割り当てられた偵察地点が広すぎて、誰の無線も聞こえてこないのはいいことだ。
仕事に集中できる。
溜息。
僚機がいない。
私は慣れているが、他のものは困惑している。
開けた空間に、足りない人員。
多大な戦闘偵察機の犠牲の上に積んだ勝利なのに、勝利を活かせないとは。
戦闘偵察機を失ったからこそ、勝利を活かせないのだろう。
ヒグラート渓谷から帝国軍を撤退させたというのに。
溜息。
今日はスカイバードが窓の横を通り過ぎていった。
運がいい。
あいつのことを思い出してしまった。
スカイバードの眼の弟子。
艦ごとの人員整理の結果、艦内では一時的に私があいつのお守りをすることになってしまった。
空の眼と戦場の目がそう上手くいくものか。
とはいえ、あいつはまだひよっこだ。
確執など、知らないだろう。
溜息。
あいつが、キャノピーにスカイバードの絵を張っているのを見た。
「歌姫」を追いかけているのだろうか。
それとも、スカイバードの眼を、まだ追いかけているのだろうか。
あのふざけた態度の、戦場の目は死んだ。
だからスカイバードの眼になったのだ。
溜息。
普段の調子がやっと戻ってきた。
艦の整理が終わったころ、私の心の整理もついた。
空の眼は、無力だ。
鳥が死んでいくのを、ただ見ていることしかできない。
それでいて、私は彼らと同じように、空戦偵察章を下賜された。
溜息。
戦闘偵察機が補充されるまでは、私の仕事は増えていくはず。
広大なヒグラート渓谷の向こうを把握する必要がある。
整備員のおかげでガルダの調子は、いつも良好に保たれている。
暇になった整備員が、考えを中断させるように、空の眼のガルダを整備してくれるからだ。
入念に、真剣に、いつもなら二機を整備できる時間をたっぷりかけてくれる。
彼らは、自分たちが暇そうにしている理由を考えたくないのだ。
悲しみを忘却するには、彼らはまだ時間を必要とするだろう。
溜息。
初めてヒグラート以南の偵察が行われた。
残った戦闘偵察機を低空で囮にしながら、私たちはそれを見下ろしていた。
結果的に、戦闘偵察機が空中騎兵隊に食い殺されるということはなかった。
それどころか、対空砲の音一つしない無人の野が広がっている。
私たちが沈黙している間、敵はすべて撤退を完成させてしまったらしい。
近いうちに、連邦陸軍のお偉方の小言が舞い込んでくるだろうな。
溜息。
ヒグラート以南侵攻作戦は、予想以上に時間がかかってしまった。
我がエカルラードがヒグラートの直前に陣を張るが遅れたからだ。
連邦陸軍の補給物資を根こそぎ前線まで持ってきたのだから、許してほしいところだ。
といっても、連邦陸軍に貸し出す架橋艦の配備まで遅れては、申し訳が立たない。
溜息。
今日は、ガルダに付ける新型の撮影機材が到着した。
といっても、出力する画像の質が良くなっただけだ。
配置も配線も変わらず、換装はすぐに終わってしまった。
後部座席が配線だらけになり、人を乗せなくなったのはいつからだろうか。
空の眼という名前と引き換えに、私たちは独りになった。
これで、戦争が少しでも早く終わるだろうか。
溜息。
我がエカルラードは帰らなかった。
私は詳しいことを知らない。
ただ、新しい航空機を持ってくるより、今ある偵察機だけでも任務は達成できると判断したのだろう。
たしかに、敵が及び腰で、帝国偵察機の一つも見つからないこの状況では、機体の補充をする時間は無駄というものだ。
むしろ、新しい機体にエカルラードまで飛んできてもらうほうが、効率はいいのかもしれない。
それに、もうエカルラードは地に足を付けてしまった。
接地しているわけではないが、主機関を完全に停止して低空で係留状態となっている。
食料保存のための冷房がこの部屋まで回ってきて迷惑だが、現時点で陸軍を支える物資供給減はエカルラードしかなく、必然的に張り付けになってしまっている。
とにかく、連邦陸軍が急いで渓谷に架橋艦を乗り付けていたのを見る限り、連邦陸軍はやる気のようだ。
溜息。
偵察しか仕事がないはずなのに、とても忙しい日々を送っている。
溜息。
連邦陸軍の展開速度が速すぎる。
私たちの偵察した画像をもとに、行けるところまでは補給も無視して進んでいるらしい。
無茶とも思ったが、敵ができる限り戦線を下げている状況では、こういった拙速が戦況に寄与するのだろう。
溜息。
おかげで、私は撮影機材を抱えてエカルラードと前線を行ったり来たりしている。
休みなどない。
荒野を撮って、撮って、撮って帰ってくる日々だけが続いている。
寝ることができるのは、日が没している間だけだ。
いつのまにか、エカルラードの整備場に最新鋭機が配備されていた。
戦闘機ではないようだったが。
あいつに聞いたら、これは戦闘偵察機であるということがわかった。
私の考えでは、これは戦闘偵察機ではない。
名目ではそうなっているが、戦闘のための機銃が心もとない。
腹を見ればバテンカイトスの刻印がされた鉄板が打たれていた。
だが、どこに刻印の鉄板を二つ重ねて打つものがいるだろうか。
誰かを欺くためにこの手法がとられたのかはどうでもいいことだ。
誰が犠牲者になるか、それが問題だ。
溜息。
一枚目の鉄板には「スパルナ」と書いてあった。
ビスを剥がして二枚目をみれば、ただの「新型戦闘機試作型」である。
紛れ込んで運ばれてきたのか、それとも慌てて試作機を出してきたのか。
おそらく後者だろう、でなければとっくに回収されているはずだ。
面白いことに、こいつは無線機を強化したもので、偵察機の数が少ない現状にうってつけの存在だった。
特に、戦場の目にとっては無線の良し悪しは命に関わるものであり、そういった意味でも彼らの役に立ちそうなものだ。
損耗の極端に少ないガルダが役目を終えるのはいつになるだろうか。
溜息。
敵の空軍は姿を見せない。
そのために、撮影機材の角度が徐々に垂直になっていく。
私としては、偵察の正確性が上がるので願ってもないことだ。
敵の取り残された陸軍と接敵したようで、連邦陸軍から敵の配置を知りたいとの連絡が多くなったらしい。
戦場の目が敵拠点の観測に駆り出されているが、それは戦術レベルでの話だ。
私は当然ながら戦略偵察を行うことになる。
地形をすべて丸裸にして、戦場の目に楽をさせてやる。
試作機で敵の対空砲と戦わせるようなことなどさせるものか。
敵が隠れていようが、分散していようが、集団で行動している限り、空の眼からは逃れられないことを教えてやる。
不穏だ。
今日はエカルラードで上級士官との会食に呼ばれた。
それ自体は珍しいことではないが、今回は毛色が違った。
臨時で恩給が支給されることになったからだ。
私だけではない。
このヒグラートに集結している空の眼が一堂に会して、全員が恩給を受け取ることになったのだ。
曰く、これは前払いであるということを強調していた。
明確な目的は口にされなかったが、司令官の言いたいことは十分に伝わってきた。
「連邦陸軍への監視を強化せよ」
敵の陸軍を、というわけではないことは誰が聞いても明らかだった。
たしかに、戦場の目にはできないことだ。
あいつらは任務の性質上、連邦陸軍に近付きすぎる。
それでは情が移ってしまうだろうし、地上のすべてを見渡せる存在でなければ、動向を把握することはできないというわけだ。
しかし、よりにもよって空の眼の全員に周知させるということは。
大戦略の一環に関わってくる話なのではないだろうか。
溜息。
空軍全体の動きが鈍いのと関係があるのだろうか。
先を行く連邦陸軍に追いすがろうという気概が感じられない。
むしろ、ヒグラートを勝ち取ったというのに、放棄したがっている気配まである。
私の考えでは、あまり考えたくないことだが。
連邦はヒグラートで勝てるとは思っていなかったのかもしれない。
あるいは、帝国がヒグラートから全撤退してしまうような状況を想定していなかったのかもしれない。
予測が当たっていれば、今ごろ本部の机は紙の山になっているだろう。
勝ったというのに、皮肉なことだ。
溜息
戦闘機がいない戦場は寂しく感じられてしまう。
今日も、大量の戦場の目が駆り出されている。
地上の様子しか映し出さない私の眼には関係のないことだが。
ただ、帝国軍地上部隊の活動は活発になっているのはわかった。
彼らは取り残されたのだろう。
だが、それでも必死に場所を移しながら拠点の再構築を行っている。
連邦陸軍と接敵している前線には、もはや小拠点やわずかな火点しか残されていない。
溜息。
そう報告したはずだったのだが。
連邦陸軍の足並みが乱れている。
連邦陸軍斥候部隊の作っていた拠点が火力でもって叩き潰されたという報告書が目に入った。
抵抗勢力がまだ火砲の戦線を押し上げてくるという事態に、連邦陸軍は困惑したらしい。
空軍が情報を秘匿しているのではないかということで、エカルラードで会談が開催された。
非番だった私が空の眼の代表として出席したが、いつもの会談で終わった。
連邦陸軍では戦場の幽霊が話題になっているそうだ。
詳しい情報は聞いていないのだが、とにかく怖い存在であるらしい。
ただし、空軍にも情報提供を求めているあたり、連邦陸軍の冗談ではなく、本気のようだ。
幽霊が見えるとしたら、戦場の目が捉えるだろう。
溜息。
そういえば、あいつの機体に、被弾痕と一緒にキルマークがついていた。
塗られたペンキを見るに、地上部隊の四、五人は血煙に変えてきたようだ。
初戦果のお祝いで、手作りの戦闘勲章が授与されていた。
私は手作りの勲章などもらったことがない。
それどころか戦闘勲章をもらったことがない。
何年、この機体に乗ってきただろうか。
ガルダには傷一つ付いたことがないし、ペンキの一筋も塗られたことはない。
だが、私は、飛んでいるだけで、特進級の勲章が机のなかに詰め込まれていく。
見渡す限りの青空という孤独を耐えることと引き換えに。
そこでは、生の喜びも、死の悲しみも存在しない。
平坦で、包み込まれて溶けてしまう空間だけがある。
この高さにいるのは、空の眼と、スカイバードしかいない。
溜息。
スカイバードに出会うと、あいつのことを思い出す。
スカイバードの眼のやっていたことを、あいつは引き継いでいる。
溜息
最近は高速戦闘艦が連邦陸軍の前線の近くまで出てくるようになった。
連邦陸軍のお守りをしているのだろう。
どういう協定を結んだのかは知らないが、敵陸軍への直接の砲撃はしていないようだ。
地上に残った爆撃跡の規模を見るに、爆撃を投射しているのは連邦陸軍だけだった。
あいつのように、機銃で人を薙ぎ払うようなことはあるだろう。
だが、戦闘行動の主体は連邦陸軍にある。
戦闘艦が前に出るとなると、それを守るために戦闘偵察機は艦に張り付くことになる。
戦場の目は、今後は戦闘も偵察もおざなりになってしまうだろう。
なんのために艦と戦闘偵察機を張り付けているのだろうか。
敵地上部隊への爆撃もしない、戦闘偵察機の行動を制限する。
とても非効率的だ。
溜息。
それのおかげで、あいつは自由行動が増えたようだ。
プロペラに内蔵されたアンテナの調子が悪いという話があいつの報告書から上がってくる。
バテンカイトスらしくない設計ではあるが、機能には期待できるし、実地試験でも一定以上の評価は下っている。
それでも不満があるとすれば、あいつのしたいことができないという意味なのだろう。
無線の距離を気にするものは多いが、一定以上の品質を求めるのは、あいつだけだ。
人の目しか持っていないのに、私の高度まで上がっては、スカイバードに付いて回っている。
戦場の目にとってのそんな贅沢は、こういった緩やかな情勢のときにしかできない。
あいにく、私が無線を付けるのは私の近くに「機体」が近寄ってきたときだけだ。
無線で心を通わせる必要性を感じたことはない。
スカイバードと同じ高度、誰よりも孤高の存在なのだから。
溜息。
戦場の幽霊の話が空軍にも周知されるようになった。
噂や出まかせではなく、本当に出るということらしかった。
連邦陸軍の前線では、敵の未発見拠点と鉢合わせするよりも怖い存在であるそうだ。
幽霊は「帝国砲兵の亡霊」と呼ばれているらしい。
会食で、連邦陸軍側の席は幽霊の話に席巻されていた。
空軍に被害が及ばないのであれば、別に私たちが気にする必要はない。
だが、そのせいで連邦陸軍の展開が消極的なものへ移行してしまっているのは問題であった。
結局は、交渉術でこちら側が上回った。
エカルラードが補給線の一端を握っているということが事態を有利に運んだのかもしれない。
戦闘偵察機を戦闘艦から剥がし、偵察強化に回すことを条件に、連邦陸軍の今のところの要請を跳ね除けることに成功した。
それにしても、我が空軍はそこまでして主力を前線へ送りたくないと見える。
空軍が一斉に襲い掛かれば、どんな拠点でも跡形もなくなってしまうだろうに。
だからこそ、連邦陸軍の鼻面を引っ掻くようなことをして、陸軍の仕事は陸軍でやるという言質を引き出したのかもしれない。
溜息。
戦場の目は、ひっきりなしに連邦陸軍のために飛び回るようになった。
戦闘機が戦闘面を肩代わりしてくれればいいのに。
そして、私たちも同様に、連邦陸軍を追って活動するようになった。
あまり動かない戦線を撮って帰っても意味がないとまで言われては、そうせざるを得ない。
むしろ、空の眼は動かない戦線のなかで、活発に動こうとしている連邦陸軍の動きを細かに撮影するようになっていた。
敵より味方を撮影した方が喜ばれるとは。
溜息。
敵陸軍の大拠点に向けて、連邦陸軍の補給線が地形に沿って長くなっていくのが見えた。
水路に流れる水を上から見たときのように、渓谷の上部でも低い場所を滑るように、人と物の列が流れていく。
そして、戦闘になると、地面が掘り返されて、煤で黒くなった地面が写真のなかを埋めていく。
定点観測の次の一枚で補給線がすぐに伸びている場所もあれば、何十枚もそのままとどまっている場所もある。
また、「砲兵の亡霊」のせいで補給線どころか前線集積拠点が食われてしまった場所も、二か所ほど表れているのが写真からわかった。
情報分析官の意見を参考にしても、砲兵をこの場所に配置するのには多大な労力がかかるというもので、普通ではあり得ない攻撃方法の選択であると判断することになった。
今後は、ありえない方法で補給線が食われるのは「砲兵の亡霊」のやったことにすればいいだろう。
私は、報告書にその旨を記載した。
本当に「砲兵の亡霊」がいると仮定すれば、の話だが。
溜息。
私の担当ではない戦闘地域では、自主的に拠点を放棄して撤退を始めた帝国軍の姿が散見されるようになったそうだ。
上手く行っているようでなにより。
こちらでも、比較的大きな小拠点が黒焦げになっている写真を何枚も収めている。
だが、中拠点はいまだ健在であり、大拠点に至っては傷一つ負っていない。
物資の入れ替えが激しく行われているのが遠目からでも理解できた。
敵の大拠点が現状維持で保っている理由を考えたとき、保守的な人間であれば、我々の行っている反攻作戦への反攻を画策しているとみるべきだ。
時間が経過するほど、反攻の確率は上がっていく。
上申したが、我が空軍の作戦に攻勢という雰囲気はないようだ。
わざわざ釣られて針を飲み込むことはないという結論だったが、果たして本当にそうだろうか。
不穏だ。
ここに揃っている空軍が、この作戦に乗り気でないような雰囲気に包まれている。
連邦陸軍との意思疎通が乖離し、どちらも独断での作戦を企画しているようだ。
負担はすべて戦場の目に負わされることになる。
溜息。
「砲兵の亡霊」の情報を集めていてわかったことがある。
運が悪いのだろう。
「砲兵の亡霊」は私の担当する地域に集中して出没することが判明した。
他の作戦地域に比べて戦線が停滞しやすい理由と一致していた。
補給線や拠点を防護していない横から殴られては、どの部隊も消極的になってしまうというものだ。
私の担当地域では、連邦陸軍からの要請で戦闘艦の支援砲撃も加わるようになった。
それは、戦闘偵察機が「砲兵の亡霊」を未だに発見できていないことで、契約の違約としてもたらされたものだ。
整備費、弾薬費はこちら持ち、戦果は連邦陸軍のもの。
私の知らないところで、空軍の誰かの大見得が失敗し、爆弾に変わっていた。
溜息。
戦闘艦を前に出したくない空軍の意志より、契約が勝る。
さすがに撃墜されるようなことはないが、対空榴弾で空いた穴を埋めるのに整備費用が余計にかかってしまうだろう。
ただ、そのおかげで無理やり拠点を潰すことができ、連邦陸軍の戦線は快調に伸びるようになった
どの進撃路の写真も、二日もすれば敵拠点は黒焦げになっているか、跡形もなくなっている。
最初からこうすればいいのに。
溜息。
あいつは忙しそうだ。
一度だけ受信機だけを起動したら、すべての回線が戦闘偵察機のやりとりで埋まっていた。
試作機のアンテナがうまく機能していると思う反面、仕事は増えてしまったのだろう。
戦闘艦の入り込めない地形に入ったり、貧弱な機銃で敵の拠点を脅したりと。
他の戦闘偵察機に比べて数は少ないが、あいつも機体に塗るペンキを増やしていた。
塗られたマークを見れば、最近は小屋を潰すようなことがほとんどで、あれからだいぶ期間が開いているのに、血煙はいまだ六だけ。
最初に何人も倒せたのは運が良かったと言っていたが。
手作りの勲章をもらったあの瞬間、人の内側を「見て」しまったことを後悔したのかもしれないな。
戦闘勲章は生温い赤色の感触をしていただろうか。
戦闘偵察兵が連邦陸軍の要請に応えて前線に出れば、当然そうなってしまう。
戦場の目への負担だけが増えていく。
溜息。
私の望む報告が上がってきたと思えば、もはや手遅れだった。
よくあることだ。
溜息。
帝国の強襲機の活動が活発になっているという一報が舞い込んできた。
それも連邦陸軍からだ。
戦闘偵察機を余計な任務に回していたから、このような失態を招いたのだろう。
相手をする敵の航空戦力もいないのに、出し惜しんでいたから。
私に人事権がないのが悔やまれる。
溜息。
発覚したのは、「砲兵の亡霊」対策で、各部隊が拠点火力を強化していたことに端を発する。
どこからともなく歩兵部隊が現れては拠点や補給線を襲撃していくという事例が私の担当地域で多数報告されてはいたことは周知の事実である。
だが、そのときは帝国の強襲部隊相手に善戦をしていたらしい。
襲撃部隊を追い返せると思った次の瞬間、帝国の強襲機が加勢して完膚なきまでに叩きのめし、形勢は帝国側へと急速に傾いてしまったそうだ。
これまでの報告で強襲機が出てきたことは一切なかった。
敵が上手く秘匿したのか、それともこちらが馬鹿だったのか。
どちらにせよ、連邦陸軍は襲撃部隊の第一波を跳ね除けたということだ。
加えて、「砲兵の亡霊」の砲撃にも耐えたというのだから驚きだ。
そこで彼らが目にしたのは、敵の強襲機だったそうだ。
敵の執拗な攻撃によって、拠点は崩壊してしまった。
たしか、ドゥルガといったか。
強襲「艦」と書き直すべきだろう。
それに制圧装備を搭載した発展機と歩兵が共同で突っ込んできたらしい。
拠点は壊滅したが、生き残りが事態を報告することに成功した。
以降、敵の強襲艦と歩兵の共同戦線は頻繁に観測されるようになった、ということだ。
一旦発覚してしまったので、隠す気が無くなったのだろう。
溜息。
ここで問題が一つ浮かび上がる。
今までの拠点襲撃や補給線襲撃の際に、「砲兵の亡霊」が現れたかどうかである。
情報分析官の情報では、すべての襲撃にたいしての「砲兵の亡霊」の貢献度は高くないという。
しかし、低くもないのだから侮れない。
もしかすると、歩兵を降ろした強襲艦が間接的に砲撃を行っていた可能性もある。
謎は解決されていないが、亡霊の実体が見えてくるような気はした。
溜息。
連邦陸軍の有利な状況で緊急会談が終わった。
戦場の目が強襲艦狩りを行うことで合意がなされた。
全体としての判断としては、多大な後手を選択した形だが、今できる対策としては悪くないものだ。
襲撃が強襲艦と、強襲艦の乗員によって行われていたということが発覚したわけだ。
もしかしたら、半年前の、会戦勝利直後の、複数の斥候部隊の消滅事件とも関わりがあるかもしれないと考えるだけで、とんでもない出費を帝国側に払わされていたと実感できる。
出血したのは連邦陸軍だけだが、彼らを守れないのは私たちに責任の一端がある。
しかし、こういった任務は速さに分がある戦闘機に任せたらいいものを。
またあいつらの仕事が増える。
人事権が欲しい。
いつまで高く飛び続ければいいのだろうか。
溜息。
強襲艦を発見する任務は、私たちにはできない仕事だ。
地上に近いものにしか、できない仕事だ。
スカイバードとすれ違った。
スカイバードの眼は、私と違って、あまねくすべてを見通すのだろう。
私にはできない。
神と同じ高さにいてすら、私は、ただの空の眼でしかないのだから。
私ができるのは、人々の営みの結果を外から眺めることだけだ。
溜息。
最近は前線が停滞しているようだ。
連邦陸軍の情勢は非常にまずいとみていいだろう。
空は私たちのものであるはずなのに。
私の目の前には、誰もいない大空が佇んでいる。
私が最前線だ。
敵のいない、大空の最前線。
受信機を動かせば、天気のいい日は、電波の強度があるあいつらの試作機の声がよく聞こえる。
強襲艦を見つけたがっているようだ。
駐機場でも見つけることができればいいのだが、あいにくと敵はそこまで不用心ではない。
私では、なにも助けにはならない。
溜息。
強襲艦狩りへの取り組みは積極的になっているものの、成果はいまだなし。
これは連邦陸軍と空軍の連携が上手く行っていないということを差し引いても、強襲艦の運用が巧みであると言わざるを得ない。
強襲されたという報告が上がってくるが、日付や時刻を参照して偵察画像と照らし合わせても、有力な情報は得られない。
確定したのは、敵がドゥルガと思しき「強襲揚陸艦」を使って地上部隊をこちらの近くまで寄せてきているということだけ。
相手が何機で構成されているのかも、構成単位が何部隊いるのかも不明。
お手上げだ。
運用方法から考察して、精鋭なのだろう。
我々の偵察網の間を縫った行動と、強襲艦だけでは成しえない火力と、姿を見せないで消える賢さを兼ね備えている。
強襲兵の管轄は陸軍、つまり歩兵だったということも判明している。
ドゥルガの管轄は帝国空軍だったはずで、それで歩兵が協力できているということは、私の忌憚ない感想を述べてしまえば、非常にうらやましいものだ。
溜息。
強襲兵の仕掛けはわかったが「砲兵の亡霊」問題はいまだ解決の兆しを見せない。
敵のドゥルガ発展機を見たというもののスケッチがここまでたどり着いたが、外側に付いているものは近接型弾幕投射装置でしかない。
これは瞬間的な火力を投射できる優れものだ。
ただし、見えない場所から拠点に何度も火力を叩き込んで壊滅させるような芸当は到底できない。
ドゥルガ発展機ができるのは、情報に照らし合わせれば、せいぜい強襲兵との共同戦線を張ったときの、直接の火力支援だろう。
証言では「馬鹿みたいな威力の、帝国特有の火砲から撃たれる砲弾が振ってきた」とある。
砲撃音も聞いているという部分からは、明らかにこれが亡霊などではないことがわかる。
やりようによっては、火砲を展開することは可能だ。
強襲揚陸艦の揚陸艦能に、歩兵ではなく火砲と砲弾を積んでいけばいいのだ。
火力を輸送できるのがドゥルガの強みだ。
戦車を空輸されて痛い目を見たのは、「渓谷の戦い」を経験した連邦陸軍がよく知っているはずだ。
とすれば、連邦陸軍もそれは考えているのだろう。
戦訓通りであれば、今でも空輸拠点から出撃した戦力の帰還時を狙うという戦法が有効なはずだ。
鈍足な戦車や火砲の帰還中を追いかけて逆襲することで、帝国の新戦法も長続きはしなかった。
溜息。
ところが、だ。
強襲兵たちは、成功、失敗に関わらず発展型ドゥルガに乗り込んで姿を消してしまうから捕まえることはできないとしても。
火砲に逆襲せんと砲撃の方角に向かったものたちは、なにも発見することができなかった。
何度も実行して、一度も敵の火砲の痕跡を捉えることはできなかった。
連邦陸軍の怠慢でなければ、撃ち殻さえ見つからないという状態はとても普通のこととは思えない。
これが「砲兵の亡霊」と連邦陸軍の前線で固く信じられ、恐れられているものの、掴みがたい正体だ。
敵の新兵器だろうか。
それとも、最初から火砲一式を埋めておいて、連邦陸軍が通った場所で最適な場所の火砲を引きずり出して砲撃しているとでもいうのか。
わからない。
敵の火砲の出所がわからない。
溜息。
待ち伏せ部隊がドゥルガの編隊を視認したという有力な情報が入ってきた。
戦線が完全に硬直してしまった連邦陸軍にとっては、空軍という後ろ盾よりも嬉しい一報かもしれない。
このままでは現場の士気が委縮し、戦線が崩壊してしまう危険性があると、会食で再三言われていた矢先の出来事だ。
詳細な形はわからないが、少なくとも強襲揚陸艦と確定した機体が八機編成で移動していたらしい。
こうなってしまっては、空軍も動かざるを得ない。
たとえ取るに足らないものでも、組織的な空軍戦力が現れたとあっては、怠慢はできない。
戦闘艦は前線へ押し出し、最前線へ出す戦場の目の密度を濃くすることになった。
これでドゥルガが狩れなければ我々は無能も同然だ。
だというのに、我が空軍は戦闘機を出したがらない。
この広大な戦域では戦闘偵察機が有利だと言ってはばからない。
無線機が何より大事なこの局面で、中継器も出したくないと言い出すとは思わなかった。
それが原因で連邦陸軍にいいように扱われているのだろうに。
溜息。
久しぶりの朗報は、やっとのことで敵の強襲揚陸艦を一機撃墜したというものだった。
これで戦線が再び動き出してくれればいいのだが。
ただし、撃墜は連邦陸軍と空軍の共同戦果によるものだ。
まったく、ふがいない。
上層部が、ふがいない。
私は、少なくともあいつらを一定以上信頼している。
戦術戦果を出せと言えば出してくれるからだ。
それで結果が出せなければ、上層部つまり戦略担当官が悪いのだ。
敵が一枚上手だったと言い訳はできても、これまでの損害は覆らない。
我々の盲点に入り込まれたことによって、連邦陸軍には多大な負担をかけることになった。
空の敵は空が受け持つ。
この交戦規定を改めなければならない日が来るかもしれない。
いや、確実に訪れるだろう。
我々が持っていないものを、敵は持っているのだ。
溜息。
撃墜の過程では、共同撃墜とはいっても連邦陸軍によるところが大きいようだ。
据え付けていた対空砲が弾幕投射装置を打ち抜き、敵の強襲揚陸艦の前面が誘爆。
運が良かったのは、新型の強襲揚陸艦、名称はガルガノットと判明したのだが、それが襲撃を終えて、歩兵を入れて戻る最中に起きた出来事だということだ。
左側面が大きくひしゃげた状態のまま、ふらふらと飛び去っていったと報告書には記載されている。
最後にとどめを刺したのは、当然ながら戦場の目なのだが、なんとあいつが撃ち落としたらしい。
対空砲の黒煙を見たあいつが駆けつけて、左側へ傾斜したガルガノットに追いすがり、威嚇射撃を実施。
あいつの証言では、捕虜の獲得と機体の鹵獲を試みたための行動らしいが、果たして本当にそうかな。
溜息。
今回の戦闘で、あいつの機体に血煙のペンキが増えていないことから察せられる。
威嚇射撃に無反応なガルガノットの着陸脚を二本ほどもぎ取ったところで、姿勢を崩し、岩場に左側面を叩きつけて墜落したそうだ。
あいつが手を下すまでもなかったのかもしれないが、少なくともその行動で連邦陸軍に戦果をすべて持って行かれなくて済んだ。
私がエカルラードに帰ったときは、機体に二本足のペンキが塗られていた。
正しい個人戦果の表記ではあるが、謙遜か皮肉か曖昧にしている点は言及しないでおこう。
少なくとも、上層部が求めるものを狩ってきたのだから、褒章も恩給も気前よく渡されるだろう。
もしくは、戦場の目にたいする共同戦果として誇大広告が打たれるかもしれない。
どちらにせよ、私へ下賜されるものには到底及ぶことはないと思うが。
他人の生き血を啜る生き物は、こういう気分なのだろうな。
溜息。
連邦陸軍の報告では、ガルガノットの生存者は、四十五名のうちたった一人だった。
しかも女だ。
他のものは墜落で死んだのか、最初の誘爆で死んだのかはわからない。
輸送区画に穴を空けなかったあいつは、後者を願っていることだろう。
もっとも、その女がガルガノットのなかで男を介抱していたらしいが、男は到底助かる傷ではなく、なによりも尋問を優先するために女をガルガノットから引き剥がしたようだ。
最終的に、生存者は女一人になった。
正確な報告書が上がってくれば判明することだが、遺体の服装と階級章を検分した結果、その女の介抱していた男が、そのなかでは最重要人物であったらしいことがわかった。
操縦していた空軍の人間のそれを上回る、名誉上級戦闘技術士官の階級章、と言えばいいのだろうか、が出てきたからだ。
しかも、その男は他の戦闘員と違って、激しく運動するには心もとない年齢だったようだ。
もしかしたら、図らずとも指揮官機を撃墜してしまったのではないだろうか。
だとすれば、これほど僥倖なことはない。
これで強襲揚陸艦の問題はだいたい解決したようなものだ。
あとは、女への尋問で「砲兵の亡霊」について少しでも情報が得られればいいのだが。
女はあの男ほど階級は高くないらしいが、生存者が一人とあっては女が実質の最高位軍人のようなものである。
連邦陸軍は容易に吐かせられると思っていたようだが、女は口を割らないらしい。
名前を聞かれても「ネバー」としか言わなかったと報告書には記載されている。
溜息。
ガルガノットによる強襲は少なくなってきた。
それと同時に、「砲兵の亡霊」も事例が減っているようだ。
やはりガルガノットと連動した帝国の作戦要綱だったのかもしれないとの思いが強まる。
同時に、「ネバー」の女からは文字通りなにも情報を引き出すことができず、体調不良で後送される結果に終わったのは連邦陸軍の失態に数えることができるだろう。
噂では、連邦陸軍で出された捕虜への食事が不味くて、すべて吐き戻してしまったということだが。
吐かせる意味が違うだろうと、空軍内の会食では笑い話になっていた。
溜息。
その出来事からしばらくして、再び会談の場が設けられることになった。
ガルガノット撃墜の戦果調整が行われ、共同撃墜の内約としては、機体は共同撃墜として認定された。
中身に関しては、帝国空軍所属の操縦士たちは空軍の戦果、強襲兵に関しては連邦陸軍の戦果ということで協約が結ばれることとなった。
これによって、撃墜の経緯が事実から多少は書き換えられるだろう。
これも「空軍のことは空軍で、陸軍のことは陸軍で」の弊害である。
溜息。
次に会食の場で、今後のヒグラート方面の、空軍の展開についての話し合いが行われた。
連邦陸軍としては、ガルガノットの脅威が低下している今こそ空軍に敵拠点を攻めてもらい所なのだろう。
そのための空軍向け前哨拠点も確保する予定があると、溝を埋めてきた。
我が空軍の見解としては、新造艦と新型戦闘機の配備が終わるまで待ってほしいというものだった。
今から数えれば一年前になるが、試作機とはいえ、新型機の配備はすべて戦闘偵察機のものだった。
あのときは、数が少なくなったから補充するというものだ。
では、あまり数を減らしていない戦闘機は乗り換えの時期ではないということになる。
ところが、現在の戦闘機パイロットは最新鋭機への乗り換えを計画しており、本部での転換訓練を行っている最中だという話が飛び出した。
私も聞かされていないことであり、高度重要機密なのかと思ったが、なんのことはない。
明らかな嘘だった。
ただ、戦闘機の出撃を極力抑えていた事実が布石となり、現在のエカルラードには動かせる戦闘機が少ないのだという認識が、連邦陸軍側からは持たれるようになっていった。
そこまではいい。
だが、その後に出た「だからあと二年待ってくれ」という言葉は、連邦陸軍を門前払いするような形になってしまったのではないだろうか。
新造艦のお披露目と同時に新しいパイロットを出撃させるという構想があるという話から、これも嘘なのだが、あと二年待ってくれと言ったようなのだが、連邦陸軍にとって二年は長すぎて戦争が終わってしまうほどだろう。
結局、険悪な雰囲気になったまま会談は終了してしまった。
溜息。
敵の空軍の姿はいまだ見えず。
連邦陸軍との会談は、一進一退。
地上の進行度も、一進一退。
スカイバードと並走しているだけで、私は同じ勲章が何個も下賜されていた。
あいつはまだ生きている。
敵の大拠点への攻略に取り掛かろうというところで、何度も対空砲に狙われたらしいが、運のいいことに、まだ破片にガラスを叩き割られたことがないそうだ。
大規模拠点を攻略するということで、日ごとの比較で補給線が太くなっているのは確認することができた。
私にはそれを見て、分析して、提出することくらいしかすることがない。
ずいぶんと暇だ。
それでいて、連邦陸軍監視の恩給は出るのだから、ただでさえ持て余し気味の金が積み上がってしまう。
長期休暇を申請すればいいのだが、稀に無茶をするあいつが心配で、眼を離せない。
スカイバードの眼よ、なぜお前は弟子を残して死んだのだ。
托卵に成功したことを笑っているのだとしたら、許さないぞ。
まあいい、私の眼の範囲にあいつがいるのだ。
空の眼として、できる限りのことはすると約束するくらいはできる。
あいつが私のことを「正しく」認識するまでの期間に限られるとは思うが。
溜息。
そして、また不穏がやってきた。
ガルダに積む撮影機材が更新されることになった。
機材の更新ではなく、角度の更新というのだから、不穏にもなる。
今までは垂直に向けられていた機材が、日に日に水平方向へと角度変更されていく。
機材の角度の推移は、なにかの時間が迫っていることを私に告げていた。
なにかがこちらに向かってくるということを知らせる暗喩。
最前線を飛ぶ空の眼よりも遠くにいるものから得られた情報なのだろう。
私にすら口頭や書面で知らせられない情報。
ただ、ガルダへの変更が敵の接近を知らせるものであることは明らかだった。
機材の変更は、空の眼全員へ周知されたはずだ。
とすれば、これは私たち以外には誰も知らないということだ。
連邦陸軍でさえも。
彼らが最後まで気付かなければ、空軍は今後において大きな貸しを作ることになるだろう。
空軍の組織的な怠慢は、絶好の機会を待っていたゆえの行動だったのか。
政争が戦争に勝るとは馬鹿げたことだが、これで空軍は一層の有利を得ることになる。
予算が増えれば新造艦や新鋭機の配備も進むだろう。
早急に行うべきは、試作機ではないスパルナを配備することだ。
あいつはいい機体だと言うが、報告書を見ればわかることだ。
プロペラ型無線装置の中身が遠心力で偏るのか、速度が上がると無線機能の低下を起こしている。
初期の試験ではなかった事象なので、プロペラ自体の疲労によるものだろう。
プロペラを変えながら持たせてはいるが、確実に改良が必要な部分である。
溜息。
確信のある第六感は見事に的中してしまった。
傾けた撮影機材に、敵の機影らしきものが写るようになったのだ。
私の眼が衰えていなければ、あれは空中騎兵隊だ。
高度をぎりぎりまで下げて撮った一枚が決定打となり、情報分析官も同意見のようだった。
普段は私でも見つけることのできない、渓谷の影を移動する連なった影。
今回は大編隊ゆえに、私でも発見することができたのだ。
予兆としては最悪のものだ。
今ごろ報告書をもとにして作戦が大きく切り替えられているだろう。
早急に命令書が行き渡れば、戦場の目が初撃で撃ち落とされるということもなくなる。
こればかりは、円滑に連絡が通ることを祈るしかない。
私は、神の御所を侵犯するだけの、人でしかないのだから。
溜息。
ついに来てしまった。
帝国軍の反攻作戦が始動したようだ。
堂々としたグレーヒェン級の姿を捉えた。
それだけではない。
今度は、対航空戦力に特化した艦隊を組んできやがった。
前回の会戦のように、戦線突破を始めから見込んで対地装備で固めていた慢心野郎とはわけが違う。
本気で、我が空軍の戦線だけを狙って、空軍を潰すためだけに刺客を寄越してきた。
溜息。
とにかく、相手が本当の空軍会戦を望んでいるという意気込みだけは、現像された写真からも伝わってくるものであり、情報分析官と一緒に青ざめることしかできなかった。
報告書が回ってきた上官も、それを上申された上官も、皆青ざめているだろう。
敵の大艦隊は明らかに空軍だけを対象にした報復戦の様相を匂わせていた。
溜息。
奴ら、私が上から見ているというのに、堂々とした態度で北進を続けている。
逃げ遅れた戦闘偵察機を蹴散らすことすらしない。
まるで、余計な戦闘をすること自体が時間を浪費するとでも言いたげだ。
それどころか、対地砲撃も一切なしで、補給線を切ることもせずに、我々の艦隊の待ち構える場所まで突っ込んできている。
連邦陸軍がまともな対空装備を持ち込んでいるはずがないという確信があるのだろう。
左右からの牽制にすら一切手を出すことなく、一直線にエカルラードに向かってきている。
帝国軍は目標をエカルラードに定めてきているようだ。
それに比べて、我々の戦略手順に則れば、敵は我が艦隊との距離が詰まるにつれて速度を減ずるはずだという予測があった。
まったくの大外れだ。
それどころか、空中騎兵隊の率先した偵察によって我々の戦力が明るみに出るにつれて、速度を増して突っ込んでくる。
敵艦隊の戦略は非常に簡素で、それゆえに強力なものだ。
一気に突っ込んで、一気に食って、一気に蹴散らす。
編成もまともにできないバカ貴族の直情的な行動と捉えるなら、我が艦隊のどっしりとした布陣はまさしく正しいものだろう。
だが、前回とは違う部分がある。
今現在の敵艦隊にはそれを成すだけの対空戦力があるのだ。
いや、そのために戦力を整えてきたとみるほうが相応しい。
純粋な空戦艦隊を前にして、逆に我々の戦力のほうが不安視される状況となる。
こればかりは敵の戦略が上回ったと称賛するほかない。
溜息。
補給線の伸び切った地上部隊など、敵艦隊の進撃速度に敵うはずもない。
まず、間違いなく我が艦隊が迎え撃たなければ孤立する。
敵はこのことも想定に入れて行動しているのだろう。
だというのに、不穏だ。
空軍内での会食では誰もが慌てていた。
連邦陸軍の席など、用意された皿だけが光っているだけだった。
連邦陸軍からすれば、諜報不足のせいで今初めて知ったことなのだろう。
撤退するという無様のために、今ごろはテントのなかで夜通し地図を広げているはずだ。
慌てているのは空軍の高官とて同じこと。
しかし、私には、高官が慌てている理由が少し違っているような気がした。
どう言語化すればいいのかわからない。
だが、なにか、慌て方が、私の思っているものとは乖離しているのだ。
溜息。
エカルラードとの会敵まであと一日を切った。
敵が、エカルラードこそこの地域の物資を供給している一大拠点なのだと知って行動しているのだとしたら、私たちは素直に負けを認めるしかない。
左右からの牽制が抵抗に変わっても、エカルラードへの進撃の足は休まるところがない。
今ごろになって、やっと主機関が暖まってきたようだ。
空を飛んでいたときの激しい振動が戻ってきた。
私はこれから上空待機任務が待っている。
三日はガルダから降りられないだろう。
あのときと同じように、強化無線中継基地として、戦闘が終わるまでは張り付かねばならない。
皆を守らなければ。
溜息。
酔っぱらった上官の、歓喜の叫びが、艦内にこだまする。
私は、酒を飲む気にもならなかった。
我が空軍は負けなかった。
エカルラードは、無傷で敵の砲火から逃げ出すことに成功したからだ。
私は古巣を無くさなくて良かったと思った。
だが、その理由を聞いて、喜んでしまった私自身を呪いたくなった。
エカルラードとその取り巻きは予防撤退したのだ。
それが意味するものは、連邦陸軍への支援の打ち切りと、グレーヒェンと戦わないという選択だった。
私はなんと愚かだったのだろう。
腹が痛い、頭が痛い。
私の想像をはるかに超える政争のことを考えるだけで、頭が耐えられそうにない。
今は書く気にはなれない。
吐き気が収まらない。
私には吐き出すことしかできない。
私の同期が何人も長期休暇を申請してしまった。
何人かは、失望でもう戻って来ないだろう。
あれを見て耐えられたものは、すでに気が狂っていたに違いない。
架橋艦は撃ち落とされた。
敵のせいではない。
我々のせいで撃ち落とされたのだ。
敵は寛大だった。
架橋艦にさえ目もくれず、艦隊決戦を望んでいた。
結局、グレーヒェンが地上戦力に向けて砲火を向けたのは、うるさい対空砲を叩き潰すときだけだった。
渓谷の谷間の真ん中まで来たグレーヒェンは、そこで立ち止まった。
我が艦隊が戻ってくると信じていたに違いない。
少なくとも、艦隊が少しでも応戦していれば、あと何千人かは助けられていたかもしれない。
だが、艦隊は逃げ続けた。
連邦陸軍という餌を残して。
彼らが望んだのは、会戦だったはずなのに。
溜息。
渓谷は砲弾によって土煙に包まれた。
架橋艦が撃ち落とされたのだ。
吹き上がった土煙が頭から離れない。
あれだけで何十人死んだだろうか。
それだけではない。
ヒグラートの向こうにいた彼らは、もう帰ってくることも叶わない。
彼らは、ヒグラートで死んでいくのだ。
笑い声が頭から離れない。
私の感じた不穏の正体はこれだったのだ。
今でははっきりと体に染み込んで、私を蝕んでいる。
我が艦隊は、連邦陸軍にたいしての優位性を示すためだけに彼らを置き去りにしたのだ。
知っていたことを抱えて、事態が進展したときに、初めて知ったという口をきく。
私は、邪悪さを見誤っていたのだろう。
でなければ、連邦陸軍といえど味方を売るような行為に加担するものか。
溜息。
腹に力を入れると吐いてしまう。
後から行われた緊急会談は「痛み分け」という結果に終わった。
誰が悪かったのか。
先に逃げた我々か。
先行しすぎた彼らか。
大失態を形成した原因はたしかに両者にあった。
だが、結果を見てみれば、誰が一番損をしたのかは明らかだ。
怠慢だった空軍に、はやって犠牲を出し続けた連邦陸軍。
そして、翼のない彼らは渓谷を飛び越えることができない。
もはや、彼らを助けることは誰にもできないのだ。
直接の当事者である。連邦陸軍でさえも。
私たちはこれを狙っていたのだ。
笑い声が頭を離れない。
会食で告げられた言葉は、唐突で、軽かった。
負けたというのに戦勝の雰囲気が漂う空間で、私は感情を殺していることしかできなかった。
険しい顔をしている理由を聞かれて、疲れたと言った。
たしかに、私は疲れてしまっていた。
こんなことのために、空の眼と戦場の目と陸軍と敵を使ったのだと思うと。
溜息。
起こった出来事を整理していけば、私の予想を飛び越えた、空軍全体の事情がそこに存在していたことがわかるようになってきた。
彼らは、我が空軍は、連邦陸軍に借りを作りたくてこの状況を作り上げたわけではなかった。
連邦陸軍の戦力を、敵の手で削ってもらおうと画策していたのだ。
いまだに、考えに至った瞬間の、体を這いまわるおぞましい悪寒に怯えている。
糸に絡めとられて、私の知らないものの背中を刺して、流れ出る血を体に受けたときの感覚。
夢のなかで、私は何度も誰かの背中を刺していた。
私を見ていた私の手にも、刃と血の感触が残っている。
頭痛がひどい。
橋が落とされるとき、私は艦隊を護衛している空中騎兵隊に見つかることなく、敵の艦隊の真中にいた。
私は、艦隊と同じ速度で移動しながら、肉眼でもわかる黒ずんだ艦隊を真上から見下ろしていた。
艦隊の真下には、取り残された連邦陸軍の姿が見えた。
本当は見えるはずもない。
だが、私は見たこともない彼らの顔が見えた気がした。
誰かの眼を借りて、下を見ているような気がした。
助けを呼んでいた。
私には助けられなかった。
溜息。
あいつの、私を見る目が変わっていた。
私が誉れある勲章を授与される光景を、その目で見てからだろう
誰がこの陰謀を知っていたかの話題に、当然ながら私は含まれていた。
「機」のパイロットのなかでは、空の眼が一番上にいるのだから。
彼らと違って、下のことなど、表情を動かさず「観る」対象でしかないのだ。
彼らがそう思うのも当たり前のことだった。
あいつの目は、喜怒哀楽に振れて動く、立派な戦場の目になっていた。
私は気にしない。
空の眼と戦場の目はきっと上手く行くことはない、元からわかっていた。
親離れの時期が来ただけだ。
お前は、違う巣に産み付けられた、違う鳥なのだ。
私は、それを巡り合わせたスカイバードの眼を恨むだろうか。
それとも、スカイバードのもたらした、決裂の決まった運命を憎むだろうか。
溜息。
帝国の艦隊は、その目的を達成したために、後方の補給地点まで帰ってしまったようだ。
連邦陸軍が失血死して得た「拠点の壊滅」という成果は、敵艦隊の補給拠点をなくし、我が空軍の情勢をいくばくか回復させた。
しばらくは、万全な敵艦隊とぶつかるようなことはないだろう。
すべては、連邦陸軍の成したことだ。
連邦陸軍の基地があっただろう爆撃跡と、茶色い大地だけが眼前に広がっていた。
帝国艦は取り残された連邦陸軍に逃げる時間を与えた。
たとえ、それが屈辱の道を歩くことと同義だとしても。
彼らが敵の与えた情けを活かせていればいいのだが。
私の眼が人を捉えることができない以上、心配したところで無駄かもしれない。
溜息。
今振り返れば、あの艦隊の目的は二つあったことがわかる。
艦隊決戦と、我々の艦隊向けの地上施設の破壊。
ヒグラート全域に巣を作られてしまっては不利になると踏んだのだろう。
我が空軍が連邦陸軍を使ってそうしたように。
その結果が、艦隊決戦に失敗した帝国艦隊の、怒りの矛先として地上に向けられていた。
皮肉なことだ。
私たちは、頭のいい帝国軍の考える「優秀な敵」たり得なかった。
空軍は、連邦陸軍の戦力を喪失させ続けるためだけに、前へと送り続けたのだ。
溜息。
あれだけいた連邦陸軍の行列はどこにも見えない。
皆、散り散りになってしまったのだ。
こうなると、私ではもう見つけることはできない。
私の眼には、不毛な大地しか写らない。
様々な犠牲を払って、ヒグラート地帯はいつも通りの日常が戻ってきた。
帝国の拠点ができて、敵の補給線が伸びて。
それを叩いて、連邦陸軍の補給線が伸びて。
どうあがいても、地上戦力は渓谷の裂け目から先へいくことはない。
境界線まで来ては叩き潰され、一進一退を繰り返す。
少しだけ違うのは、帝国の中型艦が渓谷のなかを巡回するようになったことだ。
水路を泳ぐ魚のように、岩の路地のなかを行ったり来たりしている。
きっと、渓谷のなかに逃げ込んだ連邦陸軍の残党を追いかけまわしているのだろう。
彼らの生き残る手段は、それしか残されていなかったのか。
連邦陸軍も分断された部隊を救出したがっているが、私たちはそのときも、笑顔で陸軍に手を貸すのだろう。
いや、この状況をこそ我が空軍は狙っていたとしても、今の私は驚かない。
純粋な戦闘力で負ける我が戦力は、純粋な空戦ではいずれ押し負ける。
では、帝国艦隊を渓谷のなかに引きずり込めばどうだろうか。
戦力は渓谷のなかで制限され、勝機が見えてくるかもしれない。
逃げた連邦陸軍を追って入った帝国艦を渓谷のなかで叩き、「渓谷塹壕戦」といえばいいだろうか、それに陥らせることができれば。
成否は知らないが、「完璧な作戦」のように思える。
昔は艦隊を渓谷のなかに入れてしまうなんて、とスカイバードの眼と一緒に笑っていたのだが。
艦隊を艦隊として運用しない戦術を開発中であると知ったら、スカイバードの眼は驚くだろうか。
溜息。
スカイバードは綺麗だ。
私と同じ存在でありながら、明確に私とは違う存在。
同じ高さにいてさえ、私が神と呼ぶに相応しいものだ。
夕闇と蒼の狭間で、私は神にたわいもないことを聞いた。
疲れていたのだろう。
私と貴方は、同じ存在なのですか、と。
下界のものは、なにを馬鹿なことをしているのだろう。
神話の時代から人々を見続けてきたスカイバードと、私の境遇がかぶって見えたのかもしれない。
だとすれば、私とスカイバードは心を同じくするもの同士であるはずだ。
とても傲慢な問いだが、聞かずにはいられなかった。
私は、どういう気持ちで眼下を見下ろせばいいのだろうか。
高い空を見ていた人々が、人類から見上げられる存在になった時代が訪れて。
彼らは、地上にたいしてどうふるまえばいいのだろう。
そして、どうふるまうようになっただろうか。
人は高い空に昇ると、傲慢になってしまうのでしょうか。
神が人を、地上を歩く存在として創造なさった理由が、今ならわかる気がする。
未熟な人間が「見下ろす」という行為を違った意味で使ってしまうことを、貴方は知っていたのでしょう。
やはり、私と貴方は、同じ高さにいてさえ、住む世界が違うのです。
人は、見下すことで優越を得る存在だ。
上に行くほど、それはますます酷くなる。
私も、いずれはそうなるだろう。
でなければ、私の眼はあなたのように、大きく、暖かいものになっていたでしょう。
そうなっていないのだから、私もやはり傲慢な人間なのです。
私には、すべてを見通すことはできないのです。
失望し、絶望し、感情に触れないように人を「観る」ようになっていくのです。
溜息。
私は、緋色の大きな目が夕闇の間に浮かんでいるのを見て、とっさに受信機を最大まで開けてみようという衝動にかられた。
あいつの姿が頭にちらついて、離れなかった。
本当の話なら、ガルダの無線機なら聞こえるだろう。
唐突にそう思った。
だが、やめた。
同じ高さにいても、私とは住む世界が違うのだ。
きっと、私には聞こえない。
試してもいないのに、私には答えがわかっていた。
きっと、聞こえない。
それが、私の結論だった。
溜息。
闇のなかでは、人間は誰もが盲者だ。
神のように、闇をのなかにいて緋色の眼で物事を捉えることはできない。
どれほど傲慢でも、夜の彼らを見守ることはできない。
人が神のようにふるまう時代において、神のみが人を見下ろす、神聖な時間が訪れようとしていた。
夕闇の隙間に漂う私をすり抜けて、緋色の瞳は夜の帳に身を包んでいく。
私が境界を抜け出して人の世界へと帰るころ、神の体は世界の色と同化しており、もう見つけることはできなかった。
私はスカイバードから逃げるように緋色の空を飛び続け、独り、深青の冷たい眼を陽の反射する大地へと向け続けていた。