Losta Pandora Data>03L

 
 目覚めた時には、周りにたくさんの人がいた。
 目覚めた時には、目の前にひとりの女性がいた。
 目覚めた時には、自分が誰か分からなくなった。
 目覚めた時には、何のために生きているのか分からなくなった。
 
 ぼくは、いつ目覚めるのだろうか。
 ぼくはだれなのだろうか。





 
「メドゥム、本当だろうな」

『ああ、C-6-5に動きありだ。急がないと手遅れになる』

 手を伸ばせば薄闇に溶けてしまいそうな通路を慣れたように走り抜ける。

「そっちからは何がどう見える?」

 通信機の向こう側に問いかけるその声は、焦りも息切れも感じられない。

『ダメだね、やりあってる光景しか見えない』

「あいつは?」

『見えない、けど多分まだ来ていないはず』

 斜めに掛けていた長物を右手に握り、目的地へと向かい続ける。

「一人頼めるか」

 壁を蹴り、運動エネルギーを強引に変更しながら道を曲がる。

『分かった。僕が言えることじゃないけど、気を付けて』

 ノイズと共にリンクが切れた。それにとって代わるように耳障りな高周波が聞こえてくる。


「……ジュラの奴、ちゃんと帰るだろうな……」

 誰に言うでもなくそう呟きながら、ルランは道を左に曲がった。音源のある場所に近づいていることは明白だったが、僅かながらその音は左に偏っているように思える。
 視界の効かない通路を往くには危険な速度を、これまた危険なほどに強引に地面との摩擦で相殺する。彼が狙った通り、十字路の合流地点手前でその身体は停止した。

「……メンフィス、サンスクチュアリェ。いつものパターンか?」

 顔だけを通路に出して様子を伺ったところ、ルランはそんな感想を抱いた。
 が、いつものと決めつけるにはその数は多く、そして組織立っているのもまた理解していた。誰かが統制している、つまりはアイツしかいない訳だが。

「クソ五月蠅ぇな。十体以上いるとここまで耳障りになるんか」

 戦闘距離が長いのか、旧兵器らが攻撃している目標が見えない。赤褐色のサーチライトが大部分で、攻撃している個体はまだ少ないことからもその距離が分かる。カメラで視認できなかった時点で予想はしていたが、やはりいつもと様子がおかしい。ここまで距離を取って戦う必要があるのだろうか。

 そこまで思考したところで、ルランはいそいそと戦闘準備を始めた。

「数がねぇから使いたくなかったが……これだけ相手に真正面はリスキーだからな」

 ぶつぶつと独り言をつぶやきながら、十数分前にトラップに差し込んだプラグを、右手に持っている銃器のそれに差し込んだ。改良なのか改悪なのか判断付かぬ外見のそれが小さく唸り声をあげ、フレームから漏れる光が赤色から橙、そして青緑色へと転換していく。

 それを見届けると、ルランは腰元から円筒型の物体をもぎ取った。左手の中で幾つか操作されると、先端部が赤く点滅し始める。

「三……二……それっ」

 それを手の内で調理した後に旧兵器群に放り投げると、こちら側に三体ほど反転してくる。
 鮮やかな赤いサーチライトがルランを照らしているが、彼はそれを一瞥するだけで、上に向かってライフルらしき武器を構えた。照準の先には妖しく光る眼が浮かんでいる。


「お前は一人で助かったよ」

 そう言いつつ引き金を引くと、爆発と区別が出来ない轟音と共に彼の肩が勢いよく仰け反った――地下の湿った空気を震わせるその中心はルランではなく、先程の円筒形の『なにか』であった。


 
「……熱っつ!」


 数秒ほどの僅かな沈黙の後、服の裾が焦げ始めていることに気付き慌てて叩き消す。そんな無防備な彼を狙うものは既におらず、駆動部から青白い閃光のショートをひり出すのに忙しそうだ。

 それをもう一度確認してから、ルランは死骸の中を駆けだした。通路の途中に突き出た眼に親指を立てながら、しかし両目は何かを探すためにあちらこちらに視線を配っている。

「生きてるかー?」

 間延びした声で呼びかけながら通路を走る。旧兵器と勘違いされて撃たれでもしたら堪らないからだ。

 ただ、突然現れた見知らぬ人物を信用するかにおいて、その配慮は効果を表さないだろう。

「……生きてたか」

 壁の建材が焦げ付く臭いが鼻を突く部屋の暗がりに、旧文明の残滓を再利用した光がオリエント海のサリパタルのようにぼんやりと浮かんでいる。

「…………パンドーラ隊?」

 影から声がする。不安そうな震えはあるものの、冷静さは残っているようだ。

「安心したか?」

「……何処の部隊ですか。この区域にいる部隊に居た顔じゃない」

「後で答えてやるさ。お仲間さんが集まってくる前に移動しないと不味いの分かるだろ?」

 ルランの言葉に、声の主が暗がりから姿を現した。

「へぇ、珍しいな」

 出てきた人物の外見は、ルランの四、五歳ほど下と推察できる、若いながらも死線は超えていると実感できる目付きの男だった。が、彼のような隊員はさして珍しいものでは無い。
 彼にとって意外だったのは、生存者が二人だということだった。大抵撤退するときはリスク分散の為に一度部隊が解散し、あらかじめ設定していた場所に合流するはずなのだが。

「…………」

 男の後ろに居るのは、凄まじい目つきで睨みつけてくる女性で、今なお肩にはストレイ筒が構えられている。人差し指を動かせば、彼の身体は弾けて通路を飛び跳ねることになるだろう。

「そこまで不審な人物か、俺」

「……」

 研いだばかりの刃物のように鋭い視線が通路の向こうに移動する。

「ジャスタ?」

 男が視線をルランから外さぬまま問いかける。よくもまぁ見ずに連携できるもんだと感心しながら、

「話は後さ、お嬢ちゃんも気づいているなら付いてきてくれるよな?」

 そう言い残しつつ歩き出した。後ろを見なくとも、しっかりついてきてくれるのは分かっていた。
 それほどに彼女の――ジャスタと呼ばれた女性の眼光はきつかったからだ。
 








 
「ルランだ」

 小走りと言える速さで進みながら、慣れたように自己紹介を始める。

「ミーラです。ミーラ・ミステリエス。こっちはジャスタ・ハリスと言います」

「……勝手に紹介すんな」

 背後から聞こえる声に、ルランが少し驚いたような反応を返す。

「ミステリエス?」

「はい。何か?」

「いいや……」

 少し遅れた速度を戻しつつ、崩れた足場の下に飛び降りる。

「……昔に似た名字の奴がいてな、そいつを思い出しただけさ」

「そうですか」

 大の大人で三人分はあるであろう高さだが、誰も物怖じすることはなかった。

「……ジュラは、いねぇか」

「ジュラ? 彼を知っているんですか」

 息を荒げることも無くミーラが尋ねるが、ルランは彼に視線を合わせることすらしなかった。じっと床を見渡し、均一な無機質さの中に何かを見出そうとしている。

「同じ部隊か?」

「いえ、ここの区域に先行している部隊のリストに名前がありまして。本来ならこの付近で合流する手筈だったのですが、未だ発見できず探索していた際に……」

「成る程、災難だったな」

 よく人の顔と名前を覚えられるもんだと思いながら、目的のものを見つける。
 本当に薄く積もった塵の中に、ブーツの痕が残っていた。が、違和感がある。単に地図の読み違えか――――何かに道案内でもされたか。

「……取りあえず急ぐぞ。現状を纏めるのはそれからだ」

「はい、付いて行きます……でも、何処に?」

「着けば分かるさ、きっと気に入る」

 迷う仕草すら見せずにルランは通路を進む。この暗さの中ではジュラのブーツ痕が何処に向かっているのかを辿るのは難しい以上、先に戻っていることを信じるしかない。


 どうしようもなくまとわりつく不安をかき消すように、ルランが話し始めた。

「……俺達はな、ロスタ・パンドーラだ」

「ロスタ……行方不明の部隊、ですか」

「あいつらの攻撃、地盤の崩落、その他予想外の障害。理由はごまんとあるが、何であれ地上に戻れなくなった奴らのことだな。初期の帰還率の低さは知っているだろ?」

 その問いに、ミーラが何処か悲痛そうな表情を見せた気がした。

「はい、良く知ってます。先人たちの犠牲のお陰で安全な行動が確立されていったのも」

「だがな、全員が全員くたばった訳でもない……生き残れる方が珍しいが、それでも運の良い奴ってのはいるもんさ。逆かもしれねぇがな」

 一段と道が暗くなる。そこは全ての生命線が途切れた区画だった。
 手元の明かりだけが頼りになる。

「あいつら……いや、俺達は後者だ。飯と水にありつけて、比較的安全な区画を占拠して、死にかけているが死んではいない状態さ」

「口を出すのもあれですが、後ろめたい皮肉は言うべきじゃないと思いますよ」

 ミーラがルランの隣に並ぶ。ジャスタは相変わらず獣のような視線を送ってくるものの、それが彼女の警戒の仕方であると何となく察することが出来るようになった。
 しかし、こいつ。

「……血は遺伝する、か」

 ルランの目には、ミーラと重なるようにもう一人の人物の影が映っていた。

「ルランさん、何か……」

 そう言いかけた時、全員の脚が息を合わせたように止まる。


 各個人から放たれる光の他は全て、息をひそめているかのように暗闇と静寂がこの場に広がっている。他の区域でも言えることなのだが、ここは恐怖が闊歩する場であった。尚更強大な、立ち向かうことが出来るのかすら怪しい恐怖が。

「…………どっちだと思います?」

 ミーラが風のように微かな声で訊く。声帯を使わずに会話するのはこういう場合においてよくあることだが、ハッキリ言ってしまえば気休め程度にしか効果が無いことである。
 
 ミーラのいう「どちらか」という問いに、ルランは心当たりがあった。
 聞こえた音は、旧兵器の出すそれでは無い、人間が歩くような音だったからだ。

「……メドゥム」

『……どうしたんだい』

 何か言いたげにしながら声には出さなかった通信の向こう側は、いつも通りの彼の声ではないと認識したようだ。

「あいつは確認できるか」

『待って…………居た。B-4-4だね。遠くは無いけど、接触する可能性は低いはず』

「もう一つ、ジュラは帰ってるか」

『いいや、まだだね』

「決まりだ。向かわせてる奴はこちらに回せ。合流し次第俺はジュラを探しに行く」

『え、ちょっと』

「新しいお仲間は二人だ。到着したら情報聞きだしといてくれ」

『待ってよ、どうして』

 一方的に通信を切った。時間が無い。

「ミーラ、ジャスタ。怪しいと思ったら迷わず撃て」

 それほど大きい声では無かったのに、二人が極度に反応した。それほどに静寂が身に凍み、金属とも靴とも取れる床を叩く音は神経を逆撫でさせているのだ。

「どういう意味ですか?」

 それこそ消えそうな声でミーラがささやく。

「ヒトじゃない、そう思ったらためらうな」

 ルランが闇の先から視線をそらさず答える。


 怪しいと思ったら。ミーラにはそう言ったものの、ルランには確信があった。
 太古の文明の生き残り。何度も見かけた「出来損ない」。
 
 彼の目に、闇のまた闇から顔を出す「それ」が見えた。
最終更新:2018年04月08日 20:53