ガラスの鳥

雲が多い空を一基の飛行機械が飛んでいる。戦う為ではなく、ただ帰ることを第一の任務と置いた部隊。その機首部が日の光を受けてキラキラ光っている。あだ名は「グーフォ」。神の怒りを買った者が罰を与えられ体を焼かれたが脱皮して生まれ変わり大空へと羽ばたいて飛んで行った神話に出てくる動物だ。偵察機に武装など無い。もともと損傷機を現地の整備兵がもはや趣味のような感じで作ったのが原点だ。格納庫の片隅に幌を掛けられ損傷したままで放置してあった一人乗りの戦闘機だったセズレは2人乗りの偵察機として蘇った。操縦手の位置はそのままだが機首部にあった機関銃が撤去された所はガラス張りの偵察席となっている。偵察員はうつ伏せになって写真機のファインダーを覗きこむ姿勢のままだ。操縦手を挟み込むように配置されていた機関砲も撤去され、今はその機関砲があった穴をふさいだ色違いのキャップがその名残だ。

「もうちょい、右」

偵察席から伸びている伝声管から偵察員からの声が聞こえた通りに右のフットバーを少し踏み込む。

「よーし、そのままー、そのままー」

眼下に広がる大地を這うように走る線が今日の任務である帝国軍の前線にある塹壕戦とその付近にある補給物資の集積所の写真を撮ることだ。武装を全部取り払ってあるので速度が通常のセズレより30kmほど上がっている。足が速いのはうれしいが敵に狙われたらどうしようも無い。ただ「逃げる」しかない。

「終わりったぜ、さっさと帰って一杯しようや」

偵察席にいる同僚シサヴェが溜息を付きながら言ってきた

「了解、帰投します。今日は先輩の奢ですね、ツケが溜ってますよ」

伝声管にそう言うと

「何言ってるんだよ、この前の賭けでは俺が勝ったぞ。それでチャラだ」

「何ですそれ?そんなのやった覚え無いですよ」

「お前が酔って覚えて無いのさ、早く帰ろうぜ寝っころがったままで体が痛えよ」

偵察員は座る座席など無い。ただ寝っころがったままなので楽だと思うがやはり辛いようだ。伝声菅の管はもともと燃料を入れたりする只のチューブに漏斗を取り付けた簡単なものだ。それ故に声が聞き取り辛い時もあるのが悩みでもある。所詮、現地改修機なので有り合わせの物で組んであるので文句は言えない。それに偵察員のシサヴェは戦闘で足を負傷してもう飛行機械には乗れないのだが未練が多く何度も司令部に問い詰めていた。操縦をしている俺は飲まない酒を飲んだ勢いで上官と喧嘩沙汰になり飛行機乗りから降ろされた身だったが、やはり空が好きだったので飛行機から離れられなかった所に司令部から「現地改修型のセズレに搭乗せよ」と辞令を受け取ったのだ。要するに厄介払い、戦死すれば吉。偵察が上手く行っても吉という変なことだ。

「ちょっと速度を上げます」

と伝声管に行ってスロットルを上げる。やはり、空はいい。地上の様なしがらみも無い。飛行機械に乗っている間は自分が風になったような気さえする。青と白だけの芸術のような空。

「見張りを怠るなよ、どうせまた物思いに耽ってたんだろ?そんなことせずにもう少し女の事とか酒とかの事を考えろよタバコぐらいしかやらないなんて聖人ぶってると早死にするぜ」

見えていない筈なのにやはり解っていたようだった。ちょっと最後の余計な言葉でムッっとしたので操縦桿を右にいっぱいまで倒して機体をロールさせる。

「おい!やめろ!悪かったって!こんな姿勢なのにこんな機動するなよ!」

機体を元の姿勢に戻すとグロッキーになったのか静かになった。また物思いに拭けようと思ったが、何かおかしい。なんともない空なのに機体の後方上方にあるぽっかりと空いた穴がいやな予感がする。地上から見たら雲の切れ間にしか見えないが飛行機乗りの感としては警鐘を鳴らす。その穴を見つめていると、やはりいた。帝国軍機のグランビアだ。3機編隊で三角形の隊形を組んで飛んでいる。友軍の陣地を自慢の榴弾砲で攻撃しに行くのか、それとも警戒飛行なのかは解らない。だが、こちらは武装の無い偵察機、あちらは戦闘機。逃げるしかない。

「シサヴァさん、敵機です。こちらに気づいてない様子ですけど進路を少し変えて帰投します」

「敵機?珍しいな偵察機に追いつけない事なんてバカな帝国軍でも知ってるはずだがな」

「用心に越した事無いですからね」

「オーケー、だが敵機は後ろだけじゃないぞ。機体下方向からも・・・」

突然機体の前方に色とりどりの機銃の曳光弾が飛んで行った。

「敵機!だがあの弾量は通常のグランビアの機銃の発射速度じゃないぞ!?」

機体を捻って機体下方向を見るとグランビアと同じ形状の機体が急上昇してくる。確かにグランビアだ。速度は余り変わりないようだが、上空のグランビアも機体を翻してこちらに迫ってくる。

「シサヴァさん!上空の奴もこっちに来ました!ハメられたようです!。ベルトをしっかり締めてて!!」

「もうやってる!さっさと振り切れよ!速度はこっちが上だ!」

敵機がグングンと迫ってくるが中々速度が上がらない。

「何やってんだ!さっさとスロットルを全開にしろ!」

「やってますよ!上がらないんです!」

「クソッ!いつもなら速度差で振り切れるのにどうなってやがるんだ!?

スロットルは全開なのに速度が余り上がらない。元は損傷した機体を修理し現地改修したボロだ。パーツもボロボロのやつと新品のツギハギなので不具合はあるが目をつぶるしかないのが現実だ。

上空から迫ってくるグランビアが小刻みに進路を変えている。こちらに榴弾砲を一斉射撃して落とす気だろう。

「ええい!シサヴァさん!ちょっと粗っぽく行きます!」

「おい!この機体じゃ空中戦何ざ出来んぞ!?」

次に何か言おうとしていたが言葉を遮るように機体を斜め上に向ける。上空から迫っていたグランビアは急な機動を行ったことによって一斉射撃が出来なくなり諦めたかのように散開した。だが、下方向から迫っていた敵機からすると調度いい角度で機体を晒す姿勢になった。そして、直後に浮遊機関の緊急停止レバーを引く。スロットルレバーがバネで弾かれたかの勢いで0辺りまで戻る。操縦席の真上を空気を切裂きながら敵機が放った銃弾が飛んで行った。何度も空中で機銃を撃たれたがやはり、血が凍るような思いがする。0まで戻ったスロットルレバーを徐々に上げたいところだが、そんな余裕もないので浮遊帰還を再始動させ一気にフル辺りまで吹かす下方向から迫っていた敵機はそのまま上空に飛んで行ったが散開したグランビアの位置を探す。首を捻って探すが2機までしか見つけられない。進路を味方陣地の方に向ける。何としてでも最短距離で帰らなければならない。

「おい!敵機が前方下方向から突っ込んでくるぞ!」

反射的に操縦桿を押し倒し機体の頭を下にさせた瞬間、今度は頭上を人間の頭ほどある榴弾が飛び越える。

「恐らく今度は8の字を書くように敵機が襲ってくるから低空を這って逃げろ!」

機体を突っ込んだまま下降させる。高度計が凄まじい勢いで回転している。高度は30mほどに保っているがまだ榴弾を残している敵機の残った2機がしぶとく追ってくる。

「右!」

反射的に右フットバーを蹴ると機体左を機銃弾が飛んでいく。榴弾砲をこの低空で撃つと自機も爆風と破片を浴びて墜落しえないので使えないという弱点を突いたものだ。

「右!」

また右フットバーを蹴る。自機が飛んでいた辺りを機銃弾が飛んでいく。ほんの数分が永遠のごとく感じられる。味方の前線までたどり着けば何とかなるが敵機からすると落とそうと必死だ。

「おい!まだ速度は上がらないのか!?」

「まだ上がりそうもないです!どんな整備したんだあの連中は!!」

「規則的に機体を左右に動かすなよ!不規則にやるんだ!!」

機体を整備した整備班を殴りたくなるがそれは生き残った後の事だ。6機いた筈の敵機は2機だけになっていた。おそらく弾切れで帰投したのだろう。味方の前線辺りが迫って来たので信号銃に「敵機接近」の信号色である赤色の煙幕弾を装填してある信号銃をスロットルレバーの下にあるケースから取り出して左手に持つ。前方に向けた信号銃の引き金を引くと「ポン!」という音と共に信号弾が発射されて上空に赤色の一本の筋が上る。

「味方は気づいてくれるんだろうな!?」

「知らないっすよ!祈ってればいいんじゃないですか!」

と怒声で会話すると偵察席から通じてる伝声管からブツブツとお祈りの声が聞こえる。

「バカ!本当に祈らないでくださいよ!」

機体の左フットバーを蹴ると機体右を機銃弾が掠め飛んでいく

「何でもいいからお助けをー!」

とりあえず叫んでおかなければ気がおかしくなりそうだ。味方の塹壕から機銃弾が飛んできたので慌てて機首を上げる。敵機も釣られて機首を上げるが1機が数発生体エンジンに被弾
したようで1機がグラっと揺れたがすぐになんとも無かったかのように飛び続ける。味方陣地の上空まで来たものの敵機は偵察機を帰還させたというだけで懲罰部隊送りにするほどの厳しすぎる帝国だ。階級社会の弊害とも言えると話を聞いたことがある。だが、今はそんなこと関係ない。味方陣地の上空とはいえ下手に機銃弾をバラまけば味方機にも被弾するかもしれないので地上からは撃てない。その時、後ろにいた敵機が急に機体を翻して敵陣地の方に帰って行く。帰って行く敵機に地上から待ってましたと言わんばかりに色とりどりの曳光弾が上がって行く。

「あれ?敵さん帰って行きますよ?」

「多分、俺達を待ち伏せする為に長時間飛んでて生体機関の限界なんだろ?俺も限界だぜ、あんな機動ばかりされると古傷に応えるぜ」

シサヴァが疲れたような声で言う。

「つまり、助かったのか」

「だな、ついでに敵機を見つけれなかったお前を助けたのは俺だからな。今日は奢れよ」

「そんなの関係ないですよ?俺の操縦の技術があったからです」

そんなことを話している内に基地に着いて機体を駐機場の定位置に降ろす。写真機を指揮所から走って来た兵士にシサヴァが渡して任務終了だ。

「だーかーらー、俺に奢れって言ってるんだよ。命の恩人だぞ?」

タバコを吸いながら宿舎まで歩いていく。

「先輩、操縦してたのは俺ですよ。ツケ払ってくださいよ」

「まったく、お前も少しは腕を磨けよ」

と言いながら肩を組んでくる。こうして今日も生き残ったがいつ死ぬか分からない世界で生きている者からすれば今楽しむことが全てである。今日はどこの酒保に行こうかという話題になり、空中での緊張感など吹っ飛んでしまっていた。数日後に開始された戦線の突破作戦をこの2人が撮った写真が根幹にあるという事は過言ではない。敵陣地の詳細な配置まで正確に写真に映っておりこれが決めてとなったからだ。これにより2人には勲章が与えられた。それと、2人が遭遇したのはグランビアの改良型であるというのが突破作戦で得た捕虜から判明した。その名は「グランミトラ」機首部の榴弾砲の部分に機関銃の銃身を集中させ一斉発射するという単純なものだが連邦軍や共和国の航空機部隊からすると脅威として感じ取られ、終わりの見えぬ戦争に登場したのである。

最終更新:2014年05月06日 22:27