事案521号の記録

負傷者を載せた輸送艇が鈍い唸り声をあげながら離陸する。その様子を眺めながら一人の男が紫煙を燻らせていた。身に纏っている制服は彼が領主配下の治安維持部隊所属であり、この場における現場指揮官であることを窺わせる。

そして、彼の背後に横たわり、焼け焦げた表皮に穿たれた銃創から体液を垂れ流す大人の背丈の倍はあろうかという大きな物体。

まるで肉吐き器の吐く肉塊に4本の太い腕と無数の指をでたらめに付け加えたような外見のそれは、先程まで彼が指揮する部隊が交戦し、2名の死者と4名の重傷者を出しながらも辛うじて無力化に成功した『敵性体』の死骸だった。

 

――今回の事件はあまりにも異常だ。

 

そう思いながら彼は短くなった煙草を踏んで揉み消した。

そもそも今回の作戦では違法生体機器密売の現場を制圧、関係者を捕縛する筈だったのだ。

しかし、いざ現場に突入してみると建物に居た関係者と思しき人間は既に皆死んでおり、その死体を弄んでいた敵性体はこちらを視認するや否や襲い掛かってきた。

最初の襲撃で先頭に居た不運な隊員の頭を潰したそいつは小銃の一斉射撃を受けると1階から2階へ逃走し、その後天井を破って再度襲撃を掛けたところを屋内に保管されていた火炎瓶3本の投擲によって炎上。

それにもかかわらず敵性体は襲撃を続行、1名の上半身と下半身を泣き別れにし、4名の四肢を消し飛ばした挙句、最終的に窓を破って外に出たところを待機していた装甲装脚車の機銃手による執拗なまでの銃撃を受けてようやく沈黙したのだった。

 

情報源となる筈だった関係者は全員死亡、加えて部隊からも犠牲者が出ているとなれば、指揮官である男の責任が追及されることは想像に難くない。その情景を思い浮かべた彼は思わず呻いた。

ふと背後の気配に気づいた彼は振り返り、背後に居た男に声を掛ける。

 

「何か用か?ハズ」

 

ハズはこの部隊に配属されて3年目、大柄な体格になんとも似合わない童顔が特徴の男だった。一部では帝国風ではない名前と、片言の帝国語、そして彼自身の身体能力から皇国からの亡命者ではないかと噂されていたが、部隊の皆は彼を信頼していた。今回の事件においても敵性体の注意を引いて機銃の射界まで誘導したのは彼だったし、もし彼が居なければ文字通り部隊が全滅していてもおかしくなかっただろう。

 

そんな彼が慌てて来たのか息を切らしながら言った。

 

「隊長と話をしたいという人が来ています。第18技術研究所から来たと言っています」

 

第18技術研究所、それがこの町、ナウエストから最も近いテクノクラート傘下の研究施設であることを思い出した彼は思わず頬を引き攣らせた。

 

 

 

 

 

「――2日前のナウエストにて発生した事案での捜査協力、感謝いたします」

丸眼鏡をかけた中年の男が深く礼をしたのち、報告書とともにいくつかの資料を差し出す。一見どこにでも居そうな男だが、細かな所作が隙の無さを伺わせた。そんな彼と机を挟んで椅子に座っている豊かな顎鬚を蓄えた老人、彼こそが個性的な人材揃いのテクノクラート第18技術研究所を取り纏めるリーソル・ホフマン所長だった。差し出された資料を眺めながら所長は言う。

 

「こちらも色々と君たちに借りがあるからね、名前を貸すぐらい安い御用だよ。――さて、ここに搬送された検体の検死結果についてだったね。」

 

あくまで現在分かっていることからの推測に過ぎないが、所長はそう前置きした上で続ける。

 

「君たち耳目省の懸念は正しかった。恐らくアレは人間を素体に作られたものだろう。外見は原形を留めていないが」

 

全く、また面倒な代物が現れたものだ、帝都の連中でさえこんな意味不明な弄り方はしないぞ。

そう毒づきながら彼は机から取り出した鍵で背後の棚を開け、中から1本の瓶を取り出した。中には親指ほどの太さがある蚯蚓の集合体のようなものが入っている。ラベルによれば4年ほど前に採取されたものらしい。

 

「これは私の教え子がテルスタリに派遣された際に採取、標本にしたヴンターの雄性体だが、よく似たものが素体に融合して、新たな筋肉と皮膚、そして四肢を形成していた」

 

ヴンター。確かサン=テルスタリ皇国と称する武装勢力が占拠する領域に生息する大型の肉食動物だった筈だ。その凶暴性と異常な頑強さから、派遣軍内ではテルスタリ人兵士に勝るとも劣らない重大な脅威として恐れられていると聞くが、遠く離れた地に住まう彼らに関係するものが何故、ただの鄙びた田舎町でしかないナウエストから発見されたのか。

 

そんな耳目省の使者の疑問を他所に、所長の説明は続く。

 

「いや、融合していたというより既存の組織と入れ替わったという表現のほうが適切かもしれないね。何せ本来の肉体なんて中枢神経とごく一部の内臓系、それらに付随する骨格しか残っていなかったんだ。腑分けしなければ元が何なのかさえ判らなかったろう」

 

所長はそう言いながら標本を棚に仕舞った。どっかと椅子に腰を下ろした彼は続ける。

 

「――テクノクラートに属する者としては口にするのも恥ずかしいが、我々はアレと同じものを作るに足るだけの技術をまだ有していない。具体的に言うとヴンター雄性体の制御だ。既存の制御系との相性がすこぶる悪くてね」

「……つまりあの検体の製造に用いられた技術は帝国由来のものではない、そうおっしゃりたいのですか」

「如何にもその通りだ。それに雄性体の制御系だけじゃあない。新造された皮膚や骨格に神経系、手を加えたと思われる箇所ほぼ全てに普通はある筈の施術痕が残っていないんだ。まるで最初からそんな形態の生物ですよと言わんばかりだよ」

 

沈黙。

言葉は続く。

「そもそもアレは本当に兵器としての運用を意図して作られたものなのか?近くにいる人間を手当たり次第に血祭りにあげるような、ろくに制御出来やしない怪物を作る金と暇があるなら闇市場で武器と人を揃えたほうが遥かに安上がりだし、効果的だ。もし全く別の目的があるとすれば……」

 

所長が、言葉を区切る。

一拍の間を置き、使者は続く言葉を発した。

 

「アレを造った者は我々の与り知らぬ未知の道理に従って行動している、という事ですか。」

 

恐らくは、との返答を耳にしつつ、彼は額に手を当てる。

未知の凶暴な生物の出現、これだけならば特に問題はなかった。

過去にも似たような事例はあったし、そのような時は領主の私兵だけで十分に対処することができていた。

問題はそれが何者かの手によって造られた存在だという事だ。

未知の原理に従って動く製作者の行動の予測は極めて困難、従って通常の対反乱作戦とは全く異なる対応が求められるに違いない。

 

――これでは当分の間、家に帰ることはできないだろうな。

 

暗澹とした気分になりながらも、謝辞を述べて所長室を去ろうとする彼だったが、ドアノブを掴んだまさにその時、背後から声を掛けられた。

 

「ああ、そうだ。現地の領主への情報共有は積極的に行うことを強く薦めるよ。確かあそこを治めているのは……マルヴィッツ子爵だったかな?彼はテルスタリへの従軍経験があった筈だ。頼りになるだろう」

「その旨、確かに上に伝えておきましょう」

 

微かな軋みと共に重厚な扉が閉められる。

事態が再び動き出すのは2週間後。

ナウエスト近郊の廃墟で遊んでいた5名の児童の帰りが遅いことを不審に思った親が、治安組織に捜索を依頼。その中には、マルヴィッツ子爵家当主、アルド・マルヴィッツの姿もあった。

最終更新:2017年10月26日 21:50