小さな戦艦の巨人司令官

フライトグライド アナザーノベル 「小さな戦艦の巨人司令官」


登場人物


 ジョセフ・ベルリッツ…巨漢の新任司令官。特進大佐で『東方地域治安維持警戒隊』に配属させられる。
 アトナリア・ランサス…通商破壊戦艦『ヴォールドヴェーダ』艦長。
 アルエット・ブル…補給艦『ホホロ』艦長。ジョセフを何かと気にかけている。



第一章『出発』


“総員起こーし! 総員起こーし!!”
 けたたましいベルの音とともに、艦内が一気に活気づく。その音を聞きながら、ジョセフ・ベルリッツは自らの荷物をすべて詰め終えるとカバンの口を締め上げた。

 室内には低く脈打つように浮遊器官と蒸気エンジンの音で満ちている。旧式で最初は少し物珍しさとうっとおしさを感じたその音にもようやく耳が慣れてきたところで目的地に到着だ。
 ふぅ、と吐いた息がすこし白くなる。
 ベルの音よりも一足先に目覚めて既に身支度を整えた彼は、2mを超える自らの巨大な体躯を折りたたむように椅子の背にもたれて座りなおした。ギシリと椅子が悲鳴をあげる。

「要は体の良い厄介払いだよな」

 地方の併合都市出身のジョセフは猛勉強の末、上級学校を卒業後、体躯を見込まれて空軍へ入隊。3年後、得意だった航空術の才能を活かし、帝都の軍幹部学校である士官学校へ進学した。
 そこを次席で卒業後、砲艦「エイマ」で艦長、駆逐艦で航海長、巡洋艦で副艦長として勤務してさらに10年務めていた。その間、特に他の人間とやっていたことは変わらなかったはずだ。
 しかし、彼は突然の人事局からの一報で特任司令官になった。正確には、なるために赴任先へ向かっている。
 もちろん、自らが飛び級抜擢されるような実績は13年間の勤務中には無い。むしろ逆だ。
 しかし主だった理由は間違いなく、自身の体躯だろう。体のせいで司令官に任命とは、全くもって不可解なものだがそれ以外には逆に見当がつかない。全くないわけではないが。

 事実、自らの巨躯は艦の生活では問題が多かった。
 通路は塞ぐし、ハンモックは落ちる。前の艦で屋根に頭をぶつけた回数は着任3日で数えるのをやめた。そして何より、上官を常に見下ろす位置に顔がある。どうしようもない事だが、プライドの高い貴族である艦長や司令は、そのことが気に食わないのか、何度かその事で叱責を受けた。浅黒い肌である事を理由に殴られ、蹴られて踏みつけられたことも数えたらきりがない。
 そんな状態だったので「上から見下ろす奴なら、無理やりトップに据えてしまえ!」……と人事局が考えたのかは分からないが、病気や怪我で休んだことが無い以外、目立った功績も積んでいない自分が、過去最年少、若干28歳の艦隊司令官として、赴任先に向かう事になった。
 全く突然だった。つい数日前に前任の艦隊が帝都近郊の港に帰港するや否や、基地司令からの呼び出しを受け、昇進と赴任の辞令を受け取った。あまりの出来事に最初は何かの冗談かと疑ったが、言われるまま同時に支給された特注の卸したての司令官服にその場で袖を通し、補給任務の補給艦に相乗りして今に至る。
 そこまでが一連の流れになり、ようやく事態を飲み込めた時、どうやら本気らしいと理解できた。

 カバンを足元に置き、その中に入った重厚な装丁が施された黒表紙のファイルを取り出す。裏表紙にしっかりと糊付けされた大本営からの辞令書の紙一枚が自らの昇進を如実に示している。
 何度も目を通してはいたが、再びファイルをめくり、これから向かう艦隊の説明欄を探し出す。
 それによると、司令官といっても国境と辺境地域を巡回・独航警備する戦艦の司令である。実質の命令系統は、艦長がトップで司令の存在は名目上だろう。つまり、お飾りのようなものだ。
 とりあえず、この補給艦も所属艦隊の一つらしいが、その補給艦を護衛する駆逐艦も居ない。たった2艦の艦隊。
 そこで首を降り、考えを散らす。後ろ向きなはやめよう。

「なにしろこんな機会は、望んで与えられるようなものじゃない」

 そうだ、理由は何にしろ、自分は司令官としての地位を手に入れられたのだ。素直に喜んだらいいではないか。辺境部族出身者のこの出世は、帝都近郊で暮らす親兄弟の家族には間違いなく朗報となる。暮らしも幾分楽になるだろう。

 しかし、口から出る白い吐息が、彼の目の前を漂う度、否応なく現実に引き戻す。
 部屋には今自分以外誰もいない。円卓状に並べられた会議机。着任する艦隊の新司令官が、ここ数日は補給艦のこの「士官会議室」で寝起きしている。暖房の効いた士官室もあるにはあるのだが、巨躯の彼にはあまりに狭いためにその部屋は利用できず、こうして会議室の椅子をギシギシと鳴らしてその時をずっと待っている。
 その地位とのギャップはこの数日間、未だにその地位の実感を、彼に感じさせてはくれなかった。

「まあ、予定通りだとこの寒さとももう少しでお別れだ。体感的にはさほど寒くはない」
 数日着込んだ士官用防寒着の上から体をさすりながら再び首を振る。
 思考を前向きにしようと懐から愛用の懐中時計を取り出して時間を確認し、そのまま視線を窓の方へと向ける。丁度、すぐ横に並んだ丸い舷側窓から陽の光が差し込み、彼はその光に目を細めた。
 空は薄暗く、夜が明けてまだ少ししか経っていない。
 しかし、弧を描く水平線から顔を出したばかりの朝日に照らされ、黄色の帯をキラキラと反射させた雲が風に乗って流れていく。直上の空は、まだ濃紺の色を残しつつも、すこしずつ輝きを増しつつあった。
「いい朝だ」
 その景色をみているうちに、彼は自身の中に渦巻いていた鬱々とした気持ちが、鳴りを潜めていくのを感じた。


 ジリリリリリリリリリリリ!
“左舷後方、距離2000に『戦艦ヴォールドヴェーダ』視認!接舷体制に入りました!”
“甲板要員は所定位置へ、補給マストの展開よーいー!”

 再びけたたましいベル音と伝声管からの声が響き、外の廊下を水兵が慌ただしく駆け抜ける。
 彼は窓に顔を近づけて放送のあったその方向へ視線を動かすと一隻の戦艦がゆっくりと雲間を抜けて近づきつつあった。発光信号を点滅させて接舷許可を求めている。
「小さいな」
 思わずボソリとつぶやきが口から漏れた。自らの低音の声は意外と響く。
 慌てて辺りを見回すが、はじめからこの部屋のなかには自分以外誰もいない。とはいえ、これから自分が乗り組む船の悪口は慎むべきだと自らに言い聞かせ、再びその「小さな戦艦」に目を向けた。
 確かに、帝都にいる大戦艦と比べたら小さいが、艦首と艦尾に1基ずつ配置された主砲の長砲身連装砲と上下左右をカバーする12基の副砲。多数の機銃と艦首下方のスラリとした戦闘艦橋から船体の大部分を占める大型の浮遊器官がなかなかバランスのとれた優美のある姿をしている。
 甲板上では戦艦からの求めに応えるように甲板要員が慣れた手つきで旗旒信号をマストに掲げ、船体に格納されていた補給用の係留マストが展開されていく。
 高度2500での補給任務。流れの激しいこの空域では、比較的気流の安定した時間帯である朝の僅かな時間にすべてを行わなければならない。
 その貴重な時間を無駄にすること無く、常に流れを変える風に上手く乗り、こちらの補給艦も、これから乗り組むその戦艦も滑るように確実に距離を詰めている。

 その時、戸がコツコツと叩かれ、自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
「ベルリッツ君、入るよ」
「はい」
 彼が頭をぶつけないよう、慎重に立ち上がると同時に扉を開けられる。
 入ってきたのは、ひょろ長い印象のヒゲ面の男。防寒着で膨れていてもヒョロヒョロと頼りない雰囲気だが、彼は立派なこの「補給艦ホホロ」の主である。つまり艦長だ。
 人は見た目で判断できないと改めて思いながら、正面中央の席に腰掛けてこちらを見上げる艦長、アルエット・ブルの顔は幾分安堵したもののようだ。
「作業は大丈夫なのですか?」
「なんの、作業監督は副長にまかせてある。ワシにとって今はこっちが重要な任務じゃからな」
 ハハハと笑いながら、彼が机の上に幾つか書類を並べた時、軽いショックと連結音が艦内に響いた。戦艦とドッキングした音だ。
「ほう、上手いの」
「音は結構響くのですね」
「しかし、アンタは運が良いな」
「……はい?運が良い……とは?」
「まあ、それは乗ってから分かると思うぞ、ヒャヒャッ」
 悪戯っ子のように笑うブル艦長の言葉に彼は首を傾げる。
 そんな彼を気にすること無く、うんうんと頷きながら艦長が書類に目を通していると、再びコツコツと部屋の戸を叩くノックが鳴った。
 艦長の合図で従士が扉を開けると、葉巻を咥え、別の従士を従えた小太りの男と長身の赤毛の女性が続いて部屋に入ってきた。二人はジョセフを見て一瞬驚いた表情を見せつつ、平静を装い、部屋の中を進む。
 小太りの男の左右それぞれにブル艦長と赤毛の女性が並ぶと、三人はジョセフと円卓を向かい合うように対面し、お互い敬礼をして席についた。
「えー……うぉっほん!」
 胸元にジャラジャラとこれ見よがしに付けられた勲章を揺らしておもむろに小太りの男が咳払いをする。全員が彼の方を見るが、男は悠々と葉巻の端を噛みちぎって吐き捨て、そのままマッチで火をつける。
 そして、ゆっくりと吸い込み、大きく紫煙を吹き出してから、ようやくしゃべりだした。
「さてベルリッツ君、わたしが東方地域治安維持警戒隊司令官ホーカー・デンスである」
 ここで再び葉巻を吸い込む。どうやらこの人は常に葉巻を燻らせないと喋れないらしい。

「この度、本官は帝都への配属となりー……」
(ああ、また始まった……)
 ジョセフにとって前任がどのような人間なのかはどうでもいいが、嫌味ったらしく帝都への異動を誇ってくるのは何処の上官も変わらない。駆逐艦や軽巡での任務引き継ぎの時も似たようなものだったことを思い出し、毎度毎度その自慢話を聞くのは後任の帝国軍新人司令官の登竜門らしかった。
「……で、あるからして……そのため、後任として、貴官が当警戒隊司令として配属となった。本官の後を継げることを誇りに思い、聖高な職務を全うして頂きたい」
(こいつも長かったな)
 ジョセフがそんな事を思っているとも露知らず、延々と30分間しゃべり倒して満足したのか、ホーカー司令は、書類に紫煙を吹き付けながら任務権移譲の書類に景気良く判を押してファイルを閉じた。それを従士がジョセフの元へ運び、受け取って彼もまた判を押す。
「了解いたしました。ジョセフ・ベルリッツ大佐、ただ今これより、東方地域治安維持警戒隊司令を引き継ぎ、必ずや帝国皇帝のお力となるよう、努力致します!」
 8割以上、ホーカーの話は聞いていなかったが、あえて感動した体を演じて最高敬礼で答礼をする。
「うむ。期待しておる。 さて、ブル艦長、わたしは部屋に引き上げる事にする。後は任せたよ」
「はい、お部屋は暖房を効かせてあります。帝都まで、ごゆるりとお寛ぎください」
「おお、そうかそうか!では、新司令官君、アトナリア艦長、お先に失礼」
「はい」
 全員が立ち上がり、敬礼で彼を見送る。それに答礼しつつ、満足したのかホーカー前司令官はのしのしと絨毯を踏みしめながら従士を引き連れて士官会議室を出ていった。
 姿が消え、扉が閉まったと同時に、部屋の中に残った三人の口から揃ってため息が盛大に流れ落ちた。
 三者三様に思う所あるようで、それぞれ苦笑いを浮かべながら席につく。毎回このようなことが繰り返されていたのだろう。ブル艦長に至っては完全に肩の力を抜いている。
 一方、アトナリアと呼ばれた赤髪の女性は、先ほど一瞬見せた気の緩みをかき消して、再び緊張の面持ちでこちらを見つめている。そりゃそうだ、彼女にとっては、まだ上官は目の前にいるのだ。しかも着任したての。
「えっと、君がアトナリア艦長だね」
「はい、ベルリッツ司令。通商破壊戦艦『ヴォールドヴェーダ』艦長のアトナリア・ランサス中佐です。先ほどは失礼な態度をお見せして大変申し訳ございません」
「いや、気にするな、堅苦しいのはナシだ」
 立ち上がろうとするアトナリアを手で制す。
 彼女は少し視線を逸らし、一瞬何かを考えた後、お辞儀をして座り直した。手元では、自身の真っ赤な長髪をくるくると弄っている。
 その姿を見て、ジョセフはここに到着するまでに目を通した彼女の情報を思い出す。
 彼女は、書類によれば年齢は22だという。182センチの長身と落ち着いた態度からは、年齢よりも大人びて見える。他の身体的数値の表記は無かったが、その長身にあったスタイルと、何にもまして片側にまとめた赤く長い髪と深い緑色の瞳に整った顔立ちは、なかなかの美貌だ。帝国出身ということだが、目と髪の色は明らかに純血の帝国人間ではない。おそらく彼女も併合された国の人間だろう。
 そして、この年齢で戦艦の艦長に任じられている辺り、かなりの優秀な人間に違いなかった。実質、あの戦艦が彼女によって運用されているならば、彼女が最年少の戦隊司令官ということになる。
「そういえば、ヴォールドヴェーダの乗員達は、なかなか見事なものだ」
「はい?」
「接舷時の操艦は見ていて安心できた。楽しみにしているよ」
「い、いえ。ありがとうございます」
 そう言い、彼女は少し頬を染めて目をそらす。しかし、なにか気になるようでチラチラとこちらを見上げている。もちろん、彼にはアトナリアの気になる事柄は、とっくの昔に見当は付いている。
 彼は少し、いたずらっぽく尋ねてみた。
「うん?何か?」
「あ、あの司令。失礼を承知でお尋ねしますが……」
「身長のことだろう?223だよ」
 さらりと応える。彼にとってはいつものことだ。大抵、初対面の人間の質問はいつもこれだった。
 その数字にアトナリアもブル艦長も目をパチクリとさせ、その反応も彼にとってはいつもの反応で、逆に少し安心していた。
 そう、先程からジョセフは、全員を見下ろして話しつづけている。ただ単に、座っていて座高が高いというレベルではない。座っていようが立っていようが相手が余裕で見下ろせる。事実、既に座高で頭2つ分、肩幅も常人の1.5倍は余裕で超えている。ジョセフは、見たとおりの巨体の持ち主だった。
「うわぁ……」
「驚いたかね?」
「はい……あ、いえ……」
「ははは、気にしないでくれ。デカイのは生まれつきだ。お陰で艦内では姿勢が伸ばせないんだからな、はっは!」
「ヴォールドヴェーダの室内高は290ありますので安心して伸ばせますな」
「おお、さすが戦艦。それは嬉しいな! さて、おしゃべりはこれくらいにして、とりかかるとしようか」
 ジョセフが書類ファイルを開くと、二人もすぐに仕事の表情になった。
 一瞬、アトナリアが何かを言おうとしたようだったが、ジョセフがそれに気づくことはなかった。

 今回は司令官の交代の他、ヴォールドヴェーダへの燃料、弾薬、食料の補給。一部の人員交代が行われる。それら帳簿と名簿の確認を済ませて種々の報告を受けると引き継ぎは30分ほどですべて終わった。あの前任司令の話がどれだけ会合を長引かせているかがはっきりわかる。
「それでは司令、乗艦なされますか?」
 終わるが早いが、アトナリアが席を立つ。
「いや、まだ補給作業中だろう。ブル艦長、どれくらいかかる?」
「そうじゃの。ちょっとまってくれ」
 そう言うとブル艦長は壁際の伝声管の一つの蓋を開け大声で叫ぶ。
「あー、会議室・艦橋。こちら艦長。副長はおるか?」
『艦橋・会議室、はい艦長。何でしょうか?』
「作業はあとどのくらいで終わりそうじゃ?おおよそで構わん」
『あと20分ほどかと』
「了解した。通信終り」
 ブル艦長はこちらに向き直るとニヤリと笑いつつ椅子に腰掛ける。
「だ、そうじゃ」
「ほぉ、早いですな。それなら終わってからで大丈夫でしょう」
「作業を監督しなくても?」
「いや、そうしたいのは山々なんだが、この体じゃ邪魔になるのが目に見えているのでね。そちらの艦に慣れてからで問題なかろう」
「なるほど」
「……」
 あまりにあっさりと納得したアトナリアの返答に、苦笑いしか出ない。
 彼はゴホンと咳払いをしてから補給の監督は彼女に任せ、終了後に乗艦する旨を伝えると、彼女は見事な敬礼をして退室して行った。
「やれやれ……」
 ドカッと椅子に腰掛け天井を見上げる。たった1時間ちょっとなのに、変に疲れた。
「ヒャヒャヒャ、ホントに運がいいの。司令官どの」
「どういう意味だ?」
 何も言わず、ニヤニヤと笑うブル艦長。アトナリアと入れ替わりに入ってきた給仕が差し出したお茶の入ったカップからは、暖かそうな湯気が立ち上っている。
「……ああ、そのようだな」
 艦長のその表情にイラッとしながらも、ひとまず同意して、彼はカップに手を伸ばした。





「おかえりなさい、艦長」
 アトナリアがタラップを登り、舷門をくぐると一人の中年の女性士官が彼女を敬礼で迎えた。
「ただいま、ルタ。作業はどんな感じ?」
「順調です。今回のリストにあった食料、器官の栄養触媒の補給は既に終了しました。弾薬の積み込みもまもなく終了します」
 ルタと呼ばれた彼女は、分厚くファイリングされた書類を小脇に抱えて懐中時計を確認した。
 その彼女に向かってアトナリアは一歩進み出ると、腕を組み、正面に向きなおって厳しい表情を浮かべながら迫る。
「と・こ・ろ・で!懸念の頼んでいたものは来たかしら?」
「い、いえ……残念ながら。それ以外の技術局押し付けの予定外ものは大量に来ました。あと生態器官の触媒濾過フィルターの代替品はまた見送りです。しばらくは使えるものを可能な限り節約して使うほかないですね」
「あのクソオヤジめ……!」
 舌打ちし、ツカツカと足早に廊下を早足で歩き出すアトナリア。その半歩後ろをルタは追いかけてゆく。
「全員揃ってる?」
「はい、主要な者は全員、会議室に集めてありますが……」
「よし!ルタ、今回の司令はこれまでみたいなクズ人間じゃないわ。全員に徹底させないと」
 焦りの表情を隠さず足を速めるアトナリアに、ルタも驚き、慌てて彼女に並んでいく。
「本当ですか?」
「だからその準備が必要よ」
「ハイ!」
 二人は幾つかの階段を上がり、上甲板の一つ下の階層である第一甲板へ上ると長い廊下を抜け、艦尾左舷側に設けられた「士官会議室」に入った。アトナリアが扉を開けて入ると、部屋の中にいた男女7名全員が彼女に向き直り、敬礼で迎えた。
「みんな、ご苦労さま。早速だけど、急ぎの案件よ。司令官室を復旧させて」
 その一言で、部屋中にざわめきが広がった。
「艦長。新司令はそこまで?」
「ええ、大丈夫だと思う」
「では、『貴賓室』は閉鎖ですか?」
「閉鎖です。しばらくは様子を見ることになると思うけど、基本その方向で問題ないでしょう」
「その件は司令になんと?」
「まだ司令は知らないわ。私がなんとかごまかしておきます。とにかく、アレは見せないように」
「……了解いたしました」
 彼女の言葉に7名はうつむき、何か苦虫を噛んだような表情を露わにした。その理由は、アトナリアには良くわかったが、艦長として前任のお荷物の処理はこちらで済ませなければならない。
「さあ急いで。司令は補給作業が終わられたら乗艦されるわ」
「は!」
 全員が部屋を出てそれぞれの持ち場へと戻って行く。
 静かになった部屋の中にはアトナリアとルタの二人だけが残った。
「……」
「何よ、ルタ」
 先ほどまで勢い良く指示を出していたアトナリアのそばにそっと立ったルタは、彼女の手をそっと握る。その手は机の上で力強く握られたまま、少し小刻みに震えている。
 握られた事でそれに気づいたアナトリアは、ルタの手を振りほどくと、慌てて部屋の出口へ向かった。
「アリア!」
「大丈夫よ、これは私の仕事だから」
「……」
「大丈夫」
 そう言って、彼女は再び舷門の方へと向かって行った。





「ブル艦長、お世話になりました」
「君ならやれるさ、前途が明るいことを祈っているよ」
「ありがとうございます」
 二人は敬礼の後、固く握手をした。
 別れ際、ブル艦長はジョセフの背中をバシッと叩いてきた。何事かとそちらを見ると、笑いながら頷いている。
「??」
 疑問に思いながらも、彼は上甲板の扉を開けて甲板に降り立った。
 上空の風は徐々に強さを増していた。コートの裾が煽られてバタバタとはためく中、抱えた荷物や自らの帽子が飛ばされないように押さえながら、補給マスト横のタラップへ歩を進める。
 タラップ横にはアトナリア艦長とその従士が待っていた。敬礼し、挨拶を述べようとしているが、風が一気に強くなり何を言っているかよくわからない。
「挨拶は後だ!安全のため発進を優先させよ!」
「ハッ!」
 ジョセフが大声で伝えると、アトナリアを先頭に3人はタラップを駆け上がる。
 舷門をくぐると、待っていましたとばかりに扉が閉じた。伝声管を号令が駆け抜け、タラップが折りたたまれて船体に格納される。
「司令、お部屋へご案内します」
「いや、まずは航海艦橋へ案内してくれ。それに発進時こそ、艦長は艦橋に居るべきだとおもうが?」
「失礼しました。どうぞ、ついてきて下さい」
 彼は荷物を舷門横の空きスペースに置き、艦首側下部に突き出た航海艦橋へ続く廊下をアトナリアの後につづいて歩きだした。
「司令官、艦橋に上がります!」
 彼には小さすぎるくらいの入り口をくぐって艦橋に入る。
 艦内を慌ただしく移動する兵士達を初め、発進準備をしていた彼らは、ジョセフの巨躯に驚きの表情を見せつつ、全員が敬礼で彼を迎えた。
 ジョセフは素早く答礼すると、発進作業に戻るように伝えた。
 途端、全員がキビキビと動き出す。一人ひとりが自らの役割に徹し、一つのダンスようになめらかな動きで確認作業が進んでいく。
 ジョセフはその動きを邪魔しないよう、艦橋中央の司令官席の傍らに立つ。すぐ横に並んだ艦長席には、慣れた姿勢でアトナリアが座り、艦橋各員からの報告を受け続けている。
「触媒燃料タンクへ装填完了、弁閉鎖確認」
「各ハッチ閉鎖確認しました。艦内気圧正常、気密確認良し!」
「器官内圧力正常、心拍数、神経伝達系異常なし!」
「艦長、全項目確認。行けます」
 報告を受けたアトナリアは、背後に立つジョセフを見上げ、彼は短く頷く。
「補給マストのロックを開放、戦艦『ヴォールドヴェーダ』発進」
「ロック解除!」
 その号令に合わせ、ガチャリという音が響くと共に、ロックが外された係留マストのアームが船体から引き抜かれていく。補給艦ホホロとヴォールドヴェーダを同時に外れたパイプは、それぞれに巻き取られていきながら内部に残った燃料や循環液が風に乗ってキラキラと飛び散っていた。

「逆噴射0.2!前進微速1.5へ」
「ヨーソロー」
 僅かなブレーキをかけることで、前進し続ける補給艦からまっすぐに後退し、安全距離までゆっくりと離れていく。
 ジョセフは眼下の補給艦に目をやると、甲板ではパイプやマストを収容するために慌ただしく動く水兵達。そして、艦橋マストには“貴艦ノ武勲ト航海ノ安全ヲ祈ル”の旗旒信号がスルスルと上り、艦橋要員が敬礼をして見送っているのが見えた。
「艦長、艦内マイクをくれ」
「はい。司令にマイクを」
 ジョセフは傍らの兵からマイクを受け取ると、スイッチを入れた。
「本日、司令官として着任したジョセフ・ベルリッツである。手すきの者は命綱をつけた上で最上甲板に集合。補給艦ホホロに対して登舷礼を行う」
 マイクを兵に戻して上着を整える。その指示に、艦橋の全員が驚いた表情で彼を見つめていた。隣に座るアトナリアもまた同様に彼を見上げている。
 その表情を不思議に思いながらもジョセフはコートの襟を直す。
「やはり、礼は尽さんとな。誰か、露天艦橋まで案内してくれ」
「わたしがお伴します」
 アトナリアは、そう言うが早いが椅子にかけられていた士官コートと帽子を手に取る
「指揮はいいのか?」
「ええ。航海長、後は任せるわ」
「了解しました、距離1000で反航するように進路を取ります」
「司令、よろしいでしょうか?」
「ああ、それで頼む」

 補給艦は、一旦前方に大きく距離をとったあと、帰還するために気流に乗って反転する。ジョセフはそれに合わせて登舷礼をするつもりだった。
 いくつかの階段を登り、辿り着いた露天艦橋は、前方艦橋の最上段にある。射撃指揮艦橋の一つ上だ。ハッチをくぐり、艦橋に出ると相変わらず風が強いが、吹き飛ばされるような強さではない。最上甲板からは3階上の位置で甲板に出入りする乗組員もよく見える。
 ふと見下ろすと、艦首甲板にも乗組員が整列を始めている。徐々に乗組員たちは増え、総員が集合、整列が完了するまで数分とかからなかった。
「おいおい、俺は手すきの者だけで良いと言ったんだが……」
「司令の最初の命令が、補給艦への登舷礼だったのは、私がこちらに配属されてから本艦では初めてです」
「なに?」
「彼らなりの信任の証しでしょう」
「……ゴホン」
 ジョセフは咳払いで顔の緩みをごまかした。
 まったく、言われて恥ずかしいことを簡単にいう娘だ。
(彼女の言うように、どうやら俺の最初の命令は乗組員たちに受け入れられたようだ。しかし、登舷礼が初とはどういうことだ?)
 彼女の言葉にわずかな違和感を覚えた時、補給艦が反航してきた。ジョセフは帽子をかぶり直し、号令をかける。
「隊旗及び、旗旒信号掲揚!総員敬礼――!!」
「総員敬礼――!」
 アトナリアの復唱により、艦橋すぐ後ろのメインマストに隊旗と信号旗“貴艦ノ協力二感謝” “航海ノ無事ヲ祈ル”が掲げられ、盛大に風に乗ってなびく。乗員たちもそれに合わせ、最敬礼を補給艦へ送った。
 反航し、気流に乗って速度の上がった補給艦はあっという間にすれ違い、雲間へと消えていく。
 そのわずか2分ほどの間、乗員たちは強風を物ともせず立ち続けた。

「直れ。総員通常体制へ。」
「直れー!各員、持ち場へ。通常航行体制へ移行。非番の者はしっかり休むようにね!」
 アトナリアの指示により、全員が艦内へ戻りはじめる。ジョセフはその様子を露天艦橋から乗員を見下ろし、続いて指示を出す彼女の方をみた。
 既に彼女によってこの船は一つのチーム、いや、家族に近い連携を見せている。
 ふと、ブル艦長の言った「運がいい」という言葉が頭をよぎる。
 確かに、自分は運が良いのかもしれない。配属先も文句のつけようのない上、この巨躯がなければ、この栄転自体存在しなかった。しかし、それが実力なのかといわれたら疑問だけが残る。運の良さは自分の力なのだろうか?……と。
「運も実力のうちですか?」
 考えた言葉がそのままつぶやきとなって口から出る。
「何かおっしゃいましたか司令?」
「あ、いや、なんでもない」
「?……そうですか、そろそろ体が冷えます、航海艦橋に戻りましょう。司令のお部屋にもご案内します」
「ああ、そうだな。」
 今は考えるのはよそう。どうであれ、今は彼女らの命を背負っているのだ。そして、彼らと一つに動けるように目の前の事をこなそう。
 タラップを下りながらジョセフは、そう心に決めた。


……「第二章」へ続く
最終更新:2015年05月16日 02:37