大空を駆ける『彼女達』

 この透き通るような、どこまでも続いていく蒼の大海を初めて見た者は果たして何を思ったのだろうか。我々人類にとっての『空』とは我々が住まう大地の殆どを覆う砂漠と同じ色彩をした何ら感慨も湧かない唯の存在でしかなかった。
 その『空』が紛い物なのだと我々が知る切っ掛けとなったのは今、私の足元の鉄甲板の奥、幾重にも張られた装甲を纏った”彼女”『自由の空の神』であることはもはや御伽話として語られるのみである。
 旧時代の人間たちが他の動物達を自らの意のままに改造し、もはや原型を留めない程の多種多様な『家畜』を作ったと語られる神話をなぞるように、我々も大空を征するため、”彼女”の体を捕らえ、弄り回し、異形のモノへと改造する。

 その最初の段階を担っているのが、私達が乗る『狩猟空艦』、そして『捕獲戦隊』という訳だ。

 大空を駆ける『彼女達』 

「無風空域を抜けて高度50000まで上昇しました。そろそろ捕獲対象の活動圏内に入ります」
「各見張り員は警戒を怠るなよ。機関長、生体機関の調子はどうだ」

 地上と本当の空とを隔てる厚き気流の嵐には、所々無風空域と呼ばれる長大かつ複雑きわまりない気流回廊群を裂く小さな隙間が発生する。この小さな、小さな門をくぐって我々は”彼女達”が暮らす大海原へと飛び出して行くのだ。
 主艦橋から覗く青空と砂塵の濃淡を眺めつつ、私は機関長へ、彼女の機嫌を伺うよう指示した。

「今のところ心拍数、血圧、体温共に安全許容範囲内に収まってるようですな。ただ気圧変動の影響で容態の安定は保証出来ない」
「そうか。航海長、いつもの事だが操舵は慎重に頼むぞ。彼女は少々気難しいんでな」
「アイサー!心得ております!」

 そう、私達が乗る”彼女”はちょっと……いや、かなり気難しい。幾多の軍艦を乗り継いで、彼女の艦長の席に落ち着いた私だが、今まで共に過ごしてきた彼女達の中では指一本の捻くれ娘だ。
 食餌は通常の生体機関用に開発された物を好まず、自らの好きな配分の食餌しか口にしない上、彼女が常に快適な環境を提供しなければへそを曲げてしまう。乱暴な操舵をしようものならここ一ヶ月は航行力を半減させる。およそ軍用に耐えうる物とは思えないほどの癇癪持ちで我が儘娘だが――私はそんな彼女を嫌いにはなれなかった。

「見張り員より連絡!大型の個体を発見したとのことです!」
「よし、発見した個体へ進路を変更しつつ、第四戦速まで増速!識別信号を発信せよ!操舵は航海長に任せる」
「アイサー!取舵120!上げ角15!第四戦速!」
「アイサー!」

 主艦橋の中心に据えられた羅針盤が大きく動く。『巡空戦艦』とも称される彼女の大きく長大な船体は軋み、優雅に傾きながら、大空を独り悠々と飛ぶ、昔の彼女と同じ肉体を持つ個体に向かって艦首を向けた。個体の持つ巨大な体が徐々に、徐々にではあるが近づいてくる。

 一方甲板では、個体捕獲のため慌ただしく作業が行われていた。高高度の気温と気圧、酸素濃度に耐えるため、甲板員は圧搾酸素筒を背負い、電熱服を着込んで各種機械を操作する。その機械の一つから、人間の可聴域を超えた音が断続的に発せられた。――これは識別信号と呼ばれる彼女達が用いている仲間同士であることを知らせる鳴き声を機械的に再現したものだ。
 その声を聞いたのか、個体はゆっくりと速度を落とし、私達の乗る彼女と並走を始めた。かなり大きい。機関とするならば大型主力艦クラスの良好な個体だ。
 個体も物珍しいのか、煌々と輝く巨大な瞳で持って興味有りげな視線をこちらに向けてくる。最近では接近すると怯えて逃げていく個体も多くない。他の連中がやっている荒々しい”狩り”を考えれば仕方のない事だろう。これから目の前の個体に待ち受ける未来にほんの少し、心が傷んだ。

 しかし、私が考えてもしようのないことだ。

 私は帝国軍人。帝国を動かす歯車の一つに過ぎない。帝国の未来栄華の為、貴方の命を、――力を。我々にお貸し下さい。

「艦長、個体の捕獲準備が完了しました。ご命令を」

 心の奥で祈りを捧げる私を副長の声が現実へと揺り戻す。さあ仕事の時間だ。

「直ちに個体を捕獲せよ。個体の損傷は厳に慎むように。これはドクトルからの最低限の要求だ」
「アイサー!捕獲銛発射!」

 副長が伝声管に向かって叫ぶ。

「アイサー!捕獲銛発射します!」

 後部甲板上に搭載された火薬式発射器が大型の銛を4本撃ち出した。個体の各部に銛が突き刺さり、銛から伸びる鎖が個体と彼女とを繋ぐ。
 個体が痛みに驚き、体を歪ませたのもつかの間、個体はその大きな瞳を閉じ、動きを緩慢とさせ、遂には空をゆっくりと揺蕩うのみとなった。

「個体の休眠を確認。曳航準備にかかります」

 そう、銛に仕込まれた特殊な酵素によって個体は強制的に休眠状態へと移行したのだ。高高度を常に飛行する”彼女達”は地上に降りてくることが殆ど無い。”彼女達”が眠る時は大空に身を任せ、漂いながら眠る。
 捕獲銛が巻き上げられ、平甲板となっている後部甲板に個体の体がゆっくりと近づき、寝かされる様にして載せられた。甲板員と航空作業員が縄と小型作業艇を駆使して手際よく個体を船体に固定してゆく。

 さあこれからが大変だ。”彼女達”は万が一にも墜落することのないよう、休眠中の場合は浮力を一定に保っている。通常、帰路は彼女の浮力を落として重力に従って降下してゆくのだが、この場合個体の浮力が大きいため、彼女の浮力を一度完全に切る必要があるのだ。そうして重量で浮力を打ち消しつつ降下するのだが、機関出力を最小にまで絞っているおかげで舵の効きは最悪と言っていいほど鈍重となる。もし敵に発見されてしまうと、ただでさえ回避が覚束ない状態の上、機関の出力を上げると降下がままならなくなってしまうのだ。そうすると個体を泣く泣く投棄する羽目になる。それだけは避けたいものだった。

 帰路を定めるため、慣性航法装置の持つ位置情報を元に、歯車式大型蒸気演算機がけたたましい金属音と駆動音を鳴り響かせる。解析機関とも呼ばれる電気に依らない演算機は電子技術に劣る帝国にとって生体機関とともに必要不可欠な技術の一つだ。複雑に絡み合う気流の隙間は一度見失えば再び見つけるのは非常に困難である。そうすれば気流の荒波にその身を投じなければならない事態に陥ってしまうのだ。気流内航行は元々高高度を飛ぶ”彼女達”を機関とする本艦では少々厳しい。そして気流の中は奴らの縄張りだ。

 無事帰路が定まり、私達と個体を載せた”彼女”はゆっくりと予定航路を辿る。ここは”彼女達”の故郷だ。これから向かうのは私達の故郷。砂塵と排煙、悪臭と汚物に塗れた人類の愚の象徴。”彼女”にとっては居心地の悪い場所だろうが我慢してもらうしか無い。

 そして私達は”彼女”と共にまた此処に戻ってくるのだ。かつて、”彼女達”が傷つき弱って地上に堕ちた時、”彼女達”を助け、その大きな背中に乗って青空を初めて目に焼き付けた私達の祖先と同じように。本当の空を知るために。大空を駆けるために。

 艦長として部下に安全に帝都まで辿り着ける様指示を度々出し、本艦が無風空域に差し掛かったちょうどその時、――私の耳に高らかに、それでいて何処と無く可愛らしい声が聞こえてきたような気がした。




 ――帝国で大成した艦長の殆どは、自らが指揮する彼女から聞こえる、他人には認識できない少女の声を耳にした。そう、帝国の船乗り達は語り継いでいる。
最終更新:2014年05月05日 20:49