいくらかの捧げものの食料と、白い岩と、その白い岩を砕いて作ったであろう顔料で白く塗られた、私が乗っている小舟以外は、太陽と空と海の青だけしか存在していなかった。つまり、私はこの小舟に供物として捧げものと一緒に乗せられ、海へ流されたのだ。それを察した私はたちどころに正気を失い、童謡を歌いながら手で一心不乱に水をかき、どこから流されてきたのかも分からないまま、どこかへ向かおうとしたり、かといって、流されている途中で島が見えると、そこに人がいたかどうかはともかく、自分の境遇をさっぱりと忘れ、小舟の上で破顔したまま、小舟を転覆させんとするが勢いで島に向かって手を振り、助けを求めるでもなく、島が水平線に消えるまでそうしていたりといったことを、わずかながらにも記憶している。おそらく、私が手を振っていた島は呪術師から聞いた孤島群だったのだろう。そうしているうちに急激に潮流が速くなり、濁流のような流れに小舟が乗せられ、急速にどこかへ向かおうという力が働いていることが伝わってきた。しかし、狂気に陥っていた私はそれに気付くことなく、小舟で流されている数日間、昼は小舟に敷かれた敷物に潜りながら捧げものを食べて飢えと渇きをやりすごしていた。

 完全に狂気から覚めたのは、小舟がどこかの砂浜に打ち上げられ、捧げものをついばんでいる鳥やクルカを追い払っていたときだった。途端に理論的思考力が戻り、私がどのような目に遭い、どのような状況に置かれているのかを把握するのに、さほど時間はかからなかった。双子島から小舟で放り出されてどれほどの日数が経過したかは判然としなかったが、少なくとも、太陽光線が私をさらに焼き殺そうとしていることから、双子島よりさらに南に流されたことを推測するに至った。小舟の中の捧げものはもう残っておらず、白い岩だけが大量に残されていた。本格的なものが見つかるまでは、鋭利な部分がある白い岩を石器として使うことにし、私は手ごろな白い岩を持って小舟から降り、食料や水を求めて周囲を捜索することにした。まずは砂浜の奥の森でなっていた果実や、蔦を切って流れてくる水を飲み、人がいる痕跡でもないかとあたりを捜索したが、それらしいものは獣道すら見つけることができなかった。ただ、砂浜に出ると鳥とクルカがおり、それを眺めていると少しばかりは心が安らいだ。そう、私が流れ着いたこの島こそが、貴方が「南端」とするものである。

 結果的に、食料と水分は確保できたのだが、この島に人間や、獣の痕跡を確認することはできなかった。そして、この砂浜を歩いているうちに、砂浜の曲がる角度から当たりをつけて、この島がそう広いものではないような推測を立てるようになった。そう考えると、この島は何らかの要因で隆起した地層によって形成された無人島であるという結論に至り、そうであれば動物が存在しないということも理解できた。そして、それを思うと、私がここで一人になってしまい、ほかのだれかに助けを求めるということもできないという可能性が濃厚になり、非常に気を落ち込ませた。ただし、ここまで自分を運んできた小舟は、忌々しい白い塗料が大体は剥がれているということ以外は無傷であるということと、上手く潮流に乗れさえすれば、またこの小舟で無人島を脱出し、最悪でも双子島南部の孤島群にたどり着くことは、危険な賭けにはなるが、絶望するほどでもないように思えた。

 それから数日は、ため込んだ果実や野生の穀物を消費しながら、無人島の探索に精を出した。獣や蛇がいなかったことは非常に探索の面で有利に働いてくれた。靴もなかったために、素足か、もしくは草を編んだ粗末な履物しか選択肢がなく、暗い森の中で毒蛇にでも噛まれると一巻の終わりであると考えていたのだが、獣や蛇、蟻の一匹に至るまでを発見することができなかったため、ついには毒草で足を切ったり、傷ついた足から感染したりということについてを心配するようになった。五日もすれば、この島の砂浜を探索し終え、この無人島がそう広くないことを実証できてしまった。そして、探索の間に草を大雑把に巻いて作ったハリボテを海に投げて、潮流が北へ向かうかを調べていた結果、何日かに一度はこの島の付近の潮流が変化し、常に南へと向かう流れが北へ反転するといった現象を目の当たりにした。脱出自体は可能なようであった。

 それからは島の内郭を調査することにした。草を編むことに慣れてきた私は、履物をいくつか作り、森を分け入って森のさらに奥へと足を踏み入れた。そこで私が見たものは、この無人島にはありえないような人工物群であった。最初は森の中で何か機械の部品を蹴飛ばしたことが発端だった。それは錆びついていたが、明らかに金属の部品であり、自動的に、この島に知的生命体が存在したことの証左でもあった。私は、無人島だと考えていた島に人間がいたという痕跡に、無情にも期待を抱かずにはいられなかった。そして、数刻もしないうちに私はついにこの島の中心にたどり着いた。今思い返してもあれは異様な風景だったと記憶している。なぜなら、草地がそこでぱたりと途絶え、一段高くコンクリートが敷き詰められていた。コンクリートも自然の力には敵わなかったのか、風雨で端は丸く削られ、一部には亀裂が走り、そこから草が生えていた。しかし、いつ敷かれたのかはわからないが、人間が歩くことを保証するには十分なものだった。これを見て私はとても不安になった。なぜなら、こういった、あからさまな人工物が存在するとき、大抵は旧文明に関する遺跡であることが多いからだ。その遺跡には墓守のごとく旧文明の兵器が闊歩し、見つけた者を一瞬のうちに血祭りに上げる。そういった事例が後を絶たないのだ。私はそこで怖気づき、一旦はこのコンクリートの敷かれた空間から離れることにした。しかし、私は学者としての探求心を持ち合わせていたらしく、畑違いながら、この遺跡についての大発見を論文にまとめれば、予算と研究に必要な休暇をさらに獲得できると考えていた。恐怖によって狂気がまた揺り起こされたのかは分からないが、再び蛮勇が私を支配しつつあった。コンクリートの敷地を観察できるところに私は小さいながら拠点を構え、機械部品を草地の中からいくつか見つけたり、暇になればコンクリート敷地から何かが現れないかと目を凝らしたりをしていた。

 コンクリートの大地に踏み入る決心をしたのはそれから数日後のことだった。数日の観察にもかかわらず、兵器どころかどのような現象も確認できなかった。餌付けした鳥やクルカを敷地に入れさせてもみたが、生物にすら反応しない不毛の大地にたいして、私は痺れを切らしていたのかもしれない。ついに、コンクリートに足を踏み入れ、その敷地を進んでいった。進んでいくとコンクリートと同じ素材で作られたらしい箱形の建物が屹立していた。それは中身が腐食や風化で何もなくなり、同じく風雨にさらされ、いくつかは完全に崩れ落ち、いくつかは半壊して草花に浸食されているようだった。水たまりが多く不衛生であり、しかし蚊も蠅も存在しない空間は、私にとってとても奇妙に映った。私はそこでいくつかの錆びた機械部品と、驚いたことに、風雨による浸食をあまり受けていない、一枚の白い板を発見した。厚さは指の第一関節ほどで、人を一人隠せるほどの面積を持ちながら、その硬い板を完全に持ち上げることにさほど苦労はしなかった。これは岩盤や金属板の類ではなく、まったく別に形成されたものであり、明らかに人工的なものであった。私はこれの用途について建物の建材の一部ではないかと考察したが、この近くの建物をすべて調べたが、この四角いコンクリート製の建物はそれ自体で完結しているようで、この白い板が介在できる場所は、一定の大きさを持つ家具にしかないように思えた。しかし、この家具という線も、私にとって合理的なものであるとは思えなかった。なぜなら、この後も建物群を捜索したのだが、屋内にはまったく白い板が存在せず、むしろ、建物の外に、ある程度の大きさの、同じ材質だと思われる白い板をいくつも発見したからだ。小さいものは風で吹き飛んでしまったにせよ、この腐食しないであろう白い板すら屋内に存在しないとなれば、何か別の用途で使用されるのだという結論を導き出した。

 建物群を調べているうちに、もう崩れてしまった建物から地下室に続くと思われるドアが地面に付いているのを発見した。扉は固定されていなかったのか、簡単に開いた。中に入るか数瞬だけ迷ったが、中から風が吹いており、別段腐臭もしないことから、中に入っても窒息するということはないだろうと思い、意を決して松明を片手に、暗闇の中へと足を踏み出した。下っていく階段を五十段も降りると、今度は平らな道が続き、金属製の両引き戸を見つけた。それは片方が開いており、扉の隙間を通って易々と侵入することができた。すると、途端に壁や天井から光がもたらされた。それは大昔の投光器だったのだろう。十中八九が機械的な要因で点灯していなかったが、奇跡的に生きている投光器は光り、そうでなくとも短絡か何かで断続的に光を放っているものが多くあり、松明だけのときよりは断然明るくなったのだ。それに気をよくした私は、さらにその地下の奥へと進んでいった。

 暗闇と投光器と、短絡の光が支配する通路の中で、私はある音を聞いた。それは定期的に発せられるブザーのようで、一秒ごとに発信と沈黙を繰り返しているように聞こえた。通路を進むごとにその音は強くなり、暗闇に一人ということも含めて、私の精神を非常にかき乱していた。私の施設への侵入が露見し、今にでも兵器が暗闇から襲ってくるのではないか。そういった不安が私を支配し、足を止め、しかし戻ろうとしない優柔不断さを見せていた。しかし、最終的には興味が勝ったのか、私はブザーに紛れて近付く足音がないかを懸命に注意しながら、じりじりと歩を進めた。そのうち通路は途切れ、広い空間に出た。何かの制御室だったのだろうか、壁には操作盤と、それが機能しているかどうかを表している色付きの明かりがいくつか点滅し、いくつかは明滅をしていた。ブザーはその操作盤のスピーカーから流れているようで、それに合わせていくつかの明かりがブザーの音とともに明滅し、ブザーが正常に作動していることを目視できるようにしているらしいことが伝わってきた。部屋の周りを見回したが、この他に部屋などは見当たらず、隠し扉が開いて敵が飛び出してくるようなこともなかったため、この操作盤のためだけにこの地下室が存在しているのだ。私は操作盤の前で床に座り、この施設が何のためにあるのかを考えた。まず、この操作盤のためにこの地下室があるということは、一秒おきに鳴り響いているこのブザーが、この施設の核となっていることは容易に推測できた。問題は、このブザーが鳴っている方が正常なのか、鳴っていない方が正常なのかがわからなかった。通常の考えでは、このやかましいブザーが鳴っている方が問題ではある。しかし、このブザーが鳴っていても何が起きるわけではなく、もしかすれば、ブザーに反応する何かを使い切った後であるのかもしれなかった。

 そのような思案に明け暮れていると、突然ブザーが鳴りやんだ。私はこのときに、この事態の評価をつけることができず、しかしこれまでうるさいほど鳴り響いていたブザーが全く聞こえなかったことによって逆に不安を覚えた。通路を戻り、階段を上がると敵が襲ってくる、といったことはなく、熱い太陽は西へ降り、熱帯夜に特有の風が辺りを支配し始めていた。空腹を覚えた私は再度の食料収集を行うため、コンクリートの床から草地に戻り、砂浜で夜を明かした。しかし、問題は翌日にやって来た。起床して空を眺めると、空に浮かんでいる物体が目に入った。それは、巨大で近接した恐怖の根源であり、冒涜的な光景で、まさしく、「空を泳ぐ悪魔」に相応しいものであり、今でも詳しく思い出すだけで過呼吸に陥ってしまうほどである。それを直接目の当たりにした私が発狂するには充分であり、金切り声を挙げた私は、少しでもその悪魔から逃走しようと、精神を保つためのお守りとなっていた、最初は石器として活用していた白い石一つを持ったまま、野生動物が天敵から逃げるように、森の中へ駆け出し、訳も分からずに逃げ回った。ついに狂気から回復し自我が戻って来たときには、いつの間にか暗闇に明かりが乱舞する操作盤のある部屋の隅で縮こまっていた。私を狂気から回復させた要因は、皮肉にも定期的に鳴り続けるブザーの音によって呼吸が同調し、それに伴って私の思考が理論的に戻ったのだろう。そこまで考えて、ブザーが再び鳴っていることに気が付いた。機械的故障から自然に回復したのだろうか。そして、このブザーが消えたことと「空を泳ぐ悪魔」がどのように関連しているのかという考えを巡らせた。あれの姿を頭に思い浮かべると頭痛がしたが、この時点では曖昧にしか分からなかった。少なくとも、このブザーが故障もしくは意図的に沈黙するということと、このブザーが故障したことと同期して、あの「空を泳ぐ悪魔」が現れるということだ。私はこの仮定を確実なものにする必要があると考え、数刻の後に、勇気を振り絞って外に出るという決断をした。私が外に出てあの悪魔がいなくなっていれば、このブザーと悪魔の関連性が実質的なものになるはずだと考えたのだ。

 空を見たが、青空が広がっているだけで、あの悪魔は水平線に目を凝らしても見つけることはできなかった。私は自分の仮説が補強されたことに安堵し、あの悪魔が空を占有していないことに感謝すら覚えた。このようなことを何度も経験したのでは精神的に参ってしまうことが明らかであったため、本格的にこの島から、無謀であろうとも脱出することを計画し始めた。しかし、その計画が組まれることはなかった。私が太陽に当たりながら森へと向かっていると、向かっている先のコンクリートの上に、前には見なかったものがそこには存在していた。それに駆け寄ると、砕かれて様々な破片が散らばる、白い板の残骸と思われるものがそこにはあった。確かに、あちらこちらに落ちているが板を砕けばこのような形になるだろうと思われたが、第一、砕かれた板というものは今まで見つけたことがなかったし、この場所に板など無かったはずだ。では、どうしてここに、このようなものが存在するのだろうか。いや、これによく似たものを私はよく知っており、それは現在、自分の手の中にあるではないかと、頭の片隅で真実にたどり着こうとする執着心が最後の抵抗をしてしまった。私はそこで、声が頭の中で鳴り響くのを感じた。声の重要な部分だけが次々と重なり、積み木が下から組まれるように、高みへと昇り詰める錯覚に陥った。それと同時に意識が遠のき、正気を保っていられなくなってしまった。再び首をもたげた狂気が心拍数と同じように体の中で加速し、私の体をめちゃくちゃに動かそうとした。しかし、体の制御がまったくできないこととは裏腹に、理論的な思考能力も加速し続け、一つの推測から到達した事実と、それに連なる予測とが頭の中に刻み込まれ、とにかくこの島から脱出しなければならないという狂気的な思考によって飲み込まれていった。

 そこからは一切の出来事を覚えていない。私が覚えていることは、南島の高名な病院で目を覚ましたということだけだ。それから、聞いたところによると、私は小舟で孤島群の辺りを漂流しているところを、我が諸島連合の精鋭部隊が乗り込んだ水上偵察機によって発見され、漂流による心的負担から発狂し、衰弱していたところを運よく助けられたということであった。どうにかスラーグに戻ると急きょ論文を作成し、大学の教授を続ける予算を獲得できたが、論文の内容は、双子島の民話について、後半の文章を大幅に削らなければまともに通過されることはなかった。そして、私はその後半部分を世迷言と断言され、誰も顧みないと思っていた。しかし、貴方がそれを求めるのであれば私はこの紙面に閉ざした全てを託して打ち明けようではないか。

 私の推論では、「空を泳ぐ悪魔」「白い悪魔」は大陸南部に生息する浮遊型旧兵器である。その旧兵器が「南端」にある施設のブザーが消失したことを探知し、全速力で「南端」へと急行するように設計されているのだ。その際、旧兵器は整備が甘いのか白い装甲板が剥がれ落ち、それが「南端」で見たあの白い板やその破片である。また、同じ材質の白い装甲板自体は他の旧兵器にも搭載されているらしいが、あの「塩湖」で大量に堆積しているそれは、双子島の近くで大きな、もしくは大量の旧兵器が放棄されたことを如実に表している。つまり、双子島の付近では旧兵器による巡回、または戦闘が頻繁に行われ、それによる損失が双子島の「塩湖」の独特の海流によって蓄積したのだろう。いつの時に、どのような方法かは分からないが、それを抑制したものがあの施設なのだろう。あのブザーが鳴り続けている限り、旧兵器は「南端」より北上することはない。しかし、そのブザーも定期的、あるいは故障、もしくはクオンツ的な要素によって解除されてしまい、旧兵器が北上を開始するというものだ。それの脅威に遭遇した孤島群の民は難を逃れるために双子島の南部へ亡命した。そのせいで今でもあの孤島群に南部の者が近付かないのだという考察へ至る。また、その孤島の民が双子島へ持ち込んだ「空を泳ぐ白い悪魔」の伝承が、孤島の民が双子島において勢力を拡大する過程で広がった。その証拠として、私が双子島北部で見た神殿跡に描かれていた白いスカイバード、いや、白い旧兵器が地上の民に天罰を下す光景を挙げることができる。しかし、スカイバードを信仰する、おそらく元々の現地人、もしくは南島の人々の文化と衝突し、旧兵器の脅威がスカイバードの脅威へ置き換えられてしまったのだろう。南部の者たちも、その多く、もしくはあの排他的な部族でさえ、脅威をスカイバードと勘違いしてしまっているのかもしれない。少なくとも、両者が海を根源とする文化を根底に持っていたため、民話が複雑に絡まっていることを考慮してさらなる調査が必要ではあるが、旧兵器とスカイバード、天罰の天使と恵みの天使において、明確に分かれた形となった。

 今の私にできることは、「南端」について深入りをしないように忠告することだけだ。少なくとも、無暗に「南端」へ接触することで、孤島群で起こったであろう天罰が、双子島、南島、最終的に本島の首都スラーグで起きてしまうことだけを私は恐れている。あれ以来、私はあの白い石を手放していない。本当に、あの「南端」で発狂して記憶を喪失してすら、何かの強迫観念が私の手から白い石を手放せないでいたのだ。あのとき、なぜ私は旧兵器に見逃されたのだろうか。なぜ、私を小舟で流した部族は白い岩を使った顔料を好むのだろうか。それが少しでも頭をよぎると、私は、私が生きているうちに起きるかもしれない最悪の事態にたいして、確証もなく、この小さな白い石ころを最後の砦として崇め、気が付くと、常に小さい狂気を見出しているのだ。
最終更新:2017年04月02日 20:51