狼と牧羊犬

-627年14月21日ザイル砂漠北部-

「敵重巡空艦2隻、船団から離れつつあります」
雪の吹き荒ぶ高度1200mの外気から隔離されているガラス張りの航巡艦橋に双眼鏡を構えた男の声が響いた。

「敵先頭艦は、ウラクシオン級と推定されます。後方に続くアッダバラーン級と2隻でこちらを迎撃するようです」

双眼鏡の男――見張り員の報告を聞いていた艦橋中央の司令官席に腰掛ける男、ヴィンフリート・フォン・ラインヴェーバーは一言呟き、そしてその隣の太っちょの艦長に指示を下した。
「勇敢――だな。レイケル艦長。左舷反航砲戦を行う。ロッベン砲術長に伝えろ"ただちに砲戦準備、目標前方の敵重巡"だ」

「了解、閣下」
レイケルと呼ばれた艦長は、短い応答の後直ちに伝声管にその姿から連想されるイメージと何一つ差異の無いの太い声で怒鳴りつける。
「砲戦準備急げ。目標前方左舷のアキエリ重巡の先頭艦。繰り返す――」

クランダルト帝国軍ラインヴェーバー艦隊旗艦、巡空戦艦<ブラノハウゼン>は速度を上げつつあった。
オルトゼン級の3番艦である彼女は、吹雪のさしたる影響も受けず急速に戦闘体制へと移行しているのだ。
艦首側に備えられた彼女の最大の特徴であり彼女を強大な戦力足らしめる3基のネネツ製28cm連装砲が同国のトーチカであると見間違う程、積もった雪を払い除けつつ旋回を続けているのがその証拠であった。

ラインヴェーバー艦隊は<ブラノハウゼン>の他、軽空母<ルクテルス>、駆逐艦2隻の合計4隻から成る小艦隊だが<ルクテルス>とその護衛に割り当てられた駆逐艦は、天候により今回の攻撃には参加出来ずにいた。

「勝算は無いだろうに」腕を組み憐れむ様な態度でラインヴェーバー艦隊の参謀長を務める男が言った。

「だが奴等は、正しいことをしているぞクリスティアン。羊のために死を厭わない奴等は、真の牧羊犬だ」
<ブラノハウゼン>が砲戦準備を完了しラインヴェーバー少将が砲戦開始を命じたのは、その5分後のことであった。


618年に発生した南北戦争史上最大の戦役となったリューリア戦役は、アーキル連邦空軍艦隊に最悪の結果を齎した。
戦役に参加した8個艦隊のうち第2艦隊を除く7個艦隊が壊滅もしくは消滅したのだ。
この時、クランダルト帝国艦隊は年内もしくは619年中に北半球への逆侵攻を仕掛けるべきであった、と戦後の主に南半球の一部の史家は主張した。
ザイリーグ方面の大軍港エルデアを根拠地とした第5、第6艦隊は共に壊滅したし唯一健在の第2艦隊も近衛騎士団を筆頭とした帝国艦隊を食い止めることは出来ないだろう。
エルデアを陥落させザイリーグ砂漠北部を主戦場とすれば連邦は、東西で分断され南北和平は北側陣営の完全なる降伏で終わる違いない、と。

確かに619年時点での連邦艦隊が帝国艦隊の攻勢を防ぐことが出来る存在などでは無かったのは事実であった。
しかし、連邦艦隊も一方的に壊滅した訳もなくリューリア戦役で大損害を負ったのは、クランダルト帝国艦隊、その中でも属領警備艦隊は例外では無かったことであった。
クランダルト帝国は、内政の維持に属領警備艦隊を必要としており此等がリューリア戦役で壊滅状態となったことから史家の主張することは、不可能だったのだ。
これは、北半球にとって数少ない幸運であったと言えた。
壊滅した空中艦隊の再建を行う宝石よりも貴重な時間を得ることが出来たのだ。

621年15月30日、クランダルト帝国はクランダル・ブルガロードヌイ=ラツェルローゼと彼女の指揮下にある近衛騎士団を首謀者とするクーデターにより突如消滅した。
厳密には、今まで帝国を取り仕切ってきた宮廷貴族――宰相派と帝国派は共に帝都から叩き出されてしまった。
連邦議会にとっても連邦艦隊にとっても寝耳に水である。
更には、突如新たな帝国の支配者となったラツェルローゼが南北戦争の停戦を求めたことから連邦議会は、困惑しそして混乱へと陥った。
リューリア以後の戦争継続の為の3年間の努力が全て水泡に帰してしまったのである。
しかし、連邦議会の決定は素早かった。
混乱が収まらないうちに停戦交渉の開始を採択したのだ。
結論から述べると南北停戦交渉は、北半球陣営にとって最悪の交渉結果となった。
停戦条文には、カノッサ地方全域の行政の帝国政府への移管と連邦軍の撤退、事実上の割譲と呼べる内容が盛り込まれていたのだ。
何故この様な要求を連邦議会が通したか「帝国政府へ強気に出ることによる停戦交渉決裂を避けたかった」「帝国政府へ大きく譲歩することで戦後の両国関係を有利に推し進めたかった」「620年から本格化しつつある寒波の訪れにより戦争継続は、不可能と判断した」等、様々な史家が推察するも不明点は多い。
だが経緯は、ともかくクランダルト帝国が南パンノニアに続く第二の北半球への橋頭堡を得たのは、誰も否定できぬ紛れもない事実であった。

意外にも停戦交渉の結果に連邦軍の艦隊部は、議会寄りの反応を示した。
彼らは、リューリア戦役の大損害から戦争の継続は困難でありクランダルト帝国との停戦そのものは間違いではないとしたのだ。
その一方で猛反発を行ったのが空軍航空基地部と連邦陸軍である。
リューリア戦役で連邦艦隊が壊滅したのは、確かに痛手だが未だ帝国艦隊に対して十分有力な戦力を有する基地航空隊と陸軍航空隊、高射部隊で対抗可能でありカノッサ地方をクランダルト帝国へ譲渡は、連邦の死刑宣告書にサインしたも同然である、と。
また反発は、アーキル国内のみに収まることは無かった。
連邦加盟国の一国にしてアーキル国、自由パンノニア共和国に次ぐ構成国第三の国力を持つと見なされいたメルパゼル共和国もまた猛反発を行ったのだ。
メルパゼル共和国からすればカノッサ地方は、クラッツ地方と並ぶ防衛線でありこれが丸ごと帝国軍の拠点となるというのは悪夢の現実化に他ならなかった。
この軍部と加盟国双方の反発が合流したのは、それから2ヶ月後の事であったとされている。
そして思惑が一致した反発勢力は、水面下で粛々と計画を進め623年事変と呼ばれる事態を引き起こすことになる。

623年事変とは、即ちダバーム隊による皇女暗殺未遂事件と首都防衛第2連隊による連邦議会クーデター未遂事件の2つであった。
623年の某日、同時決行されどちらも未遂と終わり実行者であった反発勢力……現在の歴史書では、ただ軍部過激派と記される彼らは、ラオデギアで敗北し追求裁判で壊滅することになるも結果的には、その影響は絶大なものとなった。
2つの事件のうち片方を受けラツェルローゼは、停戦の破棄と北半球への報復を命じたのである。

こういった経緯で発生した南北の再開戦を受けクランダルト帝国軍本部が決定した戦略は、明確であった。
ヒグラート渓谷を突破し短期間のうちに北半球陣営を屈服させる。
そして手始めにクーデター未遂に混乱の収まらぬ連邦軍を物ともせずヒグラート渓谷上空を突破しシヴァ級攻城艦によりオアシス都市テメンニグルを地図上から消滅させたのだ。
最もそのシヴァ級攻城艦は、帰路に隠蔽された高射砲の射撃を受け呆気なく爆沈したが。
これに対して真正面からの艦隊戦で帝国艦隊に勝利することは不可能であった連邦軍は、多数の対空砲を配備しヒグラート渓谷上空を艦隊行動不能とした。
そして、渓谷上空での艦隊行動を封じられた帝国軍もまた連邦艦隊がヒグラート上空を突破する事を恐れ対空砲の配備を推し進める決定を下した。
互いに渓谷上空での艦隊行動を封じられた両軍は、対空砲の撃てぬ渓谷内での戦いを余儀なくされ帝国政府と帝国軍本部の期待を裏切り長期戦の様相を示し始めることとなる。
これがその後、南北講話まで続くヒグラート渓谷戦の始まりであった。

つまり帝国軍本部は、次なる戦略を考えなくてはならなくなってしまった。
艦隊によるヒグラート渓谷の突破は、当初の目論見を外れ長期戦となることが既に明らかであったからだ。
ならばと近衛騎士団が戦略に口を出してきたのはその時である。
彼らは、先の停戦条約で獲得したカノッサ地方を安定した根拠地化しヒグラート渓谷の裏側から北半球へと攻勢を仕掛けることを主張したのだ。
また前線艦隊の大艦巨砲主義者や帝作戦後に急速に台頭した航空母艦マフィアと呼ばれる新たなグループもこの主張へ同調を示した。
ヒグラート渓谷内では文字通り無用の長物と化す大型艦艇をカノッサ地方を根拠地に北半球へと進出させれば良いと言うのだ。
これは、非常に魅力的な主張と言えた。
カノッサ地方の根拠地化と安定化に成功さえしてしまえば最早、ヒグラート渓谷戦は無意味となり北半球陣営から帝国艦隊へ抗する術をほぼ失わせることが出来る。
たとえカノッサ地方の安定化に失敗してもカノッサを根拠地として通商破壊部隊を送り込む事で北半球陣営の補給線と経済活動を破壊することが出来る。
近衛騎士団の主張が直ちに新たな戦略方針とされることに反対するものは存在しなかった。あるいは意図的に無視された。
ラインヴェーバー艦隊は、そういった戦略に基づき編成され既に何度かの戦果を上げた通商破壊部隊の一つであり今回の任務でも30分前に新たな船団を捕捉した所である。

捕捉された船団は、クラドス船団と呼ばれる船団でエルデアを目指しラオデギアから6日前に出港した船団である。
輸送を担う船舶は、大型貨物船6隻、小型貨物船10隻、燃料輸送船2隻からなる大規模輸送船団の一つであり、特に船団を構成する商船が全て速度性能に優れる快速船であるのが特徴としていた。
船団を守る護衛隊戦力もまたウラクシオン級航空重巡<イピロス>を旗艦としアッダバラーン級重巡<タルソス>、シリオン級軽巡<サリッサ>、フロリテラ級軽駆逐艦2隻、空防艦6隻と未だに艦艇不足の抜け出せずにいる連邦空軍の現状を鑑みれば誰であろうと否定できぬ最上級の戦力を有しており、総じてクラドス船団は、北半球どころかパルエ全体で見ても比肩する船団は、南半球陣営のカノッサ補給船団しか存在しない優秀な船団であると言えた。
では、何故その様な快速船団がこうも簡単に捕捉され危機に直面しているのか原因は、天候に求められる。
620年から本格化しつつあったパルエ全域での寒波は、今現在627年ではザイル砂漠に猛吹雪を引き起こす程までに悪化していたのだ。
幾ら快速船のみで構成された船団であろうと猛吹雪に巻き込まれてしまえば船団陣形の維持で手一杯であり持ち前の高速性は、発揮不可能であった。
それこそ天候条件がまだ良かった2年前の快速船団ならば、4日間か5日間程の船団航行で到着する筈のラオデギア=エルデア間の船団行動が既に6日目にもなっているのが証拠だ。
そして快速船団の航行に於いて最大の安全を保証してくれる筈の高速性を失ったクラドス船団は、帝国通商破壊部隊の回避も不可能となり現在へと至る。
この最早、絶対の回避の出来ない危機に対するクラドス船団の護衛隊司令部の判断は、献身的かつ悲壮的なものである。
クラドス船団を護衛する艦艇の中でも最有力な旗艦<イピロス>と<タルソス>の2隻で迎撃を行うのだ。
実のところ<イピロス>に座乗する護衛隊司令部の面々の中で旧式化しつつある重巡2隻程度で船団に迫りつつあるオルトゼン級に勝てると思っているものは居なかった。
しかし、アーキル連邦にとって船団はたとえ重巡2隻と護衛隊司令部を犠牲にしてでも守る価値があったし623年から今までの4年間、連邦軍総司令部の方針は一貫したものであった。
即ち"商船の為に戦って死ね"である。


最初に砲戦の火蓋を切ったのは、<ブラノハウゼン>の艦首側に備えられる2基の連装砲だった。
幾ら基本的に帝国艦より連邦艦の方が射程が長いとされても彼女が備える備砲は、ネネツ製の長砲身28cm砲でありその射程差は、吹雪により交戦距離が縮まっていても埋まるものではないのだ。
この砲撃は第一射としては、上々と呼べるものであり4発の砲弾は、先頭を航行する<イピロス>の上方を掠め去りマストに張り巡らされる通信線に幾らかの被害を与えた。

ただし、基本的に満足するべきものであるこの第一射に不満を持つ者も居る。
その者が居るのは、砲術指揮所であった。
「俺が計算したというのに初弾で命中弾を出せず上弾とは何たるザマだ。相手は、トロ臭いウラクシオン級。でかいシュトースみたいな奴だというのに。仰角下げろ0.7タスだ」
その名は、ラウレンス・ロッベンと言い<ブラノハウゼン>の砲術長を務める男であった。
オージア出身のこの男は、ベテランの砲術長にして弾道計算ヲタク、そして<ブラノハウゼン>に乗り込む乗員達の間で吠え屋のロッベンとして知られる。
吠え屋の異名に違わず、その指示は毎度余計な雑言が含まれるも所謂、弾道計算ヲタクと呼ばれるパルエ全体でも軍隊組織の中でしか見られぬ人種であるとも知られる彼の指示が大凡の場合に於いて的確であることも乗員達は把握していた。
砲術指揮所に同乗する下士官達は、砲戦最中の<ブラノハウゼン>のこの場所で聞けるいつもの雑言を聞き流し指示だけを修正データとして各砲塔へ発信し第二射の準備が行われる。

<ブラノハウゼン>を射程内へと収めた<イピロス>が第一射を行ったのは、砲術指揮所でそういったやり取りが行われ第二射されるのとほぼ同時となった。
第一紀末期に連邦艦隊で見られた装甲巡空艦であると呼んでも差し支えのないだろう箱のような角ばった船体を持つこの航空重巡が送り出した初弾は、<ブラノハウゼン>の下方60メルト程を通り抜け低弾となった。
一方で<ブラノハウゼン>の二射は、<イピロス>に1発の命中弾を与えることに成功していた。
その砲弾は、<イピロス>の艦上部へと命中し艦後部側に寄って配置される2本の煙突のうち前方側の第一煙突に大穴を穿った。
ところが、その直後に<ブラノハウゼン>艦橋で響き渡った見張員の声は、命中弾を知らせるものだけではなかった。
彼の双眼鏡は、<イピロス>から被弾とも発砲とも違う碧い閃光が放たれたを認めたのだ。


連邦航空重巡<イピロス>の乗員、ヘイニ・ウルバノ二鉄翼士官はグラルール航空士官学校で凡そ中間ほどの成績で卒業し4年間の軍歴持ち今やイピロス航空中隊の隊長にまで昇進した所謂、ベテランパイロットの一角である。
最も当人は、それをあまり好くは思っていなかった。幾ら自らの中隊を持つまで昇進しようともその母艦が旧式化した吊り下げ式航空設備しか備えないウラクシオン級であることに大きな不満を持っていた。
もっと言えば母艦の搭載機が12機全て"ユーフー"であることがそれに拍車を掛けていた。

"ユーフー"は540年、浮遊機関の基礎解析が完了したその年のうちに開発された北半球初の浮遊機関駆動機であり最後の第一紀出身の航空機である。
今は亡き――厳密にはライニッツァ技研が事実上の後継社となっている当時のギルド・オデアトラデアの技術の粋を結集した機体で吊り下げフック式の発着艦機構を持つ戦闘機で武装は、ペダル式の連発銃と2発しかない57mm対艦砲を備え機関系は、解析の進んでない浮遊機関を補うべく発電用兼推進補助用のレシプロエンジンを混載する複合動力機であった。
奇跡的とも呼べる空力的特性を持つ本機は、改修を重ねながら"セズレIV"の配備が開始される585年まで一貫して連邦艦載航空隊の主力機であり続けていた。
<イピロス>に配備される"ユーフー"は、625式と呼称される最新モデルで初期型の飛行から既に95年となり戦闘機としていい加減、旧式化した機体を戦闘爆撃機として再設計した機体だった。
従来の後期型ユーフー、560年台以降のモデルと同じく主翼の採用による空力的な改良とペダル式で無くなった連発銃に浮遊機関のみとされた機関系とそれに伴い全高が圧縮され地上滑走路での運用が可能になった点に変わりはない。
機体構造を強化しつつ急降下照準器を密閉化されたコクピットに備え付け翼にハードポイントを増設することで爆弾2発を懸吊可能とし2発しか撃てない57mm砲を2門の30mm対艦機関砲に換装したのがその違いである。
「それでいて空戦能力は"セズレIV"にも匹敵するので急降下爆撃も空戦も行える究極の夜鳥である」と、開発したライニッツァ技研は喧伝していた。
最も急降下爆撃能力は兎も角、空戦能力が喧伝通りであるかは前線での運用実績や"セズレIV"との模擬空戦の結果からして些か怪しいものであったが。
また更なる改修として機尾に新たに牽引用フックを増設し羽付き空雷――所謂、滑空爆弾の運用を可能としたモデルも開発中のようだが"イピロス"には、まだ配備されていなかった。

ヘイニは、戦闘配備と共に格納庫へ向かうよう下命され既に部下と同じく愛機のコクピットで待機中であった。
全く理解出来ないし莫迦莫迦しい。
外の天候は吹雪であり航空機が活動するような環境ではないのに航空隊が待機していても何ができようか。
こんな天候じゃ折角の急降下爆撃能力は、全くの無意味になる。あまりに酷い横風で照準を合わせることもままならないしそもそも急降下爆撃の高度まで上がることすら難しい。
確かに飛ぶことくらいなら出来るだろうが本当に飛べるだけで編隊を維持しつつ帝国艦に接近することすら困難になるだろうに。
そんな航空隊が出撃しようがとても有効活用できそうにない現在の天候なら飛行士は、被弾時の応急修理を手伝ったほうがまだ役に立つというもの。
それが彼女の見解であった。

「出撃しろだと。?こんな天候で"ユーフー"を出した所で何になるていうんだ」

<<護衛隊司令部は、敵艦の強力な副砲火力を恐れています。だからソレを航空隊になんとかしてほしいと―― <タルソス>も"レイテア"を発艦させるそうです>>

「……分かった。部下たちにも伝える」

無線機から航空管制所の通信が入った。莫迦莫迦しいと思っていた待機を解除し出撃しろというのだ。
この時、ヘイニは内心に於いて護衛隊司令部の面々を今すぐにでも殴りつけたい気分であったが上部からの命令は絶対であるというのは、軍隊という組織の基本中の基本であり航空士官学校でも最初に習う必ず守られるべき大前提であり反抗しようとは考えなかった。
「各小隊長聞こえるか?護衛隊司令部は出撃命令を下した。直ちに出撃が行われる。目標は敵艦の副砲だ覚悟しておけ」
隊内無線機から各小隊長の了解という短い返答だけがコクピット内に広がる。
リューリア戦役での敗戦の原因の一つに通信伝達網のを上げた連邦軍が全力で性能向上に取り組んだ隊内無線機の音声はクリアであった。

「ベナル01出撃準備完了、<イピロス>どうぞ」

<<了解、航空隊出撃せよ>>

ヘイニの愛機を吊り下げたフックは、その上部に備え付けられた電動機で格納庫に張り巡らされたレールに沿って艦外へと運び出されていく。
暫くの時、コクピットを支配していたのは電動機のモーター音と金属が擦れる音のみであったが発艦ハッチが開放されるとまた違う音がそこへ加わった。
「畜生」
やっぱり吹雪いているじゃねぇか。外界と繋がった途端、格納庫まで雪が吹き込んできてるじゃないか。
吹雪の風音に混ざりまた別種の音、爆音のようなものも聞こえた。やっと母艦が撃ち返したのだろうか?
畜生、砲戦だけで片が付けばいいのに。

<<ベナル01 発艦させる 幸運を祈る どうぞ>>
航空管制所からの電気信号に従いヘイニとその愛機を吊り下げるフックのロックが解除された。
今までの比ではない甲高い金属の擦れる悲鳴と火花と共に夜鳥は、自由だが優雅とは言えぬ戦いの空へと解き放たれていく。
ヘイニの目が<イピロス>が命中弾を受けたを認識したのは、それからきっかり4秒後であった。


「この天候で艦載機だと?彼奴等どこまで……」

「それ程、牧羊犬の義務を果たすべく必死だということだ。兎に角、対空戦闘準備だレイケル艦長」
はっきり言って不味いことになった。それがラインヴェーバーの見解だった。

<ブラノハウゼン>が属するオルトゼン級は、グレーヒェン工廠側の意見が強く反映された――というよりほぼグレーヒェン工廠独自に再設計した計画艦221号ことヴァーゲングルト級の後期グループで外見からしてヴァーゲングルト級とは大きく異なる艦である。
そしてグレーヒェン工廠の設計でもリューリア以前の物であるオルトゼン級には、大きな欠点があった。
対航空火力が非常に貧弱なのである。
この欠点は、グレーヒェン級やガリアグル級等のグレーヒェン工廠設計の艦級に共通するもので艦隊決戦に傾倒しきった590年台のグレーヒェン工廠の思想そのものであった。
ヴィマーナ造船所主導の設計とされた前期グループのヴァーゲングルト級が対空散弾を扱える多数の副砲に加え帝国艦としては珍しく高射砲まで備える艦級なのに対しオルトゼン級は、多数の副砲を片舷3基づつ計6基の15.5cm三連装砲に纏め上げ高射砲は3基目の主砲塔の為に廃止されていた。
6門へと増強された主砲に軽巡程度までならば、いとも容易く捻り潰せるであろう強力な副砲。
重巡程度の小柄な艦型にこれ程の重装備を施したことを一部の大艦巨砲主義者は、手放しで礼賛したが有効に使うことのできる対航空兵装は4基の重機関砲とガンポートに備えられた軽機関銃のみであった。
そしてリューリア戦役の戦訓によりグレーヒェン級、ガリアグル級と言った艦級の対空兵装が増強されたのに対しオルトゼン級では、そういった改装は行われていなかった。
元から小柄な艦型であるヴァーゲングルト級の対空兵装を全て対艦兵装に置き換えてしまった様なオルトゼン級にそういった発展余剰は、残されていなかったのだ。

勿論、帝国軍上層部も全く手を打たなかった訳ではなく事実、ラインヴェーバー艦隊の指揮下には軽空母<ルクテルス>が配備されており<ブラノハウゼン>は、航空機の直掩下で作戦行動を行う事とされていた。
ただしそれは、良好な天候条件が大前提であった。

こうしてこれらの要因により些か有効性の低い対空戦闘を強いられる<ブラノハウゼン>の4基の重機関砲砲座のうち左舷側の2基は、慌ただしく接近する12機の"ユーフー"に対し照準を合わせつつあった。
ところが直後に<ブラノハウゼン>は、この数少ない対空手段すら損失する事態へと陥った。
敵2番艦である<タルソス>の第3射が遂に<ブラノハウゼン>に2発の命中弾を与え――そのうち1発は、上部生体機関に備え付けられた重機関砲砲座を見事に吹き飛ばしたのだ。


砲戦の開始から20分程経過した戦況は、全体で見るとラインヴェーバー艦隊側の優勢に進行しつつあった。
<ブラノハウゼン>は、射角へと敵艦を捉えた3番主砲と左舷側の副砲3基9門が砲戦へと加え<イピロス>を圧倒しつつある。
どちらかと言うと航空母艦であるトゥラーヤ級の後継艦としての側面が強い航空巡空艦は、更に3発の28cm砲弾と8発の15.5cm砲弾を受け廃艦の様相を表してた。
第二主砲は、前面を28cm砲弾に貫通され砲身を奇怪な角度に掲げ沈黙し艦首から艦尾にかけても満遍なく被弾。
副砲の誘爆により既に破壊された第二煙突周囲は炎に包まれ応急修理班は火災の自然鎮火を期待しつつ艦中央部から避難することしか出来無くなっていた。
既に徐々に高度を低下させ戦列から離れつつある姿は、機関に被害を被ったことによる発電能力の低下で浮遊機関の出力を維持出来なくなったように見える。
実際は、これ以上の砲戦続行を不可能と判断したクラドス船団護衛隊司令部が<イピロス>は、低高度へ退避するよう決定した為であったがラインヴェーバー艦隊には、敵重巡2隻のうち1隻を早くも落伍させたように見えていた。

当然ながら<ブラノハウゼン>も無傷では無く3発の20cm弾に加え無数の12cm弾を被弾していたが艦下部に備える航空機運用設備が艦載機ごと消滅した以外に目立った損害は生じてしなかった。
そういった戦況に於いてヘイニ中隊長率いる"ユーフー"12機が次々と<ブラノハウゼン>に殺到したのは、ラインヴェーバーが砲戦目標を<タルソス>に切り替えるように命じた時である。

「中隊全機、緩降下爆撃。ベナル隊が一番前の1基をやる。スレー隊は真ん中、ワフラビア隊は艦尾側のだ――幸運を」

ヘイニの中隊は、雪吹き荒ぶ中で猛進を続けていた。
編隊は、酷く乱れ中隊というより12機が各々で飛行している有様であったが中隊の飛行士達が曲芸飛行隊という訳でもないことを考慮すれば全機が<ブラノハウゼン>への接敵に成功出来ただけ賞賛されるべき飛行である。
キャラバンを導く夜鳥ではなく獰猛かつ勇敢な陸鳥キーゼのような彼女らに射掛けられる対空砲火は、ひどく静かで穏便なものとなっている。

艦隊がやってくれたのだな。なるほど、クラダンティン共も運がないことはあるようだ。
だが、アイツラの不幸は私達の幸運だ。
千載一遇と言える現状へのヘイニ端的な感想であった。

緩降下爆撃用に調整された照準器には、スカイバードのようにも見える滑らかなシルエットの敵艦が捉えられている。
そして、操縦桿に一体化された投弾スイッチを握り込んだ。

<<ベナル01、投弾>>

12機2発づつ、計24発が投弾された爆弾のうち<ブラノハウゼン>に被害を生じさせた爆弾は、気象条件による飛行自体の困難もあり僅かに2発に留まった。
1発目は、左舷バルジの最後尾に命中。遅延信管を作動させ後部士官室の廊下まで貫通してから炸裂し無人のそこを焼き尽くした。
そして2発目は、艦橋構造物側面の1番副砲塔に命中。天蓋を食い破ってから炸裂し1番副砲塔の砲員を全滅へと追いやりその爆風は、ガラス張りの航巡艦橋にも被害を生じさせた。


閃光に衝撃、それから吹雪に艦体が揺さぶられるのとは別種の揺れが収まった時、ラインヴェーバーはようやく航巡艦橋を冷静に見回す機会を得ることが出来た。
1分か2分前にレイケル艦長が回避命令を下し艦が右舷側に針路を変えつつある時に先程の出来事は起きた。
航巡艦橋のガラスは、左舷側がものの見事に砕け散り支柱は何本かひん曲がっていた。
またガラス片で幾人かの負傷者も発生してる。
爆弾を被弾――それも艦橋の近くに食らったことは間違いない。
「被害報告」

「1番副砲は全滅したようです。後部士官室にも命中弾が発生していますが、あそこは戦闘配備中なら無人の筈です。応急班を向かわせてますが……艦橋の負傷者は4名」
レイケル艦長が即座に応答した。この状況で既に被害の集計が済んでいるというのは、この艦の技量を賞賛する他ない。

「継戦は可能か?」

「はい、閣下。全くもって問題は無し。可能です」

「よろしい――艦長、針路を修正せよ。本艦を敵船団に突入させる」
敵重巡の片方は、既に戦列から脱落しもう片方も<ブラノハウゼン>の砲力の前に間も無く圧倒されるだろうことは、明白だった。
敵機が発進したこと、戦場の不運が重なり敵機の攻撃を許したことはラインヴェーバーにとって予想外であったが戦況は有利に推移しつつある。

「閣下、まだ敵2番艦は健在です」

「しかし、こうして砲戦を続けていたら奴等、今度は重巡以外の護衛艦も切り離して足止めしに掛かるぞ。艦長、我々の任務は1隻でも多くの輸送船舶を沈めることだ」
<ブラノハウゼン>と敵船団の間に残りの敵護衛艦が立ちはだかることになれば重巡2隻と幾らかの小型戦闘艦の撃破と引き換えに敵船団の逃走を許す可能性がある。
そして、それは帝国軍上層部が任務に望む結果――カノッサ地方への圧力を弱める結果には繋がらない事からラインヴェーバーの下した指示は戦略的に妥当であったと言えた。

「後は、好きにやってくれ。艦長」

それから10分間の砲戦が続きクラドス船団を巡る戦いの第一ラウンドは、呆気なく決着がついた。
<イピロス>を僅か20分間で退避へと追い込んだロッベン砲術長の手腕は、その後も遺憾なく発揮され<タルソス>に続々と命中弾与え、この僅かな時間の砲戦で撃破に成功したのだ。
アッダバラーン級は重装甲で評判を得ている第二紀連邦重巡の傑作とも呼べる艦級であったが連続し被弾した28cm砲弾の1発が機関室にまで被害を生じさせ浮遊機関の出力維持に問題を起こしていた。
これにより<タルソス>は高度を低下させ落伍。入れ替わるかのように応急修理を完了された<イピロス>が再び高度を上昇させつつあったが一直線に船団に向かう<ブラノハウゼン>を止める術は、最早2隻の連邦重巡には存在しなかった。


空防艦と呼ばれる艦種が南北戦争に姿を表したのは、564年アーキル連邦艦隊が商船護衛に投じる専門の艦艇として小型商船を改設計したイスタン級を竣工させたのが最初とされている。
しかし570年までに8隻が整備されたこのイスタン級は、元が商船であることも相まって高い航行性能と引き換えに空賊にしか対抗出来ない程度の戦闘能力しか持たず、574年には巡視船として国交省に移籍され連邦艦隊から空防艦と呼ばれる存在は一端姿を消すこととなる。
その後、哨戒任務、商船護衛、空賊狩りに駆り出される多用途艦として細々と整備が進められていた空防艦に転機が訪れるのは、623年となった。
623年事変によりクランダルト帝国と再開戦がされた事、そのクランダルト帝国軍が通商破壊戦を推し進めたことが原因である。
空防艦は商船護衛も出来る多用途艦から船団護衛を出来る艦艇への変化を求められそれに従い建造された新世代の空防艦の一つがエミュライ級空防艦であった。
その性能は、80m程の小型な艦型に12cm連装砲1基と8cm高射砲3基、連装空雷1基を主兵装とし吊り下げ式艦載機1機を運用可能とする多用途フックを備えるというもであり未だ多用途艦としての側面が抜けきれなくとも合計5門にもなる高射砲による対空能力は帝国の通商破壊空母に対して極めて有用とされる。
そしてイピロス船団にもこのエミュライ級は、護衛艦として6隻が手配されていた。

「もう突破されたと言うのか?」
ジョフ・ジョフロア三銅翼士官が報告を受けたのは艦長室でのことだった。
彼が艦長を任命されているエミュライ級空防艦<バプカ>は、僚艦の空防艦5隻と共に船団を船団を取り囲むように航行を続けている。
最初は、2隻の重巡<イピロス><タルソス>で敵通商破壊艦を食い止めその間にイピロス船団本隊は逃げ切る作戦であった。
ところが僅か30分少々の砲戦で護衛隊旗艦の<イピロス>は中破し<タルソス>に至っては機関室にまで被害を受け大破したというのであった。
報告を受けたジョフ艦長は、苦々しい表情を浮かべつつ艦長室と扉一つしか遮るものの無い艦橋へと入った。
多くの連邦艦がそうであるようにやはり外界を隔てる物は、ガラス一枚のその空間で電信員を探し出し尋ねる。
「護衛隊司令部はなんて命令してきた?」

「第604護衛隊各艦は、船団直掩を離れ可能な限り敵艦を撹乱し時間を――」
<ブラノハウゼン>がクラドス船団への突撃を開始してから20分が過ぎた時点、<イピロス>の護衛隊司令部は商船の先導を行う軽巡、駆逐艦以外の全ての護衛戦力――6隻のエミュライ級空防艦を持って敵艦の迎撃を命じた。
既に船団本隊と<ブラノハウゼン>の距離が近すぎることから壁となり足止めすることは不可能であったがごく僅かの時間を稼ぐことを期待した命令であった。

「もういい。それで大凡、分かった」
ジョフ艦長は最悪の予感が的中したと言った半ば呆れた表情で言った。
そして命令を下した。
「針路変更。本艦は、これより敵通商破壊艦へ砲戦を敢行する」


「敵弾来まーす」

「右に舵を切れ」
大変面倒なことに6隻の空防艦、その艦長たちの最先任であったジョフ艦長は、<バプカ>を指揮しつつ他5隻の僚艦にも気を配らなければならなかった。
いや既に5隻かもしれない。
空防艦たちのうち1隻は既に被弾炎上しておりそう長く戦列に加わり続けることが出来るようには見えなかった。

「敵の砲手、相当なやり手のようだ。航巡長、決して油断するなよ」
敵艦から行われる射撃は彼の認識に於いては見事としか言いようがない。即ちこちらにとって最悪なものあった。
確かに絶望的な戦闘となることは最初から分かっていたもののそれでも10分もしないうちに1隻脱落したのだ。
大して期待は出来ないがせめて一矢位は報いるべきだろう。
そう考え唯一、敵艦に有効だろう兵装についてジョフ艦長は砲術長に尋ねた。
小型な艦型であるエミュライ級は艦橋から砲術指揮所が独立してないのだ。
「空雷は使えそうか?」

「ダメです。この天候じゃ発射管に兵が取り付けませんし発射しても横風に流されて当たりません」

「弱ったな」
唯一の頼みの綱と言って良い空雷が使えないとなれば<バプカ>を始めとした5隻は、殆ど被害を期待出来ない――足止めにすらならないだろう12cm連装砲と8cm高射砲で応戦するしかなかった。
機関砲を艦橋に掃射出来れば流石に効くだろうと考えるもそこまで距離を詰めようとすればたちまち集中砲火を受け沈められてられることも明白である。
本当にせめて、空雷発射管が使えれば――「待てよ」

「航巡長、砲術長、敵通商破壊艦は此方の空雷が使用不能であると知らない筈だ」

「なるほど艦長。了解しました」

「通信手、各艦に空雷戦準備を命じろ」


「敵艦は単縦陣で応戦中。更に1隻に命中弾を確認」

「クリスティアン。どう思う?」
ラインヴェーバーは実際に交戦が始まり作戦立案の段階でなくなったことから長らく沈黙している参謀長の男に話を振った。

「は。小官が思いますに空雷戦を仕掛けるつもりでは?アーキル人の空防艦には雷装が施された艦もあります」
外界を隔ててくれる筈のガラスを喪って久しい航巡艦橋は最早、雪が積もり始める始末であったが生真面目な印象のある参謀長は微動だにせず答える。

「最もだ。艦長、回避運動は可能か?」

「可能か不可能かと言われれば可能ですが船団からは遠ざかります。宜しいですか閣下」
レイケルはバツの悪そうに答えた。
つまり<ブラノハウゼン>は結局、アーキル人の思惑通りに撹乱されているというのを暗に認めるような答えであったからだ。

「奴等、優秀な牧羊犬だな艦長――腹立たしいほどに」

「全くです閣下」
突如、遠く閃光と爆音が響いてくる。それは落雷のように聞こえた。
「報告、敵艦のうち1隻が爆発し高度を低下させつつあります――おそらく空雷が爆発したものかと」

僚艦の1隻<オルヴェ>が撃沈されたとの報告がジョフ艦長に行われたのは先程のことであった。
第604護衛隊は敵通商破壊艦との交戦に突入しおよそ40分――既に2隻の重巡よりは時間を稼ぐことに成功していたがその代償は大きなものになりつつある。
彼が直接指揮する<パブカ>にしても既に3発の命中弾を負い機関に異常を来し始めてるとの報告もあった。

「<ネストリ>より入電<<我コレヨリ敵艦ヘ衝角攻撃ヲ敢行セントス>>」

「これが空防艦の戦いか」
ジョフ艦長は陰鬱な表情を浮かべ絞り出すかのような声で呟いた。
艦首の12cm連装砲も3基ある8cm高射砲も砲身が焼き付くような連射を続け敵艦には応射とは異なる閃光が所々に発生している。
しかし彼には、一発すら有効弾を与えられたようには見えなかった。

"商船の為に戦って死ね"か。
火だるまになりながら戦列から離れる<ネストリ>の姿は、正しくその理念を体現しているように思えた。
「皆のもの。<ネストリ>から目を離すな――あれが船団護衛だ」
最もこの船団護衛が理想的であるとは言えないが。

彼は、それを理解した上でそう言った。


一方で<ブラノハウゼン>では、先程の砲戦で短時間のうちに重巡2隻を撃破したにも関わらずロッベン砲術長が苛立ちの頂点に達しつつあった。
「アイツら。アイツら、この期に及んで。仰角を――0.4タス上げ。方位を右に5修正」
既に空防艦と交戦を開始してから40分が経過しその結果、連邦軍は2隻の空防艦を喪っている。

「まだやるつもりなのか」
忌々しそうにロッベンは呟いた。

「アイツら自らが引き換えに1隻残らず沈むことになろうが商船を守りきるつもりか」
ロッベンに限らず大体の軍人にとって自ら望んで死兵と化して抵抗してくるなど冗談では無く忌々しいという感想は<ブラノハウゼン>上層部の軍人にとって大凡共通する感想であった。
それと同時にロッベンには、ある疑念も生じていた。
これ程までアイツらが必死に守ろうとするあの船団は一体何を運んでいるんだ?と。

だがその時、見張員が発した一つの報告により彼の疑念は一瞬で吹き飛ばされてしまった。
「敵艦のうち1隻が回頭し此方に突撃してきます」

回頭した敵艦は既に5発命中弾を受け艦首の主砲から高射砲まであらゆる装備を吹き飛ばされ炎上中の敵艦であった。
「アーキル人は、遂に体当たりまで試みようと言うのか?ふざけるな。阻止しろ。砲火を集中」
接近する1隻の敵艦に向け続々を命中弾が突き刺さり既に残骸となった主砲から艦橋、煙突等が続々と破壊され燃え上がっていく。
それでも敵艦は止まらず真っ直ぐ突っ込んでくる。
ダメだ間に合わん。

「総員、何かに掴まれ」
<ネストリ>が<ブラノハウゼン>の左舷前部に突入したのは、ロッベンがそう叫びを上げてから数十秒後のことである。
これまでの被弾と比べ物にならない衝撃が砲術指揮所に押し寄せロッベン以下、砲術員たちの体を振り回す。

ロッベンは衝撃が収まった時、真っ先に身を乗り出した。
まずあまりの衝撃により外界を隔てる格子から何枚か防弾ガラスが脱落してしまっているのが目に映る。
そしてその先には――力尽きるように<ブラノハウゼン>から離れ墜ちてゆく敵艦が見えた。
<ブラノハウゼン>にめり込ませただろう艦首はひしゃげ各所で爆発を起こし墜落していく――爆発のたびに何かが飛んでいくのもはっきりと見えた。

現実離れしつつも現実であるとしか言いようのない光景にあっけを取られたロッベンを引き戻したのは、砲術指揮所に配置された若い見張員の報告であった。
「敵残存艦、回頭――今度は本艦から離れる針路。撤収するようです」

今まで狂気的なまでの抵抗を見せていたアーキル人共が突如として反転撤退を開始した?
「突然、どうして」

そしてあることにも気がついたロッベンは呻いた。

「何故だ?何故、アイツらだけじゃなくて本艦までもが反転してるんだ?」


「莫迦な。何故アルゲバル級がこの空域に来ているのだ」
レイケル艦長は呻いていた。
新たな敵艦、接近の報は彼に限らず<ブラノハウゼン>上層部にとって晴天の霹靂にも等しいものであった。

「<アクルックス>と<アルギエバ>は、エルデアに居て<アルスハイル>は、アーキルの鼻で整備中の筈です」

淡々と事前に与えられた情報を上げ現状把握に努めようとした参謀長にラインヴェーバーが答える。
「エルデアは、ここからじゃ遠すぎる――となればこれしか考えられんな」
「<アルスハイル>が整備中というのは間違いで奴等、最初から間接護衛に<アルスハイル>を付けていたのだろう」

「閣下、如何なさいます」

「勝てる相手ではない。艦長、反転だ。全力で」


「<グロム>より発光信号。<<本艦及び後続艦隊護衛艦、旗艦に追従出来ず>>とのこと」

「構わん。船団の救援を最優先だ。後からでも付いてこいと返しておけ」
そう荒々しく返した男は、ロズナ・スメーチ一銀翼士官。クラドス船団間接護衛の任を与えられた臨時護衛隊、スメーチ戦隊の指揮官にして<アルスハイル>の艦長である。
スメーチ戦隊は旗艦<アルスハイル>そして<グロム><レーヒュン><ブリスクム>の3隻のグリア級艦隊護衛艦からなる戦隊であった。
ラインヴェーバーの推察は概ね事実であり、戦隊を構成するどの艦も数日前までドック入りし慣熟航行の最中に突然、戦隊の結成を言い渡された艦である。
一週間前には艦長であったのにいきなり戦隊長の任を言い渡されたスメーチは大いに困惑したものの基本的に任務に実直であると連邦空軍司令部内で知られていた彼は、任務最優先の名の元で単艦での戦闘を決め込んでいた。

そういった彼の指揮下で最大の艦である<アルスハイル>は鋭利な刃物の様な印象のある艦であった。
この艦の属するアルゲバル級高速戦艦は、605年度計画により10隻もの大量建造が行われたアーキル連邦最多の戦艦である。
ただし、リューリア戦役に全艦揃って参戦した本級は今現在、627年に於いては3隻にまでその数を減じていた。
この3隻しか残存しない戦艦は、連邦艦隊最盛期の高速打撃艦隊の中核となるべく設計されたことから、その最高速度は第二紀の駆逐艦にも匹敵する144km/hにも達しオルトゼン級にも近しい設計思想の艦と言えた。
しかしオルトゼン級との差としてアルゲバル級は、上面に32cm連装砲4基、下面に同連装砲2基を備えその船体長は258mにも達する戦艦らしい巨艦なのである。
つまるところ<ブラノハウゼン>にとっては同じ快速艦にして火力は優勢、抗堪性も遥かに上回る天敵とも呼べる艦級なのだ。

「航巡長、現在の速度で砲戦距離まで後何分掛かる?」

「現在速度120テルミタルで、この天候ですと砲戦距離まで後20分程」

スメーチは双眼鏡を覗き船団に突撃を続ける敵艦を見て言った。
「20分?遅いな。航巡、機関全速。戦闘配備。10分以内に砲戦準備を完了させよ。アーカイドなどと後でどやされては溜まったものではない」

発令機が鳴らされアラームの音が艦体の各所を駆け巡る。
呼応するように兵員達は、走り出し細心の注意と素早さを持って各々の持ち場を整えに掛かった。
そして8分後、<アルスハイル>は連邦に残された最高戦力の一角として相応しいパフォーマンスを発揮出来る状態――戦闘態勢への移行を完了させた。


クラドス船団を巡る一連の戦闘は、船団側に増援が到着しラインヴェーバー艦隊側が撤退を開始したことから急速に終焉へと向かいつつある。
<ブラノハウゼン>が反転してから12分後、<アルスハイル>が初弾を送り出し再び砲声が空域に鳴り響き始めた。
先に命中弾を浴びたのは<ブラノハウゼン>だった。
射角の取れなかった底部の2基を除く4基8門から放たれた32cm砲弾のうち4発は低弾、2発が高弾となり艦底を通過、残り2発はどちらも薄い装甲しか施されぬ非防御区画の艦尾を食い破り炸裂した。
命中の閃光は<アルスハイル>からも容易に確認出来るものであったがそれでスメーチに歓声を上げる余裕があった訳でもない。
直後に<ブラノハウゼン>の応射のうち1発が<アルスハイル>の艦中央部の第二煙突付近へと命中し炸裂。
これにより第二煙突は穴だらけになり周囲の機関砲座のうち2基が破壊された。

猛烈な衝撃が<アルスハイル>の艦橋を襲いスメーチ以下、<アルスハイル>の艦橋要員達は何かに捕まるなりでそれをやり過ごした。
「被害報告」
スメーチは叫んだ。

「第二煙突破損」
「第8と第7の37mm機関砲が消失」
「第4士官室で火災が生じてる模様」

「応急班を第4士官室へ」
スメーチは安堵した。
幾らオルトゼン級と推定される敵艦の主砲弾だろうがこの距離じゃ大した被害は与えられないと分かったからだ。
その一方で此方の32cm砲弾が命中した敵艦の艦尾からは、煙が吹き上がっているのが双眼鏡越しにはっきりと目視出来た。
"沈めきれるかは分からんが勝てるな"
彼は、そう確信を得ると命じた。
「砲戦を継続せよ」

それから20分間、逃げる<ブラノハウゼン>と追う<アルスハイル>の間で砲戦が行われた。
戦況としては<アルスハイル>が圧倒している。
スメーチ戦隊の残りの構成艦である<グロム><レーヒュン><ブリスクム>と漸く砲戦高度への復帰を果たした<イピロス>が砲戦に加わり5隻で32cm砲弾、20cm砲弾、14cm砲弾を<ブラノハウゼン>に向け浴びせた為である。
そしてこの20分のうちに更に4発命中した32cm砲弾は、特に甚大な被害を齎していた。
1発は第三砲塔に真正面から命中しその防盾を貫通、内部で信管を作動させ砲員達を薙ぎ払い二本の砲身をそれぞれ奇妙な角度へと掲げさせた。
2発は艦体中央のバルジ部へと命中しそれぞれ相応の被害を与えた。
そして最後の1発は、アルバレステア級等と言った第二紀初期から伝統となっているコブ状の上部生体機関へ命中し複合装甲で守られるそれに破孔を穿った。
しかし、それでも<ブラノハウゼン>は沈まずに遁走をし続けた。
クランダルト帝国の生体機関艦とは、それ自体が一つの巨大な生き物であり例え致命傷となる損傷を受けても生体機関が即死し即座に墜落ということは、脳髄や心臓に不運な貫通弾を受けるか爆沈を除いて早々無いのだ。

この様に<ブラノハウゼン>が粘り強い砲戦を継続し続けたことから<アルスハイル>にもある程度の被害が生じていた。
3発の28cm弾が艦体へと命中しバルジに収められた対小型艦用の側面砲、居住区画と言ったものが次々と破壊され応急班は、その対応に追われている。
実の所、高速戦艦というより重巡を大型化し高速化させた――巨大な高速重巡に近いアルゲバル級の装甲防御は弾薬庫、機関室と言った重要区画を除いてそう強力なものでは無くネネツ製の28cm砲の前で無傷の完封勝ちという芸当は不可能だった。
クラドス船団司令部が追撃を打ち切ったのは、結局の所それに起因する戦略的な事情であった。
既に戦線復帰に半年以上要するであろう通商破壊艦1隻の撃沈と引き換えに此方の高速戦艦が数ヶ月ドック入りしてしまっては他の通商破壊艦を阻止する手立てが失われてしまう。
そうなればクラダルト帝国軍は、グレーヒェン級やバスク級と言った更に強力な戦艦を通商破壊に投入し此方の商船隊を壊滅させるだろう。と連邦軍上層部では考えられていたのだ。
戦艦は、酷使するが使い潰してはいけない。
こうした船団側の判断により戦闘は終結したのだ。

最終的に一連の戦闘で生じた被害は
・クラドス船団
 撃沈:空防艦3隻
 大破:重巡<タルソス> 空防艦1隻
 中破:高戦<アルスハイル> 航巡<イピロス> 空防艦2隻

・ラインヴェーバー艦隊
 大破:巡戦<ブラノハウゼン>
というものでありクラドス船団の戦い(帝国側名称:第7次ヨリス空域会戦)と記録されたこの戦闘は双方が勝利を主張し後世の史家の判断では、商船団を守りきったアーキル連邦軍の戦略的勝利とされた。


-627年14月22日ザイル砂漠中部-

クラドス船団を巡る戦いが終焉してから24時間後、吹雪は晴れたが雪原と化し砂漠と呼べるかは些か疑問なザイル砂漠上空を<ブラノハウゼン>は這うように航行を続けていた。
後方に退避させていたラインヴェーバー艦隊の僚艦とも合流し上空には直掩のグランバールが絶えず警戒を行っている。

「応急修理は完了したかね?」
ラインヴェーバーは付近への被弾によりすっかり風通しの良くなってしまった航巡艦橋で相も変わらず指揮を行っていた。
結局<ブラノハウゼン>は、合計6発の32cm砲弾に無数のそれ以下の被弾を受けその姿は浮かべる廃墟に近い。
特に大火災に見舞われた上に第三砲塔が真正面から貫通された艦尾付近の損害は惨たるもので最後端部に至っては艦体から脱落すらしている。

「航行に支障が無いまでは復旧しましたが――六王湖まで下げるしか無さそうです」
レイケル艦長が苦々しい表情で告げる。

「仕方あるまい」
制帽を深々と被りながらラインヴェーバーが答える。
「アルゲバル級に補足され沈まなかっただけ上等と考えよう。作戦を中止し一旦、全艦でカノッサまで引き上げる」

真の牧羊犬か。
奴等は単に勇敢で献身的な牧羊犬だけを付けずに狼を――此方を噛み殺せるような猛犬まで付けていた。
ラインヴェーバーは思索に耽りある疑問を思い浮かべる。

奴等、あそこまでの護衛を付けて一体何を運んでいたんだ?と。


-627年14月25日ザイリーグ信託領カルラ地域エルデア-

カルラ地域の南部に位置するエルデア市は、カルラ市に次ぐカルラ第二の都市であり、ある意味ではパルエ最古の都市とも呼べなくはない地だった。
その理由はエルデア市へ来た者の大部分が真っ先に興味を引くだろう市の中心部にある。
一見、それが何なのかも分からない余りにも巨大な構造物がこのエルデアの中心には存在していた。
複数の巨大でありながら明らかに人工物である壁を組み合わせたようなこれは、カルラ市どころかデオ都ですら影も形も無い頃から存在していた旧文明の遺物なのだ。
そして、その用途は連邦遺跡省の度重なる長年の努力にも関わらず未だに解明されていなかったが、そのようなことは大して気にする必要がない程に連邦軍にとって、この構造物は価値あるものだった。
この構造物は、560年台から空中艦の停泊地として利用され始め現在はエルデア複合港湾郡という長ったらしい名で呼ばれておりザイリーグ方面に於いて活動する連邦艦隊の一大拠点となっていたのである。

そして上陸を許可された連邦航巡<イピロス>の乗員の一人であるヘイニ・ウルバノ二鉄翼士官は、傷ついた母艦には目もくれずにこのエルデアの散策を行っていた。
とりあえず士官用の酒場にでも行こうか。そう考える彼女の視界にあるものが映り込んだあるものが目を引いた。
それは昨日から入港が開始され今度は、荷降ろしを始めているクラドス船団の貨物船の1隻である。
これだけなら船団が入港したのだから当然の光景に過ぎないのだが、にも関わらず目を引いた理由は、そこに空母が横付けされていたからである。

バスタブ型の船倉を備えた大型貨物船は、据え付けられたデリックを使い空母の甲板へ直接、積荷を降ろしていた。
そしてそれは、よく見てみれば1組だけではない。
ヘイニは、その更に奥にもう1隻空母が係留されて居るのを認めた。
あの形状の空母、確か艦名は何と言った?そう考えるうちに誰かが肩を叩いた。
振り返ると黒い軍服に身を包んだ憲兵の男が立っている。
軍事機密が絡んでるんだろう。
そう察した彼女は、何かを言われる前に退散するのであった。

実の所、ヘイニが見た2隻の空母の正体は空母<エカルラード>と空母<エレーヴォン>で7日前にエルデアに進出してきたばかりの第1航空戦隊を構成する2隻だった。
そしてエルデアに進出した空母は2隻だけではない。
<グランザール><カラッグ><アーキリウム>等々連邦軍が保有する空母の多くがこのエルデアに集結しているのだ。
彼女らは、一様に同じ艦隊旗――新設された総合航空戦闘群の旗を掲げていた。
この艦隊は、まだ艦艇をかき集めただけで実働状態には無かった明後日には早速訓練が開始される手筈となっていた。
そしてクラドス船団が訓練に必要な航空機材、発電燃料、予備浮遊機関と物を全て載せてエルデアで荷降ろしを開始したことからその訓練は予定通り行わるとされていた。

一方でカノッサの地に駐留する狼達は、将来的に自分達が猟犬に襲われる事にまだ気づいてはいない。
未だに寒波の影響が相対的に少ないこの地に猟犬達がやって来るのは1年後かも2年後かもしれない。
だがある牧羊犬達の勇敢さが実らせたこの猟犬達は、既にエルデアの地で牙を研ぎ澄ます為の環境を作り上げつつあったのだ。

カノッサに寒波と共に戦争の季節が訪れようとしていた。

最終更新:2019年04月04日 21:10