先進生命工学概論の講義の一幕

講義を始めます。

今日は初回ということもあって、あまり難しいことはやりません。

座学に難しいもなにもないとは思いますが。

今日は、先進生命工学というものが、どのようなものなのかの大枠を講義で話します。

時間があれば、面白い話もしましょう。

ところで、先進生命工学といっても自分たちで名乗っているだけなので、他では言わないように。

先進という部分は特に。

きっと鼻で笑われるか、精神を疑われるので。

 

先進生命工学の一例として挙げるなら、誰を推挙するのがいいでしょうか。

なにを、ではなく、誰を、です。

誰でも知っているものでなければならないのが難しい。

この講義をするときは毎回悩みます。

誰が一番いいだろうかってね。

でも毎回、この一人に絞られるのですよね。

フリーダ・クルツ。

「火羽」計画の──

……失礼、これは違う人物の経歴ですね。

我が国の空軍における特殊部隊、強襲火艦部隊が創立された際の総指揮官でした。

さらに、陸軍から徴用した空挺歩兵部隊を傘下に収め、強襲揚陸艦部隊の運用も兼任する土壌が最初に生まれたのも彼女の代からであると聞きます。

この素晴らしい経歴をもつ人物が、我が国の空軍では落ちこぼれだったことは、あまり知られていません。

卓越した計算能力を持ち、弾道学の見地においては素晴らしい能力を発揮していたにもかかわらずです。

たった一つの身体的特徴、肺機能が生まれつき弱いという点によって、彼女は空軍から否の烙印を押されることになります。

貴族出身者で軍人になるものにとっては致命的です。

我が軍での高度と階級の関係に、ある程度の比例が成立することはみなさんも感じているとは思います。

つまり、高高度にたどり着けない人間は、昇進も望めないという風土が存在していたのですね。

その結果、高高度における減圧に耐えられないという理由だけで、将来に誇るべくして歩んできた経歴はすべて閉ざされたのです。

 

たった一つの身体機能の欠損だけで、フリーダ・クルツは今までの経歴を棒に振るところでした。

彼女が特殊部隊に選抜されたから地位を回復できたものの、そうでなければどうなっていたことか。

しかし、最終的には彼女も高高度に耐えられるような心肺機能を回復しました。

それどころか、男性の軍人に近い強靭さを持ってさえいます。

彼女が回復した理由というのが、まさに先進生命工学に準拠した治療を受けたためです。

正常に機能しない肺の一部を、生体から純粋培養したものに交換しました。

現代では難易度が低い移植手術ですが、当時として考えれば先進医療そのものです。

相性によっては細胞同士が癒着しないなど、成功率もそれほど高くありませんでした。

まだ実証実験が進んでおらず不完全だった技術にたいして、フリーダ・クルツはそれでも志願したと記録には残っています。

彼女にとって、キャリアの回復は文字通り生きるか死ぬかであったことがわかるものでした。

 

最初の講義を受けた人の大半が、この話で嫌な顔をします。

いえ、嫌味や皮肉や、落胆を意図して言っているわけではありません。

それで正しいのです。

治療と銘打ってはいますが、これは明らかに人体への改造行為です。

ではここで倫理的な感性を測ってみましょう。

これから手を挙げてもらいますが、したくない方はそれで構いません。

彼女がなにも治療を受けるべきではなかった、これに手を挙げる人は。

では、当時の標準医療を受けるべきだった、これに手を挙げる人。

最後に、先進医療を受けるべきだった、これは。

はい、目に見えるところでは標準医療を受けるべき、が圧倒的大多数ですね。

結果論ですが、彼女は肺機能を回復させずとも、特殊部隊に帰属していたわけです。

彼女の任務に、高高度への心肺機能の適応を気にするものではありません。

しかし、彼女はあえて心肺機能の完全回復を目指し、先進医療を選択しました。

私はこの判例について、貴族に課せられた義務と重責が、彼女に新しい選択肢を拓かせたと考えています。

 

先進生命工学が、従来型の生命工学と異なるところは、フリーダ・クルツの例を見れば明らかといえます。

生命工学は、人類に利便性を提供するために発展した学問です。

そのために生体を用いた様々なものが世の中に普及しており、これからも発展していくでしょう。

言い換えれば、生命工学はその手段として、人類に快適な環境をもたらす使命を帯びています。

翻って先進生命工学ですが、動機は同じく人類への利便性の提供から来ています。

しかし、手段が根本から異なります。

快適な環境をもたらすのではなく、人類をその環境にたいして快適にさせること。

それこそが、先進生命工学の手段です。

よく覚えていてください。

人類にとって快適な環境を提供する、という意味では、先進生命工学は生命工学の一部であります。

しかし、変化をもたらす先が環境なのか、あるいは人間なのかによって、大きく異なる学問となるのです。

これはよく言われるのですが、先進生命工学は人間を人間の範疇から逸脱させる学問なのではないかと問い詰められることがあります。

私はこの答えを考えないようにしています。

考える意味自体はあるのでしょうが、答えを出すにはあまりにも不毛すぎるものだからです。

哲学的な問答は、倫理的な範疇を交えて考えれば、私たちが異端であると結論づけるかもしれません。

いえ、実際に結論づけていることでしょう。

しかし、それでも需要はあり、必然的に供給が生まれます。

先進生命工学は必ずといっていいほど、人間を被験者として発展してきました。

ただ、従来の生命工学と同様に、人間から強く望まれて生まれたことも事実です。

望むとも望まざるとも、他人を強く意識し、強い欲望を持つ動物だからだと考えています。

そうでなければ、諦めずに自分の内側を根本から変えてしまうという手段は選ぶ余地すら生まれなかったでしょう。

 

さて、ちょっと時間が出来ましたね。

面白い話の時間です。

人間はどこまで人間でなくなれるかを考えましょう。

そんなに不安そうな顔をしないでください。

今日は人体改造の話をすることはありません。

かなり疲れているようですから。

ただ、これは貴方達の考え方を少しばかり変えることになるでしょう。

人間は道具によって自身の不利益を補う人間であることはご存知ですね。

他の動物と違い、二足歩行に適した人間は、手で道具を積極的に用います。

戦闘においては槍を持ち、盾を持ち、今では銃を持ちます。

また、合理性という観点においても、人間は積極的に道具を使います。

容器や食器を作るのは、不潔を避けて疫病から身を守るためであるとも言われます。

他には、人間が多用する家畜もまた、人間にとっては広義の道具足り得るでしょう。

現在は生命工学分野によって家畜の概念は大きく変わっていますが、現在でも荘園では野生動物を手懐けた結果である、純粋な家畜を見ることが出来ます。

そして、今や道具化された家畜は一般的に普及しており、その姿を見ない日はありません。

 

ここで本題に入りましょう。

人間は、自身の身体の欠損にたいしても道具を用います。

片腕でも無くなれば、人体は重心の均衡を崩し、走ることすらままなりません。

そういうとき、人間は肩に重りをつけて重心を戻して生活します。

足がなかったとしたら、人間は松葉杖や義足をつけて生活に復帰します。

では、人間が機能を再現できない欠損はどう保障すればいいのでしょうか。

どうもできないのです。

眼球の不備で焦点が合わなければレンズを用い、眼球自体の修正すら行ってきました。

しかし、眼球を失ったものにたいして、その眼球への保障は誰もできないのです。

代替措置のない障害によって、多くの人間が不利益を被ってきました。

従来の環境を変える生命工学では、個人の欠陥にたいしての救済にはなりません。

しかし先進生命工学は、人間を環境に適応させることを命題とします。

生体科学の発展によって、それに必要な道具を生み出すことが出来たとしたら、人間はその欠損にたいして積極的に道具を使うでしょうか。

生命工学による家畜の道具化に費やされた技術の粋を結集させれば、先進生命工学によって人体を道具によって補うことができるなら、積極的に使うでしょう。

人体への異物の移植という倫理的かつ道徳的な背信行為に目をつむれば、理屈上では正しい理論です。

先進生命工学の勃興は、必然的なものだったのかもしれません。

 

さて、次回の講義に向けての課題を発表します。

今回は初回ということもあって、生体工学のおさらいをしてみましょう。

人間はどこまで人間の力に頼っていないか。

これを貴方達には考えてきて小論文にまとめてもらいます。

おっと、これでは言い方が悪いですね。

過酷な環境にたいして人間が適応する道具と、その使用方法について。

これを三つほど、様々な関連を列挙しながらまとめてください。

過酷な環境というのは相対的な見方で構いません。

本当に過酷な環境でも、欠損を抱えた人間が過酷と感じる環境でも。

この小論文の目的は、人間が道具にほぼすべてを頼っているということを確認してもらうためのものです。

人間自身は非力ですが、その道具は人間の処理能力を超えて人間を助けます。

生命工学をすでに履修した貴方達なら、意識せずにまとめられるでしょう。

ちなみに、一例として私がこれと同じような小論文を書いたときは、戦時中でしたから内容も戦争色が強かったですね。

戦闘艦という道具と、それに栄養を供給する生体輪液の生産器と、食物加工器についてでした。

それに、生々しくて結構過激な内容を書いていた気がします。

聞きたいは人いますかね、聞きたければ挙手してください。

……貴方達は変に好奇心が強いですね。

では、ここで講義は一つの区切りとしておきます。

聞きたくない人は次の講義へ進んでください。

おっと、次は昼食でしたね。

一足先に楽しい昼食を。

 

さて、もう聞きたくない人はいませんね。

話しますよ、心の準備はいいですか。

戦闘艦はそれ自体が最高峰の家畜たるスカイバードを素体としていることはご存知のとおりです。

それと同時に、スカイバードを戦闘艦へ変化させたのは、家畜を道具化したという意味でも最上のものであるでしょう。

しかし、戦闘艦は道具となりましたが、それを適切に操作するには人間が必要です。

道具は人間が使うものだから、戦闘艦という道具も人間が動かさなければいけませんね。

では、そこで問題なのが、栄養補給にたいする供給源の分離です。

生体器官や生体に補給する栄養と、人間に供給する栄養が違うのは、栄養学に精通していなくてもわかるでしょう。

人が生体用の補給用輪液を飲んだところで、さして有用なものではありません。

ちなみに、このなかで試したことがある人はいますか。

ああ、やはり何人かは子供の頃の、文字通り苦い思い出を体験しているようですね。

人間用ではないことを表すために、苦味を感じる成分が添加されていて吐き戻したことでしょう。

今でも、子供の誤飲事例では少なくない数が報告されていますよ。

話を戻して、私は、戦闘艦という一つの空間のなかで、人間と生体の栄養補給が別であることについて論じました。

人間と生体の構造が違うという点を出発点として、先進生命工学的な解法での仮説を立ててみたのです。

補給の効率を良くするためには、生体の構造を人間に近づけるべきでしょうか。

それとも、人間の器官を増やして対応できるようにするべきでしょうか。

私は、先進生命工学の観点から人間側が生体輪液を適切に分解できる器官を持つべきだと考えました。

人間の食事というものには無駄が多いものです。

様々な食物加工機を用いて、多岐にわたる料理を提供しなければならない。

味覚を刺激して多幸感を得たり、胃に感じる重量で満腹感を得たりといったことも必要である。

それでいて、食事の後の人体は固形物を溶解し、吸収するために体の機能を制限しようとする。

効率に焦点を絞った生体と生体器官、それに栄養を提供する生体輪液に比べて、あまりにも人間側の能力が下回っている。

結論としては、効率の悪い側が率先して改善してこそ、人類の進化と、我が国における戦力の増強に貢献するものである。

こういった雰囲気のものでしたね。

ね、なかなか過激なものでしょう。

なお、この論は当時から生命工学と人類進化論の両方で、尖端的すぎて容易に迫害される分野ですので、皆さんは真似しないようにしましょう。

教授からは、人をただの動物みたいに見ていると、そのうち人を道具にしてしまうぞ、と言われましたよ。

若気の至りというものだったのですが、後でかなり反省することになりました。

 

さて、講義は終わりです。

昼食の時間なので、みな食堂へ向かいましょう。

え、私は行かないのかって。

私の昼食は生体輪液なので、食堂には行きませんよ。

ははは、キツい冗談ですね、って。

……私は至って真面目です。

胃があった位置に空いている管に生体輪液を注射して栄養を補給します。

正真正銘、それが私の昼飯です。

私が最初に言ったことがわかるでしょう。

先進生命工学が人からどう見られているかをよく知っておくことが、一番重要なのです。

明らかに、弁解の余地もなく、人を根本から変える技術ですから。

ですけれど、私がそうであるように、それで助かるものもいることは事実です。

 

私は先天的な臓器の機能障害を持っていて、体の構造を根本から変えなければ生き残れませんでした。

内臓で栄養を吸収する効率が極端に悪いという持病があったのですね。

体が小さい頃はなんとかなりましたが、性徴期に入ると体調不良となって身体の構造的な欠陥が浮き彫りになりました。

当時の解決法として有意に効果を上げたのは、栄養を供給する先を減らすことでした。

手始めに、使い物にならないのに大飯食らいの胃腸を縮めましてね。

食事も効率的な流動食に変わりました。

それでも医者には、体が完全に出来上がる頃には肩から先をを切り落とす必要があると言われたのです。

その覚悟がないのなら安楽死を選ぶべきだ、という意味だったらしいですよ。

ただ、奇跡的に、先進医療を巡るうちに先進生命工学にたどり着いた。

そのおかげで、栄養の摂取効率を改善する道が拓かれたのです。

人を環境に適応させる技術だからこそ、私は人間が持つべき胃腸のほとんどを捨て、生体輪液の摂取に適した人体になるよう改修されました。

口はものを食べる器官ではなくなり、喉は水分と空気のみを行き来させる器官として。

胃に生体輪液を注入するために、胸には穴が空きました。

ああ、味覚や嗅覚がなくなったわけではありませんよ。

たまの休暇には味わいのあるものを食べて喜びを感じることもあります。

食事という行為自体は楽しいですが、人間の食事は栄養にならないのが残念ですね。

ただ、胃が異物を詰め込まれた重苦しさを訴えてしまって、食事の後はあまり楽しくないものです。

最近の楽しみは食事よりも香を楽しみながら生体輪液に酩酊剤を混ぜることですね。

身体への負担にもならず、うたた寝のときのような心地よい感覚に浸れますから。

 

私にとって、先進生命工学は私自身への夢であり希望です。

人間の可能性を大きく変える場所だと確信しています。

人間が人間性を取り戻すために道具を用いることは、悪いことではない。

私はそう言い切ります。

だからこそ、私はここで貴方達に先進生命工学概論の講義をしているのです。

ようこそ、先進生命工学へ。

私は貴方達を歓迎します。

 

 

……人の可能性を大きく変える、ね。

その分、深淵に最も近い場所になってしまったことは否めない。

アカデミーを卒業したての純粋な学者には悪いけれどね。

以前より透明性があるとはいえ、影の絶えない場所でもあることは、薄々感づいていてくれなければ困る。

F.K.計画、新人類計画、機関補助装置学習計画──

過去を数え始めればキリがない。

私も、失職しなければスカイバードの養殖に関する代替手段を研究していただろう。

要請に従って、スカイバードよりも頭の出来が良い「家畜」に手を出したかもしれない。

スカイバード需要の減少と、器官脳髄保管技術が発達してくれて本当に良かった。

古巣がなくなった今では、先進生命工学概論を壇上で平和に論じている身だ。

本当に、人生とはなにがあるかわからないものだな。

先人たちが輝いていた頃が懐かしい。

そう思うことが禁忌なのだと知っていても。

過激な合理性と、人間の万能性への信仰が混じった混沌に、何人が共感してくれるだろうか。

所詮、暗部は光の下に出されても薄暗いことしかできないものだ。

まあいいさ。

いいことがいい結果を生むかはわからないが、その努力は継続していこうじゃないか。

最終更新:2019年04月05日 23:19