方舟に関する書簡2

 「方舟」で遭遇したものが何であったかを話すのには、多大な勇気が必要である。思い入れがあっただけに、覆されたときの衝撃は大きなものとなってしまうのだ。まったくふがいない話ではあるが、これを執筆している間にも、頭のなかで再び整理されていく「方舟」での出来事が私を苦しめている。空調の効いている部屋にいても額から汗がにじみ、筆を置いてブランの輝きを見に行きたい衝動に駆られてしまう。しかし、貴方にたいして誠実に記述をすると心を固めてしまった以上、私は勇気と体力の限りに書き綴るだろう。

 

 

 私が「方舟」の側面を歩き回って見つけたのは、何の変哲もない窪みだった。シャッターで閉鎖された窓とまったく同じ形のそれに私だけが気づくことができた。これだけはなにかが違うのではないかと思った理由は、ひとえに「コンタークト」に入れていた旧文明言語表が激しく反応したためだ。文字通り「目前」に突然列挙される言葉に混乱した私は、その混乱によって事態を把握するに至った。

 旧友の二人が私を「方舟」に連れていきたがったのは、知識よりも私の「コンタークト」を取りつけた左目をあてにしていたといっても過言ではないだろう。多大なる金銭と、多少なりとも手術を必要とするものの、眼球に貼られた透明な膜を介し、自身の認識したものを翻訳してくれるのだ。もちろん、物理的な膜が展開しているために、眼球を異物から保護する機能も持ち合わせている。

 眼球と大気との温度差で発電する「コンタークト」は、学術者としてフィールドワークに同行し、価値のある発表を行ったと認められた際に、高名な恩師から贈られたものである。これがあれば、学術者は旅をするときにも本の山を持ち出さなくて済み、物理的な電子機器に頼る必要もなくなる画期的なものであった。さらに、目がカメラの役割を果たすことで、読み取り装置さえ不要となった。

 今までのすべてがこのなかに詰め込まれていれば、誰でも欲しくなるというもの。だが、手術の不可逆性という倫理的な面もあり、付けているものはあまり多くない。なにより、私でさえ恩師からの贈り物でなければ手が届かないほど高価なものであるということは言及しておかなければいけないだろう。

 閑話休題し、本題に戻るとしよう。「コンタークト」が反応したのは、シャッターの傍に書かれた文字にたいしてだった。屈まずとも仔細が分かる程度には小さいマークとともに見つけたのは、「方舟」の自動衝突回避行動が避けきれずに積もった埃に隠れた「非常」「ハッチ」という二つの単語である。それまで広大な砂漠を朦朧と歩いているようだった私は、目に映った単語の意味を理解するに至り、異様なほどの喉の渇き感じながら片膝をついた。

 あてもなくさまよっている旧友を呼ぶことすら忘れていた私は、その「非常」「ハッチ」に連動するものがないかと床に手を這わせた。薄い塵の層が払われると、シャッターと壁との継ぎ目があらわになった。その瞬間──見た目は他のシャッターと変わらないのだとしても──「方舟」のなかに入れるのだという期待が動きを拙速なものにし、息苦しさを覚えるほどに、シャッターからわずかな埃を払うという行為に熱中していた。

 異常行動に気づいた旧友が私の元へ来る頃には、私は埃まみれになりながら両膝をつき、シャッターを凝視していた。冷静ながらも若干の錯乱状態に陥っていた私は、シャッターを開けるという考えすら思いつかず、偉大な発見をしたのだという多幸感に包まれていた。旧友が肩を揺らしてくれなければ、酸素が尽きるまでそうしていたかもしれない。興奮気味に二人の事情聴取に応じるうちに、浮ついた意識が取り払われ、我々が「方舟」に来た目的を再認識するようになった。このときばかりは、仕事として「方舟」を捉える淡白な二人の価値観が頼もしく感じられた。学術者としてのロマンチズムに引きずられた私だけでは、傍若無人に「方舟」を暴こうとするなどということは到底できなかっただろう。

 

 

 これが「方舟」の非常用ハッチであることを理解した途端、旧友は下賤なサルベージャーの容貌になり、労せずして施設に入れるのだとはしゃいでいた。ひとしきり喜んでから、私と同じように膝立ちになった二人は、猟犬よりも鋭い嗅覚によってシャッターの開閉を司る部位を特定してしまった。もはや旧友の心配事は、すでにこのシャッターを開けた途端に防衛システムが起動して殺されてしまうかもしれないという話に移り変わっていた。ただ、そこで立ち止まるようではサルベージャー失格である。妙なところで勇敢な二人は、すぐにシャッターを開放してなかへ侵入することを決意したようで、いくつかの器具を使い、難なくシャッターをこじ開けた。

 声には出さなかったが、それがエアロックであった場合のことを考え、私はシャッターを壊してしまうことには反対の立場だった。しかし、シャッターの奥に、一片の誇りもない白色──「方舟」の外壁と同じ──のハッチを見出してしまえば、二人は旧文明の遺物に直に触り続けた人物なのだと認めざるを得なかった。非常用ハッチというのはこのシャッターを指す言葉ではなく、奥のエアロックを密閉するための扉を指していた。つまり、二人がシャッターを無力化してしまったのは、それがなくとも「方舟」への出入りに何の影響も及ぼさないことがわかっていたからなのである。

 私は旧文明言語がわかっても、言語の意味を深く正しく理解しているわけではない。積み重ねた経験則とわずかな手掛かりのみで正解にたどり着ける二人に比べれば、一介の学術者である私は、あくまで旧友にとってただの保険なのだという自覚を持ち始めていた。「方舟」に入って迷惑をかけないようにという自戒も含み、私はできるだけ冷静に物事の推移を注視するに留めようと心に決めた。そうしているうちに、二人はパネルに穴を空けたり穴のなかにチューブカメラを差し込んだりしたおかげで、ハッチが大きな音を立てた。私でもエアロックが解除されたのだとわかるもので、意識を旧友に向ければ、二人は短く歓喜の声を上げ──最終手段を使わずに済んだと──お互いの握り拳を何度かぶつけていた。

 

 

 エアロックに入ると、私の運動量偏向装置が警報を鳴らした。突然の出来事に私は驚いたが、旧友が壁に立っていることにもっと驚かされた。後から考えれば、二人は運動量偏向装置を持っていないために、「方舟」の内部に設定された運動量偏向によって、正しい位置──つまり床面──に立つことができたのだろう。私は、方舟の外壁、つまり壁を床としていた状態から同じように内部の床──つまり壁面──に立とうとしたために、その齟齬を運動量偏向装置が感知して警報を鳴らしたのだ。二人が私を壁から引きずり下ろし、装置を無効化したことで、私はよくわからないながらも、旧友と同じ方向に立つことができた。

 二人は私を置いて一旦エアロックの外に出ていった。私が「方舟」の外部と内部で運動量の方向性の違いをうまく認識できていないことを知って、二人だけで「方舟」のなかに侵入する装備を整えに行ったのだろう。その証拠に、帰ってきた二人の背には大量の物資を積んだコンテナ──私のための物資も含まれる──が装備されていた。もちろん、二人は悪名高きバインダーガンで武装していた。値段は相応ながら、宇宙でさえ機能する反動抑制機能を搭載しており、裏社会での比較的大きな抗争事件では見受けられるようになってきた銃である。旧友が持ってきていたのは、一目見ても民間モデルとわかる細身の──構えると、本当にバインダーを持っているように思えるほどである──形状をしていながら、肩を付けるストックの部分が一体型のものではなく、軍用モデルに近づけようとする努力が見受けられた。特に目を見張る点はヘルメット対応ストックを付けていることであり、生命維持装置を着ていても銃の上辺に溶接したサイトを覗き込める工夫がなされていた。

 溶接痕が見え隠れするそれを小脇に挟んだ二人を見て頼もしいと思いながらも、旧兵器が襲ってくるかもしれない場所に来てしまったのだと、心のなかでは不安が渦巻いていた。だが、二人は「方舟」への侵入をやめようとしない。それどころか、慣れた手つきでエアロックを密閉した。四本の自信に満たされた手がハッチのなかを行ったり来たりするうちに、いつの間にか私たちと「方舟」内部を隔てていたハッチは簡単に取り除かれてしまった。

 

 

 旧友は旧兵器が待ち構えていなかったことを静かに喜びながら、足音を極力抑えながらバインダーガンを構えて船内に突入した。三人が並んで通れる通路を静かな緊張感とともに進む二人は、やがて左右の分かれ道の先を覗き込んだ後、ハッチに残っていた私にたいして手招きで合図をした。私の心配は杞憂だったのだろうか。緊張を緩和させながら足を踏み入れたその瞬間、私の左目の「コンタークト」が激しく反応した。文字列が激しく左目に流入し、左目の視界の上半分を占拠してしまった。私は翻訳機能が誤反応したのだと思ったが、打ち出される内容を見て、緊張のあまり体が強張ってしまい、歩くために足を上げるという行為すらできなくなった。旧友は硬直した私を見て、焦れったそうに無線を通して呼び掛けてきた。だが、私はその声すら聞こえなくなっていた。なぜなら、「コンタークト」に出力される文字列は、明確な文体を持つ旧文明言語で記述されていたのだ。

 異常が発生したことを察知した二人が戻ってくるまで、私は手を動かすことすらできないでいた。「コンタークト」を持つ私だけが狙われたことを含め、なにかが船内で「生きて」いるということを考えれば、行動が筒抜けになってしまっている私の次の一挙手一投足によって、狙い撃ちに晒されてもおかしくないのだと考えたためである。私は目の前に迫った二人に起きたことを吃音混じりの早口で説明した。旧文明遺跡の専門家の意見を求めることができる環境というのは素晴らしいもので、旧文明言語を翻訳して読み上げると、すぐに旧友は似通った事象を羅列していくではないか。そのなかで、私の置かれている状況と近似するものは、船内コンピュータによる「コンタークト」への干渉というものだった。眼球へ密着させる方法で素子膜を形成する技術は、フォウ王国極北の旧文明施設由来であるという話はよく知られているが、その根幹技術が現在まで手を加えられていないのであれば、他の旧文明施設の情報網と接続されてしまう危険性を孕んでいた。今回の誤作動は、まさに生きている施設である「方舟」船内の情報網にたいして、「コンタークト」が不用心に接触してしまったという結論が二人の総意だった。

 

 

 私の左目に映し出されたものは、侵入者たる私たちの所属を問うものだった。私は二人の助言を聞きながら「コンタークト」に記述した。私たちが救助隊である旨を返答すると、「それ」はすぐに納得したようで、船内マップと作業の許可を、すんなりと与えてしまった。「方舟」はこれほどまでにずさんなシステムを採用しているのかという疑問から、この事象が私たちの船内におびき寄せて殲滅する罠なのではないかと、三人して警戒してしまうほどだった。だが、私の質問で「それ」が「ライフガード」という名前であることを知った。二人にはなじみのない名前だったが、「方舟」研究をしていた私にとっては深く関係のあるものであった。「ライフガード」とは「方舟」のサブシステムの一つであり、船内生命維持システムの総称である。主な活動は船員の健康を管理することであり、「方舟」における医務区画の機能を担うものだった。しかし、現在は「ライフガード」が船内のすべてのシステムを代行しており、他のシステムは機能を停止して──させられて──いるのだった。

 これらは、センサードがパルエへ向けて「種蒔き機」を使って送り続けた情報に入っていたものだ。彼らが彼ら自身の活動を円滑にするために、「ライフガード」以外のシステムを不活性化させていた。その当時の状況から変化していなければ、「ライフガード」だけとなった船内は対侵入者システムなども軒並み機能していないことが予想された。私はそのことを旧友に話した。そのときの二人の感心は私を少しばかり増長させることになった。単純に、知識のみで二人に追いついたということが嬉しかったのかもしれない。とにかく、私は知識に裏付けされた自信によって、先ほどの態度とは一転し、二人の背中を押すほどの勢いで通路を歩き始めた。

 二人からすれば、私が狂言を用いたとしても検証することができないために、非常に不安だっただろう。そう、後から思えば、私の左目でなにが起こっているのか、二人にとって私の申告なしには見ることができないのだ。「ライフガード」から与えられた地図にしても、私の左目に映し出されるのみである。経験豊かな二人でさえ、マッピングという作業には、蜘蛛の巣を広げるような地道な作業を要するというのに「見えている」私が右へ左へと声をかけることで、もう戻ることのできない場所へと足へ踏み込むような心地だったはずだ。

 通路の分岐が減って方向の指示をしなくなったときなどは、私は二人に申告せず、「ライフガード」にたいして左目を通じて質問を繰り返した。私は初めにセンサードについて知ろうとした。なにより「方舟」の存在を風化させなかったのはセンサードの尽力によるものである。そのため、私は「方舟」の彼らのなかで、センサードのことを信奉といってもよいほどに憧れを持っていた。だが「ライフガード」は、センサードという人物が船内に存在しないことを告げるのみだった。文字の綴りを変えて何度質問しても、同じ回答しかしない「ライフガード」に、嫌な予感を憶えながら、私は酔っ払い聖職者や、他の乗員の名前も出して質問をした。その結果は先のセンサードと同じ、船内に存在しないというものだった。これを聞いて、私は船内で活動していた彼らの全員が偽名だったのではないかと気づき始めた。もちろん、事件が起きる前までは本名で生活していたのだろう。しかし、事件を機に、全員が偽名を名乗ったのだとすれば、「ライフガード」が乗員名簿を基に彼らの名前を探し出すことができないのも頷ける話だった。『アルマゲドンレポート』において執筆者の名前が削除されていたことも含めて、彼らがずっと偽名で活動していた可能性は無視できなかった。とすれば、センサードという名前すら偽名だったのだろう。答えが得られなかったことに落胆した私は、船内を捜索すれば、いずれ彼らの本名にたどり着けるだろうという希望に望みを託して、二人とともに船の奥底へと歩いていった。

 

 

 私は、まず「ライフガード」のシステム本体が鎮座している場所、医務区画の制御室へ行こうと考えた。旧友にそれを伝えると当然ながら、なぜそこへ行くのかという疑問が帰ってきた。私はこの船内のすべてのシステムが「ライフガード」によって賄われていることを教え、そこに侵入できれば船内の詳しい情報も入手できるだろうということを伝えた。二人は私の無根拠にも思える提案に逡巡していたようだが、私が船内で金目のものを発見する確率が高まるのだと言い方を変えると、すぐに私の提案に乗ってくれた。それに、二人は私にばかり主導権を握られ続けてしまう──というよりは、私がはしゃいで危険にたいして無頓着に突っ込んでいく──状況を憂慮していたらしく、自分で情報を収集できるまたとない機会にたいして前向きになっていたようだ。一方、私の目的といえば、「方舟」における情報収集について、左目で「ライフガード」と筆談するのでは埒が明かないと思い、直接情報源に乗り込んでしまおうと考えていた。

 角をいくつか曲がり、手を触れずとも壁のなかに消えるように開くドアをいくつも超えた先に見たのは、大きな広間だった。左目のマップにも部屋名の記述がない空間には、工具の置かれた長机がいくつも置いてあるのみだった。あまりにも身近で生活感のある光景に、そのうちに誰かがここに戻ってくるのではないかと、エンジニアである二人はすぐさまバインダーガンの銃口を広間から続く何本かの通路に向けた。暗闇に照準レーザーが吸い込まれていく時間が数分続いたが、当然ながら誰も生きているわけがない。いつまでも続く静寂に根負けした二人は、馬鹿らしくなったようにバインダーガンを左右にぶんぶんと二回ほど振り回した後、罵り言葉とともに緊張感を霧散させた。

 私たちが机ごとに手分けをして、今でも使われている工具から、よくわからない工具までを検分している間、人の一人どころか旧兵器の一つでも広間へ訪れることはなかった。そして、工具は長年の放置によって錆びや綻びが蓄積し、到底使い物にならなくなっていると判断した二人は、人間同士の戦闘が起きないことを喜んでいた。私は生存者という言葉に興味を覚え、「ライフガード」にこの船内で生存しているものを検索できるかと聞いた。ただの生命維持システムがどれほど正確な数字が出せるのか疑問が残るものであったが、帰ってきた文字によると私たち三人しか生存しているものがいないという答えが返ってきた。従順であることに調子をよくした私は、試しに「ライフガード」への命令ができるのだろうかを確かめようとした。広間を後にして、二人の背中を追って通路に入った私は、目の前の自動ドアを遠隔操作して開けることを「ライフガード」へと望んだ。しかし、作業に関係ないと一蹴されてしまった。当然ながら、私たちは「方舟」の船員ではないのだから、そういった船を意のままに操るような権限は与えられていないのだ。おそらく、救助隊として許可されたことしかできないような権限設定になっているのだろう。

 ところが、私のやろうとしたことを、旧友の二人は非常にアナログな方法で解決しようとしていた。自動ドアが勝手に閉まってしまうことに、二人はサルベージャーの観点から苛立っていたのだ。もしもすぐに脱出するような出来事が訪れたとき、勝手にドアを閉じられてしまってはたまったものではない。子供のいたずらのように、旧友は持ってきていた工具の一つをドアのレーン上に転がした。案の定、ドアは異物を検知して開き切った状態となった。私は二人の起点の効かせ方に感心していたが、そのうち大きな警報音──というには、いささかメロディめいた──を響かせたなにかがやってきていることに気づいた。ただちに警戒状態となった二人によって、私は一つ前の角に連れ戻され、そこから静かに事の顛末を観察することを余儀なくされた。ただ、すぐにエアロックまで逃げ出さなかったのは、音を出しながらゆっくり近づいてくるそれが旧兵器ではなさそうだという判断によるものだった。判断は正しく、やって来たのは明らかに地面から浮いている──小型ながら精密な浮遊機関を搭載している──作業機械だった。四角い形状をしたそれは、機械の前面の蓋を開いた。機械の中身は空洞になっているようで、レーン上に放置された工具をまるで念力でも使ったかのように浮かせて体のなかに格納した。反転し、来たときと同じように警報音を鳴らしながら帰っていくそれを見ながら、旧兵器の怖さを知らない私は、こそこそ隠れていることが馬鹿らしくなっていた。たった今去っていたものがどのようなものなのかを「ライフガード」に問えば、作業機械の詳細な型番と、どのようなことができるのかの仕様書が送られてきた。どこにも旧兵器の要素は存在せず、本当にただの作業機械だったのだ。

 私は、二人がどのような返答をするのかを知りながら、どのような機械が船内で作業しているのかを調べようかと提案した。私が船内のシステムと繋がっていることを思い出した二人は、当然ながら情報の開示を求めてきた。結果的に、攻撃性を持つものは稼働しておらず、動くものは先ほどの自立作業機械──二人は清掃ロボと名前をつけていた──のみであるということが判明した。他には、動かないもので、最低限の船内監視システムであるカメラとマイクによる複合測位システム、安全性観測機器程度であった。また、船内全体に感圧板が敷設されており、特にドアレーン上や船内シャッター上にものが設置されれば直ちに事態を解消しようとするシステムが組まれているとみるべきだった。当然ながら、それはすなわち「ライフガード」が私たちの位置をも正確に把握できているということにほかならない。旧友は警戒心を一定以下までに下げることなく、しかし少々弛緩した絶妙な雰囲気のまま、再び私たちを感知して開いたドアをくぐっていった。

 

 

 船の中央へ行くほど、細い通路の直線距離は短くなり、小部屋の構造をした部分が増えていった。そのうち、大きな一本の通路に入り込んだ私たちは、ついに「方舟」の主要区画を結ぶ通路までたどり着いたのだと確信した。マップも、この大通路からであればどこにでも行けることを示しており、それを二人に伝えたところ、すぐさまそこにビーコンが設置された。携行式の慣性測位装置につながれた旧友のマップに一際大きなタグが構成され、私は二人がここを起点に船内を捜索するのだろうという意志を感じた。

 この大通路には仕掛けがあり、人の循環を円滑にすることにおいて、秀でた構造をしていた。特に、特殊な移動機構が備わっており、通路の真中に立つと体が勝手に一方項へ進んでいくのだ。先に進もうとした二人が見えない力に無理やり押し戻されて──加速する感覚すら感じていなかったらしい──いくのを見たとき、私はあまりに「方舟」が技術的に発達しすぎていたことについて、旧文明の素晴らしさを身に染みて感じていた。押し戻される動きから逃れた二人は、恐怖よりも考察を先決した。私にはさっぱりわからなかったが、これも浮遊機関による効果であるらしかった。旧友の話では、パルエのパンドーラ隊という組織が地下で体験した出来事の一つに似たような事例があるらしく、二人はこの移動機構も同じく浮遊機関による効能であると結論づけた。

 どのような機能があるにせよ、立ち止まっているのに勝手に前に進んでいくという状態は、常人の私には耐えがたいことだった。加速度が一切得られないという状況に湧き上がる生理的な嫌悪感に悩まされる私とは対照的に、二人は初めてオートウォークに乗る少年のようにはしゃいでいた。このときばかりは、サルベージャーの無神経さが少しでも欲しかった。精神的に参ってしまった私は、浮遊機関のオートウォークから降りるか、我慢して乗り続けるかを迷った挙句、利便性と安寧の中間を選択した。つまり、私はなんとも中途半端なことに、気分が悪くなればオートウォークから降り、回復すれば乗るという無様なことを繰り返した。乗るときは足を引き延ばされるような感覚がないことに不安を覚え、降りるときはレーンから外れた瞬間に慣性が消失してしまうことが気持ち悪いものだった。私に当然かかって然るべき力学さえ、浮遊機関が奪ってしまう。科学は突き詰めればここまでのことができるのだと思った私は、通路のずっと先に行ってしまった二人が、オートウォークと通常の通路をジャンプで行ったり来たりして喜ぶ声を聞きながら、私だけが抱える問題に向き合うことで現実から逃避しようとしていた。

 

 

 目的地へつながる通路を見つけた私は、オートウォークに乗ってどこまでも行ってしまいそうな二人を呼び戻した。逆方向への移動は想定されていないらしく、額に汗をかいた二人が走って戻ってきたことは、私の気分の若干ながら緩和させた。とはいえ、このような失態をしていながらも、また狭い通路に入り込んでいくということを知った二人の視線は鋭いものになった。同時に、心なしか銃口の向きも通路の先へ向いているような気がした。

 マップを頼りに、通路の曲がり角をいくつか曲がった後、吹き抜けのような通路が姿を現した。通路の右側には自動ドアが等間隔に並んでおり、目的地はそのうちの一つを指し示していた。だが、いささか道のりは遠いものだった。とにかく直線的に、絵の焦点へと消えていくような光景は、ここをずっと歩かなければいけないのだという感想を手繰り寄せ、旧友はともかく私にとって大きな疲労をもたらすことは確実だった。足のむくみを気にしながらも二人の肩を追って、ついに目的地のドアにたどり着いた私は、ドアに「医務室」「制御室」と記載された金属板が埋め込まれていることを認めた。と、二人が私の視界から消えたと思った瞬間、ドアが小さく音を立てて開いた。半分ほど開こうとしているところへ隙間風のように突入したのが旧友だと知ったのは、部屋のなかを制圧した二人が私を呼ぶ声を聞いてからだった。おそらく、二人は「方舟」のマップを早く知りたかったのだろう。考えてみれば、金目の物へ無関心な私だけがマップを持っているということが非効率的だと考えていたに違いない。

 通路と違い、部屋のなかをライトなしで見通すことはできなかった。急に暗がりに入ったことも相まって、部屋の奥から発せられる光に、先行した二つの暗闇が覆いかぶさっている光景は、それが二人なのだとしても、部屋のなかにはいることに躊躇するには十分だった。しかし、ここで尻込みしていては大発見など望むべくもない。暗がりに足を踏み入れれば、旧友がなに光のすぐ近くで作業をしているようだった。目を慣らすように、一歩一歩を踏みしめながら近づけば、二人は降ろしたバックパックからなんらかの携帯情報端末を取り出し、金属線を接続し光の発せられている場所の近くに接触させた。手持ちのライトを持って近づいた私は、「ようこそ制御室へ、救助隊様」という旧文明の文字が左目に張り付いて離れなくなってしまったことで、その端末が「ライフガード」に直結するものだと看破した。旧友はそんなことなど最初から知っていたのだろう。情報を収集し続けている姿を見て、私は致命的な巻き添えを受けるのではないかと心配になった。だが、二人が上手くやっているのか、「ライフガード」が侵入にたいして無頓着なのか、侵入者を迎撃する装置が起動する様子も、「コンタークト」が歓迎の文字を取り下げることもなかった。

 

 

 二人の背中を照らしていた私は、あまりに二人が長時間端末に拘束されていることに耐えられなくなった。光源を後ろから手渡すと、私は心もとない全周光源と視線同軸ライトだけで、部屋のなかを不用心に歩き回った。考えに詰まった学者が気分転換をするような、時節壁に手をつきながらのゆったりした足取りだったが、それが幸いした。私が部屋の隅に光を当てると、石ころのようなものが落ちていた。拾い上げてみると、それはプラスチックと端子の集合体であり、次の瞬間には一種の記憶素子──リード・オンリー・メモリー──であることが判明した。「コンタークト」の目前に持ってきたためなのだろう、近距離通信機能に反応した左目がすぐさま反応し、私の目前は処理しきれない文字列で埋め尽くされた。「コンタークト」の機能に感心しながらも、今回のような「情報爆弾」の被害を何度も受けるのは懸命ではない。突発的な近距離通信機能にたいし警告を発するようにしたと同時に、一定の情報量以上のものが出力されるときには、目前ではなく目の焦点に向けて文章を出力するように設定を変更した。

 いつもの癖でポケットに記憶素子を入れた瞬間、表示された文字列が消えてしまうのではないかという考えが湧き起こった。近距離通信が切れて表示されなくなるという懸念もあったが、なによりも私が心配したのは、記憶素子が悠久の時を経ての通電によって回路が焼き切れてしまう現象についてだった。こうなってしまえば、現地での記憶素子の修復は絶望的であり、また旧文明異物を当時の方法で──おそらく、現代の技術でも──修復することは、果てしない労力を要するのだ。「コンタークト」のなかに文章が保存されていたから最悪の事態を免れたものの、一度近距離通信の切れた記憶素子が再び読み出されることはなかった。

 後悔を振り払った私は、左目の保存された文章を、映画のスタッフロールを読むように、黒い背景に映し出される白い文章を追った。それは記名がされておらず、誰の文章かはわからなかったが、少なくとも「アルマゲドンレポート」より後に記述されたような雰囲気が伝わってくるものだった。内容としては、「種蒔き機」を放出し終えた直後の独白であり、「方舟」で生き残った誰もが考えて、しかし口には出さないでいることを記述者が代弁するような形で構成されていた。これが記述者のみの考えであるのか、彼らの総意であるのかは判断が付かなかったが、「種蒔き機」の放出という任務を完遂した彼らが生きる意味を失ってしまい、自分たちも近いうちに死ぬのだということに絶望しているという告白は、重く受け止めるべきだった。私は彼らを英雄として見ていたのだが、この文章を見て夢想の鼻面を叩かれたような気がした。しかし、このときの私は理想像が早々と砕けていく気持ち悪さよりも、記述のなかに突如として表れた「墓には入れない」という文章が妙に引っかかって、そちらに気を取られてしまった。

 この「方舟」には墓と命名された施設があるのだろうか。当然ながら、「方舟」で誰かが死亡したときなどは、どのような葬儀をするにせよ、墓というものは必要だろう。まさか旧文明には墓という文化自体が存在しないなどということは考えにくいものだ。私は船内をすべて知っている「ライフガード」に聞けばわかるだろうと思い、墓まで案内するようにと指示を出した。ところが、「ライフガード」がそのようなものは存在しないと答えたことで、予想外の反応に私は混乱してしまった。墓が存在しないなど、あってはならないはずだ。人類の文化は墓を必要としないまでに発達してしまったのだろうか。結論の出ない無意味な考察が頭を占拠しかけたとき、「アルマゲドンレポート」の一節が急に思考のなかに飛来した。そのときは言語として説明できない直観によって、いつの間にか「ライフガード」から乗員が一番いる場所を聞き出していた。墓というのは元来から死んだ人間が入る場所であり、「方舟」では全員が死に絶えているはずである。では、死んだ人間が収容されている場所が存在するはず。後から考えれば、以上の予測が重なった結果の質問だったのだろう。結果的に、それは正しい答えへと導く一本の道筋となった。

 

 

 感慨を終えた私が旧友のところへ戻ると、二人はいまだに「ライフガード」から情報を引き抜くために格闘しているようだった。二人に理由を聞くと、これほどまでに大規模なシステムから情報を得ようとすると、旧友の持つ携帯情報端末ではデータのすべてを収めることはできないそうだ。当然ながら必要な情報だけをより分ける必要があるのだが、「ライフガード」が「方舟」のすべてのシステムを賄っているために、接続するだけで「方舟」全体の情報と接することとなり、選別した情報だけでも天文学的な量に相当するのだという。こうなってしまえばデータの厳選などできるはずもなく、二人は足止めされていることにたいして、表情には出さないが明らかに苛立っていた。

 二人が接続する先には比較的大きな画面が青白く点灯しているのだが、二人が触っても反応することはなかった。旧友の言では構造上タッチパネルになっているらしいのだが、感圧素子、電導素子、赤外線照射装置のすべてが機能を停止してしまっており、ただの画面としてそこにあるだけの存在と化していた。加えて、二人が携帯情報端末経由で画面を動かそうとしても、画面が動く気配を見せることもなかった。画面としては死んでいないだけで、生きているとは到底いえない状態だったのだが、またしても私の左目が反応した。今度は設定のおかげで暗闇に投影される形となったが、目まぐるしく切り替わる映像を見せつけられるのは愉快なものではなかった。おそらく、ここでも近距離通信が起動し、画面が本来映し出すはずだった映像を「コンタークト」が受け取っているのだろう。それならば、と私は左目でどうにか映像を制御できないものかと念じてみるなどしたが、こちらからの制御を受け付けていないらしく、ついには手頃な場所で腰かけて、二人がなにをしているのかを、遠目から正確に観察することしかすることがなくなった。

 「方舟」とは規格の違う端末での接触は、未整理な情報の海への、裸一貫でのダイビングといっても過言ではなかった。本来の画面に映し出される情報とは違う場所に焦点が当てられたかと思うと、画面は違う場面に切り替わる。または、表面上は同じ画面を行ったり来たりしているようにしか見えないのに、二人はそのたびに小さく快哉を叫び、低い声でぐつぐつと喉を鳴らすのだ。

 ようやく携帯情報端末を閉まった旧友の顔は晴れやかなもので、二人は自身の手でお目当ての情報──船内マップ──を掴み取ったことを小走りで私に自慢してきたほどだった。「お互いに地図を手に入れたのだから、次からは俺たちが手綱を握る」と言いたげな二人を前にして、偶然によって生み出された私の優位性は、プロフェッショナルによってあっけなく無力化されてしまうのだと思わざるを得なかった。しかし、卑屈になっていては二人にいいように船内を物色されてしまう。私が拾った記憶素子も、偶然私が見つけたからよかったものの、旧友が先に見つけて古い読み出し端末に通していれば、読み出す最中に破損させていたのは確実であり、学術的価値もなくゴミと一緒に一山いくらの金属屑として売り払われていただろう。私は次第に、二人から遺物を守るために「方舟」から招待されたのだと思うようになっていた。そのためには、私は二人に自由行動をとらせるわけにはいかなかった。

 

 

 マップを睨みながら、私がさも学者然に提案した一言は、旧友をひどく興奮させた。とにかく、二人は乗ってきたサルベージャー船の格納庫の体積の都合上、小さく軽く価値のあるものを求めていた。こんな場所にいてさえ二人が欲しがったのは、まず金品や宝石であった。換金性の高いもののなかで、実際に船内に保管されているかは別として、これほど旧時代と現代で価値が同等のものもないだろう。次に彼らが求めたのは旧文明の先進遺物である。これも同じように小さくて高度なものがよい。無理をすれば自立作業機械を持ち帰ることくらいはしていただろう。だが、作業機械のようなものは必ずといっていいほど防犯機が仕込まれていることを知っている二人は、無理やり回収した場合のリスクを避けたいと思っていたのだ。そこで私が二人に提案したのは、まず冷凍睡眠室に行くことだった。

 医務区画の制御室から出て、通路をいくぶん歩けば、巨大な空間のある部屋が存在していることはマップを見ればすぐにわかった。また、そこは冷凍睡眠室と呼ばれる場所であることも。ドアの前までやってくると、なにかの機材を使ったのかはわからないが、ドアは透明で厚いビニールのようなもの──経年劣化もないものをそう呼んでいいかはわからないが──で覆われており、ここから先へは容易に入れないようになっていた。だが、旧友の経験ではむしろ逆であるということだった。中へ入れないようにするのであれば、溶接機を使って強制的に扉を埋めてしまえばいい。だが、透明な膜を生成──壁面との癒着具合から、なにか生体が張り付いてこれらを形成したのではないだろうか──しているところからは、入らないことは事前に了解されていて、なかのなにかが外部へ拡散することを防ぐ目的で取り付けられたのではないだろうか、と。私は、医療区画でこの対応が採られているということから、冷凍睡眠室の内部は危ない状態に陥っている可能性があるのだと気づかされた。つまり、内部では生物学的災害、あるいは科学的災害の状況下に置かれている可能性が高かった。

 怖気づく私とは裏腹に、二人は膜を破り室内に入ろうとするではないか。いくら生命維持装置が有象無象から身体を守ってくれるとはいえ、サルベージャーならその一歩が踏み込めてしまうものなのだと身震いしてしまった。膜が完全に切り払われ、障害物のなくなったドアが開くと同時に、バインダーガンのライトが室内に差し込まれた。ここでも、私と旧友との意識の違いが如実に表れた。二人は、私と違って常に旧兵器を警戒していた。あるいは「歩く死体」にも──想像のなかにしかないと知りながらも──注意を払っていたのかもしれない。

 まばゆい通路から姿を消した二人のバインダーガンが銃声を響かせることはなかった。また、生命維持装置の警報音が鳴り響くこともなかったが、代わりに吐息混じりの興奮した声が響いて、部屋のなかに反響していた。目当てのものを見つけたのだろうと思った私は、二人に続いて光源を手に暗闇に入ろうとした。しかし、二人はそれよりも早く部屋から出てきて、狭いドアの前で避けきれずにぶつかってしまった。いや、私にぶつかったのは、旧友の体ではなく、二人が止まった後も慣性で前進し続けた、手に提げているバッグのほうだった。けして軽くない衝撃に驚いた私が下を見ると、それはわずかに膨れ上がっていた。急いで去っていく旧友と入れ替わりに扉に入った私は、すぐに部屋の隅にもう一つ部屋があることに気づいた。暗闇のなかで、予備室とでもいえばいいのだろうか、小ぢんまりとした部屋だけに光が灯っており、遠目からでも机の上に様々なものが置かれているようだった。二人はあの机からバッグに入れられるだけ入れたのだろう。小部屋との距離を縮めるごとに、二人が詰め込もうとしてバッグの口からこぼれた小物が床へと散乱していることもわかるようになった。

 それらはきっと乗員の私物だったものなのだろう。机の上に置かれたまま──それらがただ一人の所有物というわけではあるまい──放置されていたのは、もはや私物を区別する必要が無くなってしまったことを表していた。小部屋のなかに入ると、机の陰に隠れて、壁と床の間の壁に大小のロッカーが埋め込まれていた。施錠すらされていない内ヒンジの扉を開けたが、入っているのは空気ばかりだった。このなかに物を入れる時間もなかったのだろう。しかし、「コンタークト」には私の考えとはまったく違う答えが出力された。ロッカーの登録が完了しなかった旨を「ライフガード」が私に打診してきたのだ。と同時に、ロッカーの全体像が左目に映し出された。壁に埋め込まれていると思っていたロッカーは、立体駐車場のように船内に格納され、ロッカー自身が、出し入れしようと思った人物の要請に合わせて──どこにでも、というわけではないらしいが──移動するというものだった。例外的に、冷凍睡眠室に設置されたロッカーは独立しており、使用できるロッカーの母数は少なく、すべてが使用中だったため、私がロッカーに手を触れた際にあのような通告が来たのだろう。

 

 

 「ライフガード」への要請で明るくなった大部屋を、旧友は忙しく出入りしていた。二人は突然部屋の明かりがついたことを疑問に思っていたが、壊れかけの対人センサーがやっと私たちの姿を捉えたのだろうと憶測して、元の作業に戻った。旧友の警戒心がなくなってしまったように思えたのは、そのような些細な出来事に比べれば、二人が目の当たりにしたもののほうが、はるかに意義のあるものだったからだろう。私が小部屋の謎を解き明かしたことを二人に告げると、旧友はロッカーの中身を端から端まで確認しようとしたのだ。施錠のされているものは後回しにし、とにかく今開けられるものを携帯情報端末越しに確かめながら、ロッカーを出現させては、中身を引きずり出しにかかった。私にかまう暇さえなくなったのか。冷凍睡眠室のなかでおとなしくしていればなにをしていてもいいとまで言われてしまった。

 目を離した隙に私が旧兵器に襲われることよりも、旧友がバインダーガンを手放してしまっている不用心さよりも、二つのバッグを両手に持ち、さらに二つのバッグを両脇に抱えて走り回る二人の姿はとても輝いて見えた。それが乗員の私物だったのか、冷凍睡眠室の保守部品だったのかもわからぬまま、二人は分担作業でもってバッグに片端から詰め込み、サルベージャー船へと運んでいった。

 一方、旧友が私に視線を一瞬すら向けないことを確認した私は、冷凍睡眠室の核心部に近づこうとしていた。部屋を明るくしたのも、私の活動を遂行しやすくするためだった。部屋の隅まで見渡せるようになったことで、探すまでもなく、私は容易に目的のものを見つけることができた。冷凍睡眠室の奥を見やれば、四角く大きな穴──生命維持装置を着ている私たちですら五人が並んで進めるほどの──が等間隔に三つ開いていた。穴の先は階段があり、都市部にある昔ながらの建物の、半地下に続くそれのような雰囲気だった。旧友はそれがあることに気づかなかったわけではないだろう。気づかぬふりをしていたか、あるいは根本的に興味がなかったのかもしれない。私は、部屋のなかを歩き回るうちに迷い込んでしまった風を装って、真ん中の穴の会談を下りていった

 この空間の奥にこそ、私が求めていたものが存在した。「ライフガード」が本来統治し、医務区画のなかで最大の容積を占める場所。加えて、現在の「方舟」乗員が最も存在する場所だった。最後の一段を下り、少しばかりの平坦な通路を歩くと、終着点には機械が置いてあるだけだった。円筒形のなにかを五つ並べられ、その上から蓋つきの鉄板をかぶせたような見た目の機械の横に、操作盤が設置された簡素な見た目からは、最初にこれを見せられただけでは、これどのようなものであるのかの判断はつかなかっただろう。だが、私はこの部屋の名前と「アルマゲドンレポート」から、人が入れるほどの円筒形の束がどのような目的で作用するのかわかっていた。

 円筒状の機械の、五つある覗き窓を開けると、外からは透明なカプセルが格納されているようだった。しかし、ロッカーのときと同様、なかになにかが詰め込まれているということはなかった。すべて船内の所定の場所に格納されているのだろう。「ライフガード」に聞かずとも予測はできていたことだが、私の探求心は留まるところを知らず、心の声が左目に形成されていた。収容されている乗員の容体はどうなっているのか、と。恥知らずに思えるかもしれないが、私は純粋な興味によってこの質問を投げかけた。宇宙空間で死体はどのように処理されるのか、気にならなかったといえば嘘になるだろう。

 乗員は当然ながら全員死亡していた。「ライフガード」は親切なことに、私にカプセルの中の様子まで見せてくれた。カプセル内部はすべて真空に近い低気圧状態に保たれており、水分というものはすべて沸騰して──一旦は凝固したはずの水分も水蒸気となって昇華されつくして──いた。カプセル内は非常に良質な常温の乾燥状態であり、なかに入っている乗員が腐ったりするようなことはまず──故障したところで、宇宙空間と同じ状況下に置けば──起きはしない。乗員の死因は飢餓による栄養失調に低血糖と、それに伴う心機能の低下による心不全といったところだろう。全員が冷凍睡眠状態で、自身の苦しみに無自覚だったという部分は最後の救いとなっただろうか。

 私が次に告げる言葉に迷っている間に、「ライフガード」はカプセル開放における条件を提示した。倫理と衛生の問題から、カプセルは特殊な方式の密閉処置を施されており、最高権限を持つものの許可によるものでなければ、カプセルを格納状態から解除することすらできないようにされていた。名前はもはや思い出せないが、旧時代のパルエにいた総指揮官のような人物だったのだろう。もはや存在しない組織の、存在しない人物の許可を要するということ。それは、このカプセルをどうにかすることは誰にも──ハッキングでもしなければ──できないということを意味していた。

 開ける意思も、開けたい理由もありはしなかったが、この状態を把握して初めて、私の頭のなかで浮遊していた情報の断片が集約され、確信に至るまでになった。ここは、死者のための不可侵なる聖域であり、それを人は墓と形容するのだ。そう、この場所こそが、記憶素子のなかで言及された「墓」なのだ。冷凍睡眠装置が最初から墓としての機能を搭載していたかは定かではない。しかし、その可能性は非常に高いだろう。でなければ、「ライフガード」が倫理という文字を語るわけがないのだ。過程の段階では違ったかもしれないが、成熟した社会の構築とともに人は倫理によって死体に敬意を持つようになった。「方舟」もまた、成熟した社会から生み出された雫の一つだったに違いない。

 

 

 機械を前に考え事をしていた私がふと俯いたとき、機械の下部にレーザー刻印されたプレートがビスで打ち止められていることに気がついた。外したならば両手で抱える程度の大きさだったが、機械の名称と製造された日付や場所が刻印されている、一般的なものといえた。一般的な知見では、ただのプレート一枚に頓着することはなかっただろう。しかし、学術者として様々な旧遺物に触れてきた私の両目がささいな部分を射止めて離さなかった。プレートの反射が私の顔を写せるほどの距離まで近づけば、レーザー刻印された文章の一部が埋め戻されており、その上からさらにレーザー刻印で新しい文字に置き換えられていたことがわかった。問題は、どのような文字がどう変更されたのかだろう。指で改変の足跡をなぞってわかったことは、最初にプレートに彫られていた文字は「ライフガード」だったということだ。そこから、「ライフ」の部分が潰されて「ボディ」に彫り直されていた。

 「ボディガード」と。プレートには、確かにそのように文字が彫られていた。このときになってセンサードが私たちにもたらした情報のなかで、「ボディガード」という言葉が使われていたことも思い出した。彼ら──センサードは違ったようだが──は「ライフガード」のことを「ボディガード」と呼んでいたのだ。ということは、このプレートの書き換えを行ったのも彼らなのだろう。つまり、この名前の変化は「アルマゲドンレポート」に前後して行われたと断定し、意味を推理しようとした。左目が「ボディガード」を「護衛」という意味の言葉に自動翻訳したが、私はむしろ、旧文明言語を初めて学んだときと同じように、自然と単語ごとに文字を分解していた。そのうち、私はこの書き換えが言葉遊びの一種であると判断した。守人を意味する「ガード」の部分は特に問題ないのだが、私は旧文明言語の「ボディ」という単語が「身体」や「肉体」を指す言葉であると同時に、「死体」という意味も含まれていることを見抜いた。

 乗員の「生命維持」のためのシステムが今では「死体の守人」になってしまったのだ。強烈な皮肉なのだと気づいた途端、当事者ではない私ですら打ちのめされるような重圧に晒された。まさに今「ライフガード」が担っている役割はそれのみしかなく、しかし幾千年を経ても、乗員を外的要因から「護衛」する任に就いているのだ。センサードが「ライフガード」を別の呼び方──「ヤードキーパー」だったはずだ──で呼んでいたのも、おおよそ同じような皮肉が含まれていたのかもしれない。プレートに彫られた溝を指の腹でなぞりながら、私は殉職した乗員について考えを巡らせていた。この先の、カプセルには何人の人間が横たわっているのだろうか。どのような気持ちで冷凍睡眠装置のなかに入ったのだろうか。どのような最期だったのだろうか。そして、それを遂行した彼らはいったいどのような気持ちだったのだろうか、と。

 私の心は、乗員の気持ちに寄り添うことから徐々に離れていった。そうでもしなければ、このまま魂を死者に囚われてしまいそうだった。私がしたいのは「方舟」観光ではないのだ。急いで記憶素子の内容を思い出し、彼ら──少なくとも、その執筆者自身──が「墓」には入らなかったことについて考えを巡らせた。このときは、彼らが乗員を死へと向かわせた冷凍睡眠装置に、一緒に入ることは死んでもできなかったのだろうと思うことにした。そして、ここに彼らはいないのだから、私の求めるものは冷凍睡眠装置のなかなどには存在しないのだと自分を奮い立たせた。私のすべきことは、英雄の名を知り、称えることであって、目的を果たすまでは止まっていることなどできないのだ。そう思えば、英雄行為のためのいたしかたのない犠牲などに黙祷をささげている場合ではなかった。次の目標を見定めた私は、決別の意味も込めて、靴のかかとを甲高く響かせてその場を後にした。

最終更新:2019年02月01日 22:24