飛べない鳥【前編】

ここはスラーグ東部の丘の上に有るユングナプ陸上大学浮遊機関解析研究所。
かつては諸島南部文化についての論文で一躍有名になったこの大学も、洋上都市への人口流出で年々倍率が下がり続けている。

「...諸君、今日ついに空軍本部から予算削減が言い渡された。」
所長は絶望してるのか、諦めているのか...多分その両方だろう。そんな表情をしながら皆の前で言い出した。

あぁ、遂に来てしまった。薄々気がついていた、ヤムイグル洋上大学では航空機用浮遊機関暴発技術開発などの華々しい研究成果が出ている、スポンサーが次々と移動するのは当然の事だろう。
そんな状況の我が研究室は予算の8割を空軍に頼っていた、そして今回頼りの空軍も遂に予算削減を決定した。
打ち切りではなく削減で済んだ事を感謝するべきだろうか?

朝のミーティングが終わるとまた一人が退職願いを出した。今年に入って17人目だ
なんせ給料が3カ月も支払われていないのだ、最近では寒波の影響で日用品が高くなっている。私も最近では魚抜きの生活が続いている。
洋上首都建艦で海は戦時にも関わらず好景気だし、今なら直ぐに転職先が見つかるだろうし正しい判断だと思う。

「先輩は泥船に残るつもりなんですか?」
隣の席のヤエミナは小声で私に訊ねてきた。
「もう少し残ろうかと思う」
「何故です?」
「アイツが愛おしくなってしまってね」
窓の結露を袖で拭き、外に停泊してる船を見る。

外では我が国初の空中艦...になる予定の船が停泊している。
重浮遊機関を2つも積んでいるが、10000lcどころか9000lcすら超える事が出来ていない。

「11年間も関わってきたら何だかね...」
「先輩がそう言うなら私ももう少し残ろうかな」
「まだ双子に行ってない子がこんな泥船に乗ってちゃダメでしょ」
「双子を三回も行って独身の人に言われたく無いですー、それにまだ学生だから親からの仕送り有りますからね。」
「ハハハ、生意気言うな。結婚より研究を取っただけさ。」

「オデッタ新聞が届きましたよー」
軍服を着た青年が研究室の窓から新聞を投げ入れてきた。
私の今日の作業が始まる。

オデッタ新聞とはつまり新聞の見た目をしたスパイの定期報告書だ。
なぜオデッタ新聞と呼ばれるかと言うと、オデッタは諸島が作った民間諜報社の聖地になっているからだ。
警察機関も軍もマトモに機能していないので捕まる事は無いし、徴税システムもマトモに機能していない、そもそもオデッタに徴税されるような諜報力の会社はすぐに潰れる。
たとえ、アーキルやフォウでスパイが見つかっても諸島は手を汚さずに済む。捕まったとしても漏れて困る情報は民間に流れていないので痛くも痒くも無いのだ。

最近はオロゾロ諜報社のスパイすら使えなくなり、特別探偵社のスパイを使うようになった。
特別探偵のスパイは政府上層まで送り込めて無いらしく、目新しい情報は無かった。こんな情報に高い金を払ってると思うとゲンナリする。
オキクルミ国営情報局のスパイを使えていた頃が懐かしい。国営のスパイは安く優れた情報を売ってくれるので、貧乏研究室は大助かりだったのだが最近はフォウ王国の破壊工作に忙しいらしく、情報競売に登場しなくなってしまった。
結局今月は先月の情報を頼りに研究することになりそうだ。
きっとヤムイグル洋上大学は今月も高い金を払って良質の情報を購入しているのだろう。

夜、自宅に帰る前に街に寄った。既に首都の疎開は完了しており、残された街並みは三年前とは比べ物にならないほど寂しくなっている。
飲み屋に入ろうと思ったが、懐が寒いので食料品店で晩御飯の具材を買う事にした。
寒波の影響で食料品は軒並み高価で、特に南方の魚は非常に高価になっている。
仕方ないイヨチクを2,3本とパルエウオのトバを買って帰ろう。

寒波の影響で本島近海までイヨチクが侵食しており、イヨチクだけは寒波前よりも安価に販売されていた。
この寒波が終わった時はイヨチク伐採技術の研究が流行するだろう、マルダル沖の海底は既に1年半以上も手入れがされていないので既に取り返しのつかない段階まで竹林が広がっているのではないかという噂も耳にした。
次に研究するならイヨチク方面も良いかも知れない。きっとスポンサーも沢山つくだろう...


ーーーーーー
「1044番パルス、出力1923lc!」
「これもダメか...皆は休憩していいぞ」
博士が溜息と共に昼休憩が始まった。

遂にスパイから得たパルス信号を全て試し終わってしまった。
アーキルの杜撰な情報管理から、何故浮遊機関のパルスコードを盗めないのか...やはり民間諜報社は駄目なのだろうか。
現状、重浮遊機関を使っても4000cl程度しか出力を取り出せていない。これでは空中艦を作れない。

今日の食堂の日替わり定食は魚饅頭だ。寒波が来て食料生産が不安定な中で、更にフォウと戦争中なのだ。
段々と魚の比率が減ってきているのを感じる。今日の魚饅頭はいったいどれだけ魚成分が有るのか...
既に商船は殆ど来なくなり、日用品や南方の美味しい魚はどんどん見られなくなってきている。

「先輩何一人寂しく食べてるんですかー」
ヤエミナが隣の席に座ってきた。

ズーーン...ズーン...ズーーン...
遠くで砲撃の音が聞こえる。フォウ陸軍と首都防衛艦隊が戦っているのだろう。
あんな老齢艦ばかりの艦隊でもそれなりに戦えるのだなと、改めて驚く。
既に首都防衛戦が始まって2カ月が経過した、始めは驚いたが定期的に来る砲撃は日常の物となりつつある。
「飽きないんですかねぇ、毎日砲撃して。」
「カタカタ揺れてスープが食いにくいからやめてほしいな。」
「ほんとですよ!」

「まぁまぁ、前線で軍人さんは戦ってるんだからそんな事言わないの」
テーブルの向こうにご機嫌そうな男が座ってきた。
「ウナカウシじゃねえか元気そうだな、もう逃げてると思ってたぞ」
「先輩の知り合いですか?」
「初めまして、かわい子ちゃん。先輩さんの同期、ウナカウシだ。陸上巡洋艦の研究してるぞ。」
「へぇ!陸上巡洋艦!今どんな感じなんですか?」
ヤミエナの頭を叩いた。
ナチュラルに、国家機密聞き出そうとするな馬鹿。

「いやぁ、陸軍が総出で研究予算つぎ込んでくれてるからね新型エンジン作り放題よ!」
そしてこっちは、女の子に持ち上げられてナニ良い気になってるんだコイツは。

「ただねぇ...陸上巡洋艦サイズになると自重で土に埋まって動けなくなるんだよ。陸軍の意地なんだろうけど、長さ200m陸上艦なんて無理だね。俺はフォウと同じく陸上武装漁船程度の陸上船を沢山作った方が良いと思うんだよなぁ。」

どうやら陸上巡洋艦計画もあまり進んでいないようだ。その予算の一部でも空中艦研究に回してくれないかとボンヤリと考えていると、休憩時間終了の時刻になってしまった。
午後からは、また浮遊機関の作動パルス解析作業が始まる。また基礎からのやり直しだ。
一体いつまでこんな事を繰り返すのだろうか


強い衝撃が窓ガラスを揺らす。研究室がざわめいた。
昼が終わって30分ほど経過した頃、遂に街に砲弾が落ちた。
まだフォウは北へ40㎞の地点でにらめっこしてるはずだ、最前線まで突入しなければここに街に砲弾を届ける事は出来ない。
一瞬空が暗くなる、見上げると空中艦...ではない巨大な爆撃機が空を飛び去って行った。

遅れて戦闘機が追いかけて行ったが到底追いつけそうにない。
遂に街に火の粉が降り始めたのだ。
人間は半径5m、クルカは1mの範囲で起きた事しか理解できないと言うがその通りだと思う。私はたった今自国が戦争をしているのだと実感した。


ーーーーーー
遂に都市爆撃が発生したことで、人の少なくなった街は更に静かで、街の空気が気温以上に冷えているかのような感覚を覚えた。
私の家には依然高級品のラジオが有った為、昨夜はアパートの住人が押しかけてきて深く眠れなかった。
住民達も昨日の私と同じく、戦争がどこか遠い異国の地で行われているような錯覚をしていたらしく、「フォウ軍が来たら返り討ちにしてやる」と大口を叩いていた隣人なんかはすっかりと大人しくなってしまっていた。
いつも満員だった公営市内巡回ゴンドラも、今日は三人しか乗客が居ない。

研究室へ向かう途中、ウナカウシが第三多目的室からドスドス怒り心頭で出てきた。
彼が言うには、昨日の空襲の標的が陸上巡洋艦を開発していた工場が爆撃されたらしく、研究続行困難と判断されたらしい。
陸上巡洋艦自体には被害が無かったので、都市防衛用の固定砲台としての実戦投入計画が出ているようだ。

「試作段階のあの陸上巡洋艦がマトモに戦えると思うか!?アレを失うとまた研究のやり直しだよ...糞っ!」
「ご愁傷様、爆撃で死ななかっただけ幸運と思っておこうな。陸軍は研究を続けて予算は減らさないそうじゃないか、次があるさ。都市からはいつ脱出するんだ?」
「...いや、俺はあの艦の最後を見届けるために市民軍に志願しようと思う。」
「お前のようなヒョロヒョロが銃を撃てるとは思えんがな、ハハハ」
「ハハハ、そういうお前こそ早く逃げた方が良いんじゃないか?」
「私は研究が終わるまでここに残るつもりさ。」
「俺も奴らがスラーグに入ってくるまで研究し続けるさ。」


今日は研究は殆どできなかった。
街に土嚢を積み、大学に有る使えそうな物を片っ端から集める作業に駆り出されてしまったからだ。
研究者がやる仕事ではない、と言っても既に人はかなり減り女子供の手も借りなければならないのだ。
また、フォウは昨日の爆撃で良い気になったのか今日は4回も爆撃をし、その度に作業は中止されるのだ。
爆撃機はあの巨体にも関わらず、音よりも早く飛んでいるようで接近してくるときは完全に無音なのだ。その為、防空壕に隠れる時間が短く毎回突然全力疾走をしなければならないのはインドアの私にはとても大変だった。
幸いにして私の真上に爆弾が降って来る事は無かったが、それでも防空壕に間に合わず担架で運ばれてくる人々を見ると何とも言えない嫌な気分にはなった。
フォウは一体何が目的で侵略しているのだろうか、寒波が終われば奪った領土を失うにも関わらず。


今日の日替わり昼食はアンゴのスープ。「アンゴスープ」なら普通は魚介出汁で取るのが普通だが、これは「アンゴのスープ」アンゴの肉で出汁を取ったイヨチクのスープだ。今日は豪華だなと期待した私がクルカだった。
何とも寂しい食事だが、飢えていない事には感謝しなければならないだろう。昨日のラジオのニュースは、大陸では食料危機で餓死者も出ていると伝えていた。
アーキル政府はチヨコを更に増産し連邦中に必要な量を行き渡らせると言っているが、それはつまりチヨコですら現在では需要量に追いついていないという事だ。
まぁ、国のプロパガンダニュースなので信用は出来ないのだが...
食器を返却すると食堂のおばちゃんが、今日で食堂を休業すると伝えてきた。
普段は学生でイヨチク洗い状態の食堂はもう片手で数えられる程度しか利用していない。
空爆も有ったのだから、疎開をするのは仕方が無いだろう...
明日からは弁当を作らないとな。

医薬品を外に運んでいる時、ゴリゴリという音と共に急に地面が揺れ始めた。私は危うく転びかけたが、とっさに壁にもたれかかる事で箱の中の消毒瓶を守る事が出来た。
前を見ると曲がり角から壁がゆっくりと動いていた。いや、壁ではない、巨大な船だ。
三階建ての家ほどの壁...陸上船の横では軍人達が慌ただしく動き回っている。あぁ、これがウナカウシが言っていた陸上巡洋艦なのだろう。
確かに重すぎるし遅すぎる。この速さでは釣り上げた亀よりにも追い抜かされてしまう。
陸軍は最初から高望みをしすぎだ。こんなに大きな船になったらそりゃあマトモに走る事なんて出来ないだろう。
よく見ると地面の煉瓦を砕きながら進んでいるため、周囲は小石や砂利で土埃ならぬ石埃をまき散らしている。

「やばいっすね、アレ」
何処からやってきたのか、ヤミエナが私に話しかけてきた。
「先日の空爆で、爆弾が直撃したらしいんですけど、弾き返したらしいですよ。どんだけ頑丈に作ってるだって感じですよね。」
「昔から陸軍は海軍に比べて扱いが低かったからな、海軍にマウントを取る為にも巨大兵器を求めたんだろう。」
「えー、そしたらアレは陸軍の自己満で作られたって事ですかー?もったいない」
「私もそう思う。昔、330計画って大陸の陸上武装漁船をマネた兵器を陸軍は計画してたんだよ。そいつは割と性能は良かったようなんだが、海軍本部から『小型砲艦しか作る技術を持っていないとは情けない』と議会で皮肉られた結果、採用取り消し陸上艦隊計画とかいう夢物語を言い始めたんだ。」
「陸軍と海軍仲悪すぎないですか?」
「ハハハ、この話は諸島研究員ならだれでも知ってる逸話だぞ。330計画を研究していた研究員がみんな海軍系研究所に行ってしまって、陸軍が科学研究省に泣きついたのは有名だな。」
「私達の研究する空中艦もあんなことにならないと良いですね...」
「そうだなぁ、もっと浮力を稼がないと...」

ん?

・予算が無くて困っている
・陸軍は予算をたっぷりくれる
・陸上巡洋艦は重すぎてまともに動けない
・ある程度浮力を得る技術が有る

私はウナカウシの研究室に走り出した。

最終更新:2019年02月10日 23:16