「録音開始、と。無重力発生装置一号を起動します。用意はいいですか」
「ああ、いつでもどうぞ」
「とはいってもクルカだしなぁ」
「主任、本当に大丈夫なんですか」
「大丈夫よ。絶食させているから吐くとすれば胃液だけのはず」
「それって掃除が大変ってことじゃないですか。あぁもう。」
「動物実験を否定するつもりはありませんけれど、本当にクルカでよかったのでしょうか」
「仕方ないだろう。近くにいたのがいたずらクルカしかいなかったんだから」
「それって体のいいお仕置きってことなんじゃないですか」
「うるさいわよ。やると決めたらやるの」
「ところで主任、なんでこの、無重力発生装置でいいんですかね。作ることになったのか、いいかげん教えてくださいよ」
「あれ、お前知らなかったっけ」
「面白いものが見られるって言われて来ただけなんですよ俺」
「おい誰だ、部外者を呼んだのは」
「ハーブさんの部署の方が六人いらっしゃるので、私が話した内容を口外して漏れたのだと思います」
「くそっ、おかげで観客席は人だらけだ。あ、リゼイちゃんに悪態ついたわけじゃないからね」
「そんなことより、これじゃどっちが見世物にされてるんだかわかりませんよ」
「事態を解決するには、主任が無重力発生装置の目的を明かして、ボタンを即座に叩くのが手っ取り早いのでは」
「手順としては、危険性が認められない限り、設定された安全装置が作動するまで起動し続けます。リゼイさん間違いはありませんね」
「ええ、主任の承諾は取り付けてありますので、そのままお願いします」
「主任がいる前で主任除け者にするってどうなのよ」
「っていっても主任が人の波に押されてボタンから遠ざかっちゃってるしなぁ」
「おい、主任の委任承諾があるんだったら、誰がボタンを押してもいいわけだよな」
「それは、確かにそうだな」
「俺が押したい」
「人類がコントロールできる無重力の第一人者になりたい奴はいるか」
「俺も」
「俺が押す」
「押させてくれー、英雄になりたい」
「ボタン一つでただでさえ狭い部屋が大混乱に陥ってますけど、貴方は押さなくていいんですか」
「いいのです。それに、これはまだ試作段階の装置なので、結果はもうわかっていますから」
「無事薄いぞ、無事に厚く張るやつはいないか」
「いやどうやったってゲロでしょ」
「おいおいリゼイちゃんを信じないのかよ。俺は無事に賭けるぜ」
「そうか、だったらゲロやめて無事に賭けよ」
「誰だゲロのほうにナットを賭け金で出したのは」
「主任、どこですか主任」
「ここよ。残念ね、もうボタンを押してしまったわ」
「いつの間に」
「お、クルカが浮き始めたぞ」
「じたばたしているな、ゲロはまだか」
「無事でいてくれー。俺の生活費がかかっているんだぁ」
「アミーカは突然体が浮いてしまったことに驚いていますね。」
「え、あれアミーカだったの」
「たしか実験動物を選定したのは主任だったよな」
「アミーカ、今度はなにをして主任を怒らせたんだ」
「そんなことはいい、無事でいてくれぇ」
「もがいてるもがいてる。天井に張り付いたぞ」
「やはり浮遊機関の暴走状態のような形態になってしまったな」
「改良が必要だ」
「本当に暴走しているわけではないという点は、セイゼイリゼイを評価すべきだろう」
「ゲロに当ててくれなきゃ困るわ」
「げ、主任。胴元を絞めに来たんですか」
「いえ。それよりも、ゲロに入れたナットはアミーカの掛け金だから」
「え、それって主任が入れたんですか」
「そうよ。それで今のオッズはゲロがちょうど二倍よね。勝ったら二つにして返してちょうだい」
「えぇ……ええ、わかりました」
「アミーカが体を張って賠償を払う、と主任が言っていましたけど、こういう意味だったのですね」
「私を怒らせると怖いわよ」
[ピュブブブブブブ]
「あ、吐きましたよ」
「やったぁ。二倍だぁ」
「俺の生活費がぁ……」
「フン、いいざまねアミーカ」
「あれ、そういえばリゼイちゃんさっき結果わかってるって言ってたよね」
「ええ、その通りですよ」
「汚ねえ。ゲロが空中に浮いたり天井に張り付いたりしてる」
「後で誰が掃除するんだよ」
「この分じゃあ、宇宙にアミーカは連れていけないなぁ」
「宇宙に行くんだったらメッツクルカじゃないとダメだろうな」
「わかってるよ」
「あれ、これってもしかして宇宙空間を再現したものだったのかな」
「むしろなんの実験に見えてたんだよお前は」
「こうなることもわかってたのかな」
「はい。期待してくれたみなさんには申し訳ないのです」
「なんだぁ。でも結果を先に知っちゃうのはズルだよね」
「感慨に浸っているお前は別の部署の人間だろうが」
「というか、無事に賭けてるアホは別の部署から来た人間しかいないぞ」
「あー。もしかして私たちハメられたのかな」
「リゼイの発明だって言ったら絶対成功に賭けるだろうと思ってな」
「おかげで今日は飲み代に困らなくて済みそうだ」
「だー、くそぉ。覚えてろよぉ。生活費はいつか取り返すからなぁ」
「はいはい帰った帰った。遊びは終わりよ。胴元の貴方はさっさとナットを二つ寄越しなさい」
「無重力発生装置一号の安全装置が作動します」
「ああ、やっと静かになった」
「楽しい人たちでしたね」
「煩わしい、の間違いではないかしら」
「少なくとも、私は楽しかったですよ」
「そう。それならいいわ」
「いやあ。無重力発生装置一号、無事に失敗しましたね」
「当然だ。セイゼイリゼイが作成したといっても、ありきたりの浮遊機関を転用したものでしかない」
「それを制御された暴走状態にしているだけなのだから、無重力という現象には程遠い」
「これを軍の奴らに見せればまた金を巻き上げられるから、いいじゃないですか」
「たく、軍の連中。俺たちを何でも屋と勘違いしているんじゃないか」
「主任もこの話が来た時は驚いていましたもんね」
「ええ、打診自体は私がここに来る前からあったらしいのだけれど」
「それまでの技術では難しいものがありますよねぇ」
「でも、軍の要求した第一段階は完成ですね」
「浮遊機関暴走状態の疑似訓練に使うって、局所的すぎませんかね」
「建前だよそれ、宇宙に行くからその訓練装置くれって言っても予算院が取り合わないだろう」
「それに比べて、浮遊機関の対暴走訓練自体は、珍しいものではない。」
「これからはクレーンとワイヤがいらなくなるとすれば、大きな進歩だろう」
「ただ、私の予測でも再現できるのは疑似無重力状態ですからね。大きな期待はしないでください」
「ああ、この前話してくれたよね」
「たしか原初の浮遊機関は対無重力を主目的として開発されたとかなんとか」
「それを無重力の再現に使おうとしてるんだから、あべこべだよねぇ」
「ところで、アミーカと部屋は誰が掃除するんだ」
「賭け金が大きい強欲なやつがやればいいんじゃないの」
「嫌だぜ、後でなんかおごるから許してくれよぉ」
「端のタイル開けば排水溝があるでしょう。ホースで水ぶちまけるだけでいいわ」
「さすが主任。私刑とはいえ場所の選定は完璧でしたか」
「それで、例のデータは取れたのかしら」
「はい。浮遊機関の暴走状態に巻き込まれたクルカは、過多となった浮遊エネルギーを吸収して体の制御ができずに浮き上がるようです」
「浮遊エネルギーが人間にもたらす効果はどうかしら」
「これからの実験次第ですが、仮設では、受容体が存在しないので直接の影響は受けないという説が有力です」
「ただし、浮遊エネルギーに内包されてしまえば、受容体がなくても浮遊し、上昇しますね」
「クルカと違って、受容体の拒否反応でゲロを吐くようなことはないですけどねぇ」
「では、宇宙空間に普通のクルカを連れていくのは、土台無理と言うことね」
「訓練で克服するか、浮遊エネルギーの影響を受けない気体を摂取させれば、浮遊エネルギー中毒は収まるでしょう」
「生理反応を訓練でとは、相手がクルカとはいえ可哀そうなことを言うんじゃない」
「それに、まだ浮遊エネルギーを遮断する術も見つかっていないのでは、普通のクルカでは無理です」
「やはり、メッツクルカしかいないだろうな」
「旧文明の浮遊エネルギー爆弾の余波に適応したと噂されるクルカのことですか」
「それとアミーカを交配させれば、クルカにもメッツクルカの特性が付くという可能性はありますかね」
[ビュビ、キキキリキ……]
「あの、アミーカが助けを求めていますけど、誰か助けに行かないのでしょうか」
「今は皆考えるのに忙しい。後にしてくれ」
「研究者の悪い癖なんだ。諦めてくれ」
[キリキキ……]
「そんな殺生な、だそうですよ」
「死にはしない。報いを受けろ。いや、メッツクルカは背びれが余剰エネルギーの排出口を兼ねているために無事と推測されている」
「じゃあ、クルカに同じ背びれが生えてこないと無理ってことですねぇ」
「宇宙とかいう、運動量がほとんど減衰されない空間はやっかいですね」
「浮遊機関を使うとなれば、莫大な浮遊エネルギーを使って運動量を偏向させることになり、結果的にクルカはそのあおりでゲロ、か」
「このなかで、メッツクルカの密輸に詳しいものはいるかしら」
「主任。正攻法が詰んでいるからといって気軽に裏口を開けようとしないでください」
「ところで、クルカを宇宙に連れて行かないという選択肢はないのでしょうか」
「あー、誰だ禁句を言ったのは。主任が怒るぞぉ」
「そうだぞ。主任はなぁ、アミーカにあんなことをしても根はやさしいんだぞ」
「私が怒るのはアミーカが変なことをしたときだけよ」
「それで、今回アミーカはどんなことをしたんだ」
「それは、ええ……んふふ」
「お、リゼイちゃんが笑ったよ」
「よっぽどだったんだろうな」
「皆の前でセイゼイリゼイが思い出し笑いをするのは十日ぶり」
「定点観測によれば、リゼイは確実に人間らしくなっていると判断することができる」
「ちょっとー、こんなときまで監視役として出しゃばるんじゃないわよ」
「了解した」
「私どもはこれにて」
「あーったく、一癖も二癖もあるやつらの巣窟ねここは」
「主任がそれ言っちゃいますか」
「予算を抱え込むために、クルカと浮遊エネルギーの関係性とかいう意味不明な題目を引っ張ってきたって聞きましたよ」
「他の部署と研究がかぶるのではどうしようもないですからな。苦渋の決断、心中お察しいたします」
「でも、みなさんは宇宙へ行きたいのですよね」
「ああ、それは間違いないぜ」
「当たり前でしょう。そのために、わざわざ無重力発生装置をリゼイちゃんに作ってもらったんだから」
「誰がどんなことを言おうと、俺たちは宇宙に行くぜ」
「馬鹿いえ、俺たちの子孫が、だろ」
「夢がないわね。タマがついているんだったら私たちの世代で行くと言い切りなさい」
「うわ、毒舌」
「まあ、とりあえずの目標は月だろうな」
「なんとか今世紀中にはセレネに行きたいもんだ」
「だったら発射台の基礎に骨をうずめるくらいの働きはしなさい。月の家が私たちを待っているわ。貴方も、面識はなくとも同期のよしみで彼と会ってみたいでしょう」
「ええ。とても会いたいです」
「っていっても、彼か彼女かは俺たちも知らないんですけどね」
「野暮なことは言わないことだ」
「奴は俺たちを待ってるんだ。だったら月に直接乗り込んで助け出さないとな」
「やれやれ、これで五人目か。これ以上増えると予算に困る」
「パラドメッドは厄介者を押し付ける集積場じゃないんだぜ」
「そういうお前もここに厄介になって長いだろうが」
「いまさら増えたって変わりはしないわ。予算ならどこからでも引っぺがしてくればいいのよ」
「あるいはぁ、主任みたいに変な研究を引っ張ってくるかですね」
「喧嘩なら買うわよ」
「いえいえー、お気になさらず」
「とにかく、私たちはもう止まることはないわ。どの思惑がそう思わざるとも、秘匿すべき技術というものが減ったこの時代、暴れなければ損というもの」
「人の金で暴れるのは気持ちいいものです」
「でもそれ、二割くらいはリゼイちゃんだけで稼いだお金なんだよなぁ」
「え、別にいいですよ。どんどん使ってください」
「というわけで、俺たちは立派な厄介者のヒモ野郎になるぜ」
「そんなことより、誰か録音止めましたっけ。一度きりしか録音できない高価な鉄線を使っているので、無駄使いできないんですよね」
「あれ、録音中のライト消えてるから誰か止めたんだよね」
「勝手に止められると困るわ。実験の記録が途中で切れていたらと思うと」
「主任。私に録音機材を持ち出すよう頼んだときは、また別のことを言っていた気がしますよ」
「少なくとも、こんな騒ぎのなかで録音したからには、記録以外のことが多分に入っているだろうな」
「誰が実況係だったんですか」
「そんなん誰もいないに決まってるだろ。どうせ主任がリゼイちゃんの発明記念日ってことで記録を取ろうとしただけだろうし」
「あの、みなさん」
「なんだいリゼイちゃん」
「何度も確認したのですけれど、あの録音機、誰も手を触れていないことが確認できました」
「え、そうなの。じゃあ録音中の光が消えてるのって」
「あちゃー、白熱球の寿命か」
「あちゃーじゃないですよ。早く止めないと私たちの予算がなくなります」
「まじかよ。早くそれを言えって。あ、ちょ──」