凡人達の哀歌

 ダッカーの貼視孔から見える視界は、大してよくない。狭すぎるから、悪いと言ってもいいぐらいだ。
 でも今は交通事故の心配だけはない。だだっ広い砂漠を、俺のダッカーだけが走っているからだ。
 唸りを上げるトラクトル・エンジンの声に混じって、また背後から遠雷の様な音がする。今度は何がやられたのだろうか。俺に今できることは、ハンドルを握って前を見ながら、限界の速度で走るダッカーの履帯が外れないように繊細な運転をすることだけだ。
 北へ向かって。そう。主戦場とは、逆の方へ。
「まだ追っ手はかかっておらんようだな」
 銃手席のハッチから身を乗り出したラツキ大佐が、呟くように言った。ダッカー、というか戦車というのは走行中、履帯から出る金属音とエンジンの駆動音で、ひどくうるさい。だから、ラツキ大佐は聞こえていないつもりだろう。けれども、乗り慣れた俺にはちゃんと聞き取れる。大佐の独白で、ようやくこの“連絡任務”が嘘だと確信が持てた。
 ラツキ大佐の手には、拳銃が握られている。出撃前に、俺の相棒を引きずり降ろし、そして俺を北に走らせている暴力の権化だ。エングレーブなんか施してある辺り、癪に障る。でも、その銃口から銃弾が出ることには変わりない。


 俺のいたゲネー要塞は、砂漠という海に浮かぶ小島みたいなところだった。何か古い時代の、よくわからない建物の廃墟だったのだが、掘り起こした地下室に水が溜まっていて井戸を作れたから、そこに集落ができたんだそうだ。そして、南から帝国の連中がやってきたから、軍隊が居着くようになった。村落の名前だったゲネーを、そのまま取ってゲネー要塞という名前になったけれども、実態としては廃墟の頑丈な部分を中核に銃座や砲座を設けただけで、素人眼にも射界に死角があるひどい代物だった。
 過去形で言っているのは、たぶんもう、ゲネー要塞も、ゲネー村も、無いと思うからだ。
 帝国の空中艦隊が接近している事が分かったのが、四日前。通報を聞いてやってきた連邦の空中艦隊が要塞の傍を通ったのが、二日前。その二日前の夜に、南の空で遠雷みたいな光と音が激しく起きているのを、要塞と村にいる全員が見ていた。そして昨日の朝、帝国の艦隊がやってきた。シヴァ級を連れて。
 シヴァ級を、なんと言えばいいだろうか。縦向きにしたハーモニカみたいな奴だ。でも、そいつが出すのは音色なんかじゃない。馬鹿でかい砲弾だ。人間どころか建物だって一発で消し飛んじまう。それを何発も持っているのだから、ゲネー要塞みたいな名ばかりの要塞じゃあとても持ち堪えられないのは、誰にだって分かった。
 帝国艦隊の司令官は、要塞に降伏勧告をしてきた。一日待って、降伏しなかったら殲滅する。降伏したら命までは取らない。
 要塞司令のケレンクス将軍は、降伏するふりをして打って出る作戦を考えた事を俺達に告げた。誰も表立って反対しなかったけども、嫌なのは雰囲気で分かった。どう言い繕おうが、卑怯な騙し討ちだ。
 ゲネー要塞にあったのは、ダッカーが十二輌、砲が故障して戦線から引き上げてきたデーヴァⅢが一輌、ディスガイア装甲車が五輌、戦線に補充として移動中だったトエイが三輌、倉庫で埃を被っていたヤグラが一輌。駐留の歩兵が一〇〇人。そしてあんまり頼りになりそうにない、要塞砲兵隊。最大火力は、据え付けてある十センチ榴弾砲だ。コンスタンティン級についてるのと同じだから、帝国の飛行艦相手になんとかなりそうな、そうでもないような、いまいち頼り切れない奴だった。
 頭数だけは立派だから、ケレンクス将軍もやる気になっちまったんだろうと、そう思う。訓示をぶっていたけど、あれは自分に言い聞かせていたんだ。


 諸君! この要塞は設立以来経験したことのない未曾有の危機に晒されておる!
 しかし、よく考えてみたまえ! なぜ帝国の連中は、すぐに攻撃してこないのか!
 それは、連中はここの水場が欲しいからだ! 攻撃して、この要塞が崩れるようなことになれば、水場を元に戻すのに時間も労力も必要だ!
 巨砲で脅し、あわよくばタダで水場を手に入れようと考えておるのだ!
 しかし、ここは帝国の土地ではない! 盗人にタダでくれてやる謂われはないのだ!
 だが、諸君! 戦うにしろ、ここで座して帝国艦と戦うのは得策ではない!
 連中の火力は侮れぬ。いや、敵にしては立派なものだと言っておこう!
 敢えて言う! 我々は火力では連中に比肩しえない!
 しかし、諸君! 我々、連邦軍は火力で勝る帝国にどう対抗してきたか、思い出してもらいたい! そう、機動力だ! 我々は足の速さで、愚鈍な帝国に勝ってきたのだ!
 幸いにして、ここには快速を欲しいままにしているダッカーが十二輌もある!
 これをもって機動戦を挑むのだ!
 降伏を受け入れるよう言えば、連中は必ず占領の為に歩兵を降ろすだろう!
 その隙を突いて、降下した帝国艦に電撃的に接近して攻撃をかける!
 我々が勝つには、この方法しかない!!


 伍長の俺が聞いていても、嫌になってくるぐらいの内容だ。将校が聞いたらどれほどのものだろうか。要塞参謀長のラツキ大佐がこういう行動に出たのは、つまり、そういう事だろう。
 ケレンクス将軍の目論見通り、降伏勧告受け入れの返事を受け取った帝国艦は地表に降下して歩兵を降ろし始めた。但し、当然だがシヴァ級は浮かんだままだ。下手な事をしたら巨弾が飛んでくるのは、オデッタ人にだって分かる事だった。
 そのまま、本当に降伏していたらどれほどみんな幸せだったろう。
 ケレンクス将軍は、帝国艦隊には武装解除の為とか言って俺達の車輌を整列させていたけど、あんな風に並ぶのは閲兵式以来だった。将軍としては突撃の為に並べているのであって、当然、武装解除なんかする気は無いみたいだった。俺のダチのダッカーを指揮戦車に指定して、その後部に陸軍旗を持って乗っかっていた。
 そんな時だ。参謀長のラツキ大佐が、俺のダッカーに近寄ってきて『連絡任務があるから乗せろ』と言って来たのは。
 銃手の相棒は、てっきりケレンクス将軍みたいに乗るんだと思って『後ろが空いてますから、どうぞ』なんて言ったんだが、それを聞くなりラツキ大佐は相棒の胸ぐらを掴んで、喉元に拳銃を押し付けて『そこをどけ。お前が降りろ』と言い出した。そんな事をされたら、もう軍隊の命令とかそういう次元の問題じゃない。相棒はクルカでも飲み込んだみたいな顔でダッカーから降りていった。
 俺の隣に座ったラツキ大佐は、拳銃をちらつかせながら俺に言った。
『将軍が突撃を命令したら、北に走れ。これは極秘の連絡任務だ。儂は陸軍司令部に行かねばならん』



 真っ平らだった砂漠に、ちらほらと岩の影が見えてくる。ゲネー要塞の回りは礫砂漠だが、少し走れば岩石砂漠に変わる。ここから先は、障害物走みたいなものだ。
 俺は、自慢のハンドルを操作しながらダッカーが走りやすい地形を選んでいく。本来、ダッカーは左右の操縦桿を使うのだが、それが性分に合わなかった俺は、この愛車をハンドル式に改造してしまった。
 ラオデギア出身の俺は、都会ッ子らしくアマチュア自動車レースに出るのが趣味だった。親には家に金を落とさないだの無駄使いだの、なんだかんだ嫌みを言われ続けていたが、自分で調整した車を転がすのは最高だった。陸軍に召集されてなければ、今でもやっているだろう。一応、そういう経歴を鑑みてもらってダッカーを転がしている訳だが、最初の頃、速さはとにかく操縦桿での運転はとてつもなく不愉快だった。だから、整備兵と結託して特製の操舵装置を作り上げた。ハンドルの角度で左右の履帯速度を変化させられるという優れものだ。ハンドルは、最初のうちはディスガイア装甲車の補用部品からちょろまかしてきたが、そのうち我慢できなくなって、休暇で実家に帰った時に俺の愛車から外してきたハンドルを取り付けた。今握っているのが、それだ。
「おい伍長、まずいぞ!」
 ラツキ大佐が急に声を張り上げた。嘘を吐いて敵前逃亡するよりも拙い事があるなら、教えてもらいたい。
「コアテラだ! 帝国のコアテラがこっちに来る!」
 ひどく拙い事だ。嘘を吐いて敵前逃亡しても、まだ言い訳のしようも無くはない。大佐もいることだし、弁解のしようでは銃殺じゃなくて営倉入りで済ませてもらえるかもしれない。だけど、コアテラは俺達を殺しにきている。今更、ダッカーで逃げた俺達を捕まえて捕虜にするなんて考え、エゲルで水を探すようなもんだ。
 どうして見つかったんだろうかと少し考えたものの、よくよく思えばダッカーを砂漠で高速運転すれば嫌でも砂煙が巻き上がる。まして、目ざとい奴だったら騙し討ちと同時に北へ逃げ出したのが居ることぐらい、すぐに分かるだろう。今更になってやってきたのは、後になって料理できると考えたか、それとも俺達の戦友は存外持ち堪えて帝国艦隊を手こずらせたのか。俺のダッカーがそこに加わったところで勝てたとも思えないが、俺の良心は酷く痛んだ。
「もっと速く走れんのか。追い付かれるぞ!」
「これが精一杯であります、大佐」
 平地を走るダッカーでコアテラから逃げ切るなんて、スカイバードに石を当てようとするようなものだ。あっちは空を飛んで一直線にこっちに向かってくるし、ダッカーより速い。その一方で、こっちは平地を走っているとは言っても、でこぼこしている中から速く走れる地形を選び取って走っていかなけりゃならない。俺に路外レースの覚えがあると言っても、コアテラを騙せるような地形でもなけりゃあ絶対に追い付かれる。
 隣に座っているのがラツキ大佐じゃなくて、相棒だったならコアテラから逃げる事なんか考えなかっただろう。俺の運転技術と相棒の銃撃で、いつも危機を切り抜けてきた。でもそれで今日で終わりになる。相棒は、たぶんもう死んでる。俺も、このラツキ大佐が乗ってるせいでコアテラに対抗できず死ぬ。あの時、二人揃ってラツキ大佐に刃向かって撃ち殺されていた方が、死に方としては綺麗だったかもしれない。だけど、俺も相棒も、ただの人だった。目先で生き残れる方法を考えるのが精一杯の、ラツキ大佐と同じ俗物なんだ。
 でも、潔くない行為には報いがある。俺の婆さんは、俺が幼い頃からよく言っていた。
『スカイバードさまは、全部見ているよ。悪いことをしたら、スカイバードさまの使いがやってきて、罰を与えるんだよ』
 悪ガキだった俺は、それを単に脅し文句だと思って無視していた。でも、婆さんは孫の俺に甘く、自動車レース狂いも笑って認めていてくれたから、なんとなく、婆さんの言うことは尊重するようになっていた。
「うっ……」
 俺は、急に頭痛と目眩がしてダッカーの速度を落とした。隣でラツキ大佐が怒鳴っているが、耳鳴りがして聞き取れない。
 貼視孔から見える視界がぼやけて、別のものが半分重なる様に映り込んできた。
 なんだろう。緑色の箱が、砂煙を立たせながら動いていて、それを追っている視点だ。その緑色の箱から、人間が上半身を出していて、そしてそいつは何か腕を突き出している格好だ。
 俺は頭を振って意識をはっきりさせようとした。二重になっていた視界が元に戻って、いつも通りのぼろっちいけど頼りにしてきたダッカーの中が見える。
 もしや、と思ってラツキ大佐の方を見ると、後ろを向いて拳銃を空に向かって構えている。さっきの良く分からない視界に映っていた人間は、どうやらラツキ大佐で、緑色の箱は俺のダッカーだ。そうすると、あの視界はコアテラから見た俺達なんだろうか。
 なんでそんなものが見えたのか、俺には分からない。ただ、視界から見えたダッカーはだいぶん大きかった。あれが現実だったとしたら、たぶん、もうコアテラが持っている噴進弾の最大射程には入っている。無駄弾を撃ちたくないから、まだ撃たないだけだ。
 俺は、ハンドルを握り直して落としてしまった速度を上げていく。追い付かれるのは必至とはいっても、それは遅い方がまだいい。簡単に格好良く死ねるぐらい潔いなら、ラツキ大佐の言う通りにしてない。
 隣で乾いた音がした。焼いた豆が爆ぜたような音が連続して鳴っている。たぶん、大佐が拳銃を撃ったんだろう。ダッカーの二十五ミリ機銃と比べたら、オモチャみたいな音だった。
 そうしたら、また頭痛と目眩、耳鳴りがしてさっきと同じ様に視界が二重になった。ラツキ大佐であろう人物の突き出した手元が、ちかちかと光っている。拳銃を撃っていることは、二重視界のこっち側でやっている事だから理解できた。あっち側の視界が本当にコアテラからのものだとしたら、コアテラに乗っている奴はラツキ大佐の行動をどう思うだろうか。
 小癪だな。
 唐突に、俺はそう感じた。でも、俺が小癪だと思う理由は無い。無駄な抵抗をしているラツキ大佐に同情とか哀れみとか、こんな状況に追い込んだという類の怒りを感じこそすれ、どうして小癪なんて思う。
 憂さを晴らしたい。
 これは、一体誰の感情なんだろう。とてもイライラしている。俺だってイライラしているが、それは生存に向けてのもどかしい努力が実を結ばない事に対するイライラだ。でも、この感情の持ち主は余裕がある状況で思い通りにならなくてイライラしている。なんでそんな事まで、俺に分かるんだ。それは分からない。
 あれを潰す。
 もしかしてこれは、コアテラに乗っている奴の感情なんだろうか。そうだとすれば辻褄は合う。合うけれども、なぜそれが俺に伝わってくるのか。そして、仮にそうだったとしたら、俺にコアテラの操縦席周りじゃなくて、素通しの、空を飛んでいる視界が見えているのは、なぜなのか。
「おい伍長! 何をしておる! もっと速く走れ! もっと速くだ!」
 俺は気分の悪さと、そして不可解な現象のせいでまともに運転できなくなっていた。ラツキ大佐にどやされるが、どうしようもない。重なった視界の中で、煙の尾を引く何かが、緑色の物体に向かって放たれるのが見えた。あれは噴進弾だ。あれはダッカーだ。それは分かっていても、俺はどうしようもなかった。ただ、流れ込んでくる感情と、そして記憶に押し潰されて身動きが取れなくなっていた。
 雲海を、ひたすらに広大な雲海を飛んでいる。空は藍色で、きらめく星が見える。セレネとメオミーが見える。
 そうか。スカイバードだったのか。帝国は、よりにもよってスカイバードを。なんてことをしているんだ。
 彼女への仕打ちに、俺は強い怒りを覚えた。その瞬間、俺の愛車はコアテラの噴進弾で吹き飛んだ。ラツキ大佐の間延びした悲鳴が聞こえる。空中でダッカーは引っ繰り返って、空に腹をむけた状態で落ちていく。ああ、こりゃあ、潰れて死ぬな。
 実際、俺はその様にして死んだ。



 潰れて炎上したダッカーの傍に着陸したコアテラから、操縦士と銃手が地面に降り立つ。
「ひでえ臭いだよな、人が焼ける臭いってのは……」
「ああ……。こればっかりは慣れねえ」
 二人共、航空マフラーを口元に寄せてマスク代わりにしながらダッカーに近寄るが、火勢が強く大して近寄れない。
「要人が乗ってるかもしれないって話だったが、やっちまったな」
「いいだろ。どうせ逃がすぐらいなら殺せって言われてたんだ」
「馬鹿、重要な書類の一つでも見付けたら手柄になるだろ。それか、高級将校を捕まえるとか」
「どっちも、燃えちまってるよ」
 操縦士は腰に手を当てて、呆れた様にため息を吐いた。そこに、銃手が声をかける。
「だけど、さっきはやけに生体機関の調子が変だったじゃねえか。機嫌がよくなったり、悪くなったり。いつもはちゃんと手懐けてるのに」
「さてなあ……。こいつら、拳銃なんか撃ってやがったから、もしかしたら一発もらってるかもしれん」
「だとしたら、そのせいだ。一回、被弾痕が無いか点検してみよう。帰りに臍を曲げられちゃ困る」
 二人は燃えるダッカーを後にして、コアテラを調べて回った。しかし、撫で回す様に触って調べていっても、拳銃弾の命中痕どころか石がぶつかった形跡すら無かった。
 首をかしげながら顔を見合わせた二人は、どちらともなくコアテラに乗り込んだ。
「……それにしても、よく拳銃を撃ってたなんて分かるな? 照準望遠鏡で狙ってる俺でも分からなかったのに」
 思い出したかのように銃手が言うと、操縦士は複雑な表情で一言だけ『なんとなく分かったのさ』と、呟く様に言った。
 銃手は納得しかねた様子だったが、それ以上追求しなかった。
 コアテラが飛び去り、あとには炎上するダッカーだけが残った。


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最終更新:2018年02月17日 15:35