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~某日。早朝の皇宮にて~

「父上、年末です」

 朝膳を従者が下げ、食後のミルクセーキを陶器に注ぎ終わるころに、その声が聞こえた。声のする方に視線を向けると、まっすぐにこちらを見つける息子の姿があった。息子の手元には果実酒が注がれた陶器があった。

「父上、今日は年末です。聖都市街は年越しの祝い事の準備でにぎわっています」
「そうか」

 暦は643年の終わり。
 およそ50年も続く外敵との戦争も今年度は大きな衝突はなく、数年前から実施している南部狩猟部族との合同ゲリラ戦術が功をなしているということだ。この国の首都であるここ、テルスタリ=キャピタルは3年前に敵の侵攻を許し、戦火の傷跡を残して以来、戦争の息遣いの聞こえない平穏な時を送っている。農耕業の市民が育てた作物が民に活力を与え、建築の腕に長けた職人たちの働きで戦闘の被害を受けた地区の復興は順調に進んでいる。こうして、従者の甲高い叫び声で起こされることなく決まった時間に朝膳を口にする日が続いていることに、ささやかな幸福さえ感じている。
 ミルクセーキを一口含み、甘い味を舌で転がしながらのどへと送った。

「今年は目立つ働きをした身内もいない。戦線も膠着し、小競り合い以外の戦闘の報告もほとんど上がっていないと聞いている。聖都の民は例年通り、健やかに新年を祝えることだろう」
「はい父上。とてもうれしいことです」

 うれしいと口にしつつ、息子の表情は笑みを浮かべていないことが不思議だった。息子はここまで感情が収まる性格であっただろうか?

「それで父上。早朝から不躾な質問があるのですが、よろしいでしょうか?」

 まじめな顔で淡々と言葉を紡ぐ息子の姿を疑問に思いつつ、頷いてみた。

「よい。話してみろ」

 息子は一呼吸置くかのように果実酒に口をつけ、陶器を置くと続けた。

「父上。この国の習わしである「枝贈り」はご存知でしょう。国祖アグラヴェイが御座より知恵の木の枝を賜り、その枝を以て言葉を持たぬ者に名と名を示す術を伝え、人々を導いたという逸話をもとにした、新年の習わしです」

 ああ、その話なら知っている。
 新年になるとこの国では、人が人に想いを綴った紙を巻いた枝とともに贈り物をする風習がある。古くからおこなわれてきた風習で皇国出身者ならだれでも経験したことのある習わしだ。年始から1週間が経つと、贈られた枝をまとめて火にくべ、綴られた願い事が天上の御座に届くことを祈るという、ロマンチズムあふれるものだ。
 皇王ともなれば、自身の肉親を始め、戦時の勲章授与者や国家に対する貢献を行った者に枝とともにそれ相応の褒賞を与える王と民をつなぐ公務の一つでもある。

「今更それがどうしたというのだ?」
「・・・父上。単刀直入に申し上げますと、公務外で褒賞をお与えになっている方々がいらっしゃいますね?」
「・・・・・・」
「主に施設・・・戦災孤児などを預かる民間施設や子葉院に多額の金銭を贈っていますね?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」

 ――――――なぜバレた?どこで漏れた?
 足がつかぬよう従者の筆を使い、定規を使って文字を綴り筆跡ですらごまかしていたはずだ。深夜を選びククウィーに運ばせ門先に荷物を落としていたから発見された可能性はほぼない。仮に見られたとしてもククウィーだけでは所有者は判別できぬ。

「その言の根拠を述べよ、ウルスラ」
「文に用いられた筆の持ち主―――従者のスキエルから話をお聞きしたところ、父上のことを話しました」
「・・・・・・」

 あの老いぼれめ、あとで禄を下げてやる。
 確かウルスラに今年度与えた仕事は国費のことが含まれていた。半世紀も戦乱が続くと国庫にも陰りが出てくるため、聡明な判断ができる者として任命したが、民間レベルの金銭移動まで調査するのはやりすぎではないかこの男は。
 返答のない父親を前に、ウルスラは口元に笑みを浮かべて言葉をつづけた。

「この件で父上を咎める気はありませんのでご安心ください。むしろ私は誇らしいとさえ思っています」
「・・・ほう?」
「私と父上は見解の違いから、対立することがありました。外交面に軍事面で。国の体面を一とする父上と外交による共生を良しとする私では、マンタルヘイム渓谷のごとく深い溝がありました。・・・しかし、此度の父上の行いを知ったとき、私はとても父上を誇らしいと思いました。ええ、とても」

 果実酒のせいか口がよく走る息子ではあるが、その言は国費を私事で散財することへの咎めだと思ったが、むしろ逆で、私への共感を示してくれている息子の姿を見て、少し安堵した。

 民間施設への資金援助を始めたのは、即位して数年後のことだった。
 忍びで城下に降りた際に、雨宿りをした先の民家にて雨避け笠を譲ってくれた家主がいた。家主は自身の敷地に建てた小屋にて、戦死した知人の忘れ形見を預かり育てていることを話し、皇王とはいえまだ年若かった私はその行いに胸打たれ、無償の雨避け笠をその時の手持ちの金貨全てで買い取り、生活の足しにするように言い去った。
 それから月に一度の周期でかの家に国庫からひねり出した富を匿名で送り付け、自己満足による投資を続けた結果、風のうわさで小さな家屋はその後増築を続け、ついには各地区に同様の施設を持つ大きな組織になったことを知った。
 拡大に伴う奢りもなく、堅実に孤児を救おうとする人の在り方は、かつての自分にできなかったことを鏡越しに見ているようで悲しくもあり誇らしくもあった。今日まで支援を続けたことも、その思いからくる行動であった。

―――――あなたの行いは間違いではなかった。

そう息子から言われた気になり、微笑もうとしたところで、

不意に、息子の言葉に疑問のあることに気づいた

「ウルスラよ・・・「この件は」とは、どういうことだ?」
「はい父上。父上の行いは人道的にも施政者としても大変目を見張るほど誇らしげのある行動です。傍目に見れば、父上は建国以来最も民に尽くす聖人のごとく映るでしょう。ですが・・・」

 果実酒をあおるように飲み干し、決定的な何かを言おうとしている息子の顔には笑みが残っていた。まるで氷で張り付いたかのように。
 ああ、私はこの顔をどこかで知っている。この顔は――――。

「―――――ですが父上。公務とも慈善にもほど違う人物たちに金銭を配っているのは、どういった料簡でしょうか?」
「なんのことだ?与り知らぬぞ」
「父上が行ったとされる民草への慈善投資。その流れをたどっていくと、孤児院以外に個人あてに金銭が送られていることを認めました。そして、これらの投資は先の孤児院宛のものよりも額が小さい」
「む?」
「ええ。せいぜいが『その月に子供一人を養える程度』の金額です」
「――――――」
「商業階2区で酒場を経営する女主人マルゼー。ビゼナウ家の屋敷に使える従者メリッサ、年齢は23歳。先月にオールドハーク家嫡男ゲッデンリンに嫁いだマンターク家次女チャウィル。市民階11区の夜店にて踊り子をしているザーラル。まだまだありますが多くの個人に当てて流れております」
「・・・・・」
「そして決定的なのが、これらの支援を受けている個人の「女性」のほとんどが、ほぼ重なる時期に懐妊しています・・・」
「・・・・・・あー、うん」

 ―――――詰んだ。
 息子、ウルスラ。働きすぎである。

「・・・ウルスラよ。その話はまたいずれだ。私はこの後仕事があるのでな」
「いえいえ父上。お忘れですか?昨今は戦線の固定化に成功し、目立った争いもありませんし、治安も安定しております。今年は珍しく『公務のない年末』ですぞ」
「―――そう、だったかな?」

 静かな動作で席を立つと、ウルスラは私の席の前まで歩を進め、目を合わせたまま笑顔で尋問を開始した。

「―――はい、父上。ですのでこの時は、ゆっくりと語り合いましょう。ゆっくりと。ええ、お互いが納得するまで」


▽▲


 息子による父親のスキャンダルの追及が始まり、一族の食堂が戦場裁判所めいた空気に包まれる中、廊下に通じる扉1枚隔てた向こう側で様子を見る影があった。
 テルスタリ家第3皇女、ラキア・フィーレ・テルスタリ。そして皇王カルデアロの従者であるスキエルであった。
 朝膳を取ろうとしたラキアが食堂に向かう途中、扉の前で耳を立てるスキエルの姿を見つけ、話をするうちに食堂から喧騒の音が聞こえ、二人そろって内部の様子を聞き取っていたのである。

「珍しいですね。ウルスラ兄上が主導権を取るなんて」
「ウルスラ皇子はお酒を飲まれますと思っていることや考えていることを口に出してしまうのですね。皇王陛下の知らぬ一面のおかげで言いたいことが言えているようです」
「皇位継承権所持者として、口が軽くなる欠点は直してほしいところですが、そういうところも兄上の魅力ですからね」
「左様でございますか」
「ええ。ほかの兄上方もウルスラ兄上を見習えばいいのです。そうすれば兄弟仲良く国を支えられますから」

 ひそひそ話で会話しながら、スキエルは半ば安堵していた。
 ラキアがここに来たのはちょうど尋問が始まる少し前、自身の父親のしでかしたことを聞いてはいない。内容を聞かれたが、国費の使い方についての衝突だと言い包めた。

(ラキア様は兄弟姉妹の中で一番純粋な御方ですからね・・・)

 皇族の中で最も行動的かつ共同的な思考をする皇女ラキア。頻繁に城下に足を運んでは大衆食堂で食事を取るなど市民に近い生活を好み、民の声を直接皇王に伝えられる重要なパイプの役割を無意識のうちに行っている。実際に彼女の行動で聖都の治安や物資受給率は近年向上の一途を辿っている。彼女を知る者ならば『彼女の短所は興味本位で動いて厄介ごとに首を突っ込みたがることだ』と言うだろう。

「しかしスキエル?なぜあなたは父上の秘密をしゃべってしまったのですか?怒られますよ?」
「いえいえ、ご心配には及びません。これでよろしいのだと私は考えていますので」
「・・・? 何故です?」

 こちらの顔を覗き込む形で首をかしげるラキアの様子を見て、スキエルは朗らかな顔で答えた。

「陛下が今回、ご自身の都合で国費をお使いになった理由の一つに、御身のお考えを吐露できるお相手がいなかったことがございます。陛下は人知れず孤独なのです。ラキア様たちが御生誕される前から、ご自身の理念理想を他者に語ることを良しとしませんでした。・・・それは陛下と向き合おうとする方が現れず、陛下もまた、そのせいで人を信ずる機会がなかったからです。陛下はそのまま大人になられ、王座につかれました。この度の愚考は、そんな陛下の孤独を少しでも和らげたいと思った次第でございます」
「スキエルは確か、父上が子供のころから仕えているのでしたね」
「・・・はい。まこと陛下は人の上に立つ資格のある御仁でした。齢70を過ぎましたが、陛下に従事したことはこのスキエルの生き甲斐でございます」
「故に我慢できなかった?」
「恥ずかしながら」

 スキエルはテルスタリ家の従者として仕えるようになってから、カルデアロの反省を見届けてきた人間であった。
 カルデアロの喜怒哀楽。青春謳歌。そして現在に至るきっかけも見届けた。
 ただ、見届けた。

 見かねて父母に助言することもあった。だが聞き入れられなかった。
 彼の手助けが出来そうな人材を求めた。だが誰も近寄らなかった。

 ただただ、孤独になっていく主の姿をそばで見ていたスキエルにとって、ウルスラという存在は、自身の主にとっての天の助けに思えた。

 父親と違う思想
 父親と違う考察
 父親と同等の愛国心

 ウルスラならば、カルデアロを変えてくれるかもしれない。
 スキエルは秘かにそう思い、ウルスラに協力した。だが・・・

「食後に果実酒を出したのは失敗でしたかな・・・」

 聞き耳から聞こえてくるのは、論難というよりももはや蓄積した愚痴を勢いで叩きつけている様子だった。それを受け止める側も、たじたじな様子である。

「・・・次から兄上の食後には白湯をお持ちした方がよさそうですね」
「承知しました・・・」


▽~2時間後~▲


「・・・終わりませんね」
「見てスキエル、私、父上のあんな弱気な顔初めて見ました。ウルスラ兄上すごい」
「そろそろ止めに入りませんと。陛下がとどめを刺されかねません・・・!」
「ち、ちょっとドルトヌイ様を呼んできますね・・・」

 サン=テルスタリ皇国。聖都テルスタリ=キャピタル。
 643年の終わりにとある親子の口喧嘩は終わらず、年は明けた。



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~某日、アルモン族の森にて~


 火で炙られる薪の歌が、暗い森の中に静かに響く。
 黒い帳の中で揺らめく赤く淡い光を挟むように、二人の女がその体を休めていた。
 二人の髪は相反している。
 一人は、夜に溶け込む黒い髪を背を覆うまで伸ばしている。
 一人は、赤い光を鏡のごとく映す白銀の髪を肩のあたりで揃えている。

 黒髪の女は火の明かりを光源に、乾布で槍を磨いている。
 ―――否。槍、というにはそれは異質であった。
 紫雲の如き色をしたそのモノは、女の身の丈以上の長さをしていた。穂先は2つの刃が縦十字に重なる形をし、石突きは螺旋を描く。乾布が表面に触れる旅、鈍く唸るかのように音が鳴る。人を狩るのか、獣を屠るのか。武器と呼ぶより兵器と呼ぶのが近いものだった。
 槍の主の女の体躯は、槍を扱うにしては細くしなやか。しかして衣服から覗く柔肌には、薄らいだとはいえ似つかわしくない傷跡が見え隠れしていた。

 相対する白銀髪の女は、かちり、かちりと音を出し、石の刃を削っている。
 すでに足元には10飛び3本。鳥の尾羽の形状に似た刃に対して柄は短く、円弧の形。「斬る」という目的よりも「投げる」という目的に適した形だった。
 原始的な武器のわりに、女の衣服は近代的で、皮をなめした上着にシャツを着こんでいた。火によって照らし出される顔の頬には、紅色の軟膏が大雑把に塗られ、軟膏下の切り傷をふさいでいた。

「―――――今日の攻め方は及第点には惜しい」

 薪の歌が響く中、黒髪の女が向かいの女に口を開く。物静かで、圧があるが染み渡る声だ。向かいの女は作業をやめて、目を交合わす。
「獲物が自分の立ち位置より低い場所にいる時を狙い、釣瓶落としの要領で材木と落ち葉を頭上から落とし、視界と身動きを封じるとともに銃撃。なるほどたしかに獲物一人を倒すには充分だ」
 淡々と言葉を紡ぐ目の前の相手に、銀髪の少女は怪訝な顔をし、咎めるように答えた。
「普通の獲物は視界のない中銃弾を避けないし、落ちてきた木材をこちらに打ち返してこないぞ?」
「ハハハッ、そればかりは性分だ。許せ」
 まるで小動物のじゃれをあやすかのように、黒髪の女は笑みをこぼした。咎めた側の女は不服気に頬を膨らませた。顔の傷だけでなく、おのれの身体に複数の打撲と擦り傷をつけられたためだ。

―――――完璧な罠だった。銀髪の女はそう考えていた。

 これまで幾度となく、森の獣相手に何度も使ってきた罠を、目の前の相手用にさらに改良を加えたものを初見で破られたどころか反撃されたことが、彼女の淡い誇りに傷をつけていた。
 何も、ただ反撃を許したわけではなかった。木材を撃ち返される中、自身も次発を撃ち、また手持ちの手投げナイフで応戦した。しかし、悉くを往なされ、倍返しされた。
 目の前の女を倒す術はあるのだろうかとすら考えてしまうのだった。

「しかしなカナン。明日以降、私たちが相手する相手はもっと大きいし、野蛮だ。私以上にな」
「・・・クルッカ以上に恐ろしい生き物はこの森にはいないよ」
 黒髪の女―――クルッカの言に、銀髪の女―――カナンは思ったことをそのまま伝えた。火の勢いが弱まっていたので、クルッカは身近の小枝と落ち葉を一纏めに掴み、火にくべる。乾いた小枝が歌いだした。
「『恐ろしい』んじゃない。『野蛮』なんだ。いいかいカナン?私一人を手籠めにできたとしても、それは『奴ら』を相手にする場合において何の経験にもならない。『奴ら』は大勢だし、狡猾で、臆病だ。それに『奴ら』の武器は強力だ。当たれば死ぬ、ということを前提に動かなければならない」
「クルッカでも?」
「死ぬよ。私だって死ぬ。だから逃げる。だから潰す。死にたくないからな」
「狡猾で臆病って、まるでヒュンクみたい。一匹だとしっぽを丸める癖に、群れの時は涎を零すくらいに余裕になる」
「それにタムタムみたいな大きな乗り物まである。ククウィーの脚に、タムタムの殻を持つ」
「・・・厄介」
「だろう?」
「でも『野蛮』ってどういう意味?」
「・・・そうだな。例えるならあれだ」

 クルッカが指さす先に、カナンは体を捩って視線を向ける。修練で痛めた部分が軋むが、興味が上回っていた。

 そこには、闇夜の中わずかな明かりに照らされる大樹の枝にかかる蜘蛛の巣があった。中心には長い手足を四方に伸ばした手のひらより大きな体躯のクモがいる。そしてその眼下には、銀糸に絡めとられた羽虫が身を捩らせる様にもがいていた。羽虫のもがきに銀糸が揺れ、振動が巣の主に伝わる。
「よく見ておきなさい」
 クルッカは、事の顛末を確認しやすいように焚火の中から火のついた薪を一本選び、巣の真下に放り投げた。銀糸の舞台が赤く照らされ、さながら灼熱地獄のように赤い舞台となった。
 巣の主であるクモは夜分に腹を空かせていたのだろう。のそりのそりとその体躯を揺らし、活きのいい夜食の元まで歩み寄る。対する羽虫も逃れようと手足と羽を動かしている。やがて、クモの脚が羽虫に届く距離まで近づいたとき、それは起こった。羽虫が最後の力を振り絞って体を揺らす。揺れは銀糸を伝い巣全体に伝播し、クモも身動きが取れなくなる。一本、また一本と銀糸が羽虫から解れていき、羽虫のあがきも大きくなる。つられて巣の揺れも激しくなりクモ限界となり手足が離れ、真下のごうごうと燃える薪へと落ちていった。小さな断末魔を上げながら、クモの身体は小さく燃え尽きていく。
「カナン。自分が有利な状態で臆病な生き物を狩る際に注意するべき点は、相手が「死ぬ」と悟った時だ。だって「死にたくない」からな。今まで出したことのないような力を出すし、予想外な動きをする。今まで自分がいた場所が、相手に味方をするかもしれない。死ぬ気で生きようとするだろう」
 クルッカは立ち上がると、巣に近づき、力を使い果たしぐったりとした羽虫を指でつまみ、クモの落ちた薪にくべる。クモほどの時間をかけずに羽虫の形は崩れていった。
「臆病だから何をするかわからない。故に野蛮だ。一番怖い」
「・・・『帝国軍』って臆病なの?」
「『人間』が臆病なのさ」
 クモと羽虫の焼却を待って、クルッカは薪の火を踏み消した。再び焚火のそばに歩み寄り、腰を下ろした。
「クルッカも臆病?」
 カナンの問いに、微笑みながら答える。
「まだ死にたくないからね。お前はどうだ?」
「そりゃあ死にたくないよ。まだクルッカに一度も勝ってない」
「では私はまだ負けるわけにはいかないな・・・」
 クルッカは太めの枝を二本拾い上げ、おもむろに焚火に突き刺した。枝を上げると、枝の先に皮の焦げた芋が刺さっていた。夜食用にカナンが焚火にくべていたものだ。片方を手渡されたカナンは慣れた手つきで芋の芽をナイフでくり抜き、一口頬張った。熱さで多少頬の裏がひりひりしたが、芋の甘さと温度により、夜に冷えた体が内側から温められていくのを感じた。
「私の教えたことを忘れなければお前は死なないよ。当分は」
「んっ・・・当分は余計・・・」
 実力を認められてないと感じて反論したが、実際その通りなのでそれ以上は何も言えなかった。クルッカの言葉で、カナンは彼女から教わったことを自然と口にした。

「―――慎重に。冷静に。広く。浅く。信じる」
「うん、自分への5か条だ。忘れるな」
「うん」

―――慎重に周囲を見て
―――冷静に判断し
―――意識は広く、しかして浅く
―――自分の判断を信じる

 自身の中で反復し、芋を頬張る。クルッカも遅れて芋を口につける。

 時はすでに深夜を回り、アルモンの森の真上には月が昇る。

 師弟の狩人は星に見守られ、大地に抱かれて新年を迎えた


▽▲


「・・・クルッカってさ」
「なんだ?」
「芋、食べるの遅いよね」
「それがどうかしたか?」
「嫌いだった?それ」
「いや、好きだよ・・・ただね」
「ただ?」
「・・・猫舌なんだ、私」
「・・・・・・へえ」


―――次の修練で使ってみようかな。

 師匠の思わぬ弱点を見つけた弟子は、慎重かつ冷静に次の罠を思案し始めていた。



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~数時間後 皇国正規軍宿舎士官室~


 皇国軍士官、エカテリーナ・アネツィ・カーシャが自身の上官への新年のあいさつを後悔したのは、入室後に鼻孔を突くアルコールの匂いを感じてからだった。
 本来個人部屋であるはずの士官室には屍累々。床を埋め尽くすのは半裸ともほぼ全裸とも言える見覚えのある兵士たちと、対空防御を終えた対空機関銃座を埋め尽くす空薬莢のごとく転がる無数の酒瓶だった。ハンカチで口元を押さえ、目線を落とさないようにかつ嫌なものを踏んでしまわないように注意しながら筋肉とガラスの山を踏破する。
 目的地には、見慣れてはいるが新年早々見たくなかった光景が、つい昨晩危惧した通りに再現されていた。執務用の卓上には床に転がっている量に負けないほど積み重なった酒瓶と、肴として用意された連邦製の菓子(チヨコ)。そして私のあいさつをする目的の相手がそれに顔面から埋まる形で眠りこけていた。鼾までかいている。
 ため息をつきつつ、私は目的の人物の発掘を開始した。20から先は数えるのをやめた酒瓶を割らないように一か所にまとめ、机に突っ伏している人物の身体を起こし上げる。
 ロングストレートのクセのない黒髪がばらけるように踊り、赤ら顔の女性が現れた。涎とチヨコで汚れた顔を拭きながら、何度も名前を呼びかけるも人間の出す言葉でない音を喉の奥から発するだけの蓄音機と化した相手に、今日6度目となるため息をついた。
 クロナ・ゼーデリッヒ・インベルマン。若干20歳にして30歳以下では歴代初の空中艦艦長経験者。総司令官ハームレー・ジャン・テルネンの秘蔵っ子にして集中火力戦術のエキスパート。純粋な皇国人でもない上に市民階級の出という上層部からしたらコンプレックスのごった煮めいた天才が、自分の目の前これまた天才なほど酔いつぶれており、今日から自分の上官となる人物であった。というのも、自分が目の前の人物の部下になることが決定された過程もまた紆余曲折であり、シンプルにいえば先にこの年下飲兵衛が昨年に連邦への留学が決まりかけていた自分を見初めて強引に引き抜き、後追いで人事部がこれを(何故か)了承したのである。
 ああ、お父様。お母さま。アネツィは不運です。本当なら100年続く軍人家系だった血筋に倣い軍学校に入るはずを我儘を聞き届けていただき、留学を経て学術博士の道を歩むはずだったのに、私が今学ぼうと思ったのは人間が摂取可能なアルコール量の限界値になりそうです。
 二桁にのぼった溜息を吐きかけたころ、年下飲兵衛の呻きが聞こえたので口元に耳を近づけた。はっきりとした言語ではなかったが、水を所望しているようだったので水差しからコップ一杯の水を口元に持っていくと、器用に唇をすぼめてすするように水を飲み始めた。まるで幼児介護をしている気分だ。
 士官室に入室してから50分が経った頃だろうか、部屋の主が正気を取り戻した。酒毒による頭痛で頭を抱えながら(私はこめかみを手で押さえながら)の初会話となった。
「本日付で第9遊撃艦隊第一誘導隊配属となりました。エカテリーナ・アネツィ・カーシャです。階級は三星師です。変則的な人事決定のため、任命書類は後追いで送付されます」
「・・・誘導隊旗艦、ヴンティリオ、ヴン、ティリアぁの、艦長・・・です。クロナ・ゼーデリッヒ…インベルマンです。・・・よろしく」
 お互いに相手の顔をまともに見れない状態での任官式という奇妙な体験を終え、まず最初の仕事は士官室の掃除となった。床に転がっていた兵士たちの反応や話を聞くとどうしてこの事態になったのか大体把握できた。
 要するに、この狭い士官室で旗艦の乗組員が連日連夜代わる代わる集合し、『忘年会』を行っていたとのことだった。一度の参加者は平均20人。昨晩は新年式も兼ねたため夜通しでどんちゃん騒ぎをしたらしい。狭い室内に酒に酔った多数の男性に一人の女性という、精神衛生上にも風俗的にもレッドゾーンな状態でよくも風紀が乱れてないものだと、逆に関心すらしてくる。

「そりゃああり得ないですよカーシャ星師!艦長を襲おうってやつは艦内どころか艦隊にすらいませんよ」
「ええ、ええ!襲ったらそれこそ艦底部から真っ裸で高々度生吊るしの刑にされますぜ!副長も艦長のこと好きになりますよきっと!」

 正気を取り戻した部下を自己紹介がてら起こしながら話を聞いていくと、彼女の部下からの信頼具合はとてつもなく絶大らしい。艦内家族というより一つの軍閥ではないかとすら思えてくる。人心掌握力が桁違いなのだろうか?

「ねー、ここに置いてあったチヨコ知らない?あれ確か去年連邦限定で発売された期間限定スーパービター味だったんだけどー」
「軽食の類はそちらの棚に閉まいました。・・・というかよくあの毒々しいの食べられますね?」
「おいしいよー、あげようか?」
「結構です」

 4歳しか離れていない同年代とはいえスキンシップが軽いのは年相応のそれなのか。執務机の上を拭くだけで力仕事は私や気力の残っている部下に押し付けるあたり面倒な性格のようだ。先の戦闘での戦果がなければ、自分より二階級も上の星輝将の座にいるどころかとっくに追い出されているだろう性格をしている。よく総司令官殿はこの人物を自身の幕下に加えられたものだ。

士官室の清掃も一段落し、人事部の士官が任官手続きの正式書類を持参して来た(その際、部屋を見渡して夢でも見ているかのような様子だったのはなぜだろうか)ので、署名を入れて正式に私は軍属の身となった。目の前では書類を見て満面の笑みを浮かべている20歳の上官がいる。

「はい、任官式は滞りなく終了しました。第9遊撃艦隊は貴官を快く歓迎いたします。エカテリーナ・アネツィ・カーシャ三星師」
「―――はい、よろしくおねがいします」
      • 人事部の人間が来たときはきっちり公務員してるらしいのがわかった。
「インベルマン星輝将、今回の人事はカーシャ三星師の身元と経歴、教育課程での実績並びに国家特例に基づく留学資格保有者という能力と貴方の軍部中枢からの信用による特例中の特例ということを努々お忘れなきよう・・・」
「人事部の尽力には感謝します。この特例処置については結果で以て返さしていただきます」

 握手を交わした後、人事部士官は足早に、それに続くように「点呼に遅れる」と残っていた部下も退室していき、士官室には私と上官の二名が残された。
 人事部士官の発言をかみ砕いて解釈するとしたら……
「・・・私は家柄と国家のお墨付きで」
「ついでに私の総司令官殿とのコネのおかげで許してやったんだぞってことかな」
 要は完ぺきに認められたわけでない、と。あの士官は言っていたのだろうか。
 ―――100年続いた軍人の名家の伝統を無視し、祖国を出ようとした異端者。
 一昔前なら、私はそのように評価され、出世どころか、国外追放になっている可能性すらあった自分の選択は、今の皇国なら許されると思っていたところが少しはあった分、人事士官の言い分はチクリと私のどこかに刺さっていた。
 先々代の皇王の政策から、伝統に関して寛容になってきたとはいっても、いまだ掟などに敏感な風習は色濃く残り、若い世代と還暦を過ぎた世代との間で慣例や風習に関する摩擦はある。軍人ではなく博士の道を当初選んだ私も、宗家であるお爺様の信頼がなければ延々と家族以外の親族に後ろ指を指されて両親に負担をかけていただろう。
 改革派多しと呼ばれた空中艦隊所属となっても、やはりああいう手合いはいるのか。

「―――というか、もう普通に喋れたんですね艦長」
「あー私、アルコール抜けやすい体質だからね。ちょっと動けば大丈夫」
「なら今度からちゃんと部屋掃除してください」
「考えておきましょう」
「・・・・・・」

 オーケー。この上官の扱い方を最優先事項で研究しなければいけないようだ。後で艦長と付き合いの長い下士官にあたってみよう。

「忘れてた!挨拶がまだだったわ!」
「? 挨拶は先ほど済ませましたが?」

 こちらの問いかけを無視して、頭一個分低い身長ゆえにこちらを見上げてくる。気づかないうちに手を掴まれていた。

「明けましておめでとうエカテ。これからどうぞよろしくお願いします!」

 ついさっきまで酒気に飲まれた顔をしていた人間とは思えない、清々しい笑顔で私の顔を下からのぞき込んできた彼女に、一瞬思考が停止してしまった。私の手を包む彼女の手は暖かく、人事士官の発言で生まれた思いが薄れていったのに気づいたのは、士官室を出てからになるのであった。
 ―――そういえば、忘れていた。今日はそういう日だったっけ。

「こちらこそ、これからどうぞよろしくお願いします、艦長」
「クロナでいいよ。乗組員にもそれで通してって言ってあるし」
「いえ、艦長は上官ですし」
「上官の命令は聞きなさい。これが私のあなたへの最初の命令です」
「呼称に命令権使う軍人なんて初見です」
「そうであろう、私がその軍人である」

 えっへんと、シャツを着ていないせいで黒のインナーが軍コートから見えているのを気にしていないのか、胸を張って威張る仕草をするのを見ると、この人の下で常識のまま行動するのが、ばからしく思えてきてしまうのは気のせいだろうか・・・。
 ・・・あと、地味に私よりデカい・・・ショック。

「・・・わかりました。では今後、公的な場を除いて、上官命令に従います。クロナ」
「よろしい。物わかりいい軍人は出世するぞ」
「そうなのですか」
「そして酷使されて早死にだ」
「いやなのですが」
「では、酷使されないように少々遅刻気味に定例報告会に出席するとしよう。エカテの初お披露目もあるしね」
「印象よくしたいので早めに行きます。艦長だけ遅れてください」
「えー、置いてかないで―」


 その日を境に、第9遊撃艦隊定例報告会の遅刻常習犯だったインベルマン星輝将の行動は若干改善され、書類整理を期日以内に提出し、報告会への遅刻も月に1回程度にまで収まったのは、陰ながら尽力する優秀な副官の存在があったと言える。この二人の信頼関係は終戦まで続き、帝国軍から「読めないインベルマンと読ませないカーシャ」として構成の歴史家に呼ばれるのであった。




時はパルエ歴644年年始。
各々の思いを持って、歴史のターニングポイントへとその歩みを止める者は、いまだいない。
最終更新:2017年12月31日 10:56