墜ちた鳥が戻るまで

 ルトラ中尉は悩みを抱えていた。
 
 というものの、その悩みというのは彼のいる場所に依ったものでは無い。ここは最前線でも後方でもない中途半端な僻地で、確かに気を緩ませることも、帝国を的にして部下を叱咤できないと言う点で悩ましい要素は有るだろう。
 だがそれは普遍的な問題であり、彼が頬杖を突いて、真っ昼間の砂漠の地平線を眺める理由では無かった。根本的な始まりは数日前になるが、実際にそれがやって来たのは先日のことになる。
 
「中尉、中尉?」

 どうやらその問題は未だ解決の糸口が見つからないようで、部下の一人が不甲斐なさげに部屋へと入ってきた。

「君か……例の奴の件かな?」

「ええ。夜通しで尋問を続けているのですが、どうにも真意を語ろうとは」

「夜通し? 寝かせていないのか?」ルトラは部下に問いかける。「一応の扱いは『捕虜』としたはずだ。私がそう言ったのを聞いていなかったか?」

「いえ…………その……」

 口ごもった兵士の様子から、自分の言い方に何かしらの間違いがあるようにルトラは思った。言い淀むのは上下の隔たりによる部分が大きく占め、それは詰まるところの事実との相反があるに違いないと。

「言い分があるなら聞こう。この場での発言は処分の参考にはしない」

「それなら言いますが……」部下は何処か安心した顔つきになった。こちらに赴任してから十数ヶ月の信頼の構築はこういうささやかな場面で大きな意味を持つ。

「寝なかったのは彼の意思です。我々はそれに付き合わされる羽目になりまして」
 
 
 
 
 







 
 
 
 
「名前と所属は向こうから言いました。ベニーラ・エスラルト、小規模な艦隊付属のグランビアパイロットとのこと……らしいです」

「小規模な艦隊、というのは……件の二隻か」

 踏み固められただけの地面を、先ほどの部下に先導されながら歩く。今日も天気は良好で、帽子が無ければ髪の毛が香ばしい匂いを上げそうだった。
 せめて駐屯している国境防衛艦の下を通れれば良かったのだが、生憎のことこの時間は定期巡回中だ。帰ってくる頃にはもう日が陰っていることだろう。

「その通りです。艦名は『ニーギス』と『フェラニッチェ』。我々が見た艦影の数、特徴、ともに一致しましたし、間違いないかと」

「そうか。目的については聞き出せたのか?」

「いえ、それが…………ハミス少尉が一晩中付き合わされたせいでまだ寝込んでる最中なんです。ここで帝国語に堪能なのは彼と中尉ぐらいなので、捕虜の方が起き次第再会させるべきかとの彼の判断でして」

 ハミス。こんな僻地で数少ない能力持ちだ。軍大学で帝国語を専攻していたらしいが、その行き先がこんなところなのが現実の悲しく厳しい一面だろう。

「もしもこちらの手段を喪わせるために喋り通したのならそれなりの策略家だ。あくまで持論だが、パイロットにはこういう輩が多い」

「そう、なのですか?」

「ああそうさ。大体の奴が墜とした数を二機は水増ししてるし、物資から希少な安酒をくすねるわ故郷で恋人が帰りを待ってると嘯くわ。八割はそういう奴らさ」

 ルトラの言葉は少しばかり嘘が混じっていた。会話を弾ませるためのスパイスのようなもので、もしも付き添う部下が鋭い勘の持ち主であれば、彼の発言に潜む意味に気付くことが出来たのかも知れない。

「……そう言えば、中尉は空軍から陸軍へと異動したことがおありでしたっけ」

「ああ、そうだ。仲の悪い奴らを行き来するのは思った以上に骨が折れた」

 流石に分からないかとルトラが僅かに微笑んだところで、尋問室となった空っぽの倉庫へと辿り着いた。
 
 
 
 
 






 
 
 
 内部から声が聞こえる。その情報だけで言えば、暇を持て余している一人に過ぎなかった。間延びして、いかにも退屈そうな欠伸すら聞こえたのだ。

「……これは確かに、手こずるだろうなぁ」そうルトラが漏らしたからか、屋内で待機していた兵士も含めほぼ全員の顔がどこか安堵に染まったように見えた。

「取り敢えず、最初から報告してくれ」

「はい、中尉。えぇっと……」

 人柱にされたハミス以外はちゃんと交代していたようで、雑多に積まれた紙をわしゃわしゃとかき回している。

「昨日およそ1600に歩哨が人影を確認、対象人物を捕虜として確保しました。最低限の食事と水を提供し、尋問は1900頃に開始。終了は……多分0700頃ですが、字が汚くて確証はありません」

「半日近くか…………」

 ルトラは半ば絶句していた。何もそれだけが原因では無かった。

「情報としては、先ほどお話しした点以外に進展は殆ど無いと思われます……ハミスさんの調書があるにはありますが、睡魔のせいで魔道書の切れ端みたいになってます」

 そう言われて渡された数枚の書類。最初こそ几帳面に書いてあるのだが、途中から単なる雑談に切り替わったらしく、最終的にはどれが事実なのかすらも分からない情報ばかりとなって、クルカがぶちまけたような涎の跡が最後の印代わりに押されていた。
 可読範囲から情報を纏めたが、重要そうなものは確かに先の話を超えるものは無かった。その代わりにこれでもかと語られた雑談の内容は、まるで会話そのものを楽しみたいような意図すら見て取ることが出来そうだった。

「…………」

 正直な話、ルトラには興味が湧き出していた。
 情報を引き出す義務は忘れていないものの、話すことで理解したいという思いが頭をもたげ始めていたのだ。

「……よし、疲れたものは交代して構わない。ハミスが起きたら出来る範囲で昨晩の調書を清書するように言っておいてくれ」

 そう言って、錆び付いた蝶番を軋ませた。
 
 
 
 
 
 
 
 

 椅子に拘束されていながらも、彼の自由さは損なわれていなかった。

「あんたが次の話し相手かい?」

「ベニーラ、で良いのか?」

「質問に質問で返して欲しくはないな」

 思った通りの返しをする人物だと一応の判断を下し、机を挟んでルトラはその人物と対峙した。外見からして二十代の後半だろうか。見るまでもなく不精者で、根っからの自由人として生きてきたことは想像に難くない。

「それに、連邦人の口は固いのかなんなのか、どうすりゃ俺の名前をそんなダサく言えるんだ? 何度も『ベニーラ』っつったんだけど」

「……済まないが、私にはその通りにしか聞こえない」

「そっか。じゃあもう諦めるわ」

 それで、とベニーラは身を――――縛られた状態での限界まで乗り出した。

「俺はあらかた話したと思うんだが、まだこのプレイを楽しまんといかんのか?」

「そうだ。お生憎様、貴官の長話に付き合った人物が夢の中に居るものでな。そこでまず気になったのだが……半日もの間何を喋っていたんだ?」

 純粋な疑問だった。少なくとも主導権はこちら側にある。彼が話し続けて興味を引かない限りいつでも切り上げることは可能なのだ……が、あのお人好しのことだ。口さえ達者ならあいつほど振り回しやすい相手もいないだろう。

「色々とさ。俺の生まれた場所とか、人生観とか、戦争の意義とか……あとなんだ。まぁそんなところか。あとは忘れちまった」

「そうか。ハミスはそういう話が嫌いじゃないからな。貴官のことが少しは理解できたよ」

 ルトラは手を組んだ。その目はベニーラの瞳から外れることなく、またベニーラも同様に見つめていた。

「さて、じゃあ話を始めようか。『ベニーラ・エスラルト』」

「……そういや名乗ってねぇな? あんたの名前は?」

「そうだな、答えたら教えよう」ルトラが顎を拳に乗せる。「等価交換とはいかないがね。君の所属する艦隊の目的は?」

「国境の警備さ。あんたらの大艦隊がやって来ないか見張る仕事。それだけ」

「なら、どうして国境を越えた場所に貴官は居るのか?」

「どんぶらこと流されてきたのさ。何だっけ……気流……トルネード? ジェット? 兎に角すっげぇ嵐っぽい奴に」

 ベニーラは楽しげに語った。ルトラとしてもある程度の威圧感を持って問いかけたはずなのだが、どうにも本意とは取られていないらしいと思わざるを得なかった。

「嵐……気流津波のことを言っているのなら、少しばかり間違いを起こしたかも知れないな。少なくともここ数日に嵐なんてなかった。目的は何だ、強行偵察か?」

「嘘を付くのが下手っぴだな。知ってるんだぜ? そっちでもその気流津波があったって事。前の奴がそれ聞いた瞬間にどぎまぎしてた」

 ハミスの事だろう。確かに数日前に連邦領内でも気流津波が起きていた。ここも一応は津波の通過点だ。
 気になるのはどこで知ったかという点だが、変に乗るのは悪手だろう。

「ああ、嵐が無かったというのは嘘だ。ハミスの故郷がその津波の被害に遭ってな、知らせが届いたのは一昨日の昼だ」

「っ、そうかい。通りでパニクった訳だ」

 やはり。出任せか、或いは予測か。

 特にこの口論で勝ったとして得られるものは無いが、こうして勝負できるのは楽しい。
 ルトラは僅かな高揚を抑え、話題を少し変えることにした。

「次だ、貴官はどうしてこの基地にやってくる羽目になった? 調書だと『グランビアの操縦中に風に煽られ墜落したから』とあるが」

「あのさぁ、名前を知るのに幾つ答えりゃ良いんだ? 俺達は大艦隊の最前線にいて、数日前の来襲は武力偵察だとでも言えば良いのか? いっそのこと模範解答集を寄越してくれ」

「そう投げやりにならないでくれ」ルトラは苦笑する。「こちらも軍人だ。我々のような人種がどれだけ疑り深いものか、貴官も多少は理解してくれると思いたいものだが」

 それに、とルトラは続ける。もし大艦隊がこちらに来るなんて言われても、我々にはどうすることもできやしない。ただここで待つしか出来ないと。

「正直に話すと、貴官がどう話そうと我々は動きようが無いわけだ。その点で言えば、先ほどの『流されてきた』という話を無条件に信じたいところでもある……貴官は物分かりが良さそうだが、どうかな?」

 ベニーラが聞いて溜息を漏らした。

「…………第一印象が真面目そうだってのは撤回すべきだな。まさか同類だったとは思わなんだ」

「相手がどんな人物か、それを知るには喋らせるのが一番の方法だ」

 ルトラは立ち上がり、彼を縛る紐を解いた。落ちたそれが埃を舞い上がらせ、高くなった日が僅かに鉄格子から部屋の隅とそれとを照らす。

「私の持論だが、パイロットには二種類の人物がいる。貴官はどう思う?」

「二種類ねぇ、口が上手い奴と、腕が上手い奴かな?」自由となった体を伸ばしながらベニーラは答える。「俺は両方の人間だ」

「私の区別は違う。嘘を付く奴と、真実に嘘を混ぜ込む奴だ。私はどちらだと思う?」

 ルトラがまた座ると、ベニーラもまた席に着いた。違いと言えば、ベニーラが机に脚を乗せたことだけだ。


「後者、と見せかけてどっちでも無い。あんた『もう』パイロットじゃないだろ?」

「貴官は後者だと分かったよ。数少ない二割のタイプだ。それで、答えを聞かせて貰おうじゃないか」

「前に言ったとおりだよ。頑張ったんだがなぁ、最後の一手を誤っちまった」

「最後の一手……津波の残流に引っ張られたか」

「だいせーかい。そろそろ良いだろ?」

 ベニーラがもう堪らないと言った声を上げると、それを待っていたかのようにルトラが腰を上げた。

「『ルィタラ』だ。ずっと屋内じゃあ息が詰まるだろう。暫くここに留まることになるのは避けられないが……何処かに行きたいというのなら受けてやれなくも無い」

「じゃあお構いなく。ルィタラ、帝国に返してくれ」

「渡せるのは連邦製の糧食ぐらいだな。代わりの目的地ならあるが」

 ベニーラの顔から初めて笑みが消えた。

「……何処だよ」

「お楽しみ……に出来る場所では無いな」

 お互いに心当たりがあった。この場所は彼らにとって狭すぎる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 










 

「うはっが! なんじゃこのうほぐっ!」

「慣れない内は口を閉じておけ、舌噛むぞ」

 砂塵を後に残しながら、ベニーラとルトラとを乗せた車両が暴走に近い走りを見せている。操縦しているのは基地でも若い方の兵士で、ルトラ直々の指名に舞い上がっているのは間違いなかった。

「帝国の戦車(ダック)はノロマで遅漏だと聞いたが、こっちの戦車(ダッカ―)の短小早漏っぷりも中々のものだろう?」

「痛ッ! 頼むからもう少し安全う゛っ!」

 ベニーラの体は上下に跳ね、頭と腰とを痛める寸前だった。一方のルトラは当然慣れている――――――――事も無く、平静を装っているがあちこちを薄い鉄板に打ち付けている。

「コッペ、もう少しエンヂンを労った走り方にしてくれ。整備士の愚痴に付き合いたいのか?」

「あっはい! 了解しました!」

 溌剌とした応答と共に二人して側頭部を強かに打ち付ける。速度を一瞬にして半分以下にした結果としては当然のものだ。

「……ぅあぁー、クルカを頭に巻きつけんと危ねぇわこれ」

「悪くないアイデアだ。隅を漁ると良い、何匹か捕まると思うぞ」

 素直にベニーラが車内の隅の隙間に手を突っ込むと、ピュビビと悲鳴が上がった。


「…………で、何処に連れて行く気だよ?」

 目的のものを頭に乗っけた男が言う。後頭部からぬめった触覚のようなものが生えているように見える。

「今、貴官が最も行きたい場所……と言うより、最も知りたい存在、とするべきだな」

「…………マジで?」

「ああ。あの後の巡回で見つけた……コホン。あー、もう一匹の方にした方が良い」

 ぴょこぴょこと振動で上下する触覚を見続けるのはルトラにとって地獄でしか無かった。大笑いすることで事実を伝えることも出来たのだが、そんなことをすればコッペ操縦士もこちらを見て事故へと直結間違いなしの構図が脳内に出来上がっていたのだ。

「何だ、面白いと思ったのに」

 どうやら本人は分かってて乗せていたらしい。ツノを装甲版の空いたビス穴に突っ込むと、隙間で眠りこけていたもう一匹を取り出した。

「中尉、見えました」

 もしもこのとき変えていなかったら、帰りは徒歩になっていただろうとルトラは思った。




 この時は。
 
 
 
 
 
 







 
「……………………」

「半径五十レウコは捜索したが、形が残っていたのはそれだけだった」

 ルトラが淡々と伝える。大きくドリフト痕を残したダッカーから少し離れた場所、砂丘の頂点に、正に墓標であるかのようにそれは立てられていた。

「……こんなとこまで来てたか、おてんばなお嬢さんだ」

 ベニーラが努めて普段通りに喋るが、歩み寄るその幅は狭く、震えていた。


 ようやく傍まで来た。機体の中央、前半部分。自分が乗っていた操縦席を残して、それ以外はまだ大空で待っているかのように彼は空想を巡らせた。

「ここに連れてきたのは私のお節介かも知れない。ただ……少なからず、大切な相棒だったのだろうと思うとな」

「ああ……大切だったさ。俺の嫁みたいなもんだった……名前も何も無いけど、代わりは誰もなれない、特別な…………」

 ベニーラが左翼の付け根を撫でる。

 本来なら、この付け根の先に「彼女」がいるはずだった。これまでと同じように。青臭い考えだが――――自分で思っていた以上に、こみ上げてくるものがあった。もうそんなものは置いてきたはずなのに。

「良い機体だったんだな。持ち主をそこまで悲しませるんだ」

 ルトラが隣に立った。決して彼の愛機に手を伸ばそうとせず、同じ場所から眺めるだけに留めた。彼なりの尊重であるのはベニーラにも分かった。

「あんたに分かるのか? 陸軍なんだろ?」

「そうだ、今は、な。もう七年は経つと思うが」

 ベニーラは視線を彼に移した。ルトラは機体を見つめていたが、それは単に鉄屑に向けたものや、表面上の哀悼を込めた眼差しには到底思えなかった。

 少なくない思いがこの機体に……戦闘機そのものにある。親近感とまでは行かなかったが、近しい思いが心の内に芽生えた。

「……なぁ、ルィタラ。気になるから話してくれないか? 自分を見つけた奴の人生とか、きっとこいつも聞きたがるだろうしさ」

 しばらくの沈黙の後、グランビアの残骸に背中を預けて提案する。ルトラがどうしたものかと肩をすくめると、自分の傍の砂、そして愛機を軽く叩いた。
 
 
 
 
 



「私はパイロットに憧れていたんだ」

 当たり障りの無い昔話から始まった。

「戦場の主役はでっかい戦艦だが、一番小さい存在がそれを打ち倒すことがある。私はそういうタイプが好きでね。小物が大物をやっつけるのが大好きだった」

「俺は違うね。こんな広い空を自分の意思のままに飛べるのさ。なりたくない理由なんか無いだろ?」

「確かに、それにも憧れていたのかも知れないな」ルトラが頷く。「私も自由は好きだ。それと同じくらい、名誉というのも好きだったな」

 少し腰をずらして、二人とも空を見上げる体勢になった。まだ暑さは衰えを見せないが、ベニーラの言う「お嬢さん」のお陰で辛くない。

「連邦のパイロットはそれほど人気のある兵種じゃなかった。だから私のような人物でも努力でどうにかなったのさ。最初は教導官と一緒に、次は一人で、その時の広さには確かに自由を覚えた。実戦まではの話だがね」

 ルトラは目を閉じた。

「話は変わるが、その時にはもう家族がいてね。娘も一人、その実戦の四年前に産まれた。家に帰る日は少なかったが、ちゃんと私が父親だって分かってくれてね。丁度近くに同期も住んでいたんだ。彼も妻子持ちで、子は男の子だったよ」

「そういう話をするってこたぁ、気持ちがいい話じゃなさげだな」

「ああ、その通りさ……最初の実戦はそこまで激しいものじゃなかった。こちらは船団護衛中、相手は通商破壊目的の帝国艦隊だった。全部合わせても両手で足りる数だったし、こっちもこっちで砲戦も航空戦も出来る編成だった。数も少ないし、規模も小さかった。それでも…………死傷者は出る。そんな単純なことすら当時は忘れていた」

 その同期は甲板に帰ってこなかった。ルトラはただそれだけを言った。

「母港に戻ったら、一日だけ許可を貰って家に帰った。その同期の死を家族に伝える貧乏くじも引かされていたからね。どちらにしろ気持ちの良いことではなかったし、何もできない無力感はもう一生分味わったと思うよ。
 決まり手になったのは娘の言葉さ。四歳でも分かるものなのか、私の命はもう自分だけのものでは無い、帰ってこないと嫌だ、って。私自身、現実を見たというか、自分だけ生きているのが恥ずかしくなったというか……。
 兎に角、空を往く道は諦めた。それが家族のためだと、育ち盛りの娘のためだとね。馬鹿らしい話だが……誰かが大切なものを喪ったのを見て初めて、自分の守りたいものに気付かされたんだ。当然すぎて、大体忘れてしまうものをね」

「その終わりが、こんな場所で日焼けすることなのか?」

「そうさ。ずっとこんな辺鄙な場所ばっかりで勤務することになったが、年に四回は家に帰れるし、娘の成長も見られる。選択を間違えていないなど言えるわけが無いが……家族の幸せのためなら受け入れよう」
 
 再び沈黙が世界の主となった。ルトラの視界の端にはクルカと戯れるコッペが見える。父を喪ったあの子もいつしか軍人の道を進むのだろうか。それとも別の道を選ぶのだろうか。彼と同じ年になるまでもう幾ばくも無い。そのことに少しながら無情さを覚えてしまっていた。
 
「そうか。不幸自慢って訳じゃないけど、今の俺にはあんたに勝てる手札がないね」

「済まない、どうしても話したくなってしまってな」ルトラが紛らわすように笑い、「地上に足を付けてからは、空から見下ろす奴らとも話す機会が無くなった。貴官の悲しみも、あの時の私と、いやそれ以上なのかも知れないなと思ったのさ」

「そうだなぁ……あんたは同期だが、俺は嫁さんを喪ったようなもんだもんなぁ」

「そうさ。だからせめて、お互いに愚痴れるようになりたいと思った」

「本心か? 俺に真実を吐かせるための方便か?」

「私が一方を口にして、貴官はそれを信じるか?」

 短い沈黙、だがそれは静寂とはならなかった。
 



 一緒に笑う前に、二人の共通点が大空を舞ったからだ。
 

 
「……連邦の戦闘機ってのは、ああもヒョロヒョロしてるもんなのか?」

「私からすれば、帝国は何もかもが鈍重すぎると思うのだがね」

 二人に影を落としたそれは、浮遊機関の駆動音が聞こえる低空を旋回し始めた。

「中尉! 通信です! 緊急の!」

 コッペがこちらに大きく呼びかけたので、休憩は終わりとルトラが立ち上がる。沈み込む砂に足を取られることもなく、ダッカーから伸びた通信機を受け取った。

「ルトラ中尉だ。何があった?」

〈……襲です! 通し……破壊され、こちらに報告……勢力、駆逐艦三隻い………………です!〉

 切羽詰まった音声が距離に応じてノイズで隠される。それでも何が起きたのかは理解できたし、彼の脳内では対処法が幾つも浮かんでは弾けていた。

「……了解した。最初の指示だが」

 ルトラが横目で墓標を見やる。ベニーラはまだ寝転がったままだ。

「接地しろ。近くに平坦な場所があるはずだ」

〈えっ? 何故……すか?〉

「何故だろうと、命令だからだ。後は口頭で伝える」

 通信機をコッペに投げ渡しながら手招きをする。目的の人物は億劫そうに立ち上がった。

「ルィタラ、もうお嬢さんとお別れなのか? もうちょい思い出話を……」

「悪いがさせてやれなくなった。お迎えが来たらしい」

 冗談めかして言うが、それは単に彼への最適な伝え方だろうと判断したからだ。ベニーラも言いたいことは理解したようで、面倒くさそうな、厄介事を押しつけられたような表情に変化していった。

「やはり威力偵察だったのか? お前は嘘を言っていたんだな」

 付いてこいと走り出しながらそう言い放つと、「俺は真実に嘘を混ぜるタイプなんだろ?」と笑って言い返してくる。

「あんただって俺を全部信用した訳じゃ無かったんだろ。これから俺をどうするんだ?」

「付き合って貰うぞ。貴官には借りがあるからな。それを返して貰ってからお払い箱だ」

「俺があんたらから何を借りたって言うんだ」

「クソ不味い飯と命の水、恋人との再会。それだけの働きはして貰う」

 緩やかな砂丘を乗り越えると、鳥が羽を休ませていた。先ほどのパイロットが操縦席の縁に座り、こちらを見て待っている。

「中尉!」パイロットが大声を上げた。「一体どうするんですか! 相手が進路を変えない限り、もう猶予は無いんですよ!」

「大丈夫だ! なんとかする!」

 速度を緩めずルトラが答えると、梯子を使うことすらせず操縦席の後ろへと乗り上がった。

「済まないが陸路で帰ってくれるか? もう一人搭乗予定だ」

「は? どう言うことで……誰が操縦するんですか?」

 パイロットが「もう一人」に手を貸しているルトラに問いかける。彼自体、数週間前の月間補給の際に任官してきたもので、自分の上官が戦闘機乗りだと言うことを認知していなかった。

「心配しないで良い。7年のブランクは5メウで埋めるさ」

 半ば放り棄てるようにパイロットを下ろすと、温まった席に腰を下ろした。

「なぁ、俺の席は?」

「悪いが一人乗りだ。暑苦しくて良いのなら私の隣に来い」

「ああクソ、野郎と相乗りとか勘弁してくれ……」

「嫌なら翼にしがみつくといい」機器類をチェックしながらルトラが言う。「曲芸飛行はしない。それは約束するさ」

 どうするかベニーラが迷っている間に、タイヤは砂漠から離れた。

「よし……旧式で助かった。骨董品の知識がそのまま使える」

「で、どうするんだ中尉さん? 帝国兵を乗せたまま帝国と戦うのか?」

 狭い操縦席に体をねじ込んできたベニーラが尋ねる。彼の言い分は尤もだったが、彼も何かしらのアイデアがあることを確信しての物言いだった。

「戦う必要なんて無いさ。末端が火の粉を吹き上げたとしてそれが世界平和に繋がる訳が無い。小競り合いは無用だ」

 高度が十分な域に達し、下を見れば見上げる二人の影と二つの機械の姿を見ることが出来ただろう。地平線はその距離を大幅に伸ばし、ルトラにとっては懐かしい光景が広がっていた。



「『ベニューラ』、貴官は口上戸だ。違うか?」

 彼の問いかけは一種のサプライズであり、自白であった。

「……そういうことかよ、全く。一本取られたぜ、『ル・ト・ラ』」

「そういうことさ。やはり貴官とは良い酒が飲めそうだ」


 乗員オーバーのセズレが急加速した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 まず二人を迎えたのは火薬の音だった。
 風切り音の中に混ざった砲撃の旋律は、僅かに間に合わなかったことを教えてくれた。

「主役抜きでおっぱじめるとか、お祭り好きな奴らと見た」

「目的が間違っていなければ直ぐに終わる祭りだろう」

 風防も無い操縦席から顔を出すというのも変な話であるが、ベニューラは確かに顔を出して風を楽しんでいた。
 そのまま飛行を続けると、微かな黒煙と空に浮かぶ不自然な影が見えた。艦艇の影が複数、正方形に近い影が同数。

「報告通りだな。小規模の艦隊、占領目的」

「疑いが晴れるどころかクロまっしぐら」

「そうじゃないなら行動で示そうか」

 まだ距離がある。二人と基地、基地と艦隊。僅か数基しかない軽対艦砲の射程限界。

「台本は出来たか、ベニューラ」

「冒頭にこうある、『こっちの台詞だ』」

「やるじゃないか。初版か?」

「たった今第二版になった。役者が台本に沿ってくれねぇ」

 操縦桿が押され、高度が下がっていく。空中艦の射程は球状であり、重力を加味すれば中心は艦より更に下になる。敵艦への侵入の際に最初に教えられた知識だったが、彼の予想通りに事を進めるには一旦高度を下げる必要があった。

「このまま直線で突っ込む。先ずは私、そして貴官だ」

「ずりぃ、一番を俺から奪うつもりか?」

「私の方が年上だからな。見本を見せるのは当然だ」

 砲撃は双方共に始めているらしい。基地の外縁が不定期に発光し、着弾した箇所から僅かに土煙が上がる。どちらが先か、それはお互いに気にしないことにした。

「シーパス基地、ルトラだ」

 周波数を合わせ、数十秒で頭上を通り過ぎる頃に話し出す。

「命令だ、砲撃を中止し、地下壕へ避難せよ。国境防衛艦68ー2號は後方へ待機、私の指示が半トヲウ内に無かった場合、砲撃を再開、後方基地に増援を要請しに迎え。繰り返す……」

 通り過ぎるまでに三度述べ、過ぎた後に機体はほぼ垂直に上昇した。ベニューラが歯を食いしばるのを視界に捉えながら基地を見つめると、発砲炎が次第に収まっていった。

「連邦への反逆か? 大層なこって」

「貴官が役目を果たさないときは、その時だ」

 艦影はまだ遠いが、それでも艦種は絞り込める。ルトラはガルエ級2隻とクライプティア級1隻、ラーヴァナ級系統がほぼ全てだと判断できたが、1隻だけ見たことのないシルエットだったので判別できなかった。ベニューラはラーヴァナ2隻、ガルガノット3隻まで細かく種類分けできたが、やはり例の1隻だけは名前が分からなかった。

「ベニューラ、帝国にも連邦の無線は通じるのか?」

「多分、周波数さえ合えば」

 今頃になって不確定要素が露呈するものの、どちらも愚痴を漏らすことは無かった。

「機械が受け取るか肉が受け取るかの違いだけ、か。周波数の単位は? どこからどこを使っている?」

「ええっと……って、機密情報じゃねぇか!! 教えて堪るか!」

「じゃあ適当だな。五十回は繰り返す覚悟をしておくといい。私が操縦を誤って艦橋に突っ込む前に聞こえると良いが」

「ったくもお! わあったよやってやんよ!」

 艦隊は砲撃を続けながらも、完全に破壊することが目的では無いようだった。頻度が小さくなり、基地側への移動を早めたようだ。

「…………大丈夫だ、大丈夫」

 ルトラは無意識に呟いていた。脳裏に浮かんだある瞬間。運良く生き延びたと笑い合った相手が、急に浮力を失って。どうにか出来ないかと足掻いた結果、最後の瞬間を誰よりも一番近い場所で看取ることになった。

「おいルトラ、怖いのか」

 ベニューラはあくまで茶化すように、立場の逆転したかのような言葉を投げかけた。

「ああ……多分な。認めたくは無いものだが」

「別に良いと思うぜ? 俺だってあのときゃビビりまくってた」

「…………」

 ルトラの口はまだ呟いていた。声なき声で、大丈夫だと。




「……パイロットは二つに分類できる。口の上手い奴、腕の良い奴」

 艦隊が迫る。向こうも気がついたらしい。

「俺が思うに、あんたは両方の人間だ。ルトラ」

 顔を強引に彼へと向けられる。小馬鹿にしたような、頼れる笑顔だとルトラは思った。

「ほら、見本を見せるんだろ? 勉強にさせて貰うぜ」

 空に光点が見えた時には、お互いに全てを吹っ切らせていた。
 


「ああ……全く、年下に説教垂れられたのは初めてだ!」

 機体を大きく沈み込ませた。窓のない操縦席から体を振り落とすような勢いで。

 急降下する勢いをそのまま速度に乗せ、敵艦の腹に潜り込むルートを取る。射程内まで近づいたら、針の少ない方を飛ぶ。これも教鞭で教え込まれたことだ。

「あー、あー! マイクテストマイクテスト! 帝国軍の野郎聞こえるかー?」

 数秒すれば装甲の継ぎ目が拝める距離でベニューラが声を張り上げる。

「俺はベニューラ、帝国の宝、ベニューラ・イェスラルト二等航空兵だ! 聞こえてたら一旦砲火を止めやがれ! こっちに攻撃の意思はまだねぇぞ!」

 近づくほどに落とされるリスクは高くなる。一撃離脱が重要だと何度も言われたのを思い出しながら、今回は違うと操縦桿を握りしめた。感覚が戻りつつある。機体が言うことを聞くようになってくる感覚。

「おうおうおう! そんな下手な撃ち方じゃ当たらねぇぞ! 弾の無駄だから止めろって! 撃ち方やめ撃ち方やめ!」

 ルトラが操縦に意識を集中できるよう、ベニューラが周波数を弄っていた。出来るだけ身を乗り出し、機体が艦橋や砲の前を通り過ぎるときには精一杯自分をアピールした。

「お前らは仲間に銃口を向けるよう教えて貰ったのかぁ!? この馬鹿! アホ! クルカのゲロ! 悔しかったら話を聞く間ぐらい手を休めたらどうだ!」

「ぷっ……」

 あまりの言葉のチョイスにルトラも吹き出してしまった。子供の口喧嘩でも聞いているかのような可笑しさ、状況とのミスマッチング。彼には笑わせる才能もあるのだろうと思考の隅で思った。

「ベニューラ、曲芸飛行はしないと約束したな?」

「あぁ?」

 ベニューラが視線をルトラに戻す。その瞳には不敵に笑う彼の顔が映っていた。

「ありゃ、嘘だ」

「なっ、うおわあああああああああ!!」

 機体を半回転させたかと思うと、弾幕の薄い艦――――初めて姿を見る巡空艦の艦橋めがけてブーストをかけた。ルトラは背もたれに押しつけられる感覚を、ベニューラは自分の足が命綱になる感覚を味わう。

「ベニューラッ! 喋り続けろぉ!」

「無茶言うなッ! いい加減に理解しやがれクソ帝国があああああっ! 俺はクルカじゃねぇんだぞおおおッ! クソだ! 連邦も帝国もクソ食らえじゃあああああ!!」

 艦橋を掠める程に近づいた瞬間、輪郭をなぞるように急制動をかけ、振り回されるベニューラを視覚出来るよう速度を落とした。艦長はどんな光景が見られただろうか。

「頼むっ! 助けて! 早く弾幕止めてええっ! また振り落とされるのは御免だ! 見殺しにするつもりかあああ!」



 そんな必死のベニューラの声が届いたのか――――周波数を誰も弄っていない以上、彼のこの叫びが届くことはあり得ないので違うのだが――――次第に空域は静かになってきた。



「…………終わったのか?」

「終わったのか、じゃねぇよ! そう思ったら曲芸止めろ!」

「ああ、済まない……我を忘れていた」

 ルトラの言葉は事実だった。過去のトラウマを極力思い出さないよう集中し始めたのを発端に、次は技術、次は充実感と、重ねるように彼を集中の渦へと引きずり込んでいたのだ。
 
 
 

 砲火の止まった空間では、ある意味で極限の緊張下にあると言っても過言では無い。もし此方側が発砲すれば間違いなく歯止めが利かなくなるし、変な動きすら対象にされかねない。冷静さを取り戻したルトラは、旗艦であろう艦、詰まりは曲芸を披露した巡空艦の左舷を並行することにした。

〈……ちら、第5任務艦…………への……求む。…………等航空兵の安全……謝……ちらの非を詫び…………を許可されたい〉

「帝国からの通信か……どれ、周波数は近いな……」

 ルトラがダイヤルを調整すると、言葉はクリアになった。まだ若い女性の声だ。

〈繰り返す、こちら第5任務艦隊旗艦「モルダニス」。我が軍の目的は、ベニューラ・イェスラルト二等航空兵の救助にあり、貴官らとの戦闘が目的にあらず。彼の安全を確保し、こちらにその旨を通達してくれた行動に感謝の意を示し、非を詫びるために基地への着陸、物資の譲渡を許可されたい〉

「…………マジかいな」

 ベニューラが漏らした。救助に来てくれるとは思いもしていなかったのだろう。

「ベニューラ、良かったなと言いたいところだが、貴官の意見が聞きたい」

 少し呆けていた彼の意識を呼び戻したルトラは、複雑な表情をしていた。

「何だ、曲芸師さん」

「こいつが言っていたこと、信用できるか?」

 音声の出力先を顎で指すと、ベニューラは少し難しい顔をした。

「俺は艦の奴らの事についてはあんまし言えたことじゃないからなぁ。んー…………あっ、そうだ」

「何か?」

「いんや、ちょいと通信機を拝借……って、手元にあったわ」

 少しボケをかました後、彼の表情は真剣になった。

「こちらベニューラ二等航空兵だ。助けに来てくれたことはありがたいが、その前に幾つか質問をさせて欲しい」

〈……何であるか、申せ〉

「まず、俺の救出を命じたのは誰だ? 助かる見込みの薄い末端の兵が一人、それだけで艦隊を向かわせる酔狂な奴の名前を知りたい」

〈…………〉

「なんだ、言えないのか?」

 ベニューラはやはり戯けたような口調で、しかし真面目な顔は艦橋へと向けられている。

〈……グレーヒェン。スタバツィオ・グレーヒェンの指示によって、とだけ〉

「ほう、ヨダ管区の司令官様が……そいつは光栄な話だが」

 彼は笑った。「嘘は良くない。そうじゃないんだろ?」

〈…………〉

「自分の父親の影に隠れなくとも、俺にはちゃあんと分かるんだ。どこのお人好しが指示したのか、まぁ名義はあんたの言うとおりなのかも知れないがな」

〈……まったく、敵いませんね〉

「俺に口で勝てる奴なんてこの世に居ないよ、ヴァルメリダ少尉。それに、俺が生きてるのはあんたが幸運を祈ってくれたお陰さ」

 ベニューラはルトラに向き直った。「大丈夫だ、嘘を言って占領する奴らじゃ無い」

「……信用できる相手なのか?」

「ああ。男は兎も角、俺は女を見る目は間違いねぇんだ」
 
 
 
 
 




 帝国の艦隊と連邦の戦闘機が並行する様を見て基地からの通信は混乱の極みだったが、ルトラとベニューラ、帝国艦隊特派員(突貫で決めた役職らしいが)の説得のお陰で体裁は取り繕える余裕を持って向かえることは出来た。

「……まさか、戦場で、その年で尉官であり、さらに少女の姿にお目に掛かるとは」

 地上に降りたルトラが発した一声は、法螺話のような内容で、しかし事実に基づいた発言であった。

「言っただろ? 俺の見る目は間違っちゃいないって」

「女の」という部分を省いて言うベニューラは、歩み出した少女にウインクをかまそた。

「ベニューラ・イェスラルト二等航空兵、貴官の無事を歓迎します」

 少女が軍規に則った発言の後、ルトラと相対する。身長差、年の差、性差。二人の差には大きく隔たりがあり、彼は自らの娘を重ねることすら出来た。

「ヴァルメリダ・グレーヒェン少尉です。此度はかの兵を保護し、こちらへの引き渡しに応じて頂き、ありがとうございます」

「あぁ……ルトラ・ヒパルト中尉だ。この基地の、一応は最高指揮官になります」

「ルトラ中尉、敵ながら見事な操縦でした。ベニューラ航空兵が振り回されていたのが懸念事項ですが、彼には良い薬になったと思うことにしておきます」

 ヴァルメリダが話の主役に向けて笑うと、彼も屈託の無い笑顔を返した。どうやら恥というものを知らないらしい。或いはそれすら笑える人物か。

「捕虜をあのような目に遭わせてしまったことには責任を感じていた故、そう言って頂けると有り難い。少尉、私も貴官らの防空には少々手を焼きました。素晴らしい連携に賞賛を送りたい」

「お互い様、と言うことですね。何はともあれ、相互理解が深められて良かったです」

 ヴァルメリダから手を差し出し、南北の末端の指揮官らが互いに信頼の意を示す。互いに睨み合うような部下達だったが、連邦の方はもう御免だとばかりに銃やらチヨコやらを放り出し、それを見た帝国兵らも小銃を肩に掛け武装を解いた。

「我々は彼を連れて帰投します。捜索のために用意した物資は全てそちらに譲渡し、我々の感謝の意とさせて頂きたいと思いますが」

「ああ。有り難い。何でも連邦の最高級の糧食は帝国の末端のそれより酷いと噂に聞き及んでいた次第で、一度ご相伴に預かりたいと思っていたところでして。宜しければ……」

 そこでルトラは口をつぐんだ。戦闘の意思が双方にないとはいえ、表向きは敵同士なのだ。こうして会話することすら上等で、ましてや食事など冗談にもなりはしないだろう。

「……いえ、また彼を落としていかないよう、しっかりと頼みます。我々としても、平和な一日が過ごせるほどに幸福なことはありませんから」

「あ、ひっでぇ。今言うかよそれ」

 彼は正に道化師だった。自分を笑いものにして、自分もそれで笑う。張り詰めた空気は彼の前に無力であり、ただ弄ばれ幸せにするための道具でしか無かった。

「承知しています。今度は『必ず』連れて行きますので」

 決意のこもった眼差しと言葉のまま、ヴァルメリダは敬礼をする。この年に似合わぬ決意の固さを感じながらルトラは返し、こちらに手を振りながら笑顔を振りまく厄介者には相応の笑顔を向けながら見送ることにした。



「じゃあなー! ルートラー!」

 搭乗したドゥルガノットの荷台の真正面、仁王立ちで彼は大きく叫んだ。

「二度と来ないでくれ-! ベニューラー!」

 大人げないと自覚しながらも、ルトラは何年かぶりの大声でそれに応えた。
 
 
 
 



















 
 
 
 
 




「んぅ……ああ?」

 気の抜けた声の主は、自分の個室で眠っていたことを認識する。
 特に用が無い限り誰も訪れない場所で、彼女自身、ここは自分だけの空間だと考えていた。が、今ばかりは違うようだ。

「起きたか、ハミス少尉」ルトラが静かに話しだす。

「うぅ……頭が。えぇっと、例のパイロットは……」

「帰ったよ。帝国艦隊の送迎付きでね」

 淡々と驚愕の事実を述べたからか、ハミスは跳ねるように起き上がった。

「てっ、帝国艦隊!? 戦闘になったんですか!?」

「落ち着け、向こうも彼の救助が目的だった。利害が一致していれば争う理由は無いだろう?」

「……そう、ですね」ハミスが眼鏡を探す。「あたしがこうして寝ぼけられるのも、基地が無事だからですもんね。すみません、まだ頭が働きそうに無くて」

「いいさ。もう済んだことだし、ここには私的な興味で来たから」

 私的な興味、と言う点に彼女は疑問符を抱いた。

「もう彼はいない。この近くに墜ちた理由も分かった。また平穏な警備の日々に戻った以上、躍起に調べる必要は無くなったと言うわけさ」

「なら……何を?」

 ルトラは微笑んだ。

「彼の雑談さ。嫌なほどに聞かされたのだろう?」

 そう言いながらベッドの上に幾つかの品々を並べていく。

「彼からのお土産付きだ、どうか聞かせてはくれないか」
 
 


 
 ハミスからの彼の言葉は、はじめは否定的で、次第に感傷に浸るように変わっていった。

「……それで、妹さんのため、家族のために志願したらしいです。本業を継ぐことも出来たんですが、妹でも出来る仕事だろうと……半ば家出のように。怒られるのが怖いのでそれっきり帰っていないらしくて、妹が働いているのを遠目に眺めるのが精一杯だって言ってましたよ」

「そうか、あいつらしい。そうだったか……」

 帝国の味は濃く、しかし味があった。思った以上に旨い訳では無かったが、噂が流布される意味がよく分かる。いつものアレと比べられる代物では無い。

「でも、今回のことで決心が付いたらしいんです。妹さん、イェナって言うんですけど、家に戻って彼女を街に連れ出してやるんですって。小さい頃から夢だったらしくて」

「街、か。帝国の街並みはどんな景色なんだろうな」

「私たちの中で帝国の領土、ましてや都市に足を踏み入れたものは居ないですからね。相手も同じですが、きっと思ったよりも呆気なかったりしますからね」

 ルトラはその意味に笑った。

「帝国艦隊がラオデギアまで行けば失望するだろうって? その通りだ少尉。実際、例の戦闘だと失望しきって負けたらしい」

「あら、私は結構好きですけどね。あの建造物とか」彼女は少しむくれながら肉を頬張った。

「それにしても……かなり寝ていたとはいえ、一日経たずにどうしてそこまで親密に?」

「不思議か? 敵同士がここまで打ち解け、互いの身内話までしたなんて」

「あ、いえ。中尉が変だとは一言も……」

「いいや。今日ばかりは私も変人だった。彼と一緒に空を飛び回ったのだからな」

「ぶぐっ!!」

 ハミスが缶入りスープを飲み込んだのか吐き出したのか分からない悲鳴を上げる。

「中尉、航空機の操縦できたんですか!? 初耳でしたよ!」

「ああ、話さなかったからな。他の部下からもしこたま聞かれたよ」


 ルトラが夕暮れの窓を見やる。嵐の過ぎ去った後というものは、如何に穏やかで切ないものかをその光が教えてくれる。たった数時間前の出来事すらその光の中では黄ばんだ紙のように古びてしまうのだ。


「出来ることなら…………」

「……………出来ることなら、何でしょう?」


 何処か期待する眼差しでハミスが問いかけてくるが、ルトラがそれに応えることは無かった。



 ただ、日の沈む方向を見て。

 昔を懐かしむように笑うだけだった。
最終更新:2017年09月30日 16:07