熱砂の国

灼熱が降り注ぐ真昼の最中(さなか)。
 私は、コンスタンティン級駆逐艦レンドンケトスが係留されている砂上の光景を眺めていた。
 この緑色にきらめく船体が、私をこの地にまで運んだのだ。

 熱砂の国――アナンサラド王国。
 連邦に加盟したばかりの小国で、帝国との最前線に位置する国でもある。

 左右を見やると、そのほかにも連邦軍の艦船が留め置かれているのが遠目に確認できた。
 一見すると連邦軍の基地のようであるが、しかしながらこの場所は厳密には連邦軍とアナンサラド軍の共有基地であった。
 本来ならば連邦空軍の基地となるところであるが、現在、連邦軍とアナンサラド軍の間には円滑な協力体制が築かれていない。
 その結果、この北アルタミル基地も共有基地などという扱いが続いていた。

 駐在武官としてこの若い加盟国に赴いた私の使命は、アナンサラド軍と連邦軍の協力体制を強化することにあった。
 より厳密に言えば、停滞状態にあるアナンサラド軍指揮権の連邦軍司令部への移行体制を整えるという極めて重要な政治的駆け引きのために、私はこの国にやってきていたのだ。

「ようこそいらっしゃいました、アルアミー大佐」

 通りの良い澄んだ声が私に向かって掛けられた。丁寧な連邦語だった。
 そちらのほうを向くと、一人の女性が立っている。
 女性は連邦が提供したものではない民族衣装のような軍服をその身にまとっていた。
 年齢は、二十の半ばを過ぎた頃だろうか。私よりも若く思える。
 綺麗な顔立ち、しかしその両眼からは猛禽のそれを思わせる鋭さを感じる。

 私は彼女に返事をする。
 たしか、私の担当に付く人物はアルバン・ボルシナという名の大佐だったはずだ。

「アルバン・ボルシナ大佐でしょうか?」
「いいえ、違います。アルアミー大佐」

 少々驚きを顔に出してしまった私に、事情が変わりました、と資料が差し出された。
 手渡された資料には、アルバン大佐に代わって、セシラ・アルシアナ親衛隊大佐なる人物がこれからの日程のすべてを担当する旨が書かれていた。

「私はセシラ・アルシアナと言います。階級は親衛隊大佐です」

 親衛隊、現地ではカッサニエと呼ばれる組織の存在はこちらへ来る前に知らされていた。
 情報部から提供された資料はわずかだったので忘れようもない。
 彼らはアナンサラド王国軍とは別系統の組織だそうだ。
 そして、どうにもこの国では王国軍よりもこのカッサニエという組織が大きな影響力を持っているらしい。
 そのあたりの力関係が人事に触ったのだろうか。
 どちらにせよ辺境の軍隊に違いはない。





 基地の通行門に来たところで私たちが乗る予定なのだろう陸鳥馬車がもたついているのが見えた。
 これから官庁街に向かう予定であったのだが、少しの遅れが生じるかもしれない。
 暑いのに勘弁してくれ。私は額の汗を拭った。

 セシラが馬車に向かっていく。
 それに気がついた陸鳥騎手の男は慌てたように直立した。

「Warstuj (何事だ)?」
「Aa! D,d,d,d,da Al'Cassane! Goj stinina! Zar cize no parstars. H,h,hrr iat arun (あっ、し、し、親衛隊員殿! 申し訳ありません! 陸鳥の機嫌が悪いようで、す、す、すぐになんとかします)!」
「Ha......Hajdaj. Il hajlej si. (ふむ、そうか。なら急げ)」
「Dajhane ya! (はっ!)」

 セシラと陸鳥騎手がアナンサラド語で何事かを話しているが、意味はさっぱりだ。
 ただ騎手の方が委縮しているのは見ていてよく分かった。

「申し訳ありません、大佐。少し時間をとらせてもらうことになりそうです。陸鳥の調子が悪いようで……」

 彼女が馬車から離れて、こちらに戻ってきた。

「いえ、大丈夫ですよ。連邦でもよくあることです」

 そこで彼女がふと考え込むように俯いた。
 逡巡はわずかな時間だった。彼女はおもむろに顔を上げると、面白いことを思いついたとばかりに顔に笑みを浮かべながら一つの提案をしてきたのだった。

「陸鳥の調子が整うまでのあいだ、よろしければ我が国の空中戦艦をご覧に入れたいのですが、どうでしょうか?」

 それは明日の予定ではあったが、明日の担当者も彼女なのだ。なんの問題もない。
 着任早々に空中戦艦を見せつけることで私に対してアナンサラドの優位性を示そうというのだろうか?
 こんな辺境国の空中戦艦などたかが知れているというのに……

 私は彼女の提案を受けることにした。
 この熱射から逃れたいという思いがあった。

「ぜひ、拝見させていただきます」

 私たちは通行門を引き返し、基地のほうへと向かって歩きはじめた。





「これが我が国の誇る最新鋭の空中戦艦です」

 ひんやりとした大型格納庫のなかには一隻の艦船が係留されていた。

 私はその艦(ふね)に驚愕を隠せなかった。

 それは、アナンサラドの空中戦艦の偉容に対するものではなかった。
 彼女が言うところの空中戦艦というものが、どうにも我が国の郵便船に装甲板を張り付けたような代物でしかなかったことに対するものだ。
 大したものではないだろうと思ってはいたが、砲塔すら持たないこの自称空中戦艦に私は拍子抜けしてしまう。

「これが、空中戦艦ですか……」

 ようやく口から出た言葉がこれだった。
 失言だったかと思ったが、彼女はそんな私をどうにも面白がっているようだった。

「連邦艦に慣れた方が見ると皆さん同じような反応をなさります」
「それは、その……申し訳ない」
「大丈夫です。それに、これでも充分な役割を果たせるのです」

 彼女は意味ありげに微笑んだ。
 その笑みに、私はなぜだかそら恐ろしいものを感じた。

「役割……」

 微かに声が震えていた。柄にもない。
 こんな空中戦艦モドキにどんな役割があるという……

 彼女が一歩、空中戦艦に近づいた。

「装甲は無いも同然です。何の対空火砲も持たず、唯一の火力と言えばその腹部に抱えた投下式爆弾だけ……空戦などは無理です、ですが――アナンサラドの都市などは容易く破壊できるでしょうね」

 思わず息をのんでしまった。

 私には理解できてしまったのだ――彼女が言わんとしていることが。

「それは、つまり同胞を――」

 そこで彼女はまた微笑んだ。
 あの恐ろしい笑みだ。

「大佐殿は理解が御早いです――しかし、訂正をさせていただきます。少なくともこの国にはアナンサラド人同胞という意識はありません。何よりもまず氏族が優先される。それがアナンサラドという国です。駐在武官となるからには貴方もこの国の政治に組み込まれる。それは氏族の政争に呑まれるということです。
――そのことを努々(ゆめゆめ)お忘れなきように……」

 最後の言葉は、刃を刺すかのように鋭く静かな声色だった。
 私はいつの間にか、この女性将校に圧倒されていた。





「ようするに私はサラド以外の氏族の動きに注意していれば良いのですね」

 揺られる馬車のなかで、私はセシラに尋ねた。
 大体間違いではないと思うが、一応の確認といったところだった。

「そうですねぇ……まぁ、おおよそはそのように願います」

 ただし、と付け加えられる。

「サラド氏族にも三つの家があります。もしも対立があれば、そのとき貴方が重視すべきは王家であるイブリール家です」

 つまり、わたしのことなのですが、と彼女は笑った。

 待て……彼女は今、何と言った?

 私はきっと面白い顔をしているのだろう。
 彼女はクツクツと笑っている。

「し、しかし、貴方はセシラ・アルシアナだ。イブリールの名ではない」

 動揺のあまり上ずった声で反論をしてしまう。
 しかし、それもバッサリと切り返された。

「アルシアナは父称です。この国では家名を名乗ることは少ないのです、アルアミー大佐」

 ひとしきり笑い終わった彼女は悪戯の種明かしをする子供のように、それは楽しそうに自分の名前を語ってみせた。

 セシラ・アルシアナ・イブリール・サラディア、それが彼女の正しい名前だそうだ。

「連邦国はどうにもそのあたりまでは認識していないようですね。後程、すべての氏族をまとめた資料をご提供します。今回は良い勉強になりましたね、アルアミー大佐」

 私は彼女の笑顔に恐縮するしかなかった。

 陸鳥の馬車がもたついたときから、空中戦艦に案内されたこと、そしてこの衝撃までも、そのすべてが彼女によって計画された演出なのだとようやく気がついたとき、私は彼女には勝てそうにないな、と心の底で一敗を感じたのだった。
最終更新:2014年12月08日 23:15