細く、いびつなスリットから防弾ガラス越しに見える外は暗かった。
夜明け前の空は静寂を湛え、生体機関の低い唸りだけが低く響いている。
ゼクセルシエの砲塔は異常な程狭い。砲尾と即応弾を苦戦しながら潜り抜け、ようやくハッチから身を乗り出し、辺りを見回す。
明かりが全く無いにも拘らず、不思議と視界はクリアだった。
背後には隷下の戦車中隊8両、そして数キロ前方には今作戦の攻略目標、"街"が観える。
灯火管制すら敷かれていないようで、街灯、看板が煌々と輝きを放っていた。戦場と言うにはあまりに幻想的な艶光が、私から緊張感を奪い去った。軍営都市らしく、よく区画整理されているのがこの距離からでもよく分かる。
不思議…いや、不可解だ。
石畳の敷かれた中央道路と子路に細断された建物群は間違いなく連邦の軍営都市の物なのだが、建物自体は我が帝国のものに似ている。纏っている雰囲気はどちらでも無い。誰でもあって誰でもない、顔の無い街。それに戦時下だというのに、灯火管制も戦協節電も行われていないらしい。
そして我々の地図には、この"街"は存在しないことになっている。街自体はそう大きく無いが、道路の石畳は反尺ほど掘り下げられて敷設されているし、3階以上の建物も見えるというのに。
何故これ程の街が地図に無いのか。連中はどうやってバレずにこれ程の都市を拵えたのか。そもそも我々は地図に無い街にどうやって展開したのか。
生体機関の重い嘶きが私の意識を現実に引き戻した。私たちは戦争屋であり、建築家でも思想家でもない。無意味な思慮は関門外だ。
それに私には帰るべき場所がある。軍属の血族は2等人民でも純帝国人と対等の待遇が約束されている。被支配民の識別紋を焼き潰した痕を擦りながら、妻子の為にこの地獄に自分から飛び込んでいったことを思い出す。御守に、と出征前に妻が持たせてくれた写真膜を取り出そうとした。写真館に行ったのは何時頃だったろう。まだ娘が赤ん坊と幼子の間を闊歩していた時だ。複写網膜の値段に目を剥いたが、娘の笑顔を見た瞬間に金を惜しむ気など失せた。娘はどれくらい大きくなっただろう。私の顔、ちゃんと覚えてるだろうか?
胸ポケットのボタンを外そうとしたところで、重い砲声が鳴り響いた。別部隊のダック210の制圧砲撃。我々戦車隊8両が先鋒となり突破口を形成、その後は名も知らぬ歩兵大隊と共に突入し、敵を掃討する。大気を震わせる装薬の炸裂。幾度となく聴いた戦争の嚆矢。
 
作戦開始。全車、強速前進!
 
生体機関が鬨の声を上げてゼクエルシエを持ち上げ、加速させてゆく。地面は真っ平らなようで、予期された振動は訪れない。
"街"側に動きはないが、我々にはわかる。長年戦場にいた者の勘、鋭敏な嗅覚が戦争の臭いを嗅ぎつけていた。
ペリスコープいっぱいに広がる"街"の輪郭が噴煙で歪み、甲高い音が空を埋め尽くす。それが砲弾の風切り音だと気がついた時には、連邦のカウンター砲撃は我々よりはるか後方に一直線のクレーターを穿っている。 
不味い、後続の歩兵と分断される。
どうやら砲撃で歩兵を足止めして、孤立した戦車を叩く腹積もりらしい。砲弾が降りしきる中で歩兵は動けない。かといって戦車だけ街を制圧するなど不可能だ。このまま見通しの良い平野で停止し、歩兵を待てば対戦車砲の釣瓶撃ちを喰らうに違いない。正面装甲は敵の徹甲弾を受け止めてくれるだろうが、衝撃までは殺しきってくれない。砲弾を浴び続け、生体機関が沈黙した場合、死を待つしかなくなる。
私は一刻も早く"街"に肉薄しようと、操縦手と僚車に増速を命じた。敵の術中に落ちるくらいなら、自ら飛び込み食い破る方が幾らか"死ににくい"ことを我々は知っている。
"街"の外堀まで1500米という所で敵の対戦車砲が慌てて隠蔽布を解き、砲撃を始めた。敵の砲列まで約800米。進路を妨げる障害物も、射線を遮る遮蔽物も無い、ほぼ完全な平地だ。敵の反応は明らかに遅すぎる。敵は我々の行動を読み違えた焦りからか、砲撃は散発的で狙いも甘い。
正面の対戦車砲が有効射程に入った瞬間、私が命令するより早く、砲手は照準を定めていた。

停車は一瞬、許容できる被弾は1発。
浮遊しているゼクセルシエは塹壕も地雷も無視することができるが、砲を当てたければ接地し車体を安定させなければならない。その小さな砲塔に押し込んだ駐退器は、強装55粍砲の反動を抑え切るにはあまりに非力すぎた。
私の合図と共に生体機関の出力ベクトルが逆転し、車体が前につんのめる。全速状態から逆進を掛けての急停止。車内の固定されていない物が慣性の暴力を喰らい乱れ散る。装填装置が砲尾を閉鎖する前に、熟練の操縦手と老練の生体機関の連携が急停止の衝撃を殺しきっていた。
僅か数秒の接地から撃ち放たれた55粍榴弾が連邦軍75粍対戦車砲の防盾で起爆し、砲を陣地ごと吹き飛ばす。爆炎と粉塵が視界を埋め尽くし、1瓲はあろうかという重砲が紙切れのように舞い上がった。待ち伏せのカードを使い果たしても尚、砲から離れなかった勇敢なアーキル兵達はみな肉片となって辺りに飛び散っただろう。
 
次の獲物を求めてペリスコープを覗く。四方八方から砲火が瞬いていた。砂埃と粉塵が視界を塞ぎ、目標に達することなく落着した砲弾が地表に穴を穿っていく。
視界外から飛来した砲弾が正面装甲に突き刺さり、車体が鈍い衝撃と甲高い金属音に包まれた。被害状況を確認したが、ゼクセルシエの傾斜装甲は我々の信頼を裏切らなかったようだ。連邦軍の短砲身55粍砲は零距離だろうとゼクセルシエの正面装甲を貫徹できない。
筋繊維装填装置が榴弾を砲尾に押し込み、砲手はすかさず敵55粍砲に照準を合わせる。その瞬間、砲尾が天板にぶち当たり、砲昇降機が動きを止めた。背の低い対戦車砲を直接狙うには俯角が足りないのだ。操縦手に命じて車台を沈降させ、無理矢理俯角を稼いで射線を切り開く。
砲手は目標のやや手前を狙ったようだ。浅い角度で地表に命中した榴弾は弾かれ、空中で炸裂し破片の雨を降り注いだ。彼らの命を守るべき塹壕が、彼らの挽肉で満たされ墓穴となる。
火線の密度は狭まる一方だ。敵砲を叩き、機関銃を潰し、我々は這うように"街"の外郭に辿り着いた。見える砲陣地は粗方潰したハズだ。
砲身は熱を帯び、筋繊維装填装置も休息が必要だろう。ゼクセルシエの排煙装置は性能不足で、ゴーグル越しでも目が痛む。機関銃弾が絶え間なく装甲をノックするのでハッチを開けるわけにもいかず、こればかりはひたすら耐えるしかない。
 
車体を建物の陰に移動させ、車内を見回し損害を確認する。血圧計が危険値を示しているのを見て、生体機関に鎮痛剤を打とうと薬剤弁を開いた。定量の2倍、過剰な薬剤投与は徐々に、確実に生体を食い荒らしていく。"戦死"でなくとも廃棄になりうるし、実際オーバードーズによる血管破裂や壊死で死んだ個体を多く見てきた。
それでも、生体に数年後の後遺症を気にする贅沢はさせてやれない。
新兵だった頃、私は何度も生体機関の聲を聴こうとした。だが、私にその才は無く、生体は決して心を開かなかった。そもそもヒグラート戦線の生体の平均寿命は約2週間。対話の間もなく薬剤漬けになっていった。
許してくれ、俺もオマエも消耗品なんだ。傷と薬剤で摩耗していく生体に、最初はそう語りかけていた。戦車兵の平均寿命が1週間を下回るまでは。
死傷率で言えば、ここもそう変わらないかもしれない。敵が持ち込んだ75粍対戦車砲の数はこちらの予想より多く、8両いた我が中隊の内、2両が炎上、1両が失血により挫座、1両は弾薬に誘爆し、消し飛んでしまった。残りも無傷とは言えず、殆どの車両が裂傷や出血を負った。街に至るまでに、約半数が撃破されたのだ。敵の対戦車砲は大きな三角形状に配置され、複数の火線が目標に集中砲火を浴びせるように出来ていた。
崩れた外壁ごしに、先の準備砲撃で瓦礫の山と化した建物がいくつか見えた。砲撃による瓦礫の山や入り組んだ路地は彼らの狩場だ。塹壕に潜った連邦兵はタチが悪い。数時間も狭い穴蔵に潜み、コチラが隙を見せた瞬間に致命的な火力を叩き込んでくる。今の帝国軍に彼らの奇襲と待ち伏せを恐れない者など居ない。カノーシア(カノッサ)北西部ベルカルムに突入した第14師団は、地形を活用した遅滞戦闘に丸3ヶ月の足止めと多大な出血を喰らった。ボディカウントの結果、敵は2個大隊以下だったことが判明し、当時の師団長ガルメット少将は解任されている。
あの瓦礫の陰に、建物の中に、残骸の裏に、いったいどれ程の敵兵が潜んでいるのか想像もつかない。そこに突入するのにゼクセルシエ4両ではいささか荷が勝ちすぎる。
歩兵部隊の動きが気になり、外を見回した。何刻経っただろう。まだ日が上がっていない所をみると、2刻も経っていないのかもしれない。人間の体感時間など曖昧なものだ。とっくに朝になっているとばかり思っていた。異常に塩気の強い携帯栄養塊すら、全くの無味に感じる。疲れは感じないが、自覚以上に疲労が身体を蝕んでいるようだ。
ようやく歩兵部隊が追いついた。顔までは見えないが、隊列はよく整っており、士気はまずまずと言ったところか。
鎮痛剤、興奮抑制剤、血液凝集補助薬でがんじがらめにされて"生かされている"ゼクセルシエが、ゆっくりと速度を取り戻し、"街"の大通りに向けて前進する。
私と生き残った4号車、7号車、8号車で鏃隊形を取り、後続に歩兵部隊を追随させる。最後尾には貴重な装甲兵員輸送車を配置した。負傷者は彼らに任せるつもりだった。
市街戦の基本は、こちらに射線が通りうる高所に徹底的な砲撃を加えて潰すことだ。視界は劣悪、仰角は貧弱、砲塔旋回は低速、敵を発見してからの対処では遅すぎる。
路地からの奇襲は歩兵に頼るしかない。歩兵の盾になるべき戦車が歩兵に頼らざるをえないとは、なんとも無様な話だ。
路地を一つ一つ警戒しながら大通りを前進していく。散発的だが強力な銃撃が加えられ、そのたびに戦力と神経が擦り減らされていった。キューポラから頭を出した瞬間に狙撃を受け、4号車の車長が即死したと無線が入った。同車の砲手が間髪入れずに狙撃兵を建物ごと破砕する。
前進を始めて数百メートルと進まない内に、隊列の最後尾にいた装甲兵員輸送車が吹き飛んだ。高所から前輪に1発、裏路地から側面に2発、計算され尽くしたラケーテ弾の同時弾着。これで退路が塞がり、正面の死地を抜く以外に我々が生き残る術は無くなった。
味方歩兵はあらゆる遮蔽物の陰に手榴弾を投げ込み、機関短銃を乱射する。擲弾の音が少ないところをみるに、擲弾兵は敵狙撃兵に集中して狙われ、殆ど残っていないようだ。
こちらと言えば、狙える場所に片端から榴弾を叩き込んでいる。これでも先制撃破できることは稀で、心理的な揺さぶりがせいぜいだろう。
そう思った矢先、僚車が砲撃を加えた建物が大きく爆炎を上げて崩れた。弾薬か対戦車ラケーテが誘爆したのだ。直後、我々の右後方にいた4号車が浮力を失い着底する。失血多量か脳震盪か、とにかく戦闘継続は不可能らしい。乗員の脱出は確認できなかった。見たところ大きく損傷しているわけでは無い。乗員が負傷したか、ハッチが歪んで開かないのだろう。とにかく、後で救出しなければならない。
アーキル兵達は巧みに後退と反撃を繰り返しているようで、アーキルグリーンの屍体を見つけることは出来なかった。彼らには散々辛酸を舐めさせられたが、ここまで姿が見えないのはなにか妙だ。不気味さすら感じた。なにか得体の知れない化物と戦っている気に陥っていく。
敵の火力は明らかに減衰している、我々は殺し、死なせていると自分に言い聞かせた。少なくとも敵の火力が低下しているのは事実なのだから。街の中心、十字路に到達した時には我々は疲弊し切っていた。味方歩兵は見える限り、半分程に減っている。どうやらこの"街"はやたらに広いらしい。信じられないことだが、外から見えた"街"は全体の極一部のようだ。そこまで巨大な都市には見えなかったのだが。
それぞれの支路に7号車、8号車を分散させ、我々は街の北端を目指す。
抵抗を一つ一つ潰しながら歩兵の道を切り開いていく。四方八方、銃声と爆音が鳴り止まない。8号車からの無線連絡が途絶えた。我が国の無線機は悲しいほどに信頼性を欠いていたが、無線の故障と都合良く思い込むには状況が悪すぎる。
砲撃を加えつつ前進する内に、高い建物がだんだんと少なくなり、街の端に近づいていることを示していた。
敵の火線は明らかに減っている。司令部を見つけ出し、組織的抵抗を終わらせれば、後は掃討戦に移るだけだ。犠牲は払ったが、ようやく勝利が見えてきた。
 
戦いの終幕を感じた瞬間、凄まじい衝撃と轟音に打ち倒された。
意識が身体から四散していく。思考は状況把握を放棄する。混乱が脳を埋め尽くし、あって然るべき激痛さえ感じることが出来ない。ようやく焦点を取り戻した目に飛び込んで来たのは、砲塔右正面に穿たれた大穴と吹き飛んだ砲手席だった。
右斜め前方の路地に砲煙が燻っている。偽装網と材木を崩砕しながら装甲車両が飛び出した。
デーヴァ突撃砲の待ち伏せ。
ランゲ・ナーゼルと呼ばれる長砲身の対戦車砲を装備したデーヴァは、ゼクセルシエにとって数少ない驚異の一つだった。この突撃砲は700米以内ならゼクセルシエの正面装甲を貫徹しうる。より脆弱な砲塔ならば900米以内と言ったところか。
そんなカタログスペックを無視できる程の至近距離から砲塔正面への一撃。砲塔の右半分がえぐり飛ばされ砲手は即死、屍体も残らない。ショックで生体機関が錯乱を起こし、砲塔旋回装置は完全に破壊された。
デーヴァの砲身はピタリとこちらを捉えている。第二射は確実に我々の息の根を止めるだろう。
その瞬間、戦車兵としての本能に突き動かされるように、意識より先に身体が動いた。右舷生体機関への酸素供給をカットする。浮力を失った車体は右に傾斜しながら倒れ込み、デーヴァと正対した。
デーヴァが射線に入った瞬間、私は緊急撃発レバーを蹴っていた。
凄まじい爆音、熱気、振動。
立っている感触が無い。傷の痛みも、流血の暖かさも、死への恐怖も忘れたまま、私は砲塔バスケットに倒れ込んだ。
意識を失う直前、最後に見たものは割れた照準器の中で爆発するデーヴァだった。
 
ふいに目が覚めた。急に光を差し込まれた網膜が痛みをもって抗議するが、無視して立ち上がろうと試みる。
何本か骨が折れているに違いないが、痛みは全く感じない。どれくらい昏倒していたのだろうか。重い体を引きずって、砲尾と捲れ上がった装甲板を潜り抜け、ようやくハッチから身を乗り出した。
静かだ。
砲声も、銃声も、爆音も、悲鳴も
みな嘘のように黙っている。戦いが終わったのだ。高い建物の残骸に我が帝国の旗がはためいているのが見えた。
 
そして、私は恐怖に凍りつく。
夜が明けていない。
少なくとも、作戦開始から6刻は経っているはずなのに。
今、太陽は空に無ければならないはずだ。
今は朝で無ければならないはずだ。
今、セレネは南東に見えなければならないはずなんだ。
言葉に出来ない恐怖が私を包み込んだ。
慌ててあたりを見渡すと、味方の歩兵の隊列が近づいてきていた。声を掛けようとして、私は愕然とする。
ある者は顔を半分抉られ、ある者は肘から下と脇腹を失い、ある者は後頭部に穴をこさえ、顔が花弁のように捲れ上がっていた。負傷というにはあまりに甚大な欠損を抱えた屍体の戦列が、自動小銃や機関短銃を背負い、隊列を組んで行進している。
 
ああ、そうか。
どこの国の模式ともつかない顔の無い"街"。この街は地図に無かった。それもそのはず、この"街"は存在しない。どこにも存在しないんだ。作戦展開までの記憶がどうにもあやふやなことも、それが気にもならなかったことも、見えない敵も異形の味方も、感じるべき痛みも、もうどこにも存在しない。
胸ポケットをまさぐり、写真膜を探し出そうとした。
胸ポケットはからっぽだった。うすうす判っていたことだ。妻子の名が、あれだけ惹かれた妻の名が、あれだけ愛した娘の名が、全く思い出せない。死して尚、あの世にも逝けず、冥府と現世の間で殺し合いを繰り返す、戦いしか知らぬ狂人達の街。私には人を愛し、平穏な日常を送ることは赦されなかった。
戦争以外を失くしてしまった亡者達が行き着く先が、この街なのだろう。
思慮は疑問と共に掻き消えた。
戦車を移動させなければ。塹壕を堀り、機銃を据え、今度は我々が陣地を築かなければ。
敵は必ず反攻してくる。必ずこの街にやってくる。
戦争が終わらない限り、戦死が無くならない限り、敵も味方も必ずやってくる。
ここは最果ての街。救われることの無い、魂たちの終着点なのだから。
 
 
 
   

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最終更新:2019年06月13日 23:31