大寒波戦役終結から2年。
共同統治領ができたマルダル諸島は他の地域よりも急速に復興が進んでいた。
とはいえ、氷河の残した爪痕は戦争のそれよりも大きく、至る所でインフラ整備の工事が昼夜問わず行われている。氷河の持ってきた大小の岩石や倒木が街角に転がっているような状況だ。
そんな氷河の落とし物も民間人にとっては貴重な建材である。路肩には大小のバラック飲食店が建ち並び、土方や治安維持のために駐留する両軍兵士の腹を満たしていた。
この物語はそんな飲食店街の一角、諸島で新しく流行(はやり)始めた料理「ふぉうこのみやき」の店で始まる。
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「おやじ、まだやってるか?」
威勢良く暖簾をくぐってきたのはフォウ王国の兵士だ。歳は30くらいだろうか、着たきり雀でくたびれた冬服と霜焼けで染みだらけになった顔という典型的な王国の駐留兵だ。
「先輩、待ってくださいよぉぉぉ!!」
素っ頓狂な声を上げて遅れて入ってきたこちらもまた王国の兵士だ。年はまだ若く、肌には張りがある。大寒波戦役が初の任務だったであろう彼はいい先輩に恵まれたようだ。
「へい、いらっしゃい。今日はお客さん達だけだ。好きなところに座ってくんな。」
カウンターと一体となっているよく磨かれた鉄板の向こう、禿げ掛かった白髪頭の大将がにやりと笑いかけて、刃も見えぬ見事な包丁さばきで、たちまちお通しを出してくれた。
「今日は生きのいいマルダル八(ヤ)腕(ウデ)が入ったんで紅藻、芽ワカムと一緒に酢柑(スカン)の果汁とケシロツブで和えてみたんでぇ。若い方には難しい味かも知んねえが…まぁ、諸島名物だと思って喰ってくんな。」
「おやじ、俺にはそいつにイヨチク酒もつけてくれ。一番辛いやつだ。」
「はいよ。最初っから飛ばすねぇ。燗は…、つけなくていいんだったな。」
横ではガキ扱いされて少しむっとした後輩が海藻だけをくちにいれて涙目になっていた。先輩はゲラゲラと笑いこける。
「バカだなぁお前。こういうのは通の食い方ってものをちゃんと見ておくんだぜ。いいか?こう喰うんだ。」
大将がさっと後輩の前にコップを置いた。
「おめぇさんはこっちの方が口に合うだろ。イヨチク酒の甘口、燗をつけてあるから気ぃつけろよ。」
その横で先輩はこの王国になじみのない料理の食べ方を雄弁に語る。
「まず、香りと見た目を楽しむ。酢柑の爽やかな香りが広がったらすかさず一口いく。大事なのはヤウデと海藻を一緒に喰うことだ。舌の上にヤウデの味が残ってる内にイヨチク酒でキューッと一杯キメる。これを繰り返してるだけで小鉢はあっという間に空っぽって寸法よ。」
「こいつがそうやってるだけよ。まあ、あながち間違っちゃぁいねぇが、決まりなんてねぇ。自分の喰いやすいように喰えばいいのよ。」
そう言うと大将は再び後輩の前に何かを置いた。小瓶にはいったそれは、紫色をした液体だった。
「豆を使った諸島の伝統調味料さ。酸味を和らげられる。」
先輩はひょいとつかむと小鉢にちょびちょびと垂らす。独特の香りが鼻孔をくすぐる。
「あーーーー、うめぇ。」
これ見よがしにのけぞる。それにしても本当にうまそうにくうものだ。
「…ッ、いただきます!」
後輩も目をつむりながら一気に頬張り、燗つきのイヨチク酒で流し込む。ふっと鼻を抜ける爽やかさ。先ほどの刺激なんて嘘のよう。今度は諸島の調味料をつけてみる。うまい。ほどよい塩分とうまみが酸味を和らげ、ヤウデと海藻によく絡む。ヤウデのプリプリ、海藻のコリコリ、ケシロツブのプチプチとした食感が舌に楽しい。
あっという間にコップも小鉢も空っぽになっていた。
「いける口だねぇ、若(わけ)ぇの!」
「こいつはこう見えて同年代じゃ有名なザルなのさ。もっとも、同期の連中はもう数えるほどになっちまったがなぁ。」
先輩の口が「しまった。」と動いた。店内に重苦しい雰囲気がのしかかる。無理もない。先の大寒波戦役、序盤こそ優位だった王国軍だが、後に彼等は大損害を出し、氷河とともに敗走したのだ。死者は数知れない。それも新兵の死者ともなると…。
見かねた大将がヘラで鉄板を叩いた。
「さぁさ、今日の主役だ。王国からの持ち込み品がどっさりあるんでい。景気よくいきましょうや。しっかり喰わねぇと明日の任務も乗り越えらんねぇですぜ?」
潤んでいた目をゴシゴシこすり、「奢りだ。」と大将が出してくれた高級コケムギエール《マルダルの雷鳴》を三人で乾杯し、再び店内は宴に戻った。
「で、おやじ。今日はどんなごちそうを喰わせてくれるんだ?屯所の身のうっすい魚と豆がはいった味がしねぇスープや増量堅焼きパン、くそほど堅くて塩っ辛い干し肉にはもう飽き飽きしてるんだ。」
同意を表すように後輩も強く首を振る。
軍務大臣が変わってからというもの、復興費用と新要塞建築費に圧迫されて軍隊の財政事情は悪化。補給の末端に当たるここマルダル諸島では、まずい飯を作るために便所の紙にまで困窮するという有様だ。
ゆえにこうしたバラック飲食店が兵士の心を満たすオアシスとなっているのだ。
「驚くなよ。今日のメインはこいつだ!」
そう言って取り出したのは油紙に包まれた弾薬箱ほどの塊だった。
ゆっくりと紙を押さえる紐をほどいてゆく。
「おい、まさかそいつは…。」
軍人二人の喉がゴクリと鳴る。独特の臭み、間違いない。彼等が喉から手が出るほど欲している物がそこに鎮座していた。
「「ヴェー肉だぁぁぁぁ!!」」
「し――――っ!声がでかいぜ、お客さん。ボロ屋が潰れっちまう。」
「すみません。しかし、食品の国外流通は軍によって厳しく管理されていたはず。肉類は特に。それをどうやって…。」
驚くのも無理はない。戦争が終わって以来、国の支援物資や軍需糧食以外の流通はたとえ個人の持ち物であっても厳しく制限されていた。しかし、目の前にあるのは紛れもないヴェー肉。それも脂身たっぷりのかなりの上物を塊で、だ。
「なぁに、王国時代からの友人が気を利かせてくれたのよ。若い方は知らねぇかもしんねぇが戦争前は王国、しかも駐屯地の真ん前で居酒屋をやってたんだぜ。ちったぁ顔も広いってもんよ。」
「なるほど。で、それどうやって食べるんです?個人的には厚切りのステーキで…」
言うが早く、今すぐにでも肉にかじりつきそうな勢いで身を乗り出していく。
火を入れ始めた鉄板の上につんのめりそうになって、あわてて先輩が肩口を引っ張った。
「まてまて、そうがっつくなって。肉は十分にあるんだ。俺の今月分の給料叩いてでも全部俺たちで喰ってやるさ。それにこの店は《ふぉうこのみやき》の店で、おやじの腕は一級だ。万が一にもハズレはねぇって。」
「ほぉー、うれしいこと言ってくれるじゃねぇの。お前さんと俺の仲だ。まけといてやるよ。」
「さすがおやじ、わかってるぅ」とばかりに腕を打ち付け合う二人。
しかしそのノリノリの雰囲気を完全に素のテンションの声が遮った。
「あの~、《ふぉうこのみやき》ってなんですか?」
先輩はついていた頬杖を思わず外した。
店内にカウンターに顎を打ち付ける鈍い音とうめき声が響いた。
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「まさかお前が知らなかったとはなぁ。」
打ち付けた顎をさすりながら先輩はナスの塩辛に箸を延ばした。独特の食感とエグみのある諸島の珍味で、海モロコシの焼酎との組み合わせは絶品だ。
「トウドコケムギ粉を使う料理さ。本国からの援助物資で大量に送られてくるあれは、諸島人には『フォウから来た粉』つまりフォウ粉って呼ばれてるってわけさ。」
「王国の食材を使うもんだからてっきり軍人さんの方が詳しいもんだと思ってたんだけどなぁ、確かに諸島に入ってきてから発展はしたが…。まあいいや。この料理はお客さんの目の前で作るもんだ。よく見て覚えれば駐屯地の飯も多少はましになるだろうよ。」
大将は口を動かしながらもテキパキと材料を調理台に出していく。
「よっ、鉄板おやじの3分クッキング!」
「3分で作りたきゃお前さん達も食材刻むの手伝いな!」
先輩の妙な導入で調理が開始される。
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「まず、食材を刻んでいく。おい、若(わけ)ぇの。お前さんは雪下球(ゆきしたきゅう)菜(な)をこのザル一杯にみじん切り、そこの飲んだくれはネバリ芋をすりおろせ。俺は魚介系を片づける。いいかぁ?調理場は戦場だ!もたもたしてっと捌いちまうぞ!」
瞬く間に食材が揃ってゆく。(このとき先輩は除隊後に料理屋が開けると確信したという。)
この料理の根幹を担う雪下球菜。ふっくらとした食感に仕上げるためのネバリ芋。その他タネ違いに使う青ネゴは小口切り。トウド人(じん)根(こん)は千切り。豆(とう)芽(が)は洗って水を切る。パン海綿の麺を二玉。マルダルヤウデはぶつ切り。ナスは短冊。ワリウネクルウチワ貝の貝柱は半分に。そして今日の主役、ヴェー肉は油多めの部分を薄切りに。
一通り食材が整うと大将はボウル代わりの鉄兜(終戦時に大量に放出された)を持って解説を始める。
「鉄兜(ボウル)にフォウ粉(トウドコケムギ粉)、パルエウオの煮干しでとっただし汁、風見鶏の卵、雪下球菜、紅ショウブ、干したヌマチウラシロエビ、揚げたクラックの実をいれてよく混ぜる。雪下球菜以降の食材は手に入りにくいかもしんねぇから、そこは臨機応変に対応してくれ。そうだな…。クラックあたりは水で溶いたフォウ粉を揚げれば代用できるかもな。」
「ヌマチウラシロエビは穀物庫で湧いた虫あたりが妥当かもしれません。」
サラッと恐ろしいことを言ってのける後輩に先輩は眉をしかめたが、後日「揚げて食べてみたらまんまソレだった。」と語っている。
「タネの準備はこれでいいだろう。」
熱した鉄板に刻んだヴェーの脂身と諸島の家庭的植調理油である海モロコシ油を広げる。それだけで既にたまらない香りがしているのだが、調理はまだ始まったばかりである。
油でテカった熱々の鉄板の上に先程混ぜた鉄兜(ボウル)の中身を広げていく。
「薄すぎず、諸島スパイの面の皮ぐらい分厚く広げるのがポイントだ!」
大将の言葉に二人の兵士も憎たらしきスパイへの悪態をつきながら大いに同意する。愚痴を言いながらの酒のうまいことうまいこと。あっという間に徳利が空になる。
次の酒を出してやりながらも大将の手は鉄板の世話をすることを忘れない。
広げたタネの上に薄切りにしたヴェー肉を広げ、裏の様子を見て適宜ひっくり返していく。
一瞬音が消え、鈍い落下音と蒸気とともに肉の焼ける音と匂いが兵士達のすさんだ心を満たしていく。
「おい おやじ、そいつはなんだ?」
先輩の指さす先には4つの瓶が並んでいる。一つは戦闘機のエンジンに詰まっている機械油のような飴色の液体。もう一つはメヌキ鶏(俗称アーキル兵:頭についた鶏冠と群れで行動するところ、そして間抜けなところが似ているのだという。当事者のアーキルにとっては失礼な話である。)の卵が饐えたような匂いのするどろりとした液体。3つめは鉋屑のような何か。そして最後の瓶には乾燥させたコケ?のような物が詰まっている。
「おっと、こいつは企業秘密だ。いくらお前さん達といえどもハッキリとしたレシピはおしえらんねぇなぁ。」
大将はそう言って瓶を手で遮った。
「ヒント!せめてヒントを!そうじゃないと屯所の飯が改善できなくて僕たち栄養失調になっちゃいますよぉ。」
後輩はどうにかして手がかりを得ようと必死だ。本気で屯所でもフォウ好み焼きを作る気のようだ。
あまりにもしつこいのでとうとう大将が折れた。
「そうだなぁ、じゃあこいつのいっちばんキモとなる部分だけ教えてやる。こいつは野菜くずを煮込んだソースだ。材料は何でもいいが、葉物と根菜、果物をバランス良く入れることが大事だ。後は自分の舌で覚えてくんな。分からなくなったらいつでもここに来て飯食いに来りゃあいい。」
大将の最後の言葉に後輩は感動したように激しく首肯したが、先輩の方は
「へっ、ちゃっかりしてらぁ。」
と酒をあおった。しっかりと金を搾り取る魂胆が丸見えの清々しいほど商魂たくましいオヤジである。
そうする間にも鉄板上の美味しそうな円盤は完成へと近づいてゆく。
もう一度ひっくり返すと、鉄板との間に閉じ込められていた香ばしい香りが、二人の兵士の腹を鳴らした。
「仕上げだ。」
大将は瓶の蓋を取ると手早く、しかし丁寧にハケを動かした。
茶色、次に白、緑、最後に鉋屑のような何かをかけると香りとともにわらわらと踊った。
鉄板を前に箸を構えた腹ぺこ二人が大将の顔を見やる。
「完成だ。」
大将はニカリと笑うとヘラを突き立てて円盤を二つに割った。
故郷の薄焼きパンのような形をしながらも、圧倒的なボリューム感と食指を誘う濃厚な香り。
これこそがフォウと諸島の材料によって完成した両国融和の混ぜ焼き料理「ふぉうこのみやき」なのだ。