アグニ・ラグナ オイルスモウ五番勝負 第二話『双糸鉄棍』

 アグニ・ラグナ~ オイルスモウ五番勝負 第二話『双鉄糸棍』

 著 冷やし狸のマサ

 

 サッデラ元上級曹長の遺体は、バリングが呼んだ帝国警察の手に引き渡された。
   バリングは一体何が起きているのか、自分でも判断が付かぬままに署についていき、事の次第を説明した。
   しかし、事情をある程度聞いただけでバリングはすぐ帰って良いと言われ、署を後にすることになった。
   大戦が終結し二年経つが、帝都の治安はアーキル程では無いが悪化している状態にあり、食い詰め軍人の追い剥ぎや強盗等は日常茶飯事で、仮にその追い剥ぎが勝手に死んだとしても一々訴えを起こすような暇など彼等には無かった。
   そんな途方に暮れるような調子でバリングが署から出て来たときには、騒ぎを聞きつけたロラバが駆けつけ合流したが、彼はバリングから一部始終を聞くと逆に署の方へと単身乗り込んでいって、精々乗り込む際に彼女に明日は事務所の方へ顔を出せと言ったぐらいであった。

 

 「よぉ。しっかり、眠れたか?」

 翌日にロラバの経営している人工食肉業の事務室が入る産業塔の一室に、沈痛そうな面持ちで顔を出したバリングを、暢気にシーバを啜りながらロラバは声を掛けた。

 「・・・随分な挨拶ですね、少尉」

 バリングは質素なコートを羽織った装いで、事務室の入り口で彼を少々睨んだ。
   成り行きとはいえ、戦時の上官が自分の目の前で死んだばかりと言うのに、この男は何を言うのだろうと眉を顰めたが、不満なのは顔だけにして、彼に促されるままに事務椅子の一つに腰を下ろした。
   室内はバリングとロラバの二人だけで、経理や事務を担当する職員は居ない。
   それなりに広い空間ではあるが、産業塔独特の構造に沿うために多くの円状机や椅子が壁際から備えられており、大柄なバリングに取っては少々窮屈であった。
   机の上にはよく整理された書類や冊子が並び、あまりに整然とした空間の中に入り込んでいる野暮ったい二人は異様な存在だ。

 「挨拶なんて問題じゃない。ま、命を狙われたんだ。ぐっすり眠られても困るが」

 ロラバは黒い泥の様な色をしたシーバを、カップに注いでバリングに差し出しながら、彼女の向かいの椅子に腰を掛けた。

 「命を?止してください。曹長殿はきっと何か悪酒でもし過ぎて、あんな凶行と結末になったに違いないですよ」

 シーバを受け取りながら、出来る限り平静を保つようにソレをバリングは静かに啜ったが、色と同様にロラバの煎れたシーバは泥水よりも苦く、表情が歪んでしまう。

 「まぁ、そういう考えも悪くないだろう。現に警察の方もその線で片付けるそうだ。連中も暇じゃ無いからな。事務的にさっさとなんでも終わらせたいだろう」

 「何故、警察の考えが判るのです?」

 「そりゃ聞いてきたからさ。ついでにサッデラの遺品も頂戴してきた」

 表情を歪めたまま訝しげにロラバを眺めるバリングの鼻先へ、彼は事務机の下から少し大きめの紙袋を拾い上げて、中身を二人が挟んでいる机の上に広げて見せた。

 「・・・?何故、そんな・・・それに、遺品などはせめて身内の方に回るのでは?」

 「奴に身内はいやしない。奴は生まれは貴族だが、戦時中のドサクサで皆死んじまってるって口だ。まさか、ここでまだ生きてるとは知らなかったよ。それに仮にも知り合いだからな、処分される前に貰ってきたのさ」

 ロラバの口振りは聞きようによってはマトモに聞こえないでも無いが、出任せと袖の下で聞いたり貰ってきたのであろうことは長年の部下はよく知っていた。

 「何も俺だってサッデラの奴が金持ちだとは思っちゃいないし、別に形見が欲しくてやったわけじゃない。『手掛かり』を見つけたいだけだ」

 広げた品々を食い入るようにロラバは見下ろしていた。
   その様子を不思議そうにバリングがその上から更に見下ろしながら、答えがわからぬ生徒のような口振りで彼に聞く。

 「手掛かりとは・・・?まさか、本当に私の命が狙われてるのだとお思いで?」

 彼女の疑問に対して、彼は顔を上げて彼女の顔を見た。
   そこには真剣そうな表情が張り付いていて、何処か戦時に作戦図を見下ろす過去の彼の姿と重なった。

 「なにしろ『大国間親善試合』を控えている帝国代表選手を・・・それもお前みたいな、化け物みたいな奴に、あの冷静なサッデラが悪酔いして、お前に襲いかかって勝手に死ぬもんか。それにあれは酒で死んだんじゃない。毒か何かを煽ってから、お前に挑んだと俺は見た。・・・過去に反乱農民の扇動者格が同じ様な事をした前例がある」

 彼はそう熱っぽくバリングに語り、言葉の最中に随分と失礼な事も言われた気がしたが、それよりもバリングは昨晩の襲撃が故意的な、しかも、自殺的なものであったというロラバの推理に衝撃を受けた。

 「そんな・・・。しかし・・・私を殺してどうなると言うのですか?」

 「まず、考えられるのは俺に対する脅しだろう。お前はうちの会社の代表選手でもあるんだからな。何せ、親善試合の方は様々な利権が絡んで儲かるが、それだけに目の色変えて蜜を吸おうとスルク蝶の様に無様に群がってくるのさ」

 狼狽するバリングに、ロラバは自分の考えを話し始めた。

 「それなら俺を真っ先に殺せば、会社の方も無くなって参入しやすくなるだろうと考えるかもしれないが、そう現実は甘くない。今回の親善試合はあくまで政府公認とお墨付きを受けたような由緒正しい企業しか契約は交わせないものだからだ」

 果たしてこの男がいつ、由緒正しい契約等交わしたのだろうとバリングは聞きながら思ったが、とりあえず口を挟まず話が終わるまで待つことにした。

 「それに、俺を殺せば軍と政府との関係が絶たれる。簡単に言えば宝石の卵を吐き出すクルカを殺すようなものだ。なら、どうするか?まだ代わりの利く、うちの選手を殺して、俺の首元に綱を締め付ける様にして、脅して操る方が賢いと言うわけだ」

 ロラバは満足げに話し終えると、糊の利いたシャツの胸ポケットから煙草を取り出して、一本バリングにも勧めた。

 「・・・では、この遺品から、曹長の雇い主の手掛かりを探そうとのことで?」

 煙草を指で挟んで受け取って、口に咥えながらバリングは彼を見やった。
   その彼女の言葉に、彼は満足げに頷きながら卓上にあった燐寸で煙草に火を点けた。
   彼は満足そうに紫煙を吐き出しているが、それを見てバリングは確かこの事務室内は禁煙だと事務員の『フラガナル』が言っていなかったかと思い出した。
   しかし、その事を言って彼の機嫌を損ねるのも不味いと思い、喫煙と話を続けさせた。

 「まぁ、さっきは手掛かりと言ったが要は『証拠』が欲しい。実のところ雇い主の方はある程度、目星が付いてるんだ・・・。南区で表向きはうちと同じ様な会社を装ってるが、中身はトーロックみたいな阿漕な連中だ。代表の名は『シュデェロ』と言って、出は名誉帝民だそうだが、何処まで本当か・・・、何度か利権で争った事があるが、俺の強い友人達の御陰で今まで事なきを得てきた訳だ」

 彼は事務室内に漂う紫煙を目で追いながら話し、バリングはこの紫煙の代償は高く付くだろうと朧気に思った。

 「だが、シュデェロの奴もこれ以上は好きにさせないと、別件で脅しを掛けてきた。別にそっちの方は、思春期の学生が送ってくるラブレター並に他愛ない物だったが、最近シュデェロの会社に元軍人の出入りがあったと、グノッゲの知り合いから昨日聞いた」

 「・・・また、グノッゲですか」

 漂う紫煙を振り払うようにバリングは少し腕を振って、彼を見据えた。
   グノッゲとは俗称であり、正式な名称は『耳目省』と呼ばれる、皇女陛下直属の諜報機関だと以前に仲間から聞いたことがある。
   戦時は敵地工作も内政にも多分に関わった経緯のある省庁であり、大戦が終結した今では国内の内政に関わる部分が増えたと言うが、後ろめたい仕事をするにはもってこいの連中だという認識がバリングにあった。

 「胡散臭い連中には違いないが、少なくとも俺達の味方だ。色々と有益な情報をくれるのさ。・・・さぁ、お喋りはここまでにして、遺品整理をしようじゃないか」

 そう言いながら、ロラバは煙草を床に捨てて踏み消した。
   これでフラナガルの激昂から逃れられなくなったと、バリングは思った。

 

 サッデラの遺品を整理すると言っても品の数は少なかった。
   精々、彼女が着込んでいた黒いコートと衣服や、その衣類のポケットに入っていた物を全て並べても事務机の上に軽く収まるほどだった。
   その品々には戦時を思わせる懐かしい物があった。
   古く汚れた軍隊手帳に、頑丈な炭筆が紐で縛り付けられている。
   財布には数枚の戦時際に用いられた軍幣が数枚入っていて、それはまだ裏路地に行けば取引に使える効果がまだある物だった。
   その他には、これと言って何も無く、サッデラ曹長の人となりを表している。

 「ロクな物がないな」

 そうロラバは財布を眺めながら毒突いた。
   まるで追い剥ぎのような口振りにバリングは顔を顰めたが、しかし、思い起こせばサッデラ上級曹長は随分と影の薄い人物であったように思えた。
   どのような時でも無口無表情で、これと言って会話らしい会話を交わした記憶は無いし、上官らしい命令や叱責を受けた記憶も無い。
   それでも、何故、彼女の顔を昨晩にすぐ思い出す事が出来たかと言えば、それは彼女がバリングに格闘術を教え込んだ者の一人であったからだった。
   彼女は音も気配も気取られずに相手に忍び寄り、若しくは正面からでも相手に手を悟られること無く拳を打ち込む術をバリングへ教えていた。
   しかし、それは教えたと言うよりはバリングの体に刻み込むようなやり方であり、簡単に言えばバリング自身が彼女の練習相手に何度もされたという事だった。
   そこら辺の兵士達では誰もサッデラの拳や技に耐えられず、一撃で気を失うか若しくは負傷をする程であったが、そこへきて大柄で頑丈なバリングなら相当な攻撃には耐えられた為、彼女の良い的になっていた経緯があった。
   苦々しい記憶も、時が経てば甘美な思い出に変わる事もある。

 「参ったな。こりゃ、しけてる」

 そんな回想に浸るバリングの思いをぶち壊すかのように、またロラバは毒突いた。

 「少尉。一体、何を探しているんですか?まさか、あれだけ言って財布が目当てなだけなんて・・・」

 少しムっとした彼女がそう口を立てると、ロラバはそんな事気にも留めない様子で並んだ品々を眺める。

 「馬鹿を言え。なんで俺がサッデラの小銭をわざわざ、漁る必要がある?俺が探してるのはもっと別の物だ」

 「・・・それなら、馬鹿でない曹長なら、とっくに破棄したのでは?」

 「何もご丁寧に報酬の額が書かれた小切手や、依頼のメモとかそんなわかりやすい物を探してる訳じゃねぇよ。さっき言った俺の論が正しいなら、アイツは毒を煽っていた。なら、せめて遺書の一つでもあっても良いだろう。そもそも、何故、毒を煽ってからお前を殺しに来るんだ?おかしいじゃないか、毒を持ってるならお前の飯か何かに混ぜれば、それで単純なお前を殺せる。・・・俺が思うに、アイツは相当、思い詰めていたに違いない。それか、生き残れない状況に追い込まれていたに違いない。なら、せめて遺書の一つぐらいは残すに違いない。それが正しければ、遺書に一言ぐらいは雇い主を指す物があるだろ」

 彼はそう熱っぽく捲し立てながら、品々を睨み、ふと気付いたように軍隊手帳を取り上げると、縛っていた紐を解いて頁を捲り始めた。
   その様子を上からバリングも覗いて、気付けば二人で手帳の頁を目で追い始めた。
   しかし、そこにはこれと言った文章は見当たらなかった。
   と言うより、文章自体が無かった。
   サッデラ曹長が文盲であった訳ではないだろうが、何も書かれていない。

 「あの野郎め、死んでも俺達に何も語らないつもりか」

 ロラバは再び毒突きながら、手帳を閉じて卓上に置き、万策尽きたとばかりに腕を組んで唸った。
   バリングも困ったように彼と同じ仕草で、卓上を見ていたが品々の内に欠品があることに気付いた。

 「・・・ナイフは?ナイフは凶器として警察で押収されたので?」

 思えば昨晩のサッデラの得物であるナイフが品々の内に見当たらない。
   だが、それは凶器として警察に押収されているのだろう、と口にした後でそんな当たり前な事を言う奴があるかと彼にどやされるとバリングは思った。

 しかし、意外な事に彼は呆気にとられた顔でバリングを見返した。

 「ナイフだと?アイツは得物なんて使わないさ、全身凶器みてぇな奴だった。お前もよく知ってるだろ?」

 「しかし、昨晩は確かにナイフで襲われました。遺体と一緒に橋から抜かれて運ばれるところも確認しましたが・・・」

 バリングの言葉に彼は唖然とした。
   一体何か気でも触ったかと、バリングは少し戦いた。

 「・・・待てよ。俺はナイフとは聞いていないし、そんな物見てない。連中にはお前が取っ組み合って、その途中でサッデラが急に死んだとしか聞いちゃいない。少なくとも連中は出す物さえ出せば嘘は言わない筈だ。・・・今後の付き合いもあるからな」

 ロラバの口から出た言葉は奇妙であった。
   幾ら面倒嫌いな警察でも、素手で行われた取っ組み合いと、刃物が持ち出された場合は様相が多少は変わるもので、一緒くたに説明は出来ない筈に思われた。
   その説明のためにおそらくロラバは袖の下を出したが、それも今に始まったことでも無いため、この時に限っていい加減な事を言うとも思えない。

 「もう一度、警察へ行くことになるな。・・・よし、フラナガルを呼ぶか。アイツは警察に顔が利く」

 彼は椅子から立ち上がると、壁に備えてあった四角い『喋伝網(しゃでんもう)』へ手を掛けた。
   その装置から出ている樹脂に覆われた生体神経が、戸外へ伸びており、それが帝都中枢の交換施設へと繋がっている。
   大まかに言えば範囲の広い伝声管であり、それと大きく違う点は、変換された音声が文章となって、相手先の受信装置上部にある文字盤に表示される事であろう。
   暫くして、彼の呼び掛けに答えたフラナガルは事務室へ、上司であるロラバに命じられるまま大人しく顔を見せた。
   が、その顔は室内に立ちこめる紫煙と香りに強く歪められ、逆に上司を強く叱責した。

 

 フラナガルの叱責は警察署に向かう飛靴の中でも続き、警察署へ到着し飛靴から降りる際には、あれだけ威勢の良かったロラバもまるでどちらが上司で部下かわからぬ程に悄気返ってしまっていた。

 「二度と事務室内で吸わないでください」

 そうフラナガルは警察署の前でも、死体に鞭打つような調子にロラバを再三叱った。
   このフラナガルと言う男は、身の丈はバリングと同じほど高いが、体格は枯れ木のように細く頼りなく、それに加えて見栄えが悪いまでに猫背であった。
   事務員らしく紺のシャツを上に、下は線が映えるズボンを履き、心労が多いのかその頭部に毛は無い。
   ロラバへの説教を漸く終わらせると、神経質そうに目元の丸眼鏡の位置を直して見せた。

 「わかった、もうしない。……なんで、俺が吸う前に気付かなかったんだ?」

 彼と対比してあまりに小柄に見えるロラバは、叱りつけられた子供のように肩を竦めたが、八つ当たりにも近い調子でバリングを睨む。

 「気付きはしましたが、上官を咎める事は私には…」

 「んな事あるか、部下は上官を育てなくちゃいけねぇんだ」

 いよいよ子供じみた言い訳を口にしながら、ロラバは三人の先頭になって警察署に入った。
   警察署の外観は戦前からある巨大な産業塔の様なソレであるが、戦時からの長いゴタゴタによってまるで質の悪い生け花の様に、様々な区画が拡張され、塔というよりはそれはまるで枝分かれした巨木のようにすら見える。
   その為、役所と揉めることも度々あるそうだが、連中がそんな事に構っている暇などありはしない。
   大戦終結から二年経つが、連中の忙しさは更に輪を掛けて酷いものになっている。
   皇女殿下の政策により、今の今まで見過ごされ、汚職の坩堝と化していた帝都の大改革の為に発破を掛けられているのだ。
   連日、名のある貴族達が連行される事も少なくない。
   現にロラバ達が署内に立ち入った際も、内部は蜂の巣を突いたような騒ぎだった。
   連行された貴族に雇われた弁護士達と署員達が喧々囂々と騒ぎ立て、半ば乱闘状態になりかねない状況になっている。
   しかし、そんな事などお構いなしに三人は慣れた足取りで、内部中央の螺旋階段を登り、二階の部署へと立ち寄った。
   ここでも同様に騒がしかったが、部署の窓口にフラナガルが顔を出すと、喧騒の中から一人が気がついたのか、此方へ走り寄ってきた。

 「どうしたんですか?」

 走り寄ってきた署員は中年の男性で、内部勤めが長いのか浅白い肌をしていた。
   しかし、どうしたのかとは此方の台詞で、彼の署員制服はつい先程までカノッサ前線にでもいたのかという程にまで痛んで破れていたし、おまけに顔には多少の青痣も見受けられる。 

 「護身拳銃の所持許可申請にきたんですが・・・、それよりその傷は?」

 男性署員に対しフラガナルは長い背を曲げてお辞儀をしながら、小脇に挟んでいた手提げ袋から書類を何枚か見せつつ、彼に問いかけた。

 「なに、大した物じゃないですよ。一階の騒ぎのとばっちりを受けましてね。・・・そんなことより、ロラバさんまで連れてどうしたのですか?」

 署員はフラガナルと気さくに会話を交わすところから、それなりの仲であることが窺え、彼の長い背の背後にいたロラバとバリングに気付くと彼へ聞いた。

 「・・・本当のところは、私よりも彼の方に用事があってね。どうか、少し時間を割いて欲しいんだ」

 フラナガルはそう静かに署員に言うと、彼は少々狼狽したような表情を一瞬見せた。
   だが、それをすぐに笑顔で打ち消し、三人を案内した。

 

 署員に通された部屋は塔の下層に設けられた取調室の一室であった。
   本来なら先に上の貴族がここに入る予定であったのだが、それを拒否した為にあんな騒ぎに発展したのだと署員は3人に説明してくれた。

 「ここなら話も漏れませんから」

 署員は部屋に入ると、3人をそれぞれの椅子に座るように促した。
   フラガナルは書記の座る席へ、バリングは座るのを拒否して壁に背を預け、ロラバは取り調べを『する』方へ座った。

 「それで、何の話ですか?・・・いえ、聞きたいことは判ってます。昨晩の事でしょう?」

 署員は逆に取り調べを受ける方の席に座りながら、前から訪問理由を知っていたかのように少し溜息を吐いた。

 「あぁ、別にアンタ等が仕事をどうこなそうと俺の知ったことじゃないが、しかし、此方はそれなりの物を出して質問をしているんだから、それに答えるのが筋ってもんだろう?」

 ロラバはそう署員を見据えながら言った。
   これ以上の隠し立てをするなら、横の奴が黙ってはいないとばかりにバリングの方を流し目に見て見せたが、その程度の脅しに屈する程度では帝都警察は勤まらないのか、署員はいたって平静な面持ちであった。

 「えぇ、ロラバさんには良くして貰ってますから、それは当然なんですが、昨晩の件についてはお忘れになった方が宜しいと思いまして」

 「それは、どういう意味だ?」

 「意味なんて物はありません。ただ、私は貴方方との付き合い方を今後も無事に続けたいとだけ・・・」

 署員は冷静な面持ちでロラバの質問に対してそう答えた。
   含みのある彼の言葉にロラバは顔を顰めた。
   この手の口調と内容は随分と経験している。
   明らかに何か裏があることが窺える。

 「判った。忘れよう。・・・この街じゃよくある事だ。だが、俺は忘れるが、この横の奴が昨日の件では被害者なんだからな。奴は加害者である元上官の遺留品を一つ形見にしておきたいと言っているんだ。それだけ貰えたら、すぐに忘れてやる」

 しかし、ロラバは一歩も退くつもりは無いようだった。
   今回はバリングが狙われたが、そんな事をいちいち忘れていては、命が幾つあっても足りない。
   ロラバの返事に困った署員は暫くの間、黙り込んでいた。
   時折、フラガナルに対し助け船を求めるような視線すら向けたが、彼はそれを冷たく黙殺していた。

 「・・・判りました。では、ここで暫くお待ちを」

 暫くして項垂れながら、署員はそう力無く言ってから部屋を後にした。
   その頼りない姿を見送りながら、ロラバはフラガナルへ目を向け

 「おい、出口は上に行く階段だけか?」

 そう静かに聞くと、彼はゆっくりと頷いた。
   その頷きを見ながら、ロラバは上層から聞こえてくる喧騒に、暫く耳を澄ますように見上げながら、何かに気付いた様にゆっくりと席を立った。

 「アイツは俺の仕送りを断って、自立するかもしれんぞ」

 と、精一杯の皮肉を口にするような調子に言い放った。
   その言葉にハっとしたように、バリングは部屋の外へ出ようとしたが、鍵が掛かっていた。 「俺を罠に掛けるほど、度胸は無いと思っていたが、暫く見ないうちに成長したらしい」

 「若しくは、背伸びでもしたくなってのでは?」

 バリングがドアノブに対し苦闘している後ろで、バリングとフラガナルはそう言葉を交わしながら、各々に拳銃を引き抜いては弾倉を確認している。

 「バリング、破っちまえ」

 ロラバがそう拳銃を握り、彼女に命令を下した。
   警察署の備品を破壊することにある程度の躊躇が無いわけではなかったが、彼の表情には戦時の強い色が浮かんでおり、バリングはそれを瞬時に判断すると左肩をドアへ向け、渾身の力を込めて体当たりを行った。
   一度目は跳ね返されたが、長い間、放置されていたドアは僅かに軋む音を立て、確かな手応えを彼女は感じた。

 続けて二度三度と体当たりを繰り返すと、帝国警察の威信にも近いドアは簡単に弾き飛んだ。
   そして、そのまま転がるようにして廊下へ飛び出たバリングの体を不意に嫌な気配が襲った。今の今まで命を預けてきて頼りになった本能的なそれに、彼女は間髪を入れずに反応し、途端に頭上で空気を切り裂くような音が響いた。
   咄嗟に身を屈めるような姿勢で何かを躱したバリングの前に、先程の警察署員が立っていた。

 

 「・・・この関係を続ける気は、もう其方にはないようですね」

 署員の男はそう悲しげな表情を浮かべ、バリングの数歩前に立っている。
   手には肘から手首程度の長さをした何か警棒の様な物がそれぞれに握られていた。

 「俺は続けるつもりだった。関係を壊したのはお前等の方だぜ」

 廊下の署員の声に取調室からロラバが応えた。
   彼の前にはフラガナルが長い背を更に屈めて、彼を護衛するように腰辺りに拳銃を構えている。

 「ドアを破壊した件については此方で処理をします。どうせ、上の貴族を入れれば、遅かれ早かれ壊されたでしょうから。・・・しかし、其方の欲しがっている物はお渡しできませんよ、ロラバさん」

 署員はそう声を掛けながら、警棒の様な物を構えたまま二歩退いて構えた。
   警告のつもりであろうか、しかし、今の咄嗟に自分に向けて放たれた物は何であるか、ゆっくりと起き上がりながらバリングは確認するが、すぐにはわかりそうになかった。
   何かの飛び道具を用いられたのかと思ったが、署員が手にしている警棒が投げつけられた等では無いようだし、相手は腰に拳銃の様な物を差していなかった。
   相手は警棒を上下に開いて構える動きを見せ、その姿は帝国人と言うよりも辺境の戦士の様にすら見える。

 「・・・しかし、欲しがっているのは俺じゃない。そこの大女だ。俺じゃなくてソイツと話しを付けてくれよ」

 そうロラバは投げやりな言葉を室内から送るが、署員はそれを鼻で笑って返した。

 「わかりきった事を言わないでください。何のためにあれを欲しているかは此方はよくわかっています」

 「だったらどうするって言うんだ?俺達を消すのか?」

 ロラバの皮肉じみた言葉に対し、署員は何の返事もしなかった。
   それが答えに違いなかった。
   彼の言葉から少し間を置いて、バリングが僅かに下がって身構えると、署員の腕が素早く動き、それに伴い一気に間合いを詰めてきた。
   警察が用いる受動的な捕縛術の動きではない。
   先手を取って相手を仕留めに掛かる戦闘格闘術だ。
   相手は下段にしていた警棒を横に振りかぶり、バリングの脇腹目掛けて振り払ってきた。
   しかし、この動きはもう片手の警棒での一撃を攪乱する為のフェイントだと瞬時に受け取ったバリングは、右腕で脇腹を護りつつ、次に繰り出されるであろう、片手の動きに左腕で備える。
   案の定、脇腹を狙った一撃の次に此方の頭部を狙った一撃が続けざまにきた。
   脇腹への一撃を右腕で防ぎはしたが、相手の得物が警棒であるのかと疑うほどの強い衝撃が襲い、痛みよりも痛覚の麻痺したかのような痺れが生じる。
   同じように頭部への攻撃も防ごうと左腕を突き出して払おうとしたが、予想外の事にバリングの頭部へと動いた警棒は相手の手を離れ宙を舞った。
   一瞬何が起きたのかバリングは戸惑ったが、相手の腕を離れた警棒は彼女の頭上にあった生体照明灯を叩き割り、照明を被っていた硝子状の皮膜を割り、破片を彼女の体へと降らせたのだ。
   鋭い切っ先を持った破片は彼女に降りかかり、痛みよりも熱さの様な感覚と共に彼女の首筋や髪の合間へと突き刺さる。
   彼女は咄嗟の痛みで一瞬混乱したように腕を振り回し、懐に飛び込んだ相手から離れようとした。流石に乱暴に振り回される彼女の豪腕に相手も警戒したか、署員は素早く身を退いて再び彼女から距離を取った。
   バリングは僅かに血が滴る頭を払って相手を睨んだが、これもまた予想外な事に、署員の片腕には今ほど投げつけてきたはずの警棒がしっかりと握られている。

 「・・・バリングさん!下がって!」

 不意に脇の取り調べ口からフラガナルの声が聞こえ、示し合わせたかのような動きでバリングが素早くその場から飛び退くと、取調室のドアからフラガナルが拳銃を突きだして、身を躍らせた。
   長い身の丈に反してドアから軽快に飛び出したフラガナルは、拳銃をバリングと対峙している署員へと向けたが、彼が引き金を引くよりも先に署員の動きが早かった。

 フラガナルが射撃を行おうとするよりも早く、署員が身を屈めるような姿勢で片手の警棒を彼の握り手目掛けて投げつけたのだ。
   その命中した衝撃に思わずフラガナルは拳銃をその場に取り落とし、署員はその投げつけた警棒を、まるで重力法則を無視するかのように空中から素早く手許に引き戻した。

 

 「『双鉄糸棍(そうしてっこん)』か」

 その様子を見て苦しげに呟いたバリングは、漸く署員の扱う得物とその術について理解した。
   二本の棍棒の持ち手内部には小さい空洞が設けられており、その中に巻き尺の様な要領で細くも丈夫な糸が収納され、二本を結びつけている代物だ。
   投擲武器の様に片方の棍を目標へ投げ付け、しかも、それを手許にすぐに引き戻せるように出来ている、異様な武具である。
    勿論、帝都警察が身につける護身術や捕縛術には含まれない物で、バセン隷区にて発達した武術であると過去に学んだ経験がバリングにはあった。

 「・・・フラガナルさん。まさか、貴方にハジキを向けられるとは思っていませんでした。残念です」

 署員は静かに言いながら、手に走る激痛にその場で蹲るフラガナルを見下ろし、すぐにバリングの方へと視線を戻した。
   蹲るフラガナルはすぐにその場を退くことが出来ずにおり、彼を挟んで署員と対峙するバリングには圧倒的に不利な間合いにあった。
   相手はフラガナルを通り越して、双鉄糸棍を自由に投げつける事が出来るのだ。
   フラガナルがドアの前で蹲っていることによって、ロラバが助けに出ることは無理であったし、仮に出られたとしても、負傷者が一人増えるに過ぎないであろう。
   
   バリングは相手の顔を睨みながら、僅かに身を屈めて両腕を腰ほどに構えた。
   それはオイルスモウのタックルを繰り出す為の姿勢に違いなかったが、相手との間に障害物があっては、これは上手くいくようには見えない。
   相手もそれを瞬時に悟り、片方の棍棒をバリング目掛け、投擲しようと振りかぶった。
   その瞬間、振りかぶられた棍棒をバリングは鋭く見た。
   命中すれば、此方が蹌踉めき、その隙に相手が距離を詰め殴り掛かりにくるだろう。
   一度でも此方の体勢が崩されれば、立て直すことは出来ず、如何に頑丈な体躯をしたバリングとはいえ、殴り殺される事は必定であり、現に蹲るフラガナルの指は投擲された棍棒によって骨ごと砕かれている様だった。

 

 全ては一瞬の出来事であった。

 相手の些細な指の動きをバリングは見逃さなかった。

 指の角度から此方の狙われている部位が頭部であることを、素早く推測すると投げつけられる棍棒を目で追っては間に合わないと判断し、さっと掌を顔の前に開いて突きだし、空を切る音を立てて飛来した棍を素早く握り込んだ。
   相手はそのバリングの動きを見て僅かにたじろいだ様子で、此方はそれを好機と捉え棍棒を握り込んで強く引き込んだ。
   こうなれば相手との純粋な力比べであり、体格に勝るバリングが有利であった。
   相手も彼女が棍棒を掴んだ瞬間に得物を離せば良かったが、術に対する自信が一瞬の判断を妨げたようだった。
   バリングは強く棍を引き込みながら、フラガナルを飛び越えるようにして相手との間合いを詰める。
   棍棒を封じ込められては、相手も手も足も出ず、バリングが懐に入ってきた瞬間になって漸く棍を手放したが既に遅すぎた。
   大柄な彼女の体が相手に覆い被さり、一気に床に押し倒した。

 オイルスモウで表すのであれば、既にそれは詰みである。
   相手を押さえ込んでマウントを取ったバリングは、これ以上の抵抗の意思を挫くために、相手の顔面を強かに殴った。
   署員の男の顔はすぐに赤く腫れ上がり、男はすぐに大人しくなった。

 「片付いたな」

 取り調べ室のドアから顔を覗かせたロラバがそう言った。
   彼はバリングに押し倒されたままの男へ歩み寄ると、見下ろしながらしゃがみ込んだ。

 「最初からこっちの言うことを聞いとけば、こういう事にならないで済んだんだ」

 ロラバは男へ話しかけ、尻目に痛みをなんとか堪えて立ち上がるフラガナルを見た。

 「大丈夫か?」

 「大丈夫なもんですか、小指と中指がグシャグシャですよ」

 フラガナルはあらぬ方向に曲がった指を此方に見せながら、やせ我慢に低く笑っていた。

 「うちの事務員を負傷させた罪は重いぜ?・・・まぁ、良い。それだけ、この女に殴られりゃ歯も何本か抜けただろう?それでお相子にしてやる。いいから、例のナイフを出しな」

 ロラバはフラガナルの笑い声を打ち消すように愉快そうに笑いながら、バリングを退かせて大人しくなった署員の手を引いて立ち上がらせた。
   辛うじて立ち上がった署員は目を伏せたまま、バツが悪そうに制服の内から包みを取り出した。

 

 それは紙に包まれた物で、証拠品として適切に保存する処置であるようには思えなかったが、兎に角3人はもう一度取調室に戻って、署員が包みを開くのを待った。

 「・・・本来なら、早々に廃棄処分しろとの、上からのお達しだったんですが、中々珍しい物だったんで、質屋に売ろうと思って取っておいたんです」

 「酷い奴だ。それでも警察か。それを俺達が貰ったら上にバレると思ったのか?それで殺そうと?」

 ロラバの追求に署員が慌てて顔を上げた。
   その顔には先程までバリングとフラガナルに対し棍棒を鋭く投げつけてきた戦士の色は無く、極々一般的な公務員と言った調子に戻っていた。

 「そんな…殺すだなんて、ロラバさんがよく用いる方法を真似ようとしただけです。・・・ただ、相手が悪かった」

 署員は弁解がましく叫び、言葉の最期にはチラリとバリングの方を僅かに見た。
   その署員の言葉にロラバは満足げに小さく笑った。

 「あぁ、確かに相手が悪かっただろうな。何せ、国家間親善試合に出場予定の選手だからな、コイツは」

 ロラバは誇らしげにバリングの肩を叩いたが、先程の出血で衣服から僅かに血が染み出ており、それが掌に付いたので、慌ててズボンでそれを拭った。

 「・・・兎に角、さっきの件は水に流しますから、サッデラ上級曹長のナイフを見せてください」

 バリングは持っていたハンカチで頭部の傷を抑え、まだ頭部から僅かに血を流すまで興奮した様子で署員に迫った。
   その鬼気とした勢いに署員は気圧されつつ、包みを取り払って中身を机の上に置いた。
   それを見て3人は当惑したように顔を見合わせ、バリングがその中身を手にとって口を開いた。

 「・・・これが昨晩に、サッデラ曹長が手にしていたナイフですか?」

 改めて彼女はそう署員に聞いた。
   それに対し署員は深々と頷いたが、バリングは少々納得しかねたように口を開いた。

 「しかし・・・、これは私の知る限り『アーキル』の軍用ナイフですが・・・」

 当惑した調子で言ったバリングが握っているソレは紛う事なき『アーキル軍』が戦時中に用いたナイフに違いなかった。

 だが、確かにそのナイフの刀身からは、昨晩にサッデラ上級曹長が自分に襲いかかった際に妖しく煌めかせた輝きが宿っているように見えた。

最終更新:2019年02月22日 08:45