南へ!

 青灰色の空に薄灰色の雲海が広がる世界。静寂の中たまたま通りがかった風がゆっくりと雲を流してゆく。その僅かな隙間から覗くことのできる地表は、これまた灰色がかった砂色をしていた。
 その雲を割る様に、ふっと二つの影が姿を見せる。霞に濡れたその船体は、今にもどこか剥がれ落ちそうな危なさがあり、それでもなお滑るように空を進んでいた。




 もともと、そらはかみさまのものだった。今の帝国では全く信仰の欠片すらも無くなってしまったその対象は、私達を空へと浮かび上がらせる道具に成り下がっている。かみさまの視点に立った時、最初のその人は何を思っただろうか。かみさまを道具以下の存在にしたことに何か思う事はあったのだろうか。それとも――――――


 
「……少尉、ヴァルメリダ少尉」
「はい」
 少し放心してしまっていたのだろう、隣に座る人物からの応答が少し遅れてしまった。
「何か悩み事かね?」
「いえ。問題ありません、バリモス艦長」
「そう、か……なら構わないが」
 そう言って視線を前に戻すこの人物――第三国境警備艦隊旗艦『ニルギス』を指揮する立場の壮年の男性、バリモス・ヘビュラー大尉は、いつもよりも落ち着きが無いように感じられる。
「後一週間、だったかな。最終試験は」
「はい」
 軍学校の最終試験。約一カ月の実地研修であり、それぞれの技量にあった役割を果たすことになるのだが、私は例外的に艦長の補佐を任されることになった。少尉という肩書と共に。君の成績に見合った内容だ、と上官が笑顔で送り出してくれたのを心の隅で思い出す。
 いくら辺境の、たった二隻しかいない艦隊であろうと、駆逐艦の艦長補佐に抜擢されることは予想できなかった。クライプティア級駆逐艦のニルギスと、骨とう品としか言いようの無くなってきたガルエ級駆逐艦『ヘラニッツェ』だけの編成は、上官の笑顔が侮蔑的な意味合いを持っていたと錯覚してしまいそうになってしまう。
「君のような素晴らしい人物が来るとは思いもしなかった。このような船にしか乗せられないことが恥ずかしい。君はもっと新しく、強い船に乗るべき人材だ」
 そんな心内を見られたのか、艦長が私にそう話しかけてくる。
「いえ、古くとも船は船。そこに上下はありません」
 それに、私はまだ戦を知り得ていません、同じ船に乗るよりも、戦いを経たこの船の方が好きですと付け加えると、大尉が自嘲気味な笑みを浮かべた。第一印象こそ寡黙で厳しそうな人物像だったものの、この三週間で分かった彼の姿は艦長としてあるべきもう一つの姿を現しているように思える。
「しかし、十八歳で尉官になれるとは、これまでにもほとんど例のないことだ。直ぐに私など追い抜いて、帝国軍人の高みへと進むことが出来るだろう」
「買い被りは止めてください。まだ卒業したわけでも、兵士として一人前になったわけでもありません」
「その心を忘れないことが大切だ。前にも言ったが、もう少し肩の力を抜くといい。よくある言葉だが、この船に乗っている者皆家族だ。気遣いは要らないよ」
「……有難うございます」
 正直なことを言ってしまうと、何故このような人物がこんな艦隊を率いているのか分かりかねる。乗艦してからこれまでに戦闘があった訳ではないが、ニルギスの乗員らはみな気を抜かず、そして張り切りすぎず丁度良い緊張感を保ち続けている。父が言っていた最良の艦内の雰囲気とよく似ているのだ。それが艦長であるバリモス大尉によって保たれていることも。本来はこんな場所にいる人物ではないはずなのだ。
 しかし、今日は少しその様子がおかしい事にも気が付いている。いつもの緊張の中に、どこか胸騒ぎが混じったような感覚。その中心に居るのがバリモス大尉であることはなんとなく予想が出来た。
「……あれ?」
 それに気が付いたのは、艦橋の縁に立ち何かを見つめる兵士に目をやった時のことだった。妙に静かな艦内。これまで鳴っていた音が止んでいる。
「おい、あれ」
 その空間の中、その兵士の声が嫌によく耳に届く。彼が指さしているのは艦の右側前方下、丁度ここからは死角になる位置だ。傍にいた一人の兵士が彼に近寄り同じ場所を見ると、みるみるうちにその顔が焦りを形作り始めた。何事かとそこに近寄ろうとしたとき――
「取り舵一杯! 衝撃に備え――!」
 突然血相を変えたバリモス艦長があらん限りの声で指示を出した。それと同時に、彼らが何を見ていたのかがここからでも分かるようになった。艦長の意図に一瞬遅れて気付く事になったことになる。
 広がる灰色の雲の内から湧き出るように、波とも形容できるほど密度の濃い黄土色の暗い渦が迫ってきている。それが何か。軍学校では軽くしか触れられず、父から何度も言い聞かされて初めて真の危険性を知ることが出来たそれは。


 気流津波。最も出会いたくない気象現象。少し前から風の音が止んだのは前兆だったのだ。
 操舵手が舵を大きく切り、床が緩やかに傾くのを感じた。直立が難しくなるほどその角度が大きくなる中、それでも眼前の光景から目をそらすことは出来なかった。
「きゃああっ!」
 にわかに床がせり上がり、予測していなかった動きに重心が後ろに逸れてしまう。一瞬の間にガラス越しの景色は砂と闇に閉ざされ、そこかしこにヒビが入り始めているのが音でわかる。耳障りな暴風とガラスと金属の軋み剥がれる音と悲鳴とが重なり不協和音を奏でる。
 再び大きく船が持ち上がる。地面に吸い付くような重力を感じた後、今度は空中に放り出される。床だった面が壁になり、誰かがガラスにぶつかり砂嵐の中へと消えていき――
「あぐっ!」
「ヴァルメリダぁ!」
 頭部に鈍痛が走った瞬間に視界がぼやけた。全てが混ぜ合わさったかのように色の区別がつかなくなり、目の前に影が迫り、意識が遠のいていく。全てが私から離れるように、小さく遠いものになっていった。
 














 
 
 意識が戻った時には、私は艦橋の隅で誰かの上着にくるまれて安静にされていた。もう何も聞こえない。何もかもが消えたかのように静寂が支配していた。
 未だ重く響く頭を支えながら上体を起こす。ぱさりとずり落ちたその上着に目を落とすと、意識を失う前の状況を克明に思い出した。
「艦長!」
 思考よりも真っ先に身体が動いた。脇腹が痛むのが分かったが、それも構わず立ち上がり周囲を見渡す。直ぐに見つかった。
「し、少尉……」
 先程の大声で数人がこちらに顔を向けてきたが、残りの人物はまだ何かを心配そうに見下ろしている。
 まさか、という気持ちとやはり、という気持ちを抑え込んで近寄る。人だかりが二つに分かれ、その中心に居る人物が誰か判明する。
 艦長椅子に座っているのは、バリモス大尉その人だった。頭部には応急的に包帯が撒かれているものの、瞼は閉じ、呼吸も気づけぬほどに浅いものになっていた。危険な状態にあることは誰にでも分かる。
「一体、何が」
 その問いかけに応えたのは、あの時気流津波を指さした兵士だった。
「……気づいた時には、お二人とも負傷されていました。艦長が少尉を庇うように覆いかぶさっていて、どちらも酷いお怪我で……少尉だけでもお目覚めになってよかったです」
 それがいたわりの言葉であることは簡単に推察できる。それよりも。
「艦長が、私を、庇った?」
「ええ。おそらくは」
 何故、という言葉が口を出かかるが、それを抑えたのは私自身の理性ではなかった。
「……ヴァルメリダ少尉。我々はどうすればよいのでしょうか」
 兵士の一人が全員の思いを代弁するように口を開く。その瞳は不安の色に染まり、バリモス・ヘビュラーという人物がどれだけ彼らの心身を支えていたのかを痛感させられる。
 彼の言葉を借りるとすれば、乗員はみな家族。ならばそれを纏める父親はバリモス大尉であり、それを支える私は母親という事になる。もし親の片方が子供らを守れなくなった時、そこに立つのはもう一人の親しかいないのだ。
 その不安に、私はわずかにだが怯んでしまった。私が艦長の補佐の役割をしているのは誰もが認識していること。その艦長がこうして指揮をとれない状態になったとき、この場を纏めることになるのは、否。
 纏められるのは、私だけなのだという事実に、怯んでしまったのだ。
「…………これより、私が指揮を執ります」
 そんな自分を戒めるように、可能な限り平静を取り繕って指示を出すと、静かに艦長を見つめていた兵士らが一斉に私に目線を投げかけてくる。そこには驚きという感情もあったものの、大多数が安堵の意を示していた。感覚が鋭敏になっているのか、頬を伝う冷や汗が酷く冷たく感じられた。
「艦長を安静な場所に。その他の人員は艦の状況を確認することに全力を注いでください」
 私が、どうにかしなければ。





 
「主砲塔は全て使用不能、副砲も破損が酷く、使用は難しいかと」
「艦橋、そして外部にいた人物以外の生存確認が取れました。が……その大半が負傷していますし、中には艦長よりも酷い状態の者も……」
「機関部に異常は見られませんが、過度な運動は控えて欲しいと機関医師が」
 一時間もすればほぼ全ての情報が集まる。が、その全てが頭を抱えたくなるものばかりだ。
「……分かりました」
 バリモス艦長が居なくなった艦橋は、今は慌ただしさから静寂も姿を消している。私が手の回らない範囲は現場の人員に任せるほかなく、その指示を乞う言葉が伝声管を震わせている。
「少尉、僚艦ヘラニッツェと通信が取れました。被害は甚大なものの、航行に支障なしとのこと」
 艦橋脇に設置された電信機に座っている女性がこちらに顔を向ける。タリア・メグレーリア通信士だ。幸い彼女に負傷した様子は見られない。
「ありがとう、他に付近から応答は?」
「……未だありません」
 やはり、という言葉を飲み込んだのか、悲痛な表情を作り出す。割れた艦橋のガラスの向こうに見えるのはミルク色の虚空それだけであり、霧が艦内にまで充満してきそうな気配いすらある。ただでさえ不安な状況の中、その環境がさらに隊員達を追い詰めていくのは自明としか言えない。気を確かにせねば。
 今の状況を整理するべきだ。私が地図に手を置くと、周囲に立つ兵士が視線を同じ場所に落とす。
「私達が居た巡回地点はここ……南東方向に航行中に気流津波を受けたとなると、恐らくは大きく北方向に流されたことになるはず」
 艦長の私物らしきニルギスの模型をずっと下に――私の方向に移動させる。あくまで流されたことを共有したいがために大袈裟に動かしたのだが、それを深く認識してしまったらしい兵士が声を上げる。
「国境近くとはいえ、それほど流された訳がありません……少尉は我々が連邦領まで流されたとおっしゃりたいのですか?」
「……これだけの密度の雲の中です。私達が何処にいるかすらも判別できないとなれば、最悪を想定し動くべきだと思います」
 兎に角情報が欲しい。なんでもいいから、この場を動かせる情報が。
 だが、位置どころか高度も艦首がどの方向を向いているのかすら不明な状況だ。機器のほとんどが使用不能な今、残された観測機器は自分自身の両目しかない。
「機関室、高度は上げられますか?」
 伝声管の一つに呼びかけると、直ぐに答えが返ってくる。
『今すぐには無理です。だいぶ落ち着いてきてはいますが、健康状況が宜しくありません』
「詳細に」
『先程の津波で随分と参ってしまっているらしくて、何処かに怪我をしている可能性もありますが、この状況では外に出ても確認が出来ず……』
「分かりました、暫く待機してください。ヘラニッツェに接舷出来るかどうか確認してみます」
『了解しました』
 伝声管から顔を放し、そのまま通信士に向ける。
「タレアさん、ヘラニッツェに通信を。ニルギスの左舷に移動、ニルギスの生体機関の状態を外部より確認されたし、と」
「了解です…………応答戻りました。右後方より移動せり、その位置を維持せよと」
「分かりました。返答を」
 タレアが電信機に向き直ったのを見てから、顔を地図に戻した。彼女らが本調子に戻らない限り、今移動するのは避けるべき選択だ。となれば、選択肢は一つしかない。
「パイロットの状態は」
 その言葉で、数人が何をするのかを察した。
「待機中でしたので特に不調はありません」
「機体は」
「なんとか生き残ってますが、飛べるかどうかは分かりかねる所かと」
「整備班に連絡、グランビア修理を最優先にしてください。資材もそちらに優先を」
「了解です、伝えに行ってきます」
 兵士の一人が艦橋を後にする。誰も移動せずにいたなかに動きが生まれた結果、腕を回したり首を動かしたりと誰もが身体を動かし始めた。そんな彼らを横目に艦橋の手すりまで移動し、何も見せぬ空をみつめた。
 今現在、能動的に使えるのは艦載していたグランビア一機のみ。パイロットも一人だけ。それを喪えば私達に打つ手は無くなる。雲が晴れるか、夜の帳が降りてくるかの時まで移動は出来ないだろう。
 さらに言えば、この濃霧としか言いようのない空を飛ばさせるという事は、全員の為に一人を見捨てると同義の命令をしなければならないという事でもある。私が下していいことなのだろうか。
「…………」
 父から指揮官として必要な物はすべて教わったつもりでいた。だがこうも言っていたことを思い出す。
 戦場でしか得られぬものの方が多くあると。
 それを今痛感し、その痛みと重さに顔を歪ませることしか出来なかった。




 
 私がニルギス艦内最下部の格納庫にやって来た時には、既に恰好を整えた一人の男性が佇んでいた。目の前に鎮座する相棒を眺めながら一服嗜んでいる。
「ああ、ヴァルメリダ少尉」
 固い足音に気付いたらしく、こちらに振り向く。性格は顔に出るというが、きっと彼ほどその言葉がお似合いの人物はいないだろう。無精髭を生やし、それでいて健康そうな体つきは、何物にも縛られない自由人とも捉えることが出来そうだった。
「体調は」
「俺もあいつも万全、問題ないさ」
「……」
「平気ですよ少尉、彼ならきっと戻ってきます」
 返す言葉に迷っていると、隣についてきた一人がそう漏らした。
「モチのロンだ。こんな美人が待ってるのに戻ってこない訳がねぇだろ?」
「なっ……」
 思ってなかった返しに面食らった私を、彼は――ベニューラ・イェスラルト二等航空兵は楽しげに笑った。
 こんな状況でも、彼はいつもの自分らしさを失うことは無く、それがこの場に居る全員の不安を追い出しているのは明白な事だった。その姿に学ぶところも多いのだろうと思案する。階級を無視しがちな言動はあるものの、それは決して不敬につながるものでは無い。それはつまり、信頼の上で成り立つコミュニケーションであり、ある意味上下関係というものを尊重していることにも他ならないからだ。
「血圧、心拍数、浮遊力、共に問題ありません、機体整備も可能なところまで終わりました」
 タラップを駆け上がって来た整備班の一人が敬礼と共にそう報告すると、ベニューラが待ってましたと言わんばかりに手すりから手すりへと飛び移っていった。思考もそうなら、行動もそれに準ずるとばかりに。整備兵を押しのけ彼の元へと向かう。
「……よし。行くぞ、お嬢さん」
 彼が呟いて器官を起こす。人の唸り声とも例えられる特徴的な低周波が格納庫に響き始めた。
「ベニューラ航空兵、目的は周囲の偵察と現在位置の特定です。ここが敵勢力圏内の可能性もあります、警戒を厳にして行動をお願いします」
「あいよ、任しとけ」
 格納庫開け、という声と共に、反響する音がだんだんと外へ逃げていくのが分かる。割れて半数も光っていなかった電灯のみの空間に、下から光が漏れてくるのが分かった。
「クレーン下ろせ、フック解除よーい」
 ゆっくりと、ベニューラを乗せたグランビアが降下していく。既に彼女が動き始めているからか、吊り下げていたチェーンが少したるんでいるのが見て取れた。低かった彼女の声は一回り大きく高くなっている。
「決して無理をしないでください。幸運を祈ります」
「あいよ、行ってくる」
 足元の金網の向こうへと消える前にそんなやり取りをすると、フックが解除された。
その姿が雲の中へと吸い込まれていくのを、私は不安な予感と共に見送ることしか出来なかった。







 
 
「にしても、ひでぇ雲海だ」
 思わず出た呟きは、機関の唸り声と風切り音に掻き消された。雲と空の境界を進む機体は、大海を進むボートにも見えるだろうかとふと思案する。
『こちらニルギス、短期報告を』
 ノイズ混じりの音声が耳元に響く。これだけの雑音でも彼女の訛りはよく分かるのだから程度のひどさがうかがえるというものだ。
「こちら偵察機、未だ情報獲得できず。雲の上はすぐさま気流の渦の中だし、下に行こうにも津波の残滓が邪魔してやがる」
 一緒に飛ぶ彼女の甲冑が軋んでいる。余り無理はさせられない。
『了解しました、こちらは待機を継続します。そちらの位置を追跡することは困難です、帰還を第一に行動を……』
「あいよ」
 まだ何かを言い足そうとしていた気がするが、そちらに気を回す余裕が無いので一方的に通信を切る。一瞬でもふざけた機動をすれば接続部が剥がれかねない。
「……一か八かしかねぇよなぁ」
 そう愚痴りつつ、不安げに鼓動する彼女に指示を出す。視界が信用できない以上、オンボロの機器と彼女の感覚だけが頼りになる。
「大丈夫だ、無茶はしねぇよ」
 軽くメーターを叩くと、操縦桿を僅かに押し込んだ。高度計が無ければ下がっていると認識できない霧の流れから風を読んで、数秒先の隙間を見つけだす。
 風に逆らわず、望むルートに乗り換える。連邦軍が使っているらしい上空の気流も今と同じ状況なのだろうかと思いつつ、操縦桿とは違う動きをする彼女の機動に従う。本当にいいお嬢さんだ。少しブレがあるがしっかりと動いてくれる。
 
 が、何時まで経っても大地が見えてこない。高度計がイカれてるのか?
「……あそこか」
 僅かに見えた雲の切れ端に回頭する。極力雲の中の気流に乗ってきたが、このままでは埒が明かない。リスクは承知の上だ。
「頼むぜ、お嬢さんよ」
 彼女の鼓動が早まるのが分かる。これが最後の無茶ぶりで、それさえ乗り越えればこっちのものだ。
 大丈夫だ、彼女に向けてか自分に向けてか分からぬ言葉を発しながら、同じくどちらのものとも区別できぬ震えを抑え込む。変なうねりは無い、出られる。大丈夫だ、大丈夫だ。
 雲の隙間に両目を凝らす。少しでも早く、ほんの一瞬でいい。
 向こうに伝えられる何かを見られれば俺たちの勝ちなんだ。頼む。見えてくれ。


 

「ぐぅうっ!!」
 気が緩んでいた。そう後悔するには余りにも遅く、しかし何が起きたかを確かめるには速すぎる時間が過ぎ、一気に多方向からの衝撃が襲いかかってくる。
「クソ! あぁクソクソクソッ!」
 風に弄ばれている。ガラス越しの空は何一つ変化が無い。
 内臓がもみくちゃにされる感覚を味わいながら、彼女の片側が千切れ飛んでいるのをかいま見て、ただただ吹き飛ばされないように操縦席にしがみつく。
 少しでいい、落ち着け。
 そう言い聞かせるが、現状を把握することすら困難だ。頭が振り回されたからか意識がもうろうとしてくる。このまま気絶すれば楽なのだろう。だがそうなるわけには行かない。
「……ッ! 通信機はっ」
 身体全体で内壁にへばりつくようにしながら、首の部分のスイッチに右手をかざす。相変わらずノイズがひどいが、まだ生きている。
『……ら……ス! ……うしてく…………きたんで……!』
 風の唸りも相まってますます聞き取れない。向こうに伝えられるといいが。
 機体は風に煽られながらも順調に高度を落としている。望んだ課程では無いが地上が見られるはずだ。
 もう夕方に近い。灰色だった世界は僅かに鈍い赤に染まりつつある。

 もう少しだ。もう少しで雲から出る。それまで。



 
「……うだ。ここは……」


 自分の声すら遠く感じる。いつの間にか大空にはじき飛ばされていた。ケーブルが切れている。もう声は届かない。間に合ったのだろうか。それすら確かめられない。


 もう風に嬲られることも無かった。ただただ地面に向かって背中から落ちている。



 右の頬がほのかに暖かい。目を向ければ綺麗な夕日を拝めるだろう。
 







 リェナを街に連れて行く約束は守れそうにないな。
 
 
 














 



 
「通信途絶……そう、判断します」
 絞り出すような声だった。十分に有り得る事態だと理解していても、自ら死にに行かせたその重さに耐えることが出来なかった。タリアの心配そうな眼差しすらも今の私には背負うことが難しい。
「ヴァルメリダさん……」
 彼女の声には二つの悲哀が込められている。彼を喪った悲しみと、未来への不安。ただでさえ支えられていた柱を私が喪わせたのだ。何も得られず、ただただ喪った。
「…………」
 痛々しい沈黙は、私だけを傷つけている訳では無い。この短い間でも、彼がムードメーカーであることはよく知っていた。動けるのが彼しか居なかったがために、彼を……

 そう、言ってしまえば。殺したのだ。
 わたしが、彼に、死ねと。先立てと。そう言ってしまったが、命じてしまったがために。
 しかし、私はどうすれば良い? 何も手が無い、挽回する手も無い、私は無能だ。一人じゃ何も出来やしない。何も、一つすら、ただただ犬死にさせて、それに報いることも出来ず――


 私に、何が出来る?


「……ヴァルメリダさぁん!! 少尉ぃ!」
 意識を強引に戻される。私はいつの間にか肩を掴まれ、前後に揺さぶられていた。
「ヴァルメリダさん! しっかりしてくんさい! 今あったが落ち込んだたらどっしょもねぇがな! あんだけが頼りなっさい!」
「え……は、え?」
 私に必死に捲し立てているのがタリアだと言うのは判る。が、彼女の言葉は私が理解でき無いほどに訛りきり、しかしそれが私を正気に戻してくれたことに変わりは無かった。
「ここのみんなそっだねが! いんまは少尉がひっぱらねばいがんど、そのためならんなこたでもやったるけぇ! あんだが折れなきゃぁ……それでなんどがなるべがな!」
 勢い余って涙目になっている彼女の向こうには、確かに兵がいた。不安や恐怖に物怖じしつつも、それでも務めは果たさんと決意を込めた眼差しがあった。
 まだ私にないものを、彼らは、彼女らは持っていた。
 あぁ、父上が言っていたのはそういうことだったのか。
「……タリアさん」
 今やしがみついていると言った方が正しい彼女の肩に手を置き、そのまま引き寄せた。
「ありがとう、タリアさん」
「少尉……」
 彼女を抱えたまま、大きく息を吸い、何もかもを吐き出した。
「ヘラニッツェに通信。今後我に続け、と」
 引き離した彼女に伝えたときには、するべき事が見えていた。
「……はい! わっかんました!」
 爆発したようにタリアは通信席にすっとんでいき、それを発端に活気が戻ってきたようだった。
「操舵手、機関は?」
「無茶は厳禁ですが、少尉の思うがままに飛ばしてみせますよ!」
「なら結構、下降角2度、右16度、第一巡航速度! 雲海を抜けて地上観測による位置特定を敢行します!」
「了解ィ!」
 慣性で身体が後ろに持ってかれながらロケットを握り、裏側の羅針盤を見やる。
 父上、どうかお力を。
「測量士、現在位置を連邦領と仮定、現在高度及び風速を考慮し直近の前線基地への最適航路を算出!」
「もう大方済ませてあります……後は正確な場所さえどうにか出来れば!」
「少尉、前方より光、雲が切れまっせ!」
 最前線に立つ操舵手があらん限りの声を上げた。艦橋に残る全員の視線が一カ所に集められ、灰色の空はゆっくりと色彩を取り戻し、高く遠くへと広がっていった。

 要るべき世界に戻ってきた感覚を味わいながら、空が昏く蒼くなってゆく様を見上げていた。私たちは生きている。馬鹿らしいがそう思えた。視界の中の誰もが息を吐き出し、新鮮な空気をめいっぱい取り込もうとしている。

 沸き上がった一瞬の安堵は、地上からの光の束に撃ち抜かれた。

「……連邦だ。連邦の基地だ」
 ぼそりと誰かが呟いた。が、さっきまでの不安が押し戻ってくることは無かった。
 まるで待ちわびていたかのように、往くべき道が見えているかのように、その視線は遙か暗い地平線に向けられていた。

「全員の命を託された身として、共に舵を取ります」
 揺れる床によろめきながらも艦橋の最前部にたどり着き、しかと舵を握る操舵手の傍に立つ。奥の艦長席と違って、世界がよく見えた。
「私が眼となります。貴方は、貴方の信じる道を辿ってください」
「了解ですぜ、少尉殿!」
 逞しい腕に取られた舵は、手を置かずとも緊張と興奮でたぎっているのが分かる。
「艦内の照明を全て消灯、非常灯のみを利用可とします」
 機関士が応答し、光源は手元の装置の紅灯と地上からのサーチライトだけになった。
「ヘラニッツェより返答、貴艦の航路を故郷への道標とせんとす、っとのことっす」
「ありがとう……幸運あれと返信後、艦内全域に放送路を繋いで下さい、搭乗員は艦内中央部へ避難、『荒波に備え』と」
「敬語は要らんとよ、少尉……いんや、艦長!」
 彼女なりの応援と捉えて、眼を艦橋の向こうへと向ける。
「進路そのまま、最大船速! 敵前線基地を突貫、我が領空へ帰還する!」
 溜め込めるだけの息を吸い込んだ。誰かに向けてでは無い。自分自身へ、仲間へ、地上の連邦兵にすら届ける勢いで。


「南に、故郷に……帰るぞおおおぉぉッ!!」
「オオオオオッ!!」
 艦橋から伸びる通路からも響く大合唱の後の沈黙に全てを吹っ切った高揚感を感じながら、次第に近づいてくる探照灯の道筋を見分ける。
「粗っぽくなろうと構いません、補足されないことを第一に!」
「あいヨ、艦長さん!」
 乗りのいい操縦士は一気に舵を左に切る。吹き飛ばされそうな慣性の向こう側を光柱が通り過ぎていった。


「右50度、過ぎたら左25度!」

 右に左に艦体が滑る。間近を通る光が目を眩ます。

「急制動! 右に軸移動!」

 あらゆるところが軋むのが聞こえる。張り切ったワイヤーが弾ける音がこの騒ぎでも甲高く聞こえる。

「左30! ヘラニッツェに航路を開けて!」

 視界が傾く。床に散らばるガラクタが虚空に投げ出される。


「上昇角40度! 躱したら戻して最大船速!」



 大きく船首が持ち上がり、目の前を最期の光が通り過ぎていった。
 







 

 全ての光が通り過ぎた後には、手元すら闇に溶けてしまう世界だった。


 それでも、誰も弱音を吐かなかった。

 喜びを抑える息が、夜明けまで取っておこうと必死な衝動が。
 





 全てが終わったと告げる、ノスギアより上るその眩しさに、盛大に弾けた。
 
 















 
 
 
 
 
 

数日後、某所。
 
 あの日の出来事が空の遠くに消えた頃、私は軍学校からも遠く離れた場所にいた。本来なら今頃実地訓練の修了宣言と卒業の行事に参加するはずだったのだが、またまた特例扱いにされたらしい。貴族の高速輸送船に揺られ、あの日の出来事を思い返していた。
「騎士団直々の報告が来たときには何事かと思ったが、なるほど。そんなことが……」
 というのも、向かい合って座る父上、スタバツィオ=グレーヒェンに事の顛末を教える必要があったからだ。辺境の警備艦隊に起きた一騒動に、父上は珍しく眼を輝かせていた。
「お前がよく頑張っているのは軍学校からの定期的な連絡で知っていたが、私が思っていたよりもずっとずっと成長していたようだ」
「そんなことはありません、私はまだ未熟です。あのときだって、乗組員が力を合わせたお陰で戻って来れたのですから」
「それを引き出すのが艦長の、親の役割だ。未熟であることを図らずもお前は活用できた……そんな芸当は、成熟した者には行えまい」
 父上は窓の向こうの地平線に目を細めた。北の方角、私が成長した場所。
「戦場でしか得られぬものは数多くある」
「はい。その通りでした」
 同じ場所を眺めるものの、きっと父上の視点にはまだ立つことが出来ないだろうと思った。「それと同じほどに、戦場では喪うものだ」
「……ええ。ですが、それもまた『得られたもの』です」
「そうか……やはりお前は自慢の娘だ、ヴァルメリダ」
 軍服をえらく着飾った兵士が到着五分前を知らせてきた。大型の輸送船がゆっくりと回頭した先には、それすら小魚に思えるような巨躯が空中に鎮座していた。
「インペリウム級…………」
「お前は見るのも初めてだったな。帝国最強の矛であり盾であるこの艦は、例え貴族でさえもそう簡単に乗らせては貰えない。誇りに思っていい」
 艦尾の侵入口が開き、飲み込まれるように着陸した先には、一目で分かるほどに精強な兵士が整列していた。ここに集まっているだけで百人はいるのではないだろうかと、この船の巨大さで頭が眩みそうになった。
「到着を歓迎いたします、グレーヒェン閣下、ヴァルメリダ嬢」
 敬礼を返す百人隊長は、そのまま私たちの案内人となった。左右の兵士達が揃って敬礼を返す中を歩くのは酷く緊張するものだった。まだ未熟で幼い私には余りにも贅沢であり、向けられるべきもので無いと思えるほどに。
「彼らの敬意もまた、艦長が背負うものだ」
 そんな思いを感じ取ったのか、視線は歩く先のまま父上が言う。
「彼らの信頼に見合うほどの人物に、きっとお前もなれるはずだ」
「…………」
 私の前を往く父上の背中は、今でも頼もしく、強い。背が伸び、視点が高くなったとしても、その壁は未だ遙か高く私を見下ろしていた。
 それまでの私であれば、その壁に怯んでいたかもしれない。目指す先に怯え、ひたすらに自らを鍛え上げようと躍起になっていたかもしれなかった。
「いつか、なってみせます」
 そう思えるようになっただけで、私は少し前に進めたのだろう。きっと父上も歩いたその道を、ほんの少しだけ。
 父上は振り返らなかった。それが少し嬉しく思えた。
「中で団長がお待ちしております」
 そう言って兵士長が止まったのは、言わずとも分かる艦長室の前だった。艦内とは思えない重厚な作りの扉は、その先へ立てる人物を選別するかのようにすらみえる。
「ここからはお前の道だ。友と誇りを忘れるな」
 父上も扉の脇に退いた。壁の向こう側が垣間見えた気がする。
「…………行って参ります、父上」
 固くなった私に一瞬微笑んでくれたその優しさは、産まれながらに与えてくれた資質なのだと、そう確かに教えてくれた。
 



「貴官がヴァルメリダか」
「はっ、ヴァルメリダ=グレーヒェン。少尉であります」
「楽にして構わない。訓練修了直後からの長旅で疲れているだろう」
 目の前に立つその女性は、その姿そのものが統べる軍団の象徴だった。
「そして、これは非公式な対面だ。私は貴官の飾らぬ本質を見てみたい」
 気を抜けばすぐに貫かれそうな威圧感は、正対するだけで遺憾なく発揮されている。
「軍学校での前例無き成績、特例での前線艦隊艦長補佐における特異的状況下での比類無き指揮能力、統率力、僅か十八歳でここまで才能を開花させる者はこの先の時代でも早々居まい」
 ラツェルローゼ。帝国騎士団の団長であり、恐らくは帝国最強の人物。そんな彼女から賞賛の言葉を賜る状況に、私の頭は破裂しそうになった。
「此度ここに招来したのは、私的ながら貴官の活躍に対する勲章の授与と、貴官の詳細を直に確かめたかったからだ。上層部はいい顔をしないだろうが……まぁよい、一つ貴官に尋ねよう」
「は、はっ」
「ヴァルメリダ、貴官はこの続く戦いをどう捉える?」
「…………」
「この場に居るは二人のみ。どう答えようと其れを知るは私のみだ」
 答えていいものか、そう思ったのがすぐに伝わったようで、そう付け加えられる。そこまで言われたならば、思いの内を曝け出すほか無いだろう。
「……一刻も早く終わらせ、自らの、お互いの発展に力を注ぐべきでしょう」
「その根拠は?」
「若輩者ながら、私は連邦を、その力を見ました。例え帝国が精強なれども、確実にかの国は力を付け、抵抗の力は遙かに増しています。これ以上の戦闘は、長期的な消耗戦に他ならないと、そう判断します」
「ほう?」
 ラツェルローゼは未だ聞く体勢だった。まだあるだろうと、そう期待する目だ。
「私は帝国に属するひとりの軍人でありますが、それ以前にこの大陸の一個人であります。これまでの帝国と他国とのつながりが支配と従属であることは事実です、しかしそれだけが理想的な関係性ではない、そう私は考えます。共に手を取り、討つべき敵が他にあると」
「其れは何か?」
「……旧きよりある恐怖であり、身のうちに潜む病であります」
「…………」
 沈黙が場を支配するが、けっして静寂では無かった。
「そうか、貴官はそう考えたか」
「はっ、身の程知らずであることは承知の上で、自らの思う全てをお話しした次第です」
「……ふふっ、ははははっ」
 罰則を覚悟しての発言だったのだが、彼女はまるで何かを懐かしむように笑うだけだった。どうというわけでは無いのだが、何処か気恥ずかしさを感じてしまう。
「あ、あの……」
「いやいや、恥じる事は無い。誰もが始まりを通り、成長していくのだ。私も貴官のような頃があったからな……懐かしいものだ」
 彼女の机に置かれた小箱を手に取り、その下に挟まれた便箋と共にこちらに戻ってくる。
「貴官の信念はよく分かった。やはり思っていたとおりの人物らしい……本当に。父親からよいものを受け継いだな」
 箱を開けたその中身は、上官の中にすらも滅多に付けているのを見たことが無い勲章だった。詰まるところ、それだけのことをしたと、そうこの人は判断してくれたのだ。
「帝国騎士団長ラツェルローゼの名において、ヴァルメリダ=グレーヒェンに帝国一等武勲章を授与し、現時刻をもって貴官を中尉に昇格とする」
 私の胸に白銀の装飾の彫られた勲章が提げられ、何かの便箋を手渡される。二つが私に渡ったのを確かめるように一拍置いて、彼女が最敬礼をした。一瞬遅れて同じ最敬礼を返す。「ヴァルメリダ中尉、貴官は帝国を支える重要な柱となり、何時かはその力が帝国の全てを守る盾と、そして何よりも鋭き矛となるだろう。貴官のこれからの健闘、及び栄光を祈る」
 自分の思い上がりなのだろうが、一瞬の間だけ彼女と同じ場に立てたような気がした。
「はっ! 帝国のためこの身を捧げ、皇帝のために戦い抜きましょう!」
 精一杯の感謝と、招来に課せられた期待に応えるように、私はそう唱えた。
 










 
 

「はへぇ~、そげなことがあったとな?」
 まだ陽の昇らない薄紅の中で、私の隣でそう驚いているのは――その口調からも分かるだろう――タリアだった。
「いんやすげぇっべさぁ。あの騎士団長様から直々に勲章とお褒めの言葉じゃけん、やっぱ少……中尉はすっげ人だったてことじゃねかぁ」
「いえ、私だけの戦果でも、名誉でも無いわ」
 私たちが歩くのは帝都から離れた、それでも幾らか発展している工業都市だ。産業塔が十基以上あるのだから、ここの統治官の気の入れようがよく分かる。
 それもそう、ここは私の故郷の近く。ヨダ管区内の一都市なのだ。
「そういえば、あれからニルギスは?」
「そうそう! 今こっこの造船所で直して貰ってるんね。色々と頑張ってくれた分ボロッボロになってて、いやぁようやってくれたけんねぇとみんな言っとったよ」
「ここで? あの状態でここまで連れてくるのも大変だったでしょうに」
「それなんだけど、なんでも船ごと所属が変わるぅって話を艦長さんとかが偉い人と話してたのをたまたま聞いてねぇ、どうせならそこに行ってから直して貰え―、ってことらしいんだべ」
「そこに行ってから……ってことは」
 タリアが屈託の無い笑顔を向けてくる。
「えへへ、ビックリしてくれたかね? そうなんよ、中尉の元まではんるばる戻ってきたっちゅうことなんよ!」
 私と肩を組む彼女はとても嬉しそうで、楽しそうだった。
「もうそろそろニルギスもお勤めご苦労様ってところだったらしくて、んなら最後の頼みだっていろんな人が取り合ってくれたお陰なんだべさぁ。また一緒に飛べっと思うと、ほんに嬉しゅうて、ねぇ!」
「うわっ、ちょっと、タリア!」
 とうとう私を振り回し始めた彼女をどうにか諫める。私から手を放した後も、タリアは嬉しそうに飛び回っていた。通信機の前に居たあの時の彼女と同じとは思えないその溌剌さが、きっとあるべき姿なのだろうと思うと少し笑みがこぼれる。
「……そういうことだったのね。どうして貴女がこんな所まで来ていたのか、私の所に一直線に向かってきたのか……まさか出迎えられるとは思いもしなかったけど」
「にぇへへ、我慢ならなかったでぇ……そんいやぁ、中尉に昇格して、新しい船の艦長やるって聞いとんけっど、どの船に乗るか聞いてええ?」
「艦長じゃなくて副官、父上の艦隊のアルバレステア級のね」
「ひゃへー! いっきなりアルバレステアに、やっぱ中尉はすげっべなぁ!」
「そんなことは無いわよ。そこで実力を証明して初めて認められるものだし、まだまだ学ぶことは多いわ」
「うーむ、そういうとっから違うもんなんだべなぁ」
 手すりから身体を乗り出しつつ言うタリアの言葉に、もう一つ重なる声が聞こえた。
「ん? 中尉?」
「……どうやら済んだみたいね。お帰りなさい」
 声に遅れること数秒して、朝日に照らされてきた遠くの産業塔から船影がのっそり姿を現す。遠くから見慣れたその形は、産まれたときの綺麗さで空を滑っていた。
 彼女の声が聞こえる。ただいまと、あのときの事を懐かしげに語っている。
 これほど離れていても、彼女は覚えていてくれたらしい。
「ふぉおおお! えらいべっぴんさんになってまぁ、かっちょええでねがぁ!」
 タリアも気づいたらしく、私の隣に擦り寄ってきた。ニルギスの航路はこちらの産業塔の近くを通り過ぎ、ヨダ管区の中枢へと向かうらしい。
「あ、そっだったぁ!」
「どうしたの、タリア?」
 思い出したかのように鞄をまさぐる彼女は、その手に携帯式の写真機を握ってニルギスに向けた。どうやらタリアの私物のようで、口を一文字にピントを合わせている。
「……おっしゃ。ヴァルメリダ中尉、そこんとこの手すりでポーズポーズ!」
「え?」
「え? じゃねぇべがな! ニルギスとつーしょっとだべ、記念に一枚撮らせてくんれな!」
 すでに彼女は最高の場所で待ち構えている。写真に撮られるなんて子供の頃以来だ。
「こ、これでいいかな?」
「ええどええど! もっと自然にぃ、ほほえんでぇ!」
「あ、あははは……」
 彼女の勢いに私は乗せられっぱなしだった。その活発さを分けてもらって、半分ほどに顔を出した陽を背にニルギスの声を聞く。

『大変だったけど、貴女と飛べて本当によかった』

「…………わたしも、よ」
「おっっっしゃぁああああ!! べぇえすとしょぉおっと!」
 よほど良いものが撮れたのか、一回転する勢いで背を反り飛び上がるタリアを横目に、私はニルギスの進む先を静かに見守っていた。












 

 もともと、そらはかみさまのものだった。今の帝国では全く進行の欠片も無くなってしまったその対象は、私達を空へと浮かび上がらせる道具に成り下がっている。

 しかし、わたしはそう思わない。彼女らは生きている。

 かみさまでは無くなったかもしれない。それでもわたしにとっては大切な仲間であり、命を預け合う戦友であり、心を通わす親友だった。


 信仰は無くなった。その代わりに、共に歩むことが出来るようになった。
 彼女らを利用するのに変わりは無いだろう。だからこそ、決して無駄にしてはならない。




 乗組員も、船も、なにもかも。
 其れを守ることこそが、きっと私の進む道になるのだろう。
最終更新:2017年06月21日 22:07