「所長さん、少しは落ち着いたっすか」
「やぁ、成果はどうだい」
最近の挨拶はずっとそれだった。最初こそ半信半疑ではあったのだが、聞いていたとおりの繊細なお人だったのである。
「昨日言っていた提案、所内で色々と案を纏めましたよ。ハーヴさんの眼鏡にかなうかは分かりませんけど」
僕はデスクに座った。技研内をうろつき回るのが仕事のようなものだが、本来の仕事場はここなのだ。親の七光りのようなもので手に入れたポジションだからこそ、求められる仕事以外にも色々と頑張らないといけないなと思うものなのだ。
立ち上がっている所長のコンピュータにアナログのデータを打ち込んでいく。彼の一部を扱えるのは、「人間としては」僕だけらしい。それ以外に取り柄がない分、誰かに奪われることのないという点はとても魅力だ。
「……現段階の発案と技術力だと、これが限界かい」
「この回路と操作系統が生産できれば、多少はマシになるっすよ。多分」
「僕も僕で専門家って訳じゃなかったからなぁ。ここまで来ると道の先を知ってるだけだね」
「先見の明があるってことじゃないすか。少なくとも数十年はブースト出来るんすから」
「数十年か、僕らが進むほどに見えない未来は迫ってくるもんだよ」
「言われてみれば。流石ハーヴさんっすわ」
今日は幾らかまともなメンタルに戻っているようだ。何より。
僕は極力、所長の反応するような話題を選ばないようにしていた。ただでさえ件の声明は世界を震撼させるに足りるものだった上、所長はほぼ直接的な被害者でもある。
「あとっすね、ちょいと見て欲しいものがあるんすよ」
「なんだい」
「ちょいと待ってくださいっすね……」
キーボードを叩きながら説明する。
「ここの技研って、ほぼ唯一って言って良い場所っすよね」
「どう言う意味で、かな」
「旧文明由来ってとこっすよ。無論、浮遊機関とか噴進機関とか、そういうものはありますけど、『生産』しているって点では唯一っすよね」
「まぁ、大昔の設計と製造法を知ってるのは今じゃ増えても片手で足りそうだからね」
「まぁそれは関係ないんすけどね。今の技術で本来の精度を出すのは無理なのは承知なんすけども、重要なのは『作れること』なんすよ」
「……へぇ、これは」
「設計図をくれたもんですから、試しにやれるかって感じっす」
所長を少しは驚かせて、喜ばせようと思ってやったことだった。
「僕の思考回路のスペアだね。だいぶ大掛かりだけど」
「物理的な方法で模倣するしか無いっすからね、今の段階じゃ」
「……いや、ちょっと待ってくれ。嘘だろ、おいおい」
「何か?」
「何か、じゃないよ。この回路の設計は」
「以前にハーヴさんが試作した集積回路を流用しただけっすよ。リゼイさんと作ったって言う」
「流用!? これだけの応用をしておいて、たった流用しただけって言うつもりかい!」
「そうっすけど。あの精度も無理っすから、用途に必要なだけを現段階で出来るサイズにしただけっす」
「言うのは簡単だけどさぁ……頭があるなら抱えたいよ」
何をそこまで驚いているのか、僕にはちょいと理解しかねた。
「はぁ……やっぱりあの人の子供かぁ」
「お袋の事っすか」
「そうだよ、ドルト・ミジーネ君。あの人が結婚出来るってのも驚きだけど、親の遺伝が強すぎる」
「毒が漏れてるっすよ」
「あぁいけないいけない」
「僕は気にして無いっすけどね。お袋が聞いてたらまた大気圏外から嫌味届けてきやすよ」
「君のお母さんは本当に常識破りの人だから。あの年で真っ先に宇宙空間に飛んでくわ、各国共用の備品を私的利用して僕をからかうわ、本当に……」
「子供だった僕をハーヴさんに押し付ける始末っすからね。ほとんどハーヴさんが父親みたいなもんすよほんと」
「僕に頼むって所から常識がずれてる……と言うより、君が三歳になるまで、パラドメッドの全員が産んだことすら知らなかったってんだから。何が『ちょっと旅に出てくる』だよ。旦那さんが誰だか誰も知らないけど、どっちの親御さんもたまげるに決まってんだろ」
「それっすよ。『あたしが所帯持ったって知られたら弄れなくなる』とか意味分からんすよ。本当の親父が誰かもまだ教えてもらえてないんすから」
話が弾んでいる。良い兆候だ。
話の中で父親という単語を出したが、他人から見た所長との関係性は至極難解な事だろう。僕にとって「ハーヴェー・ウィラシック」と言う人物は、親代わりであり、技研の上下関係であり、愚痴を言い合える同期や友人のようでもある。僕自身がまともな人生を送っていないからでもあるだろうが、それでもある程度まともな人間になったのは彼のお陰でもあるだろう。
「……とにかく、思いもしてなかったものを出してくれたね。これなら僕の器のスペアを作るのも夢物語じゃなさそうだ」
「この規格で作ったらラオデギアタワーの半分のサイズにはなるっすけどね」
「作れるのが重要だと言ったのは君だろう」
「そういやそうっすわ、どの部品も小型化が望めるものっすからね。……何年後かは分かりやせんけど、完成品が目の前にあるのは気楽なもんすね、やっぱ」
「僕のカメラはもうそこには無いよ。本体はそれだけどなんかもどかしい」
「すいやせん」
僕は所長の本体に向けていた視線を目の前のモニターに戻した。今の所長はこの施設そのものと言っても間違いでは無いだろう。監視するように施設の重要区画に彼の「瞳」が埋め込まれている。本人がセキュリティーを司るという、人間じゃ出来ない芸当である。
「……ドルト君、この後は暇してるかい」
「んーと、まぁいつも通りっすかね。妄想をこねくり回してると思います」
「そうかい」
「愚痴りたいんなら聞きやすよ。ハーヴさんと何時でも会話できるのは自分だけっすから」
「言わずとも分かっちゃうか」
「一番身近に居た人っすよ。だからそう言う事を尋ねてくるんでしょうに」
「ハハッ、全くだよ」
所長から言ってくるのだとしたら、かなり腹をくくったに違いない。
しおらしい所長を見ているのはかなり悲しい気分になる。僕にとっては先生であり、親であり、大切な親友なのだ。出来る恩返しはまだそんなに多くない。
「まぁ、そこまで分かってるんなら話題も言わずもがなだろう」
「例の声明文すよね。スウェイアさんの」
「あぁ、ガス抜きを優先させて貰うけどさ……悔しいし、腹立たしいよ」
「そりゃそうっすよね。ハーヴさんは忍耐強い方だと思いますよ。僕だったらもっとヘタってみっともなくなってやすから」
「慰めは要らないよ。僕は気付けてなかったんだ」
所長が画面を操作した。彼が録画した映像群だ。
どれにも一人の人物が写っている。この世で知らない人は居ないであろう存在。
「僕の一番傍には彼女がいたんだ。君と一緒にここに来るまでは、リゼイとほぼ一緒に居るようなものだった。僕の傍に一番居たのは彼女で、彼女の傍に一番居たのも僕だと……今でも信じたい」
「お袋からの通信でも弄られてましたね。会えなくなって寂しいんじゃとか、僕をリゼイとの子供みたいに宜しくねとか」
「腹立たしい研究者だよ……それはともかくだ。そんなもんだから、僕は完全に理解し切れてたと思ってたんだよ。リゼイの思うこと、やりたいこと、望むこと……悩みや苦しみも、全部打ち明けてくれているもんだとね」
「あぁ、そこであの声明っすか」
「僕は何も理解できてなかった……いや、相談するほどに頼られてもいなかったんだ。たった一人で悩んで、苦しんで、それを僕に伝えもせず、僕も察することすら出来ずに……畜生、こうなるんなら不自由でもリゼイの傍に居るべきだったんだ」
「あぁ落ち着いて、って言っても難しいとは思いやすけど」
「使えるアームがあったら思いっきり振り回したい」
「所内のアームの制御を移しますか」
「君なら出来かねないのが恐ろしいよ。全く、君の調子に引っ張られてばっかりだな」
「ハーヴさんの性格あってこそっすよ。どんなに慌てふためいても理性だけは捨てないじゃ無いっすか」
「買い被りだね……こういう場合は扱う側が上を行ってるもんだよ」
「道具が変わらなければの話っすよ。人間の性根なんて気分次第で変わっちゃうじゃないっすか」
「我慢比べだな。分かった、僕が凄いことにしよう」
「そうっすよ。流石ハーヴさん、物分かりが良いっす」
話題が迷走してしまった。が、所長が自傷行為に走るよりはずっとマシだ。
自分を責めて解決する問題は何一つ無い。答えを出さずにほっぽり出すのと同義だ。使うエネルギーが勿体ない上、修復にもエネルギーを回さないといけなくなる。無駄に発散しただけの現状の方がどれだけマシか分かってくれただろう。
「ハーヴさん、さっき言ったことは違うと思うんすよ」
「ん? どこがだい」
「ほら、頼られてなかったとか、信用されてなかったとか。真逆だと思うんすよね」
「真逆?」
「だって、普通話したいと思いますか? 自分が悩んでいること、苦しんでいることを打ち明けるってかなり勇気要ることっすよね」
「……でも」
「それに、好きな人を不安がらせたいと思います?」
「ッ」
「リゼイさん、スウェイアさんにも言われてましたけど、凄く人間くさいじゃ無いっすか。本当に一人の女の子みたいな。幾ら最高頭脳を持ってたって、恋したオンナゴコロは処理しきれるはずがないんだってお袋なら言いやすよ」
「分かったような物言いだね」
「どういう訳かっすね。でもハーヴさんなら分かってくれるでしょう?」
僕は純粋な好奇心から尋ねた。所長の哲学的な語りは──真偽を兎も角として──とても聞いてて楽しいのだ。
「……女心は置いておいて、感情云々は僕でも理解し切れてないよ」
「生物的な短縮のプロセスでしたっけ。恐怖は危険を避けるための本能的な防御機構であり、時間の猶予が無い場合に効果的に作用する反射であり……恋慕は生殖本能の延長線上にある感情だって」
「よく覚えていられるよね。概ねそんな感じだ。遺伝子は自然への適応の途上で、生存において有効なプロセスが取捨選択されるようになっている。生きるのに有効であればあるほど、その因子は残りやすくなるからだ」
「共感が得られるほどの感情は、まぁ結果から言えば生存に有利なもの、と言うことっすね」
「数の多さを鑑みればね。でも今は感情に頼らずとも生存できる世の中だ」
「不必要な感情も、以前から比べれば多くなる」
「社会というシステムの中で発展した感情もあるはずだ。僕が理解できてないだけかもしれないが、リゼイが僕を苦しませまいと黙っているのは……」
「……文明という枠組みの中で育てられた、言わば社会的な感情であると?」
「利他主義の方が簡単に説明できそうだって今更思った」
「僕らに取っちゃ管轄外の学問すね。と言うかそんな話題でしたっけ」
「話していたら気も紛れてしまったな……とはいえ、思い出したくないことでもある」
スウェイア、と所長は溜息交じりに漏らした。
「あいつ、元から理解し合える奴とは思ってなかったけど……性根は隠してたって訳か」
「大胆すよね。南北の溝を埋めてやるって」
「考えは間違っちゃいない、むしろ正しいんだ……だから余計に質が悪い」
「リゼイさんをあんな風にしたことっすよね」
「クソ、今度野外に工業用アームを作るか」
「安全柵も一緒に発注しときやす」
「そうしてくれ。しかし……どうすれば良いんだ」
「難しい話っすよね、でも答えは出かかってるんじゃないすか?」
「いや、今回ばかりはそうもいかない。ただでさえ怒りやら憎しみやらでまともな判断が下せそうにない感じがある──思考回路を制限する機構を働かせたのは初めてだよ。使うとも思ってなかったし、こんな形で役立つともね」
「いつもの半分のパワーっすか」
「それ以下かも知れないね」
「なら、一旦終わりにして、休憩しやせん? 疲れてるときに考えても空回りしかしませんよ」
「……そうだね。熱が冷えるまでスリープモードに入ってるよ」
「起きたときには連絡して下さいっす。それまで『ハーヴサンド』食ってやすから」
「そうだね……本当にその命名はどうかと思うけど」
「考案したのはハーヴさんっすからね。元々の発祥は違うんでしょうが、現文明で考えたのはハーヴさんが最初っす」
「だからってサンドイッチのことを……」
「そんじゃ、腹減ったんで。お疲れっす」
「……ハァ。こういう時は主任を相手にしてたときと」
言葉の最後は、防音性の扉に遮られてしまった。
さて、ちょっと長丁場になるかも知れない。多めに買い込んで持ち込んどくか。
「今戻りましたっす。落ち着いたっすか?」
「随分買い込んだね。明日の昼食まで持つんじゃないか?」
「食堂の人に白目剥かれましたっす。月の給料一割分を買い込むのは人生初っす」
「だろうね」
どさりとハーヴサンドをデスクの隣に置いて、僕は背伸びをした。所長はこの問題をどう対処したいんだろうか。勘ではあるけど、僕たち──今の人類において多大な影響を与えうる行動を起こすことになるはずだから、真剣に望まざるを得ないのだ。
まぁ、所長のいる仕事場に泊まり込むってのも面白そうだというのはあるが。
「そんで、どの辺まで話したっすかね」
「スウェイアの声明に対して、どう行動を起こしたもんかってところだね」
「そうっすよね。さっきハーヴさんは正しいって言ってやしたよね」
「あぁ、南北の様々な意味での融合、旧文明と現文明の奇妙な一致、その先にある崩壊を逃れるが為の手段。言っていること、やろうとしていることを反対することは出来ない」
「あれっすか、正論だけど気にくわねぇって」
「だね。あの言い方に、やり方、ましてや宣戦布告なんて言葉も使ったんだ」
「僕たち現行人類に対してで、ハーヴさん個人には当ててない気がするんすけどね」
「それならそれで、僕はリゼイに対する言葉遣いと態度で怒らなきゃいけない」
所長は声明の最後を繰り返し思い出しているのだろう。彼女と私の子供が──正しい表現かは定かじゃないが、寝取られたようなものに近い言葉だ。恐らくは無視し、気にしないでいるだろう憤怒の熱気が、彼の一部から排熱されているような気がしてならなかった。
「どっちにせよ、片さなきゃならない問題っすか」
「人間は感情の奴隷だ。人間を動かす意思が機械にとっての演算目的だとすれば、感情は方法──同一のプロセスに過ぎない。機械は目的のために演算することから逃れられないように」
「人間は感情というプロセスを除いた行動が出来ない、結構穿った見方っすね」
「僕の研究の副産物みたいな持論だよ。人格もまた、経験から得た感情の推移、そこから得られる行動……つまりは主観的な判断から、客観的に観測できる出力までのことを言う」
「正しいかは置いておいて、考えさせられるっすね」
「人間が考えることに正しいものは何一つないさ。結局は不完全な生物が考えついた物差しだ……だからこそ、正しくあろうと修正し続けて、終わらない課題になってるんだ」
スウェイアが行おうとしている暴挙も、結局は彼女が個人であることを物語っている。所長はそう言って暫く黙った。
僕もまた、彼女が言っていた文面を思い返した。所長が反応しそうなのは……やはりリゼイさんに関することだろう。そして旧人類という、彼が未だ所属しているグループだ。
彼女は言った。人類を救うという浅ましいエゴイズムで、自身もリゼイも苦しめられたと。自分勝手な使命を押し付けて、しかしその使命すらも自身のことしか考えていなかったことであると──相手の勢力が復興をなし得るはずがない、そう言いたかったのだと彼女は主張したいのかも知れない。そこにあるのは不条理への怒りだろうか。此方側で理解できる人が居るとすれば──所長しかいるまい。
「……僕には責任があるのかもしれない」
「どう言う事っすか」
所長が話し始めたので、思考は中断することにした。
どちらにせよ、僕がするべき事は所長を手助けすることだ。それがきっと将来の──人類の為になると直感が囁いている。或いは感謝の念とか、恩を返したい気持ちからかも知れない。
「リゼイが僕の子供だと言うこと、確か誰にも話してないと思うんだ」
僕と、教えてくれた人以外は。所長は僕に告白するつもりのようだった。
「リゼイさんが、ハーヴさんの子供っすか。恋人じゃなくて」
「ややこしい話になるから、簡潔にする。質問は合間にぶっ込んでくれ」
「いつも通りっすね。バッチ来いっす」
「まず、リゼイの開発者……厳密には『基礎概念と基本設計の確立者』についてだ」
「リザ・クレイシー。パレタ社の研究者」
「厳密にはパレタに引き抜かれた中立機構の研究者だ。僕にとっての意識保存技術のように、彼女には汎用型のアンドロイドの基礎概念を持っていた」
「それをパレタに買われたって訳っすか」
「最近知ったことだ。大昔の通信システムを使ってね」
「とすると、リゼイさんからっすか」
「いや、確かに旧文明の通信インフラを使えるとしたら彼女らしかいないだろうけど……違う。数回に分けられて発信されてきたけど、全て発信地が異なってる」
それはつまり、所長やリゼイさん、スウェイアさんのような人物が存在している証明に他ならなかった。
「誰なんすか」
「分からない。ただ……僕を僕だと知っている人物だ。面識がない以上、全くと言って心当たりがない」
今はその話をするときじゃないから、と話題は戻された。
「届いた情報は全てサルベージされたものだったけど、改ざんされた形跡は見つけられなかった。僕は全て正しい情報だと信じて話すわけだけど、全てリザに関するものだった」
「そうなると、確かにハーヴさん個人を知っていなければ渡せやしないっすね」
「そこにあった内の一つに、リゼイの設計があった。僕は今のリゼイの状態に責任があるって事を、今更ながら知ったってところかな」
僕は黙った。変な横槍を入れるまいと心に決めた。
「リゼイのサブユニット、それが彼女の人格の拠り所だ。僕の理論の基礎はリザにも渡してあった。それをずっと研究して……僕とは別の到達点に至った。人格の構成が可能な、言わば『空っぽの箱』だ」
「ハーヴさんが入っている、魂の器」
「リザはリゼイに、僕の研究を込めた。それが文明復興に必要かは分からないが、『僕を救うために』組み込んだ機構には間違いない。リゼイが人間になったのは、僕が居たからだ」所長はそこで一息分の間を置いた。
「渡された中に、パスワードの掛かったデータがあった。特殊なものだ」
「解けたんすか」
「解けた……と言うより『解けてくれた』と言った方が良い。僕の時代でも理解に悩む存在だが、自己進化する防御機構だ」
「自己進化する……と言うと?」
「基本、鍵穴一つに鍵が一つ。鍵は変えられるが、その度に鍵穴も変える必要がある……掛かってたロックは、その鍵穴を自立的に変えられるんだ」
「そうしたら開けられないんじゃ」
「開けられる。機構に解錠者の傾向を覚えさせるんだ。パスワードを求められた際、その人にある問いかけをして、想定されうる言葉を鍵にしている」
「事実、ハーヴさんは開けられたんすね」
「出てきた問題は僕とリザにしか分からないことばかりだった。中身は……リザの日誌だ」
無機質な画面に変化が起きた。文字化けした列の下に、解読した結果であろう統一言語がタイプされている。それでも穴抜けだ。
「切り抜きだ。どれもこれも……リゼイは自分の子供だと書いてある」
イは無 な子供のよう
リゼ 眠る子 何も知 からこ 、私 責任がある。
ゼイ 私と貴方 供。
私 産んだ の子に、貴 見つ させ 。そして
ー 、貴方が生き いう事実を、リゼ 残したかっ
それは一人の残滓だった。到底実感のしようがない遠さから、確かな感情を届ける思念体の宿った情報だった。
「リザは、僕のことを愛してくれていた。だから……リゼイはリゼイになった」
「リザさんの組んだ素体に、ハーヴさんの箱が組まれた。リゼイは二人の子供だと」
「自我があることを不幸だとは思わない。だが──リゼイが使命に苦しんだのは、産んだリザと、僕にも責任があるんだ。親として、共に背負わなければいけない」
「……そりゃ、ハーヴさんが乱心する訳っすよ。むしろよくこんなことを秘めていられやしたね」
「もしかしたら、そこだけは僕もリゼイと同じなのかも知れないね」
「そりゃないっすよ。お袋の子なんすよ? 普通は厄介者扱いするでしょう」
「僕が育てた子だ。今じゃリゼイもドルト君も……ある意味じゃ同じだ」
どちらにしても良い父親ではなかったけれど、と所長は気苦しそうに笑った。
「目が覚めた気分だ。自分の向き合うべき問題をようやく見つけられた気がする」
「親としての責任っすか。僕にはまだ分からない概念っす」
「僕だってまだ分かっちゃいないさ。子供を産んだからって親になれるわけでもない。君を育てる羽目にならなかったら……僕はもっと幼い、情けない僕のままだったと思う。今みたいに……立ち向かう気概すら起こらなかったかも」
「そういうもんなんすかね」
「そういうもんなんだ。人間は複雑で、それでも単純なんだよ」
次の問題は、と所長は言った。「次の問題は、僕らに何が出来るかだ」
「スウェイアさんの言っていたことは間違いではないんすよね」
「そう。だから僕らが行動を起こすにしても、現状は彼女の後追いになるしかない」
「……南北の技術格差、融合問題……スウェイアさんは強引にそれを成そうとしてるんすよね」
「そうするしか手がないことぐらいは今の僕でも理解してる。許せないのはリゼイを被害者にしたことだ。僕から奪ったことだ」
「なんか結婚申し込みに来た婿相手に言う台詞っすね」
「大事な話の時にギャグをぶっ込んでくるのは止めてくれ」
「すいやせん」
それでも言うしかないのだ。所長は頑張るとなった時に限度を考えないのだから。
「それはそうとっすよ。スウェイアさんは現行の技術で埋めようとしてるっぽいっすよね」
「あぁ、北と南の技術進度を合わせるためだ」
「だとしたら、後追いする必要は無いかもっすよ」
「……どういうことだい」
「こういうことっす」
僕はキーボードを叩き、座標操作機器で簡単な図案を作り始める。
「声明の例に挙がっていた、船外活動時の宇宙服を例にするっすよ」
「北の技術の欠点を南の技術で補う……そこに僕が組み込む余地が?」
「まぁ見てて下さいっすよ。ハーヴさん、系統の異なる技術を統合する際に起きる問題は何すかね」
「そりゃ、規格の問題だ。端子が繋がらなきゃ機能することもない」
「そんじゃ、あの件がさっさか片付くと思いやすか」
「…………スウェイアは口にしなかったな」
「交渉の時には不利なことを喋らないもんすよね。一段階目が終わったんで、ちょいと図を見て欲しいっす」
「宇宙服と……スウェイアが言っていた筋繊維か」
「どんなものかまでは分からないんで、視覚イメージは適当っす。スウェイアさんが見せた方の詳細は不明っすけど、あの場に持ち出してきた限りで言えば、融合させるまでは問題なく行くと思うんすよ」
二つの図を統合し、そのアニメーションの裏で二つ目の図案を設計し始める。
頭の中にはもうイメージがある。それを形にするだけだ。
「でも、新しいものには初期不良がつきものっすよね」
「僕も最終試作までには三桁単位で失敗したからね。それ以下のものでもそれ以上の失敗と錯誤が必要になるかも知れない」
「ある程度予想できることは向こうさんでも対応策を練ってはいると思うんすけど、これっすね。見て下さい」
二つ目の図案と、補足するためのアニメーションを提示する。
「喋りながらよくもまぁこの速さで仕上げてくるもんだよ」
「まず起こるであろう事は、使用者と筋繊維の行動の齟齬です。スウェイアさんが付けてたであろうものは間違いなくミケラ製の技術っすから無視するとして、テクノクラートが開発できた代物はもっとずっと融通が効かんもんになるはずっす」
「対策としては、使用者と筋繊維の神経接続」
「テクノクラートの得意とする分野っすね。今じゃ拒絶反応も少ないみたいっすけど」
でもそうなれば、使用者には接続訓練に、それを用いた訓練、それにも費用が掛かってくる。船外活動できるのは大きな強みだが、実践に投入するまでには数年の月日と膨大な費用が掛かることになるだろう。必要な投資ではあるが……無駄にすることが出来る。
「あくまで視覚イメージっすから、少し誇張したアニメにしてますよ」
「……………………」
「生命維持装置を外すことが出来る、それをスウェイアさんは利点としてました。重量が軽くなれば、その分動きやすくもなりますが……こうしてやるんすよ」
「………………」
「重量はまだこちらが軽量、半自律制御で宇宙空間でもアクロバットが可能になりますし、訓練期間も大幅に減らせます。開発期間が勝負になりますが、スウェイアの目論見より速く達成できる自信はありますよ。彼女らと違って、僕らの参入する分野には行き過ぎというものがありませんからね」
「…………」
「無論、これは例に挙げただけで、他の統合可能な分野でも同様のことが行えます。全ての計画を統合するとして……『科学の夜明け計画』なんてどうすかね」
「……」
「……どうしたんすか、だんまりしちゃってやすけど」
僕はこの時点になってようやく尋ねた。全てを説明しきらなければ、必ず次の言葉が遮ってしまうと分かっていたからだ。
「どうして君はそう簡単に突拍子もないクソみたいに的確で現実的で理想的なアイデアをホイホイと片手間の如く出してくるんだよォッ!?」
「スピーカーの音量制限があって良かったっす。じゃなきゃ施設が倒壊してやしたよ」
「そんなことどうだッていいだろォがァ! どうしてそんな発想が出来るんだ!? 僕は最低限のことしか教えてないのにィ、なんでそう全てを応用しちゃうんかなァ!」
「それが僕の役目っすから」
「羨ましいよッ! 親譲り以上の才能持ってるよッ! 僕もそんぐらいに天才だったら今頃数千万人の旧人類があれこれ口うるさく説教してるよォ!」
「あーはいはい、落ち着いて下さいっす。軌道上のお袋まで聞こえちゃいやすよ」
これが彼の最大級の賛辞の仕方だ。怒りっぽい言い方なのは僕の性格が起因しているだけで、所長は根っからの研究者で、科学への理解者なのだ。
「まぁ、これだけじゃないんすけどね。こればっかりはハーヴさんが決める事っすから」
「……なんだい」
呼吸が必要ないというのは素晴らしい。あれほど怒号を響かせていながら、次の瞬間には落ち着いたフラットな応答が出来るのだ。この切替の速さは僕への適応なのだろう。
「スウェイアさんの目論見を完全に潰すには、人類が一丸とならにゃならん訳っすよ」
「管理すると断言していたからなぁ。南北の統合を拒絶する奴は死んじまえってのも」
「なら、僕らが架け橋になりゃいい話なんすよね。技術の架け橋はさっき言ったとおりで、人間関係も僕らが繋いでいくんすよ」
「どうやって」
「ハーヴさんがやるんすよ。これ見て下さい」
「まだ手札が残ってるのか……は?」
「さっき見せたスペアパーツの発展系です。最初に見せた回路とシステムが機能するようになれば、年内に今のハーヴさんを三十倍サイズで再現が可能になります」
「え?」
「来年まで余裕を増やせば──重要な記憶のみではありますけど──同じサイズでハーヴさんの人格転写も視野に入れられるようになりやす。勿論、コストは度外視してますが」
「……なぁ、凄いことを淡々と言うのは止めないかい?」
「これが僕の生来のしゃべり方っす」
「ああもう、あの人の子だよォ!!」
「それでっすけど、もしもハーヴさんの言葉が各研究所に届くようになれば、もうこっちの勝ちだと思うんすよね」
「待ってくれ、僕を増やすつもりかい!?」
「唯一自分を増やせる研究員っすから。ハーヴさんを各研究所に持ってって訴えるんすよ。僕らが技術の断絶を繋ぐから、競争は自分たちの施設内に留めてスウェイアに対抗しろって」
「僕が!?」
「現行人類対スウェイアの構図を作るんす。彼女の管理無しに、介入無しに、人類が一つになる様を見せつけてやるんすよ。前に語った例え話を覚えてやすかね?」
「ああもう、聞き役に回るよ。どの話だ」
「人類は一つにはなりきれない。争うことは生物の根幹だって」
「何故争いは繰り返されるかってことだね。その答えは世代交代が起きるからで、根本的な原因は適応するべき敵を求めているからだ……あぁ、そういうことか」
「僕らが対抗するべきなのは、スウェイアさんただ一人です。そして……」
「……彼女は宣戦を布告した。相手は今現在の全文明だ。まだ一つになっていない国家群を相手に、スウェイアは奇襲的に戦いを始めた」
「彼女にとって不幸なのは、ハーヴさんが生き残っていた事と、リゼイさんが大切な相手だったって事っすね。人間は感情の奴隷ってこと、スウェイアさんには分からないんじゃないすかね」
「他人のことは分からないさ。スウェイアも、今の人類のことも」
有難う。所長はそう言ってくれた。
語り尽くしていたら、既に夜が終わろうとしていた。
「ハーヴさん、自分が親だって言いましたよね」
「あぁ、言ったよ」
「考えようによっては、リゼイさんだけじゃなくて、僕らにとっても親みたいなものじゃないっすかね?」
「……君に振り回されたせいで、頭がもう回らないよ」
「そんじゃ良いっすかね。ハーヴさんならそのうち分かりやすよ」
「君にそう言われると、頑張って理解しないとなって思うよ」
「そんじゃ、残りを食って僕は寝るっす。ハーヴさんも戦う心構えをしといて下さいよ」
「君が仲間にいれば何でもやれるよ。主任に感謝しないとね」
「僕にも感謝して下さいっすよ」
「はは、勿論さ」
完全に立ち直れた。僕はそう信じることにした。
残った「サンドイッチ」は仲間内と食べることにしよう。冷めてても安心、所長が作った発熱波装置がホカホカに温めてくれる。
スウェイアがやろうとしていることは、人類にとっては良いことらしい。
それでも、所長が邪魔をすることも、人類にとっては良いことのようだ。
スウェイアも悪者のようじゃない。所長は勿論悪い人じゃない。
どうにも矛盾する感覚が正しいと、僕の直感は確かに言っている。
不思議なこともあるもんだなぁ。
最終更新:2018年12月04日 22:04