解放の日

〈────コチラ「ソナ4」。軌道変──三分前ニ到──〉
 
〈こちらセントラレ。通──好、周囲────体観測されず〉
 
〈──噴射準備ニ────ココカラダト「目的地」ガ大キク──〉
 
 扉の向こうで、ノイズまみれの音声が聞こえてくる。ようやくここまで来たのだ。
 僕も、彼らも。目指した場所にようやく辿り着こうとしている。それまでにどれだけの障害があったことだろう、どれだけの苦労があったことだろう。
 
 再び扉が開いて、僕をここまで案内してくれた青年が出てくる。
 
「夫人は中でお待ちしてます……頼みましたよ」
 
 彼はここで働く一介の社員だ。彼女の新しい会社で働く一人。
 だがしかし、その事実を知って今だけはその肩書きを捨ててくれている。僕だけでは到底叶うことのなかった計画だった。不明になっていた彼女の所在、必要な前提条件、その他色々……誇張を抜きにして、全人類の規模で協力を得られなければ、彼女を驚かせるためのプランは始めることすら出来なかった。
 
「有難う」
 
 僕は前に進む。自由にならない脚を、松葉杖に縋りながら。ゆっくりと、ゆっくりと。
 
 社長室と言うだけあって、時代に見合いつつも洗練された空間だった。
 本社の設計は現文明に任せたものの、自分の本拠までは任せられなかったのだろう。彼女の抱える使命に食い込んだ問題は、こういう形でも可視化されているのだ──きっと。
 
「中継をお聞きに、スウィーリア夫人?」
 
「えぇ、今日は記念すべき一日になるでしょうね、ホルスター氏。どうぞこちらに」
 
「済まないね。気を遣わせてしまっているようだ」
 
 僕自身も、こうして歩くことのどれだけ久しいことか。
 
 スウィーリア夫人に──この人に会うのも、年単位の開きがある。外見は全くの別人だ。パラドメッドにいた頃の雰囲気も、あの綺麗な髪の色の面影も、全てが霧散したように消えて無くなっていた。ただ一つ残るのは──孤高なその瞳の影だけだ。
 
「それで、ホルスター氏。重要な商談があるとお伺いしていますが」
 
「あぁ、それですがね……止めなくて結構ですよ。歴史上において重要な会話だ、私も聞いておきたいですから」僕は彼女の行動を遮る。「商談の件は……聡明な貴方なら、もうお気づきではないんでしょうかね」
 
「何のことでしょう」
 
「しらばっくれなくても良いんですがね、スウィーリア夫人……それならこう言いましょうか」
 
 杖を椅子に立て掛け、手を組み、頬杖とした。
 最初の爆弾だ。期待通りか、期待外れか、それとも想定内なのか。
 
 
 
「……マイク夫人?」
 
「ッ!」
 
 振り返った。初めて見る表情だ。
 直ぐに平静を繕ったが、彼女は確かに驚いた。その事実は変えようがない。僕の仮説をひとつ後押しする確信に変わりはない。
 
「貴方……誰なの」
 
「誰か、というのは抽象的な問いですよ。私の……いや、僕の『どれに』対して言っているのか、という意味でね」
 
「……北、南、それとも第三勢力?」
 
「どれでもあり、どれでもない」
 
「ホルスター、貴方はあたしに何を言わせたいの。何が目的なの」
 
 これは予想外だ。直ぐに察しが付きそうなものなのに。
 僕の知っている彼女らしくなかった。僕に微かな不安が過ぎる。
 
「本当に……分からないのかい、『スウェイア』」
 
「!!」
 
 スウェイアは答えない。彼女の意地がそうさせるのだ。
 僕は立ち上がる。彼女が立ち尽くしているのに、僕が座っているのは対等じゃない。
 
「それとも、こう言った方が合ってるのかな……『信じられない』って」
 
「……誰から聞いた」
 
「『私が何処に居るか、誰にも漏れるはずがない』『私を知る人物が、ここにたどり着けるはずがない』『私の予測を外れる行動を、人間達が起こすはずがない』」
 
「答えろッ!」
 
「答えているじゃないか。君が受け入れるかどうかだ。安心して、聞いているのは僕だけだ──誰も、僕らの会話を聞かないようにしっかりと言いつけてある。これは君と僕だけが相対すべき問題だからだ」
 
 僕はふらつきながらも彼女と正対した。今にも倒れ込みそうな身体だが、確かに「立っていること」を自覚できる。感じることが出来ている。
 
「それでも、君は答えたがらないだろうね。自分自身を打ち明けたがらないのはずっと変わらないみたいだし」
 
「────まさか。あんたなの」
 
「そうだ。覚えていてくれたんだね」
 
 僕が言った言葉に、彼女の表情は僅かに歪んだ。
 
「忘れるわけないでしょう、ハーヴェー・ウィラシック。科学の融合者……!」
 
「君のことだから、今日のことも勘付いていると思っていたんだよ。僕のしたことは君の望んだことではあるけど……『君が望んだ結果』では無かったはずだからね」
 
 これは僕の復讐に起因するものだ。
 世界を一つにする、そこはスウェイアの放った言葉と同じだ。僕がひたすらその目的に突っ走れば、彼女の目的をも叶えてしまうことになる。
 
「その目付きからして、随分と苛立たせることは出来たみたいだ。自分の手元から人々がどんどん逃れていく気分はどうだった? 管理してやると豪語したにも関わらず、鼻で笑われて、君の手からどんどん人類がすり抜けていく気分は。それにも関わらず、君が望んでいた世界へと変貌を遂げていくのを、ただ眺めるしか出来ない心境は。君の技術を利用しようと集まっていた諜報員すら、もう君を気に掛けることすらしなくなった気分は?」
 
「……それを言うためだけに、わざわざ人間に戻ったの? そこまで愚かな人だったとは思わなかったわ」
 
「その言葉は……君の本心として受け取って良いのかな」
 
 口調はこれまでと同じだ。だが……表現は全く異なっている。
 つまりは、僕は彼女に影響を及ぼせると言うことだ。これまでのように受け流されることもなく。
 
「残念だけど、僕は人間に戻れたわけじゃあない。僕は……この存在を通じて、君に語りかけているだけだ。本体は空っぽの箱の中さ」
 
「……なら、何を言いに来たの」
 
「一つは、君に見せたいものだったからさ」
 
 椅子の背もたれに腰掛けて、僕は右腕を左腕に伸ばす。
 肉が千切れるような音の後に、金属的な接続が外れる音。僕の腕はあってはならないほど簡単に、呆気なく外れてしまった。
 
「ほら、自分の手でよく見れば良い」
 
 それを彼女へ放り投げてやる──それだけで彼女ほどにはある重量を、それほど驚くこともせず受け取った。
 
「連邦アカデミア、テクノクラート、セイホウ技研、グロワーレ・マザルカ・メカニカーラ、オデッタ人民国科学室、皇国のアルケイヴィン。必要な技術を持つ中で、開発に携わっていない科学畑は居ないことは断言できる。ちなみに掛かった予算だけど……相対的な言い方をすれば、君やリゼイを作るよりも高く付いた。機能している国家群の、まさに威信を賭けた一体だよ」
 
「…………」
 
「それでも、君にとっては杜撰なものには違いないと思う。技術的なボトルネックが幾つも残っている。それ以外でも効率性やスペースの無駄遣い、性能の限界」
 
 脳味噌は肢体の静止姿勢維持と単純な歩行、手先の操作が限界のCPUで手一杯。僕が補助しても杖無しじゃ歩けない上、重量は大の大人四人分。リゼイの1.5倍だ。
 
「だが、大部分は彼らの最先端技術だ。僕が関わったのは『繋げること』だけ。君がやろうとしていたことだ」
 
「彼らの融合、その証明と言うわけ?」
 
「これを君の監視外で作るのは骨が折れたけどね。一丸となって隠蔽工作を張ってくれたって事なのさ」
 
「あんたがあちこちの主要研究所に『建造』されてたのは、その指示のためだったの」
 
「と、目を反らすためだね。ちなみにこれも今の人類が考えついたことだ」
 
 ドルトのことだが……主任も合わせたあの二人を現行人類に加えて良いものか悩ましい。生まれてくる時代を間違えれば単なる変人で終わっただろうが、最も必要とされるときに彼らはその才を遺憾なく発揮している──時代を牽引する天才と言うのは、流石に親の色眼鏡が濃すぎるだろうか。
 
「……これ、戻せるの」
 
「簡単さ……少し手を貸してくれ」
 
 スウェイアが嫌そうな顔をして、しかし僕の腕があるべき場所にあてがってくれる。
 
「各部がモジュールとして独立しているんだ。指示系統は別途必要になるけれど……接続そのものは容易だ。関節、筋肉、腱、皮膚……使われている技術の比率で言えば、リゼイと君のハイブリット、何て言い方も出来る」
 
「リゼイと……?」
 
「北と南の技術の融合、彼らを介して君が作ろうとした子供、違うかい」
 
 腕が填まったのと同時に、僕は直接的な言葉を投げかける。
 彼女の顔が強張った──感情があるかのように。僕がこの事を口にする理由を理解しているかのように。
 
 
 沈黙は続いた。中継器もとい盗聴器は、ノイズだけを走らせている。僕らが語っている内に軌道進入が完了し、目的地点への着陸まで待機しているところだろう。
 
「……もう一つの理由は、君と決着を付けるためだ」
 
「決着……?」
 
「僕には責任があるんだ。最後の旧人として」
 
 見て欲しいものがある、と僕は彼女を窓の縁まで誘う。
 僕が縁に腰掛けて待つこと十数秒、外側を警戒するようにゆっくりと近寄ってくる。
 
「…………無愛想な連中ね」
 
「保険、と言って信じてくれるかどうか。彼らの最後の審判者だ」僕は見下ろしながら言った。
 
「審判? あたしを裁こうってことかしら」
 
「厳密に言えば、出来レースみたいなものだけどね」
 
 スウェイアが顔を僕に向ける。表情は変えないが、理解に至らないことは見て分かる。
 
「彼らが動かなければならないときは、僕が僕自身の務めを、義務を、責任を果たせなかったときだ。君は直ぐに手を打とうとするきらいが有るからね。決裂するまでは逃げ出して欲しくないんだ。その為の保険、抑止力だ」
 
「……あたしがどう答えても、貴方は消すつもりじゃないのかしら」
 
「どうしてそう思うんだい」
 
 僕は尋ねてみた。確信を得るために。
 
「自分が何をしたのかぐらい、理解しているつもりよ」
 
「僕からリゼイを奪った。旧い人類に宣戦を布告して、強硬な管理を断行しようとした」
 
「あたしに逃げる場所なんか残っていない……もう逃げる気すら失せたわ」
 
「それは、諦めかい」
 
「そうよ。もう誰も、私の管理下に居やしない。あたしのするべき事はもう終わり。これ以上存在することに意味があるかしら」
 
 スウェイアは部屋の暗がりに、半ば逃げるように歩んでいった。外の日光が照らす床を踏み越え、ラヂオの前に立った。ノイズを掻き消すような変化はまだ起きない。
 
 
「──先ずは一つ、質問をしてもいいかな」
 
 外側に合図を送ってから、僕は始めることにした。
 このちっぽけな一室で終わらせるには余りに大きな事を、しかしここでしか終わらせることの出来ない事を。
 
「スウェイア。君の使命は誰が決めたんだい」
 
「あたしよ。あたしがこうすると決めたの」
 
「違う。五年前に君のした事じゃ無い……その前だ」
 
「前……」
 
「君を君たらしめた元凶、君の創られた理由だ」
 
「……彼らの言う旧文明よ。自分勝手で、愚かで、救いようのない」
 
「そうだ。君を苦しめ、悩ませ、孤独にしたのは彼らだ」
 
「だから何だというの。あいつらはもう居ない、勝手に滅んだのよ」
 
「その通りだ。本当にどうしようもない、屑野郎だよ。君やリゼイに全てを押し付けて、自分が何を果たすべきかなんて、微塵も考えようとしなかった。自分たちが与えた使命がどれほど難解でも、それを自身の技術力が解決できると信じて疑わなかった」
 
「……ハーヴ、あんた何を言っているの」
 
「スウェイア、もう一つ質問だ。創造主を越える創造物は存在し得るかい?」
 
「あるわ。創った当人さえ扱いきれない、危険なものが」
 
「いいや、違う。それは火や火薬のようなものだ。そこに知性は無い」
 
「なら、あたしのことは。貴方はあたしをヒトより劣るって言うの」
 
「正解ではあるが、言い方が違う。君もヒトを越えることは出来ないって事だ」
 
「分からないわ。貴方は何を伝えたいの」
 
「君に当て嵌めよう。君は自分自身の意思を託せるほどの存在を作れるか?」
 
 自分さえ果たせなかった使命を遂げ、たどり着けなかった未来へ向かえるものを。
 確かに科学技術は不可能を可能にしてきた。破滅した未来すら手繰りよせられるほどに強力で、危険な劇薬だ。だがそれを扱うのは誰だ? 創るのは誰だ?
 
「スウェイア、君はリゼイをかみさまと言ったね。自分が誰に創られたかを忘れたかい?」
 
「まるで自分が創ったような言い草ね」
 
「その通りだからだ。僕には君を創った責任を持たなきゃいけないんだ」
 
「狂ったのかしら、まともな論理思考も使えなくなった?」
 

「なら訊くよ。僕以外に生き残った旧文明人がいるかい」

 
 おもむろに立ち上がり、杖を握る手に力を込め、進み始める。
 

「僕以外に、僕の文明が残した罪を清算できる人は居るかい」

 
「……ハーヴ?」
 
 スウェイアの声色が変わった。初めて聞く、強張った声だった。
 

「僕以外に、僕の文明がもたらした破滅を経験して、伝えられる存在が残っているかい」

 
「止まって、それ以上こっちに来ないで」
 

「君には出来ないことだ。君が目覚めたのは全てが終わった後だ」

 
「聞こえないの、来るなって言ってるの」
 

「君は何も知らずに、自分勝手に押し付けられた使命を果たさなきゃいけなかった」

 
「黙って……もう喋らないで。何をするつもりなの」
 

「君の使命は、君を孤独にしただろう。誰にも心を開けない。助力を乞うことさえ許されない。そうやって何百年生きてきたんだ。君はヒトを信じてないんじゃない──使命が信じさせてくれなかったんだ、違うか」

 
「止めて、それ以上……やめて……」
 

「君がリゼイに愛憎の混ざった感情をぶつけたのは、彼女には友人がいたからだ。自分がどれほど求めようと得られなかったものを、さも当然かのように手にしていたからだ。それでも、彼女だけが君を理解して、君の唯一の友人と、理解者となってくれると信じたかったからだ」

 

「来ないで……来ないで! あんたを殺すわよ!」

 

「殺したいなら殺せば良い! 僕は構わない!」

 
「ッ───!?」
 
 僕は激昂していた。自分の脚の鈍さを呪った。
 どれだけ語ろうと、スウェイアは拒絶してくる。手にしたことが無いからだ。僕が教えなければいけない。彼女自身が気付いてなかったことを。彼女がリゼイにしたように。
 

「僕は旧人だ! 君が最も憎んで、恨んで、潰さなきゃいけない存在だ!」

 
「ッ、それは……それはっ」
 

「君を苦しませるのは過去だ! 僕は過去そのものだ! 君が『遺された存在』としてその使命を果たしたように、僕が背負わなきゃいけない業だ!」

 
「違う、あたしは、そんなつもりじゃ、ちが……」
 

「違いもクソもないッ!!」

 
 スウェイアは僕が一歩進む毎に一歩下がり、広い室内の隅にとうとう踵をぶつけた。
 

「僕が最後だ! だが生きている、僕はここに居る! 存在しているからこそ、これは僕が終わらせなきゃいけないことなんだ!」

 
「……何をする気、嫌……いや……!」
 

「僕は責任を果たさなきゃいけない! 君がそうなってしまったことにも、リゼイが苦しんでいることにも! ……数千年間続いた苦しみは、僕が終わらせなきゃいけないんだ!」

 
 ようやく、ようやく目の前まで来た。
 僕はスウェイアを見下ろしている。見たことのない表情で、瞳の色で、震えてすらもいた。僕を見上げるその顔は、きっと彼女がこれまでにしたことの無い表情だ。

「……何を、ハーヴ、何を……」

 膝を折る。視界が一気に下がり、勢い余った膝が床のタイルにヒビを入れた。
 

「もう終わりだ、スウェイア」

 
「終わり……やっぱり、あたしを──────」
 
 スウェイアは怯えきっていた。壁に背を付けているというのに、更に後へ下がろうと脚を踏ん張らせては滑らせていた。僕のことを何一つ理解できない、分からないから怖い──彼女の覆い隠して忘れていた感情は、何も学んでいない子供と同じだ。
 
 
 

 五年間、どうするべきかを悩み続けてきた。
 
 自分自身について、現行文明と旧文明について、リゼイとスウェイアの、立場や、関係性や、必要性、与えられた使命について。
 
 僕がこの日を選んだのは、長い迷いの末に結論へ至ったからだ。
 今の全てを狂わせた元凶は、その全てが旧文明だ。リゼイでも、スウェイアでも無い。彼女らを創り、しかしその存在への責任を放棄した、僕の生きた文明そのものだ。
 
 僕は罪を背負わなければいけない。最後の旧文明の構成人として。今の文明の祖、親の最後の一人として。そして……遺された二人のどちらにも、僕は償わなければいけない。
 何千年も経った今、旧文明の贖罪が出来るのはもう僕だけしか居ない。誰に責任か有るか、僕にとってはどうでもいい話題だった。大切なのは子の未来だ。親の面子じゃ無い。
 
 全てが変わるその瞬間までに、文明を、彼女らを縛り付ける枷を外さなければいけない。
 
「──────何を、してるの」
 
 理解できないと言いたげな声が耳元に聞こえてくる。人工の皮膚が、十二分なほどに彼女を教えてくれる。温かく、しなやかで──遺されたものの中で、最も傷ついていた。
 
「しなければいけないことだ」
 
 僕は言った。彼女と比べれば陳腐で粗雑な作りの身体でも分かるほど、彼女は震えていた。
 
「いいかい、僕は君の親代わりだ。君に粗末な使命を押し付けて、勝手に死んで、君の逃げ場も居場所も何もかもを奪い取った親の代わりに、僕は……君に伝えなきゃいけない」
 
 不思議なことに、スウェイアは逃れようと藻掻かなかった。目の前の現実が理解できていないように、横目に見える視線は辛うじて僕を捉え、呼吸は不規則で荒かった。
 
「もう良いんだ。もう苦しまないで良い。自分を犠牲にすることも、諦めることも」
 
「……何を言っているの」
 
「もう考えなくて良い。一人じゃなくて良い。管理しようとしなくて良い。君が望むのなら、何もかもを投げ出して、世界から消え去ってしまっても良いんだ」
 
 思いつく限りの束縛から、僕は言葉にして解放していった。
 
「スウェイア……どんな選択をするにしても、君をもう一人にはさせない。君を創った存在の最後の一人として……」
 
 僕の出した答えは、親としての務めを果たすことだった。
 
 良い親では無いかもしれない。だとしても、もう僕しか居ないのだ。彼女の親としてその責務を果たせる人間は。それが欺瞞だとしても、エゴイズムだったとしても。
 
「…………謝らなければいけない。済まなかった。ずっと君だけを苦しませ続けて、孤独にさせ続けて。本当に済まない、済まない……」
 
 僕は謝った。一体どの立場から彼女に謝っているのか、もうあやふやだった。
 
「……分からない。どうして、何で」
 
 スウェイアが微かに漏らした。彼女自身の震えでかき消えてしまいそうだった。
 
「なんで、あんたが。あたしを創ってすら居ないのに……」
 
「僕しか居ないからだ……人間として、君を、この世界を、僕の生きた世界から断ち切ることが出来る人間は、もう僕しか残ってない」
 
 僕が生き残った理由、なんて言ったところで後付けの夢想に過ぎないだろう。だが僕は果たさねばならないと感じた。彼女たちが不条理な使命に抗い生きてきたことに対して、僕がケジメを付けなければならないことだ。
 
「分からない、分からないわ……」
 
 僕の背中に何かが触れる感触があった。力なく、輪郭に沿わせるように這い上がってくる。
 
「分からなくて当然だよ。君が理解しようとしてこなかったことのはずだ」
 
 信じることが出来なかったからこそ、信じる必要が無いと割り切る必要があった。
 信用してはいけなかったからこそ、信じ方すら分からないままだったはずだ。
 
「なんで、なんであたし、悲しくも悔しくもないのに……」
 
 肩に負荷が掛かった。スウェイアの輪郭が、厚い布越しに伝わってくる。
 
「前に、自分は化け物だ、なんて言ってたよね。それは本当の君かい」
 
「………………」
 
「僕は違うと思う。君に課せられた役割で、従わざるを得なかった足枷だ」
 
「……何をっ、根拠に……」
 
「さてね。僕も分からない。けど……これだけは言わせて欲しいんだ」
 
 背中に回していた腕を、彼女の頭に持ってくる。
 優しくなでつける。いつか父さんや母さんが、僕にしてくれていたように。
 
「君は人間だよ。君が目を覚ましたその瞬間から、今の僕やリゼイよりもずっと人間らしかったはずだ」
 
「ふざけないでっ、あたしは……慰めなんかッ」
 
「リゼイなら、そこまで頑なに拒みはしないよ」
 
「ッ!」
 
「怪物だってそうだ……心ない化け物が、僕みたいな言葉に惑わされて、迷うことなんか有り得ない。それに……オマケみたいな言い方だけど、唯一涙を流せるじゃないか。遺された僕たちの中でさ」
 
 それがなんであれ、他者を理解し、理解されたいと願い、心を揺り動かされるのは知的生命の特権だ、と僕は言った。
 
「どう足掻こうと、僕らは元来の束縛からは逃れられない。それとは上手く付き合っていくしかないけど……それ以外の、誰かから創られた枷からは、自由であるべきだ」
 
 この世界も、君も、もう遙か昔の親の縄から解き放たれるべきだ。
 
 リゼイは、リザが鍵を渡してくれていた。僕という存在もあった。だからこそスウェイアよりも先に「旧文明」という枷からは解放され、ともに歩むものとして自身の境遇に悩むことになったのだ。
 
 
 だがスウェイアは? 彼女は目覚めたときから今この時まで、ずっと一人だったのだ。
 だれも彼女にヒトとは何たるかを教えなかった。彼女の使命を説きやしなかった。自身の苦しみを理解していても、それを打ち明ける友の一人すら得ることを赦されなかった。
 彼女がヒトを信じられないのは、僕の、旧世界の責任だ。
 
 僕が教えなくてはいけない。彼女が学ぶまで、僕が支えてやらなければいけない。クソッタレな僕の同期達に変わって、僕が彼らの分まで清算しなくちゃいけないんだ。
 
「……まさか、あんたに論破されて、こんな惨めになるなんて」
 
「僕も、こんな立ち回りを求められるなんて考えられなかった。そこだけは君と同じだ──遺された旧文明の知的生命という枷に嵌められてる」
 
「だからって、分からないわ。なんであたしを? あんたにとっては許せない相手のはずでしょう?」
 
「それはもう会ったときに済ませてるよ。君には救われて欲しい、これまで頑張ってきた分、報われて欲しい。そう思ってる」
 
「なんでそう思えるの。憎くないの?」
 
「君が一番苦しんだからだ、僕がそう思ったからだ」
 
「…………やっぱり分からないわ」
 
「無理に分からなくても良いさ。ただ、今は信じて欲しい。どうするかは君の自由だけれど……僕は君に信用されたい。だからこうやって頼んでるんだ。信じてって」
 
 特に言葉を返しては来なかった。ただ不規則に、再びしゃくり上げ始めた。
 彼らがこの身体を頑強に作ってくれたことを後々感謝しなければいけないなと思った。スウェイアという、僕だけが支えるには大きく重すぎるものを、こうやって抱き留められているのだ。
 
 
 
〈────トラレ、コチラソナ4。二分後ニ最終──────ヘ入ル〉
 
〈──ソナ4、こちらセントラ────ちょっ──の通信帯借り──────〉
 
〈──セントラレ、繰リ返シ────アッチャナラナイ言葉────聞コエタ気ガ──〉
 

〈通信帯を借りるっつったのよ。ヘーキヘーキ、直ぐ用件は終わるわ。調整もこれで多分大丈夫よね〉

 
 ラヂオのノイズが一気に減ったと思うと、聞き覚えのある────そして毎度良からぬ予感を感じさせる────声が聞こえてきた。
 

〈さて、アンタ達のことだから、きっと聞いてるわよね。こんな日に二人揃ってコッソリと……ナニをやってるのかしらね、ん?〉

 
「……………………あのクソッタレ主任の声よね」
 
「あぁ、こんなことをするのは旧文明含めてもあの人だけだ」
 
 予想通りの文面が流れ始める。先程までの空気が何処へやらだ。
 

〈ハーヴぅ、ウチの子から聞いたわよ~。行方知れずのマイク夫人と二人っきりで宜しくやってるみたいじゃなぁ~い? リゼイちゃんがこっちで一生懸命に働いてるって言うのに、お幸せなお二人だと思うわよねぇ?〉

 
〈セントラ────ラソナ4。話ガ全ク見エナ────ラデナニガ起キテ────〉
 

〈あんたらは黙って月の家に向かってなさァいッ! ハーヴ!! 何をしてるのかは良心で聞かないことにしてあげるから、さっさとこっちに来なさい! そもそもこっちにアンタの本体が来るって話なのよ、遅刻よ遅刻、大遅刻ゥ! サプライズの件バラすわよ!〉

 
「……あんなのが居るのに、大丈夫なのかしらね」
 
「君の管理も、度が過ぎなければ良い薬だと思う。少なくとも、もう一人で抱え込まないでいればね。リゼイを苦しませて悩ませるようなこともだ。好きな人に嫌がらせして赦されるのは子供だけだよ」
 
「ハァ、分かったわよ。元々はあんたの子だものね、リゼイも」
 
「……どうして知ってるんだい」
 
「言ってたのよ。アンタは『自分という自我の生みの親』だって」
 
「知ってたのか、リゼイは」
 
「そう言う意味で言わせて貰うわ。あの主任がこれ以上計画の邪魔をしない内に行きましょう、『お父さん』」
 
「ッ……卑怯だぞ、スウェイア」
 
「親になると言ったのは誰かしらね」
 
「ものの例えだ。君なら分かるだろう」
 
「さぁて、どう言う意味かしら」
 
「クソっ、その性根は君の本性かアアァッ!?!?」
 
 スウェイアは、僕の身体を抱きかかえたまま立ち上がりやがった。
 
「あんたの脚、まだまともに動かせないようだし、こうすれば良い見世物になるわよね。いい気味なのだわ」
 
「畜生、君も主任のように僕を弄ぶのかっ!」
 
「あんたは許してくれるでしょうし……あんたとこのアンドロイド擬きは違うでしょう?
 これは……不本意だけど、あんたとの子よ。あたしの管理と、あんたの尽力が産み出したの。あたしだけじゃ、きっと造れなかった」
 
 そう言って、スウェイアは助走を付け、先程僕が腰掛けていた窓から外へと飛び出した。僕は眼下の審判達──と言う名の僕の護衛かつ野次馬達──がどんな顔をしているかを確かめられはしなかった。
 
 ガラス片が舞う大空の下で、彼女はまた僕の見たことのない表情をしていた。
 とはいえ、きっとこれから沢山のヒトが見ていく表情だろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
〈──こちらソナ4、着陸に成功。繰り返す……着陸には成功した〉
 
 鮮明になったその報告を聞いたのは、丁度パラドメッド支部の打ち上げ場に着いたときだった。
 
 スウェイアが潜伏していた場所は、特別な巡空挺──ドルトが唱道して調整した「シグモスフィア改」というおぞましい泥船──で十数分のところだった。科学の統合と共に発展していった都市の外れで、幾つかのダミー会社の同時経営を行っていたのだ。
 
「間に合わなかったわね」
 
 先んじて降りたスウェイアが、頭上を仰ぎながら言った。セレネ着陸船であるソナ4と交信している場所は地上の最も真新しい建造物であり、パルエの新しい未来を照らし出さんとする灯台のようだった。
 
「君の目ならどうにか見えるんじゃないか。目的地は此方側の面だ」
 
「手持ちがないところで無茶言わないでくれないかしら。早く行くわよ」
 
「分かってる……こんなところでまでお姫様抱っこはゴメンだ」
 
「結構サマになってたっすけどね。強く麗らかな女性と臆病で優しい男とで」
 
「ドルト、止めろ」
 
「うい。そんじゃ僕が手を貸しやすよ。今の人類が創ったものを、今の人類が手助けするのは普通の事っすよね」
 
 周囲の取り巻きの面白そうな笑顔に囲まれながら、僕は杖と両脚を互い違いに地面へ叩き付けていった。エントランスには僕らの到着を──着陸の瞬間よりも価値があると判断した大馬鹿野郎達が待ち構えていた。この融合の象徴が完成形としてお披露目されるのはこれが初めてだ。決して格好の付いた姿ではないが、旧時代には決して叶わなかった形だ。
 
「あれが例の」と問いかければ「その通りだ」と近くの人物が返す。「肩の駆動部品はウチの工場が作ったんだ」と自慢げに語る奴の隣に「俺は人間と同じように動かせるプログラムを作ったんだ」と楽しそうに対抗する奴が居た。彼らは連邦人であり、帝国人であり、共和国人であり、パンノニア人であり、皇国人であり、他の沢山の国民であり……しかし今は紛れもなく「パルエ人」だった。
 
 
 
「……ハーヴさん? ハーヴさんなんですか?」
 
 その人だかりの中でただ一人、僕を別の見方で捉えた人が居た。
 隣には随分と老けた知人が立ち、時の流れとヒトの変わらなさを身をもって教えてくれている。
 
「リゼイに……主任」
 
「お袋、着陸の報告は今さっきっすよね。ここに居て良いんすか」
 
「良いのよ良いのよ。アタシが居なくてもセレネは回るし部品はちゃんと動くのよ」
 
 アルサ主任は快活に笑って、ドルトを自分の傍に連れて行った。僕を取り囲んでいた群衆は空気を読んで数歩引いており、スウェイアも何時の間にか傍観者に紛れ込んでいた。
 
 
 僕は一歩前に出て、彼女と正対した。
 
「……問題だ、リゼイ。この身体はここに居る人達が創った訳だけども、どの部分に一番苦労したと思う?」
 
「どこ────でしょう」
 
 数秒で降参したのは、長引かせたくなかったからなのだろう。
 僕は周囲を見渡した。訳を知っている彼らは、黙ってニコニコと推移を見守ってくれる。
 
「…………顔の作りだよ。君が直ぐに『僕』だって分かるように、だってさ」
 
「顔だけじゃなく、身長、体格、体重……はダメだったわね。でもこうやって見世物にするために休日返上で頑張ったってんだから。アタシに負けず劣らずの良い趣味してるわよね、アンタ達」
 
「恩返しって言って下さいよ、お袋。僕たちが一丸になれたのは、そこの三人のお陰なんすから」
 
「僕からも言っておくけど、この事を知ったのは数日前だからね……リゼイ?」
 
 僕が気づくのと同時に、周囲の冷やかしが一瞬収まる。リゼイが硬直しているからだ。
 
 ゆっくりと僕へ歩いてくる。視線は僕の瞳に収束したまま、無い左腕までもを伸ばしてくる。
 
「…………リゼイ?」
 
「ハーヴさん、分かりますか?」
 
 力なく僕へ身体を預けて、背中に腕が回される。
 
「……あ、あぁ」
 
 周囲の視線がいやに気になったが、これも僕が果たすべき責任だ。
 
 
 
「あぁ。嫌に固くて……冷たくて……思っていたとおりだ。凄く君らしい」
 
「────良かったッ」
 
 
 
 僕を締め上げるほどに力がこもり、周囲が堪えていた分を一瞬で出し切るほどの大声を打ち上げた。それは自らの技術力が目標としていた世界に達したことへの歓声であり、僕らに認められたことへの喜びでもあり、単純に僕とリゼイとが人前でこんなものを見せたことに対する、騒ぎ立ててやりたいという思いからでもあるだろう。
 
 ふと気になり、スウェイアの方に視線を向けた。
 彼女は肩をすくめ、「今は気にすることじゃないでしょ」と言いたげに困った笑顔を見せた。
 

「さぁて、アンタ達! カップルの鑑賞にうつつを抜かして地味な奴らのことを忘れてんじゃないでしょうね!」

 
 騒ぎに負けない主任の号令が響き渡る。こういうテンションの空間は完全に彼女の独壇場だ。
 

「さっさと行くわよ! ソナ4の奴らが餓死しちまうわ!」

 

「「「「ウオオオオオオオオオッ!!」」」」

 
 彼女の一声で、数百人という単位の人々が一気に動き始める。僕とリゼイ、スウェイアは困惑しつつ流されるしかないほどで、あれよあれよという間に管制室に押し込まれてしまった。
 
「予定時刻27分53秒超過。大遅刻」
 
「ネっ、ネタルフィー!? なんでここに……そんな場所に!?」
 
「保安上の理由。お三方のように頑丈ではない」
 
「でも……半ば見せしめだよね、それ」
 
「こういった扱いには500年前から慣れている。心配無用」
 
「そう……うん? んんッ!?」
 
 大型モニターの上部、視線の集中する場所に宙づりにされた彼に呆れていると、視界外から誰かが僕を掴んで引っ張ってきた。正体は……当然アルサ主任とその手下と化したリゼイとスウェイアであり、されるがまま僕はこの空間において最も上座──ソナ4との交信が出来るマイクの前に座らされた。
 
「ソナ4、こちらセントラレ。ようやく騒ぎが一段落したわ。報告頼める?」
 
〈セントラレ、こちらソナ4。通信良好、異常なし。セレネの空は静かなもんですよ〉
 
 主任がマイクに向かって声を出すと、管制室全体に応答が響く。眼前のモニターはセレネ地表をリアルタイムで映し出しているようで、宇宙服姿の二人が大きく手を振っていた。
 
「パルエ『二度目の』初着陸に成功したお二人さんに、サプライズゲストからお祝いの言葉があるわ。耳の穴はかっぽじれないだろうけど、有り難く聞いときなさい!」
 
「サプライズゲストって……もしかしなくても」
 
「はい、ハーヴさんです」
 
 リゼイへの用意されたサプライズだけでなく、僕に対してもこんなものを用意していたとは。
 
「新しい文明の、新しい門出よ。あたしに豪語したんだからしっかり決めることね」
 
「思ってみれば、こうして四人揃うのも久々よね」
 
「記録では18年と6ヶ月、13日4時間45分32秒誤差プラスマイナス10分。ハーヴがドルト君を連れて独立した日から」
 
「報告ありがと、ボットちゃん。さ、向こうさんは待ってるわよ」
 
「分かった、分かったから……」
 
 深呼吸の真似事をして、文面が出来上がるのを待った。
 管制室も静かになって、出す声の全てが全員に届くという事実が僕を震わせた。
 
 
 
 僕は視線を眼前に迫るようなモニターに向けた。僕の言葉を待つ二人が、二秒の遅延を経て僕を見つめている。
 
 
「…………最初に、自己紹介をさせて貰うよ。ソナ4の勇敢な乗組員のお二人さん。
 僕はハーヴだ。ハーヴェー・ウィラシック。最後の旧人だ」
 
 
 二人が顔を見合わせ、そしてカメラにゆっくりと視線を戻す。
 
 
「ありきたりだけど、まずはおめでとうと言わせて欲しい。何もかもが瓦礫に埋もれた出発点から、君達が再びセレネへ足を付けたこと。そして……僕らがなし得なかった世界を創り上げられたことにも。
 
 今、僕はその融合の象徴を言葉そのままに体感している。南北の大国、第三諸国、大陸を分割する国家の全てが、たった一つの目的のために団結してくれた。
 まだ技術水準としては僕の生きた文明に追いつけてはいないけど、そこに無かったものを君達の文明は完成させたんだ。世界を一つにすること──それは素晴らしいことだ。本当に凄いことだよ」
 
 
 静寂に反響する声を噛み締め、僕は左右に立つ二人を見た。
 
 
「遙か昔、僕の文明は二つのまま、互いにいがみ合い、争いあった。
 相手を受け入れ、ともに歩む道はとうの昔に喪っていた。後戻りの出来ない道を進んだ結末は……君達の知るところだ。今の文明もまた、その道を選びかねなかった。
 
 でも、君達には僕らの時代に無かったものがあった。先例だ。僕たちだ」
 

 リゼイであり、スウェイアであり、僕だ。
 
 
「リゼイとスウェイアは、僕の文明が最後に遺した、意思ある墓標だ。
 
 創造主である旧世界に、同じ道を辿ってはならないという警鐘と、辿らせてはならないという使命を無理矢理に背負わされた。決して一人で抱えられるものじゃない。それでも彼女たちは引きずっていかなければいけなかった。誰にも理解されない、孤独な管理者として。
 
 彼女たちが抱えていた苦しみは、旧世界の傲慢が遺した枷だ。
 
 僕たちに遺されていたのは、団結するために相手を敵視することだけだった。それしか残されていない道を進んでしまったが為に、彼女たちにもそれしか与えられなかった」
 
 
 彼女とこの世界には同じ枷が掛かっている。それは過去だ。
 彼らには決して同じ道を歩ませてはいけないという使命。そのために彼女たちの言うことを聞けという、驕りきった傲慢さ。この場の僕以外の全員が、その枷を嵌められた被害者以外に他ならない。
 
 
「悪循環だ。旧文明がリゼイとスウェイアに課した使命が彼女らを縛り付け、彼女らが今の文明の枷となってしまう。そのことに気付いた二人は、そんな現状に苦しんだ。
 
 君達に打ち明けられる悩みじゃない。これは僕らの、本来ならば忘れられるべき者達の問題だ。過去の存在が現在に干渉すること、その意味は遙かに重い。
 
 僕には君達を解放する義務がある。今の文明も、リゼイや、スウェイアもだ。五年前のスウェイアの声明文……まだ何かしら恨みを持ってる人が居るかも知れないから言っておくことにするけど、恨むなら僕にしてくれ。彼女に何ら責任はないんだ」
 
 
 スウェイアの方をちらりと見る。つんと澄ました顔だ、いつもと変わらない。
 
 
「ついさっき、全ての枷が外れたことを確かめられた。君達が自力でセレネに辿り着き、二人の啓示と管理のどちらも必要ないと証明してくれたからだ。僕らが願うのは、そのまま僕らの手助けを得ることなく、一つのままで進み続けてくれることだよ。
 
 もう僕や二人のように、人類そのものを背負うような誰かを創って欲しくない。取り返しが付く内に手を打って、正しいあり方を考え続けて、僕らの辿り着けなかったところまで進んでいけるようになって欲しい。君達は今、僕らがかつて立ったスタートラインに、僕らよりもずっと融合が進んだ揺りかごから辿り着いたんだ」
 
 
 ここから先にも僕らの足跡は多く残っている。だがそれでも、僕らが行ったことの無い世界の方が遙かに広い。
 
 
「……話が長くなってしまったね。君達にはするべき事が残っていることだし、最後にある人の言葉を教えておこうと思う。何千年も昔に、君達の場所に立った人が残した言葉だ」
 
 
 僕はモニターを見つめた。僕の生まれる二世紀は前の話だ。
 当時の彼らは、果たして彼の言葉をどう捉えたのだろうか。
 
 
「『たった今、私は一歩を踏み出した。荒涼と広がるセレネの大地にとって、余りに小さく、取るに足らない一歩だろう』
 
 僕からも言うけど、君達が思っている以上にその場所は広い場所だよ。
 
『だがしかし、この広大で果てしないおおぞらへ向けて、我々が踏み出した最初の一歩である。余りに小さなこの一歩が、我々の最初であり、永劫語り継がれる勇気の象徴となることだろう』
 
 事実として、そこから500ゲイアス先に彼の足跡がある。ドルトムス・アルムシリャ……君達にとっても身近な人物だ」
 
 
 リゼイを見た。過去の膨大なデータバンクである彼女は、僕の言わんとするところを分かってくれたようだ。
 
 
「────『未知に屈すること勿れ。道は足跡なり』と続いて、彼の言葉は終わる」
 
 管制室がどよめいた。モニターの彼らも、数秒の遅れを挟んで動揺を見せた。
 
「リゼイが教えてくれた言葉だって、主任から口うるさく聞いたことだろう。君達のスローガンは、人類が初めてパルエを飛び出し、初めて放たれた言葉だ。まだ未来があり、明るく、大きく広がりを持っていた時の言葉だ」
 
 
 願うならば、彼らが僕らと異なる「道」を選ばんことを。僕らが望めるのも、祈ることが許されるのも、きっとそれだけだ。
 
 
「今日は記念するべき日だ。君達が過去を追い抜いた日であり、誰よりも苦しみ、悩み、ひたむきに努力を重ねてきた二人が解放された日であり、僕らが管理者としてではなく、保護者としての生き方を選べるようになった日だ。
 
 僕らが君達の進む道に干渉するのは、今日のこの言葉が最後だ。これからは指示もしない、助言も最低限だ。君達は巣立った子供で、僕らは家に残る親だ。文明の行き先は君達が決めていかなければいけない。その責任の重さを、いつまでも忘れないで欲しい」
 
 
 不安は無い。僕の役目はこれで一段落する。
 これからは見守るだけだ。彼らが自力で過ちを見つけられるようになるまで、こっそりと教えるだけ。完全に必要ないと僕ら自身が思える日が、彼らにとっての真の独立と言えるだろう。
 
 
「これまでに無い困難が待ってることだろうと思う。きっと乗り越えられるだろう。僕はそう信じているし、君達はその期待に応えてくれる。
 これが本当に最後だ。残った最後の旧人として、一人の研究員として、君達の勇気と飽くなき好奇心へ賛辞を送りたい。おめでとう、そして……有難う。以上だ」
 
 
 
 
 随分と混乱してしまった。言いたいことが多すぎ、旧文明代表という重圧が予想外に思考を鈍らせた。
 それでも、管制室の中は歓声で沸き返っていた。ソナ計画の関係者も部外者も、ここに居る全員が惜しむことのない拍手を送ってくれた。
 
「ソナ4、そう言う事よ。残ってるモンを全部かっ攫って、さっさとここに戻ってらっしゃい! 文明の父が首を伸ばして待ってるわよ!」
 
〈セントラレ、こちらソナ4。確かに受け取りました。これより「月の家」に向かって、残ってるものを全部盗んできますよ〉
 
「その意気よ、さっさと引き籠もりを連れて帰ってくること。通信終わりッ!」
 
 主任がマイクのスイッチを切り、手すりから身を乗り出して群衆を見下ろした。
 

「いいかいアンタたち! あの二人が帰ってくるのに三日は掛かるわ! あの二人の分を残せるって自信があるなら、今からバァーッと騒いで構わないわよォ!!」

 一段と大声が上がった。今の文明を陣取る人々はノリのいい人柄ばかりだ。
 
「良いんすかお袋、またあの二人をほっぽり出しちゃって」
 
「だれがほっとくなんて言ったの? ここでやるんだから大丈夫よ!」
 
「……ハーヴ、これで本当に大丈夫だって言えるの?」
 
「僕らが何時までも口出しするわけにも行かないさ。もうあの人のお守りもゴメンだし」
 
「大目に見ましょう、スウェイアさん。今日は皆にとって特別な日になったんです」
 
 貴女も、私も、とリゼイは彼女の手を取った。
 余りいい気はしなかったが、これが親の心境というものだろう。
 
「最悪、僕が監督しておくよ。二人も騒いできたらどうだい」
 
「嫌よ。騒ぐのは好きじゃないわ……あんたと一緒に仕事してた方がマシ」
 
「リゼイ、スウェイアに遊んでストレスを吹っ飛ばすって事を教えてやってくれ」
 
「はい、行きましょう」
 
「そうよそうよ、アンタ達も主役なのよ。唯一食いもんを消化できるんだもの、全部食わせるまで逃がしやしないわ」
 
「あっちょっ」
 
 主任とリゼイに拘束され、スウェイアは眼下のお祭り騒ぎへ連行されていった。主任が既に仕込んでいたのだろう、全てのデスクの上に酒瓶や料理が雑に運ばれてきていた。
 
「大丈夫なんすかね、お袋。腰痛めないかなぁ」
 
「自分の責任は取れる人だよ。君は行かないのかい」
 
「節度は弁えるべきっすからね。訊きたいこともありやす。僕の名前は彼から?」
 
 ドルトはデスクに腰掛け、僕へと尋ねてきた。
 
「あぁ。何時だったかは流石に忘れたけど、主任にある話題を振られたんだ」
 
「何すか」
 
「自分に子供が生まれてたら、どんな名前を付けてたかって。その時にさっきのネタを言ったんだ。僕も今さっき繋がったところだよ」
 
「アルサ・ミジーネとハーヴの会話、適合ログは22年と3ヶ月前」
 
「どうも、ネタルフィーさん。僕が生まれる一年前っすね」
 
「さては、その頃から何か企んでたんだな。全く読めない人だよ」
 
「ハーヴさんが名付け親でもあったんすね。嬉しいっす」
 
「……こっちも嬉し恥ずかしって感じだな。ところでネタルフィー、もしかしてログを全部記録してるのか」
 
「私が拝聴した記録は、全て」
 
「ストーカーだぞ、それ」
 
「患者の記録は重要、機密は厳守している」
 
「……まぁいいか。君にも助けられたし、何も聞かなかったことにする」
 
 僕は溜息を吐いて、背もたれからずり落ちた。
 
 
 聞こえてくる大騒ぎが、ひたすらに心地よかった。
 
 
「お疲れ様っす、おやっさん」
 
「ドルト君?」
 
「呼び捨てで良いっすよ。僕が知る中で、一番父親に近いのはおやっさんなんすから」
 
「……親の資格、あるのかなぁ」
 
「ありやすよ。この五年、いや僕を引き取ってからの間、ずっと努力し続けたじゃないっすか。おやっさんが何と言おうと、これからはこの呼び方しかしやせん。当然のことっす」
 
「僕としては、これまで通りの関係性が気楽で良いかなぁ……」
 
 簡単に親になるもんじゃない、と僕は愚痴った。
 責任を持つというのは酷く疲れる。リゼイやスウェイアが抱えてきたものだ。ここまでやれてこれたのは僕の頑固な意地みたいなもので、二度とやりたくないことだった。
 
「旧文明の最後の一人、贖罪が出来るのは残った僕だけ、か」
 
 自分で言い出しておきながら、随分な言い方だと思った。
 僕はやり遂げられたのだろうか。この世界と旧世界を断ち切ることが出来ただろうか。
 
 
 決めるのはきっと、何十年も隔てた未来の世代だ。
 ドルトの子は、孫は、過去に囚われることなく進み続けられるだろうか。
 
 
「残っていたのがおやっさんで、本当に良かったと思います」
 
「……本当にそう思ってくれてるのかい」
 
「これまでに僕が嘘を言ったことがありやすか」
 
「僕が怒りかねない失態以外は、無いね」
 
「そういうとこっす。僕が良かったって思えるところは」
 
 
 ドルトは良い子だった。
 旧文明と現文明という関係でも、僕個人と彼という関係でも。
 
 
 
 
 
 未来を誰かに託すことは、その人に全てを押し付けることだ。
 だがしかし、親はいつか未来を子に託さなければいけない日が来る。子もまた親の未来を引き継ぐか、自身の未来を創っていくかを決めなければならない。
 
 今ここに在る未来は、僕やリゼイ、スウェイアにネタルフィー、まだ残っている旧世界の存在のものではない。僕たちが決められる未来は今日までだ。
 
 
 
 楽しみだ。
 明日のソナはどんなパルエを照らしてくれることだろう。
最終更新:2018年12月11日 16:30