目覚めぬ人

「ヘーイ、そこのご老人、帰りのバスまで時間が有るんだ。何かここら辺の昔の話をしてくれよ」
薄汚い乞食の老人は垢だらけの顔を上げる。

「あー何かよこせって?ほら、これ払うからさ。」
南半球出身らしき若い男は20エイン紙幣を取り出して老人の前に置いた

生体や浮遊機関の入り混じった空中旅客船がゆっくりと二人の上を通り抜けていった。
老人は暫く黙った後、ぽつりぽつりと話し始めた。

「その頃まだ...ミテルヴィアは正しく、スカイバードを誰もが信仰している清い国であった...」

 

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目覚め作戦成功の報は世界中を駆け巡った。
いや、その情報が伝達されるよりも先に人々はその砂埃の無い澄んだ空を見た。
その空を見て人々は喜び、そして泣いた。

旧文明の狂った気象操作衛星はその活動を停止し、パルエは正しく温暖な世界へと変わったのだ。
砂漠はゆっくりと緑地に戻り、海流は穏やかになり、暴風雨はその勢いを低めた。
人々だけではない、世界中の大地が海が空が目覚めたのだ。
農作物は安定して、収穫量もどんどんと伸び 南東部や裏世界が開かれた事により人間の世界が広がった。

誰もが目覚め作戦を喜んでいた。人間だけではないパルエの生命が、パルエそのものが喜んでいた。

 

いや、目覚め作戦成功で唯一喜んでいない人々が居た。
神聖ミテルヴィア、狂った気象操作衛星によってほぼ唯一益を得ていた国。
高い標高に有るにも関わらず、温暖で暖かく豊かな大地を得ていたこの国は目覚め作戦前後で唯一国土価値が低下した国だ。

 

「大高僧様!もう一度お考え下さい!女が、子が飢えているのです。人々を救うのが我々の役目のはずです!」
「駄目だ。このミテルヴィアの大地に空中艦を入れるなど決して許されん。」

スカイバード教は(既にラドゥ教という風に分化しているが)現在二つの派閥に分かれている。
目覚め後も伝統と教義を守り、機械の持ち込みを許さない大高僧派
今後の事を見据えて、教義の内容を変え時代に合わせたものにする高阮僧派

衛星による加護が無くなったミテルヴィアでは他国と異なり寒冷化が急激に進み、風も以前とは異なる物になったため元々少ない収穫量の農作物はさらに減っていている。

「高阮僧よ、我々はラドゥ教とは異なる。伝統を守りスカイバードより授かったこの土地を守るのが我々の役目ではないのか?」
「しかし、それは信仰する人が居てこそ成り立つのであります。我々は...」
高阮僧が反論をし始めたときに、周囲の僧とは異なる現代的な服装をした人物が立ち上がり話を遮った。

「お初にお目にかかります。ナムラサと申します。」
ビジネスマンといった風貌の彼は前時代的な建築とは全く似合わない恰好で、周囲の視線を気にする事無く、大高僧の前に立った。
「機械に毒されたお前たちが何の用だ。」

「いやはや、時代は移り変わる物であります。大高僧様、今の時代は南北友好・文化交流・相互理解の時代です。
大高僧様の考え方は如何せん古いと言わざる負えない。」
「失礼であるぞ!貴様!」
周囲の大高僧派の僧が声を荒らげる。

「薄々気が付いているでしょう、貴方方も!キタラギやラオデギアでは既に帝国の生体空中艦が空を飛んでいるのです。
私達の隣に帝国出身の人が引っ越してくる事もあるのです!我々は、大陸連盟結成した時点で分かっているのです。
南半球の彼らもまた、我々と同じパルエという星に住む人間であると。
私の家もスカイバードを神とする宗派に居ますが、隣人のクランダルト人に石を投げる事はしないのです。
もう、永い永い戦争をするのは誰もうんざりなのです。戦争に全く参加しなかった貴方方は分かりませんがね。」

「我々に神、宗教・文化を捨てろというのか!」
「そういうわけではございません!」
高阮僧は慌てたように仲裁に入る。が、ナムラサは手を伸ばしてそれを抑制する。

「大高僧様、ご存知のはずです。確かに北半球を中心にスカイバード教は世界で最も信仰されている宗教です。
しかし、その中にどれだけ敬虔な信者が居るでしょうか?確かにそれを崇拝している人は今も昔もそう変わらないでしょう。
ですが、敬虔な信者はどんどん減っています。クランダルトとの交流が始まった時、スカイバードは二度目の墜落をしたのです。
スカイバードの上の世界に人類は到達し、パルエが球体である事が分かり、スカイバードが生物で有ると知り、クランダルト人と交流する若者たちの頭の中は既に、思考と宗教は乖離しているのです。
お布施の額はここ数年で減少の一歩を辿っています。まさかその事を知らないわけでは無いでしょう?
ミテルヴィアの人々が今、他国の機械で作られた缶詰を食べているその事実を知らないとは言わせませんよ。」

「...べらべらと話して気はまぎれたかね?我々は君たちと違って利益の為に生きているのではない。人間は3食の神の居ない生活よりも二日に1食の神の居る生活を選ぶのだ。」
「大高僧様。それは、貴方が決める事ではないのです。」

重いドアが開かれる。
槍で武装した...それは兵士も混じっているが、多くは只の平信徒であった。

ミテルヴィアは乗っ取られた。
高阮僧派はメルパゼルの商人と繋がっていた。
無国籍企業、スキュミゼン財閥は歴史的建造物を意とも容易く取り壊し、下品な観光都市へと作り替え文化を破壊しつくした。
人々は神による加護よりも、満足の行く食事と仕事の方が大切なようだ。
そう、神聖ミテルヴィアはこの年死に、ミテルヴィア自治区が産まれたのだ。

元大高僧派は新大高僧によって破門され、別のマイナー宗派としてスキュミゼン財閥の妨害を避けるように、ほそぼそと更に山奥で生活する事となった。
ミテルヴィアに対して絶望した僧たちはただただ、山奥でスカイバードに祈りを捧げていた。

「もしもし」

山奥の、今や数少ない真っ当な宗教施設としての役割を果たしている寺院に妙な風貌の男がやってきた。
僧たちは槍を手に取り、臨戦態勢で門を開ける。
既に、何度も襲撃や買収が行われ、かつての博愛主義の僧とは異なる姿へと意図せず変わってしまっていた。

「あぁ、申し遅れました。私はスキュミゼン財閥とは無関係の、むしろ敵対する立場の者です。」
「何が用だ、そこで申してみろ」
のぞき窓から比較的若い僧が睨みつけながら声をかけた。

「我々はスキュミゼン財閥のような悪事を見過ごす事は出来ないと思い、手助けするべくやってきました。
六王湖の...今は仮にTとしておきましょうTという団体からやってきました。」
「南半球の野蛮人が何用か!」

「おお、そんなに大声を出さないで...」
六王湖からやってきた男はわざとらしく驚いた素振りをしながら手に持っている鞄を開いた。
中には不思議なガラスの試験管が二本入っていた。

「再度言いますが私は皆様の味方です。」
へらへらと笑いながら六王湖の男は試験管を両手に取って、覗き窓からでも見やすいように見せつけた。

「...スカイバード教はどの様にして北半球に広まったか、皆様はご存知ですよね?
そうです。パンノニア風邪と呼ばれる流行り病です。」

「...何が言いたい」

「スカイバード教を布教したいのであれば以前と同じことをすれば良い。私達はそのために既存の治療薬の効かない新型パンノニア風邪を開発しました。
そして、隣に有りますはその新型パンノニア風邪のワクチンでございます。
私達の名前を出す必要はございません、勿論安く治療薬は販売いたします...」

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「ワシは...本当に大高僧だったのだ...巫女はあのようなステージで観光客向けに踊る物では無いのだ...」
「はははは、冗談きついぜじーさん。じーさんが偉い人だったなんて誰が信じるんだよ。」
「本当なんじゃ!ほれ!この杖を見てみぃ...!」
老人は煌びやかというわけでは無いが精巧な文様が削られた杖を若者に見せつけようとした。

ブゥンとバスがやってくる。
「悪いなじーさん。バス来たらまた今度な!」

避暑地として、観光地として再開発が行われ寺院は商業施設に改造され、ネオンの看板がビカビカと光り輝く世界有数の成功した観光都市アーケー
聖職者たちも経典をマトモに読まなくなった神の居ない神の街アーケー

宗教はただの文化財、観光資源としての役割しか果たさなくなった第四期。
もう、一人を除いて宗教を本気で信じる者は居ない。

「本当なんじゃ...!本当なんじゃ...!だれか、このスカイバード教の正しい教えを受け継いでくれ...!」
目覚められない愚かな大高僧のその声は、旧式のスカイバード改造旅客船の音にかき消されていった。

「なんだか体調が悪いな...」
帰り道のバスの中、ぽつりと若者はつぶやいた

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「大陸中央で行われた正統スカイバード教徒による生物兵器テロ、通称新型パンノニア風邪による死者はザイリーグだけで数万人とも言われており、ザイリーグは完全に無政府状態に陥っています。」
「メルパゼル政府、アナンサラドは国境封鎖を宣言 難民受け入れは行わないとし...」
「東アノール国境の難民キャンプでまたも、正統スカイバード教徒のテロが行われ...」
「正統スカイバード教本部は信仰する者には救済を、と新規入信者に治療薬を与えると...」
「アーキル政府は正統スカイバード教徒に騙されず、アーキルのワクチンが完成するのを待つようにと発表を行いましたが、日々正統スカイバード教徒は増加していると思われており...」
「『六王湖政府は諸島連合による裏工作である』と宣言、パンノニア政府はオリエント条約機構の解散を...」
「各国は経済制裁を...「諸島政府は証拠の無い言いがかりであると遺憾の意を表明...

最終更新:2019年05月23日 19:45