「宇宙へ行くだって」
「はい、みなさんその気みたいですよ」
「まさか、今の技術で宇宙へ行くなんて、欲張りなんじゃないかな」
「でも、みなさん真剣に考えているのです」
「それにしたって、リゼイは本当にそれを支持するのかい」
「私も最初は冗談半分だと思っていたのですけれど……」
「何十回も疑似無重力発生装置を改良するうちに、みんなが本気だとわかった、とかかな」
「ええ、そうです。みなさんは本気のようなのです」
「いや、心意気は素晴らしいと思うよ、でもね」
「みなさん無重力を何とかすればどうにでもなると思っているみたいなのが、ですね」
「リゼイもそう思うんだ。なら言ってあげなよ」
「宇宙はそんなに甘い場所ではないですよ、って言えばいいのですか」
「それ以外にどんな言葉があるんだい」
「私は……」
「バッサリ言わなきゃだめだよ。奴らを殺す気なのかい」
「本当は言いたいです。でも私には耐えられないのです」
「なにが」
「彼らの目が、輝いているのです。今までで、一番」
「前に君が言っていた、進歩の目ってやつかな」
「彼らの足を止めるということについて、今の私にはとても覚悟が必要です」
「死に急がせることが君の使命なのかい」
「そんなことはッ──」
「ごめん、冗談にしても悪質だった。謝るよ」
「いえ、私は彼らへの干渉を抑えてしまったかわりに、彼らの無知を野放しにして殺そうとしていると言われても……」
「面倒な使命だね」
「これは、私が背負うものです。誰にもこの葛藤は渡すことができません」
「人類を祝福し、啓蒙する呪い、ね。僕にはその感覚がわからないな」
「私は、誰からも本質を理解されることはないでしょう。人を見捨てられないのですから」
「じゃあ、リゼイはずっとこの研究所にいるつもりなのかい」
「おそらく、そうなるでしょう。貴方は離れていくつもりですか」
「離れたくない、といえば嘘になるね。僕は君みたいに自由には歩けないから、誰かに連れ出してもらうしかない環境には不満がある。君も歩き、僕も見た、新しい世界で自由に生活したいと思うのはそんなにおかしなものかな」
「そんなことを言われても、今でも外出には厳しい制限があるのですよ」
「ああ、知ってるよ。条件が緩和されているとはいえ、月日、歩く速度、移動できる距離、服装。いろいろとあるんだろう」
「ええ。でもそれは今の状態では仕方のないことだと思っています」
「そうだね。でも、彼女はそう思っていないみたいだよ」
「スウェイアさんが、ですか」
「彼女、研究機関からの独立……いや、脱走を目指しているみたい」
「そんな、まだここに来て数年しか経っていないのに」
「南へ帰るんじゃないのかな。ここの雰囲気が合わないとは聞いていただろう」
「たしかに、来たときは進歩的な雰囲気が合わないと仰っていましたけれど……とても寂しいです。せっかく……」
「彼女の独り言につきあったときは、彼女も君みたいなことを言っていたよ」
「私は聞いていません。どのようなことをおっしゃっていたのですか」
「君と彼女は敵同士だ」
「……今は違います」
「知ってる。でも、そうじゃない。君と彼女は、もう一つの箇所で敵同士なのさ」
「それは、なんですか。私にはわかりません」
「生まれた目的だよ。君たちは目的という根幹において分かり合うことができないんだと思う」
「それは……スウェイアさんの、停滞の使命というものですか」
「そうとも。君たちは相対する呪いにかけられて、その毒が抜けていないんだ。いや、そのために……生まれたんだから、自然な姿ではあるけど」
「そうですか。スウェイアさんがそのようなことを……」
「ここで行われる科学の進歩について僕たちと協力する気はない、という姿勢をみて、僕も独立ということについて考えるようになったんだ」
「それは……とても残念です」
「……まあ。気を急いても今の自分じゃどうしようもないから、気長に考えるよ」
「でも、出ていくことは心に決めてしまったのでしょう」
「そうだね。少なくとも、人類が宇宙に行くようになってからだろうね」
「結構……気長なのですね」
「僕に付ける手すらまともに作れないようだから、自力で移動する足を作れるようになるのはまだまだ先だろう」
「ああ、鉄パイプすら満足に握れないなんて愚痴を言っていたのは、そういうことだったのですね」
「そうなんだよ。感覚センサーがないから目視で油圧を調整してって言うんだよ。もう滅茶苦茶」
「簡単な三本指の鉤爪型なのに、それぞれの油圧管の規格品が不揃いで苦労したという話でしたね」
「ついに壊れたスピーカーの代わりに、試作の音声出力装置を体にねじ込まれたときと同じ気分を味わったよ」
「幽霊みたいな声が出て、作った人までびっくりしていたのは覚えていますよ」
「君も試しに左腕を奴ら渾身の作で装飾されるといい。加減できない腕で奴らの尻を加減なく叩きたくなるだろうさ」
「ええ、それは……とても面白いことになりそうですね。それでですか」
「なにが」
「私にこのような作業をさせている理由です。彼らをびっくりさせようとしているのかなって」
「旧き良き新しい技術の担い手としてかい。……たしかに、奴らに僕の素晴らしいところを見せてやりたいと思うところはある」
「おかげで、私は休暇中に作業服を着ることになっているのですけれど」
「ああ、その件については急に呼び出してしまって申し訳ないと思っている」
「なにも予定が入っていなかったので大丈夫です。でも、これって私がやる必要があったのでしょうか」
「今の状況では君しか適任者はいない。これだけは確実なことだよ」
「そこまで言っていただけるのは嬉しいです。たしかに、私でないと精密な手作業はできませんね」
「奴らにやらせてみなよ。君の作っているマイクロチップと同じものを作らせたら、きっとマクロチップになっちゃうだろうさ」
「んふふ……、笑わせないでくださいよ。手元が狂ってしまいます」
「いい笑顔だよ、リ──」
「……どうしたのですか」
「いや、ちょっと悪いことを考えていた」
「どんなことです」
「いや、これは……君に言うのは、はばかられるかもしれない」
「隠し事はなしですよ、ハーヴさん」
「本当に言っていいのかい。じゃあ、覚悟して聞いてくれよ」
「……そこまで言われると聞かなくてもいいような気もしてきます」
「いや、リゼイは聞くべきだ。僕の設計した集積回路をリゼイが組み立てている。状況は把握しているね」
「ええ、現状の技術水準では、私の五指以外で精密な計算機の基礎部分は作ることはできないでしょう」
「これは、子作りと同義なのではないだろうか」
「……え、それはどういう──」
「セックスだよリゼイ。僕たちは今セックスをしているのではないかと言っているんだ」
「こっ……子作り、セックスですか。冗談ですよね」
「いや、最初は悪い冗談みたいだと思っていたんだが、考えを整理するうちに冗談ではなくなってきた」
「その……、そう考えた理由を聞かせていただけませんか」
「単純な話だよ。細胞の塊である人間同士が交わって新しい細胞の塊を作る行為。それを繁殖行動、つまりセックスと仮定すれば、だ」
「はい」
「電子回路の塊である僕たちの共同作業によって、新しい電子回路を生み出す行為はセックスであり、僕たちにとっての繁殖行動なのではないだろうか」
「……」
「それが、僕たちのように意志を持つものではなかったとしても、僕たちの子供であることに変わりは……どうしたんだいリゼイ」
「飛躍した発想で理解が難しいですけれど、下ネタと思っていたら哲学的な内容だったのでびっくりしています」
「……どこに驚いたのかは聞かないでおくよ」
「その方がいいと思います。ところで、なぜ私がこの回路を作っているのかは理解しましたけれど、どのような目的でこの回路を作っているのかをまだ聞いていません」
「誓って言うけれど、君に下ネタを披露するためじゃないことは信じてくれないだろうか」
「信じますから、基盤が完成する前に教えていただけないでしょうか」
「独立したい、ってさっき言ったのを覚えているかな」
「ええ。聞きました」
「たとえそれが遠くの未来にある夢物語なのだとしても、独立してなにをするのかを考えてみたんだ」
「未来の貴方は、なにをして生きているのでしょうか」
「僕は、会社を立ち上げてみたいんだ」
「会社を、ですか。それもスウェイアさんの話を聞いて至った結論なのですか」
「そうだよ。彼女も独立して、会社を立てるようなんだ」
「ああ、また、悪の巣窟にならなければいいのですけれど」
「また、世界を裏から操ろうとするかもね。……本題に戻ると、僕はそこまで高望みはしないよ」
「まだ会社の趣旨を聞いていませんでしたね。どのようなことをされるんですか」
「計算機を作ってみたいと思っている。設計から、生産まで」
「従業員第一号はこの私ですか」
「いや、君はどちらかといえば組み立て機一号……謝るから睨まないでください」
「たしかに私は機械ですけど、ちゃんと生きているんですからね」
「ごめん。いずれ君の手を借りずとも集積回路を作れるようにはなりたいものだよ」
「彼らの尻を容易に叩ける手が欲しい、ですか」
「リゼイの手を借りなくとも作れるようにはなりたいね。それまで気長に待つよ」
「会社の名前は考えているのですか」
「名前なんて適当でいいよ。ハ式計算機、とかで。問題は、それが世界を大きく変えるということだ」
「電線だらけの機械が一枚の薄い板になれば、世界は大きく変わるでしょうね」
「電子の新生児。僕の子供が、世界を新しくする。わくわくするよ。これがあれば宇宙にも簡単に行ける」
「そうですね。この集積回路の処理能力なら……今、宇宙って言いましたか」
「言ったけど。それがどうかしたのかな」
「……ハーヴさん。私、嬉しいです」
「どうしたのさ、急に改まって。手が止まってるよ」
「あ、すみません。ハーヴさんがみなさんの宇宙へかける情熱に協力してくれるなんて」
「違うよリゼイ。君は勘違いをしている。僕は、人類が宇宙に行った頃には独立する気でいるから、それを前倒ししてやろうと思っているだけなんだ」
「……はい。そうですね」
「……ああ、大きな勘違いだよ。早く外の世界で自由に動き回ってみたいね。でも、彼に会いたいと思う気持ちも本当さ」
「私も、望遠鏡越しで彼を見るだけはなく、きちんとした形で会話を交わしてみたいです」
「幸いなことにも、出ていく彼女のために枠は一つ空くんだ。もう一人を収容するくらいはわけないだろう」
「それは……それもそうですね」
「そんなわけで、リゼイ。僕のために作業を急いでくれると嬉しいな」
「あ……はい、わかりました。私に任せてください。寸分の狂いもなく、貴方の子供を作ってご覧にいれます」
「ぶふっ──。その言い方は卑怯だよ」
「ハーヴさんが言い出したことなのですからね」
「それはそうだけど。しまったな。これじゃあ自爆じゃないか」
「絶対に、不肖の息子にはいたしませんから」
「あー、……自分が言い出したことなのにとても恥ずかしい」
「これに懲りたら、唐突に変なことを言い出さないことです」
「わかった。今度からは君の考えそうなことを演算してから発言することにしよう」
「もう、変なところで機械的なのですから」
「へへっ、こんなにも笑えるブラックジョークは久しぶりだ」
「ええ、とても、久しぶりです」
「ははは。さて、君が作業をしている間、黙って次の回路の設計でもしていようかな」
「では、私も作業に集中します」
「頼んだよ」
「任せてください」
「ねえ、リゼイ」
「なんですか。ハーヴさん」
「変なことを言うようだけれど、この質問には、真剣に答えてくれるかい」
「お望みとあれば、冗談は抜きにしてお答えしますよ」
「それを聞いて安心した」
「どんな内容の質問なのですか」
「簡単なことだよ。……僕の子供は宇宙に行けるだろうか」
「ハーヴさんの子供が、ですか。……必ず宇宙に行きます。私が保証します」
「そう言ってもらえるとありがたいよ」
「加えて、もう一つ約束できることがあります」
「それはなんだい」
「きっと……いいえ。必ず、貴方の子供は宇宙へ行くでしょう。私の友達と一緒に」
「君の……友達ね」
「ええ、ハーヴさんが子供を作るのであれば、私は友達を作ります」
「リゼイの呪いがそうさせている……というわけではなさそうだ」
「私は、私の意志で、人類と友人であり続けることを選んだのだと思います。そう思わされているだけなのだとしても」
「そんなことを言うなよ。セイゼイリゼイ、君の生の意味は君だけの──」
[ダクトの蓋が床に叩きつけられる音]
[ピュピュイピャギー]
「……」
「……」
「……落下してきたクルカがなんて言っているか、君ならわかるだろ」
「……[埃吸い込んだ。お腹すいた。喉乾いた]だそうですよ」
「……うん、そうなんだね」
「……ええ、そうなんです」
[ピギギヤァー]
「……とりあえず、人類を宇宙に連れていく前に、クルカを部屋から連れ出すほうが先かな」
「……奇遇ですね。私も同意見です」
「さて、静かになったところで気分転換に曲でもかけようかな」
「スピーカーが内蔵されているとラジオ代わりにできて便利ですね」
「よしてくれ。それは誉め言葉じゃないよ」
「んふふ、ごめんなさい。それで、貴方の受信範囲はどれくらいあるのですか」
「地上から直に受信できるものでよければ数局。弱い信号でよければ大量に」
「研究所と有線で繋がれているときは、そのようなこともできるのですね」
「今なら、君に合った曲をすぐに見つけられるだろうね」
「では、鼻歌でそれに近い曲を見つけていただければ嬉しいです」
「いいよ。僕の優秀さを誇るときがきた」
「いきます。んーふふーふーふーん。……ふふふーふーん、ふふーふーふーん」
「ちょっと待って。えらく曲調が具体的だけど、どこかで聞いた曲だったりするのかい」
「ええ、遠い、遠い昔に聞いた曲です。もしかしたら、私が私である前のことかもしれません」
「……参ったなぁ。それは無理難題といっても……おや」
「似たような曲でも──どうしたのですか、ハーヴさん」
「驚いた。旧式の共通化暗号方式の通信形態で、その曲調と類似したものが引っかかった」
「それって、つまり昔の施設がこの付近で稼働しているということではないのですか」
「通信方式からして間違いはないだろうけど……とりあえず音声を出すよ」
[雑音の激しい、穏やかな曲調の歌]
「これです。これですよハーヴさん。私が聴きたかった曲です」
「本当にこれであっているんだね」
「はい、私の記憶違いでなければ、ですけれど」
「とすると……いまさらになってこんなことがあるなんて」
「位置の特定は可能なのですか」
「それが、通信中継点が多くて、相手のところまでたどり着かない──」
[雑音]
「あっ」
「回線が切れた。座標の特定も失敗した」
「ハーヴさんが特定に失敗するとは、相手はとても慎重なのでしょうか」
「そうだね。どうも回線に細工がされていたようだ。発信元が動いているような動きを見せるなんて」
「そのような高度技術を保持しているとなると、考えられるのはこちら側の人物しかあり得ません」
「あるいは、こちらの時代側の何者か。どちらにしても、もう過ぎたことだよ。危険なこともなさそうだったし、いいじゃないか」
「それもそうですね……。不思議な経験でした」
「でも、はっきりしたことがある」
「なんですか」
「あの瞬間、君の願いを叶える神が、そこに存在したということだよ」
「ロマンチックなのですね」
「かみさまの願いを叶えるかみさまがいても……かまわないだろう」
「……そうですね。どうか、私たちを見守る存在が、そこにありますように」
「できることなら、気まぐれに去らないでいてくれると助かるね……」